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【字学】 1925年のタイポグラフィ動画・貴重な産業史の記録/Oxford University Press and the Making of a Book

Oxford University Press and the Making of a Book

 

この無声動画は、英国産業同盟 ( Federation of British Industry  略称 : FBI ) によって、19世紀初頭の工業化社会を例示するシリーズのひとつとして1925年 ( 大正14 ) に製作された(17:51)。
本篇はおもに、オックスフォード大学出版部の印刷工房、クラレンドン ・ プレスにおける、タイポグラフィ  ≒ 図書製造、すなわち、活字鋳造、印刷、製本のすべての工程を記録したもので、だいぶ以前からオックスフォード大学出版部アーカイブによって YouTube に公開されていたものであるが、いつまでも閲覧数が500件をこえることなく、貴重な資料がおおかたには知られないままでいた。

ちょうど90年ほど前の英国タイポグラフィの姿である。 すでに活字製造はページもの組版などでは自動活字鋳植機の時代にはいっていたが、すでに失われた技術としてわかりにくくなっていたのか、冒頭部でパンチ ( 活字父型 ) と マトリクス  ( 活字母型、複数 Matrices )を紹介し、ふるくからの活字鋳造法-活字ハンドモールドの操作の実際を詳細に紹介している。

わが国の近代活字鋳造もこの方法によってスタートした。 また活字ハンドモールドをはげしく上下動するさまからは、活字鋳造のことを、なにゆえ < Typecasting > としたのかもわかるようになる。
ちなみに 「 Casting 」 の原義は「(ほうり) 投げること」 であり、投げ釣りをも Casting とする。
また研究社 『 新英和大辞典 』 によれば、印刷用語として 「 Typecasting 活字鋳造 」 の初出をみるのは19世紀中葉、1864年のこととする。  まさに活字ハンドモールドの全盛期であった。
画面では < ある鋳造工は活字ハンドモールドで、一時間に500-600本の活字を鋳造した > としている。

また紙型鉛版 ( mat matrix,  stereotype ) 製造の実際がみられ、製本に挑戦されておられるかたには、ギルディング手法、三方化粧断裁など、機械化されすぎてわかりにくくなったさまざまな貴重な記録をふくむ。
この90年前の動画をみると、この間に、印刷と出版、タイポグラフィがあらたに獲得したもののわずかさと、失ったもののおおきさをおもわずにはいられない。

http://www.oup.com/uk/archives/
オックスフォード大学出版部アーカイブ動画集 : Oxford Academic (Oxford University Press) 】

──────────  < 花 筏 > 既出関連情報

DSCN2713DSCN2806 DSCN2805北京印刷学院と併設の印刷博物館。 下部は紙型 ( ステレオタイプ ) 型どり製造装置
【 関連資料 : 宋朝体活字の源流:聚珍倣宋版と倣宋体-04 再度中国印刷博物館資料に立ちもどる


<長瀬欄罫製作所 日本語モノタイプ & インテル鋳造機の稼動の記録>
小池製作所製造/ KMT自動活字鋳植機、金属インテル鋳造機などの記録。現在ではなかなか見ることがで­きない。長瀬欄罫製作所は2011年12月30日をもって廃業した。
【関連URL :http://www.robundo.com/robundo/column…

朗文堂好日録-044 わかれの弥生三月、であいの卯月四月。花花が満開です。

《 年度末、弥生三月も終わります。 それでもベランダのいきものたちは元気です 》

オレンジ ・ フユシラズ  ツルコザクラ
DSCN8558 
鹿児島うまれのいちご ( 品種忘却 )
DSCN8563
五代友厚 ( 幼名 : 才助 ) 生誕の地から採集した サイスケ
DSCN8561ムルチコーレ
DSCN8572野沢菜-2015年01月01日播種。 花咲くはずが葉が茂るばかり。
DSCN8568ウーパールーパー四世。名づけてウパシロウ。
DSCN8581 DSCN8578

《 三月三日は桃の節句、ひな祭 》
桃ならぬ、梅たよりが、南国九州から届いたのがちょうどこのころであった。

東風コチ吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

この歌を詠んだのは菅原 道眞(すがわら の みちざね  845〔承和12〕-903〔延喜12〕)である。
道真は平安時代の貴族であり、右大臣にまで列せられたが、宇田上皇と醍醐天皇との争いにまきこまれて誣告され、大宰権帥 ゴン ノ ソツ に左遷された。
その道真が京のみやこをさる時に詠んだのが<東風 コチ 吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ>である。

菅原道真は大宰府へ左遷され、この地で没した。
その死後に天変地異が多発したことから、朝廷に祟りをなしたとされ、その鎮魂のために天満天神として祀られ、信仰の対象となり、現在は学問の神として親しまれている。
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《 【朗文堂ブックコスミイク】 『わたくしは日本国憲法です。』 を <朝日新聞>東京版 ・ 山梨版が連続紹介 》
弥生三月は、いわゆる年度末でもあった。 ひとつの区切り目としてなにかとあわただしくなるときでもある。
2015年03月03日、『 朝日新聞 』 朝刊 第29面(東京)に 『 わたくしは日本国憲法です。』 が紹介された。 引きつづき、
2015年03月11日、『 朝日新聞 』 朝刊 第29面(山梨)に 『 わたくしは日本国憲法です。』 が紹介された。
< 憲法 > の周辺に暗雲がみられるこの頃である。 ご愛読をお待ちしたい。
【 関連URL : 『 朝日新聞 』 朝刊 第29面(東京)

顔写真鈴木篤氏 小

プリント わたくしは日本国憲法です。

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著   者 : 鈴 木  篤  すずき あつし
発   行 : 2014年07月26日 
定   価 : 本体 1,200 円+税(四六判 ソフトカバー 190 ページ)
      ISBN978-4-947613-90-5 C0036
おちかくの有力書店、オンライン ・ ブックショップでお求めください。
直送は送料別途請求にてたまわります。
朗文堂 営業部 : 160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9
            Telephone 03-3352-5070
             Facsimile   03-3352-5160
                              http: //www.ops.dti.ne.jp/~robundo
             E-mail :  robundo@ops.dti.ne.jp

【 新刊案内 : ブックコスミイク 私は日本国憲法です。
【 関連情報 : ブログロール 弁護士 鈴木 篤 のつれづれ語り

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《 03月14日[土] 【朗文堂ブックコスミイク】   出版記念講演会 髙野 彰 『洋書の話』を語る を開催 》

講演会web

【 出版記念講演会 】
髙 野 彰 『 洋書の話 』 を語る
◯ 日   時  :  2015年03月14日[土] 14:00 - 16:00
◯ 会   場  :  東洋美術学校 D 棟 学生ホール
◯ 主   催  : 朗 文 堂
◯ 後   援  : 学校法人 専門学校 東洋美術学校 産学連携事務局
P1160931P1160924P1160929[ 会場写真提供 : 中村将大さん ]

カバー表1

洋 書 の 話

◯ 著  者 : 髙  野   彰
◯ 発行日 : 2014年11月13日(初刷り)
◯ 発  行 : 朗  文  堂
◯ 定   価 : 本体3,700円+税

2015年02月12日より 第二刷り発行
A5判 並製本 ジャケット付 263 ページ
ISBN978-4-947613-91-2

【 リンク : [朗文堂ブックコスミイク 新刊紹介] 洋 書 の 話  髙 野 彰 著

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《03月17日[火] 新宿私塾第25期修了》

私塾25期修了

2014年09月30日[火]  新宿私塾入塾式の記録 新宿私塾第25期終了2015年03月17日[火] 新宿私塾修了式の記録

新宿私塾では、タイポグラフィにおける 「 知 ・ 技 ・ 美 」 のみっつの領域で、バランスのよい学習をモットーとしている。 それはまた 「 知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず 」 という、つよい自戒をともなうこととなる。
新宿私塾第25期は、爽秋の2014年09月30日にスタートし、ほぼ正月休みもなく開講され、早春の2015年03月17日に修了した。

開塾から半年後、修了式当日の、自信にあふれた塾生の皆さんの、お顔と、お姿を紹介した。
出会いはうれしく、別れはさびしいものである。 それでも皆さんは多くの収穫をもって新宿私塾を修了され、造形界の前衛としておおきく羽ばたき、旅だっていった。
新宿私塾は、タイポグラフィの前衛としての連帯感をもって、修了生の皆さんをいつでもあたたかく迎え、活躍のようすを見守り続けている。

DSCN8566額 田 王  ぬかたのおおきみ
冬ごもり 春さり來れば 鳴かざりし 鳥も來鳴きぬ 咲かざりし . . . . . .

私塾26期募集終了今回は一般公募は実施いたしません。 ご了承ください。

【 リンク : [新宿私塾] 新宿私塾第25期 全課程を修了いたしました

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《 03月18日[水] ちいさな勉強会-再発足 》

かつて朗文堂には<ちいさな勉強会>があり、そこから誕生した図書や研究がたくさんあった。  今回誕生した<ちいさな勉強会>も以前と同様に、規模の大小や、動員人数の多寡を問わずに、自然に、自発的に発生した勉強会である。 詳細報告はいずれ。 

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《 03月19日[木] [活版カレッジ] 冬期昼間部講座 全課程を修了 》

活版カレッジ < 活版カレッジ 冬期講座 > は、2015年01月08日から開始され、03ヶ月間、全09回の講座がつづき、03月19日に修了した。
ここのところ、< 新宿私塾 > の修了生が < 活版カレッジ > へ、その逆に、< 活版カレッジ > の修了生が < 新宿私塾 > へと、両講座の交流もめだってきている。
DSCN7934DSCN7516 <活版カレッジ>は、朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部の直接指導により、本格的な活字版印刷術の知 ・ 技 ・ 美 の 三領域を バランス良く学ぶ場である。
今回の 「 2015年冬期講座受講者 」 の皆さんは、お若いかたばかり、男性女性各二名、愛知県からご参加の受講生もいた。 三月間とはいえ少人数かつ濃密な内容なので、最終日の03月19日は、さすがに皆さん別れがたいおもいがあって、ちいさな懇親会 兼 お別れ会を開催されていた。

DSCN8566額 田 王    ぬかたのおおきみ 
あかねさす  紫野行き  標野行き  野守はみずや  君が袖振る

それでも 《 活版カレッジ 》 修了生は、ほぼ毎月 < 活版カレッジ アッパークラス > が開催されているし、さまざまなイベントでの再会や、もはや伝説と化しつつある < お餅と餃子の忘年会 > はますます盛況である。これからも、しばしばお会いできることになる。
<活版カレッジ>春期夜間講座は一般公募を経ずに、事前予約者をもって、まもなく、2015年04月09日[木]から開始される。

【 リンク: [活版カレッジ] 冬期昼間部講座 全課程を修了しました

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《 03月21日[土] MATSYA GINZA  ターシャ ・ テューダー展、新宿中村屋 中村屋サロン美術館 》

< ターシャ ・ テューダー展 > の図録を製作された レッツ ・ ラーン ・ スタジオ/出原 速夫さんのご紹介で、銀座松屋にでかけた。  会場は女性客でぎっしり満員の大混雑。
人混みの苦手なやつがれ、参観はほどほどに、エレベータホール前に避難して、同行したノー学部の参観終了を待つ。 ほかにもご同類とおもえるオヤジが数人いた。  たまたま視線が合って、お互い苦笑い。

銀座は苦手なので、地下鉄で新宿に移動。 新宿中村屋のサロン美術館を訪問。 ちいさいながらも充実した作品で堪能した。 報告が遅れている<碌山美術館>ともども近日中に紹介したい。
ひさしぶりの充電の一日ではあったが、どうやらこのとき風邪をひいたようで、いまもって鼻がグズグズしているし、ときおり喘息の発作にみまわれ、結構ひどいことになっている。 それでもタバコをやめないので、たれにも同情してもらえない。 まぁそれでもいいけどネ。

20150312144204579_0002ガーデニング ・ 絵本 ・ ドールハウス  愛する暮らし
生誕100年 

ターシャ・テューダー展

◯ 会  場 : 松屋ギンザ 8 階イベントスクエア
◯ 日  時 : 2015年3月18日[水]-2015年4月6日[月]
<最終日は17:00閉場 ※入場は閉場の30分前まで>
◯ 入場料 : 一般 1,000円
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アメリカ ・ バーモント州の山奥で、ガーデニングを楽しみ、92歳で亡くなるまで創作活動を続けた 絵本作家 ターシャ ・ テューダー ( 1915年-2008年 )。
子育てを終えたターシャは、大好きだったコーギ犬やペットのチャボと共に、鶏や山羊を飼い、毎日の生活のほとんどを手作りするライフスタイルを続けました。 その合間に絵を描き続け、70年間に発表した絵本は約100点にのぼります。
 [ 会員の レッツ ・ ラーン ・ スタジオ/出原 速夫さんからのご紹介です ]

【 リンク : [会員からの情報] ターシャ ・ テューダー展 MATSUYA GINZA 】

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《 03月23日 タイポグラフィブルグロール花筏、活版 à la carte に ふたつの桜餅を紹介 》

この記事は愛読者に楽しんでいただけたようである。 閲覧カウンターが伸びている。
桜餅にこんなふたつの分布があったことには、やつがれもおどろいた。 2つの櫻餅〈 花の春を待つこころ ―― 梅だより、櫻前線 〉

ことしの冬はことのほか寒かった。 また、おおきな事件や暗い話題も多く、世相はおもくよどみ、みんながコートの襟を立て、背中をまるめて黙黙とあるいていた。
だからこそ、太宰府からつたえられる梅だよりにこころをなぐさめられ、いまは櫻前線の北上を待ち望んでいる。

こんなときのお茶うけにぴったりなのが < 桜餅 > である。
ところがこの < 桜餅 > はチト厄介な呼称であることに気づかされた。 つまり 地方 ・ 地域 ・ 出身地によって < 桜餅 > の素材と形態と呼び名までがおおきく異なるのである。
みそ ・ 醤油をふくめ、食品全般にわたって地域性がある。 それらはおおむね、関東風 ・ 関西風などに大別できるが、< 桜餅 > のばあいは、まだらというか、アメーバー状にふたつの < 桜餅 > が分布しているのが特徴である。

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 【 正岡子規 】  花の香を  若葉にこめて  かぐはしき  桜の餅 モチヒ  家づとにせよ

【 リンク : よき日がいつも-日日之好日*04 ふたつの桜餅

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《 03月27-28日 [アダナ ・ プレス倶楽部]  第18回 活版ルネサンスフェアを開催  》
好天にめぐまれ、多くの来場者をお迎えした。活版ルネサンスの確かな手応えを感得した二日間でもあった。
活版印刷実践者は堅実に増加をつづけている。 したがって活版印刷関連の機材や資材を切れ目無く供給できるように、今後とも努力をつづけてまいりたい。

活版ルネサンスWeb

*   *   *
と き * 2015年03月27日[金]  28日[土] 13 : 30 ― 19 : 00
ところ * 朗 文 堂 4F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9  中江ビル 4 F
Telephone  : 03-3352-5070
[ 来場ご案内マップ ]
*   *   *
 春うらら、梅たよりもチラホラきかれる良い時候になりました。
いよいよ創作の春がはじまりました。 皆さまお元気にてご活躍のことと存じます。
《 活版ルネサンスフェア 》 は、通常 春と秋の 2 回にわたって開催され
アダナ ・ プレス倶楽部会員、活版造形者、活版ファンの皆さまを対象に
活版印刷関連の新製機器と、資材、そして一部は中古品の
活版関連機材 ・ 資材の 展示即売会 です。
手狭な会場ながら、 貴重アイテム、 マニアックな商品が溢れています!
春の創作シーズンに、このチャンスをぜひともお役立てください。
DSCN8591DSCN8593DSCN8584DSCN8601DSCN8602【リンク:第18回 活版ルネサンスフェア開催! 終了しました

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《 03月31日[火]、2015年度、平成26年度
の終了。みそか。あすからは卯月四月がはじまる 》
今週だけは < 新宿私塾 > < 活版カレッジ > も開講されない、しずかな週である。
さようなら、またお会いしましょう……、を繰りかえした三月でもあった。 集うては散じ、別れがあっても、また出会うことで活力が生じる。 そんな三月の日日であった。
DSCN8617 DSCN8614 DSCN8609 DSCN8608 DSCN8618 DSCN8619 DSCN8621きょうで弥生三月は終わる。 あすからは卯月四月である。
新宿御苑が櫻の名所になって人混みがひどい。 櫻はあわただしく咲き、ひと雨で散り敷く。だから はかなさ の象徴でもある。
入苑券売り場が長蛇の列をなしているので、脇の遊歩道で花の散策をしてきた。 写真は、櫻、ミモザ、山吹、三椏ミツマタである。
卯月四月、春のいぶきに背をおされ、あたらしい道を歩みだすときでもある。

聚珍倣宋版と倣宋体-04 宋朝体活字の源流:四川宋朝体龍爪 と 龍爪槐をめぐって

摠

DSCN7902 DSCN7891 DSCN7899 DSCN7898《 北京清華大学にて 龍爪槐 と であった 》
2015年01月11日[日]の午後に、中国北京の清華大学にいった。
キャンパス巡りの中途で、奇妙な枝ぶりの樹木をみつけた。 同大 美術学院 副教授/原 博先生、書きしるしていわく、
「 その樹は、龍の爪のエンジュで、中国ではこう書きます 」。

―― < 龍爪槐 > !

ここから、頭がいっぱいになって、ただでさえおそい歩みが、凍りついたようにこわばり、すべてが疲労となっておそってきた。
ふるく、中国周王朝 ( 前1100ころ-前256 ) の時代、三公の位をあらわす高貴な樹木とされたのが < 槐  カイ ・ えんじゅ> である。
その槐の一種の < 龍爪槐 > は、冬枯れのころに剪定され、まさに龍の爪のような奇観を呈する。
【 関連URL : アダナ ・ プレス倶楽部ニュース / [会員情報] 中国清華大学 美術学院/原 博先生 陳 輝先生とお会いしました 】

「 木をみて、森をみず 」 なる格言がある。 やつがれのばあい、まことにもって恥ずかしながら、「 木をみて、木をみず 」 であった。
これまでの訪中で、西安 ・ 洛陽 ・ 南京 ・ 鄭州などで、間違いなく < 槐 > をみては
いた。
それよりなにより、北京の紫禁城 ( 現故宮博物院 ) のあちこちに < 龍爪槐 > が植えられており、紫禁城の北、景山公園は < 龍爪槐 > の名所だとされていることをつい最近知った。
すなわちやつがれは、あちこちで < 龍爪槐 > の垂れさがった枝ぶりや、蝶のように可憐な花を、間違いなく目にはしていたが、みてはいなかったということになる。

natu 龍爪槐 中国百度百科/枝のたれた夏の龍爪槐 葉の生いしげった龍爪槐 龍爪槐の花シンシンと冷えこむ北京の冬の夕刻に<龍爪槐>を知ったため、葉の生いしげる姿や、蝶のように可憐な花も撮影していなかった。 そのため上掲三点の写真は 中国版百度百科 からのものであることをお断りしたい。 【 百度百科 : 龍爪槐ウェブ  龍爪槐画像集

またわが国の代々木公園にも龍爪槐があり、あちこちで栽培もされているようである。
代々木公園のものは、1984年(昭和59)、東京都と北京市との友好都市05周年を記念して、北京市から寄贈されたものだという。 わが国では、枝が湾曲して垂れさがるようすから、「 しだれえんじゅ 」 とも呼ばれている 【 花紀行・花おりおり 】。

また、わが国ではほどんど研究の手がおよんでいないが、近代印刷史研究に欠くべからざる重要な場所が、 中国浙江省寧波の < 槐路 > にあり、その通りをめざして車を走らせたこともあった。
それなのに、この < 龍爪槐 > なる樹木のなまえを知らず、また冬枯れの寒風のもと、剪定されたこの怪奇な樹木の姿を(みて)みなかったばかりに、無知をさらした。  無残なものであり、ここに不明をお詫びしたい。

【 関連情報 : はじめての京劇鑑賞*そのⅢ-A 老北京 中国印刷博物館と紫金城を展望する 2014年02月24日

DSCN7870 DSCN7880北京清華大学のあちこちに植栽されていた<龍爪槐>。 花をつけ、実もおちてから、このような枝ぶりに剪定されている。  こうするとかえって翌春の枝ぶりがよくなるという。 DSCN7897 DSCN7895《 槐 えんじゅ/カイ を知るために 》
えんじゅ 【 槐 】 ヱンジュ ―― 広辞苑
( ヱニスの転 ) マメ科の落葉高木。 中国原産。 幹の高さ約10-15メートル。 樹皮は淡黒褐色で割れ目がある。 夏に黄白色の蝶型の花をつけ、のち連珠状の莢サヤを生じる。 街路樹に植え、材は建築 ・ 器具用。 花の黄色色素はルチンで高血圧の薬。 また乾燥して止血薬とし、果実は痔薬。 黄藤。 槐樹。 季語は夏。

【 槐 】 ―― 漢字源
① 省略 ( 広辞苑とほぼおなじ )
② { 名 } 三公。 また三公の位。 周代に朝廷の庭に三本の槐エンジュを植え、三公がそれに向かってすわったという故事にもとづく。
<熟語>
【 槐安夢 】 カイアンノユメ   唐の李公佐の小説 『 南柯記 』 にある。酔夢のひとつ。
【 槐位 】 カイイ 三公の位。 『 槐座 カイザ ・ 槐鉉 カイゲン ・ 槐鼎 カイテイ 』。 朝廷の庭に三本の槐エンジュを植え、三公がそれに向かってすわったという故事や、鼎カナエの三本足や、鉉ゲン(鼎の耳の金具)を三公にたとえたことから。
【 槐棘 】カイキョク  槐の木とイバラの木。 三公九卿をさす。
【 槐市 】 カイシ   漢代の長安の東方にあった市場の名。 槐を植え各地の産物 ・ 書籍 ・ 楽器を売買し、学問も論じたので、のち、大学の別名となった。
【 槐宸 】 カイシン  天子の宮殿
【 槐門 】 カイモン  三公 ・ 大臣の家柄

《 四川宋朝体 龍爪 と名づけられた 顔 真卿書風とは 》
いつも混乱がみられるので、まず<顔氏世系表>から世代を追って顔氏一族を紹介しよう。

【 顔 之推 がん しすい 】
531年-?  南北朝時代の学者。 山東省臨沂リンギのひと。 あざなは介。 南朝の梁、北朝の北斉・北周につかえ、さらに隋につかえた。 著書に 『 顔氏家訓 』 がある。
『 顔氏家訓 』 は七巻からなり、隋の601-04ころ成立した。 著者みずからの体験を基礎とした処世訓の書。 乱世を生き抜いてきた著者の経験 ・ 見解が広汎かつ具体的に述べられているので、当時の貴族の生活 ・ 社会の状況をうかがう貴重な史料とされる。

【顔 師古 がん しこ】
581-645年。 中国唐代の学者。 万年(陝西省西安市)のひと。 顔之推の孫で、唐二代皇帝太宗 ・ 李世民の近臣。 訓詁の学にすぐれ、『 漢書 』 の注釈を書いた。
太宗皇帝 [ 唐朝第二代皇帝、李 世明、在位626-649 ] 自身も能書家であり、儒教の国定教科書として 『 五経正義  ゴキョウ-セイギ』 を近臣に編集させた。 そこで使用する書体として、編集協力者の顔 師古による正体(正書・楷書)、すなわち 「 顔氏字様 」 をもちいた。

【 顔 元孫 がん げんそん 】
?-714年。万年 ( 陝西省西安市 ) のひと。 あざなは聿修。 進士となり唐の高宗から玄宗の時代に活躍した。 顔杲卿の父親。 祖父・顔師古の「 顔氏字様 」 を整理して、、『 干禄字書 カンロク-ジショ 』 にもちいた。 この顔 元孫は、顔 真卿の伯父にあたる。

【 顔 杲卿 がん こうけい 】
602-756年。 唐代玄宗につかえた忠臣。 山東省臨沂リンギのひと。  常山の太守であったので、顔 常山ともされる。 唐の玄宗の末年(755-63)におこった安禄山父子、史思明父子の叛乱 「 安史の乱 」 で捕らえられ、安禄山をののしって殺された。 子の泉名と季明も殺された。
この従兄弟父子の死、とりわけ姪の李明の死を悼んで顔 真卿によって行草書で書かれた、追悼文の草稿ともいえる、稿本 『 祭姪文稿 サイテツ-ブンコウ 』 は、自筆本が台湾 ・ 故宮博物院に現存する。

【 顔 真卿 がん しんけい 】
709年-85。 唐代玄宗の忠臣。 万年 ( 陝西省西安市 ) のひと。 あざなは清臣、諡は文忠、顔魯公とも呼ばれる。 「 安史の乱 」 に際し、平原太守として武功があった。 徳宗のとき叛乱をおこした李 希烈の説得にあたったが殺された。 書芸の評価はきわめてたかい。
四川宋朝体顔 真卿 (ガン-シンケイ  709-85) の生誕から1300年余が経過した。
この顔 真卿生誕1300年祭を契機として、顔 真卿の業績の再評価がなされ、いまなお中国各地では顔 真卿がおおきな話題となり、顔 真卿関連の書芸展が盛んに開催され、関連図書の刊行もさかんである。

顔 真卿生誕1300年(2009年イベント開始)を期し、早朝から賑わう西安碑林博物館

2011年09月、中国陝西省西安をおとずれた。
顔 真卿関連の石碑が集中する 「 西安碑林博物館 」 の 第3-4室 は、日中は中国人をはじめ、各国からの団体客が押しよせ、あまりの混雑で、ほとんど碑面の閲覧もできないほどの状態だった。
たまたまホテルが至近の場所にあったのを幸い、翌早朝に再度参観に訪れた。
このときもまだ、ご覧のように顔真卿生誕1300年記念の赤い垂れ幕が掲出されていた。
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robundo type cosmique には、この顔真卿書風に淵源をみる、四川刊本書体  『 四川宋朝体 龍爪 Combination 3 』 がある。
わが国では、顔真卿生誕1300年祭のことは、書法界の一部で話題になったものの、ひろくはあまり関心がもたれなかったようである。
そこであらためて、唐王朝中期の、忠義の志をもった政府高官にして、文武のひとでもあった顔真卿を紹介し、あわせてデジタル ・ タイプ 『 四川 シセン 宋朝体龍爪 リュウソウ Combination 3 』 を紹介するとともに、この書体をもちいた名刺製作の実例をご紹介したい。

伝 顔 真卿の肖像画 中国版Websiteより 

《 顔 真卿書風を継承する、四川刊本と、四川宋朝体字様のふるさと 》
中国の西南部 ・ 四川省は、ふるくは蜀ショクとよばれていた。
蜀は唐王朝末期の板目木版による複製法、刊本印刷術の発祥地のひとつで、その刊本字様 ( 書風 ) は顔 真卿書法の系譜をひくものとされている。

また四川刊本は 「 蜀大字本 」 とも呼ばれ、
「 字大如銭、墨黒似漆 ―― 字は古銭のように大きく、字の墨の色は黒漆のように濃い 」
として高い評価がされている。
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強勢王朝として威をほこった唐王朝(20代、618-907)ののち、五代十国の混乱期をへて建朝された、宋 ( 北宋、960-1127 ) の時代にも、唐王朝官刊本の伝統的な体裁を四川刊本は継承していた。
また女真族の金国との争乱に敗れ、都を開封 ( 中国河南省の都市。黄河の南方平野に現存。 Kaifeng,  東京 ・ 汴ベン京とも ) から、臨安 ( 現浙江省  杭州 Hangzhou ) に移して建朝された南宋 ( 1129-1279 ) での刊刻事業の継続と、覆刻 ( かぶせぼり ) のための原本の供給に、四川刊本は大きな貢献をはたした。

ところが、こうした四川刊本も、相次いだ戦乱と、くり返しおこなわれた<文字獄>などの文書弾圧のなかに没して 、『 周礼 シュライ 』 『 新刊唐昌黎先生論語筆十巻 』 『 蘇文忠公奏議 』 など、きわめて少数の書物しかのこっていない。
そのような四川刊本の代表作が、わが国に現存する 『 周礼 』 ( 静嘉堂文庫所蔵 ) である。 

『周礼 シュライ』(巻第9より巻首部、静嘉堂文庫所蔵、重要文化財)

『 周礼 シュライ 』 は 『 儀礼 ギライ 』 『 礼記 ライキ 』 とともに中国の 「 三礼 サンライ 」 のひとつで、周代 ( 中国古代王朝のひとつ。 姓は姫。 37代。 前1100ころ-前256 ) の官制をしるした書。
『 周礼 』 は周 公旦 ( シュウコウ-タン、兄の武王をたすけて 商(殷)の 紂王 チュウオウ を滅ぼした。
周の武王の没後、甥の成王、その子康王を補佐して文武の業績を修めた。 周代の礼樂制度の多くはその手になるとされる ) の作と伝えるが、 『 周礼 』 の著者とその成立年度には議論もある。

『 周礼 』 は秦の焚書で滅したとされたが、漢の武帝のとき李氏が 「 周官 」 を得て、河間の献王に献上し、さらに朝廷に奉じられたものが伝承される。

本来 『 周礼 』 は 「 天官 ・ 地官 ・ 春官 ・ 夏官 ・ 秋官 ・ 冬官 」の六編からなるが、「 冬官一編 」 を欠いていたので 「 考工記 」 をもって 「 冬官 」 にかえている。
静嘉堂文庫所蔵書は 巻第九、巻第十だけの残巻ではあるが、南宋 ・ 孝宗 (127-200) のころの 「 蜀大字本 」 とされ、同種の本はほかには知られていない。
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《 顔氏書風にみる、龍爪と蚕頭燕尾 》
 『 四川 シセン 宋朝体龍爪 リュウソウ Combination 3 』 は、林 昆範 ・ 今田欣一 ・ 片塩二朗の三名で構成された、ちいさな研究会 「 グループ 昴 スバル 」 の研鑽のなかで、主要なテーマとなったもので、『 周礼 』 を、なんども調査し、臨書し、試作をかさねるなかから誕生したデジタル ・ タイプである。

『 周礼 シュライ 』 の力強い字様には、横画の収筆や曲折に 「 龍爪  リュウソウ 」 とされる、鋭角な龍の爪ツメにも似た特徴が強調されている。 これは起筆にもあてはまり、またどっしりとした収筆も印象的である。
縦画の起筆にみられる 蚕頭 サントウの筆法は 『 周礼 』 においてはさらに強靱になり、龍爪に相対している。

このような顔真卿に特徴的な書法は 「 蚕頭燕尾 サントウ-エンビ── 起筆が丸く蚕の頭のようで、右払いの収筆が燕の尾のように二つに分かれているところからそう呼ばれている 」 とされ、また 「 顔法 」 とも呼ばれて、唐代初期の様式化された楷書に、あたらしい地平を開いた。

この顔真卿の書風が四川刊本字様の手本となり、おおらかで力強く、独自性のある刊本字様へと変化したといえよう。 これはまた、工芸の文字としての整理がすすんだことをあらわし、唐代中期の顔真卿の筆法の特徴を十二分に引き継いでいるともいえる。

 『 四川 シセン 宋朝体 龍爪 リュウソウ  Combination 3 』 は、このような顔真卿書風と、四川刊本字様を継承した、あたらしいデジタル ・ タイプとして誕生した。
このように顔氏一族に伝承されてきた 「 顔氏字様 」 と、顔家伝来のその書風をさらにたかめた顔真卿の書風を、『 中国の古典書物 』 ( 林昆範、朗文堂、2002年03月25日 p.97 ) では以下のように紹介している。

唐の時代には写本とともに、書法芸術が盛んになって、楷書の形態も定着した。 その主要な原因のひとつとしては、太宗皇帝 [ 唐朝第2代皇帝、李 世明、在位626-649 ] 自身が能書家であり、儒教の国定教科書として『五経正義 ゴキョウ-セイギ』を編集させたことにある。 そこで使用する書体を、編集協力者の顔師古ガン-シコによる正体(正書・楷書)、すなわち 「 顔氏字様 」 をもちいたことが挙げられる。

「 顔氏字様 」 はのちに 顔 師古の子孫、顔 元孫 ガン-ゲンソンが整理して 『 干禄字書 カンロク-ジショ 』 にもちいられた。 この顔 元孫は、顔 真卿の伯父にあたる。
このように顔家一族から顔 真卿に伝承された 「 顔氏字様 」 は、あたかも唐王朝における国定書体といってもよい存在で、初期の刊本書体として活躍していた。 


『 多宝塔碑 』 ( 原碑は西安 碑林博物館蔵 )

拓本は東京国立博物館所蔵のもので、北宋時代の精度のたかい拓本とされている。 現在は繰りかえされた採拓による劣化と、風化がすすみ、ここまでの鮮明さで碑面をみることはできない。

顔真卿の楷書のほとんどは石碑に刻まれたもの、あるいはその拓本をみることになるが、 「 一碑一面貌 」 とされるほど、石碑ごとに表現がおおきく異なるのが顔真卿の楷書による石碑の特徴である。
『 多宝塔碑 』 は、長安の千福寺に 僧 ・ 楚金ソキン(698―759)が舎利塔を建てた経緯を勅命によってしるしたもので、もともと千福寺に建てられ、明代に西安の府学に移され、現在は西安 碑林博物館で展示されている。顔真卿44歳の書作で、後世の楷書碑の書風より穏やかな表情をみせている。 

行草書で書かれた草稿ともいえる、稿本 『 祭姪文稿 サイテツ-ブンコウ 』 などの書巻は、自筆本が台湾 ・ 故宮博物院に伝承するが、顔真卿の自筆楷書作品とされるのは、わが国の書道博物館が所蔵する、晩年(780年、建中元年)の書作 『 自書告身帖  ジショ-コクシン-ジョウ 』 だけである。

《 四川宋朝体 龍爪 をもちいて名刺を製作する 》
デジタル ・ タイプ  『 四川宋朝体 龍爪 Combination 3 』 には、和字 ( ひら仮名 ・ カタ仮名 ) として  「 もとい、さきがけ、かもめ 」 の 3 種の和字がセットされている。
原字製作者は 欣喜堂 ・ 今田欣一氏によるもので、今田氏自身がWebsite内の 「 龍爪 」 において、詳細に設計意図、背景などをしるしているので、あわせてご覧いただきたい。 

この 『 四川 宋朝体 龍爪 Combination 3 』 は、おおきく使うと、まさに 「 龍爪 」 と名づけられたように、天空たかくかけめぐる飛龍のように、勇壮な、勢いのある書体として立ちあらわれてくる。
また、板目木版による刊本字様(書体)として、ながらく書物にもちいられてきた字様のため、12pt.-18pt. といったすこし大きめな本文用書体としても、十分な汎用性をもった書体である。

このくらいのサイズだと、もはや 「 飛龍、龍の爪 」 というより、かわいらしい 「 辰の落とし子 」 のような、素直な刊本字様としての姿が立ちあらわれてくるのも面白い書体である。 それだけにつかいやすく、個人的な意見で恐縮ながら、とても好きな書体でもある。

そんなためもあって、 『 四川 シセン 宋朝体龍爪 リュウソウ Combination 3 』 の発売以来、この書体をもちいて名刺を印刷している。本心ではせめて 「 株式会社朗文堂、片塩二朗 」 だけでも、原字製作者の了承をいただいて、金属活字をつくってみたいところであるが、なかなか意のままにならないでいる。
そこで下記のようなデジタルデータを作成して、軽便なインク ・ ジェット・プリンターで 「 出力 」 していたが、どうしても滲みがひどく、また紙詰まりがしばしば発生するので、困惑していた。

朗文堂には活版印刷事業部 「アダナ ・ プレス倶楽部 」 があり、「 Adana-21J,  Salama-21A 」 という活版印刷機の設計 ・ 製造 ・ 販売もおこなっているので、それを活用しないことはありえない。
たまたまコピー機が複合機にかわり、あわせてファクシミリ番号がかわったので、下記のデジタルデータをもとに樹脂凸版を作成して、「Adana-21J」による「 カッパン印刷 ≒  レター ・ プレス 」 を実施した。


印刷にあたったのは、粘り強く金属活字鋳造法を学んでいる日吉洋人さん。残念ですが小生が印刷すると、太明朝をもちいたために、字画が混みあっている  「 新宿私塾 」 の 「 塾 」 の字と、@メールアドレスの 「 @ 」 がインキ詰まりを起こして調整に難航する。

樹脂凸版による 「 カッパン印刷 」 とはいえ、なかなかデリケートなところもある。 ところが、さすがに日吉洋人さんはそんな障壁は軽軽とこなして、アッというまに 500 枚の名刺を刷りあげていた。

「 たかが名刺、されど名刺である 」。 とりあえずは軽便なコンピューター ・ プリンターで我慢できても、次第になにか物足りなくなる。 今回は樹脂凸版による 「 カッパン印刷 」 で製作した。
しかしながら、やはり金属活字による「活字版印刷」には、いまだに小生が言語化できないままでいる 「 Something Good 」 がある。 もちろん 「 Enything Bad 」 もあるのだが……。
ですから、いつの日か 「 株式会社朗文堂、片塩二朗 」 だけでも金属活字をつくってみたい、そして胸をはってお渡しできる名刺をつくりたいというのが、目下の小生の見果てぬ夢であろうか。   

朗文堂好日録-043 ふたつの桜餅 ── 花の香を 若葉にこめて かぐはしき 桜の餅 モチヒ 家づとにせよ 子規

2つの櫻餅
《 花の春を待つこころ ―― 梅だより、櫻前線 》
ことしの冬はことのほか寒かった。 また、おおきな事件や暗い話題も多く、世相はおもくよどみ、みんながコートの襟を立て、背中をまるめて黙黙とあるいていた。
だからこそ、太宰府からつたえられる梅だよりにこころをなぐさめられ、いまは櫻前線の北上を待ち望んでいる。

こんなときのお茶うけにぴったりなのが < 桜餅 > である。
ところがこの < 桜餅 > はチト厄介な呼称であることに気づかされた。 つまり 地方 ・ 地域 ・ 出身地によって < 桜餅 > の素材と形態と呼び名までがおおきく異なるのである。
みそ ・ 醤油をふくめ、食品全般にわたって地域性がある。 それらはおおむね、関東風 ・ 関西風などに大別できるが、< 桜餅 > のばあいは、まだらというか、アメーバー状にふたつの < 桜餅 > が分布しているのが特徴である。

A型  長命寺桜餅-クレープ平型桜餅

DSCN8353江戸風桜餅、関東風桜餅ともする。 1691年 ( 元禄04 ) 江戸向島の長命寺の門番であった山本新六が、隅田川の土手の櫻の葉を塩漬けにして、餅に巻いたのがはじまりとされる。
塩漬けにしておいた櫻の葉を塩抜きし、小麦粉 ・ 白玉粉などを丸く薄くのばして熱し、さらし餡にまく。

分布/関東甲信地方、東北地方( 福島県  ・ 岩手県 ・ 青森県旧南部藩地域 ・ 秋田県 )、 宮城県 ( AB 混在地 )、静岡県 ・ 長野県 ( A 外縁部、B も混在 )、石川県金沢市 ( 局所伝授型 ・ 出雲松江藩主/松平治郷 不昧 1751-1818 が A を持ちこんだとされる )

B型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型

道明寺01上方風桜餅、関西風桜餅ともする。  A 長命寺桜餅がもととされる。 糯米モチゴメをもちい、それを石臼などで挽いてくだく 「 道明寺粉 」 をもちいる。
大阪府藤井寺市に、材料の道明寺粉の由来になったとされる 「 道明寺 」 がある。 餅には弾力と粘りがあり、食感はかわる。

塩漬けにしておいた櫻の葉を塩抜きし、道明寺粉を蒸して餅をつくり、これに餡をつめて櫻の葉につつんだ構成となる。 ちょうどおはぎにおける餡と餅が内外に逆転した形態となる。
 
分布/近畿地方、北陸地方、四国地方、九州地方、東北地方日本海側 ( 山形県庄内地方、青森県津軽地方 )、北海道 ( 北前船で伝えられた )、関東甲信地方  ( AB 共存型、この地域では A 長命寺を 「 桜餅 」 と呼び、B 道明寺は 「 道明寺 」 と呼ぶ )、秋田県 ・ 石川県金沢市 ( この地方は A 長命寺がつたわったところ )。

もちろんこうした伝統型の和菓子にあっては、菓子匠が独自の工夫をこらすし、さまざまなバリアントも誕生しているが、おおざっぱにいって、上掲のように、まだら状に、ほぼ日本全土で製造 ・ 販売されているようである。
【 参考資料 : ウィキペディア 桜餅
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《 三時のおやつに 桜餅 を食うそうとしたところ …… 》
三寒四温、寒暖あやなすころではあるが、うららかな陽光にめぐまれた日などの 「 おさんじ 」 には桜餅がちょうどよい。
朗文堂からほどちかくに新宿追分があり、そこの老舗 <追分だんご本舗 > では名物の追分団子のほかに、四季折折の和菓子を販売している。
ついでながら、<ラッタラァ~ 〽 三時のおやつは 文明堂~ ラッタラァ~ ラッタラァ~ ♫ > の CM を流していたカステラの文明堂東京本店が、かつてはおなじ町内にあり、しばしば文明堂宛の郵便物が朗文堂に誤配されていた。

< 追分だんご本舗 > の桜餅は、A型 長命寺桜餅-クレープ平型桜餅である。
ついでに観察してきたが、新宿駅前の老舗 < 新宿中村屋 > も、A型 長命寺桜餅-クレープ平型桜餅であった。

店内をみるかぎり、両店ともに B型 は影も形もなかった。
DSCN8353 追分だんご02 追分だんご01ところが、B 型 道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型の強固な地盤である、九州福岡出身の大石には、このA型 長命寺桜餅-クレープ平型桜餅では物足りないものがあったようである。
そのため、わざわざ足をのばして、伊勢丹の地下食品売り場にある < 叶 匠壽庵 >( カノウ ショウジュアン  滋賀県大津市が本拠 )で、B型 道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型も買ってきた。

大石にとっては、これが<桜餅>であり、その余のものは桜餅ではないらしい。
< 叶 匠壽庵 > のカタログをみるかぎり、同店では A 型 長命寺桜餅-クレープ平型桜餅は製造していないようであった。
道明寺01 叶01 叶02 叶03こうして小社に二種類の桜餅が揃った。 ほとんどの女性は、この二種類の桜餅の存在を知悉しているようだったが、男性、それも地方出身者となるとまるではなしはちがってくる。
たまたま数人があつまったとき、このふたつの桜餅が話題になった。
A 型  長命寺桜餅-クレープ平型桜餅
B 型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型

◎ 山本さん 50代前半。 京都出身、在京30年ほど。
B 型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型が桜餅。  A はなに? 見たことないな。
◎ 渡辺さん 40代後半。福岡出身、在京25年ほど。
B 型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型が桜餅。  B は柏餅、あれっ違うかな。
◎ 日吉さん 30代前半。 静岡県出身。
A 型  長命寺桜餅-クレープ平型桜餅が桜餅ですね。 B 型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型は <道明寺> です。
◎ 鈴木さん 50代後半。 東京出身。
A 型  長命寺桜餅-クレープ平型桜餅がもともとの桜餅。 最近はスーパーなどでは A B を一緒にパックして < 桜餅 > として売っている。 でも B は道明寺と呼んでいた。
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そしてやつがれ。静岡県出身の日吉さんと同様に、桜餅分布図では A B 混在地とされる、信州信濃、長野県の出身である。
オヤジはともかく甘いものに目がなかったので、「 おさんじ 」 にはお菓子がつきものだった。
かすかな記憶では、「 大島屋 」 の桜餅は、A 型  長命寺桜餅-クレープ平型桜餅であり、「 㐂樂堂 」 の桜餅は、B 型  道明寺桜餅-おはぎ内外逆転型だったと記憶している。

かにかくに、やつがれ、糖尿病予備軍宣告をうけている身であるというのに、A B ふたつの桜餅をおいしくいただくことになった。 いやしくも双方ともに優劣つけがたくおいしかった。
櫻咲く、本格的な春のあしおとがきこえるような今日この頃ではある。

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 【 正岡子規 】  花の香を  若葉にこめて  かぐはしき  桜の餅 モチヒ  家づとにせよ

【講演会】 治水神・禹王研究会-中国紹興の禹王陵紹介

【プリント用PDF 治水神 ・ 禹王ポスター uouposter 】
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《 中国故事 ― 善く国を治める者は、必ずまず水を治める  斉の宰相 ・ 管仲 》
どこの国でも 「 国づくり神話 」 は存在する。 中国におけるその 「 神話 」 を記録した図書として、 『 史記 』の「 夏本紀 」、『 竹書紀年 』 などがしられている。
それによれば三皇五帝の時代をへて、文明が勃興し、黄河文明 ・ 長江 ( 揚子江 ) 文明 ・ 遼河文明が誕生し、それが夏王朝、商 ( 殷 ) 王朝につらなったとされてきた。

20世紀にはいるまでは、さまざまな文物と、なによりも 「 文と字 」 で記録された 「 文書記録 」 をのこした周王朝 ( 西方に興る。 鎬京 コウケイ のち洛陽付近にみやこした。 前1100頃-前256。 37代で滅ぶ ) までの存在は知られていた。
周王朝以前の「金石文」は、かなり古くから研究が進んでいたが、甲骨文が発見 ・ 研究されるようになったのは19世紀末のことである。
それまでは、夏王朝、商 ( 殷 ) 王朝などの古代王朝は伝説とされ、ひとくくりに、夏 ・ 殷 ・ 周三代とされてきた期間もあった。

1899年、当時の清の国子監祭酒であった王 懿栄が、「竜骨」と呼ばれていた骨に、刻まれた文字を発見し、研究の先駆者となった。 その後 劉 鶚によって、1903年に甲骨文の図録 『 鉄雲蔵亀 』 が出版された。
さらに 「 甲骨四堂 」 とされる < 鼎堂 ・ 郭 沫若、彦堂 ・ 董 作賓、雪堂 ・ 羅 振玉、観堂 ・ 王 国維 >【 百度百科 : 甲骨四堂 】 らの研究によって、甲骨文の解読と商王朝の存在が知られるようになった。

さらにその後の調査 ・ 研究によって、伝説とされてきた夏王朝 【 ウィキペディア : 夏(三代) 】も、近年の考古学の実績や、年代測定法の向上などによって、実在した王朝とみなされるようになった。
夏(か。紀元前2000年頃 - 紀元前1600年頃)は、中国最古と伝承される王朝。夏后ともいう。
『 史記 』 『 竹書紀年 』 など中国の史書には、初代の禹から末代の桀まで、14世17代、471年間続いたと記録されている。 殷に滅ぼされた。
従来夏と禹王の存在は伝説とされてきたが、こうして近年の考古学の進展によって実在の可能性がたかまっている。

夏王朝の始祖とされる禹ウは、黄河の治水事業に当たり、功績をなし大いに認められた。
禹は、関所や市場にかかる諸税を免除し、地方に都市を造り、煩雑な制度を廃止して行政を簡略化した。その結果、中国の内はもとより、外からまでも朝貢を求めてくるようになったという。
さらに禹は、河水(黄河)をはじめ、さまざまな河川を整備し、周辺の土地を耕して草木を育成し、倹約政策を取り、自ら率先して行動した。
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夏王朝は黄河 ( 中国では河、河水がふつう ) 下流域南岸に存在したとみられ、その禹王をまつる 「 禹王廟 」 【 百度百科 : 禹王廟 】 は江南各地に散在するが、禹王のみささぎ ( 陵墓 ) とされるのは、浙江省紹興の会稽山の山ふところ 「 大禹陵 」 【 百度百科 : 大禹陵 】 に比定されている。

「 大禹陵 」 は会稽山の山山にいだかれ、40余の大小の堂宇があるが、中心は 「 禹陵 」、「 禹祠 」、「 禹廟 」 からなる。 域内には大小の石碑があり、それらをまとめた 「 碑亭 」 もある。
2012年07月に20年ぶりほどで 「 大禹陵 」 をおとづれた。 そのおりの写真を講演会の予習をかねて紹介したい。

【 花筏関連情報 : 朗文堂-好日録024 禹王、王羲之、魯迅、孔乙己、咸亨酒店、茴香豆、臭豆腐
【 花筏関連資料 : 朗文堂-好日録016 吃驚仰天 中国西游記Ⅱ宋版図書 復活 ・ 再生の地 杭州 ・ 紹興 】

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