タグ別アーカイブ: 明治工業史

Viva la 活版ーすばらしき活版 2014年 <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>-Report 01 開催のお知らせ

goando-ロゴ2色

Viva la 活版 ―― すばらしき活版
いよいよ 開催が迫りました ― 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月・祝] 3日間
重要記念物 木村嘉平活字 特別展示 ・ 講演会 ・ ギャラリートークをはじめ
見逃せない大型企画がどんどん進行中です。
詳細情報は <朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部 ニュース> にてご紹介します。
IMG_3167
【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】  朗文堂  アダナ・プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/       

※ 会期中は同敷地内の「尚古集成館別館 展示室」においても、重要文化財「木村嘉平による鋳造活字と関連資料」の特別企画展示をご覧になれます。
※ 入館には隣接している仙巌園 センガンエン/尚古集成館 ショウコシュウセイカン との共通入館料(大人1,000円、小・中学生500円)が必要となります。

WebSite用青
<GOANDO ごあんど-は、薩摩ことばで「ございます」、「ございますぞ」の意です>

写真 : アダナ・プレス倶楽部 鹿児島支部広報部長/六花窯 横山 博
タイトルデザイン : アダナ・プレス倶楽部会員/バッカス 松尾

【Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO-開催にあたって】

朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では、手動式小型活版印刷機 Adana-21J  および 手動式小型活版印刷機 Salama-21A を中核としながら、活版印刷の今日的な意義と、活字組版の実践を中心とした、その魅力の奥深さの普及をつうじて、身体性をともなった造形活動を重視し、ものづくりの純粋な歓びの喚起を提唱してまいりました。

活版印刷の今日的な意義と、その魅力の奥深さを追求するためには、活版印刷術の技術の獲得と、知識の修得はもちろんのこと、「ものづくり」と真剣に向き合う姿勢と環境も重要です。
その活動の第一段階として2008-2012年の五年間、例年五月の連休に、都合四回にわたって< 活版凸凹フェスタ >を開催してまいりました(2011年は東日本大震災のため中止)。

また昨年からは、活版関連イベント開催が盛んになった首都圏をいったんはなれ、多くのアダナ・プレス倶楽部会員が存在している地方からの振興をめざすあらたな段階として、<Viva la 活版-すばらしき活版>の普及活動にはいりました。
その第一弾として、昨2013年は07月の三連休に、北海道の美唄ビバイ市にある野外彫刻庭園「アルテ ピアッツァ 美唄」において、< Viva la 活版 Viva 美唄 >を開催いたしました。
【Youtube : Viva la 活版  Viva 美唄

 ことしは、重要文化財「木村嘉平の活字関連資料」を所蔵し、活版印刷術をはじめ、近代産業の揺らんの地となり、ふるい歴史と文化を有する、鹿児島市 「尚古集成館本館(重要文化財)展示室」において、11月の三連休に< Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO >を開催いたします。
イベント名称の一部となった「GOANDO -ごあんど」は、薩摩ことばで「ございます」、「ございますぞ」という意味です。
──────────────
「尚古集成館 しょうこしゅうせいかん」は、ふるくは歴代の鹿児島薩摩藩主:島津家の別邸であった景勝地「仙巌園 せんがんえん」に隣接して、幕末の薩摩藩主・島津斉彬ナリアキラによって一連の近代工場群のひとつの「機械工場」として建造されました。
島津斉彬は西欧諸国のアジア進出に対応して近代産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践しました。それらの事業の中心となったのが、磯(錦江湾の海岸べり)に建てられた反射炉、機械工場などの工場群です。
DSCN1286 DSCN1285 DSCN1275
 「尚古集成館」外観(2013年06月早朝 大石 薫撮影)
隣接の仙巌園と、桜島、錦江湾の景観は、下記の画像集でお楽しみください。

その地に1865年(慶応元)に竣工した石造りの「機械工場」は、その後重要文化財に指定され、現在内部は島津家の歴史・文化と、集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」として親しまれています。
その「尚古集成館」の一隅の展示室を<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の会場とします。
また同館に隣接する「尚古集成館別館」は、これも重要文化財である「木村嘉平の活字関連資料」を所蔵し、近代活字版印刷術をはじめとする近代産業の揺らんの地でもありました。
このような歴史と文化を有する、鹿児島県都、鹿児島市にある「名勝 仙巌園 尚古集成館本館」において、11月初旬の三連休に<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>を開催いたします。

会場の前面におおきくひろがる紺碧の海/錦江湾と、火の精霊サラマンダーさながら、天たかく火焔を噴きあげる活火山「桜島」の雄大な景観に見守られての<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の開催は、造形者の皆さまの創作意欲をかきたて、さらなる創作活動のための活力をあたえてくれることでしょう。

会場の<仙巌園/尚古集成館>は、鹿児島市中央部からは車で15-20分ほどですし、鹿児島市内各所からのバスが頻繁に運行されています。
鹿児島空港からは高速道利用の車か、市内までのバスで40分ほどです。
アダナ・プレス倶楽部会員の皆さまには、アダナ・プレス倶楽部の会報誌「夏号」にて詳細をお知らせの予定です。その後も、アダナ・プレス倶楽部、朗文堂双方のWebSiteでも、随時情報を公開してまいります。

<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の開催期間の、11月1日[土], 2日[日], 3日[月・祝]は、爽秋のもっともよい行楽のときでもあります。
おりしも仙巌園では「菊まつり」が予定され、また鹿児島市内では南九州最大の祭とされる「おはら祭」の開催時期とも重なっています。
アダナ・プレス倶楽部の会員の皆さま、ならびに全国の活版印刷愛好家の皆さま、ことしの秋は、歴史と情熱の地、薩摩に大集合でごあんど ! !
【リンク : 名勝 仙巌園(磯庭園) 】 【リンク : 尚古集成館 】 【リンク : 仙巌園と桜島 画像集 】

<参考資料:前回の Viva la 活版 Viva 美唄の映像記録> ────────────
◎ Viva la 活版 Viva 美唄  14:40

Viva la 活版-すばらしき活版。5 年間 4 回にわたり開催された <活版凸凹フェスタ> にかえて、2013年07月北海道美唄市 アルテ ・ ピアッツア美唄で開催された活版イベントの記録。
【関連URL : 活版アラカルト  Viva la 活版 Viva 美唄 レポート01-12

【講演会記録】 平野富二の生涯を懸けた業績-古谷昌二氏

 _MG_0566uu

講演会 平野富二の生涯を懸けた業績

講   師 : 古谷昌二氏(日本機械学会生員/平野富二研究者)
日    時 : 2014年07月19日[土] 14:00-16:00
場      所 : 物流博物館2階 港区高輪4-7-15
主      催 : 東京産業考古学会
概    要 : 本木昌造の後を継いだ活版印刷事業だけでなく、造船事業、海運事業、土木事業、ドコビール鉄道事業など、さまざまな事業に関わった産業人:平野富二の幅広い活躍を、『明治産業近代化のパイオニア 平野富二伝 考察と捕遺』(朗文堂)の著者が語る。
 ────────────
NHK壁紙
熱のこもった講演会でした。三連休の初日の土曜日でしたが、熱心な聴衆がつめかけていました。

講演中は撮影禁止ということで休憩時間での撮影となりましたが、休憩中も講師は質問攻めのようでした。わたくしめはこのとき喫煙タイムで席をはずしておりました。
聴講者のなかにはミズノプリンティング・ミュージアムの水野雅生館長がおられて、同館所蔵の、明治中期、東京築地活版製造所製造のアルビオン型手引き式活版印刷機が、NHK朝ドラの『花子とアン』08月08日に登場すると嬉しそうにはなされていました。
皆さまもぜひご覧になってください。
【撮影:平野健二氏提供】
講演会会場1 講演会会場2 水野さんと 片塩さんと

平野表紙uu平野富二伝 考察と補遺 DM表 平野富二伝 考察と補遺 DM裏

『平野富二伝』 ご好評をいただいております。

平野表紙uu《『平野富二伝 考察と補遺』 古谷昌二編著 ご好評をいただいております》
2013年11月20日刊行 『平野富二伝 考察と補遺』 古谷昌二編著 は、おかげさまで順調な出荷がつづいております。
『平野富二伝』は、刊行直後の「日経新聞 文化欄」でのご紹介をはじめ、各種学会、団体、書籍でご紹介をいただいております。
下掲 の参考資料は、「東京産業考古学会」の 「ニューズレター No.0105」 新刊紹介として、玉井幹司様の署名記事です。その一部をご紹介いたします。

[前略] 平野富二は活版印刷・造船などで知られるが、海運業・鉄道敷設・土木工事などでも大きな足跡を残した。本書で明らかになった新事実も多々あり、従来の平野像に変更を迫るものといえる。参考図版も充実しており、今後、平野富二に言及する際には本書の参照が不可欠となるだろう。巻末には詳細な年譜と没後の記録年表を付す。
(玉井幹司)

産業考古学会タイトル 産業考古学会本文部分

如月二月、二週連続の降雪・都知事選・オリンピック観戦と、なにかとあわただしかったですね。

欧文書体その後チラシ DSCN3250 DSCN3257

如月キサラギ二月、月はじめの02月08日[土]、南岸低気圧の襲来で関東地方も時ならぬ降雪をみました。つづいて翌週の14日[金]-15日[土]にも、さらに激しい降雪が太平洋岸一帯をおそいました。
皆さま、被害やお怪我などは無かったでしょうか。お見舞いもうしあげます。
────────
まもなく月が変わって弥生三月、朗文堂もあわただしい年度末を迎えています。
新宿私塾第23期は最終盤をむかえて、熱い講座がつづいていますし、まもなく新宿私塾第24期の塾生のみなさんを迎える準備も整いました。
DSCN2583 DSCN3030 DSCN3227[活版ルネサンス]を目標として活動をつづけてきたアダナ・プレス倶楽部は、04月10日から恒例の[活版カレッジ 春期講座]を開講いたします。
またアダナ・プレス倶楽部は設立から7年、第一段階のステージから、あらたなステージへの展開を計画してまいりました。ようやく近近、新機軸を発表できるところまできました。ご期待ください。

日陰にはまだなごり雪がのこりますが、朗文堂は弥生三月を迎えて一斉に展開する態勢を整えております。
────────
弥生三月〇二日[日]、下掲詳細記事にてご案内のとおり、まず[欧文書体百花事典 その後]連続講演会の第一弾が開催されます。
同書は刊行以来10年、四版を重ね、わが国の欧文活字研究の定番書としてのご評価をいただいて発行してまいりました。
この間の10年間、読者の皆さまともども、執筆者も研究の深化をはかってまいりました。そんな成果の一端をご披露し、基礎資料の現物をご覧いただく講演会を六回にわたって開催いたします。
お申込みが多数となり、ご後援の東洋美術専門学校と急遽相談して、会場をおおきめの講義室に変更いたしました。もしご参加ご希望のかたは残席ができましたので、至急お申込みたまわり、ご参加ください。
欧文書体その後ポスター

《明治産業近代化のパイオニア『平野富二伝』 好評理に販売継続中です》

平野表紙uu 東京築地活版製造所の創設者であり、石川島造船所をはじめとする様様な事業を興し、明治産業の近代化に貢献した平野富二。このひとに関する資料はこれまであまりに少なかったという事実があり、近代産業史、明治文化史、近代造形史、タイポグラファなど、様様な分野の教育・研究機関や図書館からのご注文がつづいています。
『普及版 欧文書体百花事典』、『平野富二伝』は、朗文堂の基礎図書と位置づけ、間断のない刊行をつづけてまいります。ご購読ご希望のかたは、最寄り書店にご注文いただくか、小社営業部までご発注ください。
【リンク:朗文堂ブックコスミイク 新刊書ご案内
────────
《勝井三雄さん、新刊『勝井三雄 1954-2013』を刊行されました》
勝井先生図書
勝井三雄(1931年東京うまれ)さんが、意欲的に新刊を刊行されました。
勝井三雄さん(ふだんは勝井先生とお呼びしています)は、東京教育大学(現筑波大学)を卒業後、味の素株式会社式をへて、1961年に勝井デザイン事務所を設立されました。その精力的な造形活動は1954年(昭和29)からこんにちまでの長きにわたります。

この間、造形はもとより、造形教育にも熱心にかかわり、関係諸団体の役職もはたしてこられました。

先般《勝井三雄展 兆しのデザイン》(ggg 第329回企画展 2014年01月09日-31日)の開催にあたり、新企画をもってまとめられたのが新刊『勝井三雄 1954-2013』です。
勝井三雄さんとはながらく親しくお付きあいいただいてまいりました。先生がますますご壮健で、「比類なきデザイン宇宙」を飛翔されますよう祈念しております。
皆さまのご購読をお勧めいたします。
【詳細:公益財団法人 DNP文化振興財団
────────
《台湾で活躍する 林昆範さんが、ドイツ iF 賞 二部門を受賞されました》
iF 傳達設計獎 iF 包裝設計獎林昆範さん(台湾中原大学助教授、タイポグラフィ学会会員)は、精力的に中国との関わりをもって造形活動を展開されています。
春節の休暇あけにも、すでに中国桂林、陽朔などを訪問されています。
そんな林昆範さんが、ドイツ iF 賞として、「iF communication design award 2014」、「iF packaging design award 2014」の二部門を受賞されました。いただいた写真をご紹介いたします。

【ご報告】『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会

平野表紙uu

明治産業近代化のパイオニア
『平野富二伝 考察と補遺』
古谷昌二 編著
────────
A 4 判 ソフトカバー 864ページ
図版多数
発 行 : 朗 文 堂
定 価 : 12,000円[税別]
発 売 : 2013年11月22日
ISBN978-4-947613-88-2 C1023
平野展ポスターuu明治産業近代化のパイオニア
『平野富二伝』 考察と補遺  古谷昌二編著
刊行記念 展示・講演会
─────────
日 時 : 2013年11月30日[土]-12月01日[日]
      11月30日[土]  展示 観覧  10:00-16:30
                     著者講演会 14:00-16:00
            12月01日[日]   展示 観覧  10:00-15:00
                     掃 苔 会   10:00-12:00
      編著者・古谷昌二氏を囲んでの懇話会、サイン会は、会期中随時開催
会 場 : 日展会館
─────────
主 催 : 平 野 家
協 力 : 朗 文 堂
後 援 : 理想社/タイポグラフィ学会/アダナ・プレス倶楽部
【詳細報告は 朗文堂花筏 にてご報告いたします】

古谷昌二氏講演2 _MG_0547uu _MG_0566uu _MG_0573uu_MG_0579uu展示3_MG_0365uu_MG_0418uu

【TV番組紹介】黒船からロケットへ! ~世界初技術への挑戦~

BSジャパン
http://www.bs-j.co.jp/program/detail/22910_201312071600.html

黒船からロケットへ! ~世界初技術への挑戦~
BS JAPAN 12月7日[土] 午後4:00-4:55

黒船来航を機に「黒船と肩を並べる船を建造したい」奮起した日本人がいた。平野富二。
ペリー来航の1853年に石川島造船所を設立。現在の国内ロケット技術の基礎である。
通運丸全体通運丸模型上掲写真は、石川島平野造船所で最初期に建造された外輪式の蒸気船「通運丸」シリーズの簡易模型です(物流博物館でキットを販売。松尾篤史氏製作)。

2013年9月、日本は宇宙開発事業において大きな一歩を踏み出した。イプシロンロケットの打ち上げ成功である。
様々な新技術によって、これまでの半分ほどの費用で打ち上げが可能になり、今後新興国を中心に受注に向けた動きが活発化すると見られている。
歴史的とも言われるイプシロンロケットに生かされていたのが、実は造船で知られるIHI(旧石川島播磨造船所)の技術であった。
番組では、その秘密の数々を解き明かす。
────────────────
株式会社 IHI (旧石川島播磨造船所)の淵源は、BSジャパンの紹介のとおり、1853年(嘉永6)アメリカ使節ペリーの来航を契機に、徳川幕府が水戸藩に大型洋式帆船を建造させるために、隅田川河口にある石川島の地に造船所の開設を命じたものでした。ですから株式会社 IHI は、本年をもって記念すべき創業160年とされています。
この年には平野富二はまだ8歳の幼さで、長崎で学問をつづけていたときです。

幕末からつづいた石川島造船所は、幾多の変遷をへて、石川島修船所と石川島造兵所となり、1876年(明治9)8月31日主船寮が廃止され、内局に主船局が新設されたのにともない、旧石川島修船所の在品は、新設された海軍省主船局に所属する横須賀造船所に引き継がれ、石川島にのこされたのは、ドックとわずかな装置と建物だけになっっていました。

そんなうち捨てられようとしていた施設を、平野富二は1876年(明治9)6月14日「拝借の儀を出願」し、海軍省から9月19日に許されています[株式会社 IHI 沿革・あゆみ]。
このとき平野富二は弱冠31歳、活字と活版印刷関連機器の製造、東京築地活版製造所の運営がほぼ軌道に乗り、意欲満満、素志たる造船業に進出したことになります。[参照:『平野富二伝』古谷昌二、第六章-三 築地活版製造所の拡張と造船業への進出 p.200-]

BS JAPAN 【黒船からロケットへ! ~世界初技術への挑戦~】の番組は、12月1日に放映され、今回が再放送です。前回はイベントの最中で見逃しましたが、友人から再放送の情報をいただきました。
技術産業を背景としてのタイポグラフィを考えるのには、よい機会かとおもわれます。直前のご案内となって恐縮ですが、皆さまのご鑑賞をお勧めいたします。

『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会終了いたしました。

《両日とも好天に恵まれ、多くの皆さまにご来場いただきました》
2013年11月30日[土]、12月01日[日]の両日にわたって開催された『明治産業近代化のパイオニア――平野富二伝』刊行記念展示・講演会(主催 平野家、協力:朗文堂、後援:理想社・タイポグラフィ学会・アダナプレス倶楽部)は、多くのご来場者をお迎えして無事に終了いたしました。
ご来場いただきました皆さま、ご協力いただきました皆皆さまのご尽力にふかく感謝いたします。
────────────────
『平野富二伝』著者:古谷昌二氏の講演会は、用意した椅子席がたりなくなるほどの盛況で、講師:古谷さんによって諄諄と説かれていく、明治産業近代化に果たした平野富二の功績の大きさに、ご来場者もあらためて驚かれたというご感想がたくさん寄せられました。

またはじめてひろく公開された平野家所蔵品は、平野富二の逝去後、関東大震災、戦禍などの大きな災禍のなかでも、平野家一門によってたいせつに守りぬかれてきた品品でした。これらの一次資料の数数に、皆さまは熱心にみいっておられました。

『平野富二伝』著者・古谷昌二氏と実兄・古谷圭一氏

『平野富二伝』会場入口 岡田c 『平野富二伝』会場 講演前 『平野富二伝』会場2 岡田C 『平野富二伝』福地・西郷 岡田cご後援いただきました タイポグラフィ学会 は、本木昌造賞平野富二賞 の両賞をもうけており、
「平野富二賞は、タイポグラフィの普及発展に著しく功績のあった個人及び団体に対するもので、その対象者は社会へのタイポグラフィの認識を高める行動及び啓蒙などにおいて、その事績が本学会にとどまらず、広く社会に貢献していると認められるものです」
としており、両賞関連資料の展示と、その活動報告をされました。

理想社 は、今回の展示・講演会にさいし、相当量作製されたパネル類の製作に協力いただき、また搬出入にもご協力いただきました。
平野富二自作短歌【動画:YouTube 3:41 活版印刷〈公版書籍印刷と端物印刷〉端物印刷 Adana-21J 】

アダナプレス倶楽部 は、いつものように「活版オジサン」(明治36年版『活版見本』東京築地活版製造所所収、電気版・ボーダーを使用)を掲げての参加でした。
今回は、平野家にのこされた池原奞(シュン、香穉カワカ)の画幅・書軸・短冊がきわめて多く、平野富二と池原奞シュンが相当親密な関係にあったとみられることにひそみ、本木昌造活字復元プロジェクトで再生した、いわゆる「和様三号活字」をもちいて、平野富二の明治20年自作短歌、
「世の中を 空吹く風に 任せ置き  事を成す身は 國と身のため」
の活字組版を用意し、小型活版印刷機 Adana-21J によってご来場者ご自身での印刷体験をしていただきました。
────────────────
《掃苔会と、通運丸。雑司ヶ谷ダラーイ船渠での進水式》
会場となった日展会館の近くには「谷中霊園」があります。ここには平野富二の巨大な顕彰碑と塋域エイイキがあり、その友人・知人、明治産業近代化に貢献されたひとびとの墓地もたくさんあります。
今回は『平野富二伝』に紹介された、石川島造船所関係のかたがたの資料も多数加わり、また幸いなことに、好天にめぐまれ、平野家ご長老の参加をふくめ、とても意義深い「掃苔会」となりました。

また展示には平野富二設立「石川島平野造船所」に源流を発する企業「株式会社 IHI 」のご協力もいただきました。
そこで展示の一環として「石川島資料館」にある、石川島平野造船所で最初に建造された、外輪式の蒸気船「通運丸」60トンなどの模型を拝借しようとしたところ、模型とはいえやはり活字とちがってそこは船で、とても気軽に移動するわけにはいかず、急遽紙製のちいさな模型を製作・展示することにしました。
通運丸模型 通運丸全体
平野富二の業績のうち、活字製造と活版印刷機器製造の分野には、インキ(英:インク)、ピンセット(英:ツィーザー)などの、オランダ語由来のことばがのこります。
もうひとつの造船・機械製造業の分野でも、やはり江戸期長崎出島からの情報発信のなごりがみられ、ふるい文献には「ダラーイ船渠」などとしるされています。
これは英語ではドライドック、現在でも造船界では乾式船渠ともされるようです。
今回の通運丸製作は、豊島区のマンションの一室「雑司ヶ谷ダラーイ船渠」で進水し、会場で艤装(爪楊枝についた旗2本を艦首と艦尾にさしただけですが)されて、無事に展示されました。

もうすこし整理がすすみましたら、今回の詳細報告の舞台を 《タイポグラフィ・ブログロール 花筏》 に移して順次ご報告いたします。
『平野展』ポスターL明治産業近代化のパイオニア
『平野富二伝』 考察と補遺  古谷昌二編著
刊行記念 展示・講演会
─────────
日 時 : 2013年11月30日[土]-12月01日[日]
      11月30日[土] 展示 観覧  10:00-16:30
                  著者講演会 14:00-16:00
             12月01日[日]  展示 観覧  10:00-15:00
                 掃 苔 会   10:00-12:00
      編著者・古谷昌二氏を囲んでの懇話会、サイン会は、会期中随時開催
会 場 : 日展会館
─────────
主 催 : 平 野 家
協 力 : 朗 文 堂 
後 援 : 理想社/タイポグラフィ学会/アダナ・プレス倶楽部

【イベント開催趣旨】
平野富二没後120年、平野活版製造所(のちの東京築地活版製造所)設立140年、石川島造船所(のちの石川島平野造船所・現 IHI)創業160年という記念すべき年にあたり、古谷昌二氏編著『平野富二伝』が刊行されました。

本展示講演会は『平野富二伝』に詳細にしるされた、明治前期の活字版印刷術の黎明期に、活字製造、活版印刷機器製造ならびに技術基盤の確立に活躍し、ついで、造船、機械製造、土木工事、鉄道敷設、水運開発、鉱山開発など、わが国近代産業技術のパイオニアとして、おおきな業績をのこした平野富二(1846-92)に関して、これまで一般にはあまり知られていなかった事績を発掘し、その全貌を紹介し、再認識していただくことを目的とします。

同時に、明治前期の工業界をリードした、技術系経営者としての平野富二の多彩な事績の紹介が、そのままわが国近代の産業技術発達史の一断面をなすものであるとの認識のもとに、関東大震災や第二次世界大戦の戦禍を乗りこえ、平野家に継承されてきた貴重な資料を中心に、本格的にははじめて資料を整理・展示し、《明治産業近代化のパイオニアとしての平野富二像》を描きだすものです。

『平野展』フライヤー

一枚だけのカレンダー。師走です-お疲れでしょうから、森永アイスクリーム『パルム』は如何ですか

日本人の知らない「文字のはなし」 日本で使われている「文字」というコトバ 中国では「文」と「字」は別のものなのです
中国料理店で寄り道 グルメな書家 蘇軾 美味しい、美味しい、トウロンポウ 書にまつわる美味しいおはなし

平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
【森永乳業 Daily Premium Calender 】

渋いオジサン-寺尾聡というと、わたしの世代では「ルビーの指輪」が印象的です。
その寺尾聡が TV CM に登場して「ワォ~」と叫んでいるのが森永乳業のアイスクリーム「PARM」です。「PARM」は人気商品で、累計10億本を越える販売実績があるそうです。
─────
森永乳業の巨大な Website のなかに、平日のちょっと贅沢なライフスタイルマガジン
「 Daily Premium Calender 」があります。 
── タイポグラフィと活版印刷 ──
{文字とは文化と歴史の結晶 それは「知」と「技」と「美」の総合技芸} と題して、11月の毎週月曜日-木曜日[祝日はのぞく]、都合15 回にわたって、片塩と朗文堂 アダナプレス倶楽部:大石の共著のかたちで連続エッセイを担当いたしました。

なにしろコンテンツの豊富なWebsiteですし、トップ画面はすでに12月のカレンダーに切りかわっています。11月だけの連載でしたが、スタートの月曜日が祝日で、11月5日[火]からのスタートで、11月28日[木]が最終回となりました。
Websiteの常で、情報はアーカイブに収納されましたので、そこへのご案内をリンクしました。2013年11月の「 Daily Premium Calender 」をご笑覧たまわりますようお願いいたします。
パルムuu

【 目 次 】
── タイポグラフィと活版印刷 ──
{文字とは文化と歴史の結晶 それは「知」と「技」と「美」の総合技芸} 

  • 11月05日[火] 第01回 スタート 
    新しい活版造形者とともに 『VIVA!! カッパン♥』
      活版ルネサンスと
      身体性をともなった「ものづくり」の歓び 
  • 11月06日[水] 第02回
    活版印刷 水 紀行
      それは河畔の街からはじまった……
      活版印刷術と水にまつわる物語
  • 11月07日[木] 第03回
    こころを豊にする短歌講座
      贅沢短歌  本木昌造(永久 ナガヒサ)、池原 奞(シュン、香穉 カワカ)
  • 11月11日[月] 第04回
    日本近代化のパイオニア 『平野富二伝』
      近代化の影の立役者「活版印刷術」
      平野富二の生涯から明治の男の気骨を知る
  • 11月12日[火] 第05回
    日本人の知らない 「文字のはなし」
      日本で使われている「文字」というコトバ
      中国では「文」と「字」は別のものなのです。
  • 11月13日[水] 第06回
    「豚」+「柿」+「ミカン」=「諸事大吉」
      笑う門には福来たる?
      ユーモアあふれる吉祥文
  •  11月14日[木] 第07回
    ゆっくり急げ!
      イルカと錨。亀と龍。
      相反する事物の意味は?
  • 11月18日[月] 第08回
    彫られた文字  石のエクリチュール
      堅牢な石に彫られた碑文
      その軌跡をたどり、文字の歴史を知る
  • 11月19日[火] 第09回
    グルメな書家 蘇軾ソショク 中国料理店で寄り道
      美味しい、美味しい、トウロンポウ
      書にまつわる美味しいおはなし
  • 11月20日[水] 第10回
      An essay of the typography.
        ところで、タイポグラフィって何でしょう?
  • 11月21日[木] 第11回
    贅沢短歌  心を豊かにする短歌講座
      現代日本人の多くは、残念ながら
      150年以上前の書物をスラスラとは読めません。
  • 11月25日[月] 第12回
    印刷用の書体 明朝体と宋朝体《前編》
      活字書体の「明朝体」って
      中国の文字ではないの?
  • 11月26日[火] 第13回
    印刷用の書体 明朝体と宋朝体《後編》
      活字書体の「明朝体」って
      明の時代の文字ではないの?
  • 11月27日[水] 第14回
    分子生物学からみるメディア論
      DNA と活版印刷術
      実はこのふたつ、とても似ているのです
  • 11月28日[木] 第15回 最終回 
    活字よ 永遠に――――
      ウーパールーパーとサラマンダー
      活版印刷術とのふしぎな関係 

近刊『平野富二伝』古谷昌二編著 第一章 誕生から平野家再興まで -立神ドッグ建碑由来の説明板の紹介

立神ドック建碑2uu立神ドック建碑1uu写真) 三菱重工業株式会社長崎造船所 史料館提供

《三菱重工業長崎造船所にある立神ドッグ建碑由来の説明板》
長崎造船所とは、長崎県長崎市と諫早市イサハヤシにある三菱重工業の造船所・工場のことです。正式名称は三菱重工業株式会社長崎造船所。地元長崎では、もっぱら「長船 ながせん」の名で親しまれています。
ここに本格的な洋式造船所が設けられた歴史はふるく、時局下にあっては戦艦武蔵が建造され、最近では2002年に艤装中の豪華大型客船「ダイヤモンド・プリンセス」が火災をおこしたことなどでも知られます。

上掲写真は、三菱重工業長崎造船所本工場の立神通路の壁面に設置されている『建碑由来』説明板の写真です。この説明板の中央右寄りに、「立神ドック略歴」とあり、それに続いて平野富二の事績がしるされています。

「立神ドック略歴  明治三年(一八七〇)長崎製鉄所長平野富二乾ドック築工を民部省に建議、許可となり着工。同四年(一八七一)一時工事中止。明治七年(一八七四)フランス人ワンサンフロランを雇入れ築工工事再開。 明治一二年(一八七九)工事完成。(長さ一四〇米、巾三一米、深さ一〇米 当時東洋一)   (後略)  昭和四三年(一九六八)三月   三菱重工業株式会社長崎造船所」

これに補足しますと、
「慶応元年(1865)7月に立神軍艦打建所として用地造成が完了しましたが、当地における軍艦建造が取止めとなり、そのまま放置されていました。 明治2年(1869)になって、平野富二が民部省にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、平野富二が「ドック取建掛」に任命され、直ちに着工しました。しかし明治4年(1871)4月、長崎製鉄所が工部省の所轄となるに及んで、平野富二は長崎製鉄所を退職し、工事は中止されました」[古谷昌二]

平野富二(1846-91)は長崎出身で、活字と活版印刷関連機器製造「東京築地活版製造所」と、造船・機械製造「石川島造船所」を設立したひとです。
残念ながら、東京築地活版製造所はよき後継者を得ずに1938年(昭和13)に解散にいたりましたが、造船・機械製造「石川島造船所」は隆盛をみて、こんにちでは株式会社 IHI として、三菱重工業とは競合関係にある巨大企業です。

この地におおきな造船所がつくられた歴史を簡略にしるします。
1857年(安政4年)  江戸幕府直営「長崎鎔鉄所」の建設着手。
1860年(万延元年)  「長崎製鉄所」と改称。
1861年(文久元年)  完成。
1868年(明治元年)  官営「長崎製鉄所」となる。
1871年(明治4年)  工部省所管「長崎造船局」と改称[このとき平野富二は退職]。
1879年(明治12年)  立神第一ドック完成。
1884年(明治17年)  三菱の経営となる。「長崎造船所」と改称。

あわせて平野富二(富次郎 1846-91)のこの時代の行蔵を簡略にしるしましょう。
長崎にうまれた平野富二は、この三菱重工業長崎造船所の前身、長崎製鉄所とは16歳のときから関係をもちました。まず1861年(文久元)長崎製鉄所機関方見習いに任命され、教育の一環として機械学の伝習を受けていました。このころは飽の浦に建設された長崎製鉄所の第一期工事が完成して間もないころでした。

1869年(明治2)平野富二が民部省[1869年(明治2)に設置された中央官庁。土木・駅逓・鉱山・通商など民政関係の事務を取り扱った。1871年廃止されて大蔵省に吸収された]にドックの開設を建議し、民部省の認可が下りました。同年11月20日、「ドック取建掛」に任命され、直ちに工事に着工しました。しかし、1871年(明治4)4月長崎製鉄所が 工部省 の所轄となるに及んで、平野富二は退職し、工事は中止されました。

長崎製鉄所を退職したのち、1872年(明治5)7月から、本木昌造の再再の懇請により活字版印刷事業に着手し、東京に出て、1873年(明治6)から活字製造と活版印刷機器の製造「のちの東京築地活版製造所」で成功して資金をつくり、あわせて幕末に水戸藩が設けた石川島修船所の敷地を借りるかたちで、念願の造船業「石川島造船所」の事業に1876年(明治9)31歳のときに進出しました。
────────
造船業者や船乗りは「板子一枚下は地獄」とされ、きわめて危険な職業であることの自覚があるようです。ですからライバル企業「石川島造船所」現在の IHI の創業者「平野富二」の名を、自社の主力ドッグである立神ドックにその名を刻した、三菱重工業長崎造船所のみなさんの心意気にこころをうたれます。

上掲写真は、2001年「平野富二没後110年祭」に際して、列席された長崎造船所史料館からいただいたものです。ここは巨大工場の最奥部にあり、危険もあり、情報管理の面からも一般人の見学はゆるされていません。したがってこの写真が公開されたことはあまりないようです。
同社はまた『創業150周年記念  長船ナガセンよもやま話』(三菱重工業長崎造船所 平成19年10月 p.22-23)の見開きページで、「立神に巨大ドッグを 壮大な夢を抱いた平野富二、工事現場での大ゲンカ仲裁も」として、イラストと写真入りで紹介しています。
このとき平野富二は25歳という若さで、2-3,000人の労働者の指揮にあたっていました。

平野富二武士装束uu

平野富二(富次郎)が長崎製鉄所を退職して、活版印刷の市場調査と、若干の活字販売のために上京した1871年(明治4)26歳のときの撮影と推定される。
知られる限りもっともふるい平野富二像。旅姿で、丁髷に大刀小刀を帯びた士装として撮影されている。
廃刀令太政官布告は1876年(明治9)に出されているが、早早に士籍を捨てた平野富二が、いつまで丁髷を結い、帯刀していたのかは不明である(平野ホール所蔵)。

建設中の立神ドッグ

開鑿中の立神ドック
本図は、横浜で発行された英字新聞「ザ・ファー・イースト」(1870年10月1日)に掲載された写真である。 和暦では明治3年9月7日となり、平野富二(富次郎)の指揮下で開始されたドック掘削開始から、ほぼ 9 ヶ月目に当たる状態を示す。 この写真は、長崎湾を前面にした掘削中のドライドックの背後にある丘の上から眺めたもので、中央右寄りにほぼ底面まで掘削されたドッグが写されている[古谷昌二]。

考察13 開鑿ニ着手 明治二年(一八六九)一一月二〇日、製鉄所頭取青木休七郎、元締役助平野富次郎、第二等機関方戸瀬昇平は、「ドック取建掛」に任命され、続いて頭取助品川藤十郎と小菅掛堺賢助も要員に加えられた。 この中で筆頭の製鉄所頭取青木休七郎は名ばかりで、実質的な責任者は平野富次郎であった。 この時の製鉄所辞令が平野家に残されている。 「平野富次郎  右ドック取建掛  申付候」[古谷昌二]。 

任命状

  平野富次郎  右ドック取建掛  申付候図 ドック取建掛の辞令
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎製鉄所の辞令である。この辞令の用紙サイズは、高さ174㎜、幅337㎜で、ここに書かれている巳十一月とは明治2年(1869)11月(和暦)であることを示している[古谷昌二]。

長崎縣権大属任免状uu 

平野富次郎の長崎縣権大属任免状 
本図は、平野家に保管されている平野富次郎に宛てた長崎縣の任免状である。 この任免状の用紙サイズは、高さ187㎜、幅519㎜である。 最終行の「長崎縣」と書いた上部に小さく、「庚午 閏十月十六日」と記されており、明治3年(1870)閏10月16日の日付であることが分かる[古谷昌二]。
──────────
このような著述をなした『平野富二伝』編著者:古谷昌二氏の講演会と、ここに紹介した平野家所蔵品の展示会を予定しております。
下記の情報をご覧いただき、ぜひともご参加ください。

 『平野富二伝』刊行記念 展示・講演会のお知らせ

【近刊紹介】『平野富二伝』古谷昌二編著

【本書の発売日が決定いたしました!】
朗文堂近刊書、古谷昌二編著『平野富二伝』には、多くの皆さまがご関心を寄せられ、発売日、関連イベントに関するお問い合わせをたくさん頂戴いたしました。ありがとうございました。

発売日  2013年11月22日[金]

『平野富二伝』刊行記念・展示・講演会のお知らせ 
関連情報は、上記をクリックしていただきますと該当ページがひらきます。

 

書店店頭、オンラインブックショップなどでの販売は、発売開始後すこし遅れます。
一刻も早く、連休中にもお読みになりたいというかたは、ご面倒でも小社にご来社いただき直接ご購入いただくか、朗文堂ブックコスミイク robundo@ops.dti.ne.jp まで事前にご注文ください。
ご送付のばあいでも 11月22日[金]まで のご注文にかぎり、送料を小社負担でおもとめいただけます。ご注文をお待ちしております。

平野表紙uu平野富二伝 考察と補遺 DM表平野富二伝 考察と補遺 DM裏[明治産業近代化のパイオニア 平野富二伝 考察と補遺 DM PDF]

明治産業近代化のパイオニア平野富二伝 考察と補遺
古谷昌二 編著
────
発行:朗 文 堂
A4判、ソフトカバー、864ページ
図版多数
定価:12,000円[税別]
発売:2013年11月22日
ISBN978-4-947613-88-2 C1023

 ──────── 編著者プロフィール
古 谷  昌 二   ふるや しょうじ
古谷さん肖像

昭和10年(1935)、東京都に生まれる。
昭和33年(1958)、早稲田大学第一理工学部機械工学科を卒業。
同年、石川島重工業株式会社(現、株式会社IHI)に入社。
製鉄設備を初めとして、産業機械分野の設計、開発、技術管理、新機種営業部門を歴任。
平成7年(1995)、定年退職に際し、その後の一つのテーマとして平野富二の事績調査に取り組み、IHI OBを中心とした社史研究会「平野会」の設立と運営に協力。
日本機械学会正会員。

雑誌投稿:
「IHI 高圧高炉用炉頂装置の概要」
共著(『石川島播磨技報』、第7巻、第34号、昭和42年3月)
「大形高炉設備の設計」
(『石川島播磨技報』、別冊2、昭和44年8月)
「石川島のダラーイドック」
(『佃島物語』、その十五、平成7年10月)
「平野富二の師 本木昌造」
(『佃島物語』、その二三、平成12年5月)
平野会資料:
「旭日丸事績」を初め、幕末から明治初期の石川島に関する資料、平野富二に関するテーマ別に纏めた資料など多数を執筆し会員に配布。IHI本社図書室に保管。

──────── 著者まえがきより抜粋
本書は、明治前期の活字版印刷術の黎明期に活躍し、ついで、造船、機械、土木、鉄道、水運、鉱山開発など、わが国近代産業技術のパイオニアとしておおきな業績をのこした平野富二に関して、これまで一般にはあまり知られていなかった産業人としての事績を発掘して、その全貌を紹介し再認識してもらうことを目的とする。
同時に、明治前期の工業界をリードした、技術系経営者としての平野富二の事績紹介が、そのままわが国近代の産業技術発達史の一断面をなすものである。

──────── 目 次
第 一章 誕生から平野家再興まで
第 二章 土佐藩機械方就任と長崎製鉄所復帰
第 三章 長崎新塾活版所入社と経営改革
第 四章 東京への進出
第 五章 築地への移転と本木昌造との死別
第 六章 築地活版所の拡張と造船業への進出
第 七章 石川島造船所の操業開始
第 八章 活字改良、海運業進出と地方事業の展開
第 九章 明治一四・一五年の事績
第一〇章 明治一六年の事績
第一一章 明治一七年の事績
第一二章 明治一八年の事績
第一三章 明治一九年の事績
第一四章 明治二〇年の事績
第一五章 明治二一年の事績
第一六章 明治二二年の事績
第一七章 明治二三年の事績
第一八章 明治二四年の事績
第一九章 明治二五年の事績
第二〇章 没後の記録
平野富二年譜
平野富二没後の記録年表

──────── 著者あとがきより抜粋
明治前期に花開いた文明開化で、一般民衆が身近に実感したであろうものは数多くあるが、その中でも代表的なものは、新聞の普及による情報革命と、小形蒸気船による輸送革命であろう。
新聞は良質な活字と高性能な印刷機の出現によって、最新の情報が迅速に広く民間に届けられるようになった。
小形蒸気船は蒸気を動力として、多量の物資や乗客を、一時に短時間で、しかも安全に運送する乗り物として民間に親しまれた。

この活字と印刷機と、小形蒸気船に代表される製品を製造し、普及させたのが平野富二である。その根底となる技術はいずれも西欧先進国に学んだものであるが、それらをわが国で初めて国産化し、高性能で堅牢な製品として世の中に普及させた。

その他の分野でも、平野富二は民間人として「我国で最初に国産化した製品」を数多く生み出している。
例えば、蒸気暖房装置、演技場の大形石油ランプ、製糸動力用ボイラ・蒸気機関、鉱山用各種機械、水力発電用ペルトン水車、凌雲閣のエレベーター、吾妻橋に代表される大形橋梁などである。
一等砲艦鳥海も民間造船所で初めて建造された軍艦である。
近代化の象徴である鉄道建設や水道布設などにおいても、ドコビール式軽便レールを導入して、画期的工法で土地造成工事を行なった。

それらの製品を生み出し、工事を実施する過程においても、活字の多品種・大量生産を実現させ、現代に通じる品質管理、公害を配慮した工場移転、徒弟教育の実施、職工の生命保険付保など、時代を先駆ける先端的経営を行なった。

その意味で、平野富二をわが国産業近代化のパイオニアの一人として位置付けることができる。まさに福地桜痴の言う「明治工業史の人」である。

平野富二の生涯は苦労と失敗の連続であった。通常の伝記では成功談の羅列で終始するが、平野富二の場合は失敗談なくしてその人の生涯を語ることはできない。
平野富二の前半生の履歴をまとめ上げた福地桜痴や、全生涯を記録した『本木昌造 平野富二 詳伝』の編著者である三谷幸吉は、失敗談については敢えて触れることなく、意識的にこれを避けている。

平野富二は、恩師本木昌造の苦境に陥った活版印刷事業をたまたま引き受け、事業として成功に導いた。その結果得られた資金を活用して、念願の造船事業に進出することができた。
しかし、民間事業こそがわが国将来の発展に寄与するものであるとの信念から、敢えて政財界と結託することを嫌って一定の距離をおいていた。そのため、多額の資金を要する造船事業では再三に亘り政府に融資依頼を行なったが、いずれも不成功に終わっている。渋沢栄一の理解と協力で株式組織に変更するまでは、資金難の連続であった。

本書では、平野富二が取り組んだ事業の中でも不成功に終わった事例を数多くとりあげた。造船関係では兵庫造船所の借用、鉄道関係では利根川・江戸川連絡鉄道計画、甲信鉄道計画とその関連の江の浦軽便鉄道計画、築港関係では江の浦築港計画、土木関係では横須賀吾妻山掘割工事、鉱山関係では能美鉱業所の経営受託である。
しかし、不成功となったその後の経緯までをたどって見ると、単に失敗に終わらせず、その経験を少しでも世の中のために有効に生かす意志と努力を酌み取ることができる。

最大の失敗といえば、若い頃から持病を抱えながらもわが身を顧みず事業に没頭した結果、脳溢血で病床に就くこと三度、それが原因で折角育てあげた事業を途中で整理せざるを得なくなったことであろう。
その後は摂生に努めたが、国家に貢献する事業への信念から肉体の健康を疎かにし、それが原因で未だ前途のある生涯を四七歳の若さで終えたことである。

定年まで人生の一番大切な時期を過ごさせて頂いた会社の創業者である平野富二について、なぜ長崎の人が東京の石川島で個人経営の造船所を創業したのかという疑問に始まり、その人物と事績をもっと知らなければならないと思っていた。
それを定年後の取り組みの一つとして定め、本格的な資料調査を開始したのは既に十数年前になる。当初は、それほど多くの資料は存在しないだろうと予測し、二、三年で纏められると思っていた。平野富二に関する資料は、関東大震災、その後の戦災と戦後の混乱でほとんどの歴史資料を失ってしまったと見られていたからである。

当初は、平野富二に関する纏まった伝記資料としては、三谷幸吉の『詳伝』が唯一のものであった。それを手掛かりにして、資料収集を開始すると、断片的ではあるが次々と新しい資料を見出すことができた。

平野富二は、長崎奉行所とそれに関連する長崎製鉄所に勤務していた関係で、その役職履歴から勤務に関する多くの文書が長崎県に残されている。
東京に出てきてからは、事業の関係で役所に提出した文書が東京都公文書館に数多く保管され、また、横浜製鉄所や石川島造船所に関しては国立公文書館と防衛研究所図書館に多くの関連する文書が保管されており、近年、アジア歴史資料センターからインターネットで検索・閲覧できるようになった。
早稲田大学図書館に保管されている「大隈文書」にも平野富二直筆の願書等が残されていることが判った。

株式会社IHIの元専務取締役高松昇氏は残念ながらすでに故人となられたが、同氏とは十数年来、平野富二の研究でお互いに協力しあう関係にあり、お教え頂くことが多かった。相談の上、『長崎市史』に掲載されていた平野富二碑の碑文をもとに、その石碑の所在確認と、先祖の菩提寺に残されているとみられる記録を平野家に調査してもらうこととした。これが縁で平野家の方々と面識を得ることができた。

丁度その頃、祖先の遺品を整理されていた平野義和氏とその子息正一氏によって多数の資料が見出され、活版印刷関係の資料についてはその分野の研究をされている、朗文堂の片塩二朗氏と印刷史研究家板倉雅宣氏に伝えられた。平野家からは貴重な資料閲覧と写真撮影をさせていただき、特に正一氏からは独自に調査された貴重な資料のコピーを提供して頂いた。
また、片塩二朗氏と板倉雅宣氏からは平野富二が印刷分野で高く評価されていることを教えて頂き、御著作を初め多くの資料を提供して頂いた。

平野富二の資料収集を期に、高松昇氏の主宰により株式会社IHIのOBを主体とした「平野会」が結成された。社史に関連する資料の収集と資料管理を後援することを目的としたもので、その会員はIHIの歴史に関心を持つ各専門分野を経験された方々であった。この「平野会」は、所期の目的を達成して解散したが、多くの資料を調査・収集することができた。

二〇〇二年に朗文堂から片塩二朗著「富二奔る」(『ヴィネット08』)が、二〇〇六年に印刷朝陽会から板倉雅宣著『活版印刷史』が、さらに、二〇〇九年に株式会社IHIから高松昇著『平野富二の生涯』(非売品)が刊行された。
これらの動向により、平野富二に縁故のある関係者の子孫の方々が現れ、貴重な情報・資料の提供をうけることができた。

本書は高松昇氏の御著書を補う形で、広く一般読者や研究者に読んで頂くために纏めたもので、以上に述べた多くの機関や個人の方々から提供をうけた貴重な資料を利用させて頂いた。いちいちお名前を記すことを控えさせて頂くが、この場を借りて心から御礼申し上げる。

平成二五年八月
石川島造船所創業一六〇年、平野富二没後一二〇年を経過した歳に当たって                                                              古谷 昌二