月別アーカイブ: 2011年12月

新・文字百景*003 いろいろ困っています「片」の字

 「文と字」はおもしろい……、けれど

いろいろ困っています「片」の字で!
その実例を紹介 

《爿と片を『部首がわかる字源事典』からみたい》
新・文字百景では、「字と文」の入門編としての学習が、「爿ショウ と 片ヘン」をめぐってつづいている。
このブログロール『花筏 ハナイカダ』は、無料配信ソフトのためか、はたまた筆者の技倆不足のせいか(おそらく後者)、どうもアーカイブへの収納がうまく機能しない。そしてひと囓り
リンゴ型のパソコンでは、やたらに重く、動作がのろいし、データが壊れたりもする。読者諸賢にあっては、なにとぞご海容を。

それでも本コーナーをはじめてご覧になるかたは、ご面倒でも、アーカイブからデータを引きだして、「新・文字百景*001-002 」をひととおりご覧になってから本章をお読みいただきたい。
そうでないと、筆者が我田引水、自らの姓をもって苦情を申したてているようにとられかねない。
筆者は、大勲位・中曽根康弘氏をはじめ、曽根さん、小曽根さん、中曽根さん、大曽根さん、曽根山さん、曽根崎さん、曽根川さん、曽山さん、曽川、曽田さん、小曽田さん、中曽田さん、大曽田さんらのご一統さまにも、こころからご同
情もうしあげているのである。

  ◎新・文字百景*001  後漢のひと許愼胸像と、その編著『説文解字』を紹介し、
                   「文と字」のなり立ちを「爿・片」を通じて紹介。
  ◎新・文字百景*002  中曽根・曾根崎の「そ」は、「曾か曽か」を実例をもって検証。
                   
意外に頼りないゾ、わが国の「漢和字書」。
  ◎新・文字百景*003  いろいろ困っています「片」の字で!
                   その「片」のさまざまな実例を紹介。 

最初に掲げた図版はすべてが参考図といった位置づけで、『部首がわかる字源事典』(新井重良、木耳社)に紹介された「版築法」の図版と、『康煕字典』の「爿ショウ部の 爿」にみる、『六書略』から、
「爿は同書註詳上にみるように、ふるくは古文(中国古代の文 ≒ 中国古代の字、図版紹介)があった」
から、「爿の古文」をふたつ、それぞれあらたに書きおこして紹介した。
そして、「爿の古文」から「片の古文」を想定して描いてみた。

もとより「片」は、許愼『説文解字』でも部首としており、「片の古文」が上図ような字体であったとするものではない。どんな字書にもしるされるように、
「小篆などの木の字を半分にして、爿と片をつくった」
とする説にしたがうと、こういう字画の「片の古文」があってもよいかな、という実験である。

『部首がわかる字源事典』(新井重良、木耳社)では、中国におけるふるくからの土壁や土壇の築造法で、板で枠をつくり、その中に土を盛り、一層ずつ杵でつきかためる「版築法」を紹介し、その左側の杭と板の形象から「爿」がつくられ、右側の杭と板の形象から「片」がつくられたとする。すなわち「爿」「片」とも象形であるとする。
ここであらためて、新・文字百景*001に紹介した「木 → 爿・片」の図版を紹介しよう。
新井氏の版築法にもとづく象形という説と、許愼『説文解字』との違いが明確になりそうだ。

ところがここに掲げたふたつの図版をみただけでも、また、圧倒的に右利きのひとが多い現状に鑑みても、爿の形象は、運筆上、きわめて書きにくい形象であったことがわかる。そこであらためて下図にしめしたような「古文 爿」が別に存在していたか、あるいは(むしろ)「爿」の「文 ≒ 字」が成立したのちにつくられたとおもわれたので、片の古文も「爿」の古文から想定でつくってみた次第。
これが、なかなか好ハオ! ではないか。 

字源が木の半分とされ、どこかグラグラと安定感がなく、頼りない「爿・片」よりも、古文「爿と、想定古文 片」の造形にみる、頑固一徹、有無をいわさぬ剛健さがおもしろい。
特製デジタルタイプのデータをつくって私的な場などでつかったら……、やはり顰蹙ヒンシュクをかうだろうなぁ。

蛇  足  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

◎ 予  告  編 ◎

 臼  □(キョク,キク) 鼠  鼡     

   この「新 文字百景*003」は元旦の2時間ほど前にアップした。それにか
        ねて気になっていた上記の4字を、正月のあいだに「蛇足ながら」として追
       
記したところ、本稿のデータがすべてクラッシュして仰天。幸いHTMLデー
        ターから復元できたが、数度のトライのあいだに、どうやらクラッシュの原
   因が「□  部首:臼部、漢字音:キョク、和訓音:無し、文字コード:U+26951」
   の使用にあることが判明。

   1983年JIS漢字表の改訂にともなう混乱は、それはひどいものだった。
   この1980年代中葉の、俗に「83JIS問題」とされた大混乱をしる年齢層
   は、いつのまにか50代後半以上のかたになってしまったようだ。その混
   乱のひとつの原因が「臼部」とされたいくつかの字であった。
   ちなみに「興味」の「興」も臼部である。上図「② キョク、キク」は「古文」として
   紹介される。それを「臼の部首の字」としたためにおきた混乱であった。

   本稿では、できるだけ「文字」の使用をさけている。その理由を軽軽に記
   述することは困難であるが、「文」にはわが国の「紋、記号」に近い字義で
   もちいられることが多く、人口に膾炙したとはいえ、「文と字をあわせる →
   文字」をもちいると、ここでは混乱をまねくことが予想されるからである。
    
   
前述の□(キョク、キク  文字ソースは入っていません)は、現在では「手扁」を
   つけて
「掬う、すくう」の(中国では同音・同義の)別字、あるいは「菊 キク」
   から「艹冠」を取りさった字画である。
   すなわち、
   「手扁の無い掬」の古文「□ 部首:臼部、漢字音:キョク、和訓音:無し、文
   字コード:U+26951」を、わが国のかつての漢和辞典のほとんどが臼
   部の字としために起こった混乱でもあった。
   換言すると、「古文 爿」は無視したが、「古文 □キョク、キク」を本字扱いにし
   たことによった。そこで、問題のユニコードのキャラクターをアウトライン
   化して、おもに「臼」に関して、そして「中曽根」さんと同様の悩みをかか
   える「ネズミ」に関しても近日アップ予定! 乞う、ご期待。

   それにしてもWebsiteってユニコード・キャラクターを拒否するのかな?
   それともITオンチの筆者の技倆のせい?  冗談ではなく、正月まっ盛
   りに、いっとき、《ダズゲデグレー !!! 》状態におちいった。

   
ITにくわしいかたで、ご関心のあるかたは、□キョク、キク  文字コード:U
        +26951、□ キョク、キク  文字コー
ド:U+26951で実験し、ぜひともご
   指導願いたい。 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このような不自然な運筆をしいられることがして、常用漢字などでは「爿」の部首の形象をかえて「爿→ 丬」とした一因ともおもえるが、それでもいまなお「爿」は、部首のようなかたちでも、音符(声符)のようなかたちでも、しぶとくいきのこっていることも「新・文字百景*001」で紹介した。
しかしながら、「爿」は新部首「丬」をつくったもらえただけ幸せなのかもしれない。おかげで「武將 → 武将」として、チョイといかめしさは無くなったが、字義も字音もかわることなく、字画だけがかわっていきのこることができた。
だから篆書の「木」からつくられ、同根とされる「片」にも、新部首をつくって欲しいときがある。 

 《台湾の國字としての爿と片をみる》
わが国の文部科学省にあたる、台湾教育部が発行した『國字標準字體宋體母稿』(教育部編印、民国87年2月・1998)は、中華民国(台湾)独自の字種規定、「大五碼(BIG-5と通称)」、あるいはわが国のJIS規格文字コード表と同様に、電子機器搭載の字に関するコード表「CNS 11643」とも連関する基礎資料で、わが国における「漢字」、すなわち台湾における「國字」を明瞭に定めた書物である。

台湾では、まず楷書が母稿として定められ、ついで宋体(ほぼわが国の明朝体)、方体(ほぼわが国のゴシック体)、隷書などが規定されている。
『國字標準字體宋體母稿』には以下の分類にもとづいて、18,369キャラクターが例示されている。
  ◎ 常用字                4,808字
  ◎ 次常用字               6,343字
  ◎ 罕用字(罕カンは まれに の意)  3,986字
  ◎ 異體字                2,820字
  ◎ 附録字                  412字
               合 計      18,369字 

『國字標準字體宋體母稿』が、わが国の類書と決定的に異なるのは、明確な文言が存在していることである。わが国のそれは、「既成書体による例示」はあるが、その制定の経緯、根拠に関してはほとんど説明が無い。
『國字標準字體宋體母稿』では、50 ページにわたって、詳細をきわめた論述の存在がある。
それは、制定までの経緯、制定にあたって検討した項目と資料書目一覧、その資料利用頻度表、そして字體構成の原則と細則が規定され、最後に実例の字(キャラクター)の明示が続く。  
  ◎ 標準字體的研訂簡史
  ◎ 標準字體的研訂宗旨
  ◎ 標準字體的研訂原則與實例
         甲 : 通則  乙 : 分則    

上にかかげた図版は、その「標準字體的研訂 原則與實例 乙:分則(p27)に掲載されている、「片」「爿」の規則である。
この分則では、篆文としるされた記述は許愼『説文解字』によることなどがあらかじめ明示されている。
そして基本的な字體構成の説明、画数とその筆順が簡潔に説かれている。
すなわち現代台湾においても、字の規格制定にあたって、もっとも重視される文献は、西暦100年ころに許愼によってしるされた『説文解字』であることに、あらためて驚かされる。

ここに拙訳ながら、この上記2項目の記述を紹介したい。
33  「片」は『説文解字』によると「木を半分にしたもの」。第 2 画と第 3 画は相接するが頭はでない。末筆(終画)は一本の線を横に折る(転折・転筆)。宋体の画数は 4 画である。「片」「版」などの字がある。
34  「爿」は『説文解字』によると「片を反対にしたもの」。最終画の左払いと 3 画目の横線は相接する。「爿」と「片」は相対する。「壯」「牆」などの字がある。

《わが国にファンの多い『康煕字典』をみる》
どういうわけか、わが国においては「漢字字書」として『康煕字典』(康熙55, 1716 年)の「ファン」があまりにも多い。たしかに『康熙字典』は比較的近世の木版印刷による刊本であり、その字様は楷書の工芸字様ともいうべき明朝体である。
また部種別配列であることも、「文と字 ≒ 漢字」への親近性においておとるわが国の関係者には、好都合な「字書」だったかもしれない。
明朝体は中国・台湾では職業人は「宋体」とするが、ふつうの生活人は「印刷体」とすることが多い。すなわちわが国の「明朝体の風景」とは異なり、あまり重くみているわけではなく、生活人は「そこに、印刷のために、あたりまえに存在している字」とすることが多い。

しかしながら『康煕字典』の肝心の帝の名前である「こうき」が、表紙・扉ページなど、いわゆる装丁とされる部分だけでも、「康熙・康煕・康熈」など、三例の使用例があって、「字書」としてはまことに頼りない。
そのためにわが国の文字コードでは、ほとんどこの用例のためだけに、「康熙 シフトJIS EAA4」「康煕 シフトJIS E086」「康熈 シフトJIS E087」の、みっつものキャラクターを用意しているほどである。これをもってしても、いまだにわが国の一部で「康熙字典体」などと崇め奉っているむきがあるのはいかがであろう。

また中国では古来、字に関して記述した書物は「字書」であり、「字典」というおもい名称をあたえたことはなかった。「典」は「典型」に通じ、書物としては、儒教・道教・仏教などの経典などの書物にはもちいられてきたが、ともかくおもい字義、字の意味をもった「字」であった。
したがって清王朝第四代皇帝・康熙帝が、勅命によって、「字書」にかえて「字典」としたことに、ときの中国の知識層は震撼し、ある意味では支配民族の増長、ないしは知識・教養不足のなせることしてとらえた。

またその治世が62年とながかった康熙帝(1654-1722, 在位1661-1722)は、紫金城内武英殿を摺印場(印刷所)として、いわゆる武英殿版ブエイデン-バン ないしは殿版デンパンとされる、多くの書物をのこした。
そのかたわら、康熙帝は文書弾圧として、いわゆる「文字獄 モジゴク」をしばしば発令して、すこしでも漢族の優位を説いたり、夷族(非漢族)をそしった書物を没収・焼却し、その著者と刊行者はもとより、縁族までも重罪としたひとでもあった。
この清王朝前・中期にしばしば発令された「文字獄 モジゴク」は、巷間しばしばかたられる 秦の始皇帝による「焚書坑儒」(前213)より、その規模と頻度といい、全土におよぶ徹底ぶりといい、到底比較にならないほど激甚をきわめたものであった。
そこにはまた「文と字」を産み育ててきたという自負心を内蔵している漢族と、ときの支配民族としての満州族(女真族)との、微妙な民族感情の軋轢の痕跡がみられたことを知らねばならない。

ちなみに、上掲『國字標準字體宋體母稿』(教育部編印、民国87年2月・1998 p.03-08)に「標準字體的研訂宗旨」があり、そこには制定にあたって参考にした書目、49種が列挙されている。上位から10位までを順に挙げよう。
   1.中文大辭典         2.中華大辭典          3.辭海
   4.辭源              5.辭通              6.康熙字典
   7.説文解字詁林         8.正中形音義綜合大字典   9.佩文ハイブン韻符
   10.駢文ヘンブン類編

ついで、「選字歩驟 センジ-ホシュウ  如下 シタノ-ゴトシ」があって、「総字表」の制定にあたって使用した15種の書目が列挙されている。ここで別格にあつかわれ、主要参考書目とされたのは『中文大辭典』(中國文化研究所、49,905字)である。
おどろくことに、ここには第2位に『日本基本漢字』(三省堂、3000字)、第6位に『角川常用漢字字源』(角川書店、1967字)といった、わが国の書目が上位にあげられている。
そして、かの『康熙字典』は、「標準字體的研訂宗旨」では第6位に挙げられていたが、「選字歩驟如下」15種にはまったく無い。
また「標準字體的研訂宗旨」、「選字歩驟如下」の双方に、わが国で最近刊行された漢字字書と類字の名前があるが、それに関して筆者は触れたくない。     

『康熙字典』の「巳集中」に、「爿部」と「片部」がおかれている。
「爿」の説文解字の項をみると、「牀」を例としてあげて、
「牀从木爿聲 ≒ 牀は木の部首にしたがう。爿は聲」
としている。
ここでいう聲・声は漢字音のことである。すなわち『康熙字典』では部首として「爿部」を設けているが、許愼『説文解字』では部首としての「爿部」はないために、「牀」は「木部」になるとしている。
新・文字百景*001で、「爿 ショウ」は音符・声符の性格がつよいとしたのはこのためである。

また新・文字百景*001で「从・從・従」は同音・同義の字であり、現代中国ではもっぱら「从」をもちいていることを紹介し、「したがうの意」として紹介した。
これが間違いだったわけではないが、わが国ではむしろ「従属」とするか、むしろおもいきって「属する」としたほうが理解しやすいようなので、これからの記述にあたり「从 → 属する」ともすることをお断りしたい。

或  体 ワクタイの代表例
牀 と 床 は「同字」とされる 

『康熙字典』での「爿部」最初の実例としてあげられた「牀」を、藤堂明保・電子辞書『漢字源』からみたい。
【牀】  (楷書)総画8画、シフトJIS E0AC、部首 爿部
     字音:ショウ/ソウ/ジョウ  chuáng 
     意読:ゆか
     解字:会意兼形声。
         爿は、ほそ長い寝台を縦に描いた象形。
         牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
         ⊿床は、もと、その俗字。

【床】  常用漢字
     (楷書)総画7画、シフトJIS 8FB0、部首 广 マダレ部
     字音: ショウ/ソウ/ジョウ  chuáng 
     常読:ショウ/とこ/ゆか
     意読:とこ/ゆか/ゆかしい(ゆかし) 
     解字:会意。
         「广(いえ、部首:まだれ)+木」で、木製の家の台や家具をあらわす。
         もと細長い板を並べて張ったベッドや細長い板の台のこと。
         牀(ショウ)とまったく同じ。

ここで明確になったのは、「爿」の原義を明示する重要な字が「牀」であることである。
こうした字を或体ワクタイという。熟語としての或体の説明はほとんどの「漢和字書」に紹介されているが、「国語辞書」にみることは少ない。
「或体は、許愼『説文解字』で、見出しとした小篆と、同音・同義の字として示されている字体」
と藤堂明保・電子辞書『漢字源』では説明しているが、いささか文意がとおらず心許ない。

おそらく許愼は、小篆から「爿」の字を発見できなく、その原義を説明することがなかったが、それにかえて「牀」を掲げて、
牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
としている。このような部首にはならなかったが、「或る字画を精細に説いた」例が『説文解字』にはたくさんみられる。これらの一連の字を「或体 ワクタイ」としたものである。

ついでながら、「或」は、國や地域の「域」の原字となった字であり、そうとう重い字義を有する。
楷書字画:8画、部首:戈ホコ部、シフトJIS 88BD
漢字音:ワク、コク、huò、意読:ある、あるいは、あるひと、まどう(まどふ)。
《漢字源 解字》
六書の会意。「戈ホコ+囗印の地区」から成る。また囗印を四方から線で区切って囲んだ形を含む。それで、ある領域を区切り、それを武器(戈)で守ることを示し、域や國(コク)(=国)の原字である。
ただし、[わが国の]一般では「有」にあて、ある者、ある場合などの意にもちいる。或の原義は、のちに域の字であらわすようになった。

また、常用漢字「床」は、「牀」と字義、字音がおなじであるので、藤堂明保は「牀」の項で、
「床は、もと、その(牀の)俗字」
とし、「床」の項では、
床と牀(ショウ)とまったく同じ」
としている。
このように、字義 ≒ 字の意味、字音 ≒ 字の発音がおなじ字が、ながい歴史のなかで変化し、かつて俗字・略字とされた字が、わが国の常用漢字になったり、中国の簡化体になったりする事例もみられるのである。

それにしても、「爿」のあわれさはかくのごとくである。
牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
とされながら、いつのまにか「牀」は
「床は、もと、その(牀の)俗字」
「床と牀(ショウ)とまったく同じ」
とされ、「床」が生きのこって、「爿」の原義をあらわす「牀」は見捨てられつつあるようだ。
それは「牀」の書きにくさのゆえか、はたまた許愼の呪いか……ともおもわぬでもない。

 《悲喜劇もろもろ、現代の「片」の字のいま》
オヤジは字画にうるさかった。日中戦争さなかに医学部を卒業し、陸軍軍医として召集されて都合14年間をすごした。とはいえ、
一応モダンを気取る、開明派の多い慶應義塾の出身だったから、保守的なひとではなかったが、字画にはなにかとうるさかった。
筆者が「明朝体のお稽古」をしていたころ、
「この釘がポキポキ曲がったような書体が明朝体か。この書体の〈片〉の字はイヤだな。とくに2画目の点が、壊れた釘の頭みたいで品が無い。こうやって、ドンと点をうつと、よい字になる……」

ことの善し悪しは別として、オヤジは終生下図のような、2画目がドンとした点で、最終画を「曲げ撥ね」とした「片」を書いていた。
もちろん字画は5画である。
こんな字画をもとにして、オヤジは召集解除となってから田舎で開業医となり、ちいさな「片塩醫院」の看板を掲げていた。
兄貴もずぼらなせいか、オヤジが残した看板をそのまま使って、2011年夏に没した。甥がいやいや三代目を継いで、診療科目が増えたので看板を作りかえたらしいが、まだみていない。

許愼『説文解字』も、『康熙字典』も、楷書字画は4画とされていることは紹介してきた。
下図の認め印は、その昔、はじめてハンコやさんで筆者が「認め印」をつくったときのものである。
あまりほかにない姓なので、いわゆる既製品の三文判はなくて特製だったが、ハンコをもつことがなにかひとり前になったような気がして、嬉しかった記憶がある。
ツゲ材らしいが、だいぶ傷んできたのでもうつかっていない。これも最終画はオヤジの筆法を真似て「曲げ撥ね」で依頼したが、「曲げ止め」になっていた。改めてみると、よくできた認め印だったなとおもった。 

最後の図版は、目下使用中の筆者の運転免許証である。「片」の最終画は「曲げ止め」で、5画である。
これがしばしば問題をひき起こす。
筆者は錦糸町の運転免許試験場で更新手続きをしたが、支給された免許証の「片」は、ご覧のように5画の「最終画を曲げ止めとした 片」である。
息子はゴールド免許で、地元の警察署で更新したという。みせてもらったら地元警察署の「片」は4画。図版提供をもとめたら、
「やだよ、そんなの、みっともない」
ト 断られた。
たしかに運転免許証の写真とは、ほとんどたれもが、凶悪犯人そのもののようにみえるからイヤになる。筆者もこの写真ほど悪相ではないとおもっているのだが……。

新・文字百景*002で、「大阪の曽根崎警察署は、曾根崎二丁目にある」とする例を紹介した。
どうやら警察署は漢字の字画に鷹揚なようだが、駐車違反の罰金など、国庫収納金となる書類の作成や、まして税務署ではまったく違う。ここでは異常としかおもえないほど字画に厳格である。

官公庁専用書体として「電子政府書体」なるものが存在していることは、意外と知られていないようだ。「電子政府書体」はリョービイマジクス(現:モリサワMR事業部)が主体となって受注製作したもので、味も素っ気もない、いかにも役所好みの明朝体の一種である。だから、中国における「印刷体」と同様に、たれも興味関心をいだかないようだ。

ところが、いっとき賛否両論で大騒ぎになった「住民基本台帳 略して住基カード」が導入されて、かつての手書き式の戸籍にかえ、デジタル化された戸籍が作成されている。このときもちいられたのが「電子政府書体」である。

電子政府書体には、「片」の字には4画と5画があるが、筆者の「住基カード」の「片」は5画になっていた。たれが手書きからデジタル文書としたか、たれがデジタル書体の5画「片」としたかは知らない。
大勲位・中曽根康弘氏も、住基カードの姓は「中曽根なのか、はたまた中曾根なのか」、ぜひともうかがいたいものである。
────
年になんどか「消費税」の納付を銀行振り込みでおこなってきた。それを数年前から「電子納税システム」に変更した。この「電子納税システム」に切りかえた際のことであった。納付を済ませてヤレヤレと安堵していたところ、所轄の四谷税務署から電話があった。

警察と税務署からの電話など(別に悪いことなどしていなくとも)なんとなく薄気味わるいものだ。
ところがやたら詳細かつ丁寧に、
「昨日、株式会社朗文堂、代表取締役・片塩二朗さまから納付いただいた消費税は、現在受領されておりません。片塩二朗さまというかたが、世田谷区の戸籍にみあたらず、納付手続きが完了しておりませんので」

おもわず絶句した。オイオイ、筆者の本籍地は東京都世田谷区。その世田谷区の戸籍に見あたらないということは……、無国籍になるではないか!
「片という字が5画になっていまして、お名前を機械(OCRのこと?)で読みとれない状況です。至急戸籍管理者に所用の手続きをして、4画の片に直してください」

税吏は決して威圧的だったわけではないが、筆者の抗弁もむなしく、「5画の片を、4画の片へ、すみやかなる変更」を繰りかえした。そして最後に、きっぱりと、
「恐縮ですが、納付期限が明後日××日ですので、それまでに手続きを完了しないと、延滞料として年利14%の延滞金の加算となりますのでよろしくお願いいたします」

よろしくもなにもない。延滞料の年利14%とは、悪評高かったころの「サラ金」なみの暴利である。
しかも支払いは完了しているが、受領していないという。それでは手許の「領収書」とはなんなのだ!

ところが筆者は、中途半端に「電子政府書体」の存在と、OCRとの関連をしっていたのがまずかった。
「住民基本台帳 略して住基カード」の導入には、個人情報管理の面から反対がつよかった。そこでときの政府はデータ流出防止とその悪用防止のために、全面的にOCR(Optical Character Recognition, 光学式文字読みとり装置トモ)の採用を決めた。
すなわちいくら税務署といえども、OCRをつうじてでなければ、筆者の戸籍にアクセスできない仕組みになっているはずである。その読みとりに際して、もっとも重視されるのが「漢字字画」である。詳細は知らぬが電話番号や住所からは入れない仕組みらしい。

翌朝、住基カードの手続きをおこなった「世田谷区北沢総合支所」をたずねたら、変更は「世田谷区役所」でなければできないといわれ、タクシーで逆戻りして、国士館大学のとなりの区役所戸籍課にかけつけた。
ところが、先客がいた! それがまた、すっかりぶちぎれていた……。
「テメエラじゃ駄目だ、区長を呼んでこい! 区長をだせ! だれだ! 勝手にこんな戸籍をつくったのは」
カウンターを叩くは、そこらの椅子を蹴飛ばすは、飲食店の店主らしい先客は完全にブチギレ状態。

仕方なく遠巻きにしてしばらく観察していたが、このひと「片桐」さんというらしい。つまり筆者とおなじ状況で、戸籍原簿の訂正手続きを強いられて、その対応になんらかの手違いがあってブチギレのようだった。
「片桐」さんが、上席者らしき初老の職員に連れられて「個室」にはいったあと、ようやく筆者の手続き開始。

「あぁ、お客さまも片がらみですか。5画片を4画片に変更ですね」
ト、戸籍課の職員はうんざりした顔になった。
「そうです。急いでおねがいします」
「誠に恐縮ですが、原簿の変更には2-3時間ほどかかりますので、よろしくお願いいたします」
結局10時に下北沢に動きはじめて、区役所で手続きが終わったのは午後2時。その間、ひとのよさそうな職員は、ペットボトルのお茶までだしてくれた。

「あの片桐さん以外にも、変更はあるんですか?」
「片桐さん、片山さん、片岡さん、片倉さんなど大勢いらっしゃいます。でも片塩さんは珍しいですね」
「これは入力ミスということですか?」
「電子戸籍にしたときは慎重を期しましたが、ともかく大勢で手分けして取り組みましたので、《片》のように意外とあたりまえの字で、入力者によってバラバラになるという事故があります。会社員のかたなどは、ふつう[住基カード]や戸籍謄本をあまりお取りになられないので、ご家族が亡くなられ、火葬許可願いではじめて問題になったりもします」
片桐さん、片山さん、片岡さん、片倉さんなど、ご一統さまは、くれぐれもご注意あれかし。
そして、《曽・曾》や「4画片・5画片」だけでなく、意外なほど
この「住基カード字画問題」は深刻なのだ。

唖唖! そしてついに警察署まできたぞ !!》
「電子納税騒動」とほぼ同時期のことである。会社の前にチョット置いた車が駐車違反でレッカー移動された。
近くの交番にいき、四谷三丁目の四谷警察にいくことを命じられる。そこでいわゆる「チュウキン青切符」をきられて、署名と拇印による捺印。別に頼んだわけではないが、ご丁寧にも保管のためのレッカー移動費を署内で支払い、保管場所の委託駐車場の地図と、「反則金納付書 ≒ 罰金支払い命令書」をわたされてようやく解放。ぶっきらぼうであったが、むかしのようにお説教などはなく、事務的で淡々としたものだ。

ところが翌日、外出中に制服の巡査がきたという。そして××時に再訪するという。社員一同 なにかやらかしたのか? と不安そう。なにも心当たりはないが、正直なところあまり警察官に真っ昼間から来社して欲しくはない。
それでも約束の時間ピッタリに警官襲来?! 
昨日のチュウキン処理にあたったお巡りさんだった。それも、てのひらをかえしたように、腰が低いこと、低いこと。

「きのうのチュウキンの切符ですが、申しわけありませんが、署名が具合悪くて。もう一度、きのうの書類に署名・捺印願いませんでしょうか」
「はぁ。結構ですけど……」
「必要事項は書いてきましたので、確認して頂き、《片》という字をこのように4画で書いてください」

もうお分かりかとおもうが、筆者はいつもの癖で、署名は5画で書いた。それでレッカー移動費も、駐車場代の支払いにも問題はなかった。ところが、国庫納付金となる反則金はおそらくOCRによる読みとりだから、「電子政府書体」の画数にあわせて4画でないと台帳に入れないということであろう。
もちろん筆者は、はじめて警察官とジョークを交えながら談笑、そして4画の〈片〉で署名・捺印。
そしておもった。
「中曽根だけじゃないぞ。この《片》の字の混乱は、水面下では当分つづくな……」

《2011年 最後の與談!》
警察署で署名しろというから、筆者はいつものとおり5画〈片〉で署名した。
「署名」は本来中国語であり、「文書に、自分の姓名を書きしるすこと」。
これをなした。もちろん悪意はなかったが、チョイとした騒動をまねいた。

「署名」にかえて「サイン」ともいう。これはチト問題がある。
著名人や芸人に「サイン」をねだる向きもあるが、これは間違い。
サインは英米語の略称で sig. 正式には Signature である。むしろ「調印」とおもったらいい。
だから有名人の著作に「調印」をもとめたり、芸人が色紙に「調印」をしたら、まことにヘンなことになる。

May I have your autograph. → 自筆・肉筆でお名前を書いていただけますか?
こうした場面ではサインとはいわず、オートグラフとするのが好ましいこと。
著名人や芸人に「サインをください」はやめたほうがよい トおもうが 。

というわけで、わが国は、かつては漢語 ≒ 中国語を借り、このごろは米語を借りることが多い。
つまりどちらも、所詮は借り物だから、ときどきこうした齟齬ソゴ,イキチガイを生ずることになる。
正しく、美しい、母語を育てる努力をしたいものだ。
2011年、いろいろつらいことがあった年である。
あと2時間ほどで2012年になる。まぁ、いつものように、来年の正月までポチポチやりますかネ。

新・文字百景*002 中曽根とは失敬千万!? 曽・曾

新・文字百景*002

中曽根などとは失敬千万 ?! 

── 位階は従六位、勲等は大勲位であらせらるるぞ ── 

このひとの画像は  こちら  から 

《大勲位・中曽根康弘か、はたまた中曾根康弘か》
自民党が野党に転落し、またご本人の高齢化のためか、最近はいくぶんメディアへの登場が減ったようだが、とかく政局がきなくさくなると、もぞもぞと蠢動するのが、この、
── 位階は従六位、勲等は最高位の大勲位 ──
なる人物 ── なかそね やすひろ氏 ── である。
かつては「政局の風見鶏」などと揶揄ヤユされたこともあった。どうにもぬるぬると粘着性がつよそうで、筆者は好感をもてない人物である。ここでは好悪コウオの感情はともかく、「字&文」をかたるのには格好の対象であり、また、あまりにあわれでもある。このひとから紹介しよう。

   なかそね-やすひろ
       1918年(大正7)5月27日、群馬県高崎市うまれ
       戦前は内務省官僚。敗戦時は海軍主計少佐、戦後は政治家。
       衆議院議員20期。運輸大臣などを歴任して、内閣総理大臣を重任。
       位階は従六位。勲等は大勲位。      

位階や勲等には縁もなければ興味もない。勝手に最高位の大勲位をご自慢あれというところ。
その従六位の位階に関していえば、わがタイポグラフィ界の先駆者、本木昌造は従五位下。平野富二はそれよりひとつ上位の従五位であった。吾が先達は、かの大勲位の従六位より、位階ではだいぶ上位だった。
律令制のもとでは、五位以上のものは殿上人テンジョウビトとして、昇殿がゆるされるなど格別の優遇があった。どんなに権勢をほころうとも、このひとのように、位階が従六位では……ネ。
天網恢恢 疎にして洩らさずというところか。 それでも平野家では、ご先祖様の位階などには、ほとんど関心はないからおもしろい。

ところでこのひと、メディアのなかではほとんど《中曽根康弘》と紹介されている。すこし気になったので、校閲部などがあって、用字・文言にうるさい モトイ 厳格?! とされている、新聞・雑誌などの大きなメディアをしばらく注目していたが、ほとんどが《中曽根康弘》と表記してあった。 

だから文&字学はおもしろいぞ!

中  曾  根  と 中  曽  根

   曾             曾            曾

電子辞書『漢字源』         『新漢和辞典』                  『新明解漢和辞典』
主編纂者/藤堂明保   主編纂者/諸橋轍次  主編纂者/長澤規矩也
(楷書)総画:12               (楷書)総画:12              (楷書)総画:12
部首:曰ヒラビ部                  部首:日・曰ヒラビ部            部首:八部(もと曰)
《曽》は異体字                  《曽》は俗字                      《曽》は略字 

《ここはやはり、許愼『説文解字』をみたい》
わが国には、ふるくから『玉扁』、『正字通』、『康熙字典』など、中国語による「字書」が移入されていたが、それを和訳することはすくなく、いわば「漢漢字書」として、原本のままでもちいてきた。そして、それで当時のわが国にあっては十分だった。
中国語の字書が和訳されるようになったのは、わが国において、字の素養とたしなみや、「漢学」がおとろえ、漢語を理解するものがいちじるしく減少した、昭和期にはいってから本格化している。

上記の3冊の「漢和字書」は、藤堂明保 トウドウ-アキヤス、諸橋轍次 モロハシ-テツジ、長澤規矩也 ナガサワ-キクヤといった、著名な中国学者によってしるされている。
ここでは三者ともに「曾」を本字もしくは正体とし、「曽」を「異体字・俗字・略字」としている。
すなわち、教育漢字でも常用漢字でもなく、いちおう人名漢字ではあるが、「ふつうにもちいられている(漢)字──曾のような字」には定まった名称がなく、それ以外の「ふつではない(漢)字──曽のような字」を、「異体字・俗字・略字」とそれぞれが別途に呼んでいる。
換言すれば、前述の碩学三者においては、「異体字・俗字・略字」は同義語であり、さして差異がないことばということになる。アレッ……!?

もちろん、藤堂明保 、諸橋轍次、長澤規矩也の諸氏は碩学であり、またそれぞれ個性のつよい人物であったようだが、この「新・文字百景」では、やはり原点にもどって、後漢のひと・許愼『説文解字』にあたってみたい。
許愼『説文解字』では、「曾」は第二上、部首は「八部」に掲載されている。

 

『黄侃コウカン手批 説文解字』(黄侃コウカン批校、中華書局出版、2006年5月)には、5行目最上部に「曾」が紹介されている。黄侃は「八」のかたちの上部を連結して、いわゆる「八屋根 ハチ-ヤネ」とした朱記をいれている。

『文白対照  説文解字』(李翰文訳注、北京・九州出版社、2006年3月)には、現代中国の国字(簡化体)によって「曾」がとかれている。ここでは見出し語としての「曾」も、現代中国国字で表記されているため、わが国の「漢字の曾・曽」はもとより、下部の図版に紹介された、いずれの「曾」とも形象は微妙に異なる。すなわち形象と字画がことなるので、いわゆる「画引き」だと利用しにくくなる。
「文と字」とはこのように変化をかさねてきたし、当然、これからも変化をつづけることが予想される。

『漢字源』(電子辞書、藤堂明保ほか、学研、CASIO EX-word) の「曾」には、《単語家族》の項目があり、
「曾」は、層(幾重にも重なる)・増(重なってふえる)と同系 ── としている。なおこの単語家族という考え方は藤堂明保氏に独特のものである。
また、
《解字》の項目があり、以下のように説明している。
「曾」は象形。「八印(ゆげ)+蒸籠セイロウ+こんろ」をあわせてあり、こんろの上に蒸籠セイロウを置き、穀物をふかす甑コシキの姿を描いたもので、層をなして重ねるの意をふくむ。
甑 jìng, zèng(漢字音:ソウ/ショウ、意読:こしき、シフトJIS 8D99)の原字。
また、曾は、前にその経験が重なっているとの意から、かつて……したことがあるとの意をしめす副詞となった。

《曽 は 曾の 異体字・俗字・略字ときたか! だから字書はおもしろい》
手もとの簡便な「字書」によって、「曾・曽」を調べてみた。
もしかすると一部の読者はおどろかれたかもしれないが、「なかそね」の「そ」の、本字乃至ナイシは正字、印刷標準字体は「曾」である。
すなわち「曾」は、旧字でも、旧漢字でも、旧字体でもない。
いっぽう「曽」は、「字書」によってことなるが、いずれも「異体字・俗字・略字、簡易慣用字体」とされている。
つまり第一義的には「曾」をもちいるようになっている。

また部首も、許愼『説文解字』には「八部」に掲載されたが、わが国の字書では、それぞれ、曰ヒラビ部、日ニチ部、八ハチ部と異なっている。
このシリーズ《新・文字百景*001》にもしるしたが、ここでおもにもちいている「字書」とは簡便なものである。再度掲げておく。
【参考資料】 
『漢字源』(電子辞書、藤堂明保ほか、学研、CASIO EX-word) 
『新漢和辞典』(諸橋轍次ほか、大修館書店、昭和59年3月1日) 
『新明快漢和辞典』(長澤規矩也、三省堂、1982年11月1日) 
『漢語大詞典』(羅竹風ほか、上海辞書出版社、1993) 

パソコンに組み込んだATOKによると、以下のように規定していた。もしかするとATOK──ふるいはなしだが、阿波の国・徳島で製造されたソフトウェア、AWA の TOKUSHIMA をつづめて欧字とし ATOK エイ-トック と名づけられた──のほうが著名な字書より適切かつ明快かもしれない。
   曾 → 印刷標準字体  シフトJIS:915C
   曽 → 簡易慣用字体  シフトJIS:915D 

「曾・曽」は教育漢字でも常用漢字でもない。ただし2004年10月、人名漢字488字が追加された際、「曾」とともに「曽」の字が人名漢字となっている。すなわちわが国の人名にもちいることができる漢字は、常用漢字表に掲げられた1,945字と、人名漢字983字をふくめて、合計2,928字であり、「人名」用としては「曾・曽」のいずれもが2004年10月から使用できることとなっている。

ところが文部科学省は、教育漢字と常用漢字には相応なこだわりをみせるが、どういうわけか(もしかすると戸籍管理にあたる法務省、総務省などの管轄とみなしているのかもしれないが)人名漢字には関心が低いようである。したがって、表現がむずかしいが、いわば文部科学省の管轄においては「曾・曽」の字体の相違の是非などはその埒外にある。

そのわりに、ふるくからわが国でももちいられており、また一国の総理大臣の姓でもあったから少少やっかいなことになった。こうした位置づけがあいまいな字は、まま、曾雲→層雲、曾益→増益のように、ほかの字に置きかえられることもある。

わが国でも、金属活字時代には「曾」が圧倒的であった。もちろん「曾」は旧字でも旧漢字でもなかった。「曽」もあるにはあったが略字とされていた。この状態はいまの活字鋳造所でもなんら変わりない。
ワープロなどの情報処理の機器に字も登載されるようになると、各社は独自に文字コードを作成して、電子機器に字を登載しはじめた。なにぶん電子機器の開発と普及速度ははやかったので、各社によって異なった字種と字体と字画形象(デザイン処理)が展開して、一部では互換性などに混乱がみられた。

そこで、経済産業省系の日本規格協会では、文と字にたいして、いわゆる「JIS規格」を制定して、独自の文字コードを作成するとともに、ある写真植字機製造会社の明朝体をもって「例示書体」として業界に提示した。
電子機器製造メーカーは経済産業省の管轄下にあったために、唐突ながら「JIS例示書体」として「例示」された、「ある写真植字機製造会社の明朝体」に倣ナラって、大急ぎで自社の書体の字種と字体と字画形象(デザイン処理)の改変をおこなった。
その折りに、もし、「ある写真植字機製造会社の明朝体」が完璧なものであれば問題はなかったかもしれない。ところが悲しいかな、それが完璧はおろか、おおいに問題を内包したものであったことは不幸だった。
そもそも「完璧な書体」などありうべきものではないという認識にたてば、いくぶん衰勢をみせていたとはいえ、新聞社、印刷企業、金属活字開発メーカーなどとも、叩き台としては「ある写真植字機製造会社の明朝体」でもよいから、それを「あくまでもひとつの参考事例」として、十分に協議・検討してから、「JIS例示書体」を提示しても遅くはなかった。
次回に台湾での同種の制定の経緯を紹介するので、関心のあるかたはそちらも見ていただきたい。

この間の混乱と混迷は激しいものがあった。またこの結果として、文部科学省と経済産業省といった、ふたつの中央官庁が「わが国の文と字」に、行政官庁として関与することとなった。こうした縦割り行政のもとでのさまざまな弊害は、こんにちなお解消されたとはいいにくい。
わずか30年ほど前のはなしだが、あわただしいデジタル環境時計のなかにあっては、遠い過去のはなしにおもえるからふしぎだ。

つまり、大勲位・中曾根康弘氏は、本字・正字、印刷標準字体で「中曾根」とされることは少なく、まったくもって大勲位には失礼なことに!?、「異体字・俗字・略字、簡易慣用字体」といった、要するに俗っぽい略字によって「中曽根」としるされることが多いのである。
この頃では「大沢 → 大澤」、「高崎 → 髙﨑」を主張する向きも多いというのに、もっぱら「異体字・俗字・略字、簡易慣用字体」で表記されるとは、大勲位としてはまことにあわれなことで、同情に値する。
筆者は、大勲位・中曽根康弘氏をはじめ、曽根さん、小曽根さん、中曽根さん、大曽根さん、曽根山さん、曽根崎さん、曽根川さん、曽山さん、曽川、曽田さん、小曽田さん、中曽田さん、大曽田さんら、ご一統さまに、こころからご同情もうしあげているのである。

『漢字源』(電子辞書、藤堂明保ほか、学研、CASIO EX-word) の「曾」で
「曾」は、層(幾重にも重なる)・増(重なってふえる)と同系」としている。
曽根さん、小曽根さん、中曽根さん、大曽根さんといった皆さまの近在には、かつて
このような「幾重にも重なりあった根」をもつ巨木があったことが想像される。
上)新潟市・北方博物館の藤の古木。中)新潟市・坂口安吾記念館の松の巨木。
下)滋賀県彦根市、井伊直弼が藩主就任前、鬱勃と居住していた彦根城玄宮園とその庭木。

ただし、かりそめにも大勲位の威権をもって、「中曽根にかえて中曾根」の使用を強制などしてほしくない。どうやらご本人も、かつての選挙活動の折には、(一票がほしくて?)書きやすい字をえらんだのか、はたまた「曾」の字の存在と、その正俗をご存知なかった シツレイ のかしらないが、「中曽根康弘」と表記していたようである……。わが国の文&字は、この程度の寛容さがあってちょうどよい。 

《曾根崎心中か、曽根崎警察か……、大阪はやっぱりおもしろい!》
大阪の駅舎は、地元では「キタのターミナル」とひとくくりにしているようだが、よそ者にとっては「ここは大阪駅か、はたまた梅田駅か、さっぱりわからん」といった具合で、まことに混乱をまねく地区である。
なにしろJR西日本旅客鉄道の「大阪駅」と、阪急電鉄の「梅田駅」、阪神電鉄の「梅田駅」がほぼ同居しており、それに地下鉄道の東梅田駅と西梅田駅が複雑にからみあい、まして私鉄企業のデパートの位置と駅舎がはなれていたりするので、地下通路、地下商店街などは、まるで迷路の様相を呈している。
 

キタのターミナルには、阪急ビル梅田店の地下に 「紀伊国屋書店梅田店」があり、いっときは大阪一の売り場面積を誇っていた。このターミナルの一角に  旭屋書店本店 もあり、なんどか新刊案内の営業にうかがったことがある。住所は、大阪府大阪市北区曽根崎2-12-6と表記されている。

そのすぐ脇に  曽根崎警察署  がある。同署のWebsiteによると、住所は、大阪府大阪市北区曽根崎2丁目16番14号と表記されている。ところで同じページにこの警察署の管轄区域が紹介されているが、そこには 曾根崎一丁目、曾根崎二丁目がある。
すなわち「曽根崎警察署は、曾根崎二丁目にある」。
グーグル・マップを確認したら、厳格に「曽根崎警察署と、曾根崎一丁目・曾根崎二丁目」をつかいわけていた。偉い! なにが? 
もちろん警察署も官庁であるから、文言や表記には厳格さを要求するとおもえるのだが、いったいどうなっているのだろう。

大型2書店の訪問を終え、このあたりに、近松門左衛門『曾根崎心中』の舞台となった 露天神社 ツユノテン-ジンシャ ──通称・お初天神があったなとおもい、それをみてから昼食でもと脇道にはいった。
探すほどでも無く露天神社 ツユノテン-ジンシャ はみつかったが、その地名板表示の住所は、大阪市北区曾根崎二丁目5-4であった。

空腹をかんじ、ちかくのふるびた喫茶店に飛びこんで珈琲とカレーを注文した。店主らしきオカミさんが暇そうにしていたので、
「このあたりは、曾根崎ですか、曽根崎ですか」
ト、ペーパーナプキンに字を書いて聞いてみた。 オカミさん、得たり賢しとばかり、
「まったくねぇ、警察署はコッチの曽なのに、住所はコッチの曾。おかげでね、市役所や保健所など、役所の書類なんかは面倒ったらないの」
ト、訛りのつよい大阪弁でまくしたてた。

《木曾路の旅籠は旧漢字?!》
ある年の早春、白い辛夷コブシの花が咲くところをみたくて、堀辰雄『大和路・信濃路』(1943)を鞄にしのばせて中央線に乗り、木曾路経由で大和ヤマトをめざした。その気軽な旅をつづった文章をある雑誌に発表した。「木曾・木曾路・木曾路の旅籠ハタゴ」などをしるした原稿をわたしたら、すべて「木曽・木曽路・木曽路の旅篭」に置きかえられていた。

ゲラ(校正紙)を持参した某編集嬢いわく、
「この木曾の部分が旧漢字?! になっていたので、新漢字に直しておきました」
ト、きっぱり。
唖然とするだけだったが、「字書」のコピーを添付して原稿どおりになおしてもらった。
唖唖!ついに「曾」を旧漢字・旧字体にされてしまった。かりそめにも編集者にしてこれだから、「曾と曽」で困惑しているのは大勲位・中曾根康弘氏だけではないということか。

次回に、中国唐代の字の「正体・俗体・通体」をさだめた、顔元孫撰・顔真卿書『干禄字書 カンロク-ジショ』の紹介と、日中における「異体字・俗字・略字」の解釈の相違点を紹介したい。そしてわが国ではほとんど無視されている、字における「或体 ワクタイ」の存在も紹介もしたい。

また、わが国の近代漢字の字書をつくった、藤堂明保 トウドウ-アキヤス、諸橋轍次 モロハシ-テツジ、長澤規矩也 ナガサワ-キクヤといった、個性豊かな人物を紹介したい。
つまり、一見、堅牢かつ威厳をもって存在するかのごとき「字書」も、ひとかわ剥けば、文&字と同様に、ひとがつくったもの。だから「曾」の部首がそれぞれ異なっていたり、「曽」をそれぞれが「異体字・俗字・略字」として別途の名称をもって紹介したりもする。
 
そこでいたずらに批判をすることなく、その製作者の人物像にせまったら、「字書」にたいするあらたな愛着がわいてくるというものだ。──年越しの宿題をみずからかかえ込んでしまったかな。