カテゴリー別アーカイブ: 朗文堂―好日録

朗文堂好日録039-春を待つ日日。わっせクン、才助とかわす朝の挨拶

朗文堂 タイポグラフィ ・ ブログロール 花筏 > には、さまざまなカテゴリーをもうけているが、そのひとつに、「 朗文堂好日録 」 のカテゴリーがある。 このコーナーは、いつの間にか39回の掲載をみた。

もともと <花 筏> には、日日のよしなしごとを、気軽にしるしてきた。
なかんずく、「 朗文堂好日録 」 には、もろもろのことを、おもいつくままにしるしてきた。
それが良かったのか 悪かったのかしらないが、おもいのほか ( わがままきわまる ) 固定読者がいて、すこしでも掲載をおこたると、「 躰の具合でもわるいのか 」 と心配(のフリ)をしてお便りを頂戴したり、ときには 「 サボるな!」 とメールで叱責されたりする。
花筏 京都・哲学の道【 花筏 : タイポグラフィ ・ ブログロール 花筏での花筏 2013年12月28日
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あちこちに、なんどかしるしてきたが、ノー学部がベランダいっぱいに煉瓦を積みあげ(それ以降は放置
)、さまざまな艸艸を植え、たいせつにしてきた(やつがれ) 「 空中花壇 」 を、昨年、マンションの補修工事のために、ロダンの椅子 ( 100円ショップで購入のバケツを裏返したものダケド ) もろとも、完全に撤去されてしまった。

万事にしまりが無く、だらしないやつがれではあるが、唯一自慢できるのは、こよなく喫煙を愛するがゆえに、布団にはいっての 「 寝たばこ 」 をしないことである。
この誇るべき、うるわしき習慣は、まだ田舎の中学生のみぎり、布団をひっかぶって 「 かくれたばこ 」 を吸っているうちに、ついつい心地よくなってうたた寝をし、布団を焦がし、火傷を負ったあげく、オヤジに張りとばされたことによる。
したがってそれ以来、寝室というより自宅内では喫煙はしないし、もちろん灰皿もおいていない。 ただし、ばんやむを得ず、日中はきりなく喫煙するので、最近は威勢の良い、嫌煙家の諸君 ・ 諸嬢からはきらわれることはなはだしい昨今の窮状である。

DSCN7958 DSCN7987 DSCN7990 DSCN7989 DSCN7994 DSCN7977というわけで、寝起きのたばこは、寒かろうが、暑かろうが、ベランダで吸う。
これがまた、ことのほか美味いのである。 思索に耽る ?!  ための 「 ロダンの椅子 」はまだ復元していないし、もちろん 「 空中庭園 」 は、姿、形とも無い。

それでもベランダには徐徐に植物が増えてきた。 鉢植えの、花屋で買ってきたようなものだが、この冬は 「 ナデシコ 」 の寄せ植えが色とりどりの花をつけ、目を楽しませてくれた。
昨年の11月に鹿児島で買ったイチゴ(品種はわすれた)は、寒さにふるえながらも、けなげに花をつけ、実になろうとしているようだ。

ところで、ベランダを占拠している異物が < わっせクン > である。 < わっせクン > はバレンタイン モトイ ハロウィンのときに ノ ー学部がなにかのついでに100円ショップで買ってきた。
価格は安いが、ソーラーパワー ( 太陽電池 ) がどこかに内蔵されているらしく、陽射しがつよい日には 「 わっせ、わっせ 」 と左右に躰をはげしく振動させる。
ただそれだけのものだが、目覚めの一服のさなかは、たったひとりの朋輩であり、見飽きることがない。 だからベランダにでると、まず、勝手に名づけた < わっせクン > と挨拶、顔合わせをつづけている。

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< 才助 > は、鹿児島市長田町の五代友厚生誕地をたずねたとき、石垣の割れ目にチンマリと張りついていたちいさな野艸を、三株、たばこの空き箱にいれて持ち帰ったものである。
かにかくに、五代友厚 ( 1836-85  幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) は、そのうちに各方面であらたな震撼をあたえるとおもわれるが、いまのところは静かにしておこう。 【 ウィキペディア : 五代友厚

鹿児島からもちかえったこの艸に、油かすの肥料をたっぷりあたえ、鉢植えにした。 残念なことに移植の直後に一株はカラスにもちさられたが、冬だというのにみるみる成長した。 石垣の割れ目では、いかんせん気の毒な感じがしたものだ。
この艸の名前はいまだにわからない。 名前がないのもなにかと不便だから < 才助 > と名づけて成長をみまもっているが、どうもたんなるデージーのような気がしないでもない。
それならそれでも良い。 やつがれ、五代才助こと、五代友厚の 稚気にみちた才覚が好きであるから……。
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2013年清明節に咲いた菜の花。
DSCN9993上掲02点の写真は、上が菜の花、下が野沢菜である。
菜の花はかつて 「 空中庭園 」 での栽培で、昨年年末にアダナ ・ プレス倶楽部忘年会に供した 「 野沢菜 」 は、ベランダでの鉢植えで育てた。

やつがれのふるさと、信州最北部では、菜の花よりも野沢菜の開花をたのしむふうがあった。
ことしは菜の花のふりをした野沢菜の開花をみるために、正月元旦に(ひまだったから)鉢いっぱいにレンゲ草とまぜまぜにして播種した。 いまはようやくフタバをつけたところである。
やつがれ、雪国うまれではあるが、関東平野のこの乾燥した寒さは苦手である。
春をまつこころ、切なるものがあるこのごろである。

春を待つこころ ー 早春賦の碑

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唱歌 『 早春賦 』(そうしゅんふ)は、1913年(大正02年)に発表されたもので、吉丸一昌作詞、中田章作曲の日本の唱歌。
この時代の唱歌によくみられるように、モーツァルト作曲の歌曲 『 春への憧れ 』 K.596 との曲想の類似性が指摘されている。

この歌碑は、春の訪れがおそい、長野県安曇野市穂高の穂高川の岸辺に建っている。
その脇には、北アルプスの湧水をもちいた「わさび田」がひろがっている。
如月、二月、このあたりは丈余の雪にうもれている。 春をまつこころ、せつなるものがある。
[ 2014年11月23日 撮影 ]
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【 YouTube : 早春賦   由紀さおり & 安田祥子
【 関連情報 : 早春賦の碑

朗文堂好日録038-喫煙ボヘミアン、プラハへゆく-01 プロローグ

プラハ

   01  プロローグ 

01 02 03 04プラハで市販の 長尺観光絵はがき より

やつがれは、信州信濃の山奥からでてきた暢気な次男坊カラスである。
もともとバックひとつをぶら下げ、ふらりとお江戸にでてきたから、ものごと、金銭、身分、地位にこだわりはすくない。
むしろお江戸に倦んだら、またべつのところ ― 帰郷するか、天国か地獄 -にでも、まぁどこにでも往けばよいとおもう。
往って、そこで生きる ―― 往生か。 それもいいなぁとおもう。

つまり、おおかたの長男坊のように、家や門地にとらわれ、しがらみや守るべきものがないから、ものごとに拘泥するのは好きではない。 さらなる悪癖は、世間様の常識とされるものや、きまりごとには、むしろ反発することのほうがおおい(損な性分でもある)。

それより、たれにも、なににも、縛られることなくいきていたいとおもう。 等身大の自由人としてすくっと立っていたい。 また本気で 「 やつがれは、衣食住には関心がない 」 といってあきれられることのほうが多い。
こうした阿呆な次男坊カラスのことを、長男坊、有名人好き、権威好き、上昇志向が旺盛なひとは、
「 まるでボヘミヤの住人のようだ ―― という意で―― ボヘミアン Bohemian 」
と呼んで軽視もしくは蔑視するふうがある。

ボヘミアンとはもともとボヘミア地方の住人のことで、その中心都市はチェコのプラハである。
ボヘミアン ― チェコのひとは、欧州の中心に位置しているという自負がある。 ただしその地勢的な位置関係から、避けがたく、絶えず隣国の脅威にさらされ、それと闘い、ときには流浪し、堪え忍んできたという歴史もある。

また鉄鋼業を中心に産業もさかんであり、古来地味はゆたかで、ジャガイモ、テンサイ、ホップなどの農産物がおおく、チェコのビールは格段の味わいらしい。
下戸のやつがれはつまびらかにしないが、わが国でよく語られるほど、ドイツではビールを飲まないし、むしろワイン、それも白ワインを自慢するふうがあった。
ところがプラハでは、街のいたるところにビアレストランがあって、夕まぐれから深夜にかけて、おおきなジョッキを傾ける光景をしばしばみかけた。 またガラス工芸、機械工業も盛んな地である。

すなわち 「 ボヘミアン、おおいに結構じゃないか 」 とおもい、一度はプラハにいきたかった。
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ところでノー学部。 オカルトだい好きのノー学部の本棚には、やつがれがアンタッチャブルな一隅がある。
趣向が異なるやつがれには詳しいことは不明だが、そこには不気味な書籍がずらりと並んでいることは知っていた ( のちにその多くに、ヤン ・ シュヴァンクマイエル などの、チェコとゆかりの深い資料が含まれていることを知ることになる )。

そしてはなしの端端から、ノー学部も長年チェコ行きの機会をうかがっていたことも気がついていた。
ただしやつがれが10年ほど前に からだを壊したことと、飛行場や航空機が禁煙となり、愛煙家として大陸横断の長距離フライトを敬遠したために、最近は国外旅行といえば、もっぱら近場の中国や台湾が主流となっていた。

しかし一昨年2013年の年末、ノー学部がいつものごとく、やつがれにはなんの相談もなく、唐突に、
「 来年の秋に、チェコに行くチケットを予約したからね 」

とのたまわった。
そんなわけで、2014年の晩夏に03泊04日の弾丸旅行でプラハにいった。
報告がおそくなったがここ < 花筏 > に何度かにわけて報告したい。

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プラハ到着の翌日、時差のせいもあって、早朝から起床してホテルの近くを散策した。
市民会館前の広場に面して ちいさな教会があり、その石彫の文字がおもしろかった。 聖書の一節らしかったが読めなかった。
それでも こういう素朴な教会には似合いの石刻文字であり、「ローマ大文字 I 」 が長くのばして書かれている 「イ ・ ロンガ、アイ ・ ロング 」 も印象的
だった。

協会中庭の壁面に 数枚の木製の長板があった。 わが国の 「 千社札 」 のように、ここに礼拝した記念にのこすのであろうか、金属製のプレートに名前や祈祷の句を、刻印やシルク印刷にしたプレートが、たくさん木製の板に打ちつけてあった。
この習慣は合理的で、長尺の木板がプレートでいっぱいになると、教会内部の一隅に一定期間保存されるらしい。  これならば、ところ構わず、薄汚れた 「 千社札 」 がベタベタと貼りつけられた わが国の神社仏閣よりは、よほど清潔でよい。

《 プラハは様式のまちとされる ―― ロトンダとゴシックの建築と活字書体 》

LETTERS OF LATIN ORIJIN
ローマを起源とする文字
Roman Letter   なめらかな文字 : ローマン体
Blackletter   折れた文字 : ブラックレター

◯ Blackletter  = Round Gothic,  Rotunda -ラウンド・ ゴシック、ロトンダ  since 1486
i , n , m の上部のセリフが、鋭い尖りではないが折れている。カロリング朝の小文字のようなまるみを持つ。
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◯ Blackletter  = Textur - テクストゥール since 1455
小文字のストロークがほとんど折れている。
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                     参照資料 ―― ヤン ・ チヒョルト  『 書物と活字』  ( 朗文堂、p.24)  DSCN5855 DSCN5851rotunda_01rotunda_02ロトンダ系の活字書体組版の追試(デジタルタイプ)

プラハのもっともふるい地域、ヴィシェフラド丘に現存するロトンダ様式の教会。
1100年ごろに建てられた聖マルティン教会のロトンダで、現存する建物の中ではプラハ最古の建築物とされる。 

このころの石積みは素朴で、ロマネスク様式の特徴である平天井を支えるために、石壁は粗削りで、分厚く、入り口や窓はちいさく開けられていることが特徴である。
この正面入り口は後世に改造されたとみられるが、壁と採光のための窓は創建時の素朴さをたもっていた。
この教会には、活字書体 < ロトンダ > が似合いだとおもった。 しばらくベンチや芝生に腰をおろしてながめていたが飽きなかった。
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DSCN5489 DSCN5618 DSCN5503 DSCN5513liturgisch_01 liturgisch_02テクストゥール系の活字書体組版の追試(デジタルタイプ)

プラハ観光の最大の中心地、プラハ城には、ゴシック、ロマネスク、ルネサンス、アールヌーヴォなどの様様な様式の建築物があるが、なんといっても、天を突く尖塔がシンボルのゴシック様式による 「 聖ヴィート大聖堂 」 が観光客をあつめていた。

09月なかば、この晩夏の時期は、欧州では 「 アフター ・ バカンス 」 とされる。 バカンスの期間は混雑を避けて旅行を控えていた高齢者と、バカンス期間にアルバイトをして、懐があたたかくなった若者たちが、オフシーズンで安くなったチケット利用しての旅行者が多くみられた。
この建物は F ・ キセラの設計によるもので、内側からみると、画家/アルフォンス ・ ムハ ( わが国では ムシャ ) らによるステンドグラスが美しい ( らしい。 やつがれ、混雑につかれて内部には入らなかったゆえに失敗した )。

「 聖ヴィート大聖堂 」 のファサード上部に、いわゆるブラックレターの掲示板があった。
この系統の書体は、活字界では 「 テクストゥール 」 とよばれる。 ゴシック様式の尖塔によく似た、鋭角的で、ゴツゴツとした突起の目立つ形象の活字書体である。
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明け方は閑散としていたホテル近くの市民会館広場だったが、しば
らくすると露天がたくさんでていた。チェコのものなりの豊穣さを感じさせる店がおおく、チマチマとプラスチックのケースやビニール袋などに入れず、おおきな箱にはいって、ドカンドカンと陳列され、地元客と観光客とであふれていた。

その一画に 「 鍛冶屋 」 が出店していた。 コークスが赫く燃え、鞴フイゴこそ足踏みにかえてモーターを用いていたが、ふるくからあった村の鍛冶屋のふんいきがよかったし、オヤジの頑固そうな風采も気に入った。

だいぶ長いことアホ面をさらして「 鍛冶屋 」をみていたので、脇の店舗でテヘッとした表情の「蜘蛛」の細工物を買った。 オヤジが気になったのかのぞいて、塗料がはげているから直す……、という素振りをみせたが、このテヘッとした表情には、かえって塗料がはげかかったそれがよかった。

プラハは職人と工匠のまちでもあった。
あの「千社札」のようなプレートも、こうした工匠がいてこそ製作される。 わが祖国よ、日本よ、いつのまにか、ものづくりの匠のこころと、技芸家、アルチザンの精神をうしなってはいないだろうか……。

おそい夕陽がさすころ急に冷気がしのびよせた。
広場の片隅で、珈琲をのみながらそんなおもいに沈んだ。
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朗文堂好日録ー037 なにかとあわただしい師走です。【再掲載】 ポストカード postcard と クリスマス Christmas

uparunn DSCN4450 DSCN7406 DSCN9509ひさしぶりに < 朗文堂好日録 > をばしるさむ。
世間様では 「 師走 」 とて、なにかとあわただしいきょうこのごろである。 おまけにこんなときに、身勝手にもほどがあろうかという、衆議院議員選挙までかさなってしまった。

まぁそんな世間をよそに、わが家のサラマンダー、珍獣ウーパールーパーは、初代のアルビノこそ飼育に失敗したものの、「 ウパルン 」 「 ウパラン 」 の二匹とも、アイスクリームのカップに入ってやてきたとはおもえないほど、おおきくなったし、元気いっぱいである。
ふだんは海底に潜む潜水艦さながら、水槽の下にへばりついて運動不足が心配されるが、お腹がすくと、水草も蹴倒して餌の催促である。

従順な犬や猫がかわいいのはあたりまえだが、「 火喰い蜥蜴 トカゲ」 ともされるサラマンダーを、ペットとして飼育するのには、若干の諧謔趣味が必要かもしれない。 ふつうの感覚なら不気味とされても仕方なかろう。
それでも飼育をつづけると愛着が湧くもので、短文ブログなどでは、毎日のように サラマンダー自慢 をするひともいる。

< ウチの 仔 ?  は イケメン ?  だし、日本でいちばんかわいい ?  ワ、 ネッ !   ?? >
ネッ !   といわれても、ウチの「 ウパルン 」 「 ウパラン 」 と大差なくみえるから困る。
まぁサラマンダーが かわいいものかどうかの判断は、皆さんにお任せしよう。
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adana トップページPB010728 PB010732 PB010741 PB010744

そんなわけで [ どんなわけでしょう?]、2014年04月に投入した 小型活版印刷機 Salama-21A は順調な出荷が続いている。
また朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部の <活版礼讃> のイベント、< Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO > も、「 5,000人を遙かに超え、 6,000人近いご入場者-尚古集成館の報告 」 をみて 盛況裡に終了した。
なによりもの成果は、南九州に < 活版礼讃 > のちいさな種子を
のこすことができたことである。

<新宿私塾>は第25期生の諸君が真摯な学習を続けているし、< Salama-21A  操作指導教室 > は間断なく開催されている。 新春からは < 活版カレッジ > が 久しぶりに昼間部での開催が予定されている。
< 朗文堂ブックコスミイク > は、新刊書の拡販と、既刊書のていねいな補充に気配りをしているし、来年の大型企画も始動中である。
<朗文堂タイプコスミイク> も、ことしは新書体の発表こそなかったものの、堅実な販売が持続している。
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師走に入った直後に、所用があって本郷の東大キャンパスにでかけた。 キャンパスのなかではイチョウが色づき、まちはすでにクリスマス商戦と歳末商戦にはいっていた。
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そんなわけで [ どんなわけでしょう?]、朗文堂は師走には関係なく、あわただしい日日をすごしている。
例年のことながら、年賀状の準備にもとりかかっている。
同行者がクリスマス ・ グッズを購入したので、フト ふるい記事をおもいだした。

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ふるい記事で恐縮ではあるが、本年の 「 ゴールデンウィーク 」 の無聊を慰めるためにしるした一文を再掲載したい。お役にたてば幸甚である。

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【再掲載】 ポストカード postcard と クリスマス Christmas
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 本項の初掲載は2014年05月03日であった。
テーマと問題点に進行がみられないこともあり、ここに再掲載した。

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《 黄金週間 ゴールデンウィークに入りました。 皆さまお元気ですか? 》

例年この長期休暇、ゴールデンウィークの期間中は 〈 朗文堂 〉 と 〈 アダナ ・ プレス倶楽部 〉 の WebSite は、双方ともに訪問者が減少します。
長期休暇の乏しいわが国のことですから、皆さまは、旅行に、帰省にと、楽しくゴールデンウィークをお過ごしのことと存じます。

ところでこの休暇を、かつては 「 黄金週間 」 と呼んで、その直前になると、新聞紙面などには賑やかに見出し活字の 「 黄金週間 」 の見出しが躍っていました。 それがいつの間にか 「 ゴールデンウィーク 」 に転じ、ことしの新聞の見出しには 「 GW 」 と、全角欧文 !?  で、縦組みになったタイトルが踊っていました。
このすっかりおなじみとなった 「 ゴールデンウィーク 」 を、『 広辞苑 』 にあたってみました。

【 ゴールデン-ウィーク 】  ( 和製語  golden week )  4月末から5月初めの休日の多い週。 黄金週間。

どうやら 「 ゴールデンウィーク 」 は、「 黄金週間 」 が転じたもので、いわゆる和製英語であり、英語圏での会話や表記には使わないほうが安全のようです。  なお標題語 「 ゴールデン-ウィーク 」 のダッシュは、音節 ( syllable ) をあらわすもので、ここに中黒やダッシュは不要です
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というわけで、せっかくの 「 ゴールデンウィーク 」 に、この 〈 タイポグラフィ ・ ブログロール  花筏 〉 をご訪問していただいたゲストの皆さまに、しばしばあやまって使われている英語表記をご紹介します。
ひとつは 「 郵便はがき ポストカード 」 で、ひとつは 「 クリスマス 」 です。

使用する資料は、英和辞書としてたかい評価がある 『 研究社 新英和大辞典 』 で、これは画像紹介の許可をいただいておりjます。
もうひとつは、『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 ( Oxford University Press, 1981,  p.318) です。
同書は、オックスフォード大学出版局の刊行書で、執筆者と編集者にむけて、あまりに日常化していて、ついうっかり、あぁ知らなかった、というたぐいの表記、間違えやすい英単語を中心に、簡潔に紹介したものです。

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ここには 「 post  郵便 」 から派生した英単語を列挙して、「 abbr.  省略語、短縮語 」、「 しばしばスペースを入れて二単語にされていますが、一単語ですよ 」、「 語間にハイフンを入れて表記してください 」 などと説明されています。
すなわち 『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、
「 郵便はがき ポストカードは  postcard  と一単語にしてください。 post card のように二単語では無いのでご注意を。 省略語は p.c. です 」

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いっぽう 『 研究社 新英和大辞典 』 では、とても丁寧に 「 postcard 」 を説明しています。
ここでの標題語 「 post ・ card 」 の中黒は音節 ( syllable ) をあらわすものであり、ここに中黒やダッシュやスペースは不要です。
さらに 『 研究社 新英和大辞典 』 では、「 郵便はがき (含む : 年賀はがき)」 にたいする日英の比較とともに、わざわざ強調の裏罫をもちいて、「 SYN  synonym  同義語、類義語 」 として、「 絵はがき  と はがき 」、「 postal card,  postcard 」 の使い分けと、英国と米国での相違まで説いています。

ご参考になりましたでしょうか。
この問題はわが国でもふるくから一部の識者から指摘されており、朗文堂 WebSite では 〈  タイポグラフィ実践用語集 は行 葉書・端書・はがき・ハガキ 〉 で、ずいぶん以前 ( まだ郵政省があって、専用ワープロを使っていた時代 ) から触れられています。
ところが、いまだに展覧会シーズンともなると、各種の造形者、とりわけ印刷メディアに関わることがおおい 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 の皆さまから、「 Post  Card 」 と、堂堂と二単語で印刷された 「 Postcard 」 をたくさん頂戴しております。

ふつうの生活人は、ほとんど 「官製はがき」 [このことばは、現代でも有効なのでしょうか] をもちいるので、あまりこのミスは犯さなくて済む。
この 「 印刷設計士/グラフィックデザイナー 」 が犯しがちなミスは 意外とやっかいで、1883年(明治16)ごろから < 公文書では 「 葉書 」 としている > と 『広辞苑』 は説くが、その説明文をみると、すべて 「はがき」 としています。

 いかがでしょう、  「 postcard 」 。 「 過ちて改めざるを是を過ちと謂う 」、「 過ちては改むるに憚ることなかれ 」 といいます。
この名詞語は、名にし負う天下のオックスフォード大学の 執筆者や編集者でも 「 ついうっかり 」 なのですから、なにも臆することはありません。 かくいうやつがれも、しばしばこうした誤用をおかしては反省しきりの日日であります。
そして 「 ゴールデンウィーク 」 が終わったら、「 そんなことは、昔から知ってたさ 」 、「 そんなの常識だろう 」 と、どっしり構えてください。

それでもおひとりでも、正しく 「 postcard,  Postcard 」 をもちいれば、まずは大切なクライアントに迷惑をかけることが無くなり、やがてちいさな波紋がどんどん拡大して、わが国の造形者が恥をかかなくなる日も近いことでしょう。
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《 すこし気がはやいですか。 暮れになったら X’mas はやめて、口語の Xmas も慎重に 》
いっぽう 「 クリスマス 」 は少しやっかいです。
それは某国語辞書 『 広辞苑 』 が、どこか意地になって、クリスマスの項目で 「 Christmas,  Xmas 」 を説明しているからです。

それに牽かれたのでしょうか、わが国の一部に 「 X’mas 」 と表記する向きがありますが、これは省略を重複したもので完全に間違いです。

『 THE OXFORD DICTIONARY for WRITERS AND EDITORS 』 では、「 Christmas  クリスマス 」 は執筆者や編集者にとってはあまりに平易であり、関心が乏しいようで、わずかに「 Cristmas (cap.)」 として、文頭を大文字にすること (p.70) 〈 参照/タイポグラフィ実践用語集 き行 キャピタライゼーション : capitalization 〉 として触れられています。

またギリシャ語由来の 「 Xmas 」 には、キリスト教徒の一部に抵抗を感ずる向きがあって、わたくしも20年ほど前に来社したアメリカの知人から、
「 ここに来るまでに X’mas,  X’mas Sale のディスプレイがたくさんあった。 あれはクレイジーだ。  Xmas ( エクスマス ) にも、発音からわたしには抵抗がある。 それよりどうして日本では、11月のはじめから Christmas Sale をはじめるのだ 」
と責められたことがありました。

宗教や宗派、まして発音までがからむと、わたくしの手にあまります。
まして某国語辞典の存在もあって困惑していましたが、『 研究社 新英和大辞典 』 に、わかりやすく 「 クリスマス 」 の解説がありました。 長文にわたりますので、その紹介にあたって、画像紹介の許可を研究社からいただくことができました。
そしてことしの暮れは、せめて 「 X’mas,  X’mas Sale 」 を見なくてすむように念願いたします。 そしてあくまでも口語で、文章語ではない 「 Xmas,  Xmas Sale 」 を、大量配布される広告や印刷物などへの使用に際しては、おおいに慎重でありたいものです。
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Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO-Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド !

 

天文館「ママ」のしろくまくん

本項の初出は2013年09月20日であった。 好評をいただいて閲覧カウンター数も多かったようである。
この旅の目的のひとつに、本年の <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の会場交渉があった。
<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の開催、2014年11月01-03日の開催が迫ったいま、ここに若干の補整を加えて再紹介したい。
―― 2014年10月15日
Goando-red【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

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【 緊 急 の お 知 ら せ 】

◆ 尚古集成館 館長 : 田村 省三氏による
特別講演 と ギャラリー ・ トークの 開催が決定しました !!
<尚古集成館所蔵/重要文化財 『木村嘉平活字』 と 薩摩藩集成事業について>

◯ 今回の <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> 開催にともなって、尚古集成館別館に、重要文化財「木村嘉平関係資料」が特別展示されます。
◯ 『木村嘉平活字』 研究の第一人者 : 田村省三館長に、講演とギャラリー ・ トークを担当いただきます。
◯ 11月02日[日] 14:00-17:00 仙巌園会議室
◯ またとない機会ですが、会場の都合で 限定20名様となります。
◯ 聴講料は不要ですが、仙巌園 ・ 尚古集成館の共通入場券 ¥1,000 が必要となります。
◯ 参加希望のかたは adana@robundo.com に、件名「木村嘉平活字講演会参加」で申し込みを。
◯ 申し込みは先着順で、定員になり次第締め切りとさせていただきます。
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《 いやぁ~ 南国 鹿児島での しろくま 結構なもので ごあんど ! 》

やつがれは下戸である。したがって甘党でもある。
糖尿病予備軍と医者に通告されてから及び腰になったが、ともかく甘いものには目がない。

完食寸前のアレの本物? カップアイスでは味わえない、本物のアレ。完食寸前でもう一杯食べたいおもいがある。

口惜しいことがあった。もう07年余も笑われ モトイ あざ嗤われてきた。
やつがれがお気に入りの、その 「アイス」 に囓りついていると、ノー学部が嘲笑を浮かべてボソッと口ばしる。

「 カチカチのカップ入りなんて……。 本物を知らないから、あわれなのよね~ 」
買い物は苦手だが、煙草の補給のためにときおりコンビニにいく。 帰り際にさりげなくアイスクリームのケースをのぞく。
「 アレ は本物じゃない、あわれなのだ 」
といわれたくないから、あくまでもさりげなくケースをのぞく。

人気の赤木乳業 「 ガリガリ君 」 はいつも中央部にデンと据わり、種類もまことに豊富だ。
「 ガリガリ君 」 なら、やつがれはあっさりめのソーダ味と梨味が好きだ。中央部はかき氷風で、外周部はキャンデーのようだ。
それ
でも 「 ガリガリ君 」 はあくまでも代替品であり、狙いのアレ、本命の アレ ではない。

その 「 疑似の アレ 」 は、気まぐれのように、時折コンビニのアイスケースの端のほうに、数個だけ置かれることがある。
家の近くにのコンビニは 「 ファミマ 」 が多いが、ときおりすこし遠い 「 セブン 」 に足を伸ばすのは、おなじ「 疑似の アレ 」 でも、セブンのアレのほうが、トロリと豊饒な甘さがあるからであある。 ファミマのアレは、カップの底までなめてやろうというまでの、恍惚たる至福感にいたることはない。

値段もファミマのほうは少し安いかもしれないが、あまり気にしていない。どうせ 「 アイス 」 だし、「 疑似の アレ 」 と罵られている代物だ。
しかもどこのコンビニも 「 ガリガリ君 」 の補充には熱心だが、もともと 「 疑似の アレ 」 は、専有面積が少ないし、同好の士もわずかにいるとみえて、アイスケースの手前右隅 ―― 一番目につきにくいところが定番の置き場所 ―― はポツンと空いていることが多い。

《 カゴンマ イキモンソ ! ウマカ ゴアンド ! ― 鹿児島にいきました。 悶絶する旨さでした !  》
2013年08月10日-12日、所用があって数年ぶりに鹿児島にでかけた。 主要な打ち合わせの相手が多忙ということで、こんなお盆休暇の直前での打ち合わせとなった。
旅の同行者はノー学部。

ノー学部は福岡で生まれ育ったが、父親が鹿児島大学を卒業し、母親の実家も鹿児島にあり、子供のころから長期休暇はイトコが多い鹿児島で過ごすことが多かったという。
そして父親が亡くなったいまは、母親が里の鹿児島にもどったために、ノー学部にとっては帰省の旅ともなった。やつがれは02泊03日の慌ただしい旅となる。

「むじゃき」
「むじゃき」2

「むじゃき」3 待望のしろくまくんに挑戦。

《 唖唖 遂に至福のときはいたれり。 やつがれ、鹿児島にて しろくま を食す 》
諸君 見て欲しい !
この天をもどよもす圧倒的なボリュームを、入道雲のごときふわふわ感を。なんとも圧巻ではないか !!  どうだ、これが本物の アレ、鹿児島名物 本物の「 しろくま 」 である。 

屈辱の07年余、軽蔑 ・ 侮蔑 ・ 嘲笑されながらも、ひとり黙黙と 「 コチコチで疑似のカップアイスの アレ 」 を食し、心中ひそか、せめて一度で良いから本物を食そうと、念願 祈願 切望してきた、これぞ 「 しろくま 」 の本物である !!!
鹿児島到着の夜、ホテルから近く、閉店間際に駆けこんだ、元祖 「 天文館むじゃき 鹿児島中央駅前店 」 での歓喜のひとこまである。
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コンビニのパックにはいった 「 アレ 疑似しろくま 」 しか知らなかったやつがれ、フルーツが山のように盛られ、蜜と練乳がたっぷりかけられた 本物の 「 しろくま 」 に陶然となった。
ところがやつがれ、かき氷はもちろん 「 アレ  疑似のしろくま 」 でも、食している最中にこめかみのあたりが痛くなり、最後は頭を絞りあげられるような傷みがはしる。

その怖れを抱きながら食したが、なんと本家 ・ 元祖 ・ 家元、鹿児島の 「 しろくま 」 は、1949年(昭和24) の発売開始のころから、ピュアな角氷を 「 カンナ削り製法 」 によって、ふんわりとやさしく仕上げてあるそうである。
そのせいかこのボリュームを食べても、こめかみにズキズキ感は無いし、むしろもっと食べたい気分にさせる。

「 フル-ティー & ミルキー  しろくま  ウマカ ゴアンド ―― とても美味しゅうございました 」

《 翌日は鹿児島市内を駈けまわったが、天文館の 「喫茶ママ」 で 「 しろくま 」 に再度挑戦 》

天文館「ママ」のしろくまくん

今回の鹿児島行きでは、車をふくめてすっかりノー学部の従姉 ・ ミカさんのお世話になった。
そのミカさんが繁華街/天文館の一隅、昭和のかおりがのこる喫茶店 「ママ」 に連れていってくれた。このひとは寡黙だが、薩摩おごじょであり、芯はつよいのかもしれない。
「 このママという店は、父と母が はじめてデートしたお店だそうです 」
「 やはりご両親も、初デートで しろくま をたべたのかなぁ 」
「 そこまでは聞いていませんが、それぐらいふるくからある喫茶店です 」

まつことしばし。 新種の 「 しろくま 」 登場。 昨夜よりいくらか落ちついて歓喜のときを迎えたが、「むじゃき」 とはいくぶん異なりながらも、これまた取り乱すほどの美味であった。
こちらは自家製の練乳を、これでもか、これでもかとかけて、おおきく切ったオレンジ、バナナ、スイカ、メロンがドカンと盛りつけられ、中央に餡豆が表情をつくるようにのせられている。
「フル-ティー &ミ ルキー しろくまくん ウマカ ゴアンド ―― とても美味しゅうございました 」

長島美術館から見た錦江湾と桜島。薩摩は人をもって城となす。薩摩鶴丸城は館づくりの平城であった。

鹿児島県立図書館の薩摩辞書の碑愛猫家の皆さんへのプレゼント!

シラス台地の海岸線東シナ海に没する夕陽

《 慌ただしい旅は終わった ―― 成果と宿題の多い旅となった 》
こうして久しぶりに鹿児島のタイポグラファとの再会をはたし、来年(つまりことし)の企画の打ち合わせもできた。また美術館、文学館、歴史資料館などでも打ち合わせを重ねることができた。
最終日の12日[日]は、アダナプレス倶楽部の鹿児島会員 : 陶芸家の窯と、手漉き紙工房の造形家のもとをたづねることができた。
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ことし(2013年)の夏、07月は北海道 《Viva la 活版 Viva 美唄》 にでかけ、08月はこうして鹿児島に出かけていた。
どちらも暑く、帰京してからも残暑がきびしかった。
そんなわけで暑さに負けて、すっかり脳内発酵をみて、この 《タイポグラフィ ・ ブログロール 花筏》 の更新が滞っていた。
何人かの愛読者からは 「さぼるな」 「躰の調子でも悪いのか」 と、@メールでの叱声や、お心遣いをいただいた。

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たしかにいささか夏バテ気味ではあったが、本音は夏季休暇を終えて出社したノー学部が、
「 偶然、JAL の機内誌に、作家の浅田次郎さんが 『 しろくま 』 のことを書いていました。 面白いからお土産に貰ってきました 」
と、機内誌 『 SKY WARD 』 (620号、2013年07月27日) を差しだしたことにある。
その p.119-122 にわたって、文 : 浅田次郎 、絵 : 川上和生による 「 続 ・ しろくま綺譚」 が掲載されていた。

それによると、浅田氏は 5 年前の鹿児島訪問にあたって、取材のスケジュールに追われるあまり、 「 しろくま 」 を食べる機会を逸し、それ以後 5 年にわたり 「 しろくま 」 を食すことを渇望し、ようやく仇討ちにも似た気分で 「 しろくま 」 にありついたそうである。その感動を、軽妙な筆で描写していた。

浅田次郎氏といえば、やつがれはたいていの作品を読んでいる愛読者である。このとき浅田氏は宮崎での講演会を終えて、ひとり (ひそかに) 鹿児島を訪れて 「 天文館むじゃき 」 の 「 しろくま 」 を、二杯もむさぼったらしい。以下に 『 SKY WARD 』 の一部を抜粋したい。

旅の感動を言葉で表現するのは難しい。それを百も承知で書くと、たいそうすこぶるチョーメッチャうまかった。

カキ氷でもフラッペでもない。いったいどんなカキ方をすれば氷の粒子ががこんなに細かく、ふんわりとでき上がるのであろう。テンコ盛りのトロピカルフルーツと、クラシックな自家製練乳の甘みが相俟って、そのおいしさたるや、私がしろくまを食べているのか、それともしろくまに食われているのか、わからなくなるほどであった。

『 SKY WARD 』 のエッセイは、うれしくもあり、筆力の差を見せつけられたようで疎ましくもあった。 そのためと暑さ負けとで、ついついやつがれの駄文をしるす筆がおもくなっていた。
内心ではひそかに、
「 なんだよ、浅田次郎は 5 年のお預けかよ。こちとら、カタシオ ジロウは 7 年だぞ。俺のほうがずっとながく、臥薪嘗胆、艱難辛苦、かてて加えて 屈辱に耐えてきたぞ 」
「 文章家なら、感情表現に、もそっと気配りをせい。 『 たいそう すこぶる チョーメッチャ うまかった 』 とはなんだ。 テレビのグルメ番組のタレントでも、こんな寒いセリフは云わんぞ 」
と、悔し紛れの悪態をついていた。

ところでそこから浅田氏は奇矯に奔ることになったらしい。
つまり浅田氏はひとりでの鹿児島入りであり、仇討ちにも似た 「 しろくまを食した 」 ことの立会人 (つまり証人) がいないことにハタと気づいたという。
そこで、もちいたことのない写メールを、店員に操作を教えてもらいながら、5 年前に取材 (だけに) に引きずり回した担当編集者に 「 しろくま征伐、勝利の凱歌 」 の記録として送ったとしるしている。

『 SKY WARD 』 の挿絵は情感のある良い絵だが、この機内誌の編集者は、空前絶後かもしれぬ 「 浅田次郎の写メール 」 を紹介する、千載一遇の機会を逸しているのは残念である……。
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そしてやつがれ、火を吐く山 ・ 櫻島、錦江湾の紺碧の海、半島の尖端でみた東シナ海に没する夕陽、すなわち鹿児島のエトスにこころを奪われた。
エトス Ethos はギリシア語で、エートスとも音される。ご存知の パトス Pathos 感情 ・ 激情の対語である。そのことは本欄でもしるしたことがある。

【 花筏 : 朗文堂-好日録015  五日市のランドスケープ、佐々木承周老師 2011年11月23日 】

すなわちエトスとは、やつがれにとっては情念にちかく、簡略に述べると、ひとの性格 ・ 心性であり、ある社会集団にゆきわたっている恒常的な感性 ・ 情念であり、ときとして色彩感覚や宗教観や死生観でもあろうか。

どうやらやつがれ、田舎育ちのゆえに、火の山櫻島、紺碧の錦江湾、そして南国の氷菓 「 しろくま 」 にまで、地霊 ・ 山霊 ・ 岩霊 ・ 艸霊 ・ 木霊 ・ 水霊をおぼえるのである。そのふところに身をゆだねると安堵するエトス ── 情念 ・ 性癖ないしは心性があるらしい。
こうした山川の地では、一木一艸がいとおしく、小川のせせらぎ、かすかな瀬音、どうということのない路傍の小石までがこころをなごませる。

これからしばし、エトスが存するまち、なんといっても 「 しろくま 」 が一年中食せるまち、「 鹿児島 」 に、内心ひそかに情念のほむらを燃やしながら、こだわるつもりのこの頃ではある。

【お知らせ】 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り>

『 わたくしは日本国憲法です。』 の著者 : 鈴木 篤 アツシ 弁護士がブログを開設した。

 < 弁護士 鈴木 篤のつれづれ語り >

プリント顔写真鈴木篤氏

鈴 木  篤 氏

著者 : 鈴木 篤氏、御年 6? 歳、四捨五入すれば70歳になろうかという年齢での、果敢な新デジタル・メディアへの挑戦である。
 開設は2014年08月26日[金]で、初日に一挙に三本の投稿がアップされた。
【 URL : 弁護士鈴木 篤のつれづれ語り 鈴木 篤氏08月26日 新規開設ブログ 】

08月26日[火]      ◯ はじめまして             
                                ◯ 恐ろしい世の中になったものです。
             ◯ てんやわんやの今日この頃
08月27日[水]   ◯ お知らせ
08月28日[木]   ◯ たくさんの人ありがとう   
08月29日[金]   ◯ 明日天気にな~れ
08月30日[土]              ──────
08月31日[日]      ──────
09月01日[月]   ◯ 盛況だった前田哲夫さんの講演会
09月03日[水]   ◯ 秋がすぐそこに

もともと法曹界ではワープロソフト「一太郎」のユーザーが多く、鈴木氏もその例にもれず、「一太郎」を縦横無尽、多彩に使いこなしていた。
どうやらその理由は、正確な文書作成がもとめられる法曹界にあっては、いち早く専用ワープロを導入し、それにつづいてNEC98 時代になると、文書作製ソフトとして「一太郎」の使用が盛んだったためらしい。
その分だけ、インターネット、ブログ、短文ブログなど、ソーシャルメディアへの対応には慎重だったともいえる。

また法曹界では いまもって紙メディアへの依存度がきわめてつよく、鈴木 篤著 『 わたくしは日本国憲法です。』 のフライヤー(チラシ・ビラ)を、小社では近年の傾向にあわせて1,000部を用意していたが、どんどん著者周辺で大量配布され、小社担当はフライヤーの増刷に追われるという、最近ではあまり経験しない「事件」もあった。
【 図書詳細情報 : 『 わたくしは日本国憲法です。』
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鈴木氏はやつがれのふるい友人で、信州の高校時代の同級生でもある。クラブも新聞部で一緒だったが、やつがれは旧制中学さながら、バサラ者が多かった隣の部室(ベニヤ板で仕切っただけ)の、演劇部や弁論部でとぐろを巻いていることが多く、在校時代はどちらかといえば鈴木氏の印象はうすかった。
鈴木氏はさほどガリ勉型ではなかったとおもうが、成績は優秀で、東大法学部に現役で入学して弁護士となり、「江戸川法律事務所」を開設した。

もうふるいはなしになる。
小社刊行の図書 『ESPRIT』 ( Douglas Tompkins/Esprit De Corp 編著、1989年01月28日)が好評で、欧州でも大量に販売された。その際ハンブルグのディストリビューターが、数百万円の支払いを言を左右にして遅延させて紛争になったことがあった。
その相談を鈴木氏にもちかけたところ、
「国際問題は、そっちを得意にしている別の弁護士を紹介する」
とされて、東大での同級生だという虎ノ門の弁護士事務所を紹介されたことがあった。

気取りのない「江戸川法律事務所」とちがい、重厚で重重しい(大仰な)弁護士事務所だったが、名刺交換を終えてソファに腰をおろした直後から、その事務所の所長弁護士は咳きこむようないきおいで、、
「鈴木 篤先生とは、どんなご関係でいらっしゃいますか」
「信州の高校時代の同級生です」
「ご存じないようですが、鈴木先生は東大法学部の十年に一度の逸材とされていました。もし裁判官に任官されておられたら、最高裁長官もおありだったかたです。すごいかたです」

これには面食らった。やつがれ罰当たりなことに、鈴木 篤弁護士はさして勉強もせず、「地頭 ジアタマ」の良さだけで東大に現役入学したとおもっていたし、ときにはふるい癖で「篤 → 竹+馬 → タケウマ~」とも呼んでいたから……。
虎ノ門の所長は何度も繰り返して 「 もったいない、 欲のないかたで…… 」 とのべていた。たしかに鈴木 篤弁護士には通俗的な欲はないのは確かだ。
そのはなしはあながち大仰では無いようで、同席した東大での後輩とおぼしきスタッフ弁護士は、本題はそっちのけで、ほとんど憧憬としかとれない口調と表情で鈴木氏を褒め称えていた。
ともかくおどろいたこんな経験もあった。

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鈴木 篤氏の著作はすくなくない。
◯ 『 医療事故と患者の権利 』 (エイデル出版、1988年)
◯ 「 患者の側からみた医療過誤訴訟 」 『 現代法律実務の諸問題 』 (日本弁護士連合会、1987年)
◯ 「 医療裁判を始める人の心得7ヶ条 」 『 弁護士研修講座 』 (東京弁護士会刊、1986年)
◯ 『 カルテはなにも語らない ― いのちの裁判の記録 』 (労働旬報社、1990年) ほか多数

医療問題への取り組みもながい。
◯ 1977年 医療問題弁護団結成に参画、初代事務局長(-79年)
◯ 1989年 血友病 HIV 感染被害者救済訴訟弁護団 副団長
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こうしてみると、鈴木 篤氏は正義感がつよく、いつも社会的弱者にあたたかい視線を向け、たとえ社会的弱者であっても、この国の憲法のもと、ひとりひとりの国民として、ひとしくその権利を有し、ひとしく義務を負う存在だとみなしていることがわかる。
そんな鈴木氏であるから、長年ふたことめには 「 民主主義 」 と口にして倦むことがない。

そして自民党多数体勢のもと、安倍晋三政権の、まさに暴挙としかいいようのない強引な施策の結果、憲法が危機的状況に陥っている現状に、矢も楯もたまらず、「日本国憲法」になりかわって、自分自身が読者にかたりかける図書の執筆を開始した。

それが 『 わたくしは日本国憲法です。』 として刊行されるまでの間、鈴木氏と小社の間にたくさんの電子メールが往復した。そこにはいつも、あふれるように熱い民主主義へのおもいと、憲法を損壊しようとする安倍政権へのつよい苛立ちがみられた。
それらの一部は『 わたくしは日本国憲法です。』にも収録したが、当然収録しきれないことがらも多かった。

そこで鈴木氏が年二回発行している情報誌 『 江戸川法律事務所だより 常磐木 トキワギ』 だけでなく、軽便なブログの開設を何度かすすめた。
それでも鈴木氏は多忙を理由に容易には腰をあげなかったが、「居残り会 佐平次」 こと、実兄/鈴木一彦氏のブログ 『 梟フクロウ 通信 』 のおおきな影響力などを知って、ようやくブログの開設に踏みきったようである。

【 関連情報 : 梟フクロウ通信~ホンの戯言  by saheizi-inokori  著者実兄 】
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ところで……、このところ鈴木 篤氏からの@メールに、<ブログについてご相談>という件名が増加している。

すなわち、ことの成りゆきから、やつがれが鈴木氏のブログ相談係を押しつけられている。
ブログの立ち上げ設定は江戸川法律事務所の職員が担当したが、なにしろこの年になってはじめて経験するソーシャル・メディア、職員には聞きにくいことや、深夜でも対応してくれる相手が必要だったらしい


ここで、すべての<花筏>の愛読者の皆さん、とりわけ新宿私塾の修了生の諸君、なかんずく、和泉くん、千星くん、九鬼くん、米村くん、神村くん、ここは笑うところではありません。
どうやら見えないことをいいことに、真田幸文堂と 北くんは、腹を抱え、のけぞって嗤っているではないか! 失敬千万の沙汰である。
―― まぁやつがれも、なにかおかしいなぁとおもっているから、わかるけどネ。

朗文堂のホームページ本体は、当時ジャストシステムのコンサルタントをしていた関係で、同社に強引に押しつけられて、まだ閲覧者(URL 使用者)が 1,000 人も満たないころから開設されたふる~いものである。
それを長年にわたって社員が力をあわせ、つっかい棒をあちこちに入れてサポートしてきた(そろそろ限界説も)。そこでのやつがれの役割は、プレーンなテキストを作製すれば、あとはスタッフがまとめてくれていた。

ブログロール型のものは、2009年09月真田幸文堂が開設してくれ、その後は北くんが新規開設とサポートにあたってくれた。このときから徐徐にスタッフはブログ型から手を引いたために、よんどころなく、拙いながらも自分でブログロールを作製するようになっただけのこと。
もともとやつがれは、デジカメ、ケータイを購入したものの、落下するは、紛失するはで、「使う資格無し!」とされ、ノー学部に剥奪されたままである。
本人もデジカメやケータイは躯と脳と視覚にわるいとおもっているし、さらに <歩く化石> とおもっているほどのアナログ人間でもあり、当然 IT メディアに強いなどと一回も口にしたことはない。

またまたところで……、弁護士鈴木 篤氏は最初のうちこそ、
「ダブルクリックとはなんぞや? 画像のドラッグはどうすればいいのか?」
などとやっていたが、わずか数日でブログに写真画像までアップするまでに至っている。
見ておれ、御年 68 歳(アレッ、いっちゃった)、水彩画をこよなく愛し、東大卒などとえらぶること(そんなことをしたら、すぐにこちらから黙って縁を断つのがやつがれのいきかた)のまったくない、鈴木 篤氏の老人パワー(やつがれともども、老人とはつゆおもわぬらしい)がこれから炸裂するのだ。

ともあれ、図書 『 わたくしは日本国憲法です。』 が刊行された。
嬉しいことに同書の増刷(第二刷り)がたったいま決定した。―― この国、まだまだ見捨てたものではないとおもわせた。

そして著者のブログロールも開設された。
【 URL : 弁護士鈴木 篤のつれづれ語り 鈴木 篤氏08月26日 新規開設ブログ 】
これからは本格活動のときである。

【 URL :  イベント緊急紹介  殺さないで! 生かそう 日本国憲法 『わたくしは日本国憲法です。』 出版記念の集い 】