本音を申せば、チト自慢?

トロロアオイの花をご紹介します!

さんざんじらしたあげく。それでもお利口なことに、週末16日[土]に、トロロアオイが大輪の花をふたつつけました。翌17日[日]にもまた一輪。蜂やチョウチョが嬉しそうにやってきます。朝まだきのころ、ソロリと咲いて、夕方にはもうしおれてしまいます。草の丈は身長ほど、花はコーヒーカップのソーサーより、もっと大きな、ほんわり黄色の大きな花です。絡みついている蔓草は風船カヅラ。こちらもまだまだ元気です。

花壇とはいえ、ノーガク部が勝手にベランダに煉瓦を積みあげ、コンクリで固めた、チト大型のフラワーポット状の花壇。したがって、すべての花は、みんな陽当たりの良い、ソッポを向いて咲きます。つまり「ロダンの椅子」からみると、みんなお尻を向けて咲くカタチ。写真もうまく撮れないし、これがチトシャクの種です。

ここのところ、ミヤギタニ アキミツ、アサダ ジロー、キタカタ ケンゾーにはまっています。ときどき毒消しに司馬遼太郎をはさんでいるので、いささか睡眠不足の今日この頃。3人とも油がのりきっている作家ですから、その筆の早いこと速いこと。連載は追わないものの、単行本が相次いで発行されます。それでも、ミヤギタニとアサダは、デビュー当時からほとんど全てを読んでいます。キタカタはここ3年くらいか。

キタカタ『水滸伝』には参った。ケンゾーはハード・ボイルド作家だと思っていたのでほとんど手にとることはなかったのだが、『水滸伝』となると、宋朝体活字を研究しているわが身にとっては、北宋末期・痩金体をのこした徽宗帝治下時代の物語り。駒田信二版、村上知行版、吉川英二版を読んでも、いまひとつピンとこなかっただけに必読書。これがいけなかった。つまりケンゾーのハード・ボイルド時代のものまでほとんど読んでしまった。

参ったついでにケンゾー友の会に@メール登録したら、「オメーら、明日新刊××が出るぞ。書店へ直行だ!」なんて@メールがケンゾーからくる。『水滸伝』19巻が終わったら、今度は『揚令伝』ときた。つまりはまりまくって、頭の中に全集を三組、しかもまだまだ増えそうな全集を三組置いているようなものだ。アサダなど、何を狂ったのか、書き下ろしまで発行してしまった。『珍妃の井戸』、『蒼穹の昴」と続いた、一連の清朝末期の動乱を綴った作品をまとめたようなもの。

週末用にとアサダの書き下ろしの新刊を買い込んだ。家に帰ってメシ前にチョット読んだら、やめられない、どうにも止まらない。マンチュールの大草原を、銃をかざし、弾倉帯を十字に背負った満州馬賊が縦横に駈けまわる。怪しいトンヤンキー(東洋鬼・日本人の蔑称)の大陸浪人や、カントー軍が暗躍する。胸湧き血が踊るのだ。アレッ違った、血湧き胸踊るのだ。最後は張作霖が玉と砕け散る。ハラハラと落涙。完全に感情移入している。週末用じゃなくて、金曜の夜というか、土曜の朝まだきまでかかって、結局速攻読了。

寝る前にちょっと一服とベランダにでたら、朝の日差しを浴びて、トロロアオイがこっそりと花をつけていたという次第。この花は、5月に偶然黒ポットにはいった苗を頂き、アダナ・プレス倶楽部の会員に4鉢だけおすそ分けしたもの。それが、あそこでも咲いた、こっちでも咲いた。こうした報告を頂くたびに、嬉しくもあり、チト悔しかった。

ところで、花が萎れると、すぐに大きなサヤ状の種になる。一輪で20粒ほど入っているようだ。花は10輪は咲きそうなので、100粒の種が採れることになる。来年は花咲爺さんになって種まきからはじめる。どこかで黒ポットも仕入れなくてはいかん。つまり来年は5月から10月ころまで、はた迷惑を顧みず「トロロアオイ情報」が溢れることになりそうな気配濃厚。