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【特別委託販売】 タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 09』 販売開始

Gakkaishi09_Kari『 タイポグラフィ学会誌  09 』が刊行されました。

タイポグラフィ学会は、タイポグラフィという技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践を通して社会に貢献することを目的に、2005年8月に設立されました。 『タイポグラフィ学会誌』は2007年に創刊、今回が09号となります。

『 タイポグラフィ学会誌  09 』の主要内容
  • 論文:近代初期「平仮名活字」の書き手について― 池原香穉とその周辺
    タイポグラフィ学会会員 春田ゆかり
  • タイポグラフィ学会 設立10周年を経て
    タイポグラフィ学会会長 山本太郎
  • タイポグラフィ学会設立10周年記念催事「長崎研修」の報告
    Viva la 活版 ばってん 長崎『崎陽探訪・活版さるく』

今回は、当学会の10周年の催事(2016年5月に開催「長崎研修」)に関する記事なども特別掲載しております。
これらの研究成果が、日本国内にのみならず、各国の研究者によって広く参照されタイポグラフィ研究の発展に寄与することを希望するとともに、『タイポグラフィ学会誌』が今後さらに、タイポグラフィの研究における特色ある媒体として成長していければと考えております。
タイポグラフィ学会
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◎ 『タイポグラフィ学会誌 09』
特別委託販売 朗文堂ブックコスミイク
・ 非会員向け頒布価格 : 1部 3,000円(送料・税別)
・ 学生向け頒布価格 : 1部 2,000円(送料・税別)
*学生証明書の提示が必要です。

株式会社 朗 文 堂
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9

E-mail : 朗文堂 ブック・コスミイク robundo@ops.dti.ne.jp » send email
Telephone : 03-3352-5070    Facsimile : 03-3352-5160

【論文発表会】 タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 08号 09号』 論文発表会を開催

2016_論文発表会チラシ_1101(大)[1] 02_03888-2DSC04014-2タイポグラフィ学会は、2016年11月23日[水・祝日]、学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟学生ホール(東京都新宿区富久町2-6)において、『タイポグラフィ学会誌08号・09号』論文発表会を開催しました。

  • 挨拶 タイポグラフィ学会 設立10周年を経て――山本太郎会長
  • 論文発表 学会誌08号から――真田幸治会員
    『「雪岱文字」の誕生-春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ』
  • 論文発表 学会誌09号から――春田ゆかり会員
    『近代初期「平仮名活字」の書き手について-池原香穉とその周辺』
    と題した各論文で取りあげられた、資料展示をおこないながらの論文発表会となりました。

【 詳細 : タイポグラフィ学会
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【定番書紹介】 朗文堂ブックコスミイク 『洋書の話 第二版』 髙野 彰著

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書 名 : 洋書の話  第二版
著 者 : 髙 野   彰
装 本 : A5判 ソフトカバー 263ページ
発 売 : 2014年11月13日
定 価 : 本体3,700円 + 税   ISBN978-4-947613-91-2
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[著者あとがきより]
バウアーズが Principles of bibliographical description を出したのは1949年のことである。年代的には古いが、記述書誌学を扱った著作で、バウアーズを越える著作は現在も出ていない。この著作は現在も記述書誌学の重要な基本書であることにかわりはない。

その後、1969年にはパドウィック(E. W. Padwick)がBibliographical method を出した。1970年にはピアス(M. J. Pearce)が A workbook of ana-lytical & descriptive bibliography を出している。そしてギャスケルは1972年に A new introduction to bibliographyを出した。しかしいずれもバウアーズの解説書に近い。ピアスなどはバウアーズ本を章ごとに取り上げて解説しているほどである。バウアーズ本が難解なため、解説書や入門書が必要なのである。

『洋書の話』の初版が出たのは1991年のことである。1995年には増補版を出したが、その後、絶版となってしまった。そしてこの度、第二版を出す機会を得た。初版そして増補版で扱っている時代は16–18世紀が中心であったが、今回もその範囲を越えていない。
『洋書の話』も記述書誌学の概説書であるが、洋書がどんな姿をしているか、その姿はどのようにして作られたのかを示そうとしている。その意味では、本書は、書名に示したように、洋書に関する本と見ていただいても良い。

そのためにも、これまで以上に図を多く取り入れ、目で見てわかるようにつとめた。これまで何気なく見てきたことにも意味があることを知り、それらがどんな目的で用いられ、どんな姿で本に現れているかを理解できるはずである。
  記述書誌学は完成した学問ではない。現在も模索し、発展を続けている学問である。未解決の問題も多い。しかしこの知識を通して得られる情報は計り知れない。記述書誌学を目指す人や洋書に興味を抱いている人にとってお役に立てば幸いである。   

 [主な内容 (目次より)]

1 章     4°:A‒P4 とは何か
2 章     本の隠れた特徴
3 章     折丁式の作り方
            3‒1 折記号を使った折丁式
            3‒2 紙葉の挿入と削除
            3‒3 参照表示
4 章     扉の転写
            4‒1 転写とは
            4‒2 扉の囲み飾り
            4‒3 扉の文字の転写
            4‒4 扉の記号類の転写
5 章     扉以外の部分の転写
6 章     記述の単位
            6‒1 版と刷
            6‒2 異 刷
            6‒3 発行と再発行
            6‒4 別発行
            6‒5 理想本
7 章     記述書誌学とは
8 章     記述書誌と目録の違い
9 章     準ファクシミリ転写法小史 
参考図書/用語集/あとがき/索引
 
髙野 彰resized[著者紹介]

髙 野   彰(たかの あきら)
1941年生まれ
1964年 東京大学総合図書館 勤務
2001年 跡見学園女子大学文学部教授
2012年 跡見学園女子大学文学部特任教授
2013年 退官
 博士(日本文化)
主要著書 :

 『洋書の話』増補版(丸善、1995年)
 『帝国大学図書館成立の研究』(ゆまに書房、2004年) 『英語本の扉』(朗文堂、2012年) 

【 詳細情報 : 既刊書のご案内 『洋書の話』

【図書紹介】 ヘルムート・シュミット タイポグラフィック・リフレクション 12 『nippon no nippon』

 

schmid_001+5 schmid_002+5 schmid_003+5タイポグラフィック ・ リフレクション 12
nippon no nippon
ヘルムート ・ シュミット 大 阪
和訳 : 山田清美

   歌麿の官能的な線によって好奇心が芽生え、エミール・ルーダーによって大いに鼓舞された私が、日本の地を踏んだのは、素朴で未熟な 24 歳のときであった。 (不可能を可能にしてくれたのは、東京のアイデア誌のアートディレクター 兼 編集長の大智浩と、ヤラカス館の社長でニッポン ・ インターナショナル ・ エイジェンシーの創立者 ・ 中許忠夫である)。
大阪に到着して間もなく、スイスの TM 誌の編集長であるルドルフ ・ ホシュテトラ一から、植字工の視点で日本的なものについて記事を書いてみないかとの依頼があった。 自分に書けるのだろうか、という疑念を押しやって書いた最初の 『ニッポンのニッポン』 のテーマが「畳」である。 1968年1 月発行の TM 誌に掲載された。

   『ニッポンのニッポン』 で伝えようとしたのは、私なりの理解による日本である。 かつて存在した日本、そして今も存在している日本、さらにこれから発見されるべき日本。 私の寄稿記事にフルページが割かれていた。  レイアウトは雑誌の規格に合わせてある。 私の記事は定期的に掲載されたが、次第に不規則になっていった。  最後の 「手水鉢」 が掲載されたのは1979年3 月号の TM 誌であった。 それから間もなくルドルフ ・ ホシュテトラーが亡くなり、シリーズも終わった。

   このシリーズを一冊の本にすることは、私にとって長い間の夢だった。 ウプサラのオケ ・ ニルソン ― 彼は1950年代のバーゼル ・ スクールの生徒であった ― の励ましもあり、ドイツ語のテキストを基にレイアウトに着手したのは1994年ごろであった。 何故途中で止めてしまったのかは思い出せないが、レイアウトが硬いスイス風であったことを覚えている。
何年かが過ぎ去り、ニコールがバーゼル ・ スクールを終え、バーゼルのデザイン ・ スタジオの仕事を止めて日本に戻ると、彼女は TM 誌のテキストのタイプセットに取り組み始め、現存する写真のスキャンを始めた。英語のテキストも必要と考え、イギリス在住のロイ ・ コールに依頼したところ、彼はライプツィヒ在住の翻訳家でピアニストのグラハム ・ ウェルシュを紹介してくれた。

    二か国語のテキストを基にしたレイアウトがおおむね出来あがった。 ドイツ語のテキストの文字は英語のテキストよりわずかに大きく、コラムの幅も英文に比べると独文がわずかに広い。 このレイアウトを持って、友人である東京の朗文堂社長の片塩二朗に会いに行った。 日本語のテキストがないと本は売れないと彼は言う。 そこで大阪のデザイン事務所の初代通訳であった山田清美に翻訳を依頼、スミ ・ シュミットが眼を通し確認作業を担当した。

    本書では、日本語のテキストをドイツ語と英語の横に並べるのではなく、アルファベット世界と表意文字世界とに分けて、本の後半にまとめた。 本書は2012年に出版され、翌年ロンドンの国際タイポグラフィック・デザイナー協会(ISTD)から最優秀賞を授与された

    出版から三年後、財団法人 DNP 文化振興財団から、京都 ddd ギャラリーで 「ニッポンのニッポン展」 を開かないかという思いがけない招待を受けた。 ポスター、チラシ、招待状、封筒、案内状、20 ページの来場者用冊子デザインも任された。

    書物から展覧会場へ伝達の場が移る。私はテキストと画像を主役にしたいと考えた。
黒い天井と白い床の間に吊るされた 90 センチ幅の半透明のバナーに黒色でプリントされた画像と和 ・ 英テキスト。 訪れる人はランダムに吊るされたバナーの間を回遊しながら観、感じ、発見し、「 88 の音符をランダムに並べた 7 つのバリエーション」 の響きに耳を傾ける。 日本的なるものの寡黙な美を味わうことができる。

    ニコ一ル ・ シュミットと、長谷川哲也によって具現化された 「ニッポンのニッポン」 の展覧会場は、私には夢のようだった。 その夢を形にして残すために、「タイポグラフィック リフレクション」1 2号を出版することにした。 「アイデア」 誌編集長室賀清徳のエッセイを添えて。

【 詳細 ・ 問い合わせ先 : helmut schid design
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{ 新宿餘談 }
おもえらく、ときに交わり、ときに併走し、あるときは逆走しながらも、ながい旅路をヘルムート ・ シュミット氏とはともにしたという感がある。
かたくなまでに変わることの無いひとだったというおもいと、柔軟に時代と整合性をたもって活きてきているひとだともいえる。 DSCF5640[1]シュミットファミリーの皆さんと[1]そのひとつの中間点であり通過点が、図書 『 japan japanese 』 (朗文堂 2012)であった。
透徹な視点と、熟慮されたテキスト、配慮を凝らしたタイポグラフィ・ コンポジションによる図書『 japan japanese 』が誕生した。
それは愛娘ニコール ・ シュミットと、夫君 : 長谷川哲也氏によって 「京都 ddd ギャラリー」 での空間展示に <nippon no nippon> と題されて、三次空間へのあらたな具現化をみた。 201203japanjapanese[1]cid_787B8BD3-8FF0-43FB-B4B4-BDDAFB5680FC1[1]ここまでの 「まとめ」 として、ヘルムート ・ シュミット自主企画出版 <タイポグラフィック ・ リフレクション 12 nippon no nippon> が完成した。
また小社のWEBサイトを繰ってみると、{ 朗文堂ニュース }、{ 文字壹凜 } だけでも相当量の記録がのこっている。
1980年代初頭からシュミット氏との共同製作作業を再再展開してきた。 そろそろまた次の、あらたな企画で、造形界の沈滞を打破したいおもいがつのっている。
編集者としてはヘルムート ・ シュミットと、その若きファミリーとともに意欲的な挑戦をしてみたいとおもうこのごろである。  [ 片塩二朗  wrote ]

 

【朗文堂ブックコスミイク】 鈴木 篤著 『わたくしは日本国憲法です。』 11月03日[木・文化の日祝日]は日本国憲法公布から70年の記念日でもありました

プリント

顔写真鈴木篤氏 『 わたくしは日本国憲法です。』 著者 : 鈴木 篤氏

【 朗文堂 ブックコスミイク : 『わたくしは日本国憲法です。』 フライヤーPDF
【 関連ブログ : 弁護士 鈴木 篤 の つれづれ語り
【 文字壹凜 : 【祝日】 五月三日は日本の憲法記念日2016年05月01日
青年劇場広告──────────
《 出版人として、タイポグラファとして、そして、なによりもひとりの国民として 》

小社刊 『わたくしは日本国憲法です。』 の著者 : 鈴木 篤氏は、なによりも日本国憲法の前文をおもくみている。当然そこには憲法全体をつらぬく精神と理念がしるされているが故である。
2014年09月06日の『わたくしは日本国憲法です。』出版記念パーティでも、掉尾を飾って会場に『日本国憲法』前文の画像がながれ、それを女性参加者が声高らかに朗読されて感銘をよんだ。
そして鈴木 篤氏は、『日本国憲法』をつぎのようにかたる。

「すばらしい憲法ではないでしょうか。私たち日本国民は、こんなすばらしい、世界に誇れる憲法を持っているのです」

もちろん図書『わたくしは日本国憲法です。』のなかにも、前文をふくめて、憲法の全文が紹介されている。
また<花筏 朗文堂好日録-045 卯月 四月がおわり、新緑と薫風の 皐月 五月のはじまり>でも、『MORGEN』誌での書評を紹介するなかで、『日本国憲法』前文を紹介した。

ところが、現状のコンピューター・ディスプレーは、大小を問わず、まだまだ可読性 Readability と 判別性 Legibility に劣るという段階にとどまっている。
それでもタイポグラファとしては、こうした貴重な文書に勝手に段落改行などは設けるべきではないと判断していた。
ところが、デバイスによる差はあるとはいうものの、やはりこれだけの文章量がつづくと、画面ではことばの壁となって、読む意欲を減衰させてしまう結果となっていた。

今回は、段落ごとに一行アキとして、ともかく読んでいただけるようにいささかの工夫をしたものである。筆者の意のあるところをお汲みいただけたら幸いである。
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日 本 国 憲 法

施行  昭和二二年五月三日

日 本 国 憲 法   前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

【講演会報告】 中央区生涯教育講座で古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されて講演

プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_01 DSCN8267 DSCN8271M7,M37社屋 S4本社2016年10月21日[金]、平野富二ゆかりの地、東京都中央区生涯教育講座で、『平野富二伝 考察と補遺』の編著者:古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されての講演会がありました。

同講座は中央区民に向けて広報され、全8回の有料連続講座で、現在は定員となっていて一般募集はおこなっていません。
それでも主催者のご好意で五名の参加者枠をいただき、「平野富二の会」参加者の有志五名が聴講しました。
古谷昌二さんuu 平野表紙uu『平野富二伝 考察と補遺』
編著者 : 古谷昌二
発  行 : 朗文堂
定  価 : 本体12,000円 + 税
A4判、ソフトカバー、864ページ 図版多数
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講座は午後二時―四時でしたので、終了後に会場の築地教育会館からわずかに徒歩三分! かつて東京築地活版製造所と平野富二邸があった萬年橋周辺を、古谷さんのご案内で、灯ともしころまで、おもわぬ「築地さるく」となりました。
プロジェクター説明資料(2)PDF_ページ_08 プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_14
至近の「東京築地活版製造所跡」、「活字発祥の碑」をたずね、その背後の「旧平野富二邸跡」もたずねることができました。
「旧平野富二邸跡」は広大な敷地ですが、ここには東京築地活版製造所、石川島平野造船所の社員寮なども設置されていたようです。
現在はおもに「築地えとビル」となっており、壁面には十二支の紋様がレリーフとして設置されていました。
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【新宿私塾】 第27期修了生:本末英樹さんから「ローマ大文字の原点・トラヤヌスの碑文訪問記録」をいただきました

私塾烏兎匆匆、光陰矢の如しでしょうか。ときのたつのがあまりにはやく感じられます。

2015年09月29日開講、2016年03月15日修了した<新宿私塾第27期>の塾生、本末英樹さん(下掲写真:新宿私塾第27期修了式 前列右からふたりめ)が、ことしの夏にローマのフォロ・ロマーノ地区「トラヤヌスの碑文」を訪問され、その記録写真を提供していただきました。
27期終了_01-1024x724[1]新宿私塾では木村雅彦さんの担当で「ローマ大文字の原点:トラヤヌスの碑文」をまなぶ講座が常設され、本末さんももちろんその講座を受講されています。
1999年05月10日に木村雅彦・春田(木村)ゆかり夫妻が拓本取材を実行され、その記録図書『トラヤヌス帝の碑文がかたる』(木村雅彦 朗文堂)をのこされています。
また本講座は、その原寸大の碑文拓本の迫力に直接触れる機会となります。

本末さんの報告では、トラヤヌスの碑文の周辺ではいまなお発掘・復元・修復作業が進行中で、碑の直近まではおりることができず、周辺回廊部からの撮影となったそうです。

小生がここにはじめて立ってから30余年が経過し、木村夫妻の取材からも17年ほどの時間がたったことになりますが、「トラヤヌスの碑文」の建立は西暦114年とされていますので、その千余年におよぶ悠久の時から較べたらほんのわずかなときでしかありません。
本末英樹さんのうれしそうなローマでの報告を聞きながら、記録し、かたり伝える――タイポグラフィの神妙にして、摩訶不思議な側面をみるおもいがしたひとときでした。
IMG_2505resized IMG_2529resized IMG_2569resized IMG_2529resized IMG_2559resized IMG_2608resized────────
【好評図書紹介】 トラヤヌス帝の碑文がかたる 木村雅彦著

9784947613592ヴィネット01号
トラヤヌス帝の碑文がかたる
木 村 雅 彦 著
B5判 76頁 並製本
増 刷 出 来
定 価 : 本体 2,
600円+税

ローマのトラヤヌスの碑文は西暦114年に建立されて、すべてのローマ大文字の
淵源とされるものです。
ここからアイデアを得て、製作された欧文活字書体は数えきれないほどあります。
本書では18世紀のナポレオン3 世による複製以来の原寸拓本採取に成功して
その写真と拓本、大判折り込み 2 点を含む豊富な写真と図版によって
トラヤヌスの碑文の魅力をくまなく紹介しました。
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『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』 はイタリア政府との事前のながい交渉の末
木村雅彦、春田(木村)ゆかり夫妻の「 遅くなった新婚旅行 」 として
1999年05月10日、ローマ、フォロロマーノ地区にある「トラヤヌス帝大円柱」での
原寸拓本採取と、撮影が完了したものです。

『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』のテキストは日本語だけですが、欧米でもやはり
関心がつよく、外国向け販売もすくなくありません。

ここにあらためて、故ヘルマン・ツァップ氏がのこされたエッセイとともに
トラヤヌス帝の碑文がかたる 』(木村 雅彦著、朗文堂) をご案内いたします。
ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
トラヤヌス帝トラヤ02トラヤ03トラヤ04──────────

< トラヤヌス帝の碑文のおもいで >  ヘルマン・ツァップ

朗文堂未刊書 『ヘルマン・ツァップ 活字と夢と』より。
Zapf 型押し用亜鉛凸版uuツァップ夫妻
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ

       1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
        1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ

1950年の秋、わたしたちは活字書体のインスピレーションをもとめてイタリアへでかけました。この旅ではもっぱらスケッチブックとカメラを手に、フィレンツェ、ピサ、ローマをおとづれて、ふるいローマ時代の碑文を探しました。
 
ここでの数数の碑文との出会いと、フィレンツェとバチカンの図書館で見たすばらしい書物が、その後のわたしたちの活字設計におおきな影響をあたえました。とりわけ刺激がおおきかったのはトラヤヌス帝の碑文との出会いでした。
文字の美しさを理解するひとならだれでも、西暦114年にローマのフォロ・ロマーノ地区に建造されたトラヤヌス帝の大円柱にしるされた碑文をみて、わたしがいかに有頂天になったかを理解していただけるでしょう。
 
ところが残念なことに、この碑文の位置がたかすぎて、歪みのない、まともな写真を撮ることができませんでした。それでも諦めきれずに奮闘するうちに、どうやらわたしはだれの眼にも明らかなほど夢中になっていたようです。
たまたまそばを通りかかった警備員は、メジャーをもって大円柱に詰め寄るわたしを見て、碑文をはぎ取って地面に引きずりおろそうとしているとおもったのでしょうか、あわてて制止されたことが懐かしくおもいだされます。

Zapf_80-1プリントミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この大文字だけの活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされた、碑文系書体とされるもののひとつです。朗文堂ホームページのメインタイトルは1999年以来ミケランジェロ・タイトリングがもちいられていjます。
D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク トラヤヌス帝の碑文がかたる 】
【 関連情報 : 朗文堂ニュース ご冥福をお祈りいたします。ヘルマン・ツァップ氏を偲ぶ 】

【朗文堂ブックコスミイク】 『オリンピックとデザインの政治学』 共著者:若山 滋氏ブログSite開設

若山 滋氏若山 滋 Shigeru Wakayama
建築家 名古屋工業大学名誉教授 

1947年台湾生まれ。東京工業大学建築学科卒業、同大博士課程修了。工学博士。1974年入社の久米設計を経て名古屋工業大学教授。米国カリフォルニア大学バークレー校、コロンビア大学客員研究員。現在、中京大学客員教授、名古屋工業大学名誉教授。専門は建築学・都市論・文化論。

著書は『建築へ向かう旅』、 『組み立てる文化の国』、『風土に生きる建築』、 『「家」と「やど」― 建築からの文化論』、 『漱石まちをゆく ― 建築家になろうとした作家』、『インテンシブ・シティー都市の集約と民営化』、『建築家と小説家 ― 近代文学の住まい』など。
建築作品には「不二の一文字堂」、「高萩市立図書館」、「ミャンマー中央農業開発センター」、「名古屋工業大学正門」、「西尾市岩瀬文庫」などがある。
01オリンピックとデザインの政治学rs

────────── 若山 滋氏からのメッセージ

皆さま
最近、ブログを始めました。
都市力と風土力」というタイトルです。 wakashige.hatenablog.com

都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

読んで感想を聞かせていただければ幸いです。
知り合いに宣伝してください。   2016年08月31日  若 山  滋

2016-08-23  負けてこそ名誉
2016-08-24  小池知事と着物の圧倒
2016-08-25   空調に関するテレビ番組 
2016-08-28   大衆発信社会
2016-08-29   女優の息子
2016-08-30   大衆とは何か-大衆発信社会・その2 
2016-08-30   ポケモンゴーよりポケベンゴー

{ 新 宿 餘 談 }
あたらしいブロガー : 若山 滋さんの誕生です。
08月23日の開設から、読みごたえのある記事が連日投稿がつづいています。
やつがれはお盆あけから雑用が多く、ブログの更新がとどこおり気味です。
あたらしいブログ、「都市力と風土力」 への皆さまのご愛読をお勧めするゆえんです。

【新刊紹介】 江越弘人著 『長崎がうんだ奇妙人列伝』

プリント チラシ表 チラシ裏
新江越_顔写真4c江越  弘人(えごし ひろと) 


昭和10(1935)年、長崎市(旧高浜村)生まれ。

 昭和34(1959)年、長崎大学学芸学部卒業。
 長崎県公立学校教員(小学校)を歴任。
 平成8(1996)年、定年退職(最終勤務校、長崎市立鳴見台小学校)。現在、長崎の歴史と史跡について講演やガイドを精力的に行なっている。
 著書に
『白帆注進』(共著、長崎新聞社)。『幕末の外交官森山栄之助』(弦書房)。『〈トピックスで読む〉長崎の歴史』(弦書房)。『逃げる男 活版印刷の祖・本木昌造』(長崎新聞社)など。
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刊行にあたって 

「生きる」。それだけで面白い。
「無名」。それがなんだ。無名だからこそ、面白い。
人は、さまざまな人生を歩む。一人として同じ生きざまはない。
ただ一つ、人は「生まれ」、そして「死んで」いく。
ただ、人々は、生と死の間を、さまざまなシュチュエーションで繋げていく。この生と死の間の出来事は、他者からのさまざまな毀誉褒貶に覆われる。叩き抜かれ、笑い抜かれ、イジメ抜かれ、そうして、思いがけなく称賛の嵐を浴びた時にも、人間は、自分としての道を歩むほかに方法がない。

人生は思うようにならないものである。また、思った以上に大成功を収めることがある。
 最も悪いのは、自分の人生を投げることである。他人の人生も、滑稽であろうと笑うことはできない。人を笑い、貶めることは、自分を貶めていることである。
 人生は、自分の信じることを、己の個性・能力で生き抜き、生と死の間を繋いでいかねばならない。その「繋ぎ」は、人みな違っている。
つまり、人類はすべて「奇妙人」である。そこには、何ら価値の差はない。お金が入ってきても、来なくても、一生懸命に自分に課せられた環境・時代・能力などに従って生きていくことは、とてもたっといことである。
私は、この書を読んで、一地方に生きた奇妙人を知り、共感し、さらに、己の中の奇妙人を発見してくれたら、何よりもうれしいことだと思っている。他人の奇妙を知り、自分の奇妙を自覚することが、人を優しくするのである。
──────────
◯ 書 名   長崎がうんだ奇妙人列伝

◯ 著 者   江越 弘人
◯ 装 本   四六判 上製本 148ページ
◯ 発 売   朗 文 堂    2016年4月27日
◯ 定 価   本体1,600円+税
ISBN978-4-947613-93-6 C0021

【 詳細 : 朗文堂 ブック・コスミイク

【好評図書紹介】 トラヤヌス帝の碑文がかたる 木村雅彦著

9784947613592ヴィネット01号
トラヤヌス帝の碑文がかたる
木 村 雅 彦 著
B5判 76頁 並製本
増 刷 出 来
定 価 : 本体 2,
600円+税

ローマのトラヤヌスの碑文は西暦114年に建立されて、すべてのローマ大文字の
淵源とされるものです。
ここからアイデアを得て、製作された欧文活字書体は数えきれないほどあります。
本書では18世紀のナポレオン3 世による複製以来の原寸拓本採取に成功して
その写真と拓本、大判折り込み 2 点を含む豊富な写真と図版によって
トラヤヌスの碑文の魅力をくまなく紹介しました。
──────────
『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』 はイタリア政府との事前のながい交渉の末
木村雅彦、春田(木村)ゆかり夫妻の「 遅くなった新婚旅行 」 として
1999年05月10日、ローマ、フォロロマーノ地区にある「トラヤヌス帝大円柱」での
原寸拓本採取と、撮影が完了したものです。

『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』のテキストは日本語だけですが、欧米でもやはり
関心がつよく、外国向け販売もすくなくありません。

ここにあらためて、故ヘルマン・ツァップ氏がのこされたエッセイとともに
トラヤヌス帝の碑文がかたる 』(
木村 雅彦著、朗文堂) をご案内いたします。
ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
トラヤヌス帝トラヤ02トラヤ03トラヤ04──────────

< トラヤヌス帝の碑文のおもいで >  ヘルマン・ツァップ

朗文堂未刊書 『ヘルマン・ツァップ 活字と夢と』より。
Zapf 型押し用亜鉛凸版uuツァップ夫妻
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ
       1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
        1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ

1950年の秋、わたしたちは活字書体のインスピレーションをもとめてイタリアへでかけました。この旅ではもっぱらスケッチブックとカメラを手に、フィレンツェ、ピサ、ローマをおとづれて、ふるいローマ時代の碑文を探しました。
 
ここでの数数の碑文との出会いと、フィレンツェとバチカンの図書館で見たすばらしい書物が、その後のわたしたちの活字設計におおきな影響をあたえました。とりわけ刺激がおおきかったのはトラヤヌス帝の碑文との出会いでした。
文字の美しさを理解するひとならだれでも、西暦114年にローマのフォロ・ロマーノ地区に建造されたトラヤヌス帝の大円柱にしるされた碑文をみて、わたしがいかに有頂天になったかを理解していただけるでしょう。
 
ところが残念なことに、この碑文の位置がたかすぎて、歪みのない、まともな写真を撮ることができませんでした。それでも諦めきれずに奮闘するうちに、どうやらわたしはだれの眼にも明らかなほど夢中になっていたようです。
たまたまそばを通りかかった警備員は、メジャーをもって大円柱に詰め寄るわたしを見て、碑文をはぎ取って地面に引きずりおろそうとしているとおもったのでしょうか、あわてて制止されたことが懐かしくおもいだされます。

Zapf_80-1プリントミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この大文字だけの活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされた、碑文系書体とされるもののひとつです。朗文堂ホームページのメインタイトルは1999年以来ミケランジェロ・タイトリングがもちいられていjます。
D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク トラヤヌス帝の碑文がかたる 】
【 関連情報 : 朗文堂ニュース ご冥福をお祈りいたします。ヘルマン・ツァップ氏を偲ぶ 】

【新刊情報】 『オリンピックとデザインの政治学』 森山明子・若山 滋 共著 朗文堂

01オリンピックとデザインの政治学

オリンピック・パラリンピック騒動に発し
建築とデザインからの緊急対論!

書  名   オリンピックとデザインの政治学
著  者   森山明子  若山 滋 共著
装  本   四六判  上製本  248ページ
発  売   2016年1月27日予定
定  価   1,800円+税
発  行   株式会社 朗 文 堂
ISBN978-4-947613-92-9 C0070

本書は日本図書館協会選定図書に選定されました(平成28年2月24日選定)

<著者紹介>

A1森山森山明子 Akiko Moriyama
デザインジャーナリスト 武蔵野美術大学教授


1953年新潟県生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業。特許庁意匠課審査官、国際デザイン交流協会勤務を経て、日経マグロウヒル社(現・日経BP社)に入社。「日経デザイン」の創刊にかかわり1993-98年同誌編集長。1998年より現職、デザイン情報学科所属。

著書は『まっしぐらの花 ― 中川幸夫』、『石元泰博 ― 写真という思考』、『新井淳一 ― 布・万華鏡』、『デザイン・ジャーナリズム 取材と共謀 1987 → 2015』ほか。
監修・編著書には『カラー版日本デザイン史』、『Gマーク大全 グッドデザイン賞の五〇年』などがある。
NHKハート展詩選考委員、グッドデザイン賞審査副委員長、芸術工学会副会長・理事、三宅一生デザイン文化財団理事、日本デザイン振興会評議員などを務める。
──────────
第一次エンブレム騒動においては、残念ながら、デザインの安直さと業界の構図に対する不信が渦巻いた。しかしデザインの重要性が一層増していることは現代社会のまぎれもない事実だ。ビジョンと意思決定の質が、企業や都市や国の浮沈を左右する。デザインは何を希望として、どう歩んできたのか。その一端を明らかにすることで、あるべきデザイン像を問いかけたい。
──── 本書 帯より  森山明子 (デザインジャーナリスト)

A2若山若山 滋 Shigeru Wakayama
建築家 名古屋工業大学名誉教授 


1947年台湾生まれ。東京工業大学建築学科卒業、同大博士課程修了。工学博士。1974年入社の久米設計を経て名古屋工業大学教授。米国カリフォルニア大学バークレー校、コロンビア大学客員研究員。現在、中京大学客員教授、名古屋工業大学名誉教授。専門は建築学・都市論・文化論。

著書は『建築へ向かう旅』、 『組み立てる文化の国』、『風土に生きる建築』、 『「家」と「やど」― 建築からの文化論』、 『漱石まちをゆく ― 建築家になろうとした作家』、『インテンシブ・シティー都市の集約と民営化』、『建築家と小説家 ― 近代文学の住まい』など。
建築作品には「不二の一文字堂」、「高萩市立図書館」、「ミャンマー中央農業開発センター」、「名古屋工業大学正門」、「西尾市岩瀬文庫」などがある。
──────────
ザハ・ハディドと安藤忠雄はやや異端なところがあるので、そこに建築思想的ともいうべき対立の文脈を読み取ることができるような気がしたのです……。ザハ建築の「速度」と安藤建築の「強度」が出会ったとも言えます。スタジアムにはふさわしい気がしないでもない。しかし、良識派の建築家にとってこの二人の建築思想は「異端」であり、排除すべきものであったのではないか。
──── 本書 帯より  若山  滋 (建築文化論者)

<本書の内容  目次より>

第一章 新国立競技場問題の所在と根源        
        ザハ・ハディド案撤回で〝家の論理〞が強化された
第二章 大会エンブレム問題の所在と根源        
        ベルギーの劇場側の提訴はデザイン界への〝黒船〞か
第三章 建築の思潮とジャーナリズムの系譜
        建築論は日本の近代化過程を表す
第四章 デザインの運動とジャーナリズム                
        デザインジャーナリズムはネットに住むしかないのか
第五章 近代デザインの政治学         
        モダンデザインは国家主義との葛藤の歴史だった
第六章 都市、国家、デザイン        
        ビジョンと意思決定が浮沈を左右する
第七章 デザインの文化戦略とは        
        広告文化の陥穽、反広告の思想
第八章 〝デザインの国・日本〞の源流        
        室町―江戸の伝統依存に賞味期限はないか

烏兎匆匆|歳月はあわただしく過ぎ去るものです|06月04日はヘルマン・ツァップさんの一周忌です

ツアップを偲ぶ20150608134232723_0001Hermann Zapf  ヘルマン ・ ツァップ
1918年-2015年 享年96 (遺影は1995年ころのもの)

<Hermann Zapf  ヘルマン ・ ツァップ 略  歴(おもに1995年頃まで)>
◯ 1918年11月08日、ドイツのニュルンベルクにて生まれる
カリグラファ、タイプデザイナー、タイポグラフィ教育者
◯ 1972年より ドイツのフラックフルトとハイデルベルクの間に位置する学術都市、ダルムシュタットに居住
◯ 1947-56年
D. Stempel AG 活字鋳造所/フランクフルト アートディレクター
◯ 1948-50年
Werkkunstschule Offenbach オッフェッバッハエ芸学校でレタリングを教える
◯ 1960年
Carnegie Institute of Technology カーネギーエ科大学/ピッツバーグ 客員教授
◯ 1972-81年
Technische Hochschuie Darmstadt ダルムシュタットエ科大学でタイポグラフィを教える
◯ 1977-87年
Rochester Institute of Technology ロチェスターエ科大学/ニューヨーク州ロチェスター
タイポグラフィック ・ コンピュータープログラム教授
◯ 1977-85年
Design Processing International/ニューヨーク バイスプレジデント
◯ 1986年より
Zapf, Burns & Company(ニューヨーク)および URW Master Design GmbH(ハンブルク)のパートナーとなる
◯ 2015年
2015年06月04日逝去 享年96

メタルタイプ、写真植字、デジタルシステム用アフレフアベット 176種類をデザイン。
各国で講演および展覧会。

<Hermann Zapf  主要著作(おもに1995年頃まで)
“ William Morris ” 1948
“ Pen and Graver ” 1950,1952
“ Manuale Typographicum ” 16ヵ国語(1968年に18ヵ国語) 1954
“ Typographic : Variations ”  独・英・仏語版 1963
“ About Alphabets ” 1960, 1970
“ OrbisTypographicus ” 1980
“ Hermann Zapf: Hora fugit-Carpe diem ” 1984
“ Creative Calligraphy ” 独 ・ 英 ・ 仏 ・ 西語版 1985
“ Hermann Zapf and his design philosophy ”  独 ・ 英 ・ 日 ・ 伊版 1987
“ ABC-XYZapf ”  1989

ツァップ夫妻朗文堂未刊書 『活字と夢と』にお寄せいただいたツァップ夫妻の写真とシグネチュァ
花4C_Z 花トビラABC1C 花2C_Z© Hermann Zapf  Das blumen-ABC  ¶ この作品は「H. Zapf」のアナグラムになっています。H → Hirschkäfer(くわがたむし)、Z → Zaunrüibe(スズメウリ)、A → Akazie(アカシア)、P → Postillon(モンキチョウ)、F → Fliege(蝿)。 ¶ カリグラフィはレオナルド・ダ・ヴィンチの寓話より引用。「スズメウリは自分の領分に満足できなくなって、巻きひげをのばして通りの向こうの生け垣につかまろうとした。ところがまもなく通行人にひきちぎられてしまった」

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朗文堂既刊書 『ヘルマン・ツァップのデザイン哲学』 製作のおりおりのおもいで
Zapf 型押し用亜鉛凸版
9784947613158The Design Philosophy of
HERMANN ZAPF
ヘルマン ・ ツァップのデザイン哲学

発行日
1995年4月11日
著     者
Hermann Zapf
翻 訳 者
池 野  晴 美
発   行
株式会社  朗 文 堂
定   価   16,800円[税別]
ISBN4-947613-15-7
──────────
The Design Philosophy of HERMANN ZAPF
ヘルマン ・ ツァップのデザイン哲学
HORA FUGIT – CARPE DIEM 烏兎匆匆 光陰矢のごとし ―― まえがき
Carl Zahn  Museum of Fine Arts, Boston (カール ・ ツァーン ボストン美術館)
20150608134232723_0005 20150608134232723_0002 20150608134232723_0003

20150608134232723_0004HORA FUGIT – CARPE DIEM

この<HORA FUGIT – CARPE DIEM 烏兎匆匆 ウトソウソウ 光陰矢のごとし>の銘文は、 Hermann Zapf が原図を描き、アルミニウムに彫刻したものである。ドイツのダルムシュタットの自宅アトリウムにある、カリグラフィック ・ スカルプチュアである。

この絡み合わされた文字は、カリフォルニア・ポピーが咲き乱れる、心地よい環境に囲まれて立つ。アトリウムの向こうにガラスのドアが開け放たれ、ひろびろとした芝生が見渡せる。その周りをめぐる花壇は Zapf 自身が花を植え世話をしているものだ。とりどりの実のなる木々が庭のそちこちに生え、鬱蒼と茂った公園の樹葉を借りて風景を完成させる。

この愛すべき家でのつれあいは、妻のGudrun Zapf-von Hesse (グートルン ・ ツアップ-フォン ・ ヘッセ 1918年01月02日うまれ)である。Zapf とおなじ年齢の妻もまた、才能あるカリグラファであり、またタイプデザイナーと製本家でもある。その先祖は名高いフランクフルトの活字鋳造者、17世紀から続く Luthersche Giesserei (ルテルシュ活字鋳造所)の Luther(ルター)家である。

この牧歌的な家での時間は、彼にとっては文字どおり<烏兎匆匆 光陰矢のごとく>、腕が頼りのタイプデザイン、カリグラフィ、ブックデザインの仕事とともに飛び去っていく。
Zapf は一秒たりともむだにしないマスタープランナー
であるが、忙殺されているようには決して感じられない。いつも友人たちのため、あるいは何か有意義なことのために時間を使っているらしい。〔中略〕

60歳をこえた Zapf に、この分野で並ぶ者はない。今なお新技術に挑戦する意気込みから察するに、これからも頂点にとどまるに違いない。
Zapf は、若いころは、電気エンジニアになるのが夢だった。その性向はいまも変わらないが、1933年当時、ドイツがおかれていた政治的状況のために、ニュルンベルクの工業大学に通うことはかなわず、第二志望の美術学校もあきらめた。かわりに進まざるをえなかった道は地元の印刷業者の徒弟であり、そこで 4 年間写真の修整に携わることとなった。

その間 Zapf は、カリグラフィとタイプデザインの美しさに開眼した。きっかけは、ニュルンベルクを同郷とする Rudolf Koch  (ルドルフ・コッホ)の遺作展である。 Zapf はその後 1938年になって Koch の息子ポールのところで働いた。フランクフルトの Hauszum Fürsteneck というプライベートプレスである。

Zapf は、Edward Johnston の “ Writing and Illuminating and Lettering (邦題 : 『書字法・装飾法・文字造形』エドワード・ジョンストン著、 遠山由美訳、朗文堂)”  という本を見てカリグラフィを勉強し、実習に励んだ。
その勤勉ぶり(そして天性の才能)のおかげで、ほどなくして、本人の言葉によると “ なかなかよい字を描ける ” ようになった。

Zapf は独学のカリグラファで、また一般には知られていないが、独学のタイポグラファでもある。修業の年季を終えるとフランクフルトに移り、そこで活字史研究家の Gustav Mori (グスタフ・モリ)と親しくなった。Mori の膨大な蔵書を使って、Zapf は独学を続けた。
Mori に紹介された Stempel(シュテンペル活字鋳造所)で、Zapf はAugust Rosenberger (アウグスト・ローゼンベルガー)という有名なパンチカッター(活字父型彫刻師)に出会った。その後二人は力を合わせ、いくつかのプロジェクトに取り組むことになるのである。

Zapf の最初のタイプデザインは Gilgengart (ギルゲンガルト)という Fraktur (フラクトゥール : ドイツの亀の子文字)であり、1938年にStempel 活字鋳造所で採用された。 Zapf はまだ20歳そこそこの年齢だった。
そして最初の偉大なる書物の仕事も始まった。“ Feder und Stichel (ペンと彫刻刀)″ というその本のプレートは、Rosenberger が戦時中に手で彫った。ただし当時は Zapf でさえ、徴兵されており、戦時中のほとんどを南フランスで過ごし、ボルドーで地図の作成にかかりきりという状態であった。

ユニークなスケッチブックが数冊、ひまを見ては仕上げられた。どのページにも戦争のシーンはなく、花々や、フランス各地で描いたスケッチでうまっていた。そして “ Das Blumen-ABC (フラワー アルファベット)″ のためのドローイング制作を始めている-この本には、自然の美しさに Zapf が寄せる共感と、観察結果を紙に描き移す能力がよくあらわれている。

Zapf の本やアートワークは全世界の公共・民間コレクションに所蔵されている。印刷部数が少ない出版物もあったため、すぐにコレクター・アイテムになったのである。
戦後 Zapf はフランクフルトに戻り、Stempel 活字鋳造所のプライベート・プリンティングオフィス(私家版印刷部門)のアートディレクターとなった。まもなく、みごとな新しいタイプデザインがつぎつぎと誕生した。[後略]
──────────
万感のおもいを込めて-朗文堂ホームページのメーンタイトルの使用書体について
The type design depends on Hermann Zapf
プリント
朗文堂ホームページ メーンタイトル
Michelangelo Titling,   Zapfino - 1999 biginning to
use

  • ROBUNDO ―― ミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされたオールキャップスの活字書体で、いくつかのオルタナーティブ・キャラクター(異体字)を含む。D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。
  • We love Typography ―― このツァッフィーノ (Zapfino) は、ヘルマン・ツァップによってデザインされ、1998年にライノタイプ社によって発表されたスクリプト(筆記体)系の書体である。 
  • ツァップと小林 章による2003年 Zapfino の改刻版がデジタルタイプとして Mac OS X にバンドルされており、その後さらに改刻を加えた Zapfino Extra も発売されている。

【東京五輪】 エンブレムは野老朝雄氏の組市松紋に決定 森山明子氏の論評を紹介

2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムは、野老トコロ朝雄氏の組市松紋に決しました。
それをうけて『オリンピックとデザインの政治学』の共著者、森山明子氏が『読売新聞』(文化欄 04月26日)に「五輪エンブレム決定」とされる論評を発表されました。ご購読をお勧めします。
DSCN7241五輪新エンブレム _MG_4319 コピー ~ 01オリンピックとデザインの政治学rs

【日本デザイン振興会】 3月29日[火]GOOD DESIGN Marunouti にて『オリンピックとデザインの政治学』発刊記念トーク開催されました

小社刊『オリンピックとデザインの政治学』(森山明子・若山 滋 共著)発刊記念トーク
が開催されました。
年度末ご多忙のおりでしたが、たくさんの皆さまがご参集されていました。
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「オリンピックとデザインの政治学」発刊記念トーク
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会にまつわる騒動を再考する

会    場 : GOOD DESIGN Marunouchi
開催日時 : 3月29日(火)18:00開場 18:30 – 20:00
スピーカー : 「オリンピックとデザインの政治学」(朗文堂刊)著者
 森山明子氏(デザインジャーナリスト/武蔵野美術大学教授)
 若山  滋氏(建築文化論者/名古屋工業大学名誉教授)
モデレーター : 藤崎圭一郎氏(デザインジャーナリスト)
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本年1月27日 、デザインジャーナリスト森山明子氏と建築文化論者の若山滋氏による緊急対論書「オリンピックとデザインの政治学」(朗文堂刊)が発刊されました。
2015年は、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会を巡り建築・デザインの両分野で混乱が発生、両分野とも業界の構図に対する不信が渦巻いた1年でした。
あのとき何があり、どうすべきだったのか?
ビジョンと意思決定の質が、企業や都市、国の浮沈を左右する中、デザインは何を希望として、どう歩んできたのか?
「オリンピックとデザインの政治学」共著者の二人が昨年の騒動を改めて振り返り、あるべきデザインの像を語ります。
建築業界やデザイン業界の内外、書籍の既読未読に関わらず必聴のイベントです。

詳細・申し込み先 : 公益財団法人 日本デザイン振興会  GOOD DESIGN Marunouti
GOOD DESIGN Marunouchi ウェブサイト
GOOD DESIGN Marunouchi facebook
丸の内に集う人々のための情報サイト

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ご愛読ありがとうございました。『 VIVA !! カッパン 』 が流通在庫をもちましてしばらく品切れとなります

ヴィバ活版uu
書 名  VIVA !!  カッパン

編 集  アダナ・プレス倶楽部
装 本     B5判 オールカラー 136ページ 並製本 ジャケット付
定 価    2,800円+税
──────────
ほんとうの実践に役立つ活版印刷入門書としてご愛読いただきました
『 VIVA !!  カッパン 』ですが、現在の流通在庫をもちまして品切れとなります。
ここにご報告申しあげますとともに、多くの皆さまのご愛読にふかく感謝いたします。

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部では、新機種が加わった Salama シリーズを加えて
引きつづき改定増補版の刊行を予定しておりますが、それまでの間
委託倉庫会社によって販売不適本として保管されていた、一部に欠損のある
数十部の本書を、特売価格で限定直販いたします。
緊急に『 VIVA !!  カッパン 』をご希望の方は小社まで直接お申し込みください。

【展覧会】 ニッポンのニッポン ヘルムート・シュミット-京都dddギャラリー

京都dddギャラリー第205回企画展
2015年11月09日[月]-12月22日[火]
ニッポンのニッポン ヘルムート・シュミット

20151022181732461_0001 20151022181732461_0002【プリント用 PDF  kyouto-ddd02  2.13MB 】

まちが もみじに染まり、そして、比叡おろしの寒風が吹きつのるまでのあいだ。
京都の魅力が もっとも輝く、このよいときに、京都 ddd ギャラリーで
ヘルムート・シュミット <ニッポンのニッポン> 展が開催されます。
皆さまのご参観をおすすめいたします。

24歳ではじめて大阪の地を踏んで間もないころ、スイスのティポグラフィシェ・モナーツブレッテル(TM)誌の編集長から手紙を受け取った。タイポグラファの目を通して見た日本のフォルムや、暮らしの中の道具といったものを、紹介する記事を毎月TM誌に連載してみないかという誘いであった。
記事を書くということは、道具にふれるだけでなく、道具の作り手に会う機会も与えてくれた。このシリーズを私は 「Japan japanisch」(ニッポンのニッポン) と呼ぶことにした。
というのは、私自身が理解している日本、すなわち、かつて存在した、そして今も存在している日本、さらにこれから発見されるべき日本を伝えたいと思ったからだ。
この記事で使ったモノクロ写真は、わずかな例外をのぞいて、カメラマンの友人たちと撮影したものだ。

1969年、エミール・ルーダーから手紙を受け取った。
「TM誌の記事はすばらしい。日本滞在で貴君はなんと洗練されたことか、私にはよくわかります」
40年以上の時を経て、記事は新しい命を授かった。「 Japan japanisch 」 は 2012年に朗文堂より独・英・日本語で出版された。
京都 ddd ギャラリー での展示 「ニッポンのニッポン」 は、この本をきっかけに企画された。
展示に関わってくださったすべての人と、とりわけ日本 ―― 変わることなく刺激を与え続けてくれる国 ―― に感謝を捧げたい。 [ヘルムート・シュミット]

◯ 会場・会期
京都 ddd ギャラリー
2015年11月9日[月]-12月22日[火]
11:00-19:00(土曜は18:00まで)
日・祝日休館 入場無料
〒616‒8533 京都府京都市右京区太秦上刑部町10
TEL: 075-871-1480   FAX: 075-871-1267
地下鉄東西線 太秦天神川駅1番出口 徒歩3分
嵐電嵐山本線 嵐電天神川駅 徒歩5分

市バス・京都バス 太秦天神川駅前下車、駐車場無

◯ ギャラリートーク
日 時 : 2015年11月9日[月] 16:00 – 17:30
講 師 : ヘルムート・シュミット
会  場 : 京都 ddd ギャラリー 会議室
通訳付、入場無料、要予約、定員40名
※参加ご希望の方は、10月21日[水]以降にお申し込みください。

◯ オープニングパーティ
2015年11月09日[月] 17:30-19:00
会場 : 京都 ddd ギャラリー

◯ 作家略歴
ヘルムート・シュミット
1942年オーストリアうまれ。
西ドイツで植字工従弟期間を終了後、1960年代、スイスのバーゼルスクールで、モダンタイポグラファのエミール・ルーダーのもとで学ぶ。
1970年代中頃、西ドイツで社会民主党のウィリー・ブラント、ヘルムート・シュミット両首相のための制作活動に携わる。
1980年、大塚製薬の医家向け医薬品のパッケージや、ポカリスエットのアイデンティティの確立。
ヘルムート・シュミットは、現在大阪を本拠に、商業デザインの仕事と並行して、自主制作に携わっている。1992年以来、自主制作シリーズ「タイポグラフィック・リフレクション」を発行し、現在11号にいたる。また、専門誌「ベースライン」「アイデア」「TM」などへの寄稿者である。
著書 : 『タイポグラフィ・トゥデイ』(1980/2015年)誠文堂新光社発行、『バーゼルへの道』 (1997年) 朗文堂発行、『 japan japanese 』(2012年)朗文堂発行。フィヨルド・ゲイコの編集、デザインによる『 helmut schmid:design is attitude 』 が2006年ビルクホイザー社より発行。
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京都造形芸術大学 情報デザイン学科特別講義
タイポグラフィとタイポグラフィ

日  時 : 2015年11月26日[木] 17:00-18:30
講  師 : ヘルムート・シュミット
会  場 : 京都造形芸術大学 望天館1F B11ホール
共  催 : 京都造形芸術大学
      通訳付、入場無料、予約不要、定員100名、当日先着順

【タイポグラフィ学会】 『タイポグラフィ学会誌 08』を刊行。朗文堂にて販売開始

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DSCN2275uu DSCN2277uu DSCN2282uu 20151020153401629_0005dl『  タイポグラフィ学会誌 08 』
<主要内容>

◯ 論文 : 「「雪岱文字」の誕生 春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」 真田幸治

論文の概要 
真田幸治 「 「雪岱 セッタイ 文字」の誕生 — 春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ」
装幀家、挿絵画家などとして再評価が著しい小村雪岱セッタイであるが、その評価は主に泉鏡花の著書の意匠によるものだ。
しかしながらそこで「雪岱文字」が大きな役割を担っていたという事実は知られていない。それは資生堂のロゴにおいても大きく寄与している。
そして春陽堂版『鏡花全集』の装幀において「雪岱文字」はひとつの完成を見る。
本論では「雪岱文字」が、どのように誕生し、展開していったのかを考察する。

◯ 研究ノート : 「ドイツ工作連盟の一九一四年ケルン会議での「定型化・標準化」の論争に関する疑問点」 山本太郎

◯ 研究ノート : 「大正・昭和期の築地系本文活字書体」 内田 明

◯ その他 : 執筆者紹介/第三回 本木昌造賞受賞者 阿津坂實氏紹介 など
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『  タイポグラフィ学会誌 08 』
A4判 80ページ かがり綴じ 並製本
ISSN 1882–2339
編集 ・ 発行 : タイポグラフィ学会
発行日 : 2015年09月30日
発 売(特別委託直販) : 朗 文 堂
定価 : 3,000円 (送料 ・ 税別)
発行部数 : 非会員向けには僅少部数のみの頒布となります。
学生向け特別頒布価格 : 2,000円 ( 学生証明書の提示が必要です。 送料 ・ 税別 )
【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク タイポグラフィ学会誌

タイポグラフィ学会 は、タイポグラフィという技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技 ・ 実践を通して社会に貢献することを目的に、2005年8月に設立されました。
『 タイポグラフィ学会誌 』 は2007年に創刊、今回が08号となります。
これらの研究成果が、日本国内のみならず各国の研究者によって広く参照されて、タイポグラフィ研究の発展に寄与することを希望するとともに、『 タイポグラフィ学会誌 』 が今後さらに、タイポグラフィの研究における特色ある媒体として成長していければと考えております

― タイポグラフィ学会
【 詳細情報 : タイポグラフィ学会

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* 本書はタイポグラフィ学会から朗文堂が特別委託を受けて販売するものです。
*本書のお申し込みは朗文堂宛てに直接お願いします。
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* 「書籍名 ・ 冊数 ・ 申込者氏名 ・ 郵便番号 ・ 送付先住所 ・ 電話番号 」 を明記の上、小社宛てに ファクシミリ または Eメール でご注文ください。
* 『 タイポグラフィ学会誌 01-08 』 バックナンバーでのご発注も可能です(在庫僅少)。
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2015年09月03日[木]は、本木昌造140回忌でした。

本木昌造02本木昌造 1824-75年
文政7年6月9日(新暦1824年7月5日)- 明治8年/1875年9月3日

本木家歴代の墓地 長崎市鍛冶屋町5-74 大光寺 2015年05月撮影DSCN9217 DSCN9170 DSCN9167 DSCN9160 DSCN9179これまで看過され、まだ精査が必要だが、本木家墓地、向かって右側の列の中央部、佛座像が彫りこまれたこぶりな墓標は、本木昌造の子息:本木小太郎の墓標とみられている。

下掲写真は長崎諏訪公園にある「本木昌造立像」。戦前は座像の銅像があったが戦時下の金属供出令でうしなわれた。1954年(昭和29)立像として再建されたが。近年は後背部と基礎部の石積みに破損が進行しているようでいささか心配である。
DSCN9269
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新 宿 餘 談

ことしの夏はひとしお暑かった。
そのため、ベランダ花壇の植木などはすっかりげんなりしていたが、新宿御苑の歩道にそって植えられたサルスベリ(百日紅=ヒャクジツコウ、Lagerstroemia indica)は、炎暑にもまけず、くれないの花をいっぱいにつけていた。
「風立ちぬ」 ―― 涼風のたった09月01日、百日紅をすぐ裏の御苑のへりの歩道で撮影してきた。

DSCN1144 DSCN1149百日紅は中国南部の原産で、ミソハギ科の落葉中高木とされる。
花が美しく、耐病性もあり、必要以上に樹髙が大きくならないため、しばしば庭や公園などに植えられるという。

中国では、唐代長安の紫微シビ(宮廷)にこの樹木が多く植えられたため「紫薇」と呼ばれるが、比較的長い間紅の花が咲いていることから「百日紅」ともいう。
和名の「さるすべり」は、幹の肥大と成長にともなって古い樹皮が剥がれ落ち、新しいすべすべした樹皮を猿が登ろうとしても、滑ってしまうということで、「猿も滑る サルスベリ」と表記することもある。実際には敏捷な猿はこの程度では滑ることなく簡単にのぼってしまうという。

夏の炎暑の日日を彩った百日紅も、涼風がたつとともに、多くの花弁を落とし、歩道の一部はくれないの絨毯のように鮮やかだった。
夏も終わりがちかづいた。ときはまさに晩夏である。
いつの間にかカレンダーののころりも四枚だけ、すなわちいつのまにか一年の三分の二がすぎさってしまった。

日中の新宿御苑の杜ではアブラゼミの蟬しぐれであるが、夕まぐれになると、ときおり甲高い声でヒグラシが哭く。長崎の照葉樹林の照りかえしのつよい夏をおもい、はるか長崎を偲んだ。
新宿邨の夏は、喧噪のまっただ中でおわりをむかえつつある。

【再紹介 在庫僅少】 島屋政一著 『本木昌造伝』-わが国活字ボディサイズ淵源に関する貴重な記録 修整部PDFデーターつき

朗文堂 ブックコスミイク 愛読者の皆さまへ

朗文堂刊行書のご愛読ありがとうございます。
今回あらためてご案内いたします 『本木昌造伝』(島屋政一、2001年08月20日) は、おかげさまで残存部数がのこりわずかとなりました。
島屋政一『本木昌造伝』は、1996(平成08)年07月、名古屋の旧津田三省堂(現ナプス)の筐底にひめられていた、島屋政一による未発表自筆稿本を原稿としています。この時点で島屋政一氏は物故していたとみられ、そのため著者校正を経ておらず、一部に正誤表を発表する必要が発生しております。

すでに島屋政一『本木昌造伝』をご購入済みのかたは、お申し出をたまわれば、正誤表とともに、板倉雅宣氏ご協力による索引を献呈させていただきます。
あわせて島屋政一『本木昌造伝』には、わが国の活字ボディサイズと、そのシステムに関し、類書にない貴重な資料が掲載されています。
目下愛読者の一部と考査中ですが、追試をかさねてみると、きわめて精度の高い資料であることが近年あきらかになりましたので、ここにその一部をご紹介いたします。

本項は<タイポグラフィ・ブログロール 花筏>における連続掲載記事の一環として、わが国の活字ボディサイズの淵源をたどる重要資料として再構成されて紹介されています。
あわせてご覧いただけましたら幸甚に存じます。
【花筏 [字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*04  島屋政一『本木昌造伝』における活字ボディサイズの新考証
hanaikada_color
20150421193950685_0003島屋政一『本木昌造伝』の序文にあたる「例言」には、このようにあります。

筆者はすでに『印刷文明史』を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。
さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所・青山容三〔督太郎〕氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授もえた。

この「例言」をうけた記述が『本木昌造伝』 p.117-120 にみられます。
そこでの島屋政一は、大阪の活字鋳造業者/青山進行堂活版製造所・青山容三〔督太郎〕氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授もえて、<わが国では近代活字版印刷の創始のころから、 号数制金属活字とは本木昌造がさだめたものであり、鯨尺や曲尺による、尺貫法にもとづいた製品である > としたそれまでの立場を捨てています。 それに代えて島屋政一は、

英国においてはトーマス・ハンサード(Thomas C. Hansard)が1825 年(文政08)に 『Typographia』 (原著:p.387–8) を著し、活字の標準化を提唱して、1 フィートにたいする活字の全角の個数〔本数〕の標準をつぎのように定めていた。
○ 一号  1 ft に32 本        Two-Line English 
○ 二号  1 ft に41 本1/2  Two-Line Small Pica
○ 三号  1 ft に56 本1/4     Two-Line Brevier
○ 四号  1 ft に64 本         English
○  五号  1 ft  に83 本    Small Pica
○ 六号  1 ft に112 本1/2    Brevier

とし、わが国の号数制活字の淵源を、「English 系統 一号、四号」、「Small Pica 系統 10.5 pt 基準。初号、二号、五号、七号」、「Brevier 系統 三号、六号、八号」であることを解明しています。
さいわい原著『Typographia』 (Thomas C. Hansard,  1825 年(文政08),   原著:p.387–8)を所有しておりましたので、原典照合をしたところ、一部にあきらかな転記ミスがみられましたので、下掲図にそれを正した図版をかかげ、また正誤表を作成いたしました。

また現在、<朗文堂ちいさな勉強会 平野富二の会>の会員を中心に、この島屋政一説を追試・検討をかさねておりますが、現状ではわが国の五号活字のボディサイズは、Small Pica 10.5 pt 基準 とみられるものの、一部に異なったサイズがみられ、それが島屋政一が紹介した「五号 1 ft に83 本 Small Pica」にちかい数値を示していることまでが判明しています。

以下は平野富二の東京本格進出を控えて急遽作製されたとみられる「天下泰平國家安全」の活字販売用見本(『 崎陽 新塾餘談 初編一、初編二 』 巻末口上。ともに壬申二月〔明治05 年02 月〕)の製作のときに完成していた、活字ボディサイズの該当部を抜粋して紹介します。
この調査・研究はまだ端緒についたばかりで、ひろく『本木昌造伝』愛読者の皆さまのご参加をお待ち申しあげております。

20150421193950685_000320150601175842929_0001 20150601175842929_0002『 新塾餘談 初編一 』巻末口上(活字ボディサイズ見本ならびに価格表 壬申二月〔明治05年02月、1872〕 刊、印刷博物館蔵 ) PDFデータ  】

◎ 関連既出情報
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*01 考察のはじめに 】
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*02 〔松本八郎〕 活字の大きさとシステム 】
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*03   〔川田久長〕 活字の大きさとシステム

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朗文堂 愛着版

本 木 昌 造 伝

島 屋  政 一 著
朗 文 堂 刊

A5判 480ページ
口絵カラー写真20点、本文モノクロ写真172点、図版196点
上製本 スリップケース入れ 輸送函つき
背革にベラムのバックスキンをもちいて

ヒラにはコッカレルのマーブル紙をもちいました。

本書(索引・正誤表つき)は在庫僅少で、輸送箱の一部に汚損があるため、直販のみとし、一般書店では取り扱っておりません。
恐縮ながら、本書の入手をご希望の方は直接 朗文堂 ヘお申し込みください。
本体価格:16,000円(税・送料別)
【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク 本木昌造伝

【 目  次 】
・ 本木昌造の誕生から通詞時代

・ 長崎製鉄所時代の本木昌造
・ 近代活字創製の苦心
・ ガンブルの来日と活版伝習所の創設
・ 新街私塾と長崎活版製造会社
・ 長崎から東京へ/活版印刷術の普及
・ 本木昌造の終焉と本木家のその後
・ 凸版印刷と平版印刷、ライバルの登場
・ 印刷界の二大明星
・ 本木昌造をめぐるひとびと
・ 野村宗十郎とアメリカン・ポイント制活字
・ 印刷術の普遍化とわが国文化の向上
・ 印刷界の現状
・ 編集子あとがき

【 例    言 - はじめに 】
島 屋  政 一
わが国の印刷事業は、とおく奈良平安朝のむかしに寺院において創始され、久しきにわたって僧侶の手中にあった。 江戸期にはいって勅版がでて、官版および藩版がおこり、ついで庶民のあいだにも印刷事業をはじめるものがあらわれた。
寛文(1661-72)以後、木版印刷術おおいに発達して、正徳、享保時代(1711-35)からは木版印刷術が全国に普及をみたが、それは欧米諸国の近代活字版印刷術にくらべてきわめて稚拙なものだった。

幕末の開国とともに洋学が勃興して、印刷術の改善にせまられた。そのときにあたり、近代活字鋳造と近代印刷術の基礎をひらき、善く国民にその恩恵をひろめたものが本木昌造翁だった。

筆者はすでに『印刷文明史』を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。
さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所・青山容三〔督太郎〕氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授もえた。
さらに筆者は、すぐる太平洋戦争において、おおくの蔵書を戦禍にうしなった。また青山進行堂活版製造所、森川龍文堂の両社はその活字の父型や母型のおおくをうしなっている。

このときにあたり、ふたたび、日本の近代文明に先駆して、開化の指導者としておおきな役割を演じた本木昌造の功績を顕彰し、それに学ぶところは大なるものがあると信ずるにいたった。
本木昌造はひとり近代印刷術の始祖にとどまらず、むしろ研究者であり教育者でもあった。
本木昌造の設立にかかる諸施設とは、むしろ「まなびの門」でもあったのである。

そうした本木昌造のあらたな側面を中枢にすえて本書をしるした。

  昭和24年10月20日
                              著 者 識

【 本木昌造伝 修整部 PDF  motogi-denn-syuusei 】 

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【移転のお知らせ】 美登英利さん mitografico 東北沢から上北沢に移転

001move dm002朗文堂『文字百景』シリーズのタイトル文字の制作者であり、
著作『書林 美登英利作品集』の造形家/ 美登英利 さんの事務所<mitografico>が
長年にわたり親しまれていた東北沢から、2015年07月、上北沢に移転されました。
ここに皆さまにお知らせいたします。
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美登英利さんには小社刊の《魂の叫びの書》ともいうべき、美しい作品集
『書林 美登英利作品集』があります。

美登さんは、一片の棒をもって虚空に書し、筆に真水をふくませて巨岩に書すひとです。
その造形が紙に墨で書すという書芸の段階になってからも、
一 点の作品が完成するまでに100回を越える書を試みるという
フィールドの広い造形家として研鑽にいそしんでいます。

その書による造形が書物の中に100余点林立するさまは、読者の胸に
圧倒的な迫力で迫ります。
ですから美登英利氏は書家と呼ばれることを拒み、デザイナーであり造形家であるとします。
そんな作者自身による得難い自著・自装本が、朗文堂刊『書林 美登英利作品集』です。
200907shorin_cover[1] shinkan-shorin-newsjpg[1]
【 書 名 】    書林 美登英利作品集
著 者 】    美 登 英 利 Hidetosihi Mito
装 本 】    A4判変形(235×275mm) 100ページ 小口折りソフトカバー
【 発 売 】    朗文堂
【 定 価 】    本体 3,800円 + 税
ISBN978-4-947613-80-6
【 詳細 : 朗文堂ブックコスミイク 『書林 美登英利作品集』
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シリーズタイトル 書 : 美登英利