祝! 中村活字100周年

1910年、明治43年に東京中央区銀座2丁目に創業された活字商が「中村活字」の歴史のはじまりです。このあたりは、いまは東銀座などと呼ばれますが、かつての木挽町で、築地川の水運を利用して、木材を運送したり、大きなノコギリで材木に断裁する職人が居住していた町でした。

明治最初期に築地川の対岸に「東京築地活版製造所」が創業し、数寄屋橋近辺に「秀英舎」が創業されると、木挽町にはこれらの企業を相手とした活字母型を製造する業者がたくさん誕生しました。堀母型が最大手で、そこから岩田母型が派生していきました。母型業者があれば、そこには活字商も誕生します。すなわち晴海通りにそった数寄屋橋から築地界隈は、活字商、印刷会社、出版社、新聞社などが軒を連ねることになりました。晴海通りはメディアの町でした。

ところが……、このあたりは関東大地震(1923年・大正12年)による罹災がもっとも激甚を極めた町でしたし、太平洋戦争による激しい空爆にさらされた町でもありました。

「中村活字」の100年とは、そんな歴史の重みを背景として、代々の家業として継承されてきたことになります。当代のご当主・中村昭久さんは「活字も好きだけど、人も好き」というかたです。もしかすると、「活字よりも人が好きかな……」とおもえるときもあります。

そんな中村社長の人柄を慕って、多くの若者が「木挽町」に足を運んでいます。朗文堂と中村活字とは「活版ルネサンス」にかけるおもいを共有していますし、毎年「活版凸凹フェスタ」に出展いただいています。ですから「中村活字100周年」を心からお祝いするとともに、さらなる100年に向けて、あらたなスタートを切った中村昭久さん、「いっしょに頑張りましょう」とエール!(龍爪窟)