在京の多くのアダナ・プレス倶楽部会員の皆さんが参加されて
<活版 TOKYO 2015>が開催されます。皆さまのご観覧をおすすめいいたします。
【 詳細情報 : 活版 TOKYO 2015 実行委員会 】
在京の多くのアダナ・プレス倶楽部会員の皆さんが参加されて
<活版 TOKYO 2015>が開催されます。皆さまのご観覧をおすすめいいたします。
【 詳細情報 : 活版 TOKYO 2015 実行委員会 】
◯ 開催期間
2015年07月08日[水]-08月30日[日] 開催期間中無休
◯ 開館時間
10:00-19:00(入館は18:30まで)
毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
◯ 会 場
Bunkamura ザ ・ ミュージアム
◯ 主 催
Bunkamura
◯ 入 館 料
一 般 1,400円 (消費税込み)
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エリック・サティ(1866-1925)は、20 世紀への転換期に活躍したフランスの作曲家です。
サティは芸術家たちが集い、自由な雰囲気をたたえていた、モンマルトルで作曲家としての活動を開始し、その後も生涯を通じて芸術家との交流を続けました。
第一次大戦中から大規模な舞台作品にも関与し、パブロ・ピカソとはバレエ・リュスの公演《パラード》を、フランシス・ピカビアとはスウェーデン・バレエ団の《本日休演》を成功させました。また一方では、アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、コンスタンティン・ブランクーシ、マン・レイ、そして数数のダダイストたちがサティとの交流から作品を生み出していきました。
本展ではマン・レイによって「眼を持った唯一の音楽家」と評されたサティの活動を芸術家との交流のなかで捉え、刺激を与え合った芸術家たちの作品を通して、作曲家サティの新たな側面を浮かび上がらせます。
【 詳細情報 : Bunkamura 展覧会エリック・サティとその時代展 】
【 YouTube : Bunkamura 展覧会エリック・サティとその時代展 1:42 】
ボナミについて
杉山聡 三木葉苗 三木咲良 のトリオ。
神奈川県の小さな港町、真鶴のアトリエで
手製本、活版印刷などを用いた本や紙のものを制作しています。
Bon ami(ボナミ)はフランス語で「なかよし ・ 良き友だち」の意味。
私たち三人は、はじめて出会ったその瞬間から仲良しになりました。
そのことが、私たちの人生でいちばんの彩りです。
浮き沈む日々も、ただ、こう言います。「私たちは Bonami ― なかよし ― です」
『 日々への手紙 』
2015年06月22日[月]発行 2,500円+税
240mm × 165mm 全15 葉
詩・三木 葉苗 題字・三木 咲良 発行者・杉山 聡 発行所・Bonami
ブックデザイン・印刷・製本 Bonami
【 Bonami URL : Bonami ホームページ ボナミの本 特設『日々への手紙』 】
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いつも Bonami の皆さんをご紹介するときには、いつも、ただ、
「どこか、いい感じ」とだけしてきました。
ことばにはしにくいものの、どこかいい感じの皆さんがボナミです。
ボナミは、海のめぐみと山のさちのまち、神奈川県の真鶴町に本拠をおき、
真摯な造形活動にいそしまれています。
〒259-0201 神奈川県足柄下郡真鶴町真鶴1099-15 2F
電話0465-46-8590 FAX0465-46-8591
このたび<ボナミの本>として、『かみきりサックル』、『さくらとカトリ』につづき
第三作目の、詩集『日々への手紙』が完成しました。
その製作の渦中にお電話を差しあげ、画像データ提供をお願いしました。
ボナミの皆さんからは、画像だけでなく、動画の共有も許諾いただき、
ここにご紹介いたしました。皆さまのご愛読を期待いたします。
Bonami from mirai cinema on Vimeo.
この南米アルゼンチンの書店情報は会員の I 氏よりご提供いただきました。
アルゼンチンの大港湾都市にして、首都の ブエノスアイレス(Buenos Aires) では、1919年に開設され、天井にフレスコ画が描かれたふるい劇場を、2000年に書店として改装して、年間100万人以上の来店者をむかえて盛況を呈しているようです。
I 氏からは、このほかにも中国における<合字>情報など、英字紙を中心にたくさんの情報をご提供いただいておりますが、忙しさにかまけてご紹介が遅滞しております。申しわけない次第です。しばしのご容赦を。
本情報の元記事は英字紙 <The Guardian> によります。詳細は元記事をご参照ください。
【 The Guardian : A novel oasis: why Argentina is the bookshop capital of the world 2015.06.20 】
世界都市文化フォーラム(the World Cities Culture Forum)の最近の調査によると、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスは、世界のほかの都市にくらべると、住民ひとりあたりではもっとも多くの書店を持っている。
ブエノスアイレスはおよそ280万の人口であるが、この街には734軒の書店がある。それは100,000人の住民ごとに約25軒の書店があることになる。
世界的にみると、香港は100,000人あたり22軒の書店がありこれにつぎ、三番目はスペインのマドリッドが続いて16軒、英国のロンドンは100,000人あたり10軒の書店をかぞえる。
いっぽうわが国では大都市圏での書店数のいちじるしい減少がめだつ。
2010年時点でのタウンページには、全国で14,609軒の書店が掲載されていて、人口10万人あたりの書店数は11.46軒となっている。
全国でもっとも書店が多いのは福井県で人口10万人あたり19.55軒。以下、徳島県、新潟県、石川県、高知県と続いている。日本海側と四国に書店が多く、上位10県のほとんどを占めている。逆に九州と太平洋岸では書店が少ないとする調査結果もある。
【 タウンページの掲載数による書店数ランキング 】
また国立国会図書館の資料では、わが国の出版産業の急激な衰退ぶりが顕著になる。あたらしくもたらされるデジタルメディアに狂奔していた間に、いつの間にかわが国は文化国というにはあまりにさびしい姿となっている。
【 国立国会図書館 : 出版産業に関する主要統計資料 】
19世紀のブエノスアイレスは、世界で最も裕福な都市のひとつであり、アルゼンチンの輝く首都であった。 ヨーロッパ諸国からの移民は競ってブエノスアイレスに押し寄せ、文化と芸術が混淆して多様な文化環境を形成した。
しかしながらその後のアルゼンチンは、軍部による独裁政治があり、それにつづいて経済の崩壊と再建も経験してきた国でもあった。
アルゼンチンはまた印刷業も盛んで、ラテンアメリカでもっとも多くの出版社があり、出版タイトル数は、2014年の統計では28,010タイトルと着実に増加しており、印刷された図書の全体数は1億2,300万冊であった。
東京も古書店がおおい街のひとつであるが、ブエノスアイレスには新刊書の書店だけでなく、102軒の希少本や二次循環のための古書店があり、ロンドンの68軒、または、ほんの06軒のベルリンをうわまわっていることも報告されている。
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これまで、アルゼンチンの出版事情や、書店状況の情報はすくなかった。
ブエノスアイレスはおおくの移民が近世に渡来したという歴史的な背景もあって、多民族が居住している。そのため、おおくのスペイン語表記による新聞に加え、英字新聞、ドイツ語新聞なども一定の読者をもつようである。
またアルゼンチンでの図書は、標準的な売上税(わが国の消費税にちかいらしい)を免除されており、外国資本によるネット・ブックショップも政府によって大幅な規制があるようである。
近年フランスで、外国資本によるネット・ブックショップ企業との紛争が話題となった。
中国では、大都市に24時間営業の大型書店がつぎつぎと誕生している現状もある。
いっぽうわが国では、ながらく活字離れが標榜され、近年になると書店の閉鎖が相次ぎ、それが影響して、出版社は不振をきわめ、転廃業や統合があいついでいる。
また、取材・執筆・撮影・デザイン・組版・製版などのプリプレス業からはじまり、印刷関連機器資材製造業・印刷業・製本業・紙工業・輸送業・書籍取次・書店といった、プリプレス、プレス、ポストプレスといった、図書製造と流通・販売の基盤をささえるすべての産業が苦境に陥っている。
したがって、いまのところは<電子出版>などという、実相も流動的で明確でない分野に生きのこりを懸けるしか、人材の離散をふせぐためには対策が無いようでもあるし、それが万がいつ成功してくれたらうれしくおもう。
ただ個人的には、ついつい便利だからと利用していた、外国資本によるネット・ブックショップの利用を、この報道を読んでからはすこし抑制しようとおもうにいたった。
そして、定期的に購読していた月刊誌を取り置きしておいてくれ、やつがれの愛読している作家の新刊を、さりげなく取りだしてくれていた、小田急沿線の、急行がとまらない、ちいさな商店街の、ほとんど家族だけで営業していた書店の閉鎖をさびしくおもう。
さりとてここで<The Guardian>が紹介したオペラ・ハウスのような書店では、あまりに宏大すぎと目眩症状が発生しそうでもある。
また、歳のせいだけだろうか、近年のわが国の洋モノ雑貨店のような、あるいは喫茶店の亜流ような<コンセプチュアル・ブックショップ>なるものにはなじめないいまである。
<活版カレッジ>は、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Adana-21J , Salama-21A によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
<活版カレッジ 2015年春期講座>は、04月08日-06月18日、三ヶ月、全09回にわたって開講され、2015年06月18日最終講座をもって全課程を修了されました。
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<活版カレッジ>は、基本的に春夏秋冬と、年に四回開講されますが、ここ数回にわたって事前のご予約者が多く、ほとんど一般公募ができない状態がつづいています。 すでに七月開講の夏期講座は満席ですし、秋期講座にも相当数のご予約をいただいております。
ともかく受講のご意思のあるかたは、アダナ ・ プレス倶楽部 e-mail adana@robundo.com » send email まで受講希望の意向をご連絡ください。 一般公募に先だって、あらためてご案内をさしあげます。
詳細は <アダナ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。
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活 版 歳 時 記 ―― やつがれの辞書には<雑艸 まして 雑草>なぞということばはない。
サイスケ コト 姫女菀(ヒメジョオン)の ことども
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 <活版カレッジ 2015年春期講座>の開講にあたって、やつがれが元旦に播種した「野沢菜の花」と、古谷昌二氏の写真による、神奈川県の山中で開花していた「三椏 ミツマタ の花」を紹介した。
【開講時の報告 : [活版カレッジ] 2015年 春期夜間部講座 開講のお知らせ 04.13 掲載 】
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そのおり、ベランダ花壇ではあるがたいせつにそだてている<サイスケ>のことも紹介した。
<サイスケ> は、鹿児島市長田町の五代友厚生誕地をたずねたとき、石垣の割れ目にチンマリと張りついていた、まるで地苔類かとおもわれるほどのちいさな野艸を、三株、たばこの空き箱にいれて持ち帰ったものである。
かにかくに、五代友厚 ( 1836-85 幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) は、そのうちに各方面であらたな震撼をあたえるとおもわれるが、いまのところはまだ静かにしておこう。
【 ウィキペディア : 五代友厚 】
サイスケの写真は、上から二葉が採種現場(2014年11月上旬)。
以下ベランダの鉢植えで、2015年03月末、04月末である。
冬を越した直後はデージーかとおもったが、どうやら世間一般ではドクダミと同様に雑草の代表のように、忌み嫌われている、名を知らぬ野草のようでもある。
やつがれは雑草という名の艸はないと常常いっている。 むしろいかにも五代友厚の生家跡に育つ艸らしくて面白いとおもう。 どんな花が咲くのか、しっかり見まもりたい。
<サイスケ>は意外にやつがれを手こずらせた。五月の連休明けに鉢植えの艸花のほとんどが、ノー学部の見立てで「うどんこ病」の症状を呈したので、消毒スプレーを噴霧したり、一部は土がえをしたりしていた。
四月の中旬にもなると、ある程度(いやな)予感はしていたが、花をつけたとき、ようやくノー学部育種科が<サイスケ>のなまえを調べてくれ、どこか投げやりに報告した。
「サイスケはヒメジョオンという艸でした。キク科ムカシヨモギ属の外来植物です」
すぐにいたく気分を害した。やつがれががっかりして、気分をわるくするのがわかっていたから、ノー学部はいつものようなプリントも用意せず、メモ一枚だけの投げやりな報告だったのだ。
さっそく一枚のメモを手に、植物図鑑をひもとき、またウィキペディアもみた。
こういう場ではしかたがないのだろうが、ウィキペディアの最後の一行が…… 。いかんせん気になった。もうすこしだけ艸花に愛情をもってですね、記述していただけなかったのかと。
冬のあいだは、やつがれの郷里で「貧乏草」と呼ぶ、ハルジオン(春紫菀、学名: Erigeron philadelphicus )かもしれないとひそかにおもっていた。こちらは、花ことばこそ「追想の愛」とけなげだが、ウィキペディアの解説は、情け容赦もない。
【 ウィキペディア ハルジオン 】
ハルジオン(春紫菀、学名 : Erigeron philadelphicus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。北アメリカ原産で、日本では帰化植物となっている。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。花言葉は「追想の愛」。
【 ウィキペディア ヒメジョオン 】
<形態・生態>
ヒメジョオン(姫女菀、学名:: Erigeron annuus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。背の高さが50-100cmにもなる、白い花を咲かせる一年草である。同属のハルジオンと共に、道端でよく見かける雑草である。
若い時期は、根本から長い柄のついた丸みを帯びた葉(根出葉)を付ける。やがて、茎が高く伸びると、根本の葉は無くなり、茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉は黄緑色で、まばらに毛が生える。
茎は初めは枝分かれせず、先の方で数回の枝分かれをして、白か薄紫の花を咲かせる。花はヒマワリのような形だが、周りの花弁がとても細い。また、ヒメジョオンの花に見えるものは頭状花序で、小さな花の集まりである。中央の黄色い部分は、管状花といい、周辺の花びらのようなものは、舌状花という。花の時期は初夏から秋にかけての5-8月である。また、花弁の白い部分がやや紫がかる個体が見られることもあるが、これは清浄な空気の中で育った時にできるものである。
1個体あたり47,000以上のを生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっている。したがって駆除がとても難しい。
<分布・生育地>
北アメリカ原産で、ヨーロッパ、アジア(日本を含む)に移入分布する。
日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた。現在では全国に広がり、山間部にも入り込んでいる。在来種の植物の生育を邪魔する可能性があり、とくに自然豊かで希少な植物が多く生育する国立公園や亜高山帯では問題となる。そのため、ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。
おもへらく、どうもわが国近代の植物の命名は、感性と情緒に乏しいのではなかろうか。
先に紹介した手漉き紙の材料となる植物は、枝分かれがみっつにわかれるからとして「ミツマタ 三又、三椏」とするのは、形而下での即物的な命名でしかない。
みつまた ( 三椏 ・ 三叉 ) は中国原産のジンチョウゲ科の落葉低木で、わが国でも暖地に栽培されています。 その枝はかならず三つにわかれることからその名がうまれました。樹皮の靱皮をとって手漉き紙の材料とします。
櫻にさきだって、黄色の筒型小花をつけ、つよいかおりを発するので 「 結香 ムスビキ」 の和名もあります。 中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とされます。
かつてのわが国でも「ミツマタ 三又、三椏」を、沈丁花にも似たそのつよいかおりをめでて 「 結香 ムスビキ」 の和名をあたえていた。また、中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とする。
京都のいわゆる「哲学の道」にはこの灌木がたくさん植栽されており、喧噪のときとなる櫻の開花にさきだって辺り一面芳香につつまれる。川面をわたる風はまだつめたいが、観光客の殺到もなく、京都のもっともよいときでもある。
もしかすると<サイスケ>のとおい祖先は、原産地の北アメリカ大陸から、中国をへて、わが国に渡来したのかもしれない。ウィキペディアにも<日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた>とある。したがってその名がいわゆる「漢風」になっており、現代のわが国ではしばしば間違って読まれ(音され)ている。
つまり、ヒメジョオンに「姫女菀」の名を、ハルジオンに「春紫菀」の名(漢の字)をあたえた中国人の心性はけなげである。ちなみに「菀 wan」とは、きく科の艸の名前であり、盛んに茂るさまをあらわす。これをわざわざ観葉植物として<導入>したのだから…… 。
それをまぁよくも<ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている>とまで酷評したものである。
かにかくに、やつがれもウィキペディアからは<道端でよく見かける雑草で、驚異的な繁殖能力をもち、駆除がとても難しい>と酷評された野艸を、はるばる鹿児島の五代友厚生誕地から、コンクリートの割れ目で採取し、<サイスケ>と名づけて花が咲くまでそだててきた。
わが家の<サイスケ>は、「うどんこ病」にはかかるし、少しでも灌水をおこたるとすぐにヘナッとなるほどのわががまであり、虚弱体質でもある。
「朗文堂 ちいさな勉強会 古文書解読法講座」 講師 : 古谷昌二さん
五代友厚(才助)宛の書簡
ともあれ、寒い冬の朝を、毎日<サイスケ>と挨拶を交わしあってきた。これからはヒメジョオン(姫女菀)の驚異的な繁殖力とやらを見まもりつつ、しのつく梅雨の日日をへて、暑い夏の日日をむかえたいものである。
七月第一週からは、はやくも<活版カレッジ 夏期夜間講座>がはじまる。
そして春期講座の修了生の皆さんは、<活版カレッジ Upper class>のメンバーとなった。
そして近代タイポグラフィの幕開けにはたした五代友厚 ( 1836-85 幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) のおおきな功績が、徐徐に解明されつつあるいまである。
【 デジタル版画で北斎を刷ろう フライヤー モノクロプリント用PDF Hokusai-Hanga 】
デジタル版画で北斎を刷ろう インストラクター/有薗克明さん
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ところで…… 、 このワークショップ<デジタル版画で北斎を刷ろう>のインストラクターとして、準備万端ととのえ、意欲満満なのが有薗克明さんです。
カンと視覚記憶力のよいかたなら「アレッ、どこかで拝見したお顔だな」と…… 。
有薗克明さんは、ふるくから東京下町、墨田区を本拠地とされる、印刷・整版会社、株式会社サンコーの代表取締役ですが、ついこのあいだまで<活版カレッジ 春期講座 04月08日-06月18日>で、うら若き女性同期生三名とともに、熱心に活版印刷をまなばれていたかたです。ですからこの URL にもしばしば登場されていたかたです。
【 関連情報 : 株式会社 サンコー ホームページ 】
有薗克明さんに<活版カレッジ>を推挙されたのは、ご子息の有薗佳克さんでした。当時の@メールにはこうありました。
「父はわがままなので、きびしくご指導のほどよろしくお願いいたします」
有薗克明さんとやつがれとはほぼ同世代。また今期の<活版カレッジ>には、たまたま版画の専門家もおられましたから、ご子息の「憂慮?」をよそに、有薗父は実に積極的に、また楽しそうに<活版カレッジ>の全課程を修了されました。
その間、休憩時間や終了後のご帰宅時間までのわずかなあいだ、このワークショップ<デジタル版画で北斎を刷ろう>の準備の様子をたくさん拝聴しておりました。
優秀なご子息、有園悦克さんをもたれた有薗克明さんを、うらやましくおもうと同時に、いささか歳をかさねても、あたらしい事業、技術に挑戦をつづける有薗克明さんに拍手です。
みなさまの積極的なご参加を期待するゆえんです。
【 関連情報 : [活版カレッジ] 2015年 春期夜間部講座開講のお知らせ 2015年04月13日】
【 版画専門家情報 : [会員展覧会情報] 笹井祐子さん、あらかわ画廊で三人展開催 2015年04月20日】
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【 詳細URL : Co-lab 墨田亀沢ニュース 】
奥 村 浩 之 Okumura Hiroyuki
<略 歴>
1963年 石川県に生まれる。
1986年 金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年 金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年- メキシコに渡る
現在、メキシコを本拠地に、彫刻制作に没頭
【 YouTube 2:42 奥村浩之 彫刻を語る https://youtu.be/US5XMIHnT5I 】
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<“ FSPONTÁNEIDAD ” わ が 宝 奥 村 浩 之>
日本での石との対話から、さらに大きな石との格闘を求めて渡ったメキシコでは、石のほかに、メキシコ時間との出会いがあり、ESPONTÁNEIDAD (のびのびとした) ということばが、何をすべきか、僕を大きく成長させ変貌させた。
メキシコの豊かな大地と歴史、メキシコの人々の心が育て上げたメキシコ時間の精髄で、その真意を知ったとき、僕は真に自由になり、メキシコと同化したことを自覚した。
ESPONTÁNEIDAD は僕を僕たらしめ、僕の宝となった。 そしてそれは彫刻表現の方向をも導いてくれ、さらにもうひとつのことば 「GOZOSO」 (楽しい) も連れてきてくれた。
左) 奥村浩之 Hiroyuki Okumura さん。右) 笹井(奥村)祐子 Yuko Okumura-Sasai さん
彫刻家/奥村浩之、版画家/笹井祐子。このふたりとすごした初夏の日日、そのわずかで永かった時間は、どこか模糊としてとらえどころがなく、それでいて充実し、こころをなごませるひとときとだった。
奥村浩之の彫刻作品は、すべての作品にギャラリーがつき、勝手に紹介はできなかった。それよりも、どの作品も巨大で、WebSiteのちいさな画面ではとうてい紹介できる造形物ではなかった。それでも秋の個展まで待てないからと、無理を承知で、朗文堂の周囲に紹介する写真を依頼した。
いまはアトリエに戻り、なにごとも悠然とながれる「メキシコ時間」のなかにいる奥村浩之である。したがって写真の到着までにはだいぶ時間がかかるであろうと予測していた。ところがナント、おそらく汗を拭き拭き写真を選択したものとおもえたが、小品ながらも力作ばかり、五点の写真データを送付してくれた。
奥村浩之はことしの秋に東京での個展を予定している。それに際しては令室の笹井祐子をわずらわせてデータをいただき、あらためてここにご紹介したいが…… 。
地球の向こう側で、硬くて、堅い、メキシコの岩や石と格闘している彫刻家/奥村浩之のこころは、きわめてのびやかで、やさしかった。そしてその躰をながれる血液は、まぎれもない日本男子のそれである。
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1 NIDO DE VIENTO(ニィード デ ベィエント)― 風の巣 ―
火山岩 48 x 37 x 30 cm 2012年
2 CONTRA VIENTO(コントラ ベィエント)―風に向かって ―
オニックス 56 x 30 x 33 cm 2012年
3 LA CASA DEL NORTE(ラ カサ デル ノルテ)― 北の家 ―
火山岩 48 x 79 x 14 cm 2012年
4 VIENTO VERDE(ベィエント ベルデ) ― 緑の風 ―
大理石 53 x 20 x 14 cm 2012年
5 VIENTO ROJO(ベィエント ロホ) ― 赤い風 ―
火山岩 45 x 52 x 21 cm 2011年
【 詳細情報 : Curriculum vitae Hiroyuki OKUMURA 】
◯ と き
2015年06月19日[金]-24日[水]
◯ じかん
13 :00-20 :00 最終日のみ18 :00まで
◯ ところ
Free Art Space ポルトリブレ
東京メトロ「新宿三丁目」 C-8 出口 30秒
Telephone : 03-3341-2992
【 関連情報 : Free Art Space ポルトリブレ 会場案内図 】
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まだ四角四面が好きですか?
個展広報に<正調明朝体 金陵 をご使用いただきました>
「正調明朝体」とはすこしおおげさな名前かもしれません。このあたらしい書体はべつに古拙感を演出した筆写体でも、奇をてらった装飾体でもありません。
正調明朝体「金陵」は中国・南京の雅称から名づけられ、その金陵にあった大明南京国子監刊行の木版刊本『南斉書』にみられる端正な明朝体字様を現代に再生したものです。
「現代明朝体」には近代化の名のもとに機械メスや電子メスが自在にはいって直線化がすすみ、水平線と垂直線ばかりが目立って、すっかり四角四面の硬直した活字書体になってしまいました。
そんな「現代明朝体」から人間味をとりもどしたいあなたに、あるいは奇形や媚態をみせるデザイン書体にはすでに飽いたとおっしゃるあなたのために、明朝体の端正にしてもっとも原型にちかい木版字様を復刻した正調明朝体「金陵」をおすすめします。
「金陵」には伝統のたかみにある和字書体(平仮名と片仮名)三書体が標準でセットされており用途に応じた選択ができます。
【 朗文堂タイプコスミイク 詳細情報 : 正調明朝体 金陵 】
大橋俊平展 2015.6.1 Mon. – 6.20 Sat. Gallery bar Kajima
会社に住み込んでいる大橋が絵を描く時間があるのかなといぶかっていたら、
あれっと目を引く絵を描いてきた。
これは野獣派?、それとも抽象表現主義か。どこか懐かしい油絵の匂いと、
具象にもかかわらず、自己の内面にも関わった表現とが混在し
よくもまあ絵画仕上げてきたものだと、感心した。
バラバラの性格は、微妙に神経質のままそのまま
確固とした人格が形成されている事に驚き
人はとても矛盾したものだと思う。
その矛盾と混在がそのまま絵になって成立してことに驚くとともに
今の大橋の有り様が素直に表現させられていることに興味を覚える。
( 加 島 牧 史 )
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加島 牧史 GalleryBar Kajima
営業時間
喫茶カジマ 14:00-18:00
Bar Kajima 18:00-24:00
日曜日・祭日休み
Mail : gbkajima@gmail.com
Web&Blog : gbkajima.jimdo.com
Tel: 03-3574-8720
〒104-0061 中央区銀座7-2-20 山城ビル2 階
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10ヶ月前、2014年09月05日に<ギャラリーバー カジマの オーナー加島牧史、弁護士 鈴木 篤 WebSite を開設する>という記事を本欄に掲載した。
ふたりともそこそこの年齢である。世間では、オヤジからジイサンと呼ばれる過渡期の馬齢 モトイ ゆたかな人生経験をかさねてきた。
したがって、半年もたてば、ふたりとも読者の顔が見えないブルグロールになぞ飽き、かつコンテンツも枯れはてて冬眠状態になっているこであろう…… 、とおもっていた。
ところがオーナー 加島は、飽きもせで 毎月写真添付の@メールを送ってくるし、紙媒体の「一枚の絵はがき」も丹念に送付され続けている。
また、弁護士 鈴木 篤は、超多忙をものともせず、ブログロール「弁護士鈴木 篤のつれづれ語り」で、憲法改悪反対の論陣を展開している。
趣味の水彩画がブログロールを味わいあるものにしているし、さらに最近は<顔本>まではじめたほどの騒ぎである。
その辺の「若ぇの」はスマホでチャカチャカやるばかりだが、ジイサンは情報発信をつづけるし、ともかく粘りつよく、がんばるのである。
前途ある「若ぇの」諸君、ジイサンパワーに負けてはいないだろうな。
既出の記事など、そこにリンクを設ければよいが、スマホでチャカチャカ組は、一旦このページをはなれたら、戻るのが面倒(戻ってこない危惧カナ?)なのではないかという老爺心から、下記に既出記事を再掲載しておいた。ジイサンは親切でもあるのである。
【 URL : 一枚の絵はがき/Gallery Bar Kajima と オーナー 加島牧史のWebSite 】
【 URL : 〔お知らせ〕 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】
比較的高齢者 モトイ 人生経験豊富なふたりが、最近あいついでパソコンメールを開始し、みずからの手で WebSite、ブログロール、短文ブログサイトなどのソーシャルメディアを開設した。
そのことを<タイポグラフィブルグロール 花筏>に、冷やかし モトイ こころからの応援の意をこめて紹介したところ、意外におおきな反響があっておどろいた。
すなわち、すこしくらい年をかさねても、発表にたるコンテンツとテキストが十分にあるひとにとっては、ウェブデザイナーと称する、IT 技術者に依頼して製作された、小綺麗ながらも複雑すぎる「ホームページ」には、いいつくせないもどかしさがあり、なによりも自己表現の場としては、不適切 乃至 物足りない場になっているということであろうか。
これはメディア産業の末流に居住している小社にとってもおおきな問題ではある。
これは WebSite という、あまりに巨大化し、とらえどころが無く、関わりかたがさまざまにあるニューメディアに、年長者対応というあたらしいニーズが発生し、また IT 開発者にとっては想定外だったかも知れないが、ソーシャルメディアの名のもとに、比較的デジタル情報にうとい年長者でも対応ができる、軽便なインターアクティブの場ができたことのあらわれでもあるのだろう。
ともかくこのふたりとも、自作のメディアの開設以来、水を得た魚のように、いきいきと、豊富なテキストの発表がつづいている。
とうぜんながら IT スキルが低いために(ひとのことはいえたものでは無いが)、画面構成やデジタル処理に齟齬や瑕疵も見られないではないし、タイポグラフィカル ・ エラーにいたっては無数にみられる。
それでもこれらのブログの更新を楽しみにし、閲覧している多くの読者がいる現実がある。
【 URL : 一枚の絵はがき/Gallery Bar Kajima と オーナー 加島牧史のWebSite開設 】
【 URL : 【お知らせ】 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】
<ギャラリー バー カジマ> は銀座コリドー街の一画にある。
Gallery Bar Kajima ギャラリーバーカジマ
東京都中央区銀座7-2-20 山城ビル2 階
営業時間 14 : 00-24 : 00 (日曜 ・ 祝日休業)
TEL : 03-3574-8720
白い色への憧れはいつの時代にもある。
白磁で有名な韓国の磁器に感動したことがある。大阪で名高い安宅コレクションを観たときだった。
こんなにも清廉な白さと、まるで浮いているかのような物体を観たのは初めてだった。
その背景には儒教精神の聖なるものへの憧れがあった。
近ごろ女性の陶芸作家の活躍が目立つようになった。電気窯の普及と共に手軽に窯場をもてるようになったからだろうか。
白さへの憧れにモダンな感性が加わり、より自由な表現となって現れてきた。
これほど女性陶芸家が輩出された時代はなく、まったく新しい現象だ。
この動きがどうなって行くのか興味深い。
そもそもアフリカでは、古代から器を作るのは女性の仕事だったといった本を読んだことがある。
縄文土器のあの曲線は、女性性を強く表現しているようにも思える。
日本でも古代、焼き物を作っていたのは女性なのだろうか。
ふと遠い昔を想像してみたくなる。( 加 島 ) ―― 改行/段落設定はやつがれによる。
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ところで〔昨2014年〕08月04日[木]、ギャラリーバー カジマから電子メールが届いた。内容はいつもは郵送の絵はがきによるギャラリーの次回展の案内で、
件名 : <榎本悦子 櫻木綾子 白磁器展 9/8―27 GalleryBar Kajima> とあった。
ついにギャラリーバー カジマのイベント告知も電子メールになったのか……、とおもいながらも削除はせず、メールとしては長文のオーナー加島牧史のテキストを読んだ。しかしいつもとちがって、すんなりとは頭に入らなかった。
翌日、08月05日[金]、ギャラリーバー カジマからいつものように絵はがきが届いた。
前日のメールと同一内容だったが、なにかホッとしたし、やはり馴れもあるのだろうが、すんなりと読めた。難しいものである。
宛名面をみたら、延期になっていたライブショーの告知がちいさくあった。
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9月11日[木] 19:30 start 【LIVE】 M.C ¥1,500 要予約
能管 : 松田 弘之 トンバク ・ フレームドラム ・ 唄 : 蔡 怜雄
「古事記神代の巻を踊る」
ダンス : 斎藤直子、加藤由美子、武沢昌子、柳井真弓、加島牧史
(詳細はサイトをご覧ください) Web&Blog gbkajima.jimdo.com
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さほど広いとはいえないギャラリーバー カジマの店内、まして奥のギャラリーでは陶芸展も開催中だというのに、荘厳な舞踏劇であろう 「古事記神代の巻を踊る」 のライブショーを、オーナー加島は決行するらしい。
よくみれば、ダンスのメンバーの末尾に、なんと、まぁ、オーナー加島の名前まであった。
いっときではあろうが、オーナー加島はカウンターをぬけだし、ダンスに狂奔 モトイ 幽玄な舞踏の世界に没入するらしい。
ひろい日本、さまざまなひとがいるものである。
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そしてやつがれ、明日〔2014年09月06日[土]〕は小社刊 <『 わたくしは日本国憲法です。』 出版記念のつどい> がある。
主催は「殺さないで!生かそう 日本国憲法 『 わたくしは日本国憲法です。』 出版記念のつどい 事務局」である。
『わたくしは日本国憲法です。』 の著者:鈴木 篤氏も、つい最近、ブログロールと、短文ブログを開設した。
かれもまた、多忙な弁護士業務とあわせ、憲法改悪阻止に寝食をわすれて必死な奇妙人である。それがブログロールにあふれるから、勢いがある。
【 URL : 【お知らせ】 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】
鈴木 篤氏は、オーナー加島牧史氏より10数歳年嵩ということもあって、こちらのブログのサイトはいささか難航気味ではあるが、閲覧者数はとてつもなく多いことにおどろく。
明日はどんな会になるのか、報告を楽しみにしていただきたい。
エアラス&風光 ―― the path of the wind 展
2015年06月18日[木]-07月31日[金]
会場/株式会社竹尾 見本帖本店 2 F
10:00-19:00 ※06月18日[木]は17:00まで
土曜 ・ 日曜 ・ 祝日/休廊
料 金/無 料
主 催/株式会社竹尾
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軽さと柔らかさをもつファインペーパー「エアラス」と「風光」。
「エアラス」は、空気をたっぷりと含んだ嵩高で触感に訴える肌触りと
緻密な再現性を両立させたラフ・グロスシリーズの印刷用紙です。
「風光」は、あたたかい手ざわりとしっとりとした柔らかさ、
そして嵩の高さを特徴とした非塗工の印刷用紙です。
ビューティの世界で活躍するヘアメイクアップアーティスト RYUJI氏、
写真家の渡邉 肇氏、児玉晴希氏を迎え、「エアラス」 と 「風光」による
展示会を開催する運びとなりました。
感性に訴えるファインペーパーの生み出す世界観をご体験ください。
【 詳細情報 : 竹尾見本帖 展示 エアラス&風光 】
<co-lab 墨田 亀沢>について
Locations / SUMIDA-KAMEZAWA
◎ <co-lab 墨田 亀沢>のコンセプト
「墨田区のものづくり および 印刷業を再考し、新産業を作る」。
<co-lab 墨田 亀沢>は、町工場と住宅街が密集する墨田区の下町にありながら、水辺の安らぎが感じられる大横河親水公園と、相撲や浮世絵といった江戸文化が息づく北斎通りの交差するエリアに存在します。
江戸時代からもの作りと文化を創出してきた、墨田に根ざしたクリエイティブ・プラットホームとして、印刷業などの地場ものづくり産業と、地域のクリエイターをつなぎ、墨田という街にクリエイティブなビジネスと活気を創出する場として、2015年02月にスタートしました。
◎ シェアオフィスとしての<co-lab 墨田 亀沢 : re-printing >
co-lab は、クリエイターとクリエイティブワーカー専用のシェアオフィスです。 定常的に同じ場所を利用でき、PC や荷物も置いたままで、メインオフィスとして使いやすい 『 レジデンスタイプ 』 と、フリーアドレス型の 『 ノンレジデンスタイプ 』 の 2 種類の利用方法があります。
また、総勢300名を超えるco-lab の、ユニークで質の高いクリエイティブ・コミィニティに参画できるプラットフォームであることに加えて、印刷工場に併設されてオフィスがあるため、オフセット印刷や活版印刷等の業務用印刷機、熟練した印刷職人の技術など、プロフェッショナルのための印刷ファシリティー(施設 ・ 設備)とノウハウを享受しつつ、仕事ができるというのが大きな特徴となっています。
◎ 場に付随する まちのクリエイティブ相談窓口< co-factory : re-printing >
co-lab 所属のクリエイターをはじめ、地域の方にとって、まちのクリエイティブ相談窓口となる<co-factory : re-printing> では、実務的な印刷にまつわる制作業務を請け負うほか、既存の制作工程にデジタルファブリケーションなどの新しい技術を取り入れて、次世代の印刷業を思考実践する場にしたいと考えています。
また、墨田やその周辺で起きているものづくりなどの地場産業の新しい変化をキャッチし、クリエイティビティのコンバーターとなる、クリエイターや各種専門家、地域の子ども達などと、地場産業の方々とを橋渡しし、実験的なワークショップやイベントを開催するなどして、地域の創造性に還元する役割を担う拠点として機能したいと思っています。
◎ ご見学の申し込みや施設に関するお問い合わせはこちらまで。
【 詳細情報 : co-lab 墨田 亀沢 Facebook 】
特 徴
受 付
tel : 03-6658-5292 fax : 03-6658-5293
mail : sumida_recept@co-lab.jp
受付時間 : 平日11:00-12:00、13:00-17:00
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あたらしいカタチの、あたらしい造形空間が東京都墨田区亀沢に誕生しました。
その名は<co-lab 墨田 亀沢>。
<co-lab 墨田 亀沢>は、ふるく、江戸時代からもの作りと文化を創出してきた、墨田に根ざしたクリエイティブ・プラットホームとして、印刷業などの地場ものづくり産業と、地域のクリエイターをつなぎ、墨田という街にクリエイティブなビジネスと活気を創出する場として、2015年02月にスタートしました。
<co-lab 墨田 亀沢>の事業主・施設運営は、1967年設立の、歴史ある写真製版と印刷業社/株式会社サンコーです。 同社社長/有薗克明 Arizono Katsuaki さんと、経営企画室/有薗悦克 Arizono Yoshikatsu さんの夢をのせ、周到な準備期間ののち<co-lab 墨田 亀沢>はオープンを迎えました。
<co-lab 墨田 亀沢>には 当初から 小型活版印刷機 Salama-21A の導入がはかられ、そのため有薗ご父子は、Salama-21A 操作指導教室、活版カレッジ を周到に事前受講されておられます。
アダナ・プレス倶楽部のあたらしい仲間の輪がどんどん広がっています。お近くの皆さんは、ぜひとも<co-lab 墨田 亀沢>をおたづねください。
版画家として、教育者として、ひろく活躍されている笹井(奥村)祐子さんが、はじめてご主人の彫刻家・奥村浩之さんとともに、朗文堂 アダナ・プレス倶楽部を訪問されました。
おふたりの出会いはメキシコとうかがいましたが、いまも奥村さんはメキシコを本拠地として、石と格闘する日日をおくられています。メキシコと日本、なにぶん遠距離ですし、なかなかおふたりがお会いできないのが気の毒です。
奥村さんは、今秋、東京で開催予定の個展準備のために久しぶりに帰国され、ご来社いただきましたが、はじめてお会いするかたとはおもえないほど、すっかり意気投合。とてもうれしい出会いでした。
造形者同士の考えていることは、版画であれ、彫刻であれ、活版印刷(タイポグラフィ)であれ、多くの共通点を持つものだと実感した一日でした。
そしておみやげにいただいた、香りたかいメキシコ珈琲のおいしいことといったら!
左) 奥村浩之 Hiroyuki Okumura さん。右) 笹井(奥村)祐子 Yuko Okumura-Sasai さん
奥村浩之 Hiroyuki Okumura さん。笹井祐子 Yuko Okumura-Sasai さんの作品集。
左) Hiroyuki Okumura 1999 - 2013
右) Yuko Sasai 1988 - 2013
笹 井 祐 子 SASAI Yuko
<略 歴>
1966年 東京都生まれ
1990年 日本大学藝術学部美術学科卒業
1992年 日本大学藝術学部研究所版画コース修了
2010年 日本大学海外研究員(平成21年度 メキシコ)
現在、 日本大学 藝術学部 教授
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奥 村 浩 之 Okumura Hiroyuki
<略 歴>
1963年 石川県に生まれる。
1986年 金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年 金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年- メキシコに渡る
現在、メキシコを本拠地に、彫刻制作に没頭
【 YouTube 2:42 奥村浩之 彫刻を語る https://youtu.be/US5XMIHnT5I 】
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“ FSPONTÁNEIDAD ” わ が 宝
奥 村 浩 之
明るい光と静かな風の流れに包まれながら、コーヒーを楽しむ。
そこから一日が始まる。 毎日の繰り返しでありながら、ゆっくりと流れるメキシコ時間の豊かさを改めて実感できるときであり、「今日もよい一日だ」と爽やかになってくる。 メキシコ時間もメキシコ風ライフスタイルもすっかり身についた。
メキシコに渡ってもう24年。日本から見て地球の反対側にあるメキシコ文化に誘いかけられ、僕の求める彫刻がそこにあるのでは、と希望にもえて渡ってきた。 僕は若かった。
彫刻の道は僕には運命だったのかもしれない。幼い頃から墓石が身近にあり、大小や組合せもとりどりに積み上げられた石の群れは、幼い心にもこの世ならぬもの、モノでありながら内に力を秘め、何かを語りかけてくるもののように見え、親しいなかにも畏れ多いもの、日常でない世界へ誘いかけるものと感じていた。
石には古い古い記憶がこもっている。彫刻を始めたとき、石との対話は僕には必然だった。古代遺跡、巨石遺跡など、石は圧倒的な力で語りかけてくる。 時間を超えたメッセージを封印した石は内蔵したものを気づかせようとクリエーションへと誘いかけてくる。
僕は幼少のころから親しんだ石と共同制作すること、石の呼びかけを造形すること、それを創作の原点とし、石を生涯の同志としてきた。
日本での石との対話から、さらに大きな石との格闘を求めて渡ったメキシコでは、石の他に、メキシコ時間との出会いがあり、ESPONTÁNEIDAD (のびのびとした) という言葉が、何をすべきか、僕を大きく成長変貌させた。
メキシコの豊かな大地と歴史、メキシコの人々の心が育て上げたメキシコ時間の精髄で、その真意を知ったとき、僕は真に自由になり、メキシコと同化したことを自覚した。
ESPONTÁNEIDAD は僕を僕たらしめ、僕の宝となった。 そしてそれは彫刻表現の方向をも導いてくれ、さらにもう一つの言葉 「GOZOSO」 (楽しい) も連れてきてくれた。
石を媒介にして日本からメキシコへ、そして24年目に再び日本へ、日本の繊細さとメキシコの ESPONTÁNEIDAD、このふたつを糧にして、文化の交錯 ・ 融和 ・ 習合する地点が僕の道となるだろう。 24年目の結節点が新しい出発点となることを願って、ここに僕の足どりを作品集としてまとめてみた。 (2013年 夏)
<略 歴>
1963年 石川県に生まれる。
1986年 金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年 金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年- メキシコに渡る
<個 展>
1991年
「Estructuras del Subconscientes」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊 (ハラパ, メキシコ)
「El Medio de los Silencios」 AP 画廊 (ハラパ, メキシコ)
1994年
「Canto Tierra」 ベラクルス州 画廊 (ハラパ, メキシコ)
1998年
「Erosiones de la Mano」 エントレ エストッウデイオ イ ガレリヤ 画廊(プエブラ, メキシコ)
「Emociones Arcaicas」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
1999年
「Eras」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
「Antes del Hombre」 日本文化センター(パリ,フランス)
2000年
「Augurios」 キン 画廊(メキシコ, シティー, メキシコ)
「Elementos」 ピナコテカ デイエゴ リベラ 画廊(ハラパ, メキシコ)
2001年
「Eco」 エントレ エストッウデイオ イ ガレリア 画廊(プエブラ, メキシコ)
「Hiroyuki Okumura」 アラン ボーン 画廊(アリゾナ, アメリカ)
「Corriente de Piedra」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
「Minamoto-manantial de origen」 日本大使館内 日本文化インフォメイション センター (メキシコ シティー, メキシコ)
2002年
「Resonancia de Piedra」 日本文化センター(パリ, フランス)
「Pertenencia de la Tierra」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2003年
「Inside of all」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
2005年
「Paisajes Terrenales」 カサ ディゴ リベラ 美術館(グアナフアト, メキシコ)
「Hiroyuki Okumura 2005」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊(ハラパ, メキシコ)
2006年
「Corazon de la Tierra」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
「Materia: Virtual Continente」キン 画廊 (メキシコ シティー, メキシコ)
2008年
「Messenger」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
「Trozos de la vida」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2009年
「Hiroyuki Okumura」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
2010年
「Tiempo Sagrado」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊(ハラパ, メキシコ)
2013年
「Nest of Wind」 ハワードスコット 画廊(ニューヨーク、アメリカ)
<グループ展>
1991年
「Nuevos Tiempos en la Plastica」 アリアンサ フランセサ(ハラパ, メキシコ)
1992年
「La plasica Veracruzana 1992」 アンパロ 美術館(プエブラ, メキシコ)
「Primera Bienal Monterrey」 フェムサ 美術館(モンテレイ, メキシコ)
1993年
「Siete Escultores en Veracruz」べラクルス州 画廊(ハラパ , メキシコ)
1997年
「Los Caminos de la Forma y del Volumen」ベラクルス州 画廊(ハラパ, メキシコ)
「El Primer Salon Nacional de Arte Visuales -Seccion Bienal Tridimencional 1997」
エスパシオ デ セントロ ナショナル デ アルテ(メキシコ シティー, メキシコ)
2001年
「Outside Japan : Three Sculptors」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
「Ichigo Ichie」 大学付属チョッポ美術館(メキシコ シティー, メキシコ)
「Quinta Bienal Monterrey FEMSA」 フェムサ 美術館(モンテレイ, メキシコ)
「Laberinto」 アルテ コンテンポラニョ デ ハラパ 画廊(ハラパ, メキシコ)
2004年
「Proyecto – Merida de Yucatan: Cuidad de la Escultura」 (メリダ, メキシコ)
2005年
「Reflejos de la Alteridad」キン 画廊 (メキシコ シティー, メキシコ)
2006年
「White II」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
2009年
「12‘ Festival Cultural de Mayo – Japon 」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
「Los Murmullos del tiempo」 UAM 大学 スール 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2011年
「Selva de Cristal」 大学付属チョツポ美術館(メキシコ シティー、 メキシコ)
2012年
「Esultura de pequeno formato y obra grafica」 アルテオイ画廊(メキシコ シティー、メキシコ)
2013 年
「Geometrismo escultorico mexicano 」 アルテオイ画廊(メキシコ シティー、メキシコ)
<コレクション>
1988年 金沢美術工芸大学 (石川県, 日本)
1997年 チヤパス自立大学 (チヤパス, メキシコ)
1998年 べラクルス州立彫刻公園 (ハラパ, メキシコ)
1999年 日本文化センター (パリ, フランス)
2000年 ソソポル 画廊 (ソソポル, ブルガリア)
2001年 金沢21世紀美術館 (石川県, 日本)
2002-04年 ホテル ガレリア プラサ (べラクルス, メキシコ)
2004年 グルーポ チェドラウイ セントラル オフィス (メキシコ シティー, メキシコ)
2005年 スイミング スクール アクア X (ハラパ, メキシコ)
2007年 ホテル カサレイナ (プエブラ, メキシコ)
2009-13年 べラクルス自立大学 音楽堂 (ハラパ, メキシコ)
2011年 ラ カサ デ ベラクルス (ハラパ, メキシコ)