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MICROの領域-12 pt. 極小文字彫刻活字を顕微鏡写真でみる-協力:日本ダイカスト協会

 

活字1uuもうかれこれ30年ほどまえのことである。
1980年代のはじめだったとおもう。 当時はしばしば欧州にでかけていた。
以来長らく小社の < モンドリアン ・ ケース > の一隅で眠っていた活字資料があった。
ときどき取りだしては、拡大鏡でながめたり、スタンプ式に押印したりしてみたが、ほとんど文字らしきものは読み取れなかった。
ひとつはスイス、バーゼルにあった HAAS 社を訪問したとき、活字母型彫刻室でいただいたもの。 もうひとつは、ドイツ、マインツ市の グーテンベルク博物館 で購入したものだった。

この資料をご覧になった、日本ダイカスト協会技術部の 西  直美氏が関心をもたれて、早速、顕微鏡写真を撮影され、画像データをご提供いただいた。
これでようやく、活字最盛期の、高度な 「 活字母型彫刻術と、活字鋳造術 」 の技倆を垣間見ることができることになった。

活字uu 活字0uu 活字1uu 活字2uu 活字拡大1uu活字拡大2uu活字は、もっとも基本サイズの pica パイカ,  12pt. ( アメリカン ・ ポイントサイズ、1pt. = 0.351mm,  12pt .× 0.351mm = 4.212mm )で、4.212mm 角のおおきさの活字であった。
活字は字面の保護と、紛失防止のために、蓋付きの黒い樹脂製ケースにはいっていた。 最上部の写真はその蓋の上に一円玉を置いて、大きさを実感していただけるようにしてある。

スイスの HAAS 社は1580年設立というふるい歴史を有し、Neue HAAS Grotesk ( ハース社の あたらしい グロテスク体 → ドイツ ステンペル社の傘下にはいってからは Helvetica ≒ ヘルベチカはスイスの古称 ・ 雅称でもある ) の開発で成功をおさめ、またパリの Deberny & Peigno 活字鋳造所が1972年に閉鎖されたために、その活字母型による 製造 ・ 販売にもあたっており、盛況をきわめていた。

HAAS 社の 「 機械式活字母型彫刻機 」 は、わが国の標準型であった、いわゆる 「 ベントン彫刻機 」 と異なり、より大型で、活字パターンもわが国標準の 2 inch よりおおきなサイズを使用していたと記憶している。
だいぶ自慢ばなしをきかされてから、このデモンストレーション活字をいただいたが、たいていの事柄は失念したし、資料も残っていない。
幸い、
筆者より数年のちに HAAS 社を訪問された、ユービックス : 宮崎 徹氏が記録をのこされているので、そちらを参照いただきたい。
【 参考資料 : タイポグラフィ あのねのね*014 アルダス工房、ドベルニ&ペイニョ、アーツ&クラフト運動
【 参考資料 : ユービックス 近代印刷 書体の世界 】
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紹介した画像の活字は、グーテンベルク博物館で入手したものである。 現在もおみやげのひとつとして販売していると仄聞している。
仕様はほとんど HAAS 社のものとおなじで、pica, 12pt. サイズの活字である。
また、ふつう活字は裏文字(鏡文字)であるが、ここでは一種のデモンストレーションであり、サンプルのためか、正向きの文字として鋳造されている。

ともかく 4.212 mm 角というちさな活字枠であるが、ここに聖書の一節が鋳造されている。
文頭はイニシャルとしておおきなサイズで飾られ、文末にAMEN アーメン とある。 最下部に製造者として MONOTYPE CORPORATION  の名前がみられる。
すなわち 1mm の幅に 7-10 キャラクターが彫刻されて活字母型となり、そこに活字地金を圧入して、鋳造された「活字」である。 同社の技術がそうとう高度なレベルにあったことをうかがわせるのには十分な資料である。

久しぶりに手許の25倍ルーペでのぞき、スタンプ式に押印してみたが、やはり顕微鏡写真のほうが迫真力があった。 気になったのは、触覚でも 顕微鏡写真でも、母型深度があさすぎはしないかという疑問であった。 これでは印刷時にすぐにインキの目詰まりをおこすことになりそうだった。
これは活版印刷機にかければ ― 裏文字(鏡文字)になるが ― インキ詰まりの程度をみるなどして一目瞭然の事柄である。 また、所詮デモンストレーション用の活字ではないかというおもいもあるが、それをなす勇気は、いまは無い。

20141023132138964_0001Linn Boyd Benton  1844-1932

この 「 機械式活字母型彫刻機 」による活字母型製作の技術は、筆者の知るかぎり、わが国では三年ほどまえに失われた。
アメリカでも専従者はひとりだけで、気息奄奄の状態にあると仄聞している。

実践活字母型彫刻:朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 特別企画/感動創造の旅 協力:真映社・安形製作所・築地活字
実践活字母型彫刻(イメージ写真)

    
    
アダナ ・ プレス倶楽部 「 実践活字母型彫刻の旅 」 於 : 旧安形製作所

リン ・ ボイド ・ ベントン (Benton, Linn Boyd  1844-1932)によって、1884年に活字父型彫刻機(Punch Cutting Machine)として実用化された「機械式活字父型 ・ 母型彫刻機、俗称ベントン彫刻機 」 による活字父型 ・ 母型製造法は、その実用化から40年後ほどでわが国の印刷局 ・ 東京築地活版製造所 ・ 三省堂にもたらされた。 そして1950年頃に国産化された。
しかしながら、アメリカでの実用化から128年、わが国での国産化から62年の歴史をもって、事実上幕をおろすこととなった。

いっぽう台湾では、CAD のシステムをもちいて、すでに相当のレベルでの活字母型製造がなされるようになった。
わが国も、身体性のともなった造形活動基盤の維持のために、あたらしい 「 活字母型製造法 」 への対応を急がなければならない時期となっている。

【 参考資料 : 花筏 タイポグラファ群像 * 004  安形文夫 ベントン活字母型彫刻士
【 参考資料 : アダナ ・ プレス倶楽部 台湾でつくったCAD方式による活字母型 と 初号活字

【会員からの情報】 BBC NEWS Entertainment & Art - シェイクスピア フォリオ初版本を発見の報道。

_79274396_13cd0182-d414-4e51-b9a6-cd7341617320[1] _79274327_79274326[1]BBC NEWS Entertainment & Art が、シェイクスピア ( W. Shakespeare 1564-1616 ) のフォリオ初版本が、ちいさなフランスの町の図書館で発見されたと報告しました (2014年11月26日 10 : 15)。
その情報を会員の I 氏からご提供いただきましたので紹介いたします。
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イギリス文学でもっとも希少本と見なされている、シェイクスピアのフォリオ(全紙を二つ折りにして、表裏04ページとした印刷物 ・ 図書)初版本が、ちいさなフランスの町で発見されたと報告した。
その本は200年間、北フランス、カレーの近く、サント=メール(Saint-Omer )のライブラリーで平穏な状態にあった。

この発見にいたったのは、この北フランスの領域と、イギリスとの間の歴史的な関係を解きあかす展示会を図書館司書が計画して、その調査結果によって同書が発見された。
「この本は、タイトルページを含んで、数ページを無くしている」
と、司書の レミー ・ コルドニエル (Remy Cordonnier)は記者に述べています。
[ したがって、このページの第一図版、シェイクスピアの肖像画とされる最初の帖は失われており、ここでの画像はイメージ紹介となっている ]。

【 リンク : BBC NEWS Entertainment & Art 】 第一図版は動画でご覧いただけます。
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カバー表1

洋 書 の 話

◯ 著  者 : 髙  野   彰
◯ 発行日 : 2014年11月13日
◯ 発  行 : 朗  文  堂
◯ 定   価 : 本体3,700円+税

         A5判 並製本 ジャケット付 263 ページ
         ISBN978-4-947613-91-2

< 主な内容 > 目次より
1 章 4°:A‒P4 とは何か  [以下略]

洋書の話01 洋書の話02 洋書の話03 洋書の話04 洋書の話05まことに偶然のことながら、朗文堂11月の新刊 『 洋 書 の 話 』 ( 髙 野  彰、2014年11月13日、朗文堂 ) の第 1 章(ページナンバー 1 )は、< 4°:A‒P4 とは何か >、すなわち 俗にいう シェイクスピアの「 第 1 二折本 」 ( The First Folio ) からはじまり、第一図版は同書の「 THE TEMPEST 」 [ 大あらし、暴風雨 ] からはじまっています。
『 洋 書 の 話 』 は、きわめて順調な出荷がつづいています。
したがって、この発見の重要性をご理解いただくために、いくぶん宣伝めいて恐縮ながら、同書巻頭部分をご紹介いたします。

[前略] 洋書のなかでも、特に、18世紀以前の本は手引き印刷機で印刷されてきた。 おかげで現代の本とは異なった特徴を備えている。 これらの本が次のような形で説明されていることがある。
    4°:A‒P4 とは何か
これは本についてどんなことを言っているのであろうか。

折 記 号
英国の有名な劇作家 シェイクスピア ( W. Shakespeare ) の著作である  Mr. William Shakespeares Comedies, histories, & tragedies  が出版されたのは1623年のことである。  俗に言う 「 第 1 二折本 」 ( The First Folio ) である。 [後略]
p62アルビオン
【 詳細資料 : 朗文堂ブックコスミイク 『 洋書の話 』

【朗文堂ブックコスミイク 新刊紹介】 洋 書 の 話  髙 野 彰 著

カバー表1

洋 書 の 話

◯ 著  者 : 髙  野   彰
◯ 発行日 : 2014年11月13日
◯ 発  行 : 朗  文  堂

◯ 定   価 : 本体3,700円+税

         A5判 並製本 ジャケット付 263 ページ
         ISBN978-4-947613-91-2
 22-23 112-113 120-121上掲画像はクリックすると拡大画像でご覧いただけます。
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< 著者あとがきより >
バウアーズが Principles of bibliographical description を出したのは1949年のことである。年代的には古いが、記述書誌学を扱った著作で、バウアーズを越える著作は現在も出ていない。 この著作は現在も記述書誌学の重要な基本書であることにかわりはない。

その後、1969年にはパドウィック(E. W. Padwick)が Bibliographical method を出した。1970年にはピアス(M. J. Pearce)が A workbook of ana-lytical & descriptive bibliography を出している。

そしてギャスケルは1972年に A new introduction to bibliography を出した。
しかしいずれもバウアーズの解説書に近い。 ピアスなどはバウアーズ本を章ごとに取り上げて解説しているほどである。 バウアーズ本が難解なため、解説書や入門書が必要なのである。

『 洋書の話 』 の初版が出たのは1991年のことである。 1995年には増補版を出したが、その後、絶版となってしまった。 そしてこの度、第2版を出す機会を得た。 初版そして増補版で扱っている時代は16–18世紀が中心であったが、今回もその範囲を越えていない。

『 洋書の話 』 も記述書誌学の概説書であるが、洋書がどんな姿をしているか、その姿はどのようにして作られたのかを示そうとしている。 その意味では、本書は、書名に示したように、洋書に関する本と見ていただいても良い。

そのためにも、これまで以上に図を多く取り入れ、目で見てわかるようにつとめた。 これまで何気なく見てきたことにも意味があることを知り、それらがどんな目的で用いられ、どんな姿で本に現れているかを理解できるはずである。

記述書誌学は完成した学問ではない。 現在も模索し、発展を続けている学問である。 未解決の問題も多い。 しかしこの知識を通して得られる情報は計り知れない。 記述書誌学を目指す人や洋書に興味を抱いている人にとってお役に立てば幸いである。
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< 主な内容 > 目次より
1 章 4°:A‒P4 とは何か
2 章 本の隠れた特徴
3 章 折丁式の作り方
     3‒1 折記号を使った折丁式
     3‒2 紙葉の挿入と削除
     3‒3 参照表示
4 章 扉の転写
     4‒1 転写とは
     4‒2 扉の囲み飾り
     4‒3 扉の文字の転写
     4‒4 扉の記号類の転写
5  章 扉以外の部分の転写
6  章 記述の単位
     6‒1 版と刷
     6‒2 異刷
     6‒3 発行と再発行
     6‒4 別発行
     6‒5 理想本
7 章 記述書誌学とは
8 章 記述書誌と目録の違い
9 章 準ファクシミリ転写法小史
参考図書
用語集
あとがき
索  引
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< 著者紹介 >
髙 野  彰 (たかの あきら)
1941年 生まれ
1964年 東京大学総合図書館 勤務
2001年 跡見学園女子大学文学部教授
2012年 跡見学園女子大学文学部特任教授
2013年 退官
博 士(日本文化)
◯ 主要著書
『 洋書の話 』 増補版(丸善、1995年)
『 帝国大学図書館成立の研究 』(ゆまに書房、2004年)
『 英語本の扉 』 (朗文堂、2012年)
──────────
株式会社  朗  文  堂
160-0022 新宿区新宿2-4-9
telephone :03-3352-5070
facsimile :03-3352-5160
http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/

新宿中村屋サロン美術館開館と、相馬黒光、荻原碌山のこと。

 

20141125183918511_0001 20141125183918511_0002 上掲フライヤー PDF  中村屋サロン美術館 URL

ロダンの弟子  荻原守衛 碌山 ロクザン
洋画の鬼才  中村  彝 ツネ
彫刻家  高村光太郎
書家 ・ 美術史家  會津八一 ・・・・・・

明治末期から昭和初期にかけて
新宿中村屋を舞台に すぐれた作品を
うみだした芸術家たち。
そしていま、文化と芸術をはぐくんだ新宿の地に
あらたな美術館が誕生します。

中村屋サロン美術館 開館記念特別展
中村屋サロン
―― ここで生まれた、ここから生まれた ――

中村屋サロン美術館の記念すべき第 1 回展覧会は
「中村屋サロン ―― ここで生まれた、ここから生まれた ―― 」 です。
明治末期から、大正、昭和初期にかけて、中村屋には多くの芸術家 ・ 文化人たちが集い、のちに 「 中村屋サロン 」 と呼ばれるようになりました。
本展では 「 中村屋サロン 」 が生まれたまさにこの場所に、そこに集った芸術家たちの作品が集結します。

◯ 会   期
2014年10月29日[水]-2015年02月15日[日]
※  展示替えがあります。 下掲の詳細を参照してください。
◯ 開館時間
10 : 30-19 : 00 (入館は18:40まで)
◯ 休  館 日
毎週火曜日(火曜 が祝祭日の場合は開館、翌日休館)、01月01日
◯ 入 館  料
一般 300円

【 詳細情報 : 中村屋サロン美術館
【 関連情報 : 中村屋の歴史

<中村屋サロンとは――同館フライヤーより>
中村屋の創業者、相馬愛蔵 ・ 相馬 良 リョウ(黒光コッコウ)夫妻は、1901年(明治34)本郷でパン屋 「 中村屋 」 を創業しました。 そして1909年(明治42)には、新宿の現在の地に本店を移転しました。
相馬夫妻は芸術に深い造詣を有していたことから、中村屋には多くの芸術家、文人、演劇人が出入りするようになりました。 それが「中村屋サロン」のはじまりです。

中村屋サロンの中心人物は荻原守衛 (おぎわら-もりえ 以下 碌山 ろくざん 1879-1910 行年30 )でした。
碌山は、相馬愛蔵と同郷の 長野県 南安曇郡 東穂高村 ( 現 : 安曇野市穂高町 ) の出身で、18歳のとき、相馬 良 ( 以下 黒光 コッコウ ) が嫁入りの際に持参した、長尾杢太郎 《亀戸風景》 の油絵ではじめて油絵を知り、画家を志しました。

最初はアメリカに、まもなくフランスで、極貧にあえぎながらの海外研修は07年余におよび、画家志望から彫刻家に転向した荻原碌山が帰国したのは1908年(明治41)のことでした。
帰国後は中村屋のほどちかく、新宿角筈ツノハズにアトリエを設け、中村屋に足しげく通います。
そんな荻原碌山を慕って多くの芸術家が中村屋に出入りするようになり、中村屋は彼らの交流の場になっていきました。 残念なことに、碌山は帰国からわずか02年余ののち、結核のために1910年(明治43)に、30歳の若さで亡くなりました。

その後、中村屋サロンの中心人物となったのが中村 彝(なかむら-つね 1887-1924)でした。
中村 彝はいっとき、中村屋の裏にあったアトリエで生活し、彼のもとにも多くの芸術家が訪れました。 その他、書家 ・ 美術史家の會津八一、女優の松井 須磨子、劇作家の秋田 雨雀、インド独立運動の志士 ラス・ ビハリ ・ ボースなど、多彩な人々が中村屋と関わりを持ちました。

これらの顔ぶれを見ると、明治の終わりから、大正、昭和初期にかけて、中村屋に集った多くの人々が日本の近代芸術 ・ 近代文化に影響を与えたことがわかります。
こんにちになって振り返ると、それは近代日本における大きな芸術の流れのひとつであり、「 中村屋サロン 」  はその舞台となったのです。
img_salon_01[1]

荻原守衛-碌山の三回忌での 相馬一家 と 中村屋サロン の若き芸術家たち。
前列左から、相馬黒光、相馬安雄(長男)、中村 彝、相馬千香(次女)、山本安曇。
後列左から、斎藤与里、戸張孤雁、相馬愛蔵、中原悌二郎、荻原本十(碌山実兄)、柳敬助。
img_salon_02[1]
1909年(明治42)ころの新宿中村屋本店の様子

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荻原碌山が逝去したのち、碌山の作品は相馬黒光らによって、新宿中村屋の店の奥の二階にまとめられ、「 碌山館 」 と名づけて、美術学校の学生など、希望者に見学を許すとともに、厳重に保管されていました。
そののち1916年(大正05)、東京の碌山の兄・本十ホンジュウが、
郷里の生家に作品を送り届け、そこに別棟をつくって 「 碌山館 」 として守られてきました。

南安曇教育会が中心となって、現在の 「 碌山美術館 」 が開館したのは1958年(昭和33)のことでした。
そしてこれからは、北アルプス山麓の 「 碌山美術館 」 と、「 新宿中村屋サロン美術館 」 とが共鳴しながら、碌山を中心とした < 中村屋サロン > の造形家の作品が見られることになりました。
[ 碌山美術館の写真は、2014年11月21日撮影/この項 < 花筏 > にて続く ]

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上掲フライヤー、左) 「 女 」 とだけ題された彫刻作品は、荻原碌山の遺作で、モデルは相馬黒光とされています。
上掲フライヤー、右) 「 少女 」 と題された油彩作品は、中村  彝ツネ の作品で、モデルは相馬家長女 : 俊子とされています。
新宿中村屋につどったこのふたりの造形家は、モデルの裸婦像のスケッチものこしています。

これまで荻原碌山の作品は、郷里、北アルプス山麓の安曇野市穂高町 「 碌山美術館 」 に、中村 彝ツネ の作品は、下落合の 「 新宿区立中村彝アトリエ記念館 」 にひっそりと展示されてきました。
これからは、まさにこれらのひとびとの 愛と美と相剋の地 であった、新宿中村屋の地に、これらの作品が一堂に会することになります。
[ 参考資料 : 『 碌山 愛と美に生きる 』 碌山美術館 平成19年 第三版 ]

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【島根県立 石見イワミ 美術館】 企画展 : 美少女の美術史

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浮世絵、少女雑誌、近代絵画、アニメ、
マンガ、フィギュア、現代アート……. 。
ようこそ、少女の迷宮へ。

「 美少女 」 は、アニメやマンガ、文学、芸能など 私たちが日ごろ親しんでいる様々な文化に登場します。
現代日本のポップカルチャーの特徴のように思われがちですが、果たしてそうでしょうか?
この展覧会では、江戸時代から現代までの様々な造形から 「 少女 」 が いかに表現されてきたかを紹介します。
人々は 「 少女 」 に何を求めてきたのか?  「 美少女 」 とは何か?
その答えを探しに、時代やジャンルの垣根を越えた多彩な作品による 少女の迷宮を巡ってみませんか。

◯ 会   期 : 2014年12月13日[土]―2015年02月16日[月]
◯ 開館時間 : 10 : 00-18 : 30 (展示室への入場は18 : 00まで )
◯ 休  館  日 : 毎週火曜日 (特別休館日は詳細をご覧ください)
◯ 会   場 : 島根県立 石見美術館 展示室 D ・ C

【 詳細 情 報 : 島根県立 石見美術館
【 特設サイト : 企画展 美少女の美術史

【展覧会情報】 ギンザ ・ グラフィック ・ ギャラリー 荒井良二だもん

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ギンザ ・ グラフィック ・ ギャラリー 第340回企画展
荒井良二だもん

ギンザ ・ グラフィック ・ ギャラリー(ggg)の 2014年12月は、絵本を中心に、イラストレーション ・ 小説の装画 ・ 挿絵 ・ 広告 ・ 舞台美術 ・ アニメーションなど、幅広い分野で活躍中の荒井良二さんの登場です。
子どもから大人まで魅了する、力強さと希望や祈りに満ちたことば、豊かな色彩とシンプルで繊細な画風から創出される荒井さんの世界。
荒井さん曰く、「一冊の絵本の結末は何かのはじまり」。
この展覧会が、何かを 「さあはじめよう」 というきっかけになれば幸いです。

◯ 期  間
2014年12月03日[水]-2014年12月25日[木]
◯ 会  場
ギンザ ・ グラフィック ・ ギャラリー(ggg) 入場無料 
〒104-0061 中央区銀座7-7-2 DNP 銀座ビル 
tel. 03.3571.5206
11 : 00 a.m.- 07 :00 p.m. (土曜日は06 : 00 p.m.まで) 日曜 ・ 祝日休館

【ミサワ バウハウスコレクション】 ワシリーチェア からはじめる バウハウス

20141127005937373_0002 20141127005937373_0001上掲フライヤーをたくさんいただいております。 ご希望のかたはご来社を。

< バウハウスとは >
「バウハウス」は、20世紀初頭のドイツに創設され、14年という短い活動期間ながら、モダンデザインの基礎を築き、その後の世界の建築、デザイン、造形教育に多大な影響を与えた造形学校です。
この学校の活動の成果は、現代の私たちの生活の中にも浸透しています。 例えば、日頃使い慣れたスチールパイプの椅子も、1925年、バウハウス出身のマルセル ・ ブロイヤーがデザインした 「 ワシリーチェア 」 からはじまっているのです。

家具だけでなく、照明器具、織物、壁紙、陶器や金属器、本やポスターなどのグラフィックデザイン、舞台芸術、そして、最終目標の建築まで、人間の生活に関わるさまざまな分野において、バウハウスの人びとは、柔軟な感性で、既成概念にとらわれない新しいデザインを開発しました。
装飾でごまかすのではなく、かたちと素材そのものの美しさを追求する姿勢は、新しい世紀を迎えた私たちの時代にも、依然として強い輝きを放っています。

< ミサワ バウハウスコレクションとは ? >
バウハウス創立から70年後の1989年に、ミサワバウハウスコレクションは誕生しました。
ミサワホーム株式会社は、バウハウスの教師や学生たちを中心に、モダンデザインの息吹が感じられる絵画、写真、インテリア、ハウスウエア、グラフィックデザインのほか、学生の授業の習作、図面など、さまざまな分野の作品を幅広く収集し、現在およそ1,500点の作品を保有しています。

1996年04月からギャラリーでの一般公開をスタートし、企画展を開催。
このコレクションは、現代でも通用する息の長いデザインを私たちのものづくりの手本とすると同時に、建築を中心に生活に関わるあらゆるデザイン改良を目指した彼らの志を、私たちがしっかりと受け継ぐ証でもあるのです。

ミサワ バウハウスコレクション
ワシリーチェア からはじめる バウハウス

◯ 期   間 : 2014年11月04日[火]-2015年03月13日[金]
◯ 開館時間 : 10 :00 -12 : 00、13 : 30-17 : 00 ( 金曜日のみ -19 : 00 )

◯ 休  館 日 :  毎週 水 ・ 土 ・ 日 ・ 祝祭日 および 12月27日-01月05日 休館
入場無料
 ミサワ バウハウスコレクションの観覧は予約制です。
休館日と開館時間に注意して、電話で日時を指定してご確認のうえご観覧ください。

電話番号 : 03-3247-5645

【 詳細情報 : ミサワ バウハウスコレクション

【茅ヶ崎市美術館】 井上有一 湘南の墨跡

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藤沢市 ・ 茅ヶ崎市 ・ 寒川町美術展  井上有一 湘南の墨跡

展覧会 「井上有一 湘南の墨跡」 では、国際的に高い評価を受けた前衛書家であり、茅ヶ崎市、寒川町で学校教員として勤務をした井上有一の書画作品や、ゆかりの品など、およそ40点を展示します。
独特な作風で知られる一字書のほか、教員の井上有一と生前関わりを持った人びとが所有する、教え子を描いた似顔絵、同僚教員への感謝状、陶芸作品など、地域にゆかりの作品をこの機会にご観覧ください。

◯ 会 期
2014年12月07日[日]-2015年02月01日[日]
年末年始の休館日もあります。 詳細は下のリンクをご覧ください。
◯ 開館時間
10 : 00-17 : 00 (入館は16 : 30まで)
◯ 
料 金
無  料
◯ 
会 場
茅ヶ崎市美術館 展示室 1
◯ 
主 催
藤沢市 ・ 茅ヶ崎市 ・ 寒川町美術展 実行委員会
◯ 
協 力
ウナック トウキョウ

関連イベント   ◆ 記念講演会 ◆
日  時 : 2015年01月18日[日]  14 : 00-16 : 00
講  師 : 海上 雅臣ウナガミ-マサオミ氏 (美術評論家 ・ ウナック トウキョウ主宰)
定  員 : 70名/申込制(先着)
料  金 : 無 料
会  場 : 茅ヶ崎市立図書館 2 階 第 1 会議室
申  込 : 12月07日[日] 10 : 00より 電話または美術館受付にてお申し込みください。

【 詳細紹介 : 茅ヶ崎市美術館 井上有一 湘南の墨跡
【 関連情報 : ウナック トウキョウ

台湾活版印刷文化保存協会 柯 志杰(カ-シケツ)さん 新刊 『 字型散歩 』 を上梓。

20141120132255399_0002 20141120132255399_0001
台湾の友人にしてタイポグラファ、柯 志杰(
カ-シケツ)さんが、蘇 煒翔(ソ-イショウ)さんとの共著で、新刊 『 字型散歩 』 (臉符ケンプ出版  ISBN978-986-235-401-8 ) を刊行されました。

<字> を形象の変化(字形)としてとらえがちな昨今のわが国ですが、同書では <字型> として、活字である以上当然とはいえ、明瞭な <型> のさだまった字画から <字> を紹介しています。
同書 p.120 – 121 では<正調明朝体 金陵>を、「今田欣一的投下的震撼弾」としてとりあげ、<正調明朝体 金陵>は、刻本からまなび、それを現代に再生したという意味で、書体開発に新領域を拓いたものとして好意的にご紹介いただきました。

《 活版凸凹フェスタ 2012 》 会場にて ── 2012年05月05日
左) 台湾の活字製造所/日星鋳字行  張 介冠(チョウ-カイカン)代表
右) 台湾活版印刷文化保存協会  柯 志杰(カ-シケツ)さん

【 関連情報 : 活版カレッジ有志、台湾で活字彫刻・活字鋳造体験会 2012. 10. 19 】
【 関連情報 : 台湾でつくったCAD方式活字母型と初号活字 2012. 11.03 】

【書体使用例紹介】 <正調明朝体 金陵> 鹿児島市立美術館 海老原喜之助展

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《 紙メディアが元気なまちでした ―― 鹿児島市の公共施設のフライヤー、ポスター 》

活版礼讃-<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> のために鹿児島にでかけました。県都 : 鹿児島市は人口60余万のまちです。
イベントの前後に このまちに五日ほど滞在しましたが、おどろいたことに、このまちではまだまだ、フライヤー、チラシ、ポスターなどの紙メディアが有効なことでした。

おもへらく、東京、大阪などの巨大都市はもとより、人口100万人見当の政令指定都市にあっては、良かれ悪しかれ、あまりに情報が錯綜し、情報過多になっている現状があります。
かててくわえて、あたらしいデジタルメディアの氾濫によって、印刷 ・ 紙メディアのフライヤーなどをせっかく製作しても、たれも持ち帰らないし、がんばってポスターを製作しても、掲示する場所が無いといった惨状がみられます。

もちろん鹿児島でもご多分に漏れず、喫緊の課題として、少子化による人口減少の歯止めが急務とされ、また総体としての印刷業はやはり逆風下にあるということでした。
それでも書店をのぞくと、図書と雑誌の陳列のほかに、郷土誌コーナーとタウン誌コーナーがもうけられ、そこには公共施設のイベント告知を中心に、さまざまな印刷物がところ狭しと置かれていました。
すなわちこのまちの[もちろん一部とはいえ]書店は、「 売らんかな ― いざ」 という、たんなる図書と雑誌の展示販売所に堕すことはなく、いまだに文化と情報の良き発信拠点であることが、嬉しくもあり、おどろきでもありました。
──────────
鹿児島では、ここにご紹介した <鹿児島市立美術館 海老原喜之助展> のポスターが掲出されているのをあちこちでみましたし、フライヤーも、書店だけでなく、カフェやレストランなどにもさりげなく置かれていました。

< 鹿児島市立美術館 海老原喜之助展 > の企画展の平面設計士(グラフィックデザイナー) のお名前は知りませんが、とても丁寧に製作されており、好感をもちました。
またデジタルタイプも、ありきたりな書体ではなく、主要書体として 「 秀英体 」 をもちい、見出し部に 「 正調明朝体 金陵 」 を配していました。
というわけで、ここに鹿児島で偶然であったデジタルタイプの使用例をご紹介しました。

【 関連情報 : 鹿児島市立美術館 企画展

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《 明治維新から150年、鹿児島市の観光施設は記念イベントで賑わっていました 》
鹿児島市の中央部に、歴代の薩摩藩主の居城であった鶴丸城があります。
この鶴丸城の背後には 「 城山 」 と呼ばれる急峻な丘があり、現在は観光地のひとつになっていますが、そこには 砦 程度の施設がつくられただけで、居城は平地にある鶴丸城でした。

むしろ薩摩藩主 : 島津家歴代には <薩摩は人をもって城となす> とする考えがあって、おおきな城郭や天守閣をかまえることは無く、さほど高くない石垣と、わずかな濠にかこまれた平ヒラ城を 「 鶴丸城 」 と呼んで居城としていました。

鶴丸城は、薩英戦争、西南の役、第二次世界大戦の空襲など、多くの戦乱に巻きこまれ、現在はそれらの戦乱の弾痕を留めた、さして高くない石垣がのこるだけになっています。
その鶴丸城の主要部、二の丸の跡地の一画に、「 城山 」方向に向かって左から順に、鹿児島県立博物館、鹿児島市立美術館、鹿児島県立図書館、鹿児島県立歴史資料センター 黎明館 などの大型公共施設があります。

この一画にある、鹿児島市立美術館で <鹿児島市立美術館 海老原喜之助展> が開催されていました。観光業者のはりきりをよそに、これらの公共施設は淡淡と日常業務を展開していました。
できたら参観し、図録があれば購入したかったのですが、イベントのスケジュールに追われてそれは叶いませんでした。

正調明朝体 正調明朝体B 大明南京國史監 南齋書
まだ 四角四面が お好きですか?
robundo type cosmique  正調明朝体 金陵 Combination 3

「 正調明朝体 金陵 」 とはすこしおおげさな名前かもしれません。 このあたらしい書体はべつに古拙感を演出した筆写体でも、奇をてらった装飾体でもありません。
「正調明朝体 金陵 」 は中国 ・ 南京の雅称から名づけられ、その金陵にあった大明南京国子監コクシカン刊行の木版刊本 『 南斉書 』 にみられる端正な明朝体字様を現代に再生したものです。

明王朝(1368-1644)は漢民族の朱元璋 ・ 太祖が、蒙古族の元王朝をたおして南京に建朝しましたが、四代目の皇帝 ・ 成祖のときから都を北京に移しました。
また国子監コクシカンとは、もともとは隋王朝のころに設立された大学ですが、明王朝になってからは中央官僚を養成する大学の機能とともに、国家によるすべての学問を統括する中央官庁となりました。

都が北方の北京に移転してからも、王朝による出版活動は 「 南監本 」 とされて、文化の集積が厚い南京を中心に展開されました。 その明王朝によるもっとも典型的な官刊本、すなわち正調明朝体字様がうかがえる書物のひとつが 『 南斉書 』 といってよいでしょう。

「 現代活字明朝体 」 には、近代化の名のもとに、機械メスや電子メスが自在にはいって、直線化がすすみ、水平線と垂直線ばかりが目立って、すっかり四角四面の、硬直した活字書体になってしまいました。
そんな 「 現代活字明朝体 」 から人間味をとりもどしたいあなたに、あるいは奇形や媚態をみせる一過性のデザイン書体にはすでに飽いたとおっしゃるあなたのために、明朝体の端正にしてもっとも原型にちかい、木版字様を復刻した 「 正調明朝体 金陵 」 をおすすめします。
「 正調明朝体金陵 」 には伝統のたかみにある和字書体(平仮名と片仮名。あおい金陵 きざはし金陵 さおとめ金陵)三書体が標準でセットされており、用途に応じた選択ができます。

[ パッケージ平面設計 : 白井敬尚形成事務所 ]
【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク 正調明朝体 金陵 Combination 3
【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク 正調明朝体 金陵 B Combination 3

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 09 活版礼讃イベントが終了いたしました。

adana トップページ

 【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・ 祝] 3 日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1

【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

たくさんのご来場者をお迎えして
Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO は
終了いたしました。
ご来場、ご協力ありがとうございました。
ご報告はおもに<活版 à la carte>にていたします。

<主会場 重要文化財 尚古集成館> 左方は「重要文化財 木村嘉平活字資料」が11月いっぱい特別展示されている別館。
DSCN1269 DSCN1286【 お 知 ら せ 】
◆ 尚古集成館 館長 : 田村 省三氏による
特別講演 と ギャラリー ・ トークの 開催が開催されました。
<尚古集成館所蔵/重要文化財 『木村嘉平活字』 と 薩摩藩集成事業について>

◯ 『木村嘉平活字』 研究の第一人者 : 田村省三館長に、講演とギャラリー ・ トークを担当いただきます。
◯ 11月02日[日] 14:00-17:00 仙巌園会議室
◯ またとない機会ですが、会場の都合で受講者 限定20名様 となります。
◯ お申し込みが定員に達しました。 ありがとうございました。
◯ 満席のお客さまを迎えて、意義深いご講演でした。

<特別展示 重要文化財 「木村嘉平活字資料」>
20140924141936266_0004 20140924141936266_0002 20140924141936266_0003 三代木村嘉平肖像
<鹿児島県立図書館所蔵 いわゆる「薩摩辞書」> タイポグラフィの見地からの研究に着手しています。DSCN1464 DSCN1504 DSCN1531 DSCN7654 DSCN7653 DSCN1413uu DSCN1411uu DSCN7662 DSCN7672 DSCN7671 DSCN7679

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<活版おじさん 以下、作品 ・ 備品が段ボールで20数個出荷されました>

10月10-16日にかけて、出展者の皆さまが次次と出展作品をご持参になりました。いずれも、ほんとうに力作揃いでした。
造形者としてやりとげた達成感と、遠い鹿児島での開催にわずかによぎる不安。
それでもアダナ ・ プレス倶楽部の会員同士、おおいに会話がはずみ、開催地 : 鹿児島に向けて意気軒昂、盛りあがっていきました。

鹿児島のアダナ ・ プレス倶楽部会員に頑張っていただき、<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> 開催の話題は、まず南九州から火がつき、次第に九州一円にひろがっていきました。
またここまでの予習で、鹿児島における初期活版印刷術の開拓が、ひとり木村嘉平の起用にとどまらず、まったく予想以上の規模で展開され、それが五代友厚らによる献策を容れた、島津斉彬公主導の 「集成事業」 として、長崎と呼応していたことがあきらかになりました。

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部は、小なりとはいえ全国組織です。 文字通り全国から、多くの会員が鹿児島入りされ、地元の皆さんとの交流もさまざまにおこなわれ、おおきな成果をみました。
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天文館「ママ」のしろくまくん
「むじゃき」2
平野富二uu平野富二賞モトヤ平野富二賞 モトヤuタイポグラフィ学会 平野富二賞  賞状 ならびに 記念品
Salama 4cWebSalama-21A全体Salama-21Aチラシ表

web salama_4-2活版おじさんサイン会員の皆さまの作品は、これから随時ご報告いたします。
活版礼讃。 <ゆくさ おじゃんたもんせ Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>

なにかがはじまる、そんな予感-2014 日本ダイカスト会議・展示会

20141010221615805_0001ブルース型活字鋳造機 ブルース活字鋳造機の心臓部 鋳型<2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会 会議>
◯ 日 時 : 2014年11月13日[木]-15日[土]
◯ 場 所 : パシフィコ横浜
◯ 会 場 : 展示会場 パシフィコ横浜  展示会場Dホール(自由観覧 ・ 無料)
         会議会場 パシフィコ横浜  アネックスホール F201-206(要 登録)
◯ 主催 : 一般財団法人 日本ダイカスト協会

【 詳細 : 日本ダイカスト協会 2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会

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隔年で開催される <2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会 会議> の開催されました。
ところでわたしたちにとって、ダイカスト(ダイキャスト)は耳なれないことばかも知れません。
ダイカストは自動車のエンジン、ボディ、携帯電話のフレームをはじめ、わが国の高精度な工業製品には盛んにもちいられている技術です。

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部の小型活版印刷機 Adana-21J , Salama-21A の設計 ・ 製造に際しても、多くの鋳型がつくられ、そこにアルミ合金などを<圧力を加えて金属を注入する鋳造法>ダイカスト製品がたくさんもちいられています。

意外なことに、そのダイカストのはじまりは、産業革命をへて、アメリカのブルース活字鋳造機 Bruce Casting Machine (アメリカ特許 No.3324,1843年)が、ダイカストの製品化 ・ 実用化のはじめとされています。
タイポグラフィとは切っても切れない技術がダイカストです。

ブルース活字鋳造機のわが国への導入はふるく、アメリカでの実用化から30年ほどのち、1876年(明治09)に、東京銀座(東京市京橋区南鍋町貳丁目壹番地)の活字商/弘道軒、 活版製造所弘道軒に導入されていました。

そんなダイカストの歴史 ・ 技術 ・ 可能性 ・ 魅力を知ることができる展示会が開催されました。 [この項 花筏 にてつづく]
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【書体使用例紹介】 伊藤形成事務所,近作の ほんの一部をご紹介。

犬山焼フライヤー三折り
伊藤嘉津郎カヅオさん、伊藤 恵メグミさんによるデザイン事務所 : 伊藤形成事務所のおふたりとは、ながいおつきあいになります。
もともとおふたりとも、いっときは新宿周辺を職場とされていました。ですからご主人の郷里にもどられ、名古屋に事務所を開設してからも、ときおり新作を送っていただいています。
2013年08月05日には、本欄において <【書体使用例紹介】 伊藤形成事務所  和字:いけはら、総合書体:正調明朝体の使用例をご紹介> として、そのお仕事ぶりの一端をご紹介いたしました。

伊藤形成事務所
460-0008 名古屋市中区栄2-3-16 伏見コンビル307号
Telephone : 052-202-7412  E – mail : ito-keisei@air.ocn.ne.jp

お仕事は、堅実でケレンの無い作風が顧客の信頼を呼び、美術館や博物館の図録、図書製作などが多いようです。
今回もすこし勝手をいって、小社販売書体を使用した製作物を中心にご紹介いたします。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA今井焼フライヤー上) 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ―
   図録 4c, 1c,  A4判 あじろ綴じ ・ 44ページ
下) 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ―
   フライヤー  A4判 4c  / 0c

岩田洗心館 : 特別展/今 井 焼 ― 埋もれた創業の記憶 ― の図録製作、フライヤー製作にあたって、表題部分の主要書体として、漢 字 : タイプバンク 花胡蝶、和 字 : 朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <いけはら> をご使用いただきました。
【 関連URL : 岩田洗心館 URL
 和字Ambition9和字書体のパッケージ 「アンビション Ambition 9 」は、さよひめ、もとい、いけはら、まなぶ、くらもち、ひさなが、ゆかわ、みなみ、たいらの 09 種類の伝統のたかみにある和字を複刻 ・ 再生したもので、「 Ambition  大志」 という意味を込めて命名しました。

わが国の活字書体の開拓にあたって、版下を描いた書家である、池原香穉、久永其頴、湯川梧窓をはじめ、研究者 ・ 企業家として大きな貢献をした、本居宣長、本木昌造、平野富二、吉川半七、江川次之進、青山安吉、津田伊三郎、寿岳文章らの「大志」をたたえて、「欣喜堂和字シリーズ」第 4 弾の名称に「和字 Ambition 9 」を採用しました。

[パッケージ平面設計 : 白井敬尚形成事務所]
【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク 和字 Ambition 9

上野雄次展DOC花道家 上野雄次の 花いけ ライブ ・ パフォーマンス
フライヤー  A4判 4c  / 1c

岩田洗心館 : 花道家 上野雄次の 花いけ ライブ ・ パフォーマンスのフライヤー製作にあたって、表題部分の主要書体として、漢 字 : モリサワ 光朝、和 字 : [花]いけ ライブ ・ パフォーマンスに、朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <ゆかわ> に「太らせ加工」を加えてご使用いただきました

犬山焼フライヤー三折り 犬山焼見開き01犬山本窯 尾関作十郎陶房 犬 山 焼
フライヤー  A4判 変形三つ折り 4c  / 4c

犬山本窯 尾関作十郎陶房 犬 山 焼のパンフレット製作にあたって、主要書体として、漢 字 : タイプバンク 花胡蝶、和 字 : 朗文堂 ・ 欣喜堂 Ambition 9 所収 <もとい> をご使用いただきました。
【 関連URL : 犬山焼本窯元尾関作十郎陶房

ヘルムート・シュミットさん 『japan japanese』、 2014年版 ISTD 国際タイポグラフィック賞 premier award を受賞。

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ISTD賞2014年版 ISTD 国際タイポグラフィック賞
130 x 185 cm, 174ページ

< 2014年 ISTD賞について >
3 年毎に開催される、ISTD の国際タイポグラフィック賞
( International Typographic Awards )は

タイポグラフィの優秀な作品を評価し、表彰するものである。

応募作品は、25ヵ国から、グラフィックデザインの
幅広い分野にわたって、

印刷、映像作品として寄せられ、入賞作品は
実に国際的である。

この組織は、1928年にヴィンセント ・ ステア ( Vincent Steer) と
賛同者6人により、
BTG (British Typographers Guild)として創設された。
1950年代初期に、STD (Society of Typographic Designers )と改名され
1990年代後期に、ISTD(International Society of Typographic Designers)と
再度改名された。

────────────
2014年に 『 japan japanese 』 が premier award を受賞し、
1998年に 『 the road to Basel 』 が premier award を受賞した。
上記の書籍 2 点は、朗文堂より出版された。
___________________________________________________
また、2004年に『 佐比売野 田中礼子歌集 』 (デザイン : ニコール シュミット)が
certificate of excellence を受賞している。(朗文堂発行)

──────────
 『 japan japanese 』 刊行と、刊行記念講演会+展覧会の記録>

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シュミット家の皆さん。左より スミ夫人 ヘルムートさん ニコールさん。2011年11月


『 japan japanese 』 刊行記念講演会+展覧会の記録-2013年03月20日


ときのたつのは早いものです。
大阪のシュミット家は、すみ夫人を中心とした、こころあたたかいファミリーであり、愛娘ニコールさんがスタッフとして加わってからは、すばらしいデザイン ・ ユニットでもあります。
『 japan japanese 』製作のあいだにニコールさんは結婚され、刊行記念展にはご主人ともども、赤ちゃんを抱いての登場で、会場の人気と話題をおおいにあつめていました。

そして、かりそめのエンペラー : シュミットⅠ世は、その座をはかなくも小皇帝 : 文一クンに奪われ、「ブンちゃん、ブンちゃん」 と、すっかり好好爺となりました。
それでも、創作意欲だけはたれにも負けない旺盛なものを秘めての活動がつづいています。
[ 片塩二朗 wrote ]

【 関連情報 : 朗文堂ブックコスミイク 『 japan japanese 』
以下の情報は『 japan japanese 』に関して2011年12月14日-13年03月21日まで、都合09回にわたって掲載された記事を、降順に並べ替えて掲示した。
【 関連情報 : 『 japan japanese 』 刊行記念 ヘルムート・シュミット氏の講演会+展覧会のお知らせ

【展覧会】 宇都宮美術館-月映 TUKUHAÈ 田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎 1914-15

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『 月映 』 1914-1915
TSUKUHAÈ  1914-1915

◯ 主    催 : 宇都宮美術館

◯ 期    間 : 2014年11月16日[日]-2014年12月28日[日]

命を削りながら作品を創り続けた田中恭吉。
死の淵からの希望を掲げた藤森静雄の版画。
抽象的な表現を開拓していく恩地孝四郎。
二十代の若者による詩と版画の雑誌 『月映 ツクハエ 』は、
近代日本美術史の中で鮮烈な輝きを放っている。
版画を中心に、貴重な油彩画、ペン画などから、
わずかに一年間の活動と、刊行から100年を迎える
『 月映 』 の世界に迫る。

【 詳細情報 : 宇都宮美術館年間スケジュール
【 関連情報 : 朗文堂 ― 好日録006 達磨輪廻転生の世界へ 月映 藤森静雄をみる

【書体使用例紹介】 足立涼子さんのアート・ブック 『 ジャックと豆の木 』 

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ジャックと豆の木/Jack and the beanstalk

2008年/東京/20部限定
サ   イ  ズ : 32 x 32 x 3.5cm/桐箱入り
印     刷 : 2種類の楮紙と三椏紙にインクジェット、 木版印刷、 亜鉛凸版印刷(タイトル)
使用書体 : 四川宋朝体 龍爪、Weiss
製   本 : 30cm × およそ7m の2枚の長紙を交互に折り曲げた構造。1枚にテキストと木版ブロック、もう1枚に豆の蔓のイメージを印刷。
2枚の紙は重なり合いながら一続きの螺旋構造を成し、印刷された面は折る毎に異なった方向に向けられる。三椏紙による英訳冊子は16ページ中綴じ 。
内   容 : イギリス民話「ジャックと豆の木」を下敷きに創作した本。空まで伸びる巨大な豆の木に、世界に広まりつつある遺伝子組み換え作物とその背景を比喩的に重ねて制作。(日本語 : 足立涼子、 英訳 : 佐藤公俊)
──────────
足立涼子さんは東京都に生まれました。多摩美術大学大学院修了。
ブック ・ アーティストとしての積極的な活動がつづいています。
ここでは足立涼子さんの解釈による、イギリスの民話『ジャックと豆の木』を
中心とするアート ・ ブック
『 ジャックと豆の木 』 の製作を紹介しましょう。

足立 涼子
『 ジャックと豆の木 』 

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────────── 足立涼子さんのコメント
荒々しい豆の蔓のイメージに合う、力強い日本語書体はないものかと探していたところ、

折よく朗文堂さんで 『四川宋朝体  龍爪』 をご紹介いただき、「これだ!」 とおもって
『 ジャックと豆の木 』 に選択しました。

印刷は活版で刷ることも模索しましたが、全ページ手漉き和紙を使用し、
さらに制作費が回収できるかどうかもわからぬ私家版刊行のゆえ
印刷費を落としました。

したがってタイトルは亜鉛凸版印刷ですが、中の文章はインクジェット印刷となりました。
活版印刷のように力強く表現したかったので、邪道ですが少し字を太らせて印刷しました。
英字にはWeiss-エミル ・ ワイス製作の欧文を合わせました。

『 ジャックと豆の木 』 は、幸いなことにアメリカのアーティストブック普及のNPO団体 “Booklyn” によって紹介される機会を持ち、ボストン図書館( The Boston Athenæum ) などの幾つかのパブリック ・ コレクションに加えて頂きました。
ご高覧いただければ幸いです。
足立涼子
【 関連URL : 『ジャックと 豆の木/Jack and the beanstalk 』 】
四川宋朝体

中国の南西部四川省は、ふるくは蜀とよばれていました。
蜀は唐王朝末期の木版印刷術の発祥地のひとつで、「蜀大字本」と呼ばれ、「字大如銭、墨黒似漆――文字は古銭のように大きく、文字の墨の色は黒漆のように濃い」 とされます。
唐王朝ののち、五代十国の混乱をへて建朝された北宋時代にも、唐王朝官刊本の伝統的な体裁を四川刊本は継承していました。

また女真族金国との争乱に敗れ、都を開封から臨安(現 ・ 杭州)に代えて建朝された南宋での刊刻事業の継続と、覆刻(かぶせぼり)のための原本の供給に、四川刊本は大きな貢献をはたしました。
ところがこうした四川刊本も、相次ぐ戦乱と文書弾圧のなかに没して、『新刊唐昌黎先生論語筆十巻』 『蘇文忠公奏議』 『周礼 しゅらい』 など、きわめて少数の書物しかのこっていません。その代表作がわが国に現存する 『周礼』(静嘉堂文庫所蔵)です。

『周礼』 の力強い字様には、横画の収筆や曲折に 「龍爪 りゅうそう」 とされる、鋭角な龍の爪にも似た特徴が強調されています。
これは起筆にもあてはまり、またどっしりとした収筆です。
縦画の起筆にみられる蚕頭の筆法は 『周礼』 においてはさらに強靱になり 龍爪 に相対しています。

このような顔真卿の書風が四川刊本字様となり、力強く独自性のある刊本字様へと変化したといえます。これは工芸の文字として整理がすすんだことをあらわしますが、唐代中期の顔真卿の筆法の特徴を十二分に引き継いでいるともいえます。
「四川宋朝体  龍爪」 は、このような顔真卿書風と、四川刊本字様を継承した、あたらしいデジタル ・ タイプとして誕生しました。

[パッケージ平面設計 : 白井敬尚形成事務所]
【 詳細情報 : 朗文堂タイプコスミイク 四川宋朝体 龍爪 】

【展覧会】 世田谷美術館企画展 ユートピアを求めて 講演記録 ―― 木村雅彦氏

20141013132521443_0001 20141013132521443_0002 松本瑠樹コレクション ―― ポスターに見るロシア ・ アヴァンギャルドとソヴィエト ・ モダニズム

ユートピアを求めて

DCブランド「BA-TSU」の創業者であり、デザイナーの故 松本瑠樹ルキ氏 (1946-2012) のコレクションには、ロシア革命期のポスターが多数含まれています。この世界的に著名なポスター ・ コレクションから、未公開作品も多数公開されます。
本展ではこのコレクションより、カンディンスキーやマレーヴィチといった著名な画家や、ステンベルク兄弟、ロトチェンコなど、ロシア ・ アヴァンギャルドのデザイナーたちが手掛けたものなどおよそ180点を紹介し、社会の変革期に花開いたポスター芸術の多様性を概観します。
──────────
◯ 会   期
2014年09月30日[火]-11月24日[月 ・ 休]
◯ 
開館時間
10  :00 - 18 : 00 ( 最終入場は 17 : 30 )
◯ 
休  館 日
毎週月曜日
*ただし10月13日[月 ・ 祝]、11月03日[月 ・ 祝]、11月24日[月 ・ 休]は開館、 10月14日[火]、11月4日[火]は休館
◯ 会  場
世田谷美術館 1 階展示室
◯ 
観 覧 料
一般1000円、大高生800円
◯ 主  催
世田谷美術館 (公益財団法人せたがや文化財団)、東京新聞

【 詳細 : 世田谷美術館 企画展
──────────
【 講演記録 ――情報提供/木村雅彦氏 】
<ポスターに見るロシア ・ アヴァンギャルドと ソヴィエ ト・ モダニズム-
ユートピアを求めて
関連企画 : 特設 世田谷デザイン学校
第02講 「ロシア ・ アヴァンギャルドのタイポグラフィ」
講   師 : 木村雅彦(GKグラフィックス取締役、タイポグラフィ学会副会長)
日   時 : 2014年10月19日[日] 午後04時-05時

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薩摩辞書 ―― あまりにも多くの未解明の謎にせまる第一歩

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《 薩摩辞書をうんだまち : 鹿児島市と 幕末-明治維新の混乱 》
鹿児島市の中央部に、歴代の薩摩藩主の居城であった鶴丸城があります。
この鶴丸城の背後には「城山」と呼ばれる急峻な丘があり、現在は観光地のひとつになっていますが、そこには 砦 程度の施設がつくられただけで、居城は平地にある鶴丸城でした。

むしろ薩摩藩主 : 島津家には <薩摩は人をもって城となす> とする考えがあって、おおきな城郭や天守閣をかまえることは無く、さほど高くない石垣と、わずかな濠にかこまれた平ヒラ城を「鶴丸城」と呼んで居城としていました。

鶴丸城は、薩英戦争、西南の役、第二次世界大戦の空襲など、多くの戦乱に巻きこまれ、現在はそれらの戦乱の弾痕を留めた石垣がのこるだけになっています。 その鶴丸城の跡地の一画に鹿児島県立図書館があります。

その正面入り口に 《薩摩辞書之碑》 があり、「AN ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY 薩摩辞書之碑 American Presbyterian Mission Press 1869」 と刻まれています。
「薩摩辞書」とは俗称であり、『和譯英辭書』 の名が、初版(1869年/明治02年)における正式名称です。

この英和辞書は、幕末の大混乱のさなかに密かに上海で刊行作業が進行し、維新ののちに完成をみた大冊の英和辞書です。
したがっていかに衰微していたとはいえ、幕府の正式な許可を得ないまま、薩摩藩庁から資金提供をうけて刊行に着手した薩摩藩の若き俊才たちは、正式な刊記(刊行記録、現代の奥付にあたる)をのこすことなく、わずかな記録として、日本語序文に <日本 薩摩学生> と、若き製作者の氏名だけが記録されています。

すなわち薩摩とはしるしても、薩摩藩とはしるさず、万一追求をうけても、
「当藩としてはまったく関わりがない。日本国のわが薩摩の若い学生が(勝手に)なしたこと」
として、釈明の余地をのこしていたとおもわれます。
当然これだけの大冊の辞書を、資金面からも、鎖国下にあって海外渡航が困難だった状況からも、上海の印刷所で <日本 薩摩学生> が刊行できたとはおもえず、薩摩藩の藩命による、物心ともの援助によるものとおもえます。

通称「薩摩辞書」は、アメリカの語学者/ウェブスター(Noah Webster, 1758-1843)による英語辞書 『 ウェブスター大辞典 』 を典拠としており、以下の三版が知られています。
◯ A 第一版
『 和訳英辞書 』 (明治二歳 己巳 ツチノト ミ  正月 千八百六十九年新鐫)。
鐫センは深く掘る。年月は旧暦/1869年-明治02年)。印刷所 : American Presbyterian Mission Press 上海 美華書館。和文序に 「 改訂増補和訳英辞書 」、英文扉に 「 THIRD EDITION 」 とある。
◯ B 第二版
『 大正増補 和訳英辞林 官許 』 (明治四歳辛未 カノトヒツシ ゙ 十月)。
年月は旧暦/1871年-印刷所 : American Presbyterian Mission Press 上海 美華書館。英文扉に 「 FORTH EDITION REVISED 」 とある。扉ページの 「 大正 」 は、元号を意味するものでは無い。
◯ C 第三版
『 稟准 和譯英辞書 』 (明治六年十二月 紀元二千五百三十三年)。
年月は新暦/1873年-明治06)。印刷所 : 東京新製活版所 天野芳次郎蔵版(一部複写のみ所有。未見)。
DSCN7653 DSCN7654 DSCN7662 DSCN7679 DSCN7671 DSCN7672 DSCN7679つぎに、「薩摩辞書」に関わった人物をあげてみたい。
◯ 堀 達之助
「 薩摩辞書 」の前身、『 英和対訳袖珍辞書 』 (洋書調所、1862年 ・ 文久02)を刊行。 これを初版とみなしたために、『 和訳英辞書 』 の欧文扉ページに 「 THIRD EDITION 」 としるされた。
堀達之助は長崎通詞の名門の出。浦賀にペリー艦隊が来航した折の通訳でもあった。

◯ 堀越 亀之助
「 薩摩辞書 」 の前身、『 改正増補英和対訳袖珍辞書 』 (開成所、1866年・慶応02)を刊行。
これを二版とみなしたために、『 和訳英辞書 』 の欧文扉ページに 「 THIRD EDITION 」 としるされた。
◯  前田 正穀 (日本 薩摩学生)
維新ののち前田正名とする。A 第一版 『 和訳英辞書 』、B 第二版 『 和訳英辞書 』 の日本語序文末尾にその名をみる。
本書刊行後渡仏。帰国後農商務省に勤務し次官まで昇格したが、富国強兵策に異論を唱えて下野。1850-1921。
◯ 高橋 良昭 (日本 薩摩学生)
維新ののち高橋新吉とする。A 第一版 『 和訳英辞書 』、B 第二版 『 和訳英辞書 』 の日本語序文末尾にその名をみる。 本書刊行後、1870年米国留学。帰国後大蔵省勤務。二代目勧業銀行総裁。 1842-1912。
◯ 前田 献吉 (日本 薩摩学生)
前田正名の実兄とされる。詳細不詳。A 第一版 『 和訳英辞書 』 の日本語序文にその名をみる。
◯ 堀 孝之 B (日本 薩摩学生)
第二版 『 和訳英辞書 』 の日本語序文 文中にその名をみる。
堀孝之は長崎通詞の名門の出。五代才助(友厚)が長崎海軍伝習所にまなんだとき、当時10歳ほどの堀孝之の才を見抜いて薩摩藩に推挙した。薩摩藩英国留学生一行の通訳として、五代ら一行19名のひとりとして渡英。
終生五代との親交が篤く、五代が眠る大阪阿倍野墓地の五代の墓のかたわらに、堀の功績を称える 「 堀孝之君之碑 」 が建てられ、ついで堀の顕彰碑の隣に五代本人の顕彰碑が建てられた。?-1911年・明治44 67歳にて卒。
20141024152838867_0001 20141024152838867_000220141024152838867_000320141024152838867_0004薩摩辞書うしろ見返しマーブル紙 上掲写真と、スキャナ画像は、いずれも B 第二版 『 和訳英辞書 』。 朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会員 MH 氏蔵書。

下掲写真は、左) A 第一版 『 和訳英辞書 』 (明治二歳 己巳 ツチノト ミ  正月 千八百六十九年新鐫)。 右) B 第二版 『 大正増補 和訳英辞林 官許 』 (明治四歳辛未 カノトヒツシ ゙ 十月) である。
A 第一版 『 和訳英辞書 』 は、朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会員 SK 氏の蔵書で、巻首04ページを欠き、製本所で補修中のところを無理をお願いして撮影させていただいた。

これらの資料が <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の開催にともなって公開され、また鹿児島に多くの実践派のタイポグラファが現地取材にでかける。
その調査結果が待たれるいまである。
DSCN7691 DSCN7694 近代タイポグラフィの黎明期における五代友厚ら、旧薩摩藩のひとびとの貢献はほとんど看過されてきた。長崎のタイポグラファと親交の篤かった五代友厚に関しては、「木村嘉平関連資料」の項でいくぶん解説した。

また薩摩藩家老として、小松帯刀タテワキ(1835-70)も長崎人脈との交流に熱心だった。小松による積極的な人材登用と財政支援も看過できない。
NHKの大河ドラマ 『 篤 姫 』 では、小松帯刀と篤姫とは、おたがいに密かな恋心を抱いていた人物として描かれていた。

小松帯刀は維新後まもなく明治03年に大阪で病没した。30代の半ばというそのあまりの早世に、薩摩のひとは<幻の宰相>と呼んで遺徳を偲んだとされる。
それだけでなく、これまでほとんど言及されていないが、小松帯刀がわが国の近代化とタイポグラフィ ≒ 近代活版印刷術への貢献は多大なものがあった。
ともあれ薩摩藩家老、千石どりの小松帯刀の屋敷跡は広大なもので、下掲写真がたつ、鹿児島市山下町7、8番、9番の西、10番の南西 2,372 坪が上屋敷跡。同市 原良に下屋敷跡がある。

この小松帯刀像は1867年(慶応03)に、15代将軍徳川慶喜が京都二条城に諸大名を集めて、政治の権力を朝廷に返還(大政奉還)すべきかどうかを問うたときに、他藩にさきがけて、薩摩藩の城代家老であった小松帯刀が 「 大政を奉還すべき 」 として記帳したときの様子をイメージして造られたものとされる。
その視線の先には、島津三公像(島津斉彬、島津久光、島津忠義)の建つ、照国神社がある。[この項は 井後眼科周辺の歴史散歩 を参照した]
DSCN1504 DSCN1508 DSCN1531 DSCN1532鹿児島中央駅前にそびえる『若き薩摩の群像』には、19名の密航者のうち、薩摩藩出身ではないふたりの像がかけている。
そのひとりは前述した長崎人/堀 孝之であり、もうひとりは、土佐勤王党に一員で、土佐藩を脱藩して薩摩藩に逃れた高見弥市である。
またこの「薩摩藩英国留学生」とは、幕府の許可無く渡英したために、全員が仮名をもちいていた。銅像のなかに若い兄弟とされながら、その詳細がほとんどあきらかにされていないふたりがいる。
この兄弟が「薩摩辞書」に関わった可能性も否定できないいまである。
[この項近日中に 花筏 にて詳細掲載の予定]
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