Adrian Frutiger 氏が
2015年9月10日 スイス・ベルンにて逝去されました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
追 悼
20世紀の壮大な Univers 宇宙をキャンバスとし
鮮烈な Meridien 子午線に軌跡をのこしたひと。
Univers, Meridien, OCR – B などの不朽の活字設計をなし
オルリィ空港、シャルル・ド・ゴール空港、パリ地下鉄道の
サインシステムと制定書体を製作し
旧約聖書にもとづき、記号学にもおおきく貢献したひと。
2015年9月10日 スイス・ベルンにて逝去
Adrian Frutiger 1928-2015
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Brief history Adrian Frutiger
◯ 1928年5月24日 スイス・インターラーケンにて生れる。
のちオットー・シェフリー印刷所にて活字植字工となる
◯ 1949-50年 チユーリッヒ工芸専門学校にて力リグラフィを学ぶ
◯ 1951年 卒業制作の小冊子『Schrift, Ecriture, Lettering 』が縁で、シャルル・ペイニョ社長が率いる、パリのドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所に勤務
◯ 仏匤、ドベルニ & ペイニョ 活字鋳造所、独匤・シュテンペル社ほかから、以下の主要活字書体を発表した
Phoebus (1953), Ondine (1954), President (1954), Meridien (1957), Univers (1957),
Opera (1959-60), Egyptienne (1960), Apllo (1964), Serifa (1967), OCR-B (1968), lridium (1975), Frutiger (1976), Breughel (1982), lcon (1982), Versailles (1982), Centennial (1986)
◯ 1952-60年 パリの美術工芸学校「エコール・エティエンヌ」にて記号学とタイポグラフィ教育に従事
◯ 1954-68年 フランス国立高等美術工芸学校にてタイポグラフィ教育に従事
◯ 1959年 パリ・オルリィ空港のサインシステムと制定書体の製作
◯ 1962年 パリにアトリエを開設(スタッフ:アンドレ・ギュルトレール、ブルーノ・ブフェリ)
◯ 1070年 新設されたシャルル・ド・ゴール空港のサインシステムと制定書体を製作
◯ 1973年 パリの地下鉄道のサインシステムおよび制定書体を製作
◯ 1976年 シャルル・ド・ゴール空港の制定書体を写植活字用に改刻し「フルティガー」シリーズを製作
◯ エール・フランス社のシンボルマークを製作
◯ SNCF(フランス国有鉄道)ロワシィ駅に長さ250mのコンクリート・レリーフを製作(建築:ポール・アンドルー)
◯ 1980年代 この時代には、メリディエン、ユニヴァースなどの主要な活字書体を、活字自動鋳植機、写植活字、電子活字などのメディア変遷のために、既成活字書体のユニットの再設定や、リデザインに追われた。
◯ 1986年 グーテンベルク賞受賞
◯ 1996年 心臓疾患を患い、その克服後にスイスに住居を移し、ベルン郊外にて製作を継続
◯ 1999年 ドイツ・ライノタイプライブラリー社のために、ユニヴァース・ファミリーの全面改刻を実施。21のファミリーを59へと大幅に拡張した(ディレクター:オットマー・フォーファ)
◯ 2001年 『活字の宇宙』(朗文堂)刊行-品切
◯ 2015年9月10日 スイス・ベルンにて逝去。行年87
世界中でひろく使われている本文用活字をかさねてみると、
ある基本的なパターンがもとめられます。
ギャラモンのようにふるい活字では a の下部のカウンターは小ぶりですし
e の横棒はたかい位置にあります。
しかし、いろいろな活字をかさね合わせるという方法によってみえてくることは、
a の下部のカウンターが次第におおきくなり、e の横棒が中央に下がってきていることです。
それは文字としての美しさと、文字の判別性 Legibility とのせめぎあいの結果であり
もっとも読みやすいという、文字の基本的な目的に合致するのです。
Adrian Frutiger [アドリアン・フルティガー]
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アドリアン・フルティガーは朗文堂に上掲の図書をのこされました。
本体価格:10,000円+税 残部僅少 → 品切れ
A4判 260p 図版多数 2001年刊
【 朗文堂 ブックコスミイク 既刊書案内 】