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一枚だけのカレンダー。師走です-お疲れでしょうから、森永アイスクリーム『パルム』は如何ですか

日本人の知らない「文字のはなし」 日本で使われている「文字」というコトバ 中国では「文」と「字」は別のものなのです
中国料理店で寄り道 グルメな書家 蘇軾 美味しい、美味しい、トウロンポウ 書にまつわる美味しいおはなし

平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
【森永乳業 Daily Premium Calender 】

渋いオジサン-寺尾聡というと、わたしの世代では「ルビーの指輪」が印象的です。
その寺尾聡が TV CM に登場して「ワォ~」と叫んでいるのが森永乳業のアイスクリーム「PARM」です。「PARM」は人気商品で、累計10億本を越える販売実績があるそうです。
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森永乳業の巨大な Website のなかに、平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
「 Daily Premium Calender 」があります。 
── タイポグラフィと活版印刷 ──
{文字とは文化と歴史の結晶 それは「知」と「技」と「美」の総合技芸} と題して、11月の毎週月曜日-木曜日[祝日はのぞく]、都合15 回にわたって、片塩と朗文堂 アダナプレス倶楽部:大石の共著のかたちで連続エッセイを担当いたしました。

なにしろコンテンツの豊富なWebsiteですし、トップ画面はすでに12月のカレンダーに切りかわっています。11月だけの連載でしたが、スタートの月曜日が祝日で、11月5日[火]からのスタートで、11月28日[木]が最終回となりました。
Websiteの常で、情報はアーカイブに収納されましたので、そこへのご案内をリンクしました。2013年11月の「 Daily Premium Calender 」をご笑覧たまわりますようお願いいたします。
パルムuu

【 目 次 】
── タイポグラフィと活版印刷 ──
{文字とは文化と歴史の結晶 それは「知」と「技」と「美」の総合技芸} 

  • 11月05日[火] 第01回 スタート 
    新しい活版造形者とともに 『VIVA!! カッパン♥』
      活版ルネサンスと
      身体性をともなった「ものづくり」の歓び 
  • 11月06日[水] 第02回
    活版印刷 水 紀行
      それは河畔の街からはじまった……
      活版印刷術と水にまつわる物語
  • 11月07日[木] 第03回
    こころを豊にする短歌講座
      贅沢短歌  本木昌造(永久 ナガヒサ)、池原 奞(シュン、香穉 カワカ)
  • 11月11日[月] 第04回
    日本近代化のパイオニア 『平野富二伝』
      近代化の影の立役者「活版印刷術」
      平野富二の生涯から明治の男の気骨を知る
  • 11月12日[火] 第05回
    日本人の知らない 「文字のはなし」
      日本で使われている「文字」というコトバ
      中国では「文」と「字」は別のものなのです。
  • 11月13日[水] 第06回
    「豚」+「柿」+「ミカン」=「諸事大吉」
      笑う門には福来たる?
      ユーモアあふれる吉祥文
  •  11月14日[木] 第07回
    ゆっくり急げ!
      イルカと錨。亀と龍。
      相反する事物の意味は?
  • 11月18日[月] 第08回
    彫られた文字  石のエクリチュール
      堅牢な石に彫られた碑文
      その軌跡をたどり、文字の歴史を知る
  • 11月19日[火] 第09回
    グルメな書家 蘇軾ソショク 中国料理店で寄り道
      美味しい、美味しい、トウロンポウ
      書にまつわる美味しいおはなし
  • 11月20日[水] 第10回
      An essay of the typography.
        ところで、タイポグラフィって何でしょう?
  • 11月21日[木] 第11回
    贅沢短歌  心を豊かにする短歌講座
      現代日本人の多くは、残念ながら
      150年以上前の書物をスラスラとは読めません。
  • 11月25日[月] 第12回
    印刷用の書体 明朝体と宋朝体《前編》
      活字書体の「明朝体」って
      中国の文字ではないの?
  • 11月26日[火] 第13回
    印刷用の書体 明朝体と宋朝体《後編》
      活字書体の「明朝体」って
      明の時代の文字ではないの?
  • 11月27日[水] 第14回
    分子生物学からみるメディア論
      DNA と活版印刷術
      実はこのふたつ、とても似ているのです
  • 11月28日[木] 第15回 最終回 
    活字よ 永遠に――――
      ウーパールーパーとサラマンダー
      活版印刷術とのふしぎな関係 

新宿私塾第23期 順調に進行中です。

 

《11月16日[土] 第 9 回 フィールドワーク 公版書籍印刷所  理想社の実際》
新宿私塾開講のときからお世話になっている「理想社」。同社に出向いて公版印刷とはなにか、公版印刷の使命を現場で学びます。
前半の一時間は、同社社長・田中宏明氏による「書籍印刷概論」の講義があります。そこではデザインの現場では知ることができない、印刷工程の構築法と、実践的な管理知識が説かれていきます。
今回はめずらしく、理想社の新入社員のおふたりも、「印刷概論講座」ということで一緒に受講されました。

講義中の田中宏明社長 活版印刷、フィルム整版などの資料もたくさんいただいた。 


工場内部組版室での小林工場長
《理想社を理解するために》
理想社は秀英舎(現大日本印刷)出身の、初代田中末吉によって1921年(大正10)に創業されました。当初は活字組版専業者でしたが、次第に印刷機器を導入し、90年余の伝統を誇る印刷所です。
現在は CTP 室に改造されている現場は、かつては歴史にのこる多くの名著をうんだ「四六全判活版印刷機」がうなりをあげて稼働していました。なお時折お問い合わせがありますが、動画のなかでピンクの紙片を圧胴に貼っているのは「ムラ取り」作業です。
【リンク:タイポグラフィあのねのね*20 創業90周年を迎えた印刷会社
【YouTube:活版印刷 <公版書籍印刷と端物印刷> 公版書籍印刷2  2:51】

こんにちの理想社は、ゆっっくりと業態変更を実施しているようです。CTP, オンデマンド印刷システムといった最新鋭機器もならびますが、同社の組版部は、やはりいまなお版元からの絶対の評価をえているようです。

《北海道美唄出身です。名前は「でんすけ」。ぜひとも仲間にいれてください》
新宿私塾の教場の片隅にひっそりと棲息しています。名前はでんでん虫の「でんすけ」、北海道美唄の出身です。趣味は水浴び、好物は人参とキャベツです。ぜひとも皆さまのお仲間に入れてください。
北海道美唄出身、名前は「でんすけ」です。仲間にいれてください。わたしの出身地は、下記にリンクした アダナプレス倶楽部のコラム欄 か、 動画 YouTube  でご覧いただけます。
アダナプレス倶楽部:コラム
【Viva la 活版 Viva 美唄  YouTube  16:19】

平野富二と造形-活字人にして造船家、やはり造形にはこだわりが強かったようです。

『平野展』ポスターL古谷さん肖像《『平野富二伝』古谷昌二編著、朗文堂刊 発売日が迫りました》
発売日 : 2013年11月22日[金]
書店店頭、オンラインブックショップなどでの販売は、発売開始後すこし遅れます。

《『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会、開催日が迫りました》
明治産業近代化のパイオニア
『平野富二伝』 考察と補遺  古谷昌二編著
刊行記念 展示・講演会
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日 時 : 2013年11月30日[土]-12月01日[日]
      11月30日[土]  展示 観覧  10:00-16:30
                  著者講演会 14:00-16:00
             12月01日[日]  展示 観覧  10:00-15:00
                 掃 苔 会   10:00-12:00
      編著者・古谷昌二氏を囲んでの懇話会、サイン会は、会期中随時開催
会 場 : 日展会館
             東京都台東区上野桜木2-4-1 電話 03-3821-0453
      JR 鶯谷駅より徒歩5分
             東京メトロ千代田線根津駅より徒歩15分
      日展会館案内図
─────────
主 催 : 平 野 家
協 力 : 朗 文 堂
             東京都新宿区新宿2-4-9 電話 03-3352-5070 
後 援 : 理想社/タイポグラフィ学会/アダナ・プレス倶楽部

《新刊発売とイベントがかさなって、いささかバタバタしております》
心地よい緊張というのでしょうか。主催者:平野家のみなさま、ご後援いただいた、理想社、タイポグラフィ学会、アダナプレス倶楽部と、それぞれ役割分担をして、大わらわでの準備作業が展開しています。
編著者の古谷昌二氏は、校正を終えたばかりだというのに、講演会のデータづくりに追われています。

平野富二。体重は100Kgをゆうに超え、人力車はふたりがかりで引いたといわれるほどの、大柄な男であった。
平野富二の写真記録(部分)。推定1885年(明治18)台紙によると印刷局にて撮影。体重は100kgをゆうに超え、ふたり乗りの人力車にひとりで乗っていたと記録されるほどの、大柄な男であった。
明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳(部分)。「MOTOGI & HIRANO」と印刷されている。平野ホール蔵。
明治10年頃の平野富二による活版製造所の活字見本帳『BOOK OF SPECIMENS』(部分)。
「MOTOGI & HIRANO」と印刷され、中央部に「丸もに H」のブラックレターがみられる。平野ホール蔵。

《平野富二-活字人にして造船事業家、造形にはこだわりがあったか》
平野富二(1846-91 弘化3-明治25 行年46)は東京築地活版製造所を創立し、つづいて石川島造船所(現 IHI) を創立した明治の造形家であり、明治産業近代化のパイオニアです。
その業績にちなみ、書籍『平野富二伝』のジャケット、ならびにその関連イベントに使用した装飾罫は、「明治16年5月新製」(築地活版製造所)として、得意先に配布された装飾罫を、デジタル技法によって精緻化し、再現して使用しました。
飾り罫01uu東京築地活版製造所では明治16年5月-20年10月にかけて、これらのフライヤー状の「新製見本」を精力的に配布していました。

平野富二と東京築地活版製造所は、冊子型の活字見本帳として、1876年(明治9)に最初の活字見本帳を製作しています。この見本帳の扉ページには1876年と印刷され、英国セントブライド博物館が所蔵していましたが、現在では所在不明です。またその一部欠損本がわが国の印刷図書館に所蔵されています。

その後、翌1877年(明治10)に『BOOK OF SPESIMENS  MOTOGI & HIRANO』(推定明治10年 活版製造所 平野富二 平野ホール所蔵)を発行しています。本書は知られる限り、平野ホール所蔵書が唯一本です。同書は関東大地震のとき消火の水をかぶったとされ、いくぶん損傷がみられますが、今回の《『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会》でご覧いただけます。

1879年(明治12)には『BOOK OF SPESIMENS  MOTOGI & HIRANO』の改訂版が発行されていて、この改訂版のほうは数冊の所存が確認されています。
その後平野富二が造船業をはじめて多忙をきわめたたこともあり、しばらく冊子型活字見本帳は発行されることが無く、フライヤーのような「新製見本」を発行しつづけたようです。

この「新製見本」は『SPECIMENS OF NEW TYPES  新製見本』(明治21年2月 築地活版製造所)として再刷し、軽装の合本とされて発行されました。
『SPECIMENS OF NEW TYPES  新製見本』の表紙裏には、要旨「大型活字見本帳は目下製造中ですが、できしだいお知らせ申しあげます」とありますが、結局東京築地活版製造所の大型見本帳『活版見本』が完成したのは、大幅に遅れて、1903年(明治36)となりました。
飾り罫02uu
飾り罫01uu 《平野富二がもちいた印鑑》
印鑑uu
  平野富二は相当の文章家で、さまざまな文書をのこし、その自筆による公文書類は『平野富二伝』に際して古谷昌二氏によって紹介されました。それらの書類をみると、どうやら印鑑にもこだわりがあったようで、さまざまな印鑑を使用しています。
平野家には関東大震災と戦禍を免れたふたつの印鑑がのこされています。これらも実物を展示公開の予定です。

平野富二がもちいた印鑑二点(平野ホール所蔵)。
左) 平野富二長丸型柄付き印鑑
楕円判のT. J. HIRANO は「富二 平野  Tomiji Hirano」の「富 Tomi  二 Ji」から T. J. としたものか。初期の東京築地活版製造所では、東京を TOKIO とあらわしたものが多い。この印判の使用例は見ていない。
右) 平野富二角型琥珀製四角平型印鑑、朱肉ケースつき
四角判の「平野富二」は、朱肉入りケースともよく保存されている。使用に際しては柄がないために使いにくかったとおもわれる。

《平野富二がもちいた社章》
下図4点は『平野富二伝』第12章 明治18年の事績(p.531)に紹介された社章、商標およびマークです。

商標01商標02uu
上左) 『BOOK OF SPECIMENS  MOTOGI & HIRANO』(推定明治10年)にみられる築地活版所の社標で、本木昌造の個人紋章「丸も」のなかに、ブラックレターのHがみられます。ながらくもちいられ、明治17年の新聞広告にも掲載されています。
上右) 東京築地活版製造所の登録商標で、明治19年の新聞広告からみられます。
下左) 平野富二と稲木嘉助の所有船痛快丸の旗章で、明治11年に届け出ています。装飾文字のHをもちいています。
下右) 明治18年石川島平野造船所は商標を制定し、登録しています。この商標は『中外物価新報』(日経新聞の前身 明治18年7月7日)に掲載した広告にはじめて示されています。イギリス人御雇技師(アーチボルト・キングか)の発案とされ、「丸も」のなかにカッパープレート系のふとい HT が組み合わされています。
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このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、ここに紹介した平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

Weekend 情報:今週も頑張ったあなたに アイスクリーム《パルム》はいかがですか。

 パルムuu

 平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
【森永乳業 Daily Premium Calender 】

渋いオジサン-寺尾聡 テラオサトシ というと、わたしの世代では「ルビーの指輪」が印象的です。
その寺尾聡が TV CM に登場して「ワォー」と叫んでいるのが森永乳業のアイスクリーム
「PARM パルム」です。「PARM」は人気商品で、累計10億本を越える販売実績があるそうです。
─────
森永乳業の巨大な Website のなかに、平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
Daily Premium Calender 」があります。 
その担当者から、「知ると面白いけれど、ふつうは気に留めたことがない」ことがらを
ひと月担当せよとのご下命が。
テーマは入門編とするが、ひと月まるごと読みすすめば、マニアも納得するコンテンツを。
しかも主たるターゲットは女性とのことでした。ウ~ンなかなか難しい。

「らしくない」のは承知ですから、最初は辞退したのですが、担当者のご熱意に負けて
{文字とは文化と歴史の結晶 ── タイポグラフィと活版印刷 ──
それは 「知」と「技」と「美」の総合技芸}
と題して、11月の月曜日-木曜日[金・土・日曜日はのぞく]都合15回にわたり
わたくし片塩と、朗文堂 アダナプレス倶楽部:大石の共著のかたちで
連続エッセイをアップしています。

なにしろコンテンツの豊富なWebsiteですから、まずはリンクから入ってご覧ください。
11月だけ15 回の連載ですが、折り返しの 7 回目までがアップされました。
ぜひとも「 Daily Premium Calender 」をご覧いただき、友人・知人にもご紹介
たまわりますようお願いいたします。

2013年11月

「豚」+「柿」+「ミカン」=「諸事大吉」 笑う門には福来たる? ユーモアあふれる吉祥文

近刊『平野富二伝』古谷昌二編著 第一章 誕生から平野家再興まで -立神ドッグ建碑由来の説明板の紹介

立神ドック建碑2uu立神ドック建碑1uu写真) 三菱重工業株式会社長崎造船所 史料館提供

《三菱重工業長崎造船所にある立神ドッグ建碑由来の説明板》
長崎造船所とは、長崎県長崎市と諫早市イサハヤシにある三菱重工業の造船所・工場のことです。正式名称は三菱重工業株式会社長崎造船所。地元長崎では、もっぱら「長船 ながせん」の名で親しまれています。
ここに本格的な洋式造船所が設けられた歴史はふるく、時局下にあっては戦艦武蔵が建造され、最近では2002年に艤装中の豪華大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」が火災をおこしたことなどでも知られます。

上掲写真は、三菱重工業長崎造船所本工場の立神通路の壁面に設置されている『建碑由来』説明板の写真です。この説明板の中央右寄りに、「立神ドック略歴」とあり、それに続いて平野富二の事績がしるされています。

「立神ドック略歴  明治三年(一八七〇)長崎製鉄所長平野富二乾ドック築工を民部省に建議、許可となり着工。同四年(一八七一)一時工事中止。明治七年(一八七四)フランス人ワンサンフロランを雇入れ築工工事再開。 明治一二年(一八七九)工事完成。(長さ一四〇米、巾三一米、深さ一〇米 当時東洋一)   (後略)  昭和四三年(一九六八)三月   三菱重工業株式会社長崎造船所」

これに補足しますと、
「慶応元年(1865)7月に立神軍艦打建所として用地造成が完了しましたが、当地における軍艦建造が取止めとなり、そのまま放置されていました。 明治2年(1869)になって、平野富二が民部省にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、平野富二が「ドック取建掛」に任命され、直ちに着工しました。しかし明治4年(1871)4月、長崎製鉄所が工部省の所轄となるに及んで、平野富二は長崎製鉄所を退職し、工事は中止されました」[古谷昌二]

平野富二(1846-91)は長崎出身で、活字と活版印刷関連機器製造「東京築地活版製造所」と、造船・機械製造「石川島造船所」を設立したひとです。
残念ながら、東京築地活版製造所はよき後継者を得ずに1938年(昭和13)に解散にいたりましたが、造船・機械製造「石川島造船所」は隆盛をみて、こんにちでは株式会社 IHI として、三菱重工業とは競合関係にある巨大企業です。

この地におおきな造船所がつくられた歴史を簡略にしるします。
1857年(安政4年)  江戸幕府直営「長崎鎔鉄所」の建設着手。
1860年(万延元年)  「長崎製鉄所」と改称。
1861年(文久元年)  完成。
1868年(明治元年)  官営「長崎製鉄所」となる。
1871年(明治4年)  工部省所管「長崎造船局」と改称[このとき平野富二は退職]。
1879年(明治12年)  立神第一ドック完成。
1884年(明治17年)  三菱の経営となる。「長崎造船所」と改称。

あわせて平野富二(富次郎 1846-91)のこの時代の行蔵を簡略にしるしましょう。
長崎にうまれた平野富二は、この三菱重工業長崎造船所の前身、長崎製鉄所とは16歳のときから関係をもちました。まず1861年(文久元)長崎製鉄所機関方見習いに任命され、教育の一環として機械学の伝習を受けていました。このころは飽の浦に建設された長崎製鉄所の第一期工事が完成して間もないころでした。

1869年(明治2)平野富二が民部省[1869年(明治2)に設置された中央官庁。土木・駅逓・鉱山・通商など民政関係の事務を取り扱った。1871年廃止されて大蔵省に吸収された]にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、「ドック取建掛」に任命され、直ちに工事に着工しました。しかし、1871年(明治4)4月長崎製鉄所が 工部省 の所轄となるに及んで、平野富二は退職し、工事は中止されました。

長崎製鉄所を退職したのち、1872年(明治5)7月から、本木昌造の再再の懇請により活字版印刷事業に着手し、東京に出て、1873年(明治6)から活字製造と活版印刷機器の製造「のちの東京築地活版製造所」で成功して資金をつくり、あわせて幕末に水戸藩が設けた石川島修船所の敷地を借りるかたちで、念願の造船業「石川島造船所」の事業に1876年(明治9)31歳のときに進出しました。
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造船業者や船乗りは「板子一枚下は地獄」とされ、きわめて危険な職業であることの自覚があるようです。ですからライバル企業「石川島造船所」現在の IHI の創業者「平野富二」の名を、自社の主力ドッグである立神ドックにその名を刻した、三菱重工業長崎造船所のみなさんの心意気にこころをうたれます。

上掲写真は、2001年「平野富二没後110年祭」に際して、列席された長崎造船所史料館からいただいたものです。ここは巨大工場の最奥部にあり、危険もあり、情報管理の面からも一般人の見学はゆるされていません。したがってこの写真が公開されたことはあまりないようです。
同社はまた『創業150周年記念  長船ナガセンよもやま話』(三菱重工業長崎造船所 平成19年10月 p.22-23)の見開きページで、「立神に巨大ドッグを 壮大な夢を抱いた平野富二、工事現場での大ゲンカ仲裁も」として、イラストと写真入りで紹介しています。
このとき平野富二は25歳という若さで、2-3,000人の労働者の指揮にあたっていました。

平野富二武士装束uu

平野富二(富次郎)が長崎製鉄所を退職して、活版印刷の市場調査と、若干の活字販売のために上京した1871年(明治4)26歳のときの撮影と推定される。
知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、早早に士籍を捨てた平野富二が、いつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。

建設中の立神ドッグ

開鑿中の立神ドック
本図は、横浜で発行された英字新聞「ザ・ファー・イースト」(1870年10月1日)に掲載された写真である。 和暦では明治3年9月7日となり、平野富二(富次郎)の指揮下で開始されたドック掘削開始から、ほぼ 9 ヶ月目に当たる状態を示す。 この写真は、長崎湾を前面にした掘削中のドライドックの背後にある丘の上から眺めたもので、中央右寄りにほぼ底面まで掘削されたドッグが写されている[古谷昌二]。

考察13 開鑿ニ着手 明治二年(一八六九)一一月二〇日、製鉄所頭取青木休七郎、元締役助平野富次郎、第二等機関方戸瀬昇平は、「ドック取建掛」に任命され、続いて頭取助品川藤十郎と小菅掛堺賢助も要員に加えられた。 この中で筆頭の製鉄所頭取青木休七郎は名ばかりで、実質的な責任者は平野富次郎であった。 この時の製鉄所辞令が平野家に残されている。 「平野富次郎  右ドック取建掛  申付候」[古谷昌二]。 

任命状

  平野富次郎  右ドック取建掛  申付候図 ドック取建掛の辞令
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎製鉄所の辞令である。この辞令の用紙サイズは、高さ174㎜、幅337㎜で、ここに書かれている巳十一月とは明治2年(1869)11月(和暦)であることを示している[古谷昌二]。

長崎縣権大属任免状uu 

平野富次郎の長崎縣権大属任免状 
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎縣の任免状である。 この任免状の用紙サイズは、高さ187㎜、幅519㎜である。 最終行の「長崎縣」と書いた上部に小さく、「庚午 閏十月十六日」と記されており、明治3年(1870)閏10月16日の日付であることが分かる[古谷昌二]。
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このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、ここに紹介した平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

平野富二、活字製造販売事業開始の広告

『崎陽 新塾餘談 初編一』の活字販売広告は
たれの企画と意図にもとづいて
急遽巻末に加えられたのか?
『平野富二伝』(古谷昌二編著)より

崎陽新塾餘談 天下泰平国家安全「崎陽 新塾活字製造所 口上」 『崎陽 新塾餘談 初編一』 壬申  明治5年2月 印刷博物館蔵

本図は新街私塾から刊行された『崎陽新塾餘談 初編一』(壬申  明治5年2 平野富二このとき26歳)の巻末に掲載された「崎陽新塾活字製造所」の活字見本(価格付き)です。
この図版はこれまではしばしば本木昌造の企画の一環として紹介され、「天下泰平国家安全」の活字見本として知られてきたものです(小生も紹介してまいりました。ここに不明をお詫び申しあげます)。

平野富二武士装束uu平野富二(富次郎)が市場調査と、若干の活字販売のために上京した1871年(明治4)撮影と推定される。
知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、早早に士籍を捨てた平野富二が、いつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。

ところが本木昌造は、このころはすでに活字製造事業に行きづまっており、1871年(明治4)6-7月にわたり、長崎製鉄所を辞職したばかりの平野富二(富次郎 25歳)に、「長崎新塾活字鋳造所」への入所を再再懇請して、ついに同年7月10日ころ、平野はその懇請を入れて同所に入所しました。
これ以後、すなわち1871年(明治4)7月以降は、本木は活字鋳造に関する権限のすべてを平野に譲渡しています。

また本木はもともと、活字と活字版印刷術を、ひろく一般に解放することはなく、「新街私塾」一門のあいだにのみ伝授して、一般には秘匿する意図をもっていました。そのことは、『大阪印刷界 第32号 本木号』(大阪印刷界社明治45年)、『本木昌造伝』(島屋政一 朗文堂 2001年)などの諸記録にみるところです。

苦難にあえでいた「崎陽新塾活字製造所」の経営を継承した平野富二は、従来の本木昌造時代の経営を大幅かつ急速に刷新しました。また本木の方針による「活字を一手に占有」することはなく、ひろく活字を販売し、活字版印刷関連機器を製造し、その技術を公開することとしました。
そのために平野は『崎陽 新塾餘談 初編一』の巻末に、「販売を目的とする価格付きの活字見本」を急遽印刷させ、ひろく活字を需用者に販売することにしたものとみられます。

その最初の行動が、この活字見本(価格付き)であったことの指摘が、『平野富二伝』(古谷昌二編著 朗文堂近刊 p.137)でなされました。これはタイポグラファとしてはまことに刮目すべき指摘といえるでしょう。
掲載誌が、新街私塾の『崎陽 新塾餘談 初編一』であり、販売所として長崎(崎陽)の二ヶ所だけが記載されているために、その効果は限定的だったとみられますが、これが平野富二のその後の事業展開の最大のモデルとなったとみられる、貴重な資料であることの再評価がもとめられます。

この年平野富二は27歳。本格的な活字製造事業を開始し、同時に東京への進出に備えて、あらかじめ1872年(明治5)8月14日付けの『横浜毎日新聞』に、陽其二らによる同根企業の横浜活版社を通じて同種の広告を出しています。
10月には新妻・古まほか社員10名をともなって上京して、ただちに同年10月発行の『新聞雑誌』(第六十六號 本体は木版印刷)に同種の活字目録を活字版印刷による附録とし、活字の販売拡大に努めています。

この壬申 明治5年とは、わが国の活字が、平野富二の手によって、はじめてひろく公開され、販売が開始された記念すべき年であったことが、本資料の再評価からあきらかになりました。 
これからは時間軸を整理し、視点を変えて再検討と再評価をすべき貴重な資料といえるでしょう。
──────────
このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

【近刊紹介】『平野富二伝』古谷昌二編著

【本書の発売日が決定いたしました!】
朗文堂近刊書、古谷昌二編著『平野富二伝』には、多くの皆さまがご関心を寄せられ、発売日、関連イベントに関するお問い合わせをたくさん頂戴いたしました。ありがとうございました。

発売日  2013年11月22日[金]

『平野富二伝』刊行記念・展示・講演会のお知らせ 
関連情報は、上記をクリックしていただきますと該当ページがひらきます。

 

書店店頭、オンラインブックショップなどでの販売は、発売開始後すこし遅れます。
一刻も早く、連休中にもお読みになりたいというかたは、ご面倒でも小社にご来社いただき直接ご購入いただくか、朗文堂ブックコスミイク robundo@ops.dti.ne.jp まで事前にご注文ください。
ご送付のばあいでも 11月22日[金]まで のご注文にかぎり、送料を小社負担でおもとめいただけます。ご注文をお待ちしております。

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明治産業近代化のパイオニア平野富二伝 考察と補遺
古谷昌二 編著
────
発行:朗 文 堂
A4判、ソフトカバー、864ページ
図版多数
定価:12,000円[税別]
発売:2013年11月22日
ISBN978-4-947613-88-2 C1023

 ──────── 編著者プロフィール
古 谷  昌 二   ふるや しょうじ
古谷さん肖像

昭和10年(1935)、東京都に生まれる。
昭和33年(1958)、早稲田大学第一理工学部機械工学科を卒業。
同年、石川島重工業株式会社(現、株式会社IHI)に入社。
製鉄設備を初めとして、産業機械分野の設計、開発、技術管理、新機種営業部門を歴任。
平成7年(1995)、定年退職に際し、その後の一つのテーマとして平野富二の事績調査に取り組み、IHI OBを中心とした社史研究会「平野会」の設立と運営に協力。
日本機械学会正会員。

雑誌投稿:
「IHI 高圧高炉用炉頂装置の概要」
共著(『石川島播磨技報』、第7巻、第34号、昭和42年3月)
「大形高炉設備の設計」
(『石川島播磨技報』、別冊2、昭和44年8月)
「石川島のダラーイドック」
(『佃島物語』、その十五、平成7年10月)
「平野富二の師 本木昌造」
(『佃島物語』、その二三、平成12年5月)
平野会資料:
「旭日丸事績」を初め、幕末から明治初期の石川島に関する資料、平野富二に関するテーマ別に纏めた資料など多数を執筆し会員に配布。IHI本社図書室に保管。

──────── 著者まえがきより抜粋
本書は、明治前期の活字版印刷術の黎明期に活躍し、ついで、造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発など、わが国近代産業技術のパイオニアとしておおきな業績をのこした平野富二に関して、これまで一般にはあまり知られていなかった産業人としての事績を発掘して、その全貌を紹介し再認識してもらうことを目的とする。
同時に、明治前期の工業界をリードした、技術系経営者としての平野富二の事績紹介が、そのままわが国近代の産業技術発達史の一断面をなすものである。

──────── 目 次
第 一章 誕生から平野家再興まで
第 二章 土佐藩機械方就任と長崎製鉄所復帰
第 三章 長崎新塾活版所入社と経営改革
第 四章 東京への進出
第 五章 築地への移転と本木昌造との死別
第 六章 築地活版所の拡張と造船業への進出
第 七章 石川島造船所の操業開始
第 八章 活字改良、海運業進出と地方事業の展開
第 九章 明治一四・一五年の事績
第一〇章 明治一六年の事績
第一一章 明治一七年の事績
第一二章 明治一八年の事績
第一三章 明治一九年の事績
第一四章 明治二〇年の事績
第一五章 明治二一年の事績
第一六章 明治二二年の事績
第一七章 明治二三年の事績
第一八章 明治二四年の事績
第一九章 明治二五年の事績
第二〇章 没後の記録
平野富二年譜
平野富二没後の記録年表

──────── 著者あとがきより抜粋
明治前期に花開いた文明開化で、一般民衆が身近に実感したであろうものは数多くあるが、その中でも代表的なものは、新聞の普及による情報革命と、小形蒸気船による輸送革命であろう。
新聞は良質な活字と高性能な印刷機の出現によって、最新の情報が迅速に広く民間に届けられるようになった。
小形蒸気船は蒸気を動力として、多量の物資や乗客を、一時に短時間で、しかも安全に運送する乗り物として民間に親しまれた。

この活字と印刷機と、小形蒸気船に代表される製品を製造し、普及させたのが平野富二である。その根底となる技術はいずれも西欧先進国に学んだものであるが、それらをわが国で初めて国産化し、高性能で堅牢な製品として世の中に普及させた。

その他の分野でも、平野富二は民間人として「我国で最初に国産化した製品」を数多く生み出している。
例えば、蒸気暖房装置、演技場の大形石油ランプ、製糸動力用ボイラ・蒸気機関、鉱山用各種機械、水力発電用ペルトン水車、凌雲閣のエレベーター、吾妻橋に代表される大形橋梁などである。
一等砲艦鳥海も民間造船所で初めて建造された軍艦である。
近代化の象徴である鉄道建設や水道布設などにおいても、ドコビール式軽便レールを導入して、画期的工法で土地造成工事を行なった。

それらの製品を生み出し、工事を実施する過程においても、活字の多品種・大量生産を実現させ、現代に通じる品質管理、公害を配慮した工場移転、徒弟教育の実施、職工の生命保険付保など、時代を先駆ける先端的経営を行なった。

その意味で、平野富二をわが国産業近代化のパイオニアの一人として位置付けることができる。まさに福地桜痴の言う「明治工業史の人」である。

平野富二の生涯は苦労と失敗の連続であった。通常の伝記では成功談の羅列で終始するが、平野富二の場合は失敗談なくしてその人の生涯を語ることはできない。
平野富二の前半生の履歴をまとめ上げた福地桜痴や、全生涯を記録した『本木昌造 平野富二 詳伝』の編著者である三谷幸吉は、失敗談については敢えて触れることなく、意識的にこれを避けている。

平野富二は、恩師本木昌造の苦境に陥った活版印刷事業をたまたま引き受け、事業として成功に導いた。その結果得られた資金を活用して、念願の造船事業に進出することができた。
しかし、民間事業こそがわが国将来の発展に寄与するものであるとの信念から、敢えて政財界と結託することを嫌って一定の距離をおいていた。そのため、多額の資金を要する造船事業では再三に亘り政府に融資依頼を行なったが、いずれも不成功に終わっている。渋沢栄一の理解と協力で株式組織に変更するまでは、資金難の連続であった。

本書では、平野富二が取り組んだ事業の中でも不成功に終わった事例を数多くとりあげた。造船関係では兵庫造船所の借用、鉄道関係では利根川・江戸川連絡鉄道計画、甲信鉄道計画とその関連の江の浦軽便鉄道計画、築港関係では江の浦築港計画、土木関係では横須賀吾妻山掘割工事、鉱山関係では能美鉱業所の経営受託である。
しかし、不成功となったその後の経緯までをたどって見ると、単に失敗に終わらせず、その経験を少しでも世の中のために有効に生かす意志と努力を酌み取ることができる。

最大の失敗といえば、若い頃から持病を抱えながらもわが身を顧みず事業に没頭した結果、脳溢血で病床に就くこと三度、それが原因で折角育てあげた事業を途中で整理せざるを得なくなったことであろう。
その後は摂生に努めたが、国家に貢献する事業への信念から肉体の健康を疎かにし、それが原因で未だ前途のある生涯を四七歳の若さで終えたことである。

定年まで人生の一番大切な時期を過ごさせて頂いた会社の創業者である平野富二について、なぜ長崎の人が東京の石川島で個人経営の造船所を創業したのかという疑問に始まり、その人物と事績をもっと知らなければならないと思っていた。
それを定年後の取り組みの一つとして定め、本格的な資料調査を開始したのは既に十数年前になる。当初は、それほど多くの資料は存在しないだろうと予測し、二、三年で纏められると思っていた。平野富二に関する資料は、関東大震災、その後の戦災と戦後の混乱でほとんどの歴史資料を失ってしまったと見られていたからである。

当初は、平野富二に関する纏まった伝記資料としては、三谷幸吉の『詳伝』が唯一のものであった。それを手掛かりにして、資料収集を開始すると、断片的ではあるが次々と新しい資料を見出すことができた。

平野富二は、長崎奉行所とそれに関連する長崎製鉄所に勤務していた関係で、その役職履歴から勤務に関する多くの文書が長崎県に残されている。
東京に出てきてからは、事業の関係で役所に提出した文書が東京都公文書館に数多く保管され、また、横浜製鉄所や石川島造船所に関しては国立公文書館と防衛研究所図書館に多くの関連する文書が保管されており、近年、アジア歴史資料センターからインターネットで検索・閲覧できるようになった。
早稲田大学図書館に保管されている「大隈文書」にも平野富二直筆の願書等が残されていることが判った。

株式会社IHIの元専務取締役高松昇氏は残念ながらすでに故人となられたが、同氏とは十数年来、平野富二の研究でお互いに協力しあう関係にあり、お教え頂くことが多かった。相談の上、『長崎市史』に掲載されていた平野富二碑の碑文をもとに、その石碑の所在確認と、先祖の菩提寺に残されているとみられる記録を平野家に調査してもらうこととした。これが縁で平野家の方々と面識を得ることができた。

丁度その頃、祖先の遺品を整理されていた平野義和氏とその子息正一氏によって多数の資料が見出され、活版印刷関係の資料についてはその分野の研究をされている、朗文堂の片塩二朗氏と印刷史研究家板倉雅宣氏に伝えられた。平野家からは貴重な資料閲覧と写真撮影をさせていただき、特に正一氏からは独自に調査された貴重な資料のコピーを提供して頂いた。
また、片塩二朗氏と板倉雅宣氏からは平野富二が印刷分野で高く評価されていることを教えて頂き、御著作を初め多くの資料を提供して頂いた。

平野富二の資料収集を期に、高松昇氏の主宰により株式会社IHIのOBを主体とした「平野会」が結成された。社史に関連する資料の収集と資料管理を後援することを目的としたもので、その会員はIHIの歴史に関心を持つ各専門分野を経験された方々であった。この「平野会」は、所期の目的を達成して解散したが、多くの資料を調査・収集することができた。

二〇〇二年に朗文堂から片塩二朗著「富二奔る」(『ヴィネット08』)が、二〇〇六年に印刷朝陽会から板倉雅宣著『活版印刷史』が、さらに、二〇〇九年に株式会社IHIから高松昇著『平野富二の生涯』(非売品)が刊行された。
これらの動向により、平野富二に縁故のある関係者の子孫の方々が現れ、貴重な情報・資料の提供をうけることができた。

本書は高松昇氏の御著書を補う形で、広く一般読者や研究者に読んで頂くために纏めたもので、以上に述べた多くの機関や個人の方々から提供をうけた貴重な資料を利用させて頂いた。いちいちお名前を記すことを控えさせて頂くが、この場を借りて心から御礼申し上げる。

平成二五年八月
石川島造船所創業一六〇年、平野富二没後一二〇年を経過した歳に当たって                                                              古谷 昌二

【朗文堂タイプコスミイク 書体使用例紹介】国宝興福寺仏頭展 東京藝術大学美術館

気にしていながらなかなか行けない展覧会が、《国宝 興福寺 仏頭展》、東京藝術大学美術館でした。
同展は2013年09月初旬-11月中旬と会期が比較的ながく、そのうちに行こうとおもっているうちに、いつのまにか、のこりの開催期間が少なくなっていました。国宝興福寺仏頭展《国宝 興福寺 仏頭展》の告知の一部に、小社販売の「四川宋朝体 龍爪」がもちいられていることは、はやくから友人の情報で知っていましたが、訪館の機会を逸しつつ時間だけが経過しました。
きょう(2013年11月01日)都営地下鉄に乗車したところ、《国宝 興福寺 仏頭展》の中吊り広報物を発見してカメラでパチリ。
なにぶん機械オンチで、つり革は邪魔をするし、黒ベタの一部がテカっているのはご容赦を。
────────────────
ということで、画像の品質に嘆いていたら、友人からの助け船が。これなら「四川宋朝体 龍爪」の魅力がバッチリです。やはり、持つべきものは、よき友人ですね。ありがとうございました。
国宝 興福寺仏頭展 東京藝術大学美術館

興福寺創建1300年記念
《国宝 興福寺 仏頭展》
────────────────
会   期  2013年09月03日-11月24日
開館時間  110:00-17:00
休  館  日  毎週月曜日
        (特別開館、閉館があります。詳細はWebsiteで確認を)
会   場  東京藝術大学美術館
        東京都台東区上野公園12-8
主   催  東京藝術大学
        法相宗大本山興福寺
        日本経済新聞社

【東京藝術大学:興福寺創建1300年記念 国宝 興福寺 仏頭展 】
【朗文堂タイプコスミイク:四川宋朝体 Combination 3 龍爪

四川宋朝体 龍爪

森永乳業 PARM Daily Premium Calender 11月の連載

パルム パッケージ 

平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
【森永乳業 Daily Premium Calender 】

渋いオジサン-寺尾聡というと、わたしの世代では「ルビーの指輪」が印象的です。
寺尾聡が TV CM に登場して「ワォ~」と叫んでいるのが森永乳業のアイスクリーム
「PARM」です。「PARM」は人気商品で、累計10億本を越える販売実績があるそうです。
─────
森永乳業の巨大な Website のなかに、平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
Daily Premium Calender 」があります。 
その担当者から、「知ると面白いけれど、気に留めたことがない」、タイポグラフィに関する
ことがらを
ひと月担当せよとのご下命が。
テーマは入門編とするが、ひと月まるごと読みすすめば、マニアも納得するコンテンツを。
しかも主たるターゲットは女性とのことでした。 ウ~ンなかなかに難しい。
─────
「らしくない」のは承知ですから、最初は辞退したのですが、担当者のご熱意に負けて

── タイポグラフィと活版印刷 ──
{文字とは文化と歴史の結晶 それは「知」と「技」と「美」の総合技芸} と題して
11月の毎週月曜日-木曜日[祝日はのぞく]、都合15 回にわたって
わたくし片塩と朗文堂 アダナプレス倶楽部:大石の共著のかたちで
連続エッセイを担当することになりました。

なにしろコンテンツの豊富なWebsiteですから、まずはリンクから入ってご覧ください。
11月だけの連載ですが、スタートの月曜日が祝日で、11月5日[火]からとなります。
ぜひとも「 Daily Premium Calender 」をご覧いただき、友人・知人にもご紹介
たまわりますようお願いいたします。

2013年11月

図書館総合展開催

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名 称: 第15回図書館総合展
会 場: パシフィコ横浜 展示ホールD
日 時: 2013年10月29日[火]-31日[木] 10:00-18:00
主 催: 図書館総合展運営委員会

毎年秋に開催される恒例の《図書館総合展》も15回を迎えました。
年年図書館の予算も減少傾向にある時代です。
したがって選抜・推薦された図書を、自館に選定するライブラリアンの視線も真剣でした。
選抜・推薦期間が、8月締めきりで、『平野富二伝』の出品は間に合わず、朗文堂の
ことしの出品は『英語本の扉』(髙野 彰著)、『普及版 欧文書体百花事典』(組版工学会)
の二冊でした。
ご興味、ご関心のあるかたは横浜まで足をお伸ばしください。

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【朗文堂タイプコスミイク 書体使用例紹介】アダナプレス倶楽部が《Viva la 活版 Viva 美唄》イベントサインに『銘石B』を使用しました。

《アダナプレス倶楽部、Viva la 活版 Viva 美唄のイベントサインに、「銘石B」を随所に使用》
朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では、本2013年07月13-15日、【Viva la 活版 Viva 美唄――すばらしき活版、すばらしい美唄】と題して、活版印刷の祭典を開催しました。
その新イベントサイン用の書体として選択されたのが【銘石B くれたけ】と、欧字【オンディーヌ】でした。
印刷設計士(グラフィックデザイナー)は松尾篤史さん。
はがき印刷(活版印刷機によるレター・プレス。宛名面:スミ1色刷り、絵柄面:バーント・シエンナ+スミ 2色刷り)の担当は、大阪・江戸堀印刷所/小野香織さんでした。

松尾さんは、日常業務としての商業印刷物製作には、しばしば【銘石B くれたけ】を愛用されていました。
ところが、アダナプレス倶楽部では印刷版式の相異をおもくみます。
そのために、オフセット平版印刷や、インクジェット出力によるポスターサイズからはじまり、上掲写真のように、亜鉛凸版をもちいてのレタープレスによる、はがき印刷までの、大小各種の使用と、過酷な使用状況が予想されました。
そこで設計士の松尾篤史さんは、まずディド・ポイントシステムにもとづく堅固な「グリッドデザイン」を製作し、果敢に【銘石B くれたけ】をご使用いただきました。

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美唄コラム黄uu【銘石B】の原姿は、いまから1670年ほど前、中国・晋代の墓誌に刻まれた字を標本としています。
この墓誌は、粘土を固く焼き締めた「磚 セン」に彫刻されて地中に埋められていました。すなわち、「帖学派」がおもくみた、書かれた文字というより、中国清王朝時代からひろく「碑学派」によって注目された、彫られた文字であり、書写系文字ではなく、彫刻系文字のひとつといえます。

そうした背景のせいでしょうか、【銘石B】は、過酷な使用環境に良く対応し、おおきく使うと、迫力と力感のある字となり、ちいさく使っても、判別性と可読性を損なうことがすくなく、またレタープレスのつよい印圧にもツブレの発生がなく、強靱さを発揮していました。
【詳細 アダナプレス倶楽部コラム:Viva la 活版 Viva 美唄の中間報告

《銘石B デジタルタイプについて》
かねてより、十分なインパクトがありながら、視覚に優しいゴシック体、それもいわゆるディスプレー・タイプではなく、文字の伝統を継承しながら、使途のひろいあたらしいサンセリフ ―― Human Sans Serif が欲しいとされるご要望が寄せられていました。

確かにわが国のゴシック体のほとんどは、もはや自然界に存在しないまでに鋭角的で、水平線・垂直線ばかりが強調されていて、視覚に疲労をあたえることがあります。
銘石Bパッケージ。デザイン:白井敬尚形成事務所欣喜堂・今田欣一氏と、朗文堂タイプコスミイクが提案した新書体「銘石B」の原姿はふるく、中国・晋代の『王興之墓誌』(オウ-コウシ  341年、南京博物館蔵)にみる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種で、とくに「碑石体」と呼ばれる書風をオリジナルとしています。
『王興之墓誌』は1965年に南京市郊外の象山で出土しました。王興之(オウ-コウシ 309-40)は王彬の子息で、また書聖とされる王羲之(オウ-ギシ  307―65)の従兄弟イトコにあたります。

この墓誌は東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体ともいわれています。
遙かなむかし、中国江南の地に残された貴重な碑石体が、現代に力強くよみがえりました。
「銘石B」には、和字(平仮名と片仮名)3書体(くれたけ、くろふね、くらもち)が標準でセットされており、用途に応じた選択ができます。
皆さまの積極的なご用命、ご使用をお待ちしております。
【詳細情報:朗文堂タイプコスミイク 銘石B Combination 3  PDF データーつき
────────
【お願い】
朗文堂タイプコスミイクでは、単に書体製作、監修、販売にあたるだけではなく、デジタルタイプの効果的な展開と普及のために、当該書体の使用例を本欄にて順次紹介しております。ユーザーの皆さまからの積極的な情報ならびに資料提供をお待ちしております。
なお勝手ながら、本Websiteでの紹介にあたり、権利関係の調整と許諾は、情報ご提供者様のほうで事前に済ませてからのご提供をお待ち申しあげます。

【朗文堂タイプコスミイク 書体使用例紹介】『アイデア 353』特集に《硬筆風細明朝 杉明朝体》をご使用いただきました!

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【「ザック・カイズとの共同制作」詳細PDF版 『アイデア』編集部提供】 
『アイデア 353』特集に《硬筆風細明朝 杉明朝体》をご使用いただきました!

『アイデア 353』(誠文堂新光社、2012)に、「ザック・カイズとの共同制作」(p.197-220)の特集ページが掲載されました。この特集に使用された和文デジタルタイプは「杉本幸治制作 硬筆風細明朝 杉明朝体」(朗文堂タイプコスミイク発売)、欧文デジタルタイプは「Dear Sir / Madam」でした。

基本組版設計は、文字サイズ12Q、行送り18H(半角アキ)となっているそうです。
ここに誠文堂新光社『アイデア』編集部と、白井敬尚形成事務所の協力をいただいて、「杉明朝体」の書体使用例紹介をいたします(掲載図版詳細は上掲 の PDF 版でごらんください)。
────────
【杉明朝体と製作者:杉本幸治】
書体製作者・杉本幸治(1927-2011年)がのこした活字書体は、三省堂勤務時代の金属活字書体製作にはじまり、晃文堂明朝体、リョービ本明朝シリーズなどがありますが、その最晩年に、万感のおもいをこめて製作したデジタルタイプが「硬筆風細明朝 杉明朝体」でした。
【杉明朝体 詳細紹介 PDF版を含みます:朗文堂タイプコスミイク 杉明朝体】
【杉本幸治紹介:タイポグラフィ・ブルグロール 花筏 杉本幸治三回忌にあたって

【杉明朝体製作者:杉本幸治(1927年04月27日-2011年03月13日) 紹介】
1927年(昭和02)04月27日、東京都台東区下谷うまれ。
東京府立工芸学校(3-5年履修制の産学協同による特殊な実業学校。現東京都立工芸高等学校にその一部が継承された)印刷科卒。

終戦直後の1946年( 昭和21)印刷・出版企業の株式会社三省堂に入社。今井直一専務(イマイ-ナオイチ 1896-1963年05月15日 のち社長)の膝下にあって、本文用明朝体、ゴシック体、辞書用の特殊書体など、金属活字書体の設計・開発と、米国直輸入の機械式活字父型・母型彫刻システム(俗称:ベントン、ベントン彫刻機)の管理に従事し、書体研究室、技術課長代理、植字製版課長を歴任した。

またその間、今井専務の「暗黙の指示と黙認」のもとに、株式会社晃文堂(のち・株式会社リョービ印刷機販売 → リョービイマジクス株式会社。2011年11月同社デジタルタイプ部門が株式会社モリサワに移譲され、モリサワMR事業部 → 株式会社タイプバンク となった)の「晃文堂明朝体」の開発と、「晃文堂ゴシック体」の改刻に際して援助を重ねた。

1975年三省堂が苦境におちいり、会社更生法による再建を機として、48歳をもって三省堂を勇退。その直後から細谷敏治氏(1914年うまれ)に請われて、日本マトリックス株式会社に籍をおいたが2年あまりで退社。
【細谷敏治氏詳細:花筏 タイポグラファ群像*003 細谷敏治氏

そののち「タイポデザインアーツ」を主宰するとともに、謡曲・宝生流の師範としても多方面で活躍した。
金属活字「晃文堂明朝体」を継承・発展させた、リョービ基幹書体「本明朝体」写植活字の制作を本格的に開始。以来30数年余にわたって「本明朝ファミリー」の開発と監修に従事した。

2000年から硬筆風細明朝体の必要性を痛感して「杉明朝体」の開発に従事。2009年09月株式会社朗文堂より、TTF版「硬筆風細明朝 杉明朝体」発売。同年11月、OTF版「硬筆風細明朝 杉明朝体」発売。

特発性肺線維症のため2011年03月13日(日)午前11時26分逝去。享年83
浄念寺(台東区蔵前4-18-10)杉本家墓地にねむる。法名:幸覚照西治道善士 コウガク-ショウサイ-ジドウ-ゼンジ。


東日本大震災の襲来の翌翌日、2011年03月13日、特発性肺線維症 のため入退院を繰りかえしていた杉本幸治氏が永眠されました。
杉本氏は、わが国戦後活字書体史に燦然と輝く、リョービ基幹書体「本明朝体」をのこしました。また畢生ヒッセイの大作「硬筆風細明朝 杉明朝体」を朗文堂にのこされました。
わたしどもとしては、東日本大震災の混乱の最中に訃報に接し、万感のおもいでした。
これからは30年余におよぶ杉本氏の薫陶を忘れず、お預かりした「杉明朝体」を大切に守り育ててまいりたいと存じます。

在りし日の杉本幸治氏を偲んで

杉明朝体はね、構想を得てから随分考え、悩みましたよ。
その間に土台がしっかり固まったのかな。
設計がはじまってからは、揺らぎは一切無かった。
構造と構成がしっかりしているから、
小さく使っても、思い切り大きく使っても
酷使に耐える強靱さを杉明朝はもっているはずです。
若い人に大胆に使ってほしいなぁ。

-杉本幸治 83歳の述懐-

上左)晃文堂明朝体の原字と同サイズの杉明朝体のデジタル・データー
上右)晃文堂が和文活字用の母型製作にはじめて取り組んだ金属活字「晃文堂明朝」の原字。
(1955年杉本幸治設計 当時28歳。 原寸はともに2インチ/協力・リョービイマジクス)

杉本幸治愛用の雲形定規

ふたつの 「書」 の図版を掲げました。かたや1955年、杉本幸治28歳の春秋に富んだ時期のもの。こなたは70歳代後半から挑戦した新書体「杉明朝体」の原字です。

杉本幸治は2003年から、骨格の強固な明朝体の設計を意図して試作を重ねました。基本設計意図は、杉本が青春期を過ごした、三省堂の辞書に用いられたような、本文用本格書体の製作が狙いでした。
現代の多様化した印刷用紙と印刷方式を勘案しながら、紙面を明るくし、判別性を優先し、可読性を確保しようとする困難な途への挑戦となりました。制作に着手してからは、既成書体における字体の矛盾と混乱に苦慮しながらの作業となりました。名づけて「硬筆風細明朝 杉明朝体」の誕生です。

制作期間は実質6年の長期に及び、厳格な字体検証を重ね、ここに豊富な字種をともなった「硬筆風細明朝 杉明朝体」を完成させました。
痩勁ながらも力感ゆたかな画線が、縦横に文字空間に閃光を放ちます。
爽風が吹き抜けるような明るい紙面には、濃い緑の若葉をつけた杉の若木が整然と林立し、ときとして、大樹のような巨木が、重いことばを柔軟に受けとめます。
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【お願い】
朗文堂タイプコスミイクでは、単に書体製作、監修、販売にあたるだけではなく、デジタルタイプの効果的な展開と普及のために、当該書体の使用例を本欄にて順次紹介しております。ユーザーの皆さまからの積極的な情報ならびに資料提供をお待ちしております。
なお勝手ながら、本Websiteでの紹介にあたり、権利関係の調整と許諾は、情報ご提供者様のほうで事前に済ませてからのご提供をお待ち申しあげます。

【展覧会】清時代の書 ── 碑学派 東京国立博物館/書道博物館

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《清時代の書 ―碑学派―》 三館連携企画
東京国立博物館 平成館 企画展示室
台東区立書道博物館
台東区立朝倉彫塑館
2013年10月8日[火]-2013年12月1日[日]
※ 月曜休館。一部展示変え、特別開館日あり。詳細は各館のWebsiteで確認ください。 
東京国立博物館 《清時代の書-碑学派》Website

────── 同館フライヤーより[一部に補筆しました]
中国・清時代(1616-1912)では、考証学の盛行を背景に、書においても金石(きんせき)資料が注目され、従来の王羲之(おうぎし)を中心とする法帖(ほうじょう)に代わって、青銅器の銘文や、石碑に刻まれてのこされた書、すなわち金石の書が尊ばれるようになりました。

この時代、金石に書の拠りどころを求めた人たちを「碑学派(ひがくは)」と称し、これまでもっぱら法帖を学んでいた「帖学派(じょうがくは)」と区別しています。
かれらは、はじめのうちは、漢時代の隷書や、唐時代の楷書に注目していましたが、やがて山野に埋もれていた青銅器や石碑にも視野を広げ、野趣あふれる楷書や篆書・隷書を中心とする、あらたな書風を形成しました。
また阮元(げん げん)や包世臣(ほう せいしん)らが、「北碑の書」[代表作:洛陽郊外 龍門石窟古陽洞 龍門二十品など]を称揚する理論を提唱したことで、碑学派は清時代の書の主流を占めるようになりました。

今回で11回目を迎える連携企画は、東京国立博物館、台東区立書道博物館のほかに、台東区立朝倉彫塑館を加え、台東区内に近接する3館が連携して、碑学派の主な書人の代表作を紹介し、碑学派の流れを概観します。

東京国立博物館では、碑学派の前期に重きを置き、主として碑学派の勃興期に焦点をあてます。
書道博物館では碑学派の後期を中心に、同館の創設者/中村不折(なかむら ふせつ)と、楊守敬(よう しゅけい)・康有為(こう ゆうい)とのつながりや、日本における「碑学派の書」の受容なども紹介します。
朝倉彫塑館でも、一部に日中の文化交流を彩る清時代の書画を展示します。

従来の書の流れを大きく変えることとなった、清時代の碑学派。学問に裏付けられて生まれた、碑学派の書の魅力をたっぷりとお楽しみください。

《主要展示作品》
・瘞鶴銘
   中国 梁時代・天監13年(514) 台東区立書道博物館蔵
・篆書白氏草堂記六屏
   鄧石如筆 中国 清時代・嘉慶9年(1804) 個人蔵
・行書七言律詩軸
   阮元筆 中国 清時代・18-19世紀  京都国立博物館蔵
・楷書嬌舞倚床図便面賦軸
   包世臣筆 中国 清時代・18-19世紀 東京国立博物館蔵
・篆書八言聯
   呉熙載筆 中国 清時代・19世紀 個人蔵(2013/11/6から展示)
・楷書斉民要術八屏
   趙之謙筆 中国 清時代・同治8年(1869)頃 個人蔵

────── 清朝末期の参考資料
◎ 光緒帝
中国清王朝末期第11代の皇帝・徳宗期の年号を光緒といい、徳宗のことを光緒帝ともいう。1875-1908。
◎ 変法自強――法と制度を変えて自ら強くするの意――と光緒帝
中国清朝末期に康有為、梁啓超らがわが国の明治維新にならって、憲法制定、国会開設、教育・学校制度の変革などを唱えた政策が変法自強[変法自彊ともする]。
1898(明治31)年、徳宗・光緒帝がこれを採用して、立憲君主制にもとづく国体変革「戊戌変法 ボジュツ-ヘンポウ」をおこなおうとしたが、西太后(1835-1908)らの守旧派勢力から武力弾圧をうけて失敗。康有為、梁啓超らは日本に亡命した。これを「戊戌政変」という。光緒帝はその後幽閉され、西太后の逝去とともに薨去した。
◎ 康有為 Kang Youwei
中国清朝末期の政治学者。号は長素、江東南海のひと。清朝末期日本にならった「変法自強」を唱えて「戊戌新政」を推進したが、政争にやぶれてわが国に亡命した。
亡命後も「清朝保皇」を唱え、立憲君主制による清朝擁護の論陣を展開し、孫文らの革命運動と対立した。1858-1927。

【ブックコスミイク】『平野富二伝』(古谷昌二編著)刊行を控えて、朗文堂関連既刊書を紹介いたします。

この既刊書紹介ページは、近刊 『平野富二伝』(古谷昌二編著/2013年11月刊行予定) の刊行に先駆けて、朗文堂ブックコスミイク刊行書のうち、近刊『平野富二伝』と関連性がつよく、残部僅少の書籍3点を、あらためてご紹介するものです。
   Ⅰ 朗文堂愛着版 『本木昌造伝』(島屋政一著)
   Ⅱ 『VIVA!! カッパン ♥』(朗文堂アダナ・プレス倶楽部 大石 薫 編著)
   Ⅲ 『富二奔る ── 近代日本を創ったひと・平野富二 Vignette 08 』(片塩二朗著)
既刊書のため、現在では書店での店頭展示販売はほとんどございませんが、書店注文方式、オンライン書店経由、あるいは小社より直送でお求めいただけます。この機会にご愛読たまわれば幸せに存じます。
本木昌造伝

朗文堂愛着版 本木昌造伝

島屋政一著
朗文堂刊
上製本 A5判 480ページ
発 行:2001年08月20日
定 価:16,000円[税別]
     ISBN4-947613-54-8 C1070

口絵カラー写真20点、本文モノクロ写真172点、図版196点
特上製本 スリップケース入れ 輸送函つき
背革に羊皮の特染めバックスキン
ヒラは英国コッカレル社の手工芸マーブル紙

本書をご希望の方は直接朗文堂ヘお申し込みください。
本書は直販のみで通常書店では取り扱っておりません。
梱包送料・振り込み料金ともに、本書に限り小社負担にて直送いたします。
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【目 次】
・本木昌造の誕生から通詞時代
・長崎製鉄所時代の本木昌造
・近代活字創製の苦心
・ガンブルの来日と活版伝習所の創設
・新街私塾と長崎活版製造会社
・長崎から東京へ/活版印刷術の普及
・本木昌造の終焉と本木家のその後
・凸版印刷と平版印刷、ライバルの登場
・印刷界の二大明星
・本木昌造をめぐるひとびと
・野村宗十郎とアメリカン・ポイント制活字
・印刷術の普遍化とわが国文化の向上
・印刷界の現状
 新街私塾の印本書の元原稿は、昭和24年(1949)10月に島屋政一氏によって脱稿されたものの、太平洋戦争の直後の混乱のなかで刊行をみることはなく、ほぼ半世紀にわたり、名古屋の活字製造業者・旧津田三省堂の篋底キョウテイふかく秘められてきました。

朗文堂愛着版『本木昌造伝』は、再発見された島屋政一氏による原稿をもととして、図版などに大幅な編集をくわえるとともに、ふたたびこの書物が篋底に秘められることがないように、朗文堂愛着版と銘うって上製本仕立てで刊行したものです。

本木昌造の裏紋とされるBmotoSozo[1]

【 例 言 】――島 屋  政 一
わが国の印刷事業はとおく奈良平安朝のむかしに寺院において創始され、久しきにわたって僧侶の手中にあった。江戸期にはいって勅版がでて、官版および藩版がおこり、ついで庶民のあいだにも印刷事業をはじめるものがあらわれた。

寛文(1661-72)以後、木版印刷術おおいに発達して、正徳、享保時代(1711-35)から木版印刷術は全国に普及をみたが、それは欧米諸国の近代活字版印刷術にくらべてきわめて稚拙なものだった。

幕末の開国とともに洋学が勃興して、印刷術の改善にせまられた。そのときにあたり、近代活字鋳造と近代印刷術の基礎をひらき、善く国民にその恩恵をひろめたものが本木昌造翁だった。

筆者はすでに『印刷文明史』を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所・青山容三[本名:青山督太郎]氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格[活字ボディサイズ]のことのあらたな教授もえた。

さらに筆者はすぐる太平洋戦争において、おおくの蔵書を戦禍にうしなった。また青山進行堂活版製造所、森川龍文堂の両社は、その活字の父型や母型のおおくをうしなっている。

このときにあたり、ふたたび日本の近代文明に先駆して、開化の指導者としておおきな役割を演じた本木昌造の功績を顕彰して、それに学ぶところは大なるものがあると信ずるにいたった。

本木昌造は、ひとり近代印刷術の始祖にとどまらず、むしろ研究者であり、教育者でもあった。本木昌造の設立にかかる諸施設とは、むしろ「まなびの門」でもあったのである。
そうした本木昌造のあらたな側面を中枢にすえて本書をしるした。
昭和24年10月20日
                                                   著 者 識

長崎港新町活版所印

長崎活版製造会社之印

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『VIVA!! カッパン ♥』

編 著:朗文堂アダナ・プレス倶楽部 大石 薫
装 本:B5判 136ページ オールカラー ジャケット付
発 行:2010年05月21日
定 価:本体価格2,800円[税別]
     ISBN978-4-947613-82-0

活版印刷の楽しくてカワイイ入門書誕生!!
{懐かしいのに新しい}
魅惑の印刷、活版印刷。
見て美しい!知って楽しい!
自分でやるともっと楽しい!!!
カッパン♥ を愛する アナタの必携書です。
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突起部にインキをつけて印刷する凸版印刷は、凹版印刷・平版印刷・孔版印刷とならぶ印刷四大版式のひとつです。そのプリミティブな仕組みは、印刷の原理を理解するのにもっとも適し、五感を駆使する作業工程は、ものづくりに対する純粋なよろこびをもたらします。その凸版人札のなかでも、文字活字を主要な印刷版とするのが活字版印刷術、略称:活版印刷、愛称:カッパンです。

本書は、たんなるふるき良きものにたいする懐古趣味や、「作品紹介中心」の視点からではなく、活版印刷にはじめて触れる、スモール・プリンターや活版造形者に向けて、まばゆいばかりに新しく、コンパクトで愛らしい活版印刷機 Adana-21J を、21世紀の日本で誕生させたアダナプレス倶楽部が、活版♥の魅力と可能性をトコトン追求した入門書です。

【VIVA!! カッパン 目次】
懐かしいのに、あたらしい、
魅力の活字版印刷術 ――― 活版
活字のおはなし
文選箱ギャラリー
文 選
組 版(植字)
組みつけ
印 刷
活字鋳造
Adana-21Jの使い方
muccu が行く!
   活字鋳造所探訪(築地活字編)
   活字版書籍印刷所探訪(長瀬欄罫製作所編+豊文社印刷所編)
あとがきにかえて
   こんな時代だから…………
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アダナ・プレス倶楽部とは
朗文堂/アダナ・プレス倶楽部と、活版印刷をたいせつにされる造形者の皆さまとのゆるやかな連帯の倶楽部です。面倒な規則や決まりはありませんが、21世紀日本においてあらたに誕生した活版印刷機 Adana-21J を中核にして、活字・組版・印刷・周辺機器や情報の交換・販売と、交流会・展示会をおこなっています。

富二、奔る

 『富二奔る ── 近代日本を創ったひと・平野富二』
 Vignette 08  平野富二没後百十年記念出版

著  者:片塩二朗
装  本:B5判 174頁 モノクロ 並製本
発行日:2002年12月03日
定  価:本体3,000円[税別]
      ISBN4-947613-66-1 C1070

なにもかもが草叢のなかからわきあがった明治の初期、小指のさきほどもないちいさな活字と、巨大な艦船を、ふたつともにつくった面白い人物 ── 平野富二がいました。その足跡は、金属活字製造、活字版印刷、機械製造、造船、航海、海運、土木と、その貢献は多方面で、めざましいものがありました。そんな平野富二の実像に鋭くせまりました。本格人物評伝『平野富二伝』(古谷昌二編著)と照合しながらご一読ください。

【富二 奔る  目次より】
・序の章  ちいさな活字、おおきな船
・一の章  平野ホールの歴史と所蔵品
・二の章  新資料紹介
・三の章  長崎に埋もれていた平野富二碑
・四の章  平野富二と、いっときの敗者たち
・終の章  平野富二の体臭のごとき活字

【アダナプレス倶楽部】第15回 活版ルネサンスフェア 終了しました!


とき * 2013年09月27日[金]28日[土] 13:30―19:00
ところ * 朗文堂4F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9 中江ビル4F
Telephone : 03-3352-5070
[来場ご案内マップ]

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抜けるような青空と、吹きわたる涼風のもと、2013年09月27日[金]28日[土]の両日にわたって開催されました《第15回 活版ルネサンスフェア》が終了いたしました。
ご来場たまわりました多くの皆さま、ありがとうございました。

両日とも、開場直後からお客さまの足が途切れることなくつづき、うれしい悲鳴の両日でした。
撮影担当者が接客に追われ、調子が悪い写真でのご紹介となりましたがご容赦を。
アダナプレス倶楽部では、ことしは恒例の5月の都内でのイベント《活版凸凹フェスタ》を一旦中止し、あたらしい舞台としての《Viva la 活版 ―― すばらしき活版》が、まず北海道美唄市でスタートしました。

そのために昨年秋のほぼ同時期の《第14回 活版ルネサンスフェア》以来、一年ぶりにお会いするアダナプレス倶楽部会員と、お客さまもたくさんご来場され、
「お元気でしたか? ことしの夏は暑かったけど、活版印刷はつづけていますか?」
と、あちこちで歓談の輪ができていました。

《2020年東京オリンピック開催も決定しました! 
      あたらしい時代の、あたらしい活版造形をめざす旅がはじまりました》
2020年、夏季オリンピックの開催都市に東京が決定しました。久しぶりの明るいニュースでした。
皆さまの力つよいご支援をいただきながら、アダナプレス倶楽部は意欲をあらたに、あたらしい活版造形者の増加をめざす地道な活動をつづけてまいります。
次回の《活版ルネサンスフェア》は、2014年春の開催を予定しております。
ご支援、ご協力ありがとうございました。

【アダナプレス倶楽部】活版カレッジ秋季講座スタート!

活版カレッジ

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部の直接指導により
本格的な活字版印刷術の
知・技・美の三領域をバランス良く学べます。

活版カレッジでは、科学と学術的根拠にもとづいた実践を基盤としながら、活版印刷機 Adana-21J によるケーススタディ・メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
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「活字版印刷術 Typographic Printing」は、印刷による視覚伝達技術のなかでも、文字情報の主要な複製・伝達の手段として、ひろく「活版印刷・活版・カッパン」などと呼ばれて親しまれてきました。

そして今、印刷複製技術の原点として560年余におよぶ長い歴史を有し、メディアの変遷とともにさまざまな浮沈を経た「活版」が、ふたたび熱く注目され、関心をあつめています。
活版カレッジは、あたらしい活版ユーザーに向けた活字版印刷機 Adana-21J の製造・発売をおこなっているアダナ・プレス倶楽部が開講する活版講座です。
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  • 活版カレッジ2013年秋季講座 木曜日コース(夜間部)19:00 ─ 22:00 
    【講座教室】 東京都新宿区新宿 2-4-9 中江ビル
                          4FB 朗文堂内(通学制)
    【講   師】 朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

◎ 3 ヶ月 木曜日 全9回(毎月3回) 19:00-22:00
   ※ 各コース定員4名(お申込先着順)
   ※ 毎月第1-3週木曜日の開講。
      第4-5週は基本的にお休みです。
   ※ GW・夏期休暇などに際して若干の変動があります。
◎ 徹底した少人数講座のため、お申込先着順とさせていただきます。
◎ 受講希望者多数の場合には、次期講座への予約をお勧めする場合がございますのでご了承ください。
◎ 次期の開催日時と募集の開始は、 アダナ・プレス倶楽部ニュース にて随時お知らせいたします。
◎ 《活版カレッジ》受講をご希望の方は、お気軽に、できるだけ事前に、アダナ・プレス倶楽部の@メールまで受講希望の意向をご連絡ください。一般公募に先だって、あらためてご案内をさしあげます。
◎ 次回は昼間部も開講の予定です。積極的なご参加をお待ちしております。 

【ブックコスミイク】普及版 欧文書体百花事典 好評販売中!

普及版 欧文書体百花事典普及版 欧文書体百花事典 表紙

現代タイポグラフィにもっとも重要な役割をはたす欧文書体を
26章・300書体にわたって一挙紹介!

工芸大学・藝術大学・美術大学
工芸・藝術・美術専門学校の教科書に、副読本に
情報関連教育機関、情報産業のオフィスに
そして、アルファベット活字をつかうすべてのかたのために
絶好かつ必備の、わが国における
「欧文活字書体」研究資料の定番書が、
第4刷り以降から、オンデマンド印刷方式での
切れめのない、安定供給態勢となりました!



普及版 欧文書体百花事典 フライヤー PDF

ご好評をいただいてまいりました
『欧文書体百花事典』を
『普及版 欧文書体百花事典』として
装本と価格を変更して新発売!

・書 名    『普及版 欧文書体百花事典』
・編 集   組版工学研究会
・装 本  A4判 並製本 572ページ 図版多数
・発 売  2013年5月23日
・定 価  本体8,800円 + 税
       ISBN978-4-947613-87-5 C1070

【おもな内容──目次より】
◎ Trajan Roman
    時空を超えたローマ大文字 ── 活字に影響を与えたイタリアの碑文書体
◎  Black Letter
    ブラック・レター、ことばの林、文字の森 ── はじめての活字書体
◎  Jenson Roman
    揺りかごのなかの活字 ── ローマン体の成立
◎  Aldine Roman
        イタリア・ルネサンスの活字 ──オールド・ローマン体の成立
◎  Italics
    書字から印刷用活字へ ── イタリック体の成立
◎  Garamond Types
    大陸を横断したフランス活字 ── ギャラモン活字の行方
◎  Printers Flower
    活字箱のなかの可憐な装飾 ── プリンターズ・オーナメントとヴィネット
◎  Dutch Roman
    オランダ活字の潮流 ── 17世紀と20世紀のダッチ・ローマン体
◎  Caslon Roman
    イギリス活字の強固な地盤形成 ── オールド・ローマン体の最後の華
◎  Script Types
    手書きから銅版へ、銅版から活字へ ── スクリプト体の変遷
◎  Baskerville Types
    モダン・ローマン体へのかけ橋 ── トランジショナル・ローマン体の成立
◎  Fournier
    華麗なるロココの活字組版を支えた合理精神 ── ピエール・シモン・フールニエ
◎  Bodoni Roman
    モダン・ローマン体の開花 ── タイポグラフィの王者と呼ばれたひと
◎  English Modern Roman
    大量生産時代の活字と印刷産業 ── モダン・ローマン体の拡散
◎  America Type Foundery
    栄光を背負ったアメリカの活字 ── ベントン父子の挑戦を追って
◎  Fredric Goudy
    多作な活字制作者の活字 ── ガウディ活字のその後
◎  Eric Gill
    石彫り職人エリック・ギルの活字 ── 近代産業と手工業のせめぎあいのなかで
◎  Futura
    近代を夢みたドイツの活字 ──セリフレス・ローマン、フツーラ
◎  Times New Roman
    20世紀のタイポグラフィを開いたひと ──スタンリー・モリスン
◎  Optima Antiqua
    ローマン体のあらたなカテゴリー ── セリフレス・ローマン体の誕生
◎  Sans Serif
    誘目性からから出発し、可読性をめざして── サン・セリフ体の潮流
◎  Univers
    宇宙に子午線をみたひと ── アドリアン・フルティガー
◎  Sabon Antiqua
    サボン ── もっともモダンなオールド・フェイス・ローマン体
◎  Berthold Fototypes
    写植活字の盛衰とその継承 ── タイプディレクター、ギュンター・ランゲ
◎  Rotis
    市民社会の融和をめざした活字書体 ── ローティスのこれから
◎  Emigre
    コンピュータ・アヴァンギャルドからの転身 ── エミグレ、伝統への回帰
──────
※   『普及版 欧文書体百花事典』フライヤーができております。
  教育機関などで御入用の節は、必要部数を明記して
  朗文堂ブックコスミイクまでご用命ください。 
※ 詳細は 朗文堂 book cosmique 新刊ページ をご覧ください。

新宿私塾第23期 スタートしました!

私塾23期終了
新宿私塾23期生新宿私塾第23期生の皆さん(2013年09月17日)

《新宿私塾第23期、澄みきった青空のもとでスタートしました》
暑い夏でした。07月前半から猛暑が襲い、すこし涼風をみたとおもったのに、立秋から残暑をこえた、熱波がまた繰りかえし襲来しました。

とどめは09月の中旬に襲来した颱風18号でした。
09月13日-16日にかけて、颱風18号は日本列島をまっぷたつに断ち割るようにして駈けぬけました。各地で豪雨、洪水、山崩れなどの情報も飛びかいました。
皆さまご健勝でいらっしゃいましょうか。お見舞いもうしあげます。
────────
颱風一過、抜けるように碧い空のもと、新宿私塾第23期がスタートしました。
ウェブデザイナーの男性が多かった22期にくらべ、23期はどちらかというと企画立案やグラフィックデザインを職とするかたが多く、男女比も5人と5人でバランスがとれました。
新宿私塾第23期生は、これまでの塾生諸君とおなじように、とても意欲的で、向上心と個性のつよい若者がたくさんあつまりました。

まだ昨週の09月10日に修了したばかりの、きわめて活発かつ賑やかだった22期生のむくもりが、あちこちにのこっているような教場でした。
それでも早速、新宿私塾第23期、第1回目の講座では、カリキュラムの説明につづいて、塾生の皆さんの自己紹介があって、ここに集まった塾生同士が、出身地や年齢も経歴も、職場・学校環境などがさまざまなことに、塾生諸君はあらためて驚いたようです。これが新宿私塾の魅力のひとつでもあります。

すなわちここには、現役の藝術大学・美術大学の学生もいます。もちろんすでに造形者としての職業人も、異分野で活躍する職業人もいます。
それでも造形者、タイポグラファとして、いっそうの向上をめざすという一点において、こころざしをおなじくする仲間であることを確認します。
ですから短い開塾セレモニーのあいだに、次第に緊張がゆるみ、笑い声ももれるようになりました。
────────
みじかい開塾式のあとは、いきなり、たくさんの資料が机上にならび、パソコン映像を併用しながら「タイポグラフィをまなぶこととは」の講義がはじまりました。
「文と字:形而上の文と、形而下の字」「コミュニティとコミュニケーション」……。
一見むずかしそうなテーマも、実例と資料をもとに諄諄ととかれていきました。

新宿私塾では、タイポグラフィにおける「知・技・美」のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。それはまた「知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず」という、つよい自戒をともないます。

 新宿私塾第23期は、爽秋の2013年09月17日にスタートし、早春の2014年03月11日に修了します。
この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名をこえた「新宿私塾修了生」の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

《恒例 新宿私塾第23期カリキュラムの表紙デザインの紹介》
私塾23期カリキュラム表紙uu新宿私塾第23期カリキュラム 表紙  (Design : 講師 杉下城司さん) 

新宿私塾第23期カリキュラムの表紙はデジタルタイプの「Amor」によります。
新宿私塾では受講期間のあいだに、和文活字でも欧文活字でも、どちらでもかまわないのですが、できるだけ「My Favorite Type ── わたしのお気に入りの活字書体」を獲得することが勧められます。

もちろん、世上の評価がたかい活字書体でも、まったく無名の活字書体でも、「はやり書体」でも一向にかまいません。むしろどんな活字書体にも、避けがたく付着している「長所と短所」をみつけだして、「長所をいかし、短所を制御する能力」がとわれます。

──────── 杉下城司さんのコメント
書体は「 Amor 」Sans & Serif,読みは「アモー」でしょうか。
碑文系書体のセリフとサンセリフ。
チェコ共和国、プラハに本拠をおく Storm Type Foundry  のデジタルタイプです。
碑文大文字の解釈をもととして、小文字、イタリック、サンセリフなどへの展開、カーブの付け方などが興味深いですね。

ストーム社では、バスカヴィル、ジャノン、ワルバウムなどの復刻、およびそれらのサンセリフを出していたりと、意欲的で面白いタイプファウンドリーです。

タイポグラフィ学会誌06 刊行披露講演会を開催

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タイポグラフィ学会は、2013年09月08日(日曜日)に『タイポグラフィ学会誌06』刊行披露講演会を、学校法人専門学校東洋美術学校にて開催しました。
今回の刊行披露講演会では、先般発行された『タイポグラフィ学会誌06』に収録された論文と研究ノートより、ふたつの講演がおこなわれました。
上)内田明氏、下)板倉雅宣氏
上) 内田 明会員
論文「活字史研究書としての徳永直『光をかかぐる人々』に見られる達成」
下) 板倉雅宜会員
研究ノート「教育書肆 集英堂 山中八郎・橋本源七について 栃木県特有の活字を尋ねて」

タイポグラフィ学会はタイポグラフィ Typography という技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践に生かし、有効で豊かな展開を通して社会に貢献することを目的に設立いたしました。
その活動の成果を学会の枠を超えて、ひろく一般のみなさまに発表することで、より良いタイポグラフィを実現する契機となるよう、多くの方々の講演会へのご参加を心よりお待ちしております。
タイポグラフィ学会会長 山本太郎
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『タイポグラフィ学会誌06』 刊行披露講演会
【日 時】 2013年9月8日[日曜日]
【会 場】 学校法人専門学校 東洋美術学校  D棟1階 学生ホール
       161-0067 東京都新宿区富久町 2-6
【講演者】 内田明氏、板倉雅宣氏

【タイポグラフィ学会誌の購入申込み先:朗文堂 ブックコスミイク

活版ルネサンスフェア開催!

終了いたしました!

たくさんのご来場、ありがとうございました。


とき * 2013年09月27日[金]28日[土] 13:30―19:00
ところ * 朗文堂4F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9 中江ビル4F
Telephone : 03-3352-5070
[来場ご案内マップ]

暑かった夏もようやく終わり、創作の秋がはじまりました。
皆さまお元気にてご活躍のことと存じます。
《活版ルネサンスフェア》は、通常春と秋の2回にわたって開催される
アダナ・プレス倶楽部会員、活版造形者、活版ファンの皆さまを対象とした
新品・中古品のカッパン関連機材・資材の展示即売会です。
手狭な会場ながら、貴重アイテム、マニアックな商品が溢れています!
秋の創作シーズンに、このチャンスをぜひともお役立てください。
[東京都公安委員会許可 第304380708865号] 

アダナ・プレス倶楽部が製造・販売している新品のカッパン印刷関連機器、独自企画開発商品はもとより、カッパン印刷所で長年の使用に耐えてきた優秀な中古品もドッサリ用意いたしました。これらは現在では生産中止となったカッパン関連機器や、個人では入手しにくい活版専用インキなどの器材・資材を含みます。

カッパン印刷のサポーターとして、アダナ・プレス倶楽部ならではの、懇切丁寧な使用方法の解説もいたしますので、狭い会場ながら魅力溢れる展示販売会となります。秋の創作シーズン、展覧会シーズンの到来に合わせて、創作に活用できそうな機材の補充、実制作での疑問解決・技術の向上に、どうぞこの「活版ルネサンス フェア」をご利用ください。


昨年秋の《第13回 活版ルネサンスフェア》会場の模様

《今回の主なご紹介アイテム  順不同》
小型活版印刷機 Adana-21J/新開発 圧盤用ラバー・クッション胴張りセット/活版専用ピンセット新旧/ジャッキとジャッキハンドル新旧/KMT全自動活字組版機(日本語モノタイプ)活字母型庫8pt, 9pt, 10pt明朝体/罫線各種/くじら尺/特製組みつけ台/金属インテル各種/活版用強力磁石/特製組版ステッキ、中古組版ステッキ/ファニチュア各種/工具類(ブレース鋏・鳥居鋏・罫切り鋏)/罫切り器/各サイズ込め物セット/活字倍数尺/特製ムラ取りハンマー&ならし木セット/ブロッキング防止パウダー/特白ウェス/無臭洗い油/インキ・ハンド・ローラー/インキべら/インキ・パッド/ゴム・ローラー・メンテナンス剤/オイルベース活版用インキ各色(1キロ缶、特製200グラム缶)/活版用墨青口インキ/ラバー・ベース・レタープレス用インキ/版画用メタルベース(19.68ミリ、19.70ミリ)/樹脂版用メタルベース(21.89ミリ、23.39ミリ)/特製五号サイズメタルベース箱入りセット/特製カタ仮名活字アラタ1209/輸入欧文活字スキームセット/輸入オーナメント活字各種/凸版用スプレーボンド/特製文選箱/中古文選箱新旧各種/文選箱ストッパー/セッテン/特製文選箱立て/特製ミニ組みゲラ/中古組みゲラ/特製ミニ置きゲラ/中古置きゲラ/特製ミニスダレケース棚/活字サイズ照合キット

────  その他掘り出しもの、在庫限りの貴重アイテムがどっさり。皆さま、友人・知人と誘いあわせてのご来場をお待ちしております。