【増刷出来】 VIVA !! カッパン──活版印刷の楽しくてカワイイ入門書(サラマ・プレス倶楽部 大石 薫)

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◯ 書  名  VIVA !!  カッパン
◯ 編著者  サラマ・プレス倶楽部
◯ 装  本  B5判 オールカラー 136ページ 並製本ジャケット付
◯ 定  価  本体 3500円+税
ISBN978-4-947613-82-0 (4月17日出来予定)
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活版印刷の楽しくて カワイイ入門書 増刷 !!

{懐かしいのに新しい}
魅惑の印刷、カッパン
見て美しい! 知って楽しい!
 自分でやるともっと楽しい !!!
カッパンを愛する アナタの必携書です。

 【 VIVA !! カッパン 目次 】
・懐かしいのに、あたらしい、魅力の活字版印刷術 ――― カッパン

・活字のおはなし
・文選箱ギャラリー
      文 選
      組版(植字)
      組みつけ
      印 刷
      活字鋳造
・Salama-21Aの使い方

・muccu が行く!
      活字鋳造所探訪 (築地活字編)
      活字版書籍印刷所探訪 (長瀬欄罫製作所編+豊文社印刷所編)
・あとがきにかえて
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《 活版印刷の楽しくて カワイイ入門書 増刷 !! 》
まえがきVIVA逕サ蜒十34-34 VIVA逕サ蜒十44-45 VIVA逕サ蜒十46-47 VIVA逕サ蜒十52-53 VIVA逕サ蜒十70-71 VIVA逕サ蜒十84-85 VIVA逕サ蜒十88-89《 あとがきにかえて 》 ・・・・・・ こんな時代だから
アダナ・プレス倶楽部( 現:サラマ・プレス倶楽部) の活動は、2006年、おもにタイポグラフィ関連の専門書を出版している朗文堂代表の片塩二朗と、印刷博物館の工房担当を前職としていた私(大石 薫)との、たったふたりからはじまりました。

このようなデジタル時代の真っ只中に、あたらしく「活版印刷機をつくる」というこころみは、ま
わりのひとびとの目からみて、まるでドン・キホーテの夢物語のように映っていたことでしょう。
片塩と私自身にも、そのことはよくわかっていて、どちらがドン・キホーテで、どちらがサンチョ・パンサであるかと、お互いを笑いながら、瀕死のロシナンテにも似た「カッパン」という痩せ馬に跨がったその旅路は今日でも続いています。

世界的に、あたらしい活版印刷機を製造販売している企業がまったく無いという事実から、はじめから採算のあわない事業となるであろうことは覚悟していましたが、プロジェクトを進めるにつれて、コストの面はもちろん、すでに30年近くも前に製造ラインが廃れてしまった機材も少なくないことがわかり、前途多難な道のりとなりました。
また、活版関連業者にかぎらず、わが国の産業のほとんどが、合理性と効率性の一辺倒から、大量生産と分業化を推し進めてきた結果、小ロットに対応でき、かつ部品製造から組み立てまでを一貫しておこなえる工場がなかなか見つからず、はからずも国内製造業の空洞化と、この国の行く末への危機感を実感しました。

どこへ行っても「あと10年早ければねぇ…… 」という答えばかりが返ってきました。しかし、幸運な偶然にも導かれつつ、ドン・キホーテ的発想の転換で邁進し、「あと少し遅ければ間にあわなかった」 → 「なんとかギリギリ間にあった」結果、二一世紀のあたらしいカッパン印刷機「Adana-21J」および、その後継機「Salama-21A」が誕生しました。

サラマ・プレス倶楽部( 前:アダナ・プレス倶楽部) は、この「Salama-21A( 旧:Adana-21J) 」を中核としながら、活版印刷の普及と存続につとめる朗文堂の一事業名ですが、カッパンを愛好する皆さんとの双方向の連携の場となることを目的として、そのおもいを「倶楽部」という名称に込めています。
当初はドン・キホーテとサンチョ・パンサの二人だけだった部員も、現在ではおかげさまで登録会員も増えて、気がつけば、すっかり倶楽部らしい様相を呈するようになりました。

I T 革命を招来した現代は、さながら19紀末の産業革命をむかえた時代と、とてもよく似ているといわれます。すなわち、機械化と大量生産・大量消費時代の幕開けにより、安くて早くて、大量で、奇抜な印刷物が出まわり、それまでの職人の技芸によって支えられてきたタイポグラフィの質は確実に低下するようになりました。このような技芸の衰退に警鐘を鳴らしたのが当時のアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントでした。

そのアーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントの再来ともいえる、現代のあたらしいカッパン実践者の多くは、効率優先の情報処理に追われる日常に疲弊と疑問を感じ、「身体性をともなった、ものづくりがもたらす純粋なよろこび」をカッパンによって満喫しています。

また、パーソナル・コンピュータや携帯電話、インターネットの普及によって、組版やデザインなどの特別な職能が無くとも、だれもが気軽に文字を組んで(打って)情報を発信する機会も増えました。このような時代に、組版の原点であるカッパンを学ぶことは、よりよきコンピュータ組版のためのヒントとしても大いに有効です。

しかし、コンピュータが普及し、メディアが多様化し、それらが複雑に交差しあっている現在の「情報社会」で生活する私たちが、なぜこの「カッパン」にいいつくせない魅力を見いだしているのか、私自身、本書をまとめ終えた現在でも、正確に言語化できないもどかしさをいだいているのも正直なところです。
そして、その答えとカッパンの真の魅力を知るには、やはり実践をおいてほかにはないといわざるをえません。

願わくば本書が、カッパンの21世紀における存在意義を発掘し、カッパン実践者の皆さまにとっては更なる創作への糧となり、カッパン未経験者の皆さまにはカッパンの実践へのいざないとなることを、せつに祈っています。
                           サラマ・プレス倶楽部  大石 薫

【新WebSite紹介】 明治産業近代化のパイオニア 平野富二 提供:「平野富二生誕の地」碑建立有志会

── 明治産業近代化のパイオニア ──%e5%b9%b3%e9%87%8e%e5%af%8c%e4%ba%8c%e5%88%9d%e5%8f%b7

e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5この「平野富二:明治産業近代化のパイオニア」サイトは
長崎の生んだ明治時代の実業家 平野富二についての記録です。
「平野富二生誕の地」碑建立有志会趣意書
★     ★     ★     ★

ことしは<明治産業近代化のパイオニア 平野富二生誕170周年>です。
それに際して2017年新春から有志によって結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会>が運営するブログロールが上掲図の WebSite < 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ > です。

この<WebSite 平野富二> は簡便なブログロール型のものですが、いくつかの特色あるコーナーが設けられています。
平野富二 紹介

「平野富二生誕の地」碑
◎ 「平野富二生誕の地」確定根拠
古谷昌二ブログ
連 絡 先
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◎ 古谷昌二ブログ アーカイブ簡略紹介

01 探索:平野富二の生まれた場所
 <長崎生まれとしかわからなかった>
 平野富二が長崎の町司矢次豊三郎の次男として長崎に生まれ、幼名を矢次富次郎と称したことについては、福地桜痴の記述したとされる「平野富二君の行状」に示されている。
それをもとに調査し、結果をまとめた三谷幸吉編著『本木昌造・平野富二詳伝』でも、長崎の何処で生まれたかについては明らかにしていない(以下略)。
長崎諸役所絵図0-2
02 町司長屋の前にあった桜町牢屋

<長崎引地町の桜町牢屋・三ノ堀・地獄川>
 平野富二の生まれた引地町の周辺には、長崎の長い歴史に関連する史跡が存在する。それは、桜町牢屋・三ノ堀・地獄川である。これらの史跡には、その痕跡を示すものは僅かであり、説明板や表示もない。平野富二の生誕地をおとずれたついでに、平野富二を生み、はぐくんだ長崎の土地とその歴史をしることも意義あることと思う(以下略)。
w26_牢屋
03 町司長屋に隣接した「三ノ堀」跡

 <町司長屋の横にあった窪地>
 幕末の「長崎明細図」によると、引地町町司長屋の敷地に隣接して、何やらいわく因縁のありそうな土地が、周囲から孤立して描かれている。
この土地が接している引地町通りの延長部分は、「引地町町使長屋絵図」によると、道幅が狭くなっており、片側は桜町牢屋の石垣で高くなっている。反対側は、道路面から下に石垣が積まれており、この土地が窪地であることが分かる(以下略)。
fbe97729998a350c8d52782b8230e46a-1[1]あたらしいWebSite、< 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ > へのご訪問をお待ち申しあげます。

【字学】 文化庁 Press release / 常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について

Print文化庁   平成28年2月29日

常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について

文化庁では、平成26年度から文化審議会国語分科会漢字小委員会において、「手書き文字の字形」と「印刷文字の字形」に関する指針の作成」に関して検討を進めてきました。
このたび、その検討結果が国語分科会において「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」(案)として報告されましたので、
お知らせします。

◎ 経  緯
漢字の字体・字形については、昭和24年の「当用漢字字体表」以来、その文字特有の骨組みが読み取れるのであれば、誤りとはしないという考え方を取っており、平成22年に改定された「常用漢字表」でも、その考え方を継承している。
しかし、近年、手書き文字と印刷文字の表し方に習慣に基づく違いがあることが理解されにくくなっている。また、文字の細部に必要以上の注意が向けられ、正誤が決められる傾向が生じている。
今回の報告では、漢字の字体・字形について詳しく解説するとともに、常用漢字(2,136字)全てについて、印刷文字と手書き文字のバリエーションを分かりやすく例示している。

◎ 資 料  1
「常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)」(文化審議会国語分科会)の概要
PDF  bunkatyou-press release
文化庁01 文化庁02 文化庁03

◎ 資 料 2
常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)(案)
平成28年2 月29日

文化審議会国語分科会
PDF  bunkatyou-press release
文化庁04
上掲 jpeg 画像図版で紹介した<概要>につづいて PDF  bunkatyou-press release で紹介されています。常用漢字2,136字のすべてについて丁寧に記述されていますが、役所文書で238ページあります。
巻末部の204ページからはじまる「参考資料」は興味深い内容です。
なお本報告書(案)の一部は、小社の従来の見解とは異なります。

【 詳細 : 文化庁 常用漢字表の字体・字形に関する指針(報告)について 】

【舞台公演】 IHIステージアラウンド東京 愈〻3月30日こけら落とし 初公演は 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花。日本の Entertaiment が Drastic に変わる

話題沸騰! キミはこの衝撃に耐えられるか?
アジア初、没入型エンターテインメント施設として2017年03月31日に誕生する 「IHI ステージアラウンド東京」。
こけら落とし公演は 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花、 Produced by TBS。
劇団☆新感線 の公演フライヤーと、Village Audiens Club (VAC) から紹介。  

蜉・屮譁ー諢溽キ喀陦ィ1 蜉・屮譁ー諢溽キ喀陦ィ4劇団☆新感線の最高傑作 『髑髏城の七人』

劇団☆新感線『髑髏城の七人』1990年に池袋西口公園テントで産声を上げた『髑髏城の七人』は、以来7年ごと上演される度にブラッシュアップされ、今では劇団☆新感線最高傑作といわれる名作。
特に97年版は、物語・演技・殺陣・音楽など全ての面が完璧に調和し、〝いのうえ歌舞伎〟シリーズの真骨頂となった。
そして2004年には〝ドクロイヤー〟と銘打ち、同じ作品を全く別のキャストで、更に演出を変えて春と秋に連続上演するという大胆な試みを決行。ドラマ性の強い『アカドクロ』、ケレン味の強い『アオドクロ』と見事に趣向を変えた作品はいずれも大成功を収め、一旦は作品として完結を迎えた。

蜉・屮譁ー諢溽キ喀荳ュ髱「隕矩幕縺・ 蜉・屮譁ー諢溽キ喀荳ュ髱「隕ウ髻ウ髢九″さらに初演から21年目の2011年には、若いキャストが結集することによって新たな着想を得て、『髑髏城の七人』がよみがえった。
更にその7年後に掛かる2017年-2018年というこの年に、一年以上かけて 〝 I H I ステージアラウンド〟という、客席が回転するという大胆な演出が可能となる前代未聞の劇場の杮落としとして、これまで類を見ない『髑髏城の七人』が誕生する。

ものがたり

時は天正十八年(1590)。織田信長が死に、豊臣秀吉が天下を治めていたこの頃、都から遠く離れた関東の村〻は<天魔王(成河)>率いる関東髑髏党に荒らされていた。
この日も、とある村が髑髏党の鉄機兵たちに襲われていたところに、傷だらけの<沙霧(清野菜名)>が飛び込んでくる。彼女は、天魔王らの居城・髑髏城の抜け道が記された絵図面を持っていたために追われていたのだ。
と、そこに派手な身なりの傾奇者たち・関八州荒武者隊の面々が登場する。先頭に立つのは、頭目の<兵庫(青木崇高)>だ。しかし仲間の<三五(河野まさと)>の裏切りにより、みるみるうちに窮地に陥る荒武者隊。

そこへフラリと現れた着流し姿の男が、手にした大きな鉄煙管で鉄機兵を叩きのめす。男は自らを<捨之介(小栗旬)>と名乗り、沙霧に傷の手当てをさせるため、兵庫と共に関東一の色里〝無界の里〟へと向かう。
色里〝無界〟は宿場も兼ねているため人の出入りも賑やかで、その中には何か事情を隠していそうな怪しげな牢人<狸穴二郎衛門(近藤芳正)>らの姿もある。
この色里一と評判の<極楽太夫(りょう)>は、「沙霧をかくまってほしい」という兵庫らの頼みを快く引き受けてくれた。


その夜。店の裏で再び沙霧は髑髏党に襲われそうになるが、捨之介と〝無界の里〟の主<蘭兵衛(山本耕史)>がそれを阻む。そこに突然現れる、天魔王。
実は捨之介と蘭兵衛と天魔王の三人は、ある時期、共に時間を過ごした間柄だったのだ。南蛮製の鎧と仮面を装着した天魔王には、捨之介の刀も蘭兵衛の短筒も歯が立たない。しかしこの場は、狸穴二郎衛門が間に割って入ったことで難を逃れられた。

天魔王、そして髑髏党との戦いを覚悟した捨之介は山奥にこもる刀鍛冶<贋鉄斎(古田新太)>を訪ねて、無敵の鎧を叩き斬る刀、必殺の〝斬鎧剣〟を打ってほしいと頼み込む。
しかしその頃、蘭兵衛は単身で髑髏城へ行こうとしていた。それに気づき、こっそりと後を追う沙霧。
捨之介、蘭兵衛、天魔王が抱える深い縁(えにし)とは……。天魔王の謀略を、捨之介たちは阻止することができるのか……。
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劇団☆新感線の大型公演は、いつものことではあるが切符の争奪戦が熾烈をきわめる。
こけら落としが間もなくに近づいたいま、『髑髏城の七人』 花鳥風月シリーズの上演日程が
発表されている。
{ I H I  ステージアラウンド東京 } があつく注目される昨今である。

◎ 『髑髏城の七人』Season 花  3月30日-6月12日
◎ 『髑髏城の七人』Season 鳥  6月27日-9月01日
◎ 『髑髏城の七人』Season 風  09月下旬
◎ 『髑髏城の七人』Season 月  11月下旬

【新宿私塾】 新宿私塾第29期 無事に終了しました

29期終了_塾生 !cid_F771F2F9-C44C-42AE-A3B8-15A2815A26DBいつものことですが、出あいはうれしく、別れはさびしいものです。
<新宿私塾 第29期>は、金木犀のかおりが新宿御苑からかすかにただよう、2016年09月27日に開講し、梅の香ただよう早春の2017年03月14日、全員が無事に全課程を修了し、おおきく成長して羽ばたいていきました。
最終講座を終え、これからは<新宿私塾修了生>の一員となった塾生の諸君は、わかれがたいおもいがあったのか教場での談笑がつづき、やがて再開を約して新宿の町に消えていきました。
金木犀[1]新宿私塾29期risized
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<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、「造形のよろこび」、「身体性をともなった造形のよろこび」をモットーとしています。 
同時に<新宿私塾>では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 の三領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。
それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
新宿私塾29期カリキュラム resized長いようで短かった半年間でした。ここのところ天候不順がつづき、きびしい残暑があり、秋の颱風が大暴れをし、寒波がなんども襲来しました。

最終講座の03月14日も肌寒い日でしたが、山本太郎さんによる特別講座:アプリケーション生成現場からと題する熱い講義がつづきました。
山本_129期終了講座終了後、塾生諸君は時計を気にしながら、しばしのお別れに際してメアドの交換を急ぎ、同期会の幹事をきめて再会を約しての修了となりました。
造形界にはきびしい逆風がみられる昨今ですが、新宿私塾29期修了生の皆さんは大きく羽ばたいて旅だちました。

【朗文堂図書増刷紹介】  『風景資本論』(広瀬俊介著 朗文堂)

著   者  廣 瀬  俊 介
装   本  A5判 並製本 136ページ フルカラー
価   格  2,100円(本体2,000円)
発  行  所  株式会社 朗 文 堂
ISBN978-4-947613-85-1

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〔風景資本論発刊にあたって〕
―― リード・コピーから抜粋
風景のデザイン――ランドスケイプデザインとは、単にある土地のかたちを庭園のようにつくり替えることではなく、人間のつくる社会と自然との関係の調整を必須条件として、人間が生活する場をつくること、またはつくり直すことを指す。人間が心身ともに健やかに生きるには、自然と社会の関係を調える努力が欠かせない。それは人間が人間のために行うこの仕事の必須条件となる。

「風景」はある土地の姿である。土地の成因から人間が受けとる事物を含めて、風景の解釈を拡げる。
「資本」は、人間の生活と地域社会を持続可能にする基と定義する。
「地域経営」とは結局人間の生活と地域社会を持続可能にすることであって、それは環境、教育、福祉、医療、産業、文化……といった人間の生をささえる総てに留意をして、自然と人間の関係を調える営みにほかならない。
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〔著者紹介〕
廣 瀬  俊 介  ひろせ しゅんすけ
1967年千葉県市川市生まれ。
環境デザイナー (International ASLA)、専門地域調査士 (日本地理学会)、風土形成事務所主宰、東京大学空間情報科学研究センター協力研究員。
2014年3月まで東北芸術工科大学大学院 デザイン工学専攻環境デザイン領域 准教授。日本地理学会会員、東北地理学会会員、日本景観生態学会会員。東日本復旧復興計画支援チームメンバー。主著『風景資本論』(朗文堂)。
ブログ : 東北風景ノート

【展覧会】 国立新美術館 2017年春、最高のミュシャに出会う/チェコ国外世界初公開・超大作《スラヴ叙事詩》全20作

20170206151525_00004 20170206151525_00003 20170206151525_00005 展覧会概要
国立新美術館(東京・六本木)では、2017年3月8日(水)から6月5日(月)まで、「ミュシャ展」(主催:国立新美術館、NHK、NHKプロモーション、朝日新聞社ほか)を開催いたします。

2017年は日本とチェコが国交を回復してから記念すべき60周年を迎える年にあたります。
アール・ヌーヴォーを代表する芸術家のひとり、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリア=ハンガリー帝国領モラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。
なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。

美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。

その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の17年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1911-1928年)です。
およそ縦6メートル、横8メートルにも及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代にいたるスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであるといえます。


本展はこの《スラヴ叙事詩》を、チェコ国外では世界で初めて、全20点まとめて公開するものです。
プラハ市のために描かれ、1928年に寄贈された《スラヴ叙事詩》は、1960年代以降、モラヴィアのクルムロフ城にて夏期のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れることはありませんでした。
その幻の傑作が、80年以上の時を経て2012年5月、ついにプラハ国立美術館ヴェレトゥルジュニー宮殿(見本市宮殿)にて全作品が公開されました。
そしてこのたび国立新美術館では、パリで活躍したミュシャが《スラヴ叙事詩》を描くにいたるまでの足跡を約100点の作品を通じて辿りつつ、これら幻の最高傑作の全貌を一挙、紹介します。

※パリでその名を広く知られるようになったため、日本では「ミュシャ」というフランス語の発音に基づく表記が用いられてきたが、本展ではチェコで制作された《スラヴ叙事詩》に関してはチェコ語の発音に基づき「ムハ」と表記する。

◎ 会    期     2017年3月8日[水]-6月5日[月]
          毎週火曜日休館 ただし、5月2日[火]は開館
◎ 開館時間    10:00-18:00
※金曜日は20:00まで
※4月29日[土]-5月7日[日]は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
◎ 会  場      国立新美術館  企画展示室2E
〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2

【 詳細 : 国立新美術館トップ  ミュシャ展URL 】 

【新宿私塾】 新宿私塾第30期 2017年04月04日スタート 募集〆切りました 

私塾新宿私塾第30期は定員となり募集を締めきりました
続いて第31期の事前申込を受けつけております

イム氏講義_2017.2.7-102月07日講座:ウェブデザインにおけるタイポグラフィの実践-講師:イム・ジョンホさん

西尾_2 西尾-102月18日特別演習:製本術入門― 講師 西尾 彩さん
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新宿私塾第30期は本年4月4日[火]講座開始。本年9月までの開講が予定されています。
詳細スケジュールは現在のところ未定ですが、基本的に毎週火曜日、午後6時30分から9時40分が講座開設日時となります。
全25回の講座のうち、土曜日に設定されるフィールドワーク、特別講座が 2 回予定されています。
講義内容は現在開講中の第29期とほぼ同様です。
カリキュラム、受講料などの詳細は〔新宿私塾のウェブ〕でご覧いただけます。
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入塾ご希望の方は、下記メールにご連絡をお願いいた します。メール受付順の入塾とさせていただきます。
◯ 朗文堂タイポグラフィスクール 新宿私塾
担当:鈴木 孝  
robundo@ops.dti.ne.jp  » send email
件名/新宿私塾 第30期申し込み
お名前(ヨミガナ)、送付物宛先住所、電話(携帯可)

その後の手続きは、メールをいただいたのちご連絡いたします。
新宿私塾に関してのご質問などがある方は電話連絡をしてください。
なお、本年9月開講予定の〔新宿私塾 第31期〕の入塾(仮)予約も受け付けております。
担当の鈴木が対応させていただきます。

【新宿私塾】 第29期順調に進行中-ベテラン・俊英・若手の講師陣紹介

!cid_4FB37547-4D75-4196-8850-D2B82EB5ED8A 「新宿私塾 」 は タイポグラフィをまなぶための、ちいさな教育機関です。
書物と活字づくり、すなわち「タイポグラフィ」の 650 年におよぶ魅力的な歴史をまなび
本格的なタイポグラフィの教育と演習を通じて
あたらしい時代の要請に柔軟に対処する能力を身につけた
タイポグラフィの前衛を養成します。

★       ★      ★      ★

《新宿私塾 第29期 第17回講座 有馬智之さん》DSCN9311 DSCN9307 DSCN9296 有馬トモユキ-1024x794[1]<講師紹介 : 有馬トモユキ デザイナー>
1985年長崎県生まれ。青山学院大学経営学部卒。
タイポグラフィスクール「朗文堂 新宿私塾」第9期を修了し、現在は新宿私塾講師。
複数の企業を経て、日本デザインセンターに合流。グラフィック、Web,  U I 等複数の領域におけるデザインとコンサルティングに従事している。
その傍ら TATSDESIGN 名義で商業コンテンツ作品とそのプロモーション活動を実施。音楽レーベル「GEOGRAPHIC」クリエイティブディレクター、SF レーベル「DAISYWORLD」主宰。
主な仕事に「ハヤカワSFシリーズJコレクション」装丁デザイン、TVアニメ『アルドノア・ゼロ』アートワークなど。
タイポグラフィを軸としつつ、対象に深くアプローチするデザインを得意とする。車好き。

著書:『いいデザイナーは、見た目の良さから考えない』(星海社)
 [ 関連URL : TATSDESIGN URL  / 星海社URL ]

《新宿私塾 第29期 第18回講座一 千星健夫さん》 DSCN9531 DSCN9537 DSCN9541 af80b86391610d415956227649237bfd-213x300[1]<講師紹介 : 千星健夫 Takeo Chiboshi  デザイナー>
1976年、兵庫県生まれ。
社会人向け専門学校の営業職からデザイナーに転身するという勘違いした経歴をもつ。
GRAPHIC・WEB・PRODUCT と ジャンルをはみ出したデザインを手け
PHOTOGRAPHY・LETTERPRESS(活版印刷)も自らおこなう器用貧乏プレイヤー。
デザイン事務所勤務を経て、2014年「NECKTIE design office」を立ちあげる。 新宿私塾第21期修了・現在新宿私塾講師、活版カレッジ修了
[ URL : NECKTIE design office
[ 活版 à la carte : 造形者・千星健夫 NECKTIE design office 移転を期に新企画商品・作品を続続と発表

《新宿私塾 第29期 第18回講座二 深津貴之さん》 深津貴之_1 深津貴之_2<講師紹介 : 深津貴之さん  Takayuki Fukatsu Interactive Designer>
大学で都市情報デザインを学んだ後、英国にて2年間プロダクトデザインを学ぶ。 2005年に帰国し、thaに入社。
2013年、THE GUILDを設立。Flash/Interactive関連を扱うブログ「fladdict.net」を運営。 現在は、iPhoneアプリを中心に UI デザインや Interactive デザイン制作に取り組む。 新宿私塾第15期修了・現在新宿私塾講師
[URL : THEGUID

《新宿私塾 第29期 第19回講座 イム・ジョンホさん》 イム氏講義_2017.2.7-1 イム氏講義_2017.2.7-2<講師紹介 : イム・ジョンホさん Jeong-ho Im  Art director >
わたしたち「mount」は、広告の一環としてのキャンペーンサイト、商品の魅力を伝えるためのプロモーションサイト、企業の情報サイト、ファッションブランドのオンラインショップなどのウエブサイト制作を中心に、映像、プリントなど、さまざまなモノを制作しております。
新宿私塾第11期修了・現在新宿私塾講師
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《新宿私塾 第29期 第21回講座 特別演習:ブックバインディング 西尾 彩さん》 西尾-1 西尾_2<講師紹介 : 西尾 彩 ブックバインダー>
西 尾  彩 Nishio Aya ブックバインダー
1995年 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達学科卒業
2001年 Guildfoord College Futher & Higher Education / Diploma in Fine Bookbimding & Conservation 修了
2002年 London College of Printing / BA Print Media Book Arts &  Crafts 修了
2004年 The Bookbinding Competition (Designer Bookbindinders)
Filio Society Prize for the Set Book 1 位 (受賞作品『Selected Poems / samuel Taylor Coleridge』)
2004年 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達学科非常勤講師
工房シトラス・プレス主宰
[ URL : aya nishio citruspress ]

【朗文堂 サラマ・プレス倶楽部】 2017年 年賀状のご紹介

2017年 年賀状(絵柄面) 2017年 年賀状(宛名面)ジョン・ラスキン著『ゴシックの本質(原題:The Nature of Gothic)』は、1892年にケルムスコット・プレスより出版されました。
この書籍は、ラスキンが1851-3年に発表した著作『ヴェネツィアの石 (原題:The Stones of Venice)』の第2巻第6章の部分に、ウィリアム・モリスが「序文」を加えて再出版したものです。

John_Ruskin[1]ジョン・ラスキン(John Ruskin 1819-1900)は、イギリスのヴィクトリア朝時代の芸術評論家です。裕福な葡萄酒商人のひとり息子として生まれたラスキンは、イギリスを代表する画家ターナーのコレクターでもあり、ターナーとの交流をとおしてイギリス最初の美術評論家となりました。

その著述は、のちに象徴主義やアーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォなどといったムーブメントに連なる「ラファエル前派」の芸術家たちを触発し、また、精神面だけでなく、パトロンとしても経済的に彼らの支えとなりました。


産業革命を経たこの時代の大英帝国は円熟期をむかえていました。大量生産・大量消費時代の幕開けにより、商品の氾濫とそれを売るための市場の獲得や宣伝広告が必要となりました。こうした時代を反映したいわゆる「ヴィクトリアン・タイポグラフィ」が横行したのもこの時代でした。
しかしながら、成熟はまた終わりのはじまりでもあります。近代化のいっぽうで、時代や社会の流れに反発して逆行するかのような回帰現象がおこりました。

建築の分野では「ゴシック・リヴァイヴァル」がおこり、ゴシック様式の再発見と再評価がおこなわれました。
絵画の分野でも、イタリア・ルネサンスの完成者としてアカデミズムが規範とする ラファエロ・サンティ (Raffaello Santi  1483-1520)よりも、前の時代に立ち返り、素朴で、ありのままの自然を忠実に再現しようとする「ラファエル前派」が登場しました。
それはまた、近代化によってもたらされた画一的で人工的な形式美に対する問題提起でもありました。

ラスキンは、『建築の七燈』、『ヴェネツィアの石』、『胡麻と百合』、『近代絵画論』などを著し、造形家はもちろん、社会や国境を越えて、多くの文筆家や思想家にも影響をあたえました。
また、ラスキンは、評論家や思想家としてだけではなく、スケッチや設計製図にも優れ、その精緻な画力が著作にさらなる奥行や説得力をあたえています。

さて、そのラスキンの影響を受け、アーツ・アンド・クラフツ・ムーブメントの旗手のひとりとされる ウィリアム・モリス (William Morris 1834-1896)ですが、その私家版印刷所ケルムスコット・プレスから再出版された『The Nature of Gothic』は、芸術と労働、職人による手仕事の尊さを体現したかった点は理解できますが、残念ながら、タイトルと内容、書体の選択とデザインには、いくぶんかの違和感を覚えます。

もし、モリスの手がけた書物が、「ケルムスコット・プレス」シリーズとして、内容とは関係なく、一書体主義を貫き通すことを定型としたシリーズであったなら、それはそれで納得できたのですが、のちにモリスがゴシック体の活字書体(いわゆるトロイ活字とチョーサー活字)を作ってしまっため、それ以前にジェンソン・ローマン(いわゆるゴールデン活字)で組版された『ゴシックの本質』には、無念さを感じてしまうのです。

サラマ・プレス倶楽部の年賀状は、毎年、活字書体の歴史順に、一書体づつの活字を使用してきましたが、昨年の年賀状でヒューマン・サンセリフのカテゴリーの書体まで到達しましたので、今年はまた、ブラックレター(ゴシック体)の活字書体に戻ってみました。
使用した活字書体は24pt.の「オールド・イングリッシュ・テキスト」です。

[サラマ・プレス倶楽部ニュース:年賀状まとめ

【会報誌】 サラマ・プレス倶楽部会報誌 第34号(Autumn & Winter) 完成 ・ 配布中

サラマ・プレス倶楽部の会報誌
『 Salama Press Club NewsLetter   Vol. 34 』 (Autumn & Winter  2016)を刊行し
会員の皆さまへ配布中です。
kaihoushi_34『 Salama Press Club NewsLetter   Vol. 34 』 (Autumn & Winter  2016)

表紙使用活字 : 36pt. Old English Text ,  8pt. 記号活字

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 主な内容 (目次) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 【推薦図書情報】 『タイポグラフィ学会誌 08号・09号』
・  ――Viva la 活版  活版印刷礼讃イベント――
◎ Viva la 活版 ばってん 長崎 その後とこれから
◎ Viva la 活版 Let’s 豪農の館 その後
◎ Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO その後
◎ Viva la 活版 Viva 美唄 その後
・ 【連載 活字版印刷豆知識 34】 活字は小粒でピリリと重い 「ABC のかたち」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『 Salama Press Club NewsLetter 』 の定期購読をご希望の方は、「 員登録 」と年間登録費の納入をお願いします。
なお、毎号バックナンバーの在庫がございませんため、 会報誌の配布はお申込みの次号からとなります。ご了承ください。

【サラマ・プレス倶楽部ニュース : 過去ログまとめ

明治産業近代化のパイオニア『「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会』発足/趣意書と平野富二生誕の地確定根拠を発表

05d9667f855a2b65e94d936bdeaca6ed[1]本2016(平成28)-’17年は、長崎の生んだ明治時代の実業家:平野富二の生誕一七〇周年に当たります。
その記念を兼ねて本年5月<Viva la 活版 ばってん 長崎>が開催され、活版製造に縁のある長崎市内の各地を訪問する「崎陽長崎 活版さるく」の計画がなされました。
8ed979955048d3208a8a4c7c96c739b41-1024x175[1]その計画の一環として、地元長崎の歴史研究家の方々のご協力を得て、平野富二の生家である矢次家の場所を示す歴史資料が発掘され、長崎県勤労福祉会館(長崎市桜町9番6号)の建てられている敷地の一画が平野富二の生家跡であることが判明しました。w21_引地町町使長屋 44fb978b853aae4f20258b5d23743605[1] 48632901d887fc7558749f89fba250971[1]平野富二は、弘化3年8月14日(1846年10月4日)、長崎引地町(ひきぢまち)に居住する町司:矢次豊三郎の次男として生まれました。
幼名は矢次富次郎と称し、のちに兄の継いだ矢次家から独立して、矢次家始祖の旧姓である平野姓を名乗り、次いで明治5年(1872)の近代戸籍編成に際して「平野富二」と改名しました。
e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5平野富二は、活版製造事業はもとより、造船事業に付随して、蒸気船運輸、機械製造、橋梁・鉄構物架設、大規模土木工事など多方面の分野でわが国近代化のパイオニアとして貢献しました。

2015(平成27)年7月、世界文化遺産として「明治日本の産業革命遺産」が登録されました。その中に、長崎エリアとして八遺産が含まれており、平野富二の関係した長崎造船所の諸施設があります。

長崎市では観光推進の一環として、市内の歴史的に由緒ある地を訪ね歩く「長崎さるく」が行われています。これを機会に、その訪問地のひとつとして、平野富二に由緒ある地を加えて頂き、そのような先人が長崎で生まれ育ったことを多くの方々に知って頂くことは意義あることと存じます。
ついては、先賢の偉業を回顧しこれを顕彰するため、平野富二生誕の地とされる長崎県勤労福祉会館のある敷地で、道路沿いの一画に記念碑を建立することが最適と考えております。

それを実現させるためには、土地所有者である長崎市と現使用者である長崎県の使用許可が必須となりますが、多くの賛同者を得て資金面でのご支援が欠かせません。また、長崎市関係団体のご理解とご協力も必要と考えております。

なにとぞ私共の趣意をご理解いただき、格別のご賛助を賜りたく懇願申し上げます。   

2016年(平成28)年12月
発起人代表 古谷昌二

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05d9667f855a2b65e94d936bdeaca6ed[1]明治産業近代化のパイオニア
「平野富二生誕の地」碑 建立趣意書

発  行:2016年12月
発行者:「平野富二生誕の地」碑建立有志の会
連絡先:「平野富二生誕の地」碑建立有志の会
      メール  info@hirano-tomiji.jp
事務局:朗 文 堂
     160-0022 東京都新宿区新宿2-4ー9
     電話 03-3352-5070 ファクシミリ 03-3352-5160

☆「平野富二生誕の地」碑建立有志の会は、<Viva la 活版 ばってん 長崎>の開催を契機として自発的に発足しました。
ご関心のあるかたは事務連絡先までご一報いただけたら、「趣意書」と、「平野富二生誕の地 確定根拠」を収録した小冊子を進呈いたします。
また2017年(平成29)新春早早から、専用URLの開設を準備中です。

「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 発起人申込書
趣意書

明治産業近代化のパイオニア『「平野富二 生誕の地」碑建立有志の会』発足 同会趣意書紹介

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本2016(平成28)-’17年は、長崎の生んだ明治時代の実業家:平野富二の生誕一七〇周年に当たります。
その記念を兼ねて本年5月に、活版製造に縁のある長崎市内の各地を訪問する「崎陽長崎 活版さるく」の計画がなされました。

長崎タイトルその計画の一環として、地元長崎の歴史研究家の方々のご協力を得て、平野富二の生家である矢次家の場所を示す歴史資料が発掘され、長崎県勤労福祉会館(長崎市桜町9番6号)の建てられている敷地の一画であることが判明しました。
DSC_0045これを契機として「崎陽長崎 活版さるく」に参加したメンバーの中から、この場所に平野富二の記念碑を建立する要望が出され、現在有志者により具体化のための検討ならびに予備調査が行われています。
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平野富二は、弘化3年8月14日(1846年10月4日)、長崎引地町(ひきぢまち)に居住する町司:矢次豊三郎の次男として生まれました。
幼名は矢次富次郎と称し、のちに兄の継いだ矢次家から独立して、矢次家始祖の旧姓である平野姓を名乗り、次いで明治5年(1872)の近代戸籍編成に際して「平野富二」と改名しました。

e9fd275dc476af6b4d99a7f56e59b9b5長崎での平野富二の知名度は、恩師である本木昌造の陰に隠れて高いとはいえません。しかし平野富二は県営時代の長崎製鉄所において、その付属施設となった小菅修船場の初代責任者として抜擢され、長崎製鉄所の経営に大きく貢献しました。
その収益により立神ドックの掘削を建言して、長崎製鉄所を本格的な造船所とする道を造り上げました。この掘削工事は、当時長崎市内に溢れていた失業者の救済にも役立てられました。  

その貢献が認められて長崎県官吏の資格である権大属に任じられ、長崎製鉄所が長崎県から工部省に移管された時の最後の経営責任者となりました。そのとき平野富二は数え年で26歳でした。
今の三菱長崎造船所の前身は平野富二が貢献した長崎製鉄所であり、長崎造船所立神地区の壁面にある記念碑の銘板には、平野富二の名前が記録されています。  

工部省移管に伴い長崎製鉄所を退職した平野富二は、その後活版製造事業で経営に行き詰まった本木昌造の要望を受けてその経営を引き継ぎ、短期間のうちに活字の品質とコストの問題を解決して、大量生産の技術を完成させて事業を成功に導きました。
のちに平野富二が農商務省に提出した文書には、
「創業の功は専ら本木氏に在りて、改良弘売の功は平野の力多きに居る」
と述べています。

本木昌造の創業した活版製造事業を軌道に乗せるため、平野富二は需要の中心地である東京に拠点を移しました。
当時の公文書や書籍類は、筆写や木版摺りで作成されていました。これらを活版印刷化することによって得られるメリットは大きく、それを宣伝すると共に、輸入に頼っていた活版印刷機の国産化を図りました。
その結果、官公庁や府県が発行する布告・布達類の活版印刷化が促進され、また、近代的新聞の普及に結び付き明治初期における文明開化の実現に大きく貢献しました。

また平野富二は、長崎製鉄所時代に決意した、
「造船事業を興して国家に寄与する」
との志望を実現するべく、1876(明治9)年、海軍省から旧石川島造船所の跡地を借用して、わが国最初の民間造船所を設立しました。
そこでは、河川運行用の小形蒸気船を開発して内陸部への交通運輸の便を開き、海難事故の多かった海上運送で堅牢・安全な洋式船舶を建造、また、民間造船所としてわが国最初の軍艦建造を行いました。

1892年(明治25)年12月3日、平野富二は演説中に発症した脳溢血により病没しました。享年47でした。生前の功績により、
「民設西洋型造船所の嚆矢たり。我邦造船事業の先達として従五位を贈し可然」
として1918(大正7)年に従五位を追贈叙位されました。

このように平野富二は、活版製造事業はもとより、造船事業に付随して、蒸気船運輸、機械製造、橋梁・鉄構物架設、大規模土木工事など多方面の分野でわが国近代化のパイオニアとして貢献しました。
2015(平成27)年7月、世界文化遺産として「明治日本の産業革命遺産」が登録されました。その中に、長崎エリアとして八遺産が含まれており、平野富二の関係した長崎造船所の諸施設があります。

長崎市では観光推進の一環として、市内の歴史的に由緒ある地を訪ね歩く「長崎さるく」が行われています。これを機会に、その訪問地のひとつとして、平野富二に由緒ある地を加えて頂き、そのような先人が長崎で生まれ育ったことを多くの方々に知って頂くことは意義あることと存じます。
ついては、先賢の偉業を回顧しこれを顕彰するため、平野富二生誕の地とされる長崎県勤労福祉会館のある敷地で、道路沿いの一画に記念碑を建立することが最適と考えております。

それを実現させるためには、土地所有者である長崎市と現使用者である長崎県の使用許可が必須となりますが、多くの賛同者を得て資金面でのご支援が欠かせません。また、長崎市関係団体のご理解とご協力も必要と考えております。

なにとぞ私共の趣意をご理解いただき、格別のご賛助を賜りたく懇願申し上げます。   

2016年(平成28)年12月
発起人代表 古谷昌二

【「平野富二生誕の地」碑建立有志の会】 「平野富二生誕の地」確定根拠を発表

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平野富二の生前に発行された東京築地活版製造所編纂『長崎新塾活版所東京出店ノ顛末 並ニ 継業者平野富二氏行状』によると、「平野富二氏、幼名ハ富次郎、長崎ノ士人、矢次豊三郎ノ二男、……、弘化三年丙午八月十四日、長崎ニ於テ生ル。」とある。

平野富二の生家である矢次ヤツギ家の記録「矢次事歴」によると、1874(明治7)年4月に記録された矢次家の住居表示は、第一大区四ノ小区引地町50番地となっている。

矢次家の始祖矢次関右衛門は元大村藩士で、故有って浪人となり長崎に移り住んでいたところ、正徳3年(1713)、空席となった町使役を仰せ付けられた。のちに町使は町司と表記されるようになるが代々世襲して、父豊三郎は矢次家八代目として町司を勤めていた。

町使長屋は、寛文3年(1663)、現在の引地町ヒキヂマチに初めて建てられたが、宝暦5年(1755)に類焼したため建て替えられた。以前は11軒(戸)だったものが13軒(戸)となって、2軒(戸)が追加された。このことは「引地町町使長屋絵図」〈添付資料1  長崎歴史文化博物館所蔵「長崎諸御役場絵図」第一巻〉に記載されている。

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添付資料1
上図:「長崎諸御役場絵図」第一巻、長崎歴史文化博物館所蔵
下図:上図の白枠部分の拡大図
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添付資料1 は焼失後に建て替えられた町使長屋の絵図で、2棟ある長屋の各軒(戸)に入居名が記載されている。絵図で右側に描かれている長屋の右端から二番目に「矢次」と明記されている。

焼失前の町使長屋の絵図も別途存在するが、それには「矢次」の名前はどこにも記載されていない。そのことから、矢次家が引地町の町使長屋に入居したのは、建て替えられて2軒(戸)が追加されたときの1軒(戸)に入居したと見られる。

引地町町使長屋の位置は、明和年間(1765年頃)に作成されたと見られる『長崎惣町絵図』〈添付資料2 長崎歴史文化博物館所蔵〉に「町使屋舗」と表示されている。
くだって嘉永3年(1850)に再板された『長崎明細図』〈添付資料3 長崎勝山町文錦堂刊〉には、その位置に「丁じ長や」と明記されている。嘉永三年(1850)は平野富二が数え年五歳であることから、引地町にある町使長屋が平野富二の生誕の地であると見ることができる。

w21_引地町町使長屋国立公文書館『長崎諸役所絵図』より「引地町町使長屋」

添付資料1と類似の絵図が国立公文書館所蔵の「長崎諸役所絵図」に含まれている。その絵図を現在の長崎法務局の「国土基本図」に重ね合わせて合成し、「町使屋鋪」と表示した地図〈添付資料4〉が、布袋厚著『復元! 江戸時代の長崎』に掲載されている。それには現在の勤労福祉会館の建物などに重ね合わせて町使屋舗が描かれており、それによって矢次家の在った場所を確定することができる。 以上

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上図:「長崎惣町絵図」明和年間制作、長崎歴史文化博物館所蔵

下図:上図の白枠部分の拡大図
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上図:「長崎明細図」嘉永3年(1850)再板、長崎勝山町文錦堂刊

下図:上図の白枠部分の拡大図
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%e5%b9%b3%e9%87%8e%e5%af%8c%e4%ba%8c_%e6%b7%bb%e4%bb%98%e8%b3%87%e6%96%994 添付資料4
『復元! 江戸時代の長崎』布袋 厚 著から引用

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〈備考〉平野富二生誕の地 位置確定目安
引地町町使長屋は、7戸建てと6戸建ての2棟の長屋が引地町筋の道路に面して建てられており、この2棟の長屋は本大工町筋に抜ける道路によって隔てられている。

添付図2によると、矢次家のある7戸建て長屋が建てられている敷地は、前面道路に沿って長さ27間(当時、長崎では六尺五寸を一間としていたことから、これを換算すると約53.1メートルとなる)と表示されている。1戸当たりの幅は平均約7.6メートルとなる。

焼失前の「町使町絵図」(添付省略)によると、同じ敷地と見られる場所にある6戸建て長屋には、5戸が間口5間、一戸が4間と表示されている。長屋内に路地は設けられていないので、長屋の全長は29間となる。添付図2とは2間の差があるが、その理由は不明。この「町使町絵図」には「矢次」の名前はない。

添付図1では、各戸はすべて間口が3間と表示されており、これとは別に前面道路から裏庭に通じる路地が7戸建て長屋では4本ある。その内、2本の路地には途中に井戸があり、他の2本の路地には井戸はないので同じ幅とは限らない。路地の幅は明記されていないので、長屋全体の長さ(間口)は不明である。

敷地の北東に隣接する窪地に現在建てられているビルの境界が当時と同じとすれば、境界を基点としてほぼ8メートルから15メートルの間が矢次家居所跡、すなわち平野富二生誕の地の目安となる。
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〈参考〉添付資料1の左側添え書き

【原文】
此図元長崎奉行所支配普請方用屋敷所蔵也明治維新後故西道仙翁得本図十襲不措後與故長崎區長金井俊行氏謀模寫本図納諸長崎區役所以便研究者焉 大正二年 月及翁歿余請得本図於其嗣某氏分為弐巻施装訂就明嶽道人有馬祐政先生龍江深浦重光先生求其題字以備座右

巻中所在自政所衛門至陣営望台米廩等凡四拾有弐図(全長約拾弐間、上下弐巻)奉行所幷管掌町悉載焉 實長崎史研究者必須之図也
大正四年孟春下沈      鶴城 福田忠昭識

【現代文】
この図は、元長崎奉行所支配普請方の用屋敷に所蔵されていたものである。明治維新の後、故西道仙翁が本図を得て大切に秘蔵して手放さなかった。後に故長崎区長金井俊行氏と相談して本図を模写し、長崎区役所に納めて研究者の便とした。大正二年 月、西翁が没し、私はその嗣者である某氏から本図を得た。分割して二巻とし、装丁を施し、明嶽道人有馬祐政先生に従って龍江深浦重光先生にその題字を依頼し、座右に備えた。
巻中には、政所・衛門から陣営・望台・米蔵などに至るまでおよそ四十二図(全長約十二間、上下二巻)があり、奉行所と管掌する町がことごとく載せてある。実に、長崎史研究者にとって必須の図である。

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【新宿私塾】 第29期 11月29日第11回講座 : 永野有紀さん/原純子さん/STORK 原純子+亀井伸二さんの活動報告

!cid_4FB37547-4D75-4196-8850-D2B82EB5ED8A 新宿私塾29期カリキュラム resized 新宿私塾29期risized──────────
《新宿私塾第29期  11月29日 第11回講座 : 永野有紀さん》

DSCN8696 DSCN8701 DSCN8700この日の講座は11月09日第09回講座「名刺デザインの製作実務」を受けてのもので、持ち帰り課題の提出日でもありました。
とかく課題提出とは緊張しがちです。ところが講師の永野さんご自身も新宿私塾第02期修了生とあって、課題は採点法ではなく、講師と塾生諸君の相互評価が中心となり、笑いがたえません。

ちいさいとはいえ、定型サイズの「名刺とはがき」の製作は難題です。そこをクリアするために、第一回目の講座で、過去の蓄積と業界のノウハウが提示され、それに創意と工夫をこらした課題の提出で、講座は緊張のなかにも、塾生同士の相互評価で、急速に交流が深まっていきました。
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《新宿私塾第29期  11月29日 第11回講座 : 原 純子さん》

DSCN8684 DSCN8687 DSCN8693原純子さんの講義は、おもに美術展図録製作のケーススタディで、エディトリアルデザインとグラフィックデザインの基本を踏まえ、内容やターゲット層から考える組版を説かれました。
また大型美術館や博物館図録の実物を提示しながらの熱意溢れる講座となりました。

講師:原 純子さんも新宿私塾第04期の修了生です。
原 純子さんと亀井伸二さんによるデザインユニット<STORK>から
今回の講座でも使用した二冊の展覧会図録について解説をいただきました。
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STORK 原 純子+亀井伸二

『あの時みんな熱かった!アンフォルメルと日本の美術』は、京都国立近代美術館で今年の夏に開催された展覧会の図録です。戦後日本の美術界を牽引した重要な作品群の展覧会で、展覧会のタイトル通りに熱い展覧会でした。

製本はドイツ装といいまして、時間も手間もかかる装丁なのですが、タイトなスケジュールの中で、美術館、担当学芸員、印刷会社と協力して暑い時期に熱く作り上げた一冊です。
ドイツ装は私たちにとってもはじめての試みでした。
ハードカヴァーか無線綴じが主流の展覧会カタログの中で、学芸員のかたとのお話の中で制作を進めることができ、図録自体も「あの時」と同様に実験的な雰囲気のするものになったかなと思っています。

CCGA現代グラフィックアートセンターにおいて、ことしの6月11日から開催しています『中林忠良展 / 未知なる航海 ―― 腐食の海へ 』のカタログが完成しました。
レセプション会場にも短時間ですがお邪魔し、中林先生にもお会いできました。四年ぶりの須賀川はとても気持ちのいい空間でした。 [ 原 純子 wrote ]
あのときみんな IMG_0830 中林忠良展

【ボヘミア チェコ プラハ】05 民族魂のほとばしり Alfons Mucha アルフォンス・ミュシャ 巨大連作絵画『スラヴ叙事詩』

プラハ[1]

Alfons Mucha  アルフォンス・ミュシャ  『スラヴ叙事詩』
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プラハで市販されている 長尺観光絵はがき

ボヘミアンとはもともとはボヘミア地方の住人のことで、中心都市はチェコのプラハである。
ボヘミアン ― チェコのひとは、欧州の中心に位置しているという自負がある。 ただし、その地勢的な位置関係から、避けがたく、絶えず隣国の脅威にさらされ、それと闘い、ときには隷従をしいられたり、流浪したりと、堪え忍んできたつらい歴史もある。

またチェコは古来地味はゆたかで、ジャガイモ、テンサイ、ホップなどの農産物がおおく、チェコのビールは格段の味わいらしい。
下戸のやつがれはつまびらかにしないが、わが国でよく語られるほどドイツではビールを飲まないし、むしろワイン、それも白ワインを自慢するふうがあった。
ところがプラハでは、街のいたるところにビアレストランがあって、夕まぐれから深夜にかけて、おおきなジョッキを傾ける光景をしばしばみかけた。 また鉄鋼業を中心に工業産業がさかんで、ガラス工芸、機械工業も盛んな地である。

すなわち 「 ボヘミアン、おおいに結構じゃないか 」 とおもい、一度はプラハにいきたかった。
さいわい、いずれもお盆休みを利用した「三泊+機中泊二日」というみじかい滞在の弾丸旅行だったが、2014年08月、2016年08月の二度にわたってプラハを訪問した。
古都プラハはわが国の京都と姉妹都市であり、街の規模も似かよっているし、名所旧蹟は数え切れなくある。したがってその紹介にあたり、気軽な観光写真と食べ歩き報告ではない方法をかんがえていたが、なかなかに難しいものがあった。

たまたまYouTubeに、プラハを流れるブルタバ川(わが国ではドイツ語風にモルダウ川がふつう)、プラハ城、レギー橋、プラハ国民劇場、欄干に聖人の彫像が見られるカレル橋、旧市庁舎の時計塔、街並みなど、プラハの主要な観光地の映像があった。
やつがれが訪ねた真夏とちがい冬枯れのプラハの光景であったが、ここに紹介された観光地のほとんどは訪問している。
それと本稿の主要テーマ、『アルフォンス・ミュシャ スラブ叙事詩』製作の端緒となった民族音楽、カレル・アンチェル&チェコ・フィル( Karel Ančerl )演奏、スメタナ作曲の交響詩『我が祖国 プラハの風景』12:32があった。まずこのYouTubeでプラハのふんいきを知っていただきたい。

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《アール・ヌーボの旗手から大変貌するきっかけとなった スメタナの交響詩『わが祖国』》
アール・ヌーヴォーの旗手、アルフォンス・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, アルフォンス・マリア・ムハ、1860-1939 わが国ではフランス風にミュシャとする)は、もうひとりのアール・ヌーボーの画家、クリムト(グスタフ・クリムト, Gustav Klimt, 1862-1918 帝政オーストリアの画家)と双璧をなしたグラフィックデザイナーであり、画家でもあった。

パリでのミュシャの出世作『ジスモンダ』長尺ポスター 1894年
プラハ城 聖ヴィート大聖堂 外観 プラハ城 聖ヴィート大聖堂 ムハのステンドグラス1 プラハ城 聖ヴィート大聖堂 ムハのステンドグラス 上部アッププラハ城 聖ヴィート大聖堂 ミュシャ製作のステンドグラス 1931年

ミュシャはパリとアメリカを往復しながら、クリムトとならんで満天下の人気をあつめ、おもに官能的な女性を描いていたが、次第にボヘミアンとしての民族意識にめざめるようになった。
一説によると、1908年(明治41)ボストン交響楽団の演奏によるスメタナの『わが祖国』をきいて感動し、またアメリカで生計を維持するのに足るスポンサーもついたため、余生をチェコ国民とプラハ市民に捧げるべく、1910年、プラハ近郊にあるズビロフ城の一部を借り、ミュシャの20年近くにわたる『スラヴ叙事詩』の製作がはじまった

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わが国には情感ゆたかにうたいあげた「叙情詩」や、心情を吐露し訴求した「抒情詩」は多い。ところが、「神話」はあまたあるとはいえ、「叙事詩」は意外にすくないよようだ。
すなわち「叙事詩」とは、「多くは民族など社会集団の歴史的事件、特に英雄の事跡や事柄をありのままに述べつづる(叙事)の態度でうたい上げた詩」とされる。
すなわちミュシャが、1910年から1928年にかけて、民族の歴史をまなび、それに通暁し、さらに事実調査と現地調査をかさねてつくられた連作絵画が『スラヴ叙事詩』である。

『スラヴ叙事詩』は、チェコおよびスラヴ民族の伝承および歴史を題材としており、太古の時代から1918年のチェコ独立までを描いている。ただし、制作順序については作品に描かれた時代どおりではない。
サイズは小さいものでもおよそ4 x 5メートル、大きいものでは6 x 8メートルに達する。

全作品が完成した後、1928年に特設の展示場を用意することを条件に、この作品はプラハ市に寄贈された。
しかしながら、ミュシャと『スラヴ叙事詩』は、製作完了から必ずしも幸せな道を歩んだわけではない。2012年以前はチェコ共和国の地方都市、南モラヴィア州のモラフスキー・クルムロフの城館に忘れ去られたように展示されていた。

1939年03月、ナチスドイツによって当時のチェコスロヴァキア共和国は解体されて、プラハに入城したドイツ軍によってミュシャは逮捕された。
「ミュシャの絵画は、国民の愛国心を刺激するものである」という理由からだった。
ナチスドイツ軍は70歳代後半になっていたミュシャを厳しく尋問し、三ヶ月余にわたって拘留した。欧州戦線での第二次大戦が終了の前、78歳のときに獄中で躰調をくずして釈放されたが、その4 ヶ月後に症状が悪化して終戦をまたずに逝去した。
◯ アルフォンス・マリア・ミュシャ(Alfons Maria Mucha, アルフォンス・マリア・ムハ、1860年7月24日 - 1939年7月14日)

ミュシャの遺体は、『スラヴ叙事詩』製作の啓示をあたえたとされる作曲家:スメタナ、戯曲家・作家・造形者・造園家のヨゼフ・チャペック、カレル・チャペック兄弟らとおなじ、プラハ : ヴィシェフラット民族墓地 Vyšehradský hřbitov の中央部にある「合同霊廟 スラヴィーン Slavín」に埋葬されている。
ヴィシェフラット民族墓地(Vyšehradský hřbitov)スラヴィーン(Slavín)合同霊廟 ヴィシェフラット民族墓地(Vyšehradský hřbitov)スラヴィーン(Slavín)合同霊廟のムハの霊廟アップ戦後、祖国は独立を果たしたが、当時のチェコ共産党政権は愛国心との結びつきを警戒し、ミュシャの存在を黙殺した。
しかし民衆レベルではミュシャへの敬愛は生き続け、1968年におこった変革「プラハの春 Pražské jaro」の翌年には、ミュシャの絵画による郵便切手数種が製作されている。
また世界的にも、1960年代以降のアール・ヌーヴォーの再評価の動向とともに、改めて高い評価を受けている。

2012年以降はチェコ国立美術館分館、ヴェレトゥルジュニー宮殿(Veletržní palác National Gallery in Prague)1 階に展示されている。
この建物は本来「産業見本市」のために1928年(昭和03)に建設された、鉄とコンクリートと水平連続ガラス窓を特徴とする「国際様式建築」であるが、90年近い時を刻んでなお古さを感じさせない名建築であった。
それでも、「建築様式の見本の街」とされるプラハでは、少なくとも旧市街ではほとんど類似の建物をみることはなかった。
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《チェコ国立美術館分館ヴェレトゥルジュニー宮殿(Veletržní palác)の『スラヴ叙事詩』》
プラハのアールヌーボ建築ブームの先駆けとなった産業宮殿 ヴェレトゥルジュニー宮殿 (Veletržní palác National Gallery in Prague)外観 スラヴ叙事詩案内板上) プラハのアールヌーボ建築ブームの先駆けとなった産業宮殿。ここが手狭となり至近の地に新宮殿が1928年にプラハ初の「機能主義様式」で建設された。Veletržní は「見本市の」の意である。
下) ヴェレトゥルジュニー宮殿 (Veletržní palác, National Gallery in Prague 1928年)の外観と正面サインボード

スラヴ叙事詩『クロムニェジージュのヤン・ミリチ』『ベツレヘム礼拝堂でのヤン・フスの説教』『クジージュキの集会』『スラヴ叙事詩』 左) ロムニェジージュのヤン・ミリチ 中) ベツレヘム礼拝堂でのヤン・フスの説教 右) クジージュキの集会

アルフォンス・ミュシャ畢生の大作『スラヴ叙事詩』のスケール感を実感していただきたく、上掲図版を紹介した。
来館者はほとんどA4 三つ折りの小型パンフレットをもち、作品と解説(叙事詩)を見くらべている。若いカップルなどは肩をよせあって、男性がちいさな声で解説を読みながらゆっくりと鑑賞している姿はほほえましかった。
それでもこれだけの著名作品なのに、来館者はまばらで、その分ゆっくり『スラヴ叙事詩』と対話できた。またノーフラッシュが条件ではあるが撮影が許可されることにはおどろいた。

二年前のプラハ訪問の際、プラハ場内のルネサンス様式の建物で「午後のコンサート」を聴いた。なにぶん観光地でのコンサートであり、ピアノとヴァイオリンだけの演奏であったが、スメタナ組曲『わが祖国』はしみた。臨席の老夫婦などは頬を紅潮させてスタンディング・オベーション。不覚ながらやつがれも鼻の奥がムズムズした。
ヴェレトゥルジュニー宮殿でも『スラヴ叙事詩』をみながら、幻聴のように、スメタナ『わが祖国』が耳朶のどこかで鳴りひびいていた。
以下ウィキペディアの支援をうけながら、いくつかの作品を紹介したい。

◎ スラヴ叙事詩『イヴァンチッチェでの聖書の印刷  神は我らにことばを与え給うた―』
スラヴ叙事詩『イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校―クラリッツェ聖書の発祥地―』 スラヴ叙事詩『イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校―クラリッツェ聖書の発祥地―』より印刷の様子 スラヴ叙事詩『イヴァンチッツェのモラヴィア兄弟団学校―クラリッツェ聖書の発祥地―』より紙漉きの様子イヴァンチッチェでの聖書の印刷  神は我らにことばを与え給うた
1914年 610 x 810 cm

ヤン・フスとペトル・ヘルチツキーの影響を受けて1457年に設立されたチェコ兄弟団(ボヘミア兄弟団)は信仰にとって教育が重要なものと考え、ミュシャの故郷であるイヴァンチッチェに学校を創設し、聖書をチェコ語に翻訳した。
この聖書はその後クラリッツェで印刷されるようになり「クラリッツェ聖書」と呼ばれた。
チェコ語で書かれたこの聖書は国民の連帯意識を高め、またチェコ語文法の基本ともなった。
画面右手には印刷された聖書をルーペを使ってチェックする人人が描かれ、左手前方には老人のために聖書を読む青年が描かれている。青年の厳しい表情はカトリックによるその後の迫害を予知しているかのようである。

◎ スラヴ叙事詩 『ブルガリア皇帝シメオン スラヴ文学の明けの明星スラヴ叙事詩『ブルガリアのシメオン皇帝―スラヴ語文学の暁の明星ー』 スラヴ叙事詩『ブルガリアのシメオン皇帝―スラヴ語文学の暁の明星ー』よりシメオン皇帝 スラヴ叙事詩『ブルガリアのシメオン皇帝―スラヴ語文学の暁の明星ー』より筆記者と本を読む老人ブルガリア皇帝シメオン スラヴ文学の明けの明星
1923年 405 x 480 cm

ブルガリア帝国の皇帝シメオンⅠ世は帝国の版図を拡大し、その治世は帝国の繁栄の時代であった。ブルガリアは文化の中心地ともなり、ここには文人、学者、司祭に囲まれた皇帝が描かれている。

◎ スラヴ叙事詩 『フス教徒の国王ボジェブラディのイジー 条約は尊重すべし』
スラヴ叙事詩『ポジェブラッドのイジー王』 スラヴ叙事詩『ポジェブラッドのイジー王』より読書する人びとフス教徒の国王ボジェブラディのイジー 条約は尊重すべし
1923年 405 x 480 cm

フス派の穏健派(ウトラキスト派)はバーゼル協約によってフス派を認めさせることに成功した。しかし教皇はこの協約を一方的に破棄し、ローマに従うことを求めてきた。
この時チェコの国王であったのがボジェブラディのイジーであった。彼はおよそ150年ぶりのチェコ人の国王であり、賢明な王として知られた。
この作品では横柄な態度をとる教皇の使節に対し、玉座を蹴って立ち上がり、要求をはねのける国王の姿である。右下に描かれたこちらを向いた少年は「ローマ(ROMA)」と題された大きな本を閉じており、ローマとの関係の終焉を表している。

【 活版 à la carte : チェコ プラハ での過去ログ紹介

【展覧会】 チェレンコフの光 戸山 灰 個展 “Cherenkov radiation” KOYAMA Kai Exhibition

戸山灰絵柄面戸山灰宛名面チェレンコフの光 戸山 灰 個展 
“Cherenkov radiation”  KOYAMA Kai Exhibition
◯ 会期  2016年12月20日[火]-25日[日]
10:00-18:30 初日のみ14時より 最終日17時まで

◯ 会場  川崎駅前タワー・リバーク3階 アートガーデンかわさき 第2展示室
川崎市川崎区駅前本町12-1 電話:044-200-1415

【 詳細 : 戸山灰がつくっているもの
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{新宿餘談}
戸山 灰(こやま-かい)さんは、ときおり来社されてあついアート談義をかたられます。
そしてデジタルタイプにも厳格な視点を有されています。
今回は久しぶりの個展に際し、[朗文堂 タイプ・コスミイク]扱いのデジタル・タイプのパッケージから、「正調明朝体 金陵 あおい」と、「杉明朝-杉本幸治制作硬筆風細明朝」をご使用されました。 ご愛用ありがとうございました。 正調明朝体 杉明朝体パッケージ表out

【特別委託販売】 タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 09』 販売開始

Gakkaishi09_Kari『 タイポグラフィ学会誌  09 』が刊行されました。

タイポグラフィ学会は、タイポグラフィという技芸に学問的な基盤を与え、その成果を実技・実践を通して社会に貢献することを目的に、2005年8月に設立されました。 『タイポグラフィ学会誌』は2007年に創刊、今回が09号となります。

『 タイポグラフィ学会誌  09 』の主要内容
  • 論文:近代初期「平仮名活字」の書き手について― 池原香穉とその周辺
    タイポグラフィ学会会員 春田ゆかり
  • タイポグラフィ学会 設立10周年を経て
    タイポグラフィ学会会長 山本太郎
  • タイポグラフィ学会設立10周年記念催事「長崎研修」の報告
    Viva la 活版 ばってん 長崎『崎陽探訪・活版さるく』

今回は、当学会の10周年の催事(2016年5月に開催「長崎研修」)に関する記事なども特別掲載しております。
これらの研究成果が、日本国内にのみならず、各国の研究者によって広く参照されタイポグラフィ研究の発展に寄与することを希望するとともに、『タイポグラフィ学会誌』が今後さらに、タイポグラフィの研究における特色ある媒体として成長していければと考えております。
タイポグラフィ学会
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◎ 『タイポグラフィ学会誌 09』
特別委託販売 朗文堂ブックコスミイク
・ 非会員向け頒布価格 : 1部 3,000円(送料・税別)
・ 学生向け頒布価格 : 1部 2,000円(送料・税別)
*学生証明書の提示が必要です。

株式会社 朗 文 堂
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9

E-mail : 朗文堂 ブック・コスミイク robundo@ops.dti.ne.jp » send email
Telephone : 03-3352-5070    Facsimile : 03-3352-5160

【活版カレッジ】 2017年冬期「活版カレッジ 昼間部」 1月開講 受講生募集

活版カレッジ <活版カレッジ>は、身体性がもたらす造形精神とそのよろこびをおもくみています。
そのために、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Salama-21A を中心として、Salama シリーズによるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
活版カレッジ講習風景2017年冬期「活版カレッジ 昼間部」 1 月開講
木曜日(昼間部) 14:00-17:00 (時間超過の場合も有)
3 ヶ月(毎月 3 回、全 9 回)  定員 4 名

01月12日        活字版印刷概論
01月19日        和文端物組版
01月26日        文選
02月02日        和文ページ物組版
02月09日        和文と欧文の違い
02月16日        欧文書体の歴史
03月02日        欧文スペーシング
03月09日        多色刷り1
03月16日        多色刷り2

受講料 72,000円(税込)

定員数の少ない実技講座のため、受講料を全額納入いただきました方から受付完了とさせていただいております。
<Salama-21A 操作指導教室>は随時受けつけております。
詳細は <サラマ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。
アダナタイトル 
【 お申し込み・お問い合わせ : 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部  » send email

【新宿私塾】 第29期 11月22日第10回講座 : 櫻井優樹さん/新宿私塾28期修了生の交流会の記録

 

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新宿私塾29期カリキュラム resized 新宿私塾29期risized《新宿私塾第29期  11月22日第10回講座 : 櫻井優樹さん》
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櫻井 優樹 Yu-ki Sakuai
1981年大阪生まれ。artless Inc.を経て、2009年METAMOS™を設立。
2度のADFESTグランプリをはじめ、Cannes Lions 、CLIO Awards、D&AD、ONE SHOW等、国内外で受賞ぼちぼち。
タイポグラフィ・スクール 朗文堂新宿私塾第14期修了。現在は新宿私塾の講師などにも従事。
7 名からなるクリエイティブユニット mokuva のメンバーでもある。
ビジュアルコミュニケーションを中心に節操なく活動中。
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29期櫻井優樹01 29期櫻井優樹02 29期櫻井優樹03

多方面の造形で活躍中の櫻井優樹さん。新宿私塾在塾中からサンセリフ、それも原初的形態のアクチデンツ・グロテスクにこだわり続けてきました。
本講座では「講義 欧文サンセリフの誕生と発展」と題して、たくさんのオリジナル資料と共にあつい講義が展開していました。

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新宿私塾 第28期修了生交流会
私塾
28期懇親会03 28期懇親会01 28期懇親会04 28期懇親会02 新宿私塾第28期生は、半田クンとランスクンのふたりのジャンボがいた以外は、いつものとおり、真摯なタイポグラフィの学徒だとおもっていましたが…… 。
11月18日[金]、朗文堂から至近の会場で、たのしく嬉しい<新宿私塾第28期交流会>。
あちこちで同期会が開催されているようですが、幹事:金子さんの熱心な誘いもあって参加。
たのしく、収穫の多い交流会でした。[撮影 : 福士さん・半田さん]

新宿私塾第28期修了生といえば、アメリカ・ニュージャージー州出身のランス君。最後の〆は、やはり新作 T シャツの披露でした。[文字壹凜 ランス君アーカイブ
28期懇親会05 ランス
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!cid_FCB8E02A-72A4-4301-B622-FAAA2FD17BC1《新宿私塾第30期以降へのご予約のおすすめ》
新宿私塾では次期以降の入塾申込を随時受けつけております。
2017年04月開講予定の<新宿私塾 第30期>、あるいはそれ以降の期に入塾希望のご意向があるかたは、下記詳細情報をご覧いただき、朗文堂:担当鈴木 robundo@ops.dti.ne.jp  » send email  までご一報ください。
演習 ・ フィールドワーク以外の講座は見学申込も随時受けつけております。

【 詳細 : 朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾