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【特別展】 国立印刷局お札と切手の博物館「印紙・証紙──小さなグラフィック・デザインの世界」

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【特別展】
国立印刷局お札と切手の博物館「印紙・証紙 ―― 小さなグラフィック・デザインの世界」
平成28年12月20日-平成29年3月5日

{小さな証明書の形・色・図柄}
本展で取り上げる「印紙・証紙」とは「何かを証明するために貼り付ける小さな印刷物」全般を指します。
これらの「小さな証明書」は貼り付ける対象や証明の内容などの用途に合わせてデザインされるため、多様な大きさや形態、ユニークな色分けや図柄になっています。
下邑政弥氏旧蔵の貴重なコレクションと併せ、製造機関である国立印刷局ならではの収蔵品を展示します。

{詳細:お札と切手の博物館

【図書+書体紹介】 当代の人気者ふたりが語り尽くす 集英社『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』+くらもち銘石B

20161126145209_00001 20161126151043_00001みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議  
◯ 著者:みうら じゅん  著者:宮藤 官九郎     

◯ 発行所:集英社  ISBNコード: 978-4-08-780763-9
◯ 判型/総ページ数:四六判/256ページ 
◯ 定価:1,200円(本体)+税
◯ 発売日: 2016年7月20日
【 詳細 : 集英社 BOOKNAVI
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【内容紹介】
「ゆるキャラ」「マイブーム」の名付け親として知られるみうらじゅんと、
『あまちゃん』『ゆとりですがなにか』でおなじみの脚本家、宮藤官九郎。

彼らが、「男と女のあいだに友情は成立するのか?」「なぜ戦争はなくならないのか?」「なぜ男はハゲを恐れるのか?」といった、世界中の誰もが疑問に思いながらも曖昧なまま放置されてきた〝難題〟について、人類を代表して語り合います。

サブカルネタを軸にしながら、政治や国際情勢、下ネタまで縦横無尽に繰り広げられる“知と恥”の哲学問答は、決して世の中を憂うことなく、くだらなさの中にこそ人生の真理を見出していくための知恵が満載です。
混沌の時代を生き抜くための、グローバルスタンダードがここにある!

【本書で取り上げた議題】
◯ なぜ男と女はわかりあえないのか?
◯ 男と女のあいだに友情は成立するのか?
◯ セックスは女の人を何回イカせたら許してもらえるのか?
◯ チンコはデカいほうがいいのか、そうでもないのか?
◯ なぜ戦争はなくならないのか?
◯ お化けはいるのか、いないのか?
◯ なぜ男はハゲを恐れるのか?
◯ なぜ人はコンプレックスを持つのか?
◯ 天職とは何か?
◯ 親は子供にどんな背中を見せたらいいのか? ほか、約30テーマを収録。
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{新宿餘談}
『みうらじゅんと宮藤官九郎の世界全体会議』のブックデザイナーは、これまた当代の人気者 : 川名 潤 さんです。川名さんは<銘石B Combination 3>から、和字として「くらもち」を選択され、本書の随所でご使用されています。
ご愛用ありがとうございました。
銘石B
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「銘石B」の原姿はとてもふるく、中国・晋代の『王興之墓誌』(341年、南京博物館蔵)にみる、彫刻の味わいが加えられた隷書の一種、とくに碑石体と呼ばれる書風をオリジナルとしています。
『王興之墓誌』は1965年に南京市郊外の象山で出土しました。王興之(309-40)は王彬の子で、また書聖とされる王羲之(307-65)の従兄弟にあたります。

この墓誌は東漢の隷書体から、北魏の真書体への変化における中間書体といわれます。
遙かなむかし、中国江南の地に残された貴重な碑石体が、現代に力強くよみがえりました。「銘石B」は和字(平仮名と片仮名)三書体(くれたけ、くろふね、くらもち)が標準でセットされており用途に応じた選択ができます。

【図書紹介】 北方謙三<大水滸伝>全51巻完結! 伝説も去りて、残るは物語のみ。君に語れ、漢オトコらの物語。『岳飛伝』17巻文庫版刊行開始 ― ケンゾーの小説は脳にも躰にもわるいとおもう

main05[1] main06[1] 《活字・図書離れが語られ、取次・書店の不振もあらばこそ――怒濤の勢いの北方謙三》
テレビ・新聞・図書出版・雑誌・印刷・製本など、ほとんどのメディア産業が総崩れとされ、青息吐息、気息奄奄、意気消沈のさなか、ひとり<集英社 北方謙三大水滸伝コーナー>が気を吐いている。
ここには先の<Club 楊令伝>のときと同様に<Club 岳飛伝>が結成され、逐次刊行される文庫版の発売日直前に、北方謙三名義で集英社から下掲のようなメールが配信される。

登録、ありがとう。これから、月に一回ずつメッセージを送る。
『岳飛伝』の本筋には関係ないが、知っているとにやっと笑ってしまうような、そんなことが伝えられればいい、と思っているよ。
じゃ、今度の発売日に。 北方謙三
     集英社文庫 『岳飛伝』読破応援企画 ・ Club 岳飛伝

つまりやつがれ、北方謙三(以下ケンゾー)の読者(けしてファンではない⁉)として、<Club 楊令伝>のときと同様、<Club 岳飛伝>にも参加している。
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北方謙三『岳飛伝 第一巻 三霊の章』 四六判図書

したがって、『大水滸伝』全51巻のうち、『水滸伝』全19巻の四六判図書と文庫版、『楊令伝』全15巻の四六判図書と文庫版をすでに所有し読破ている。もちろん『岳飛伝』全17巻の四六判図書は購入済みである。
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{新宿餘談}

ケンゾーの粗放で語彙のすくない(失礼。豪放にして簡潔な)文章を読むと、なまの立木に一刀彫りで刻んだ円空仏をみたような妙な衝撃がのこる。
つまりことしの05月16日、『 岳飛伝 17 星斗の章 』の公刊をもって、ついにというか、ようやく、北方謙三 「 大水滸伝 」 全51巻が完結して安堵した。

たまたま家人が書棚をすこし整理してくれた。それを好機としてケンゾー離れを意図して、ほかの作家の図書にとり組んだがどうもうまくいかない。
とりわけ併読していた宮城谷昌光や、葉室 麟、浅田次郎はかえって抵抗感があった。
そこでふるい蔵書の三島由紀夫や川端康成など、語彙を駆使し、情感たっぷり、丁寧に書きこまれた図書に触手をのばしたものの、リズム感に欠け、情景描写が多すぎたりして鼻についた。

つまりケンゾーは憑くのである。憑いたが最後はなれないから、躰にも脳の発達にも悪影響があるような気がする。
とどのつまり、ミシマもカワバタも中途で挫折して、結局はケンゾーの『史記』と『三国志』をもう一度読みなおしている惨状下にある。

ケンゾー『史記』は全七巻、ケンゾー『三国志』は全14巻である。
もともと吉川英治の『三国志』で長編小説のおもしろさを知り、司馬遷の『史記』に読みふけったやつがれであるからして、ケンゾー作品は原典無視もいいところである。したがって地下にある原作者にして厳格をもってなる史官の司馬遷は、ケンゾーの『史記』の存在を知ったら、悲嘆にくれるに違いないとおもえる。

ところがケンゾーはそんなことは一切頓着せずに、速く駈ける軍馬のこと、馬の乳から醸った酒はまずいが米の酒はうまいだの、射殺した鹿の骨つきのナマ肉に、手づかみで喰らいつくだの、死の床で家族に手を握られながら迎える漢オトコの死など、恥辱以外のなにものでもないなどととわめきちらし、戦場に疾駆し、全身に矢をあびてなお倒れず、絶命するのが真の漢の死だと断定するのである。こんなケンゾーにはただただ呆れるしかなかった。
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集英社からケンゾー名義の@メールがきた。
集英社文庫『岳飛伝』全17巻が11月18日[金]から発売されるとあった。
その日は帰宅をはやめ、近くの書店でケンゾーの集英社文庫『岳飛伝 第一巻 三霊の章』を買った。
うれしくもあり、どこかなさけなくもあった。
繰りかえすが ケンゾーは憑くのである。憑いたが最後はなれないから、躰にも脳の発達(衰退の促進)にも悪影響がある気がするのである。
これがして、ひそかに読者諸賢におすすめするゆえんである。
岳飛伝

【朗文堂好日録】 水も土も凍りはじめる立冬というのに、空中花壇の園芸家はいまだ多忙なり

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《 畏友 杉本昭生[活版小本]によれば 11月07日 水がはじめて凍るとき――立冬とする 》

活版小本そもそもブログや SNS で犬や猫をテーマにするのは禁じ手ではなかろうか。
犬も猫もあまりに、そして無条件にかわいいし、さまざまな愛らしいポーズもとってくれる。
京都吉田山に居住する杉本昭生さんは、季節のうつろいをブログ上にえがきだしてみごとである。今回は画像の一部を拝借した。ここには当然犬猫のたぐいは登場しない。

やつがれは犬も猫もだいすきである。以前は同時に犬も猫も飼っていたが、喘息によくないからと医者に飼育をストップさせられた。その恨みと焼きもちの気分もすくなからずある。
そこでいつもの「空中花壇」の話題に転じよう。

DSCN8651 DSCN8664DSCN7994吾が 「 空中花壇 」 の造園家は迂闊で、しばしば播種のときをはずすし、季節はずれの艸花をムキになって育てたりしている。
また、世間では「雑草」の代表のように唾棄する野草を、わざわざ 鹿児島の五代才助(友厚)生誕地から採取 して 「 才助 」 と名づけて育ててきた。


そもそもやつがれ、「 雑草 」 という名の艸はないと心底おもっているから、懸命に育てていた。やがて 「 才助 」 は野菊に似たちいさな花をつけた。 それはわざわざ鹿児島から持ちかえるまでもなく、東京でもどこの空き地にでも繁茂している、まぎれもない「 雑草 」 だったが、名を調べないまま枯れるまで見まもっていた。

【 花筏 : 朗文堂好日録039-春を待つ日日。わっせクン、才助とかわす朝の挨拶 2015年02月04日

《 そもそも、ハロウィン ・ グッズを花壇に持ちこむ不逞のやからがいるからして…… 》
10月31日は 「 ハロウィン 」 である。
昨今のハロウィン祭りは、アメリカ経由のカラ騒ぎの面がみられるが、本来のハロウィンは、紀元前1000年ころに中央ヨーロッパを席巻した 古代ケルト人 が起源の祭とされ、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事である。
ケルトの「 文  ≒ 紋学 」 [ウィキペディア画像集]は、「 字学 」 と同様に興味がつきないが、現代の視点からみると、多くの古代文化の造形と同様に、面妖で怪奇な面もなくはない。

吾が「 空中花壇 」 に、ちいさなカボチャを頭にして、三年ほどまえから鎮座ましましているのが 「 わっせ君 」。 これはバレンタイン モトイ ハロウィンのときに ノ ー学部がなにかのついでに100円ショップで買ってきた。
価格は安いが、ソーラーパワー ( 太陽電池 ) がどこかに内蔵されているらしく、いまでも陽射しがつよい日には 「 わっせ、わっせ 」 と左右に躰をはげしく振動させている。
ただそれだけのものだが、目覚めの一服のさなかは、たったひとりの朋輩であり、見飽きることがない。 だからベランダにでると、まず、勝手に名づけた 「 わっせクン 」 と挨拶、顔合わせをつづけている。

[ノー学部] わたしのガラ携動画で撮ったので画質が悪いのですが、片塩さんのベランダ喫煙の友「わっせ君」の動く様子です。一年365日、ベランダで頑張っている健気なやつです。

ことしはやつがれが丹精している赤と紫のペチュニアふた株の植木鉢に、失敬千万、けしからんことに、いつの間にかコウモリがついた風車のようなハロウィン・グッズが居座っている。これもノー学部の仕業に違いない。
このペチュニアは過酷な夏、それもエアコンの室外機が吐きだす熱風にまけず、花をつけ続けた愛着のある艸花であるのに。

ところで、長岡栃尾の 「 紙漉 サトウ工房 」 でも味わいのある草木染めをみた。とても味わいがあってよかったが、やつがれはだいぶ前から、いつか草木染めに挑戦しようという意図があって、密かにこの花柄を摘んで空き瓶に貯めている。
DSCN8422このごろすこし赤花のパペチュアが元気がないなとおもったら、なんと、
せまい植木鉢から  「 才助 」 がニョキニョキと芽ばえていた。考えてみたらこの植木鉢はかつて 「 才助 」 を育てた鉢だった。
もちろん移植に際して土替えはしたが、なにしろ悪名とどろく 「 雑草 」 のことゆえ、どこかに種子をのこしていたらしい。
それでも隣のピンクのベゴニアの花は、なんとなく草木染めには適さないとおもっていたし、ペチュニアの赤い花も、紫の花にくらべると
すこし力感に欠けると……。だからいまは、おそらく 「 才助 」であろうが 、ニョキニョキと伸びるがままにしている。
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すこしうれしいのは、ちいさな苗で買った香草がげんきなこと。「ホットリップス」、「レモン・マリーゴールド」、「セージー」などが次〻に花をつけている。原産地はメキシコ高地の植物だというからこのまま冬を越しそうな勢い。

《 畏友 : 杉本昭生「活版小本」によれば11月12日からは立冬 次候 : 地始凍とするが 》
553[1]11月も半ばとなった。古来の暦法、二十四節季、七十二侯によれば、すでに立冬で、水も土も凍りはじめるときらしい。
ところが「空中花壇」の園芸家は、摘芯のときをわすれ、背丈だけやたらに伸びて、颱風のおり、支柱のさきから半分枝折れしてしまったミニトマトをいまだに育てている。
ミニトマトとしては、夜などは摂氏10度を下まわる寒さのなかで結実するのは、さぞかしたいへんなこととおもわぬでもない。
DSCN8415反対側の壁面には、熱帯植物 : 雲南百薬 {おかわかめ} と、謎の巨大植物 {メキシカーナ} がげんきである。
既報のとおり、最近 {おかわかめ倶楽部} という奇妙な会が誕生し、あちこちの黒ポットにムカゴや挿し芽の{おかわかめ}が寒風に震えながらも育っている。
念のためにしるすが、{おかわかめ}はあくまで熱帯地方の草花である。かような立冬のさなかに増植すべきものではないはずだとおもう。
DSCN8411 DSCN8400 DSCN8397──────────
11月12日[土]、寒い朝だったが陽光がベランダに射していた。
そんな朝、「立冬 地始めて凍る」と京都の畏友が予告しているにもかかわらず、早朝からたたき起こされた。
「たいへん、たいへん、またトロロアオイが咲いてるよ」
冗談ではない。やつがれ今日か明日かと待ち望んでいた、ひこばえから健気に結花しようとしているトロロアオイのことなど十分に知っていた。
せっかくの休日だったが、ともかくこの花の開花時間はみじかい。そこで眠気まなこをこすりながら、間違いなくことし最後であろう「トロロアオイ」の花を観賞した。

嗚呼無情、こののちわずか、朝食の木綿豆腐の上に、長寿の薬草{おかわかめ}と、{トロロアオイ}の花が一輪、ちいさく刻まれて載り、いつの間に採取したのか、赤くなったミニトマトが数個、トーストの脇に転がっていた。
そのとき、椋鳥かなにか、つがいの渡り鳥が{メキシカーナ}にやってきて、ギャーと啼いた。 

【造形詩集】 森 郁 男 造形詩集 『 青 春 の 虜 』

森 郁男は、若くしてデビューした「造形詩」の詩人であった。 そして80年代のどこかで交通事故に遭遇し、いっときは生命の危険すらあったひとである。
森郁男造形詩集_青春の虜
たれに紹介されたのか、刊行直後に『 森 郁 男 造形詩集 青 春 の 虜 』を入手した。
それからすでに40余年が経過した。
やつがれも詩人も相応の歳をかさね、いつの間にかやつがれの書棚から詩集がみられなくなった。

それでも年賀状の交換がつづいた。いつも正月になると一枚のはがきにつづられた森 郁男のことばに霰にうたれたようになり、ときに、あかるい陽光をあびたような気持ちになっていた。

最近 『 森 郁 男 造形詩集 青 春 の 虜 』 を再読したくなったが、詩人の手もとにも一冊をのこすだけだと聞いてあきらめていたところ、デジタルデーターを送付していただいた。
ここに紹介する。
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<森  郁 男  略歴>
1949年  新潟県十日町市にうまれる (本名 : 江村 清)
1952年  東京都足立区梅田町に移転
1971年     同人誌 『わだち』 創刊に参加
1973年  「 詩と造形について No.2 」を『わだち』第7号に発表
1975年  『 森 郁 男 造形詩集 青 春 の 虜 』 わだちの会より発行

その詩は、みずからことばを紡ぎだし、そのことばを、縦横に、大胆にコンポジションする作風で、一世を風靡した。
その詩集に綴られた百篇のことばは、ひとのことばではなく、呻吟し、選択をこらし、みずからが紡ぎだしたことばによる。
またその造形手法は、ふり返れば性能のひくい写真植字機をみずから駆使しての 「造形詩」で あった。

森 郁男は、造形詩集『青春の虜』を発刊後も、翌1977年より官製はがきによる「造形詩通信」を発行。2016年現在76号。表現粒子としての「文字」の可能性を探り続ける。
「日独ヴィジュアル・ポエトリイ展」や「ヴィジュアル・ポエジィ・パリ展」をはじめ内外のヴィジュアル・ポエム展への出品を継続中。

そういえば森 郁男は、電子メール、ケイタイ電話などのデジタルメディアには消極的なようである。その分達筆で、悪筆をきわめるやつがれなど、お便りをいただくたびに赤面する。 そこでいまは、わが国には森 郁男という、すごい詩人がいる ―― ということにしておこう。

森郁男造形詩集_青春の虜 森-01rre 森-02rre 森-03rre 森-04rre 森-05rre造形詩集    青 春 の 虜
著      者    森  郁 男
発  行  所    わだちの会
装      本    A 5 判 118ページ 上製本 横開き
組版印刷    写真植字版下法 オフセット平版印刷

発      行    1976年01月01日
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造形詩集    青 春 の 虜     あとがき
「青春の虜」という名の詩集。今から四年前に名づけられていた脳裏の中の詩集。
それが、やがて間もなく現実のものとなろうとしている。 詩集と呼ぶところを敢えて「造形詩集」と袮したことについては、ここで理由づけをするまでもなく、読んでいただいた人、あるいは視ていただいた人の判断にお任せしようと思っている。

いずれにしても、二〇代も後半になって、やがて〝いい年をして〟などと云われるような頃になってこれを発行することに、若干のためらいを感じたりしている。
しかし、この「青春の虜」を発行することで、きょうに至るまで私の青春に対して、ひとつの区切りをつけたいという気持ちがあったことは確かである。
詩隼を発行することが青春への訣別ならば、一日延ばしに発行が遅れて、何年も時が経ってしまったこの年月の間、私はまさに青春の虜の中にいたのかも知れないと思ったりしている。

〝お前の青春時代に何があったのか?〟と問われたとき、私は詩を書くかくことしかなかったと答えるかも知れない。
私にとって、生命の次に大切なものが、青存時代に書き綴ったこれらの詩篇だといえる。
〝僕はね、たった今、火事か地震がきたら、書き綴ったこれらの詩篇の束を抱いて、外へ飛び出すつもりだ〟と友に語ったことがある。
生命の証し、あるいは生きた証し。青春時代にひとつの情熱を燃やして書き綴った紙きれが、日々の思いを日めくりのよう再現してくれるはずである。


しかし、私は殆んどといっていいくらいに、過去に書いた詩を読むことをしない。過去を回顧することよりも、できることなら明日の為の新しいい一ページを書き添えたいと思っている。 詩を書くことしかなかった十代の終わりからの青春の日々。万年筆を握りしめて、ただただ何かを見つめていた、そんな過ぎし日の自分の姿が思い出されてくる。

詩を他人に見てもらうということは、嘗て思いもよらないことだった。詩は、ひとり静かに書き綴っていればよいのではないか。そんな思いが、今となっても心の奥底に濳んでいたりする。

今は、詩集を出そうと決意した日から今日に至るまでの問、常に心の中にあった緊張から解放されて、ほっとしたやすらぎを感じている。
この詐集を発行することで、青春への訣別を告げるとともに、できうれば、明日からの道標としたいと思っている。

単なる詩隼としてではなく「造形詩」としてヴァリエーション化したこの試みが、どのように受けとられるか未知である。心の中では、今後も造形詩に閇わっていくかも知れないという疑問符に浸りながらも、その一方では、ひとつひとつ言葉を創造していった青春の日々のようにして詩を書いてみたいという願いがあったりする。

造形詩への傾倒は、出版に当って詩と最後まで関わっていこうと思ったこと。自らの手でクリエイ卜することによって、より一層詩と一体化できるのでは? と考えたからである、さらに、この百篇の詩の背後には、詩集に載ることのなかった多くの詩篇があることを自ら認識したいと思っている。
オリジナリティとかアイディアの踏襲だとかいうことには、何の意見も持ち合わせてはいない。とにかく自分の力の可能な限り頑張ってみたつもりである。 この「青春の虜」の意味することは、新しい創造へのステップだとか芸術だとか理屈づけをすることではなく、青春の日に毎夜憑かれたように詩を書いていた一人の青年の、極く単純なロマンの軌跡であると回時に、ロマンへの執着魂であるといえる。
一九七五年 冬                     森   郁 男