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【明治産業近代化】株式会社 I H I 社内報『あい・えいち・あい』2018年2月号にて同社創始者:平野富二時代に製造された手引き式活版印刷機を紹介

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株式会社 I H I 社内報『あい・えいち・あい』2018年2月号(通巻687号)
表紙・表紙裏・本文三ページにわたって「手引き式活版印刷機」を紹介

総合重機械大手企業、株式会社 I H I(東京都江東区豊洲3-1-1 豊洲 I H I ビル  光岡次郎社長)は、同社創始者の平野富二のもうひとつの事業、「平野活版製造所 のち 東京築地活版製造所」による、活字版印刷器機製造・活字製造事業を紹介すべく、社内報『あい・えいち・あい』(B5判 中綴じ 28ページ)に表紙を含む3ページにわたる特集記事を掲載しました。

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平野 富二(ひらの とみじ)
1846年10月4日〔弘化3年8月14日〕-1892年〔明治25年〕12月3日

実業家、県立長崎製鉄所(現、三菱重工業長崎造船所の前身)最後の経営責任者、石川島平野造船所(現、株式会社IHI)創立者、東京湾汽船会社(現、東海汽船)創立委員・取締役。これに先立ち、東京築地活版製造所(1938年3月17日解散決議)を設立した。
平野富二は活版印刷普及の貢献者、民間洋式造船所の嚆矢、明治産業近代化のパイオニア。
バーナー20180326162657_00001 20180326162657_00003 20180326162657_00004HI TECHNOLOGICAL HISTORY MUSEUM

IHIものづくり館アイミューズ
開館時間 9:30-17:30    4月24日[水]リニューアルオープン
休  館  日 毎週土曜日・日曜日
        * 年末年始、ゴールデンウィーク。
        * 夏期連休(休館日の詳細については、直接お問い合わせ下さい)
入  場  料 無 料
交通のご案内
◯ 地下鉄有楽町線「豊洲」駅下車1c 出口より徒歩約5分
◯ 東京臨海新交通臨海線ゆりかもめ「豊洲」駅下車改札口より徒歩約10分
◯ 都営バス「 I H I 前」バス停下車
 [豊洲01]、[都05出入]、[業10]、[錦13]、[東15]、[東16]、[門19]系統乗車
◯ 当館専用の駐車場はありませんので、なるべく公共交通機関でのご来場をお願いします。
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〒135-8710 東京都江東区豊洲3ー1ー1 豊洲 I H I ビル内1階
TEL  03-6204-7032 FAX  03-6204-8614
http://www.ihi.co.jp/i-muse/

img 石川島資料館01 石川島資料館02石川島資料館
石川島造船所の創業から現在までと、それと深い関わりを持つ
石川島・佃島の歴史や文化などを紹介した館です。
開館時間 10:00~12:00、13:00~17:00
開  館  日 毎週水曜日・土曜日(ただし年末年始は除きます)
入  場  料 無 料
交通のご案内
◯ 地下鉄有楽町線、大江戸線「月島」駅下車6番出口より徒歩約6分
◯ 都営バス「リバーシティ21」バス停下車
  [東16]系統乗車
◯ 当館専用の駐車場はありませんので、なるべく公共交通機関でのご来場をお願いします。
〒104-0051 東京都中央区佃1-11-8 ピアウエストスクエア1階
TEL  03-5548-2571
78c9bdb7ed01487055858ec639c66de32017年11月、メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭にあたり{江戸・東京 活版さるく}が実施された。

その折り、株式会社 I H I 豊洲ビル内にある<ものづくり館 アイミューズ>を訪問した。
同館は160年以上にわたり、エンジニアリングの最先端を探求してきた I H I のチャレンジ精神の軌跡を展示する場であるが、現在はきたる4月24日[火]のリニューアルオープンを控えて改修のさなかにある。

ついで創業の地に設けられた<石川島資料館>を訪問し、平野富二と I H I の160年余の歴史を学んだ。
その詳細報告は今夏発行予定の『タイポグラフィ学会誌 11号』に発表予定である。

【関連情報:株式会社 I H I   http://www.ihi.co.jp/ 】{ 簡略情報:活版 à la carte

【公演】国立能楽堂 四月定例公演 武悪・籠太鼓+公演トピックス

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国立能楽堂
四月定例公演 武悪・籠太鼓
公演期間  2018年4月20日[金]
開演時間  午後6時30分開演(終演予定午後8時45分頃)
* 開場時間は、開演の 1 時間前の予定です。
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〔演目・主な出演者〕
狂言 武悪(ぶあく)    石田 幸雄(和泉流)
武悪 ── 府奉公な召使い・武悪を成敗せよと命じられた太郎冠者は、どうしても斬ることができず武悪を逃がします。前半の緊張から後半の喜劇へ劇的に展開する狂言です。

能  籠太鼓(ろうたいこ) 舞入 (まいいり) 田崎 隆三(宝生流)
籠太鼓──  殺人の罪を犯し逃亡した夫の身代わりとして捕らえられた妻は、牢にかけられた鼓を鳴らして夫を想います。妻のひたすらな想いが哀愁を誘う作品です。

【詳細情報: 国立能楽堂 】
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公演トピックス
【千駄ヶ谷だより】能・狂言にみる剛の者 (4月20日定例公演)
4月20日の定例公演は、狂言の中では大曲とされる「武悪」と稀曲の能「籠太鼓」をご覧いただきます。

この二作品、実は扱われる人物に「剛の者」という共通点があります。

「武悪」に登場する主人は数ある狂言のなかでも最も恐ろしい人物です。
なにしろ召使いを成敗しろと命令し、もし自分に偽りを言えば「末孫を絶やすぞ」と脅すのですから。 しかし、「武悪」のタイトルロール武悪も負けていません。そんな怖い主人に楯突いて不奉公を決め込んでいるばかりか、幽霊に化けて主人から数々の物を取り上げてしまうほどの「剛の者」です。

routaiko「籠太鼓」シテ=三川淳雄 (提供=宝生会)

一方、能「籠太鼓」の影の主人公、関の清次も「剛の者」です。
作品には登場しないため語られるだけの男、清次は口論した相手を殺害し、その咎で牢屋に入れられます。しかし、隙を見て牢を破って逃走してしまいます。
代わりに牢に入れられた清次の妻は、夫への想いから狂気となって、この牢こそが懐かしい夫よと舞を舞います。
本当に狂気となったのか、偽りの狂気なのか解釈の分かれるところですが、それを見た松浦の某は夫婦ともに助けてしまいます。
実は妻こそが清次よりもさらに「剛の者」だったということなのかもしれません。

能・狂言いずれも「剛の者」を軸にドラマチックに物語が展開する大変見応えのある作品です。
狂言ではシテの武悪、アドの主と太郎冠者、能ではシテの清次の妻、ワキの松浦の某、アイの従者それぞれが大活躍することもこの能と狂言の共通点です。
どうぞお見逃しなく!

【展示】チェコセンター「変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ─ 日本とカレル・チャペックの文学」3月7日─3月28日 終了企画 & 追加情報

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チェコセンター 東京展示室
変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ― 日本とK・チャペックの文学

会 期:2018年3月7日[水]ー3月28日[水]
    平日10:00-17:00
会場:チェコセンター東京展示室

   〒150-0012 東京都渋谷区広尾2-16-14 チェコ共和国大使館内
   TEL:03-3400-8129
企画:ブルナ・ルカーシュ(実践女子大学)
入場無料
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今年は、チェコを代表する作家カレル・チャペックの没後80年にあたります。チャペックの作品は、戦前から今日にいたるまで盛んに邦訳され、数多くの読者に親しまれてきました。
本展示では、約1世紀にもおよぶ、日本におけるチャペックの翻訳史を回顧し、チャペックの文学を日本の読者に届けた翻訳者にも光を当てます。
開催初日には飯島周氏(日本チェコ協会)、阿部賢一氏(東京大学)、竹内涼子氏(平凡社)によるオープニング記念トークも予定しています。ぜひお越しください。

【詳細情報: チェコセンター 】   情報提供:山崎洋介会員
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{追加情報}
メールレター< チェコセンター ニュース 2018年3月23日 >より転載

皇后陛下 チェコセンターのチャペック展ご鑑賞

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3月23日、チェコセンターの展示「変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ―日本とK・チャペックの文学」を皇后陛下にご鑑賞いただきました。

展示「変わらぬ原作、変わり続ける翻訳 ―日本とK・チャペックの文学」

先月、トマーシュ・ドゥプ駐日チェコ共和国大使が午餐にお招きいただいた際に、幼少期よりカレル・チャペック作品に親しまれてきた皇后陛下に当展示をご紹介し、本日お出ましいただけることとなりました。

日本でこれまで刊行された約70冊の書籍や展示パネルに加え、チャペック自身が撮影した写真を御覧いただきましたあと、トマーシュ・ドゥプ大使、チェコセンター東京 所長高嶺エヴァ、本展の企画者であるルカーシュ・ブルナ氏、『マサリクとの対話―哲人大統領の生涯と思想』などを翻訳された石川達夫氏、チェコのカレル・チャペック記念館館長クリスチナ・ヴァーニョヴァー氏とご歓談いただきました。

展示室では、幼いころにお持ちだった『世界名作選』を御覧になり「懐かしいですね」と仰ったほか、チャペックの愛犬ダーシェンカの写真に微笑まれたり、作品が出版された時代についてご質問をされたりなど、展示をお楽しみいただけたご様子でした。

私どもの展示にお越しいただきましたことを、チェコセンター一同大変光栄に思います。──────────
{新宿餘談}

ボヘミアン《ヨゼフとカレル、チャペック兄弟の住居跡》
チェコのプラハ第10区に「チャペック兄弟通り BRATŘİ ČAPKŮ」と名づけられた小高い丘への通りがある。そこの頂上部に連棟式のおおきな住宅がある。

向かって左が、画家にしてイラストレーター・執筆者の兄 : ヨゼフ・チャペックの住居で、現在は直系の子孫が居住しているという。
向かって右が、ジャーナリストにして戯曲家・作家の弟 : カレル・チャペック の住居跡である。

DSCN0025DSCN0027DSCN0005カレルの家は、現在は無住となっており、すでにプラハ第10区が買収済みだという。
ところがどちらも、いまは非公開の建物であり、庭園である。したがってカレルの庭園跡の写真は相当無理をして、ほんの一画だけを生け垣の隙間から撮影した。

20161027164925_00001[1]この兄弟がここに居住していた頃にのこした一冊の図書、世界中の園芸家に読み継がれている、原題『Zahradníkův rok 』、邦題『園芸家の一年』、『園芸家の12カ月』がある。

《ヨゼフとカレル、チャペック兄弟の墓地をたずねて》
プラハ:ヴィシェフラット民族墓地 Vyšehradský hřbitov はチェコの首都 : プラハの中央部にゆたかな緑につつまれて鎮まっている。
ここには「合同霊廟 スラヴィーン Slavín」があり、アール ・ ヌーヴォーの華といわれながら、晩年にボヘミアンとしての民族意識にめざめ、無償で描いた超大作絵画 「 スラブ叙事詩 」 をのこしたアルフォンス ・ ミュシャ(現地ではムハ)がねむり、その斜め前にはボヘミアとスラブの魂を歌曲にした作曲家 : スメタナもねむる。

DSCN6084DSCN6082DSCN6045DSCN6048そのかたわらにヨゼフとカレル、ふたりのチャペックの墓がある。
ノー学部はおもに原題『Válka s mloky』、邦題『山椒魚戦争』を好み、タバコの臭いが移るからとしてめったに見せないが、欧州各国の異なった版の図書を相当数所有している。この『山椒魚戦争』に関しては、最下部のリンク先 をご覧いただきたい。
やつがれはもっぱら、原題『Zahradníkův rok 』、邦題『園芸家の一年』、『園芸家の12カ月』の軽装図書である。またこのふたりは戯曲などを多数共同で制作し、中でも 1920 年発表の戯曲『R.U.R.』で「ロボット」ということばを生み出したことでも知られている。

兄 : ヨゼフはゲシュタポに捉えられ、強制収容所に歿したために、歿時の月日記載がないのが胸をうつ。
弟 : カレルの墓は、1938年の没年ではあるが、現代のロケットともあまり相違ない形象のロケット型の墓標である。
ふたりとも第一次世界大戦と第二次世界大戦のはざまという、過酷な時代をいき、そして誇り高きボヘミアンであった。
最後にチャペック兄弟の最後をしるした一文を、来栖 継氏の「 解 説 」 から紹介したい。
『 山椒魚戦争 』(カレル ・ チャペック作、栗栖 継訳、岩波文庫)「解説」p.453-4

〔前略〕 一九三九年三月十五日、ナチス ・ ドイツ軍はチェコに侵入し、全土を占領した。〔弟カレル〕チャペックも生きていたら、逮捕 ・ 投獄されたにちがいない。事実、ゲシュタポ(ナチス-ドイツの秘密警察)は、それからまもなく〔カレル〕チャペックの家へやって来たのだった。やはり作家で、同時に女優でもあるチャペック未亡人のオルガ ・ シャインプルゴヴーは、ゲシュタポに向かって、「残念ながらチャペックは昨年のクリスマス〔1938年12月25日歿〕に亡くなりました 」 と皮肉をこめて告げた、とのことである。
チャペックの兄のヨゼフ ・ チヤぺックも、「 独裁者の長靴 」 と題する痛烈な反戦 ・ 反ファッショの連作政治マンガを描きつづけた。そのために彼は、ゲシュタポに逮捕され、一九四五年四月、すなわちチェコスロバキア解放のわずか一ヵ月前、ドイツのベルゲン=ペルゼン強制収容所で、栄養失調のため死んだ。彼が収容所でひそかに書いた詩は、戦後『 強制収容所詩集 』という題名で出版された。〔後略〕

{参考資料:【ボヘミアン、プラハをいく】 04 パリ在住ボヘミアンの磯田俊雄さん、フランス版『山椒魚戦争』(カレル・チャペック作)と、フランソワⅠ世にちなむシャンボール城のメダルを持参して来社 | 活版 à la carte|2016年11月05日}

【公演】御園座 柿葺落四月大歌舞伎 松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚/市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎 襲名披露 4月1日初日─25日千穐楽

御園座01 御園座02御園座
柿葺落四月大歌舞伎
松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
                  襲名披露
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎
平成30年4月1日[日]初日-25日[水]千穐楽
昼の部 午前11時ゟ
夜の部 午後  4時ゟ
チケット好評販売中

【詳細: 御園座 】
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{歌舞伎座メルマガ 歌舞伎美人ーかぶきびと より}

白鸚、幸四郎が語る御園座「柿葺落四月大歌舞伎」

2018年4月1日[日]-25日[水]、御園座「柿葺落四月大歌舞伎」で襲名披露を行う、幸四郎改め二代目松本白鸚、染五郎改め十代目松本幸四郎が、襲名と新たに開場する御園座についての思いを語りました。
koraiya_misonoza1213aa本年4月、装いも新たに5年ぶりに開場する御園座。その柿葺落であり、二代目白鸚、十代目幸四郎の襲名披露ともなる「柿葺落四月大歌舞伎」は、記念の公演にふさわしいものになりました。
幕を開ける『寿曽我対面』と、切狂言の『廓文章』は、おめでたいときに上演される東西の代表的な演目。柿葺落らしい2本のほか、高麗屋ゆかりの演目が並びます。

思い出深い御園座が新たな御園座となる公演で
「祖父(七世幸四郎)の時代からお世話になっている名古屋で、私が息子とともに晴れがましい襲名披露興行を、しかも新生御園座の柿葺落で上演できますこと、まことに胸がいっぱい。いろいろな思い出がよみがえってまいります」。白鸚は子役時代、御園座の当時の常務(後の長谷川栄一会長)に、「東山動物園で弟(吉右衛門)と象に乗せていただいた」という微笑ましい話もはさみながら、「名古屋で芝居ができることがうれしい」と喜びました。

大好きな『操り三番叟』を初めて勤めたのが、御園座に初お目見得を果たした初代松本白鸚十三回忌追善公演だった幸四郎。
昨年の「錦秋名古屋 顔見世」の千穐楽で、「幕が降りても拍手が鳴りやみませんでした。名古屋の皆様にひと月温かく見守っていただいたこと、ありがたく思っておりました。次に名古屋で幕が開くときは、幸四郎として幕を開けさせていただきます。柿葺落で皆様に喜んでいただけるよう勤めたい」と、意気込みました。

代々の高麗屋が大切にしてきた『籠釣瓶』『勧進帳』
昼の部の「口上」に続く『籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)』で、幸四郎が初役の次郎左衛門、白鸚は長兵衛を勤めます。幸四郎は「治六、栄之丞では出させていただいておりますが、(次郎左衛門を加えた)三役をする人はまずいないのでは。曾祖父(父の母方、初世吉右衛門)から代々当り役としている役をもって幸四郎のお披露目をさせていただく。責任感を強く強く持って、皆様にお披露目できれば」と、表情を引き締めました。

白鸚、幸四郎が語る御園座「柿葺落四月大歌舞伎
夜の部は『梶原平三誉石切』に続き、『勧進帳』。
白鸚は11年前の最後の御園座出演と同じ弁慶で新御園座に立ちます。
「御園座さんの柿葺落で弁慶。これは命を賭けてやらなければ申し訳ない。ひと月間、死に物狂いでいたします。息子にはちょっと出しゃばった白鸚と思われるかもしれませんが、これはやらなければと思いました」。
弁慶役に初めて刻まれる白鸚の名。「父が白鸚となって1回目の弁慶で、富樫を勤めさせていただきます」と、幸四郎にとってもまた特別な富樫となりそうです。

新幸四郎が念願をかなえる清元の『廓文章』
そして『廓文章』、常磐津での上演が多い上方狂言です。
「上方の芝居は大好きで勉強させていただいていますが、これに関しては、東京式といっていいのかわかりませんが、清元のものが本当に素敵だなと。清元の伊左衛門を勤められている俳優さんは、今は澤村藤十郎のおじ様しかいらっしゃらない。憧れの気持ちが前に出すぎて、いつやれるかわからないですけどお稽古してくださいと、以前、約束をとったこともありました。それがこのようなときに勤めることができる。喜びでいっぱいです」。

白鸚、幸四郎が語る御園座「柿葺落四月大歌舞伎」
幸四郎が初役で勤める伊左衛門。十七世、十八世勘三郎のビデオを見て、
「あのように自由に、力を抜いて舞台に立って、それが芝居であるという、そういう舞台の立ち方に憧れます。そこに清元の音楽。見ていての気持ちよさと軽やかさ、本当に伊左衛門の気持ちそのもの。そういう風情のある芝居ができる役者になりたい」。
念願かなったうれしさいっぱいですが、「初役で襲名のお披露目、これ以上高いハードルはありません。高麗屋の人間である、幸四郎であることをより意識して舞台に立ちたい」と、力強く語りました。

misonoza_1213白鸚、幸四郎が語る御園座「柿葺落四月大歌舞伎」
4月の開場が待ち遠しい御園座。二代目白鸚、 十代目幸四郎がこの新しい御園座の舞台に立ちます!
「名古屋のお客様はひときわお芝居を楽しんでいらっしゃる。役者にとってこれほどうれしいことはございません。お客様に喜んでいただけることが一番」
と語った白鸚は、新しい御園座で「新しい歌舞伎の魅力が生まれますように」と願いました。

「すごく真剣に見られている視線を感じるのが名古屋のお客様」、芸どころ名古屋を意識すると言ったのは幸四郎。名古屋には昔からの踊りがそのままの形で残っているものが多いので、「その面白さを勉強し、お披露目できるようにしたい」と抱負を述べました。

【朗文堂好日録】弥生三月春をまつ ── 再録/わっせクン、才助とかわす朝の挨拶+早春賦

花筏-京都・哲学の道1【 花筏 : タイポグラフィ ・ ブログロール 花筏での花筏 2013年12月28日 】

もともと <花 筏> には、日日のよしなしごとを、気軽にしるしてきた。なかんずく、「 朗文堂好日録 」 には、もろもろのことどもを、おもいつくままにしるしてきた。
それが良かったのか 悪かったのかしらないが、おもいのほか(横暴かつわがままきわまる)固定読者がいて、すこしでもアップロード(掲載)をおこたると、「躰の具合でもわるいのか」 と心配(のフリ)をしてお便りを頂戴したり、ときには「サボるな!」 とメールで叱責されたりする。
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あちこちにしるしてきたが、ノー学部がベランダいっぱいに煉瓦を積みあげ(それ以降は放置)、さまざまな艸艸を植え、たいせつにしてきた(やつがれ)「 空中花壇 」を、マンションの補修工事のために、ロダンの椅子(100円ショップで購入のバケツを裏返したものダケド)もろとも完全に撤去されてしまった。

万事にしまりが無く、だらしないやつがれではあるが、唯一自慢できるのは、こよなく喫煙を愛するがゆえに、布団にはいっての 「 寝たばこ 」 はしないことである。
この誇るべき、うるわしき習慣は、まだ田舎の中学生のみぎり、布団をひっかぶって 「 かくれたばこ 」を吸っているうち、つい心地よくなってうたた寝をして布団を焦がしてしまい、火傷を負ったあげく、オヤジに張りとばされたことによる。
したがってそれ以来、寝室というより自宅内では喫煙はしないし、もちろん灰皿もおいていない。 ただし日中はきりなく喫煙するので、最近は威勢の良い嫌煙家の諸君・諸嬢からはきらわれる(虐められる)ことはなはだしい昨今の窮状である。DSCN7958DSCN7987DSCN7990DSCN7989DSCN7994DSCN7977というわけで、寝起きのたばこは、寒かろうが、暑かろうが、ベランダで吸う。
これがまた、ことのほか旨いのである。 思索に耽る ?!  ための 「 ロダンの椅子 」は、植木鉢を裏返したものに読了した週刊誌などを積んで復元させたが、それでも「空中庭園」はさびしかった。ようやく今春から球根が芽ばえ、花卉の花蕾もふくらみかけている昨今である。
ところで、ながらくベランダの手すりの一画を占拠している異物が<わっせクン>である。<わっせクン> はバレンタイン モトイ ハロウィンのとき、ノ ー学部がなにかのついでに100円ショップで買ってきた。

価格は安いが、ソーラーパワー(太陽電池)がどこかに内蔵されているらしく、陽射しがつよい日には「わっせ、わっせ」 と左右に躰をはげしく振動させてもう三年ほどになる。ただそれだけのものだが、目覚めの一服のさなかは、たったひとりの朋輩であり、見飽きることがない。 だからベランダにでると、まず、勝手に名づけた <わっせクン> と挨拶、顔合わせをつづけている。DSCN8651DSCN8664DSCN7994< 才助 > は、鹿児島市長田町の「五代友厚生誕地」をたずねたとき、石垣の割れ目にチンマリと張りついていたちいさな野艸を、三株、たばこの空き箱にいれて持ち帰ったものである。
かにかくに、五代友厚(1836-85 幼名:徳助、通称:才助) は、近年NHKの朝ドラに登場してだいぶ知られる存在になってきた【ウィキペディア: 五代友厚 】。鹿児島の<才助>は 、石垣の割れ目ではいかんせん気の毒な感じがしたのでわずかばかりをもちかえった。この艸に、油かすの肥料をたっぷりあたえて鉢植えにした。

残念なことに移植の直後、一株はカラスにもちさられたが、冬だというのにみるみる成長した。この艸の名前はわからなかった。 名前がないのもなにかと不便だから<才助> と名づけて成長をみまもっていたが、どうもたんなるデージーのような気がしないでもなかった。
それならそれでも良い。 やつがれ、五代才助こと、五代友厚の 稚気にみちた才覚が好きであるから……。
のちに花をつけてからわかったことである。恥ずかしながら …… 、<才助>はハルジオンとかヒメジオンとよばれるきわめて繁殖力のつよい植物で、どこの空き地にも自生している艸で、世間では雑草とよぶものであった。

それにこりず、ことしもまたノー学部はやらかしているようで、鉢植えの櫻から、冬のあいだに芽吹いた艸を「野アザミ」の一種だとおもったらしい。ここのところの陽気で芽株がふくれあがってきたが、数年前に失敗したノゲシ、それもおそらく凶悪なオニノゲシのようでもある。
いつかオニノゲシのすさまじさを紹介するときがあるかもしれない …… 。
──────────2013年清明節に咲いた菜の花。DSCN9993上掲02点の写真は、上が菜の花、下が野沢菜である。

菜の花はかつて「空中庭園」での栽培で、年末にサラマ・プレス倶楽部の忘年会に供した。「野沢菜」は、ベランダでの鉢植えで育てた。
やつがれのふるさと、信州最北部では、菜の花よりも野沢菜の開花をたのしむふうがあった。ことしは菜の花のふりをした野沢菜の開花をみるために、正月元旦に(ひまだったから)鉢いっぱいにレンゲ草とまぜまぜにして播種した。 いまはようやくフタバをつけたところである。やつがれ、雪国うまれではあるが、関東平野の乾燥した寒さをおおいに苦手とする。
春をまつこころ、切なるものがあるこのごろである。

春を待つこころ ー 早春賦の碑

早春賦20141125122934304_0002唱歌『早春賦』(そうしゅんふ)は、1913年(大正02年)に発表されたもので、吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。
この時代の唱歌によくみられるように、モーツァルト作曲の歌曲『春への憧れ』K.596 との曲想の類似性が指摘されている。この歌碑は、春の訪れがおそい、長野県安曇野市穂高の穂高川の岸辺に建っている。
その脇には、北アルプスの湧水をもちいた「わさび田」がひろがっている。
弥生三月中旬、このあたりはまだ残雪にうもれているはずである。 春をまつこころ、せつなるものがある。
[ 2014年11月23日 撮影 ]

この季節はまた「三寒四温」ともいう。ようやく春めいてきたとおもうと、また寒気がぶり返したりする。3月21日[火]は春分の日であるが、天気予報では関東地方は雨で、ところにより雪まじりとなるらしい。やれやれのきょうである。
DSCN9371DSCN9376DSCN9360DSCN9379DSCN9365DSCN9367【 YouTube : 早春賦   由紀さおり & 安田祥子 】
【 関連情報 : 早春賦の碑  ほかのブログに移動します 】〔初出:2015年02月04日〕