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『文字百景』 終刊の報告とあらたな旅立ち 書物と活字の周辺を風景のようにとらえてみよう……。そんな気軽な企画から『文字百景』は1995年6月にスタートしました。それから4年半ほど、1999年12月に『文字百景』は百号を発刊して一応の終刊をむかえました。 ながらくのご愛読とご支援にふかくふかく感謝いたします。とにもかくにも、一応『文字百景』はこれをもちまして終刊とさせていただきます。ところが執筆者グループと編集子には、終着駅に辿り着いたという意識とか、なんらかの達成感のようなものはありません。むしろ、 「アレッ、もう終わっちゃったのか……」 といった、まるで未消化のものがのこったというのが実感です。 * 最初から大不況下での船出でした。そのために『文字百景』はともかく持続だけをめざして、時間の拘束とか予算的な無理がないように「不定期の刊行物」だとしてきました。また脈絡に欠けたり、点景にとどまってもよいから、のんびりゆっくり、書物形成法に原点をおいて「気紛れ刊行物」としてやっていこうと思いさだめました。 もともと執筆者の確保におおきな不安がありました。そこで毎週金曜の夜に「今日は金曜かい」といってなんとなく新宿に集まる活字と書物を好きなメンバーを、執筆者の中核にしてスタートしました。それでも編集子が自他ともにみとめる根気のないタイプでしたので、3号雑誌はないものの、20号もだせれば上々と考えていました。 ですから最初のうちは、 「百景っていってるんだから、100号までだすぞ」 と冗談とも本気ともつかずに、ただわめいていただけでした。 * 題字の制作は美登英利氏におねがいしました。すこし困らせてやろうと、 「あなたの書には敬服するけれど、これは筆以外の道具で書いてほしい」 と依頼しました。美登氏は出前の割り箸をチョイと削って題字を書いてくれました。活字は洋の東西を問わずにほとんどが書から発しています。シリーズではトコトン活字にこだわりましたので、この飄逸にして軽妙洒脱な書によるタイトル名は、終始誌面にいい意味での緊張と摩擦をもたらしました。 レイアウト・フォーマットは白井敬尚氏の設計によるものです。デザインという名詞をつかうと、とかく変化をもとめたくなります。ですから叢書なのに表紙のデザインがその都度気紛れにかわっていて、なんの叢書なのかわからないものがあったりします。 また資金不足をうたいながら、表紙に四色印刷をしてPP貼りまでしているものも見かけます。販売や書店流通をかんがえるとそれもわからなくはないのですが、ともかく『文字百景』は低予算でやるしかなかったのです。そのために表紙はおろか本文でも、金科玉条のように「経費抑制」と「叢書に外観の変化は不要」をたてにしてフォーマットを最後まで守ることができました。 最初は経費抑制のために中綴じ製本すらしないで、折り本だけを読者に提供するつもりでした。ですから『文字百景』には1-100までのそれぞれの号数と、ページノンブルのふ たつの数字が表記されています。おおかたの読者はコピーをとったり、綴じ紐で綴ることが予測されましたので、ノドにはおおきな余白を設定してあります。 いずれそう遠くない将来、中綴じの針金は腐食するでしょう。針金中綴じ製本とはそんなものであり、そんな宿命を背負っています。ですから針金が腐食してはじめて、デザイン的にはちょっとうるさく見られた号数表記が、ようやく役立ってくれるものと秘かに期待しています。 組版機はたった4年半ほどのあいだというのに、ずいぶん環境に変化がみられました。おもにリョービのレックスというアナログ写真植字組版システムでスタートしたものの、いつのまにかデジタル電子活字組版機のレオネットにかわりました。 またパーソナルコンピューターによる組版システムも積極的にもちいました。ところが初期のデーター類はOSの変更とかバージョンアップとやらで、現実的には再生利用できないのが実情です。 電子工学の発展には、その尻尾にぶら下がっていくぐらいがちょうどよいと思っていたのですが、それでもこんな具合です。IT革命などという、どこか仕組まれた旗ふりにしたがっていると、とんでもないところに連れていかれそうです……。 印刷方式も写真依存度の低いものはフィルム工程を飛ばして、できるだけダイレクト刷版を採用しました。部数もすくなく、ましてダイレクト刷版による軽印刷方式ですから、水っぽくなったり、濃すぎたりといった印刷ムラは避けがたいものでした。 それでも「継続こそ力だ」「見た目の派手さより内容で勝負するのだ」と意気軒高でした。それでもあらためて振り返ってみますと、誤字・誤植・変換ミスが目立ちますし、誤記すらみることがあります。4年半という時間の蓄積はなにをもたらしたのか……と赤面しながら考えることもあります。 もちろん一銭の謝礼もなしで執筆にあたってくれたおおくの友人の努力は特筆ものでした。執筆者はペンネームの使用もありましたが登場順に、片塩二朗・河野三男・白井敬尚・佐藤章・木村雅彦・本永惠子・松本八郎・遠藤修司・山本太郎・小池和夫・高岡重蔵・渡辺優・谷田学美・新島実・森澤茂・杉下城司・笠間良美・春田ゆかりの18氏によりました。 いたらない点は多々あったのにもかかわらず、こころやさしい有料定期講読者からはさまざまな有形無形のご支援をいただきました。 また苦衷を察していただいたのでしょう……。東京地区と京阪神地区の10社をこえる有力書店様から、こんなたいへんな時期に「朗文堂ブックフェア」を開催していただき『文字百景』の販売にもご助力いただきました。 さらに三島製紙株式会社からは印刷用紙「ケナフ100」の提供といったうれしい助力もありました。終刊にあたってとくにしるして深甚なる感謝のこころをあらわしたくぞんじます。 * 『文字百景』はB6判の中綴じで、1号あたり4-36ページ、平均28ページ、都合2800ページ ほどになりました。一応の終刊をむかえて積み重ねますと、16センチメートルほどの高さになります。国会図書館などへの納本用に合本を考えたら5分冊になるそうです。4年半、足掛け5年の蓄積としてはこんなところで十分かもしれません。 ここからはすでに『イラストレーションの展開とタイポグラフィの領域』『活字に憑かれた男たち』『ふたりのチヒョルト』などの市販用の書物が巣立ちました。ほかにもさらに熟成と研究がふかめられて、何冊かの書物が『文字百景』を母胎として誕生するかもしれません。 偶然とはいえ『文字百景』は20世紀とともに終わりました。おりしもあたらしい世紀を迎えようとしています。困ったことにどういうわけか執筆陣はまだなんとなく終結感がないままにいます。 『活字と書物の細道』『文字活字八八ヶ所巡り』『活字と書物の五三次』などがかまびすしくつぎの叢書名の候補にあがっているようです。編集担当兼肝煎りとしては、数字が叢書のタイトルに入っているものは、もはや自己撞着や強迫観念に駆られそうです。細い道でもいいからもっとのんびりやりたいのが本音といったところです。 |
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