修復なった紫禁城(故宮)武英殿前で。 写真左から : 邢 立 ( Xing Li )氏、紫禁城内紫禁城図書館長 : 翁 連渓氏、やつがれ、朱 有福氏(2013年11月)
故宮博物院 ( 旧紫禁城 ) 概念図。
武英殿聚珍版でしられる 「 武英殿 」 は、天安門、端門をすぎ、正門にあたる午門から入場してまもなく、左手にある。 ここは2010年に修復工事をおえて公開された。 かつては官人(宮廷官僚)がつめた堂宇であり、ここで刻版や印刷の作業がなされたわけではない。 当然ながら作業場は城外にあった。
その東側、武英殿と東西に正対する位置にある 「 文華殿 ・ 文淵閣 」 は宮廷図書館であるが、蔵書はすべて台湾故宮博物院に持ち去られており、この一帯はながらく復元工事中である。
南の午門と、北の神武門は、皇族か、きわめて限定された高級官僚しか利用できず、一般官僚は東西の 「 東華門 」、「 西華門 」 を利用した。
現在の故宮博物院は、観光客が激増したため、北京オリンピックのころから、南の午門で入場料を支払い、北の神武門から出る一方通行となっていて、逆行はできない。 東西の 「 東華門 」、「 西華門 」 は関係者だけの利用に限定されている。
以下に述べる沢園酒家(泽园酒家)は、「 西華門 」を出て、筒子河(堀)をわたって、すぐ左側(南)にある。
いくつかの用件があって、2015年正月早早、01月09日-12日にかけて北京を訪問しました。
中国の正月元旦は01月01日(新暦)ですが、休暇は01-02日までの02日間だけであり、02日[金]を休日としたために、04日[日]は出勤日となっていました。
中国でのお正月「春節」はむしろ旧暦で祝い、困ったことに毎年すこしずつずれています。2015年は02月18日が大晦日で、18日[水]-24日[火]までの07連休となります。 いくつかの企業では02月18日[水]-03月01日[日]までの12日間を特別休暇としています。
ともかく「春節」の前後一ヶ月ほどは、いかに勤勉な中国人といえども特別で、物流も滞りがちになり、注意が必要な時期となります。
その期間を避けての中国訪問でしたが、11日[日]だけを休日として、沢園酒家(泽园酒家 北京市西城区南長街20号)を再度訪れました。
沢園酒家は紫禁城西華門からすぐちかく、政府要人が執務 ・ 居住(一般人は立ち入り禁止)する「中南海」に面した、ちいさな中国湖南省料理を中心としたレストランです。
ここで一昨年、2013年の訪中時に、紫禁城図書館長 : 翁 連渓氏に昼食をご馳走になりました。
沢園酒家は、毛沢東(Mao Zedong 1893-1976)のもとで長年料理長をつとめたオーナーが開いたちいさな店ですが、故郷の湖南省料理が懐かしかったのか、しばしば毛沢東が訪れ、二階の個室では外国の要人とも会食していたことで知られています。
この店の二階には個室が04室ありますが、その壁面は毛沢東の写真で埋めつくされています。 そのひとつに油絵があり、晩年になっても読書欲の衰えがなかった毛沢東が、病床で読書をしている姿が描かれていました。
そのとき撮りそびれた絵画の写真を撮りたくて、中国の知人に個室を予約していただき、駆けつけた次第です。
晩年の毛沢東は、好悪をはっきり表明するようになり、図書に関しても、活字書体、組版様式(誌面設計)、紙質、製本にまで厳格な要求が多かったようです。
その状況の一部、たとえば毛沢東は図書を丸めて読んでいますが、これはハードカバーの重くて堅い装本を嫌い、腰がつよく柔軟な竹紙による製本によります。そんな姿がこの絵画に明確に描かれていました。
そんな1970年代初頭の、いわば < 毛主席特別版図書 > を積極的に収集されているのが友人の邢 立( Xing Li ) さんです。
いずれ邢 立さんのご協力を得て、その周辺の情報もお知らせしますが、今回は、劣悪な写真で恐縮ですが、邢 立さん愛蔵の < 毛主席特別版図書 > のほんの一部と、行草書風のシグネチュア< 毛 沢 東 >の、初号角( 42 pt. )の活字母型(電鋳法)だけをご紹介いたします。
【 関連情報 : 花筏 宋朝体活字の源流:聚珍倣宋版と倣宋体-01 2014年04月23日 】