書 名 タイポグラフィ論攷 著 者 板倉雅宣 装 本 B5判 並製本 112頁 図版多数 発 売 2017年6月19日 定 価 本体2,000円+税 ISBN978-4-947613-94-3 C1070 |
主要内容(目次より) | |
まえがき | |
本木昌造の呼称 | |
本木昌造 長崎ゆかりの地 | |
『學問のすゝめ』活字版 | |
グーテンベルクが作った活字の高さをめぐって | |
ギャンブルがつくった日本語かな活字 | |
マージナルゾーンの語源を探る | |
[史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳 |
著者 まえがき | 私ごとで恐縮ですが、当年85歳を迎えます。その昔、小学校の学芸会で「すずめのお宿」という劇をやりました。「一茶のおじさん、一茶のおじさん、あなたのお宿はどこですか」「はいはい、わたしのお宿は信州信濃の山奥の、そのまた奥の一軒家、雀と暮らして居ったのじゃ」というものでした。このおじいさんは腰が曲がっていて杖をついていました。子供の頃は、おじいさんは腰が曲がって杖をついていたという感じでした。実際に85歳のおじいさんになっても、昔のおじいさんのようにはなっていませんでした。多少日常生活に支障はあってもなんとか生活できています。今日の医学の進歩によるものでしょうか、お陰様です。 |
さて、身の回りを整理しようと、日常、関心を抱いた事柄をファイルにしまっていたものが250冊余にもなっていました。この中から、多少まとまったもの、といってもまとまっていないものが多いのですが、選んでみたのがここに載せた文章です。 | |
◯「本木昌造の呼称」 これは本木昌造の読みが、「もとき」か「もとぎ」かという問いかけにこだわって、調べたもので、長崎歴史文化博物館、神戸市立博物館、江戸東京博物館、長崎史談会等々を調査し、東京大学史料編纂所のイサベル・ファン・ダーレン女史にも声をかけて、本木昌造の自筆欧文サインの発見に協力をいただきました。本木昌造の祖父の代までは「もとぎ」のサインがみつかり、親の代から「もとき」と名乗っていることがわかったという記録です。 |
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◯「本木昌造 長崎ゆかりの地」 2009年に、タイポグラフィ学会の本木昌造賞を戴いた時に会場で配布したもので、2003年9月に朗文堂の片塩二朗氏と長崎を訪ねたときに巡ったときの写真を添えてあります。この時の受賞記念メダルには「MOTOGI」と刻印されています。 |
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◯「『學問のすゝめ』活字版」 東書文庫に全冊が収蔵されているのと、同じく東書文庫に所蔵されている『文部省雑誌 第一号』(明治7年1月刊)と、『学問のすすめ』初版の活字版の活字サイズが同じであることから調べ始めたことです。福沢諭吉と親交のあった芝神明前の尚古堂の岡田屋嘉七が関係したのかもしれません。 |
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◯「ギャンブルが作った日本語かな活字」 明治初年に日本政府から要請を受けて、上海美華書館のウィリアム・ギャンブルが鋳造活字の製法を本木昌造に伝授しました。フルベッキとヘボンのやりとりが興味深いと思われます。美華書館のウィリアム・ギャンブルを招聘した経緯は後藤吉郎氏が「長老派教会歴史協会」で「アメリカ・プレスビテリアン教会・海外伝道会記録」のマイクロフィルムを調査されていますが、一部を公表されていますが、詳細は不明です。日本政府から$.5,000.を受け取ったとかいう記録が公開されるのを楽しみにしています。 |
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◯「グーテンベルクがつくった日本語かな活字」 慶応義塾大学が購入した四十二行聖書を復刻して、2004年に公開シポジウム「よみがえるグーテンベルク聖書」で展示された。これは印刷博物館でも企画され、別のかたちで公開された。もともとグーテンベルクの活字は現存しておらず、活字の高さはわからなかった。活字を鋳造したテオ・レハクは活字の高さを0.928inchとしたという。この印刷物はミズノ・プリンティング・ミュージアムに収蔵してある。昔の史料を調べ、昔はどのような活字の高さだったのだろうかを調べました。 |
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◯「マージナルゾーンの語源を探る」 戦後、「マージナルゾーン」ということばが現れて活版印刷の決め手となる特徴として知られるようになり、語源を探ると相原次郎が最初に使ったということがわかりました。 |
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◯「[史料]中国の母型と活字に関するホフマンの報告 日本語訳」 オランダの東洋学者が日本の事情を知るために、ぜひ日本語の活字が欲しいということで、長崎に試作を依頼したが、出来上がったものは拙劣なものであったため、中国の四号活字の母型と活字を購入することになりました。その経緯を述べた「ホフマンの報告」を日本語訳にしたもの。 |
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いずれも小品ですので、ゆっくりと楽しんでお読みになることをのぞみます。 | |
平成29年5月 板倉雅宣 |
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著者紹介 | |
板倉 雅宣(いたくら まさのぶ) | |
1932年 | 東京上野 生まれ |
1957年 | 千葉大学工学部工業化学科印刷専攻 卒業 東京書籍株式会社入社 |
1990年 | 東京書籍印刷株式会社 常務取締役 |
1999年 | 退任 |
◯受賞 | |
2007年 | 感謝状 印刷図書館 |
2009年 | 第二回 本木昌造賞 タイポグラフィ学会 |
◯おもな著作 | |
『東京書印刷株式会社三十年史籍 −教科書製造の変遷』執筆編集 東京書籍印刷株式会社 1999. |
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「本木初号活字版『単語篇 上』の紹介」 『印刷史研究』第8号 2000. |
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『和様ひらかな活字』Vignette 03. 朗文堂 2002. | |
『活字ー東へ』Vignette 07. 朗文堂 2002. | |
『教科書体変遷史』朗文堂 2003. | |
「本木・平野系初期活字見本帳」 『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』2003. |
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「本木昌造の活版事業 その展開と行方」 『日本の近代活字 本木昌造とその周辺』2003. |
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「明治初期 官公庁印刷部門の動向」 『日本出版史料』8号 日本エディタースクール出版部 2003. |
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「明治初期における活版の効用発見と手引き印刷機」『年報 印刷博物館 2003.』2004. | |
『号数活字サイズの謎』Vignette 12. 朗文堂 2004. | |
『教科書にみる印刷術の歴史』印刷朝陽会 2005. | |
『活版印刷発達史 −東京築地活版製造所の果たした役割』 印刷朝陽会 2006. |
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「本木昌造の活版事業とその展開と行方」 大阪府印刷工業組合 2006. |
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「日本最初の石版印刷物」『印刷雑誌』vol.89. 2006.11. | |
「オランダ商館文書にみる長崎の印刷技術と活字」 『タイポグラフィ学会誌 02』2008. |
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「刷印から印刷へ 文部省『百科全書』底本と大槻文彦訳「印刷術及石版術」『印刷雑誌』vol.91. 2008.1. | |
「スタンホーププレス渡来の謎」 『年報 印刷博物館 2006.』2010. |
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『東京書籍百年史』特別執筆 東京書籍株式会社 2010. | |
『かな活字の誕生 外国人の作った金属かな活字』 印刷朝陽会 2010. |
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『ハンドプレス・手引き印刷機』朗文堂 2011. | |
「サイドベアリングの2つの解釈」『印刷雑誌』vol.94. 2011.3. | |
「上海 修文書館のこと」『タイポグラフィ学会誌 05』2012. | |
「教育書肆 集英堂 山中八郎・橋本源七について 栃木県特有の活字を尋ねて」 『タイポグラフィ学会誌 06』2013. |
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「江川次之進の事績と江川活版製造所の変遷」 『タイポグラフィ学会誌 07』2014. |
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