「あとがきにかえて」 より

 

 ふたつの世界大戦の谷間のドイツにいきて、イワンとヤンの、ふたつの名前をなのった、そして偉大なる矛盾をかかえた造形家をおってみました。

 無名の、それも二三歳というわかきイワン・チヒョルトが、一九二五年に発表した論文「エレメンターレ・ティポグラフィ」が、四分の三世紀にもわたって、わが国の、そして世界の造形界におおきな影響をあたえてきました。

 チヒョルトはサナギが蝶になるように、苦悶のなかでヤン・チヒョルトへの脱皮をかさねて、そのわかき日の論説の大半を、一九四六年に「ノイエ・ティポグラフィの信仰と真実」を発表して否定しましたが、どうしてか、もはやそれを顧みるひとはすくなかったのです。

 本書では近代造形、とりわけタイポグラフィ、ブックデザイン、グラフィックデザインにおおきな影響をあたえた、みっつの貴重な論文を紹介することができました。

 ほんのちょっと遅かったのかもしれません……。

 もうすこしはやくから、チヒョルトに関心をむけていたら、この類い稀な才能にめぐまれたタイポグラファに、直接会うことができたのかもしれません。

 わたしがつよくチヒョルトにこだわりだして、一五年ほどになるでしょうか……。そしてチヒョルトが一九七四年に逝去してからは、すでに四半世紀がすぎています。

 最初のうちは、断片的でわずかばかりの翻訳資料と、図版の紹介書をみるばかりでした。

 ようやく近年になって、チヒョルトがのこしたかずかずの書物や、サボンなどの活字書体が入手できるようになりました。また作品の紹介だけではなくて、ハンス・シュモーラや、ルアリ・マックリーンらの、生前のチヒョルトをあたたかく支えたひとによって、人物評伝も刊行されました。

 チヒョルトの周囲には、このふたりのほかにも、チヒョルトを発掘して、その奔放な活動の舞台をあたえた、名伯楽としてのパウル・レンナーの存在もみのがせません。

 ところがこうしたひとですら、その記述のあちこちに、

「チヒョルトには、おそらくとか、たぶんといった逡巡はなかった。つねにものごとを断定的にかたっていた。そしてユーモアや諧謔には欠けていて、あまりに執拗で性急な自己主張をくりかえしたために、おおきな誤解につつまれた。それはひとの忠告に耳をかさないという、チヒョルトの悪癖がもたらしたのである」

「チヒョルトをひとことで評するならば、偉大なる造形者である。そしてまたときとして尊大であり、傲岸不遜のひとでもあった」

「自己肥大と、自己顕示が、チヒョルトの欠点といえば欠点だった」

 とかなり辛辣な批評ものこしています。その反面、

「最後の息をひきとるまで、チヒョルトは幼児のような、無邪気な好奇心を失わなかった」

「おもいつくと、すぐさま行動にうつる。しかもそれを満天下に大声で叫ばないと、気がすまないひとだった。そして狂気じみてみえるほどに、ひとを愛して、また愛されることをねがっていた。つまりチヒョルトは、理論の鋭さと、造形眼のすばらしさをのぞくと、おおきな赤ん坊のような存在だった」

 とも書きのこしています。

    *

 かつてチヒョルトの『書物と活字』の翻訳出版にかかわったとき、そのあとがきに、

「書物をつくりますと、ふたつから、みっつの疑問が氷解されます。ところが同時に、そのまた周辺に、一〇も二〇もの、あたらしい疑問が生じてきます。それが書物の魅力であり、また魔力なのかもしれません」

 と書いたことがありました。いまはそんなおもいを、より一層つよくしています。

 




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