編集佳境 ナレド越年必至!
ヘルムート シュミット著 ナラビニ デザイン
『japan, japanese』
『japan, japanese』 ジャケット仮デザイン
年末の繁忙期、皆さま元気にお仕事にお励みのことと存じます。
小社既刊書、ヘルムート シュミット著 『バーゼルへの道』に、しばしば皆さまから増刷発行(第3刷り)のご要望をいただいてまいりました。
こうしたご熱心な読者様のご要望に添えなかったおもな理由は、第3刷りともなると、デジタルタイプも旧世代のものとなって、相当の組み直しを予定していました。
ところが著者であり製作者のシュミット氏が、集中して次の著作の構想を練られており、そのために、精神をたかめ、意識を研ぎ澄ませ、そちらに全力を傾注しておられたために、遅滞を余儀なくされました。
既刊書『バーゼルへの道』は、オーストリアにうまれたひとりの少年(シュミット氏)が、なぜとおいスイスで働くにいたったのか、なぜ「学士」への道をすて、タイポグラファという「職人」への道を選択したのか。
そしてバーゼルの印刷工場でCompositor(活字植字工)として働きながら、尊敬おくあたわざるエミール ルーダーの私的な「タイポグラフィ実験室」への受講許可を待ちつづけたのかを『バーゼルへの道』として詳細につづったものでした。
いまやひろく知られるにいたったその「実験室」とは、ルーダーを中心とするタイポグラファが、ほぼボランティアで主宰した夜間の私塾で、定員は最大3名だったとされます。
講義のほとんどは、ルーダーが好んで「実験室」と呼んだ、活字版印刷の植字室でなされ、そこでの研究と創造のよろこび、濃厚なタイポグラフィ漬けの日日がテキストでつづられ、刮目すべきタイポグラフィの作品群の図版がならんでいます。
近刊書『japan, japanese』の原資料は、『ティポグラフィシェ モナーツ ブレッテル』(TM誌)に、1968年1月-1973年3月にかけて連載された記事をもとに、全面的に再構築したものです。
スイスでまなび、タイポグラファとしておおきく成長したひとりの青年(シュミット氏)が、なぜ、とおい日本をその活動の本拠地としてえらび、なぜ、はるばると日本にやってきたのか。その日本で、なにを発見し、なにに惹かれ、そしてなぜ日本に定住する道を選択したのか……。
すなわち「日本を日本たらしめている、素晴らしいひとと造形の数数」を、繊細な視線と、すみきった明るい心境からときあかしています。
そこには、日本にうまれ、日本で育ったわたしたちが見落としがちな「すばらしい日本、すばらしい日本人」が、清明に、いきいきと描かれています。
本来、新刊書『japan, japanese』 は2011年のクリスマス・ブックとして、本年年末の刊行をめざしていました。
ですから今頃は、書店の店頭に『japan, japanese』 がならんでいるはずでした。
しかし……、どうやら版元スタッフ(小生)が余計なことをいった──写真は実に的確に「良き日本」をとらえているが、せっかくのシュミット氏の肉声が、独語・英語がほとんどで、和訳が一部にとどまっているのはあまりに残念だ──ために、全面的に編集をみなおし、翻訳の原点にまで戻ったために、年内刊行を断念した次第です。
欧米の造形者とはなしをすると、しばしば〈日本の造形)をかたった書物として、岡倉覚三(天心とも、1862-1913)『茶の本』、谷崎潤一郎(1886-1965)『陰翳礼讃』を話題にします。いずれもふるい時代の書物ですが、内容はすばらしく、各国語に翻訳もされています。
それでも、そんな状況が、20年-30年もの長きにわたって続いていることに、ときおり臍ホゾをかむおもいをしてきました。
いずれにしても、来春には『japan, japanese』 の刊行をみます。これからは、名著として評価のたかい『茶の本』、『陰翳礼讃』とならんで、わが国はもとより、世界規模でのあらゆる造形者が、日本と日本人を語りあう際に、互いの共通基盤として『japan, japanese』が絶好の書物になることを夢見て、すべてのテキストの和訳をお願いしました。
もう少しで『nippon no nippon』が入った、正式デザインによるジャケット紹介もできそうです。それまでもうしばらくのお時間をいただきます。
2012年にむけて、期待に満ちた、嬉しい話題を皆さまにお届けいたします。
── 『japan, japanese』 装本仕様(すべて予定) ──
菊判12ページ折り(重箱本)、108ページ
かがりとじ、上製本、ジャケット付
オフセット平版印刷、スミ1色
定価は未定です。