【図書+書体紹介】 当代の人気者ふたりが語り尽くす 集英社『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』+くらもち銘石B

20161126145209_00001 20161126151043_00001みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議  
◯ 著者:みうら じゅん  著者:宮藤 官九郎     

◯ 発行所:集英社  ISBNコード: 978-4-08-780763-9
◯ 判型/総ページ数:四六判/256ページ 
◯ 定価:1,200円(本体)+税
◯ 発売日: 2016年7月20日
【 詳細 : 集英社 BOOKNAVI
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【内容紹介】
「ゆるキャラ」「マイブーム」の名付け親として知られるみうらじゅんと、

『あまちゃん』『ゆとりですがなにか』でおなじみの脚本家、宮藤官九郎。

彼らが、「男と女のあいだに友情は成立するのか?」「なぜ戦争はなくならないのか?」「なぜ男はハゲを恐れるのか?」といった、世界中の誰もが疑問に思いながらも曖昧なまま放置されてきた〝難題〟について、人類を代表して語り合います。

サブカルネタを軸にしながら、政治や国際情勢、下ネタまで縦横無尽に繰り広げられる“知と恥”の哲学問答は、決して世の中を憂うことなく、くだらなさの中にこそ人生の真理を見出していくための知恵が満載です。
混沌の時代を生き抜くための、グローバルスタンダードがここにある!

【本書で取り上げた議題】
◯ なぜ男と女はわかりあえないのか?
◯ 男と女のあいだに友情は成立するのか?
◯ セックスは女の人を何回イカせたら許してもらえるのか?
◯ チンコはデカいほうがいいのか、そうでもないのか?
◯ なぜ戦争はなくならないのか?
◯ お化けはいるのか、いないのか?
◯ なぜ男はハゲを恐れるのか?
◯ なぜ人はコンプレックスを持つのか?
◯ 天職とは何か?
◯ 親は子供にどんな背中を見せたらいいのか? ほか、約30テーマを収録。
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{新宿餘談}
『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』のブックデザイナーは、これまた当代の人気者 : 川名 潤 さんです。川名さんは<銘石B Combination 3>から、和字として「くらもち」を選択され、本書の随所でご使用されています。
ご愛用ありがとうございました。
銘石Btype con

かねてより、十分なインパクトがありながら、視覚に優しいゴシック体、それもいわゆるディスプレー・タイプではなく、文字の伝統を継承しながらも、使途のひろいサンセリフが欲しいとされるご要望が寄せられていました。
確かにわが国のゴシック体のほとんどは、人工工作物のように無機的で、もはや自然界に存在しないまでに鋭角的で、水平線・垂直線ばかりが強調されています。

「銘石B」の原姿はとてもふるく、中国・晋代の『王興之墓誌』(341年、南京博物館蔵)にみる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種、とくに碑石体と呼ばれる書風をオリジナルとしています。
『王興之墓誌』は1965年に南京市郊外の象山で出土しました。王興之(309-40)は王彬の子で、また書聖とされる王羲之(307-65)の従兄弟にあたります。

この墓誌は東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体といわれます。
遙かなむかし、中国江南の地に残された貴重な碑石体が、現代に力強くよみがえりました。「銘石B」は和字(平仮名と片仮名)三書体(くれたけ、くろふね、くらもち)が標準でセットされており用途に応じた選択ができます。

【論文発表会】 タイポグラフィ学会 『タイポグラフィ学会誌 08号 09号』 論文発表会を開催

2016_論文発表会チラシ_1101(大)[1] 02_03888-2DSC04014-2タイポグラフィ学会は、2016年11月23日[水・祝日]、学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟学生ホール(東京都新宿区富久町2-6)において、『タイポグラフィ学会誌08号・09号』論文発表会を開催しました。

  • 挨拶 タイポグラフィ学会 設立10周年を経て――山本太郎会長
  • 論文発表 学会誌08号から――真田幸治会員
    『「雪岱文字」の誕生-春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ』
  • 論文発表 学会誌09号から――春田ゆかり会員
    『近代初期「平仮名活字」の書き手について-池原香穉とその周辺』
    と題した各論文で取りあげられた、資料展示をおこないながらの論文発表会となりました。

【 詳細 : タイポグラフィ学会
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【定番書紹介】 朗文堂ブックコスミイク 『洋書の話 第二版』 髙野 彰著

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書 名 : 洋書の話  第二版
著 者 : 髙 野   彰
装 本 : A5判 ソフトカバー 263ページ
発 売 : 2014年11月13日
定 価 : 本体3,700円 + 税   ISBN978-4-947613-91-2
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[著者あとがきより]
バウアーズが Principles of bibliographical description を出したのは1949年のことである。年代的には古いが、記述書誌学を扱った著作で、バウアーズを越える著作は現在も出ていない。この著作は現在も記述書誌学の重要な基本書であることにかわりはない。

その後、1969年にはパドウィック(E. W. Padwick)がBibliographical method を出した。1970年にはピアス(M. J. Pearce)が A workbook of ana-lytical & descriptive bibliography を出している。そしてギャスケルは1972年に A new introduction to bibliographyを出した。しかしいずれもバウアーズの解説書に近い。ピアスなどはバウアーズ本を章ごとに取り上げて解説しているほどである。バウアーズ本が難解なため、解説書や入門書が必要なのである。

『洋書の話』の初版が出たのは1991年のことである。1995年には増補版を出したが、その後、絶版となってしまった。そしてこの度、第二版を出す機会を得た。初版そして増補版で扱っている時代は16–18世紀が中心であったが、今回もその範囲を越えていない。
『洋書の話』も記述書誌学の概説書であるが、洋書がどんな姿をしているか、その姿はどのようにして作られたのかを示そうとしている。その意味では、本書は、書名に示したように、洋書に関する本と見ていただいても良い。

そのためにも、これまで以上に図を多く取り入れ、目で見てわかるようにつとめた。これまで何気なく見てきたことにも意味があることを知り、それらがどんな目的で用いられ、どんな姿で本に現れているかを理解できるはずである。
  記述書誌学は完成した学問ではない。現在も模索し、発展を続けている学問である。未解決の問題も多い。しかしこの知識を通して得られる情報は計り知れない。記述書誌学を目指す人や洋書に興味を抱いている人にとってお役に立てば幸いである。   

 [主な内容 (目次より)]

1 章     4°:A‒P4 とは何か
2 章     本の隠れた特徴
3 章     折丁式の作り方
            3‒1 折記号を使った折丁式
            3‒2 紙葉の挿入と削除
            3‒3 参照表示
4 章     扉の転写
            4‒1 転写とは
            4‒2 扉の囲み飾り
            4‒3 扉の文字の転写
            4‒4 扉の記号類の転写
5 章     扉以外の部分の転写
6 章     記述の単位
            6‒1 版と刷
            6‒2 異 刷
            6‒3 発行と再発行
            6‒4 別発行
            6‒5 理想本
7 章     記述書誌学とは
8 章     記述書誌と目録の違い
9 章     準ファクシミリ転写法小史 
参考図書/用語集/あとがき/索引
 
髙野 彰resized[著者紹介]

髙 野   彰(たかの あきら)
1941年生まれ
1964年 東京大学総合図書館 勤務
2001年 跡見学園女子大学文学部教授
2012年 跡見学園女子大学文学部特任教授
2013年 退官
 博士(日本文化)
主要著書 :

 『洋書の話』増補版(丸善、1995年)
 『帝国大学図書館成立の研究』(ゆまに書房、2004年) 『英語本の扉』(朗文堂、2012年) 

【 詳細情報 : 既刊書のご案内 『洋書の話』

【新宿私塾】 第29期順調に進行中。「フィールドワーク 公版書籍印刷工場 理想社見学」+河野三男さん講義 

!cid_4FB37547-4D75-4196-8850-D2B82EB5ED8A 新宿私塾29期カリキュラム resized<新宿私塾第29期>は、爽秋の09月27日[火]に開講され、講座は全25回のうち、順調に第08回講座まで進行中です。
<新宿私塾第29期>はこれからほぼ正月休みもなく続き、早春の03月14日に終了します。

◎ 11月05日[土]  第07回講座 : 「フィールドワーク 公版書籍印刷工場 理想社見学」
初のフィールドワークとして、教場をはなれて江戸川橋の理想社まででかけました。
講座は90分の 「印刷概論」 講義ののち、理想社 : 田中宏明さんのご案内で工場見学。
はじめて間近に見る本格書籍組版、印刷の実際。塾生諸君にとってはおおきな刺激となります。その記録を第28期塾生の福士大輔さんの写真をふくめて紹介します。
160521_10[1] 理想社_01 理想社_03160521_03[1]160521_09[1]理想社_02160521_08[1]
◎ 11月08日[火]  第08回講座 : 「講義:欧文組版の基礎 河野三男さん」
河野三男さん担当による「欧文組版の基礎」の二回目の講座。
行、段落の組み方、行間と行長、段落の意味と種類、可読性の検証・・・・・・と熱い講座が続きます。
河野さん_01 河野さん_02 河野さん_03──────────
!cid_FCB8E02A-72A4-4301-B622-FAAA2FD17BC1《新宿私塾第30期へのご予約のおすすめ》
新宿私塾では次期以降の入塾申込を随時受けつけております。
2017年04月開講予定の<新宿私塾 第30期>以降に入塾希望のご意向があるかたは、下記詳細情報をご覧いただき、 朗文堂 : 担当鈴木 robundo@ops.dti.ne.jp  までご一報ください。 演習 ・ フィールドワーク以外の講座は見学申込も随時受けつけております。

【 詳細 : 朗文堂 タイポグラフィ・スクール 新宿私塾

【図書紹介】 ヘルムート・シュミット タイポグラフィック・リフレクション 12 『nippon no nippon』

 

schmid_001+5 schmid_002+5 schmid_003+5タイポグラフィック ・ リフレクション 12
nippon no nippon
ヘルムート ・ シュミット 大 阪
和訳 : 山田清美

   歌麿の官能的な線によって好奇心が芽生え、エミール・ルーダーによって大いに鼓舞された私が、日本の地を踏んだのは、素朴で未熟な 24 歳のときであった。 (不可能を可能にしてくれたのは、東京のアイデア誌のアートディレクター 兼 編集長の大智浩と、ヤラカス館の社長でニッポン ・ インターナショナル ・ エイジェンシーの創立者 ・ 中許忠夫である)。
大阪に到着して間もなく、スイスの TM 誌の編集長であるルドルフ ・ ホシュテトラ一から、植字工の視点で日本的なものについて記事を書いてみないかとの依頼があった。 自分に書けるのだろうか、という疑念を押しやって書いた最初の 『ニッポンのニッポン』 のテーマが「畳」である。 1968年1 月発行の TM 誌に掲載された。

   『ニッポンのニッポン』 で伝えようとしたのは、私なりの理解による日本である。 かつて存在した日本、そして今も存在している日本、さらにこれから発見されるべき日本。 私の寄稿記事にフルページが割かれていた。  レイアウトは雑誌の規格に合わせてある。 私の記事は定期的に掲載されたが、次第に不規則になっていった。  最後の 「手水鉢」 が掲載されたのは1979年3 月号の TM 誌であった。 それから間もなくルドルフ ・ ホシュテトラーが亡くなり、シリーズも終わった。

   このシリーズを一冊の本にすることは、私にとって長い間の夢だった。 ウプサラのオケ ・ ニルソン ― 彼は1950年代のバーゼル ・ スクールの生徒であった ― の励ましもあり、ドイツ語のテキストを基にレイアウトに着手したのは1994年ごろであった。 何故途中で止めてしまったのかは思い出せないが、レイアウトが硬いスイス風であったことを覚えている。
何年かが過ぎ去り、ニコールがバーゼル ・ スクールを終え、バーゼルのデザイン ・ スタジオの仕事を止めて日本に戻ると、彼女は TM 誌のテキストのタイプセットに取り組み始め、現存する写真のスキャンを始めた。英語のテキストも必要と考え、イギリス在住のロイ ・ コールに依頼したところ、彼はライプツィヒ在住の翻訳家でピアニストのグラハム ・ ウェルシュを紹介してくれた。

    二か国語のテキストを基にしたレイアウトがおおむね出来あがった。 ドイツ語のテキストの文字は英語のテキストよりわずかに大きく、コラムの幅も英文に比べると独文がわずかに広い。 このレイアウトを持って、友人である東京の朗文堂社長の片塩二朗に会いに行った。 日本語のテキストがないと本は売れないと彼は言う。 そこで大阪のデザイン事務所の初代通訳であった山田清美に翻訳を依頼、スミ ・ シュミットが眼を通し確認作業を担当した。

    本書では、日本語のテキストをドイツ語と英語の横に並べるのではなく、アルファベット世界と表意文字世界とに分けて、本の後半にまとめた。 本書は2012年に出版され、翌年ロンドンの国際タイポグラフィック・デザイナー協会(ISTD)から最優秀賞を授与された

    出版から三年後、財団法人 DNP 文化振興財団から、京都 ddd ギャラリーで 「ニッポンのニッポン展」 を開かないかという思いがけない招待を受けた。 ポスター、チラシ、招待状、封筒、案内状、20 ページの来場者用冊子デザインも任された。

    書物から展覧会場へ伝達の場が移る。私はテキストと画像を主役にしたいと考えた。
黒い天井と白い床の間に吊るされた 90 センチ幅の半透明のバナーに黒色でプリントされた画像と和 ・ 英テキスト。 訪れる人はランダムに吊るされたバナーの間を回遊しながら観、感じ、発見し、「 88 の音符をランダムに並べた 7 つのバリエーション」 の響きに耳を傾ける。 日本的なるものの寡黙な美を味わうことができる。

    ニコ一ル ・ シュミットと、長谷川哲也によって具現化された 「ニッポンのニッポン」 の展覧会場は、私には夢のようだった。 その夢を形にして残すために、「タイポグラフィック リフレクション」1 2号を出版することにした。 「アイデア」 誌編集長室賀清徳のエッセイを添えて。

【 詳細 ・ 問い合わせ先 : helmut schid design
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{ 新宿餘談 }
おもえらく、ときに交わり、ときに併走し、あるときは逆走しながらも、ながい旅路をヘルムート ・ シュミット氏とはともにしたという感がある。
かたくなまでに変わることの無いひとだったというおもいと、柔軟に時代と整合性をたもって活きてきているひとだともいえる。 DSCF5640[1]シュミットファミリーの皆さんと[1]そのひとつの中間点であり通過点が、図書 『 japan japanese 』 (朗文堂 2012)であった。
透徹な視点と、熟慮されたテキスト、配慮を凝らしたタイポグラフィ・ コンポジションによる図書『 japan japanese 』が誕生した。
それは愛娘ニコール ・ シュミットと、夫君 : 長谷川哲也氏によって 「京都 ddd ギャラリー」 での空間展示に <nippon no nippon> と題されて、三次空間へのあらたな具現化をみた。 201203japanjapanese[1]cid_787B8BD3-8FF0-43FB-B4B4-BDDAFB5680FC1[1]ここまでの 「まとめ」 として、ヘルムート ・ シュミット自主企画出版 <タイポグラフィック ・ リフレクション 12 nippon no nippon> が完成した。
また小社のWEBサイトを繰ってみると、{ 朗文堂ニュース }、{ 文字壹凜 } だけでも相当量の記録がのこっている。
1980年代初頭からシュミット氏との共同製作作業を再再展開してきた。 そろそろまた次の、あらたな企画で、造形界の沈滞を打破したいおもいがつのっている。
編集者としてはヘルムート ・ シュミットと、その若きファミリーとともに意欲的な挑戦をしてみたいとおもうこのごろである。  [ 片塩二朗  wrote ]

 

【講演会報告】 中央区生涯教育講座で古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されて講演

東京都中央区 生涯教育講座
『平野富二伝 考察と補遺』の編著者 : 古谷昌二
「平野富二物語 ~IHI を創業した実業家の人生~」

プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_01 DSCN8267 DSCN8271M7,M37社屋 S4本社2016年10月21日[金]、平野富二ゆかりの地、東京都中央区の生涯教育講座で、『平野富二伝 考察と補遺』の編著者:古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されての講演会がありました。

同講座は中央区民に向けて広報され、全 8 回の有料連続講座ですが、現在は定員となっていて一般募集はおこなっていません。
それでも主催者のご好意で五名の参加者枠をいただき、サラマ・プレス倶楽部「平野富二の会」参加者の有志五名が聴講しました。 古谷昌二さんuu 平野表紙uu『平野富二伝 考察と補遺』
編著者 : 古谷昌二
発  行 : 朗文堂
定  価 : 本体12,000円 + 税
A4判、ソフトカバー、864ページ 図版多数
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講座は午後二時―四時でしたので、終了後に会場の築地教育会館からわずかに徒歩三分! かつて東京築地活版製造所と平野富二邸があった萬年橋から祝橋の周辺を、古谷さんのご案内で、灯ともしころまで、おもわぬ「築地さるく」となりました。 プロジェクター説明資料(2)PDF_ページ_08 プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_14至近の「東京築地活版製造所跡」、「活字発祥の碑」(現コンワビル)をたずね、その背後の「旧平野富二邸跡」(現築地えとビル)などをたずねることができました。
「旧平野富二邸跡」は広大な敷地ですが、ここには東京築地活版製造所、石川島平野造船所の社員寮なども設置されていたようです。
現在はおもに「築地えとビル」となっており、壁面にはえとの十二支の紋様がレリーフとして設置されていました。 DSCN8288 DSCN8297 DSCN8290 DSCN8293

【朗文堂ブックコスミイク】 鈴木 篤著 『わたくしは日本国憲法です。』 11月03日[木・文化の日祝日]は日本国憲法公布から70年の記念日でもありました

プリント

顔写真鈴木篤氏 『 わたくしは日本国憲法です。』 著者 : 鈴木 篤氏

【 朗文堂 ブックコスミイク : 『わたくしは日本国憲法です。』 フライヤーPDF
【 関連ブログ : 弁護士 鈴木 篤 の つれづれ語り
【 文字壹凜 : 【祝日】 五月三日は日本の憲法記念日2016年05月01日
青年劇場広告──────────
《 出版人として、タイポグラファとして、そして、なによりもひとりの国民として 》

小社刊 『わたくしは日本国憲法です。』 の著者 : 鈴木 篤氏は、なによりも日本国憲法の前文をおもくみている。当然そこには憲法全体をつらぬく精神と理念がしるされているが故である。
2014年09月06日の『わたくしは日本国憲法です。』出版記念パーティでも、掉尾を飾って会場に『日本国憲法』前文の画像がながれ、それを女性参加者が声高らかに朗読されて感銘をよんだ。
そして鈴木 篤氏は、『日本国憲法』をつぎのようにかたる。

「すばらしい憲法ではないでしょうか。私たち日本国民は、こんなすばらしい、世界に誇れる憲法を持っているのです」

もちろん図書『わたくしは日本国憲法です。』のなかにも、前文をふくめて、憲法の全文が紹介されている。
また<花筏 朗文堂好日録-045 卯月 四月がおわり、新緑と薫風の 皐月 五月のはじまり>でも、『MORGEN』誌での書評を紹介するなかで、『日本国憲法』前文を紹介した。

ところが、現状のコンピューター・ディスプレーは、大小を問わず、まだまだ可読性 Readability と 判別性 Legibility に劣るという段階にとどまっている。
それでもタイポグラファとしては、こうした貴重な文書に勝手に段落改行などは設けるべきではないと判断していた。
ところが、デバイスによる差はあるとはいうものの、やはりこれだけの文章量がつづくと、画面ではことばの壁となって、読む意欲を減衰させてしまう結果となっていた。

今回は、段落ごとに一行アキとして、ともかく読んでいただけるようにいささかの工夫をしたものである。筆者の意のあるところをお汲みいただけたら幸いである。
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日 本 国 憲 法

施行  昭和二二年五月三日

日 本 国 憲 法   前 文

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。

われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

【タイポグラフィ学会】 『タイポグラフィ学会誌』 08号・09号 論文発表会のご案内

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タイポグラフィ学会
『タイポグラフィ学会誌』 08号・09号 論文発表会

【日  時】
2016年11月23日(祝・水曜日)
14:30-17:30(受付開始 14:10- )各講演80分程度(資料閲覧時間を含む)
【場  所】
学校法人専門学校 東洋美術学校 D棟学生ホール(東京都新宿区富久町2-6)
https://www.to-bi.ac.jp/access/
【講演者】

真田 幸治 ・ 春田 ゆかり
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【講演 1 】

「雪岱文字」の誕生 —- 春陽堂版『鏡花全集』のタイポグラフィ
真田 幸治(タイポグラフィ学会会員/装幀家)

装幀家、挿絵画家などとして再評価が著しい小村雪岱(こむら-せったい)であるが、その評価は主に泉鏡花の著書、「鏡花本」の装幀によるところが大きい。
その雪岱の装幀において、雪岱独自の文字「雪岱文字」が実は大きな役割を担っていたという事実は知られていない。

また「雪岱文字」は、雪岱が大正期に在籍していた資生堂の和文ロゴタイプの成立にも大きく寄与している。そして春陽堂版『鏡花全集』の函の装幀において主要な構成要素として採用されて一つの完成を見ることになる。今まで論じられることの なかった「雪岱文字」が、どのように誕生し、展開されていったのかを考察する。

【講演 2 】
近代初期「平仮名活字」の書き手について —- 池原香穉とその周辺

春田ゆかり(タイポグラフィ学会会員/グラフィックデザイナー)

日本語活字書体のなかで、平仮名書体が注目されて久しい。そのあり方が文面の印象を大きく左右するからだとされる。
しかし平仮名活字書体がどのようにして現在の形にあるのか、その成立期に誰がかかわったのか、その詳細はあまりよく知られていない。

日本の近代印刷・活字の創始者(導入者)として知られる本木昌造の近くにあり、その初期の活字書体の「版下」を手がけた池原香穉(いけはら-かわか)。ながらく詳細不明とされてきたその人物像について 近年判明した事柄と、彼が平仮名書体にあたえた影響と役割について、現物資料も交えて考察する。
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【参加費】
無 料
*当日に限り『タイポグラフィ学会誌』01-09 号を特別価格にて販売いたします。
【懇親会】

講演会場至近を予定 要予約(一般3,000円)18:30より2時間程度
【お申し込み方法】

11月15日(火曜日)までに件名【論文発表会へ参加希望】として、氏名、人数、連絡先、懇親会への出欠の有無を、Eメールかファクシミリにて下記の宛先にお送りください。
こちらより3日以内にお断りの連絡がない場合は、受付完了となります。また定員に余裕のある場合は、期日以降も受け付けます。
【申込先 ・ お問合わせ先】

タイポグラフィ学会 東京事務局
Eメール : info@society-typography.jp
ファクシミリ : 03-3352-0727

【年末恒例 字学】 ポストカード Postcard と クリスマス Christmas の欧文表記に関する注意点 ー もう Post Card(二単語), X’mas の誤用は卒業、Xmas は慎重に

DSCN2014 DSCN2092カレンダーの残りもあと二枚だけ。
本11月01日、郵便局から<郵便はがき>の年賀状が発売され、まちかどには<年賀状印刷たまわります>ののぼりがはためく候になりました。
この時期、造形者の皆さんは「ことしのクリスマスカード、年賀状はどんなアイデアと印刷にしよう」と、楽しくもあり、悩ましくもなるかたが多いようです。
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例年のことながら、そろそろクリスマスカードや年賀状の準備にとりかかっているかたも多いこのとき、フト ふるい記事をおもいだしました。
どういうわけか造形者の一部、なかんずくデザイナーと称するすひとは横文字に親近感をもつようで、郵便局の<郵便はがき>ではなく、欧文表記による私製の<Card>を印刷されることが多くみられます。
そこでの注意点を ソッと …… 。
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★     ★     ★     ★

【再掲載】 ポストカード Postcard と クリスマス Christmas DSCN3921

 本項の元記事の掲載は<2014年12月03日 花筏>であった。 テーマと問題点に進展があまりがみられないこともあり、ここに再掲載した。

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カレンダーののこりが、もうすぐあと二枚だけになりそうなこのとき、本コーナーを訪問していただいたゲストの皆さまに、しばしばあやまって使われている英語表記をご紹介したい。
ひとつは 「 郵便はがき ポストカード 」 で、ひとつは 「 クリスマス 」 である。

使用する資料は、英和辞書としてたかい評価がある 『 研究社 新英和大辞典 』 で、これは画像紹介の許可をいただいてある。
もうひとつは、『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 ( Oxford University Press, 1981,  p.318) である。
同書は、オックスフォード大学出版局の刊行書で、執筆者と編集者にむけて、あまりに日常化していて、ついうっかり、あぁ知らなかった、というたぐいの表記、間違えやすい英単語を中心に、簡潔に紹介したものである。
同書には意外な記述がみられる。
DSCN3937 ここには 「 post  郵便 」 から派生した英単語を列挙して、「 abbr.  省略語、短縮語 」、「 しばしばスペースを入れて二単語にされていますが、一単語ですよ 」、「 語間にハイフンを入れて表記してください 」 などと説明されている。

すなわち 『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、 「 郵便はがき ポストカードは  postcard  と一単語にしてください。 post card のように二単語では無いのでご注意を。 省略語は p.c. です 」 と、簡略かつ明確にしるされている。 DSCN3943 DSCN3958 3949 いっぽう 『 研究社 新英和大辞典 』 では、とても丁寧に 「 postcard 」 を説明している。
ここでの標題語 「 post ・ card 」 の中黒点は、音節 ( syllable ) をあらわすものであり、ここに中黒やダッシュやスペースは不要。
さらに 『 研究社 新英和大辞典 』 では、「 郵便はがき (含む : 年賀はがき)」 にたいする日英の比較とともに、わざわざ強調の裏罫をもちいて、「 SYN  synonym  同義語、類義語 」 として、「 絵はがき  と はがき 」、「 postal card,  postcard 」 の使いわけと、英国と米国での相違まで説いている。
ご参考になったであろうか。

この問題は、わが国でもふるくから一部の識者から指摘されており、朗文堂 WebSite では 〈  タイポグラフィ実践用語集 は行 葉書・端書・はがき・ハガキ 〉 で、ずいぶん以前 ( まだ郵政省があって、専用ワープロを使っていた時代 ) から触れられている。

ところが、いまだに展覧会シーズンともなると、各種の造形者、とりわけ印刷メディアに関わることがおおい 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 の皆さんから、「 Post  Card 」 と、堂堂と二単語で印刷された 「 Postcard 」 をたくさん頂戴しているかなしい状態がつづいている。
ふつうの生活人は、ほとんど 「官製はがき」 [このことばは、現代でも有効なのであろうか] にしるされた「郵便はがき」を、そのままもちいるので、あまりこのミスは犯さなくて済む。

この 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 が犯しがちなミスは 意外とやっかいで、1883年(明治16)ごろから < 公文書では 「 葉書 」 としている > と 『広辞苑』 は説くが、その説明文をみると、すべて 「はがき」 としている。そして郵便局が販売しているカードには<郵便はがき>としるされている。  

いかがでしょう、  「 postcard , Postcard 」 。
「 過ちて改めざるを是を過ちと謂う 」、「 過ちては改むるに憚ることなかれ 」 という。 この名詞語は、名にし負う天下のオックスフォード大学の 執筆者や編集者でも 「 ついうっかり 」 なのであるから、なにも臆することはない。
かくいうやつがれも、しばしばこうした誤用や誤謬をおかしては反省しきりの日日である。 そしてこの記事をみたあとは、「 そんなことは、昔から知ってたさ 」 、「 そんなの常識だろう 」 と、どっしり構えて欲しい。

それでもおひとりでも、正しく 「 postcard,  Postcard 」 をもちいれば、まずは大切なクライアントに迷惑をかけることが無くなり、やがてちいさな波紋がどんどん拡大して、わが国の造形者が恥をかかなくなる日が近からんことを念願している
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《 すこし気がはやいですか。 暮れになったら X’mas はやめて、口語の Xmas も慎重に 》
いっぽう 「 クリスマス 」 は少しやっかいである。
それは某国語辞書 『 広辞苑 』 が、どこか意地になって、クリスマスの項目で 「 Christmas,  Xmas 」 を説明しているからである。

それに牽かれたのであろうか、わが国の一部に 「 X’mas 」 と表記する向きがあるが、これはギリシャ語の「キリスト Xristós」の省略を重複したもので完全に間違いである。

『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、「 Christmas  クリスマス 」 は執筆者や編集者にとってはあまりに平易であり、関心が乏しいようで、わずかに「 Cristmas (cap.)」 として、文頭を大文字にすること (p.70) 〈 参照/タイポグラフィ実践用語集 き行 キャピタライゼーション : capitalization 〉 として簡略に触れている。

またギリシャ語の「キリスト Xristós」由来の 「 Xmas 」 には、キリスト教徒の一部に抵抗を感ずる向きがあって、やつがれも20年ほど前に来社したアメリカの知人から、
「 ここに来るまでに X’mas,  X’mas Sale のディスプレイがたくさんあった。 あれはクレイジーだ。  Xmas ( エクスマス ) にも、発音からわたしには抵抗がある。 それよりどうして日本では、11月のはじめから Christmas をはじめるのだ 」
と責められたことがあった。

宗教や宗派、そして発音までがからむと、やつがれの手にあまる。 まして某国語辞典の存在もあって困惑していたが、『 研究社 新英和大辞典 』 に、わかりやすく 「 クリスマス 」 の解説があった。
長文にわたるので、その紹介にあたって、画像紹介の許可を研究社からいただくことができた。 そしてことしの暮れは、せめて 「 X’mas,  X’mas Sale 」 を見なくてすむように念願したい。
そしてあくまでも口語で、文章語ではない 「 Xmas,  Xmas Sale 」 を、大量配布される広告や印刷物などへの使用に際しては、おおいに慎重でありたいものである。 DSCN3943 DSCN4098 DSCN4086

【講演会報告】 中央区生涯教育講座で古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されて講演

プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_01 DSCN8267 DSCN8271M7,M37社屋 S4本社2016年10月21日[金]、平野富二ゆかりの地、東京都中央区生涯教育講座で、『平野富二伝 考察と補遺』の編著者:古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されての講演会がありました。

同講座は中央区民に向けて広報され、全8回の有料連続講座で、現在は定員となっていて一般募集はおこなっていません。
それでも主催者のご好意で五名の参加者枠をいただき、「平野富二の会」参加者の有志五名が聴講しました。
古谷昌二さんuu 平野表紙uu『平野富二伝 考察と補遺』
編著者 : 古谷昌二
発  行 : 朗文堂
定  価 : 本体12,000円 + 税
A4判、ソフトカバー、864ページ 図版多数
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講座は午後二時―四時でしたので、終了後に会場の築地教育会館からわずかに徒歩三分! かつて東京築地活版製造所と平野富二邸があった萬年橋周辺を、古谷さんのご案内で、灯ともしころまで、おもわぬ「築地さるく」となりました。
プロジェクター説明資料(2)PDF_ページ_08 プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_14
至近の「東京築地活版製造所跡」、「活字発祥の碑」をたずね、その背後の「旧平野富二邸跡」もたずねることができました。
「旧平野富二邸跡」は広大な敷地ですが、ここには東京築地活版製造所、石川島平野造船所の社員寮なども設置されていたようです。
現在はおもに「築地えとビル」となっており、壁面には十二支の紋様がレリーフとして設置されていました。
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【舞台公演】 IHIステージアラウンド東京 そのこけら落とし公演は 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花、 Produced by TBS。日本の Entertaiment が Drastic に変わる

話題沸騰! キミはこの衝撃に耐えられるか?
アジア初、没入型エンターテインメント施設として2017年03月に誕生する 「IHI ステージアラウンド東京」。
こけら落とし公演は 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花、 Produced by TBS。
劇団☆新感線 の公演フライヤーと、Village Audiens Club (VAC) から紹介。  蜉・屮譁ー諢溽キ喀荳ュ髱「隕矩幕縺・ 蜉・屮譁ー諢溽キ喀荳ュ髱「隕ウ髻ウ髢九″2017年3月に東京・豊洲にオープンする 新劇場 「IHIステージアラウンド東京」。

そのこけら落とし公演 ・ 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花、 Produced by TBS。 

「IHI ステージアラウンド東京」は、1300人以上もの観客を乗せて360°回転する円形の客席を劇場中央に配置し、その周囲をステージとスクリーンがぐるりと取り囲み、観客席が回転しながら舞台、映像、音楽、照明の全てが画期的な方法で融合することで、これまでにない感覚を体験させてくれるアジア初の没入型エンターテインメント施設。

「IHI ステージアラウンド東京」 こけら落とし公演となる 劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 は、いのうえ ひでのり による演出、劇団☆新感線 座付き作家 ・ 中島かずき が手掛けた脚本で、7 年ごとに再演を繰り返す 劇団☆新感線 の代表作。
その 『髑髏城の七人』 を、“ 花 ・ 鳥 ・ 風 ・月 ” の4 シーズンに分け、シーズンごとに全て異なるキャスト、脚本 ・ 演出も練り直され、 2017年から2018年の約 1 年に渡るロングラン公演が予定されています。

皮切りとなる 『髑髏城の七人』 Season 花  Produced by TBS では、2011年に上演された『髑髏城の七人』 で捨之介を演じ、6 年ぶりの 劇団☆新感線 参加となる 小栗 旬をはじめ、山本耕史、成河、りょう、青木崇高、清野菜名といった 劇団☆新感線 初参加となる個性豊かな顔ぶれや、2003年『阿修羅城の瞳』以来、13 年ぶりの参加となる 近藤芳正、そして古田新太、河野まさと、逆木圭一郎、村木よし子、礒野慎吾、吉田メタル、保坂エマといったお馴染みの劇団員も集結し、約2 か月半におよぶ公演に挑みます。
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劇団☆新感線 『髑髏城の七人』 Season 花   Produced by TBS

◎スタッフ&キャスト
     作    : 中島かずき

演    出 : いのうえひでのり
出    演 : 小栗旬/山本耕史/成河/りょう/青木崇高/清野菜名/近藤芳正/古田新太 ほか
◎上演スケジュール
2017年3月30日[木]-6月12日[月]  IHI ステージアラウンド東京

主    催 : TBS
制    作 : ヴィレッヂ
企画・製作 : TBS ヴィレッヂ 劇団☆新感線
公式サイト : IHI ステージアラウンド東京 公式サイト

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【新宿私塾】 爽秋の風のなか、新宿私塾第29期がスタートしました

!cid_6BA8106B-53E3-4883-BAFA-B215CFAAB0A0 新宿私塾29期《 新宿私塾第29期、さわやかな秋の風のなか、意欲満満でスタートしました 》
隣接する新宿御苑の遊歩道に金木犀のかおりがかすかにただよい、さまざまな秋の艸花が咲きそろった2016年09月27日[火]、新宿私塾 第29期が開塾いたしました。

教場にはまだ終了したばかり、異色の人材で、きわめて熱気のあった前期<新宿私塾28期生>の熱気がのこっていましたが、ここにあらたなタイポグラフィの俊英を迎えました。これから半年間、ほぼ正月休みもなく新宿私塾は開講され、早春の2017年03月14日[火]に終了します。 金木犀 背景に吾亦紅 文字壹凜用講師、塾生の先輩ともども、全力であたらしいタイポグラフィの前衛を育成するために努力しますし、25回の講座は、いずれも内容の濃いものとなっています。
半年後、自信にあふれた塾生の皆さんの、お顔と、お姿を、再度紹介できたら幸せです。

新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。
それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。

この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名を優にをこえた 「新宿私塾修了生」 の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

《 恒例 新宿私塾第29期 カリキュラム  表紙デザインの紹介 》
20171005101428_00001新宿私塾 第29期 カリキュラム 表紙  ( Design : 講師 杉下城司さん )

新宿私塾 第29期 カリキュラムの表紙は、デジタルタイプの<タインハルト>という欧文書体です。
新宿私塾では受講期間のあいだに、和文活字でも、欧文活字でも、どちらでもかまわないのですが、できるだけ 「 My Favorite Type ― わたしのお気に入りの活字書体 」 を獲得することが勧められます。

もちろん、世上の評価がたかい活字書体でも、まったく無名の活字書体でも、「はやり書体」 でも一向にかまいません。 むしろどんな活字書体にも、避けがたく付着している 「 長所と短所 」 をみつけだし、「 長所をいかし、短所を制御する能力 」 がとわれます。

────────── 杉下城司さんのコメント
新宿私塾29期の書体は、2009年にリリースされた、スイスのオプティモ・タイプファウンドリーのフランソワ・ラッポ(François Rappo, Optimo Type Foundry )による <タインハルト>という書体です。

この書体は20世紀初頭のグロテスクをモデルにしています。 <タインハルト>という書体名は、ロイヤル・グロテスクという書体を手がけたフェルディナンド・タインハルト(Ferdinand Theinhardt)にちなんで命名されました。(ちなみにロイヤル・グロテスクもベルトルドより復刻されています)

このロイヤル・グロテスクは、アクチデンツ・グロテスクを制作する際にベースとされた書体です。そしてアクチデンツ・グロテスクはノーマル・グロテスクを、ノーマル・グロテスクはノイエ・ハース・グロテスク、後のヘルベチカを制作する際に参考にされた書体です。

サンセリフ体がはじめて活字書体見本帳に掲載されたのが、ちょうど200年前の1816年、イギリスのキャズロン活字鋳造所のものとされています。200年前とはいえ五百数十年の歴史を有する活字セリフ体に比べると、サンセリフ体はまだ歴史が浅いのかもしれませんが、サンセリフ体もまた脈々と受け継がれていることがわかります。

21世紀に入りデジタルフォントも多様な姿を見せています。ヘルベチカやユニヴァースのような、サンセリフ体の頂点と思われた書体にも新しい提示がなされています。 今回の使用書体であるタインハルトのように、19世紀から20世紀にかけて使われた、金属活字初期のサンセリフ体を見直した書体も続々とリリースされていますので、今後のサンセリフ体の動向がますます楽しみです。  [杉下城司]

【株式会社IHIプレスリリース】 アジア初,没入型エンターテインメント施設のネーミングライツを取得 ~豊洲に建設予定 「IHIステージアラウンド東京」と命名~ 続報にご期待を!

株式会社IHI プレスリリース 2016年6月27日

360stage_logo[1] 360stage_around[1]株式会社IHI(所在地 : 東京都江東区豊洲,社長 : 満岡 次郎,以下「IHI」)は,このたび,株式会社TBSテレビ(所在地 : 東京都港区赤坂,社長 : 武田 信二)が豊洲埠頭にて建設・運営するアジア初の没入型エンターテインメント施設のネーミングライツ(命名権)を取得し,「IHIステージアラウンド東京」(英語表記 : IHI STAGE AROUND TOKYO)と命名しました。同施設は2017年3月に営業開始する予定です。

IHIは,1939年(昭和14年)に造船所を豊洲に設立して以来,長い年月にわたり豊洲とともに歴史を歩んできました。現在においても,「職・住・遊・学」の複合開発を推進し,同地区の発展および魅力向上に向けて取り組んでいます。

このたび,豊洲における文化芸術の振興と知名度向上を目的に,豊洲埠頭に建設されるエンターテインメント施設の事業に関わるとともに,ネーミングライツを取得し,「IHIステージアラウンド東京」と命名しました。

豊洲を含む湾岸エリアでは,豊洲新市場の開業や,東京オリンピック・パラリンピックの競技施設・選手村の建設が計画されています。IHIは,今後も豊洲の更なる発展と魅力ある街づくりに,積極的に取り組んでいきます。

<契約内容>       
 名   称  :  「IHIステージアラウンド東京」(英語表記:IHI STAGE AROUND TOKYO) 
 契約期間  :  2016年6月~2020年10月 

<「IHIステージアラウンド東京」の概要>
 「IHIステージアラウンド東京」はアジアで初めて,また,世界でも2例目の没入型エンターテインメント施設であり,1,314名を乗せた巨大な円形の客席が360°回転し,その周囲を取り囲むステージとスクリーンによって,従来の劇場では表現し得ない緻密で壮大な舞台空間を実現できます。

STAGE AROUND TOKYO

【新宿私塾】 第27期修了生:本末英樹さんから「ローマ大文字の原点・トラヤヌスの碑文訪問記録」をいただきました

私塾烏兎匆匆、光陰矢の如しでしょうか。ときのたつのがあまりにはやく感じられます。

2015年09月29日開講、2016年03月15日修了した<新宿私塾第27期>の塾生、本末英樹さん(下掲写真:新宿私塾第27期修了式 前列右からふたりめ)が、ことしの夏にローマのフォロ・ロマーノ地区「トラヤヌスの碑文」を訪問され、その記録写真を提供していただきました。
27期終了_01-1024x724[1]新宿私塾では木村雅彦さんの担当で「ローマ大文字の原点:トラヤヌスの碑文」をまなぶ講座が常設され、本末さんももちろんその講座を受講されています。
1999年05月10日に木村雅彦・春田(木村)ゆかり夫妻が拓本取材を実行され、その記録図書『トラヤヌス帝の碑文がかたる』(木村雅彦 朗文堂)をのこされています。
また本講座は、その原寸大の碑文拓本の迫力に直接触れる機会となります。

本末さんの報告では、トラヤヌスの碑文の周辺ではいまなお発掘・復元・修復作業が進行中で、碑の直近まではおりることができず、周辺回廊部からの撮影となったそうです。

小生がここにはじめて立ってから30余年が経過し、木村夫妻の取材からも17年ほどの時間がたったことになりますが、「トラヤヌスの碑文」の建立は西暦114年とされていますので、その千余年におよぶ悠久の時から較べたらほんのわずかなときでしかありません。
本末英樹さんのうれしそうなローマでの報告を聞きながら、記録し、かたり伝える――タイポグラフィの神妙にして、摩訶不思議な側面をみるおもいがしたひとときでした。
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【好評図書紹介】 トラヤヌス帝の碑文がかたる 木村雅彦著

9784947613592ヴィネット01号
トラヤヌス帝の碑文がかたる
木 村 雅 彦 著
B5判 76頁 並製本
増 刷 出 来
定 価 : 本体 2,
600円+税

ローマのトラヤヌスの碑文は西暦114年に建立されて、すべてのローマ大文字の
淵源とされるものです。
ここからアイデアを得て、製作された欧文活字書体は数えきれないほどあります。
本書では18世紀のナポレオン3 世による複製以来の原寸拓本採取に成功して
その写真と拓本、大判折り込み 2 点を含む豊富な写真と図版によって
トラヤヌスの碑文の魅力をくまなく紹介しました。
──────────
『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』 はイタリア政府との事前のながい交渉の末
木村雅彦、春田(木村)ゆかり夫妻の「 遅くなった新婚旅行 」 として
1999年05月10日、ローマ、フォロロマーノ地区にある「トラヤヌス帝大円柱」での
原寸拓本採取と、撮影が完了したものです。

『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』のテキストは日本語だけですが、欧米でもやはり
関心がつよく、外国向け販売もすくなくありません。

ここにあらためて、故ヘルマン・ツァップ氏がのこされたエッセイとともに
トラヤヌス帝の碑文がかたる 』(木村 雅彦著、朗文堂) をご案内いたします。
ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
トラヤヌス帝トラヤ02トラヤ03トラヤ04──────────

< トラヤヌス帝の碑文のおもいで >  ヘルマン・ツァップ

朗文堂未刊書 『ヘルマン・ツァップ 活字と夢と』より。
Zapf 型押し用亜鉛凸版uuツァップ夫妻
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ

       1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
        1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ

1950年の秋、わたしたちは活字書体のインスピレーションをもとめてイタリアへでかけました。この旅ではもっぱらスケッチブックとカメラを手に、フィレンツェ、ピサ、ローマをおとづれて、ふるいローマ時代の碑文を探しました。
 
ここでの数数の碑文との出会いと、フィレンツェとバチカンの図書館で見たすばらしい書物が、その後のわたしたちの活字設計におおきな影響をあたえました。とりわけ刺激がおおきかったのはトラヤヌス帝の碑文との出会いでした。
文字の美しさを理解するひとならだれでも、西暦114年にローマのフォロ・ロマーノ地区に建造されたトラヤヌス帝の大円柱にしるされた碑文をみて、わたしがいかに有頂天になったかを理解していただけるでしょう。
 
ところが残念なことに、この碑文の位置がたかすぎて、歪みのない、まともな写真を撮ることができませんでした。それでも諦めきれずに奮闘するうちに、どうやらわたしはだれの眼にも明らかなほど夢中になっていたようです。
たまたまそばを通りかかった警備員は、メジャーをもって大円柱に詰め寄るわたしを見て、碑文をはぎ取って地面に引きずりおろそうとしているとおもったのでしょうか、あわてて制止されたことが懐かしくおもいだされます。

Zapf_80-1プリントミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この大文字だけの活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされた、碑文系書体とされるもののひとつです。朗文堂ホームページのメインタイトルは1999年以来ミケランジェロ・タイトリングがもちいられていjます。
D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。

【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク トラヤヌス帝の碑文がかたる 】
【 関連情報 : 朗文堂ニュース ご冥福をお祈りいたします。ヘルマン・ツァップ氏を偲ぶ 】

【資料紹介】 株式会社東京築地活版製造所第二代社長『曲田成君略傳』(松尾篤三編集兼発行 東京築地活版製造所印刷)

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曲田成 resized 譖イ逕ー謌仙菅逡・莨拈陦ィ1 譖イ逕ー謌仙菅逡・莨拈2 譖イ逕ー謌仙菅逡・莨拈3 譖イ逕ー謌仙菅逡・莨拈螂・莉・『曲田成君畧傳』(国立国会図書館 請求記号 特29-644)

本書は、東京築地活版製造所第二代社長/曲田 成(まがた-しげり 弘化三年一〇月一日〈西暦 1846年11月19日〉-明治二七年〈1894年〉一〇月一五日 行年四九)の略伝である。
序文を福地源一郎(櫻痴 三号明朝 字間 四分アキ)、本文を同社第三代社長・名村泰蔵(五号明朝 字間 四分アキ)で組まれている。本文後半に弔文「曲田成君ヲ弔フ文」(東京活版印刷業組合頭取 佐久間貞一)、「曲田成氏ヲ追弔ス」(密嚴末資榮隆 不詳)がある。最後に「跋」がおかれ、ふたたび東京築地活版製造所社長の名で、名村泰蔵(三号明朝 字間 四分アキ)がしるしている。

刊記(奥付)には発行日として「明治28年10月16日」とあり、おそらく曲田成の一周忌に際して刊行されたものとみられる。
編集兼発行者は松尾篤三(東京市京橋区築地一丁目七番地)である。この松尾篤三に関して知るところは少ないが、谷中霊園の平野富二墓前の対の石灯籠の台座、東京築地活版製造所関連の名前の列挙のなかにその名をみることができる。
印刷者として支配人・野村宗十郎(東京市京橋区築地一丁目二〇番地)がある。
印刷所として東京築地活版製造所(東京市京橋区築地二丁目一七番地)がある。

『曲田成君畧傳』によって、今後本木昌造、平野富二関連文書の行間を大幅に補填することが可能となった。すなわち従来は平野富二と曲田成に言及するところがきわめて少なく、両者のであい、当初の器械設備、活字改良の次第などは暗中模索の状態にあった。
さらにことばをかさねれば、東京築地活版製造所から『平野富二伝』が発行されるにいたらなかった次第は、本書の中で名村泰蔵自身があきらかにしている。

ここに読者諸賢に『曲田成君畧傳』の存在をお知らせし、ともに『曲田成君畧傳』をタイポグラフィ研究に資することを期待したい。

【新宿私塾】 新宿私塾第28期 無事に終了しました

!cid_C664B0FC-3719-4365-9492-2D88176F96BB !cid_11CF1BBD-9F40-40E3-A134-E45B39E6F203いつものことですが、出あいはうれしく、別れはさびしいものです。
<新宿私塾 第28期>は、桜花爛漫の2016年04月05日に開講し、爽秋の09月20日、10名全員が無事に課程を修了し、おおきく成長して羽ばたいていきました。
最終講座を終え、これからは<新宿私塾修了生>の一員となった塾生の諸君は、わかれがたいおもいがあったのか教場での談笑がつづき、やがて「新宿私塾第28期塾生会」で、新宿の町に消えていきました。
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<新宿私塾>は毎回全25講座が開講されますが、「造形のよろこび」、「身体性をともなった造形のよろこび」をモットーとしています。 
同時に<新宿私塾>では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 の三領域で、バランスのよい学習をモットーとしています。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともないます。
カリキュラム表1 Web16.4.5_第28期入塾resizeDSCN7558-627x470[1]ことしはどうしてか長雨・猛暑・酷暑・連続する颱風と、天候不順の日がつづきました。
最終講座の09月20日は、折あしく颱風16号が関東地方に襲来しており、また連日の降雨で出水も心配される日でした。そのためにいつものように遅くまでの開講ではなく、講師:山本太郎さんの講座は定時をもって終了し、早めの帰宅をうながしました。
!cid_7593F6CC-95B4-41FE-BB08-A89EAF51C5E5塾生諸君は時計を気にしながら、しばしのお別れに際してメアドの交換を急ぎ、同期会の幹事をきめて再会を約しての修了となりました。

造形界にはきびしい逆風がみられる昨今ですが、新宿私塾28期修了生の皆さんは大きく羽ばたいて旅だちました。

【朗文堂ブックコスミイク】 『オリンピックとデザインの政治学』 共著者:若山 滋氏ブログSite開設

若山 滋氏若山 滋 Shigeru Wakayama
建築家 名古屋工業大学名誉教授 

1947年台湾生まれ。東京工業大学建築学科卒業、同大博士課程修了。工学博士。1974年入社の久米設計を経て名古屋工業大学教授。米国カリフォルニア大学バークレー校、コロンビア大学客員研究員。現在、中京大学客員教授、名古屋工業大学名誉教授。専門は建築学・都市論・文化論。

著書は『建築へ向かう旅』、 『組み立てる文化の国』、『風土に生きる建築』、 『「家」と「やど」― 建築からの文化論』、 『漱石まちをゆく ― 建築家になろうとした作家』、『インテンシブ・シティー都市の集約と民営化』、『建築家と小説家 ― 近代文学の住まい』など。
建築作品には「不二の一文字堂」、「高萩市立図書館」、「ミャンマー中央農業開発センター」、「名古屋工業大学正門」、「西尾市岩瀬文庫」などがある。
01オリンピックとデザインの政治学rs

────────── 若山 滋氏からのメッセージ

皆さま
最近、ブログを始めました。
都市力と風土力」というタイトルです。 wakashige.hatenablog.com

都市力と風土力

建築からの文化論を主に、時事評論を加える。

読んで感想を聞かせていただければ幸いです。
知り合いに宣伝してください。   2016年08月31日  若 山  滋

2016-08-23  負けてこそ名誉
2016-08-24  小池知事と着物の圧倒
2016-08-25   空調に関するテレビ番組 
2016-08-28   大衆発信社会
2016-08-29   女優の息子
2016-08-30   大衆とは何か-大衆発信社会・その2 
2016-08-30   ポケモンゴーよりポケベンゴー

{ 新 宿 餘 談 }
あたらしいブロガー : 若山 滋さんの誕生です。
08月23日の開設から、読みごたえのある記事が連日投稿がつづいています。
やつがれはお盆あけから雑用が多く、ブログの更新がとどこおり気味です。
あたらしいブログ、「都市力と風土力」 への皆さまのご愛読をお勧めするゆえんです。

【日本テレビ】 24時間テレビ |今年のチャリ T シャツは初の〝写真プリント〟。蜷川実花さんの色鮮やかな世界観を再現。

T18月27日[土]-28日[日]放送、[日本テレビ] 24時間テレビ。今年のチャリ T シャツは、初の〝写真プリント〟。蜷川実花さんの色鮮やかな世界観を再現しました。
胸元の写真には、真っ青な空、色鮮やかな花々、愛らしい蝶…。未来に開かれているような美しい世界がそこにはあり、まさに〝蜷川実花ワールド〟。

そして、その写真の枠には、今年のテーマである愛 = LOVE の文字が。それぞれのアルファベットの向きも違えば、大きさも違い、一見「LOVE」という文字には見えず、隠れています。これは、「愛」には色々な〝形〟があることをメッセージとして、表現されています。
このチャリ T シャツには、蜷川実花さんに加え、デザイナーの半田 淳也(ハンダ ジュンヤ)さんも参加しました。
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◆ 蜷川実花さん コメント ◆
今年のチャリ T シャツは、着ていてウキウキする、明るい気持ちになるものにしたく、男女問わず皆が着ることのできるよう、誰もが好きな、希望のつまった“青い空”が象徴的な写真を選びました。
チャリ T シャツを作っていた時期は、生命のはじまりと、生命が終わっていく、グラデーションで重なっていた時期でした。「愛」を、恋愛や家族愛というものより、大きな生命体として受け止めていたころで、
今年の24時間テレビのテーマが「愛」だったので、運命的なものを感じました。
「愛」は、深すぎる、本当に小さなことでも「愛」を感じようと思うと、そこかしこに「愛」は転がっている。
「愛」は、元からすぐ傍にあるもの、沢山の「愛」に気づいて感じてほしいという思いを込めました。

◆ 蜷川実花さん プロフィール ◆
蜷川実花(写真家・映画監督)
木村伊兵衛写真賞ほか数々受賞。映像作品も多く手がける。

2007年、初監督映画『さくらん』公開。2008年に個展「蜷川実花展」が全国の美術館を巡回し、のべ18万人を動員。
2010年、Rizzoli N.Y.から写真集「MIKA NINAGAWA」を出版、世界各国で話題となる。2012年、監督映画『ヘルタースケルター』公開、22億円の興行収入を記録。

2020年、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事就任。
【 協力 : 蜷川実花事務所  詳細 : 日テレ 24時間テレビタイアップサイト
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{ 新 宿 餘 談 }
DSCN9759DSCN9755[1]新宿私塾28期生には、半田くん と ランスクン、ふたりのジャンボがいます ]と報告した。
その折り、以下のように半田淳也クンを紹介した。

半田淳也クンは道産子で、アパレル関係と映像につよいフリーランスデザイナー。高校時代は身長がたかいためバレー部に所属していたという。ちかぢか公表されるが、あるおおきなイベントの T シャツデザインの製作メンバーでもある。
半田淳也デザイン室 】

8月27日[土]-28日[日]放送、[日本テレビ] 24時間テレビ。今年のチャリ T シャツは、初の〝写真プリント〟。蜷川実花さんの色鮮やかな世界観を再現したものであるが、この製作の一員として、新宿私塾塾生の半田淳也クンが加わっており、公式記録にも紹介された。
関係方面からのご承諾をいただき、ここに紹介した。
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新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしている。それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともなうことになる。

また同時に、新宿私塾では、受講期間のあいだに、和文活字でも、欧文活字でも、どちらでもかまわないが、できるだけ 「 My Favorite Type ― わたしのお気に入りの活字書体 」 を獲得することが勧められている。

[日本テレビ] 24時間テレビの「チャリ T シャツ」の製作メンバーの一員として、身長ではランス君にわずかに負けて、「二 デカ」の偉称を獲得した 半田 淳也 クンが加わり、タイポグラフィの効果を有効にいかし、おおきな成果をあげていることをうれしくおもう。

【新資料紹介】 {Viva la 活版 ばってん 長崎}Report 14  ことしは平野富二生誕170周年、タイポグラフィ学会創立10周年 平野富二(矢次富次郎)生家旧在地が判明

長崎タイトル 平野富二初号
ことしは明治産業近代化のパイオニア ──── 平野富二の生誕170周年{1846年(弘化03)08月14日うまれ-1892年(明治25)12月03日逝去 行年47}である。

ここに、新紹介資料にもとづき、<Viva la 活版 ばってん 長崎>参加者有志の皆さんと {崎陽探訪 活版さるく} で訪問した、平野富二(矢次 ヤツグ 富次郎)生誕地、長崎町使(町司)「矢次家旧在地」(旧引地町 ヒキヂマチ、現 長崎県勤労福祉会館、長崎市桜町9-6)を紹介したい。

Print長崎諸役所絵図0-2 長崎諸役所絵図8 肥州長崎図6国立公文書館蔵『長崎諸役所絵図』(請求番号:184-0288)、『肥州長崎図』(請求番号:177-0735)

<Viva la 活版 ばってん 長崎>では5月7日{崎陽長崎 活版さるく}を開催したが、それに際し平野富二の生家の所在地がピンポイントで確認できたというおおきな成果があった。
これには 日本二十六聖人記念館 :宮田和夫氏と 長崎県印刷工業組合 からのおおきな協力があり、また東京でも「平野富二の会」を中心に、国立公文書館の原資料をもとに、詰めの研究が進行中である。

下掲写真に、新紹介資料にもとづき、 {崎陽探訪 活版さるく} で、<Viva la 活版 ばってん 長崎>参加者有志の皆さんと訪問した、平野富二生誕地、長崎町使(町司)「矢次家旧在地」(旧引地町 ヒキヂマチ、現 長崎県勤労福祉会館、長崎市桜町9-6)を紹介した。
平野富二<平 野  富 二>
弘化03年08月14日(新暦 1846年10月04日)、長崎奉行所町使(町司)矢次豊三郎・み祢の二男、長崎引地町ヒキヂマチ(現長崎県勤労福祉会館 長崎市桜町9-6)で出生。幼名富次郎。16歳で長崎製鉄所機関方となり、機械学伝習。

1872年(明治05)婚姻とともに引地町 ヒキヂマチ をでて 外浦町 ホカウラマチ に平野家を再興。平野富二と改名届出。
同年七月東京に活版製造出張所のちの東京築地活版製造所設立。
ついで素志の造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発(現IHIほか)などの事業を興し、在京わずか20年で、わが国近代産業技術のパイオニアとして活躍。
1892年(明治25)12月03日逝去 行年47
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今回の参加者には平野正一氏(アダナ・プレス倶楽部・タイポグラフィ学会会員)がいた。
平野正一氏は平野富二の玄孫(やしゃご)にあたる。容姿が家祖富二にそれとなく似ているので、格好のモデルとしてスマホ撮影隊のモデルにおわれていた。

流し込み活字とされた「活字ハンドモールド」と、最先端鋳造器「ポンプ式ハンドモールド」
そして工部省の命により長崎製鉄所付属活版伝習所の在庫活字と設備のすべてが
東京への移設を命じられた

平野富二はヒシャクで活字地金を流しこむだけの「活字ハンドモールド」だけでなく、当時最先端の、加圧機能が加わった「ポンプ式活字ハンドモールド」を採用した。
これは活字鋳造における「道具から器械の使用への変化」ともいえるできごとで、長崎製鉄所で機械学の基礎をまなんだ平野富二ならではのことであった。
印刷局活版事業の系譜上掲図) 国立印刷局の公開パンフレットを一部補整して紹介した。
【 参考 : 朗文堂好日録042 【特別展】 紙幣と官報 2 つの書体とその世界/お札と切手の博物館

「ポンプ式活字ハンドモールド」は、長崎製鉄所付属活版伝習所に上海経由でもたらされたが、1871年(明治4)1月9日、工部省権大丞 : 山尾庸三の指示によって、在庫の活字は大学南校(東京大学の前身)を経て、大学東校(幕末の医学所が1869年[明治02]大学東校と改称。東京大学医学部の前身)へ移転された。

医学所と大学東校は秋葉原駅至近、千代田区神田和泉町におかれた。長崎からの活字在庫とわずかな印刷設備を入手した大学南校・大学東校は、たまたま上京していた本木昌造に命じて「活版御用掛」(明治4年6月15日)としたが、本木昌造はすでに大阪に派遣していた社員:小幡正蔵を東京に招いた程度で、どれほど活動したかは定かでない。
大学東校内「文部省編集寮活版部」は翌明治05年「太政官正院印書局」に再度移転し、結局紙幣寮活版局に吸収された。

ほとんどの活字鋳造設備と活版印刷関連の器械と、伝習生の一部(職員)は工部省製作寮活字局に移動し、その後太政官正院印書局をへて、紙幣寮活版局(現国立印刷局)につたえられた。
これらの設備のなかには「ポンプ式活字ハンドモールド」はもとより、もしかすると「手回し活字鋳造機=ブルース型手回し式活字鋳造機」もあったとみられる。また活字母型のほとんども移動したとみられ、紙幣寮活版局(現国立印刷局)の活字書体と活字品質はきわめて高品質であったことは意外と知られていない。

しかも当時の紙幣寮活版局は民間にも活字を販売していたので、平野活版製造所(東京築地活版製造所)はいっときは閉鎖を考えるまでに追いこまれた。そのため東京築地活版製造所は上海からあらたに種字をもとめ、良工を招いてその活字書風を向上させたのは明治中期になってからのことである(『ヴィネット04 活字をつくる』片塩二朗、河野三男)。
20160907161252_00001 20160907161252_00002 20160907161252_00003右ページ) 大蔵省紙幣局活版部 明朝体字様、楷書体字様の活字見本(『活版見本』明治10年04月 印刷図書館蔵)
左ページ) 平野活版所 明朝体字様、楷書体字様の活字見本(『活版様式』明治09年 現印刷図書館蔵)

BmotoInk3[1] BmotoInk1[1]したがって1871年(明治4)1月、新政府の命によって長崎製鉄所付属活版伝習所の活字、器械、職員が東京に移転した以後、長崎の本木昌造のもとに、どれだけの活版印刷器械設備と活字鋳造設備があり、技術者がいたのか、きわめて心もとないものがある。
財政状態も窮地にあった本木昌造は、急速に活版製造事業継続への意欲に欠けるようになった。

おなじ年の7月、たまたま長崎製鉄所をはなれていた平野(矢次富次郎)に本木昌造は懇請して、新塾活版所、長崎活版製造所、すなわち活字製造、活字組版、活版印刷、印刷関連機器製造にわたるすべての事業を、巨額の借財とともに(押しつけるように)委譲したのである。
このとき平野富二(まだ矢次富次郎と名乗っていた)、かぞえて26歳の若さであった。
それ以後の本木昌造は、長崎活版製造所より、貧窮にあえぐ子弟の教育のための施設「新町私塾 新街私塾」に注力し、多くの人材を育成した。そして平野富二の活版製造事業に容喙することはなかった。

平野富次郎は7月に新塾活版所に入社からまもなく、9月某日、東京・大阪方面に旅立った。それは市況調査が主目的であり、また携行したわずかな活字を販売すること、アンチモンを帰途に大阪で調達するなどの資材調達のためとされている。

その折り、帰崎の前に、東京で撮影したとみられる写真が平野ホールに現存している。
平野富二の生家:矢次家は、長崎奉行所の現地雇用の町使(町司、現代の警察官にちかい)であり、身分は町人ながら名字帯刀が許されていた。
写真では、まだ髷を結い、大小の両刀を帯びた、冬の旅装束で撮影されている。
平野富二武士装束ついで翌1872年(明治5)、矢次富次郎は長崎丸山町、安田家の長女:古まと結婚、引地町の生家を出て、外浦町に家を購入して移転、平野富二と改名して戸籍届けをなしている。
さらにあわただしいことに、事業継承から一年後の7月11日、東京に活版製造出張所を開設すべく、新妻古まと社員8名を連れて長崎を出立した。
平野富二、まだ春秋にとむ27歳のときのことであった。

この東京進出に際し、平野富二は、六海商社あるいは長崎銅座の旦那衆、五代友厚とも平野家で伝承される(富二嫡孫 : 平野義太郎の記録 ) が、いわゆる「平野富二首証文」を提出した。その内容とは、
「この金を借り、活字製造、活版印刷の事業をおこし、万が一にもこの金を返金できなかったならば、この平野富二の首を差しあげる」
ことを誓約して資金を得たことになる。そしてこの資金をもとに、独自に上海経由で「ポンプ式ハンドモールド」を購入した。まさに身命を賭した、不退転の覚悟での東京進出であった。

この新式活字鋳造機の威力は相当なもので、活字品質と鋳造速度が飛躍的に向上し、東京進出直後から、在京の活字鋳造業者を圧倒した。
【 参考 : 花筏 平野富二と活字*06 嫡孫、平野義太郎がのこした記録「平野富二の首證文」


この「ハンドモールド」と「ポンプ式ハンドモールド」は、<Viva la 活版 ばってん 長崎>の会場で、一部は実演し、さらに双方の器械とその稼動の実際を、1920年に製作された動画をもって紹介した。

federation_ 03 type-_03 ハンドモールド3[1]
長崎製鉄所における先輩の本木昌造と、師弟を任じていた平野富二

<Viva la 活版 ばってん 長崎>の三階主会場には、平野ホールに伝わる「本木昌造自筆短冊」五本が展示され、一階会場には  B 全のおおきな平野富二肖像写真(原画は平野ホール蔵)が、本木昌造(原画は長崎諏訪神社蔵)とならんで掲出された。
本木昌造02
本木昌造短冊本木昌造は池原香穉、和田 半らとともに「長崎歌壇」同人で、おおくの短冊や色紙をのこしたとおもわれるが、長崎に現存するものは管見に入らない。
わずかに明治24年「本木昌造君ノ肖像幷ニ履歴」、「本木昌造君ノ履歴」『印刷雑誌』(明治24年、三回連載、連載一回目に製紙分社による執筆としるされたが、二回目にそれを訂正し取り消している。現在では福地櫻痴筆としてほぼあらそいが無い)に収録された、色紙図版「寄 温泉戀」と、本木昌造四十九日忌に際し「長崎ナル松ノ森ノ千秋亭」で、神霊がわりに掲げられたと記録される短冊「故郷の露」(活字組版 短冊現物未詳)だけがしられる。

いっぽう東京には上掲写真の五本の短冊が平野ホールにあり、またミズノプリンティングミュージアムには軸装された「寄人妻戀」が現存している。
20160523222018610_000120160523222018610_0004最古級の冊子型活字見本帳『 BOOK OF SPECIMENS 』 (活版所 平野富二 推定明治10年 平野ホール蔵)

<Viva la 活版 ばってん 長崎>を期に、長崎でも平野富二研究が大幅に進捗した

ともすると、長崎にうまれ、長崎に歿した本木昌造への賛仰の熱意とくらべると、おなじ長崎がうんだ平野富二は27歳にして東京に本拠をうつしたためか、長崎の印刷・活字業界ではその関心は低かった。
ところが近年、重機械製造、造船、運輸、鉄道敷設などの研究をつうじて、明治産業近代化のパイオニアとしての平野富二の再評価が多方面からなされている。
それを如実に具現化したのが、今回の<Viva la 活版 ばってん 長崎>であった。

DSCN7280 DSCN7282DSCN7388 DSCN7391平野正一氏はアダナ・プレス倶楽部、タイポグラフィ学会両組織のふるくからの会員であるが、きわめて照れ屋で、アダナ・プレス倶楽部特製エプロンを着けることから逃げていた。
今回は家祖の出身地長崎にきて、また家祖が製造に携わったともおもえる「アルビオン型手引き印刷機」の移動に、真田幸治会員の指導をうけながら、はじめてエプロン着用で頑張っておられた。

1030963 松尾愛撮02 resize 松尾愛撮03resize 松尾愛撮01 resize長崎諸役所絵図0-2長崎諸役所絵図0国立公文書館蔵『長崎諸役所絵図』(請求番号:184-0288)
国立公文書館蔵『肥州長崎図』(請求番号:177-0735)

上掲図版は『長崎諸役所絵図』(国立公文書館蔵 請求番号:184:0288)から。
同書は経本折り(じゃばら折り)の手書き資料(写本)だが、その「引地町町使屋敷 総坪数 七百三十五坪」を紹介した。矢次家は長崎奉行所引地町町使屋敷、右から二番目に旧在した。敷地は間口が三間、奥行きが五間のひろさと表記されている。

下掲写真は平野富二生誕地、長崎町使(町司)「矢次家旧在地」(旧引地町、現長崎県勤労福祉会館、長崎市桜町9-6)の現在の状況である。
長崎県勤労福祉会館正面、「貸し会議室」の看板がある場所が、『長崎諸役所絵図』、『肥州長崎図』と現在の地図と照合すると、まさしく矢次富次郎、のちの平野富二の生家であった。

今回のイベントに際して、宮田和夫氏と長崎県印刷会館から同時に新情報発見の報があり、2016年05月07日{崎陽探訪 活版さるく}で参加者の皆さんと訪問した。
この詳細な報告は、もう少し資料整理をさせていただいてからご報告したい。
15-4-49694 12-1-49586平野富二生家跡にて矢次家旧在地 半田カメラ
 <Viva la 活版 ばってん 長崎> 会場点描1030947 1030948 1030949 10309541030958 1030959【 関連情報 : タイポグラフィ学会  花筏

【新宿私塾】 第28期 残暑に負けず、順調に進行中

私塾28期順調2[1] DSCN9744 DSCN9734立秋がすぎ、こよみのうえでは秋とはいうものの、新宿御苑にそった街路樹の「百日紅 さるすべり」が深紅の花をつけ、青空に照りはえる暑い毎日です。
そんな毎日ですが、朗文堂のふたつのプライベートスクール、<新宿私塾> と <活版カレッジ>は、堅実に、熱く、所定の講座が進行しています。

「新宿私塾 第18回講座」08月02日 : 担当講師 : 美登英利さん。
美登さんは久しぶりの講師としての登場で、企画立案、サムネール、ラフスケッチ、製品までのステップを、スライドと実物を展開しての熱い講座でした。

同じ週の土曜日「新宿私塾 第19回特別演習講座」08月06日 : 担当講師 : 西尾 彩 さん。
西尾さんには第一期から講師を担当していただいています。この特別演習は製本術入門として、洋式製本の基礎を、実際に小型本を製作する実技演習の長時間の講座です。
ほとんどの塾生にとって、「活版印刷演習Ⅰ」につづく、身躰性をもった実製作体験となり、演習終了後はおおきな達成感とよろこびがあったようです。

DSCN9701 DSCN9714私塾8.6_西尾02私塾8.6_西尾01
{ 新 塾 餘 談 }
Web16.4.5_第28期入塾resizeDSCN9755 ランス君 半田淳也撮 DSCN9756 DSCN9759

新宿私塾28期生には、半田くん と ランスクン、ふたりのジャンボがいます

<新宿私塾第28期>は、08月09日第20回講座、髙野 彰さん、水野 昭さんおふたりの担当を終えて、一回だけ、旧盆の夏休みにはいった。
いつものことながら、講座後半になると、塾生同士の親近感がまし、交流もさかんとなる。
前の27期生に「ジャンボ平澤クン」がいたためもあって、第28期はふたりのジャンボのあいだで、いまだにその称号あらそい ? がつづいている。

半田淳也クンは道産子で、アパレル関係と映像につよいフリーランスデザイナー。高校時代は身長がたかいためバレー部に所属していたという。ちかぢか公表されるが、あるおおきなイベントの T シャツデザイン製作者でもある。

ランスクンは米国ミズリー州出身。在日15年余で、来日当初は文部科学省で ALT 業務に携わり、のち翻訳業とデザイン業で活躍中。
ミズリー州は米国中西部に属し、長野県と姉妹都市。ミシシッピー川をはじめ河川が多く高温多湿だという。代表都市にセントルイス、カンザスシティがある。だから東京の湿度のたかい夏にも大丈夫だと胸をはる。

講座終了後、どちらがデカイか較べようということになり比較対象としてやつがれも加われということに。ゆつがれ身長171センチ。この年齢では平均身長だったが、両君の前ではすっかり小柄になってしまった。
こんなとき、青森出身の福士クンは黙黙と撮影係り。女性陣の榊原さん、金子さん、可兒さん、畑さん、小竹さんらは笑い転げている。

きょうは自習です。ランス君自慢の T シャツ着用で登場
文字壹凜 06月20日}に、「ランス君登場! きょうは自習です」を紹介した。

おりしもこの日は「活版カレッジ アッパークラス」の定例会。
早い時間に登場した会員は、ランス君のTシャツの絵柄に話題集中。

「ランス君の国籍は?」
{ アメリカです }
「アメリカではこれをどう発音するの」
――
と、なんともまぁにぎやかな夕べとなりました。
IMG_1730-470x627[1]DSCN9698きょうは予習です!
とある07月の金曜の昼下がり、ランス君登場!
「きょうは予習です!」
黙黙と予習にはげんでいたが、ふと顔をあげて曰く、
「きょうの T シャツはどうですか ? 」
ランス君はシルク印刷の設備を有し、みずからデザインの T シャツをプリントしている。
DSCN9692 DSCN9694次作は「百日紅」に負けないように深紅の色彩を展開予定とか。
―― さて、皆さんの評価はいかがでしょうか。