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タイポグラフィ あのねのね*018 活字列見

タイポグラフィ あのねのね*018

Type Inspection Tools   活字鋳造検査器具 

Type Lining Tester  活字列見

《これはナニ? なんと呼んでいますか?  タイポグラフィ あのねのね*016での問題提起》
2012年2月23日、タイポグラフィ あのねのね*016 において、下掲の写真を紹介するとともに、その呼称、役割、使途などを調査する一環として、金属活字鋳造、活字版印刷関連業者からのアンケートをしるした。 
その問題提起とアンケート結果は、上記アドレスにリンクを貼ってあるので、まだ前回資料を未見のかたは、ご面倒でも事前にご覧いただきたい。

簡略なアンケートながら、このちいさな器具の呼称は「版見ハンミ、はんめ、版面見ハンメンミ、ハンミ、判面ハンメン」などと、活字版印刷業者のあいだではじつに様様に呼ばれていたことがわかった。
140年余の歴史を有するわが国の近代活字版印刷術 タイポグラフィ と、活字鋳造業界には、じつに多様な業界用語があり、それがしばしば訛ってもちいられたり、省略されることが多い。まして金属活字鋳造業界はながい衰退期にあるため、情報の断絶がしばしばみられるのがつねである。

またその使途・用途は、アンケート結果をみると大同小異で、ほとんどが、
「活字の高さを調べる器具」
「活字のライン、とりわけ欧文のベースラインの揃いを確認する器具」
との回答をえた。

現在の電子活字、とりわけその主流を占めるアドビ社の「ポストスクリプト・フォント・フォーマット」においては、ベース・ラインの設定は、全角 em を1000としたとき、120/1000の位置に設定される。欧文活字設計、欧文組版設計において、もっとも重視される基準線がベース・ラインであることは、昔も今もなんら変化がない。
そしていまや、和文電子活字、和文電子組版でさえ「ポストスクリプト・フォント・フォーマット」が主流となったため、ベース・ラインはより一層その重要性をたかめている。

わが国の金属活字の時代も、当然ベース・ラインの揃いは重視され、すくなくとも『活字と機械』に紹介された図版をみると、1914年(大正3)には使用されていたことがあきらかになった。
しかしながら、拡大鏡をもちいるとはいえ、この簡便な器具での視覚検査だけではおのずと限界がある。したがって相当以前から、このほかにも「顕微鏡型」とされるような各種の活字鋳造検査器具が開発され、また鋳造現場での創意・工夫がなされ、随所にもちいられていたとみることが可能である。

《文献にみる、この器具の資料》
まだ精査を終えたとはいえないが、この器具はいまのところ外国文献には紹介を見ていない。しかし過去の例からいって、本格的に写真図版を紹介すると、やがて資料の提供があちこちからあるものと楽観している。
またのちほど紹介する、インチ目盛りのついた類似器具が、かつて学術書組版のために、欧文自動活字鋳植機(いわゆるモノタイプ)を使用していた、新宿区内の企業から発見されている。いずれ外国文献の報告はあるものと期待をこめてみていたい。

わが国の資料では、『活字と機械』(東京築地活版製造所、大正3年6月)の各章の扉ページ(本書にページ番号は無い。電気銅版とみられる同一図版が6ヶ所にもちいられている)にもちいられたカット(イラスト)の左上部、上から二番目に類似の器具が図版紹介されている。
今回の調査をもって、この図版にみる12点の器具すべての呼称と役割が判明した。それだけでなく、ここにある12点の器具は、すべて朗文堂アダナ・プレス倶楽部が所有し、いまもほとんどの道具や器具を使用している。すなわちわが国の活字印刷術とは、おおむね明治末期から大正初期に完成期を迎えていたとみなすことが可能である。
 
       

上左:『活字と機械』(東京築地活版製造所、大正3年6月)表紙には損傷が多く、若干補修した。本書にはページナンバーの記載は無い。
上右:『活字と機械』扉ページ。外周のイラストは電気銅版(電胎版とも)とみられ、同一の絵柄が都合6ヶ所にもちいられている。

『活字と機械』扉ページより、左上部2番目の器具を拡大紹介した。この時点ではまだ正式呼称はわからなかった。主要素材は銅製で、下のネジを回すと、手前の鉄片が上下する仕組みになっている。取っ手にみえる円形の輪は、この鉄片を固定する役割を担っている。
右最下部:「活字ハンドモールド──同社では活字台・活字スタンプ」と呼び、1902年(明治35)12月27日特許を取得している。また江川活版製造所創業者、江川次之進が、この簡便な器具を「活字行商」に際してもちいたことが、直系子孫が保存していた掛け軸の絵柄から判明している。2012年5月《活版凸凹フェスタ》にて詳細発表の予定。

《ついに発見! 晃文堂資料から──LININNG TESTER  列見》
これまでも筆者は、吉田市郎ひきいる晃文堂に関してしばしばふれてきた。ここでふたたび『KOBUNDO’S TYPE-FACES OF TODAY』(株式会社晃文堂 千代田区神田鍛冶町2-18、p.67、1959)を紹介したい。

わが国の近代活字は、幕末の導入からわずかに50年ほど、明治40年代のなかばになると、はやくもおおきな壁にぶつかっていた。その理由のひとつに、導入直後から東京築地活版製造所、秀英舎、大手新聞各社など、ほんの一部をのぞくと、もっぱら徒弟修行にもとづく、経験則の伝承にたよったために、情報収集・分析と解析能力、技術革新の意欲に欠けていたことを指摘せざるをえない。

またわが国への近代活字版印刷術、タイポグラフィの導入が、18-19世紀の産業革命の成果をともなった、高度量産型産業として導入されたために、タイポグラフィが本来内包していた「工芸」としての役割をみることが少なかった。工芸であれば、クラフトマン・シップであり、そこには身体性をともなった創造の喜び、無償の創作欲の発露の場にもなりえたであろう。
ところが、幸か不幸か近代活字版印刷術は、文明開化の時代の「近代産業」、すなわち工業として招来されたために、あたらしい技術に目を奪われ、ふるいとされた技術を弊履のごとく捨て去ることがこの業種のならいともなっていた。このことは、一面からみると不幸なことであった。

皮肉なことではあるが、高学歴で、情報収集とその応用能力にたけた人材と企業は、営利追究に敏であり、ながい衰退期というトンネルを経過しつつある活字版印刷術業界から、ほとんどが去っている。かれらの多くは、新技術としてのオフセット平版印刷業者に転じ、一部はより新鮮な電子情報処理への道をひたはしっている。

晃文堂は、名古屋高等商業学校(現名古屋大学経済学部)卒の吉田市郎と、その軍隊仲間(おもに経理担当の主計将校であった)を中心として、戦後に創立した活字鋳造所であった。そのため海外情報に敏速に接することができ、他社が手をこまねいていた欧文活字の復元と新開発に意欲的に進出し、やがて欧文書体の権利関係が複雑になるにおよんで、和文活字の開発に転じている。もともと晃文堂は活字版印刷術の多彩な情報提供をおこない、また総合商社のような役割もはたしており、その一部が現在のリョービイマジクスのひとつの源流をなしている。

わが国戦後の活字見本帳の製作は、西では、かつての森川龍文堂経営者、森川健市が、岩田母型製造所大阪支店の名において、精力的に活字見本帳を製造していた。東では、やはり吉田市郎ひきいる晃文堂が、もっとも意欲的に活字と機械に関する見本帳を製造していた。
晃文堂は社歴があさかったために、研究社人脈、三省堂人脈、印刷局朝陽会人脈、科学技術試験所人脈などを積極的に取りこんで、知・技・美の三側面の充実を意識した活動がめだった。

『KOBUNDO’S TYPE-FACES OF TODAY』は、たんなる活字見本帳ではない。活字版印刷術 タイポグラフィを見据えた、総合技芸をサポートする豊富な内容となっている。そのp.67に問題の器具の写真が紹介されている。
左半分は〈INSPECTION TOOLS〉すなわち〈活字鋳造検査器具〉の各種である。
その(A
)に LININNG TESTER  列見 と紹介されている。 

中央部に(A)LINING TESTER  列見が紹介されている。
ここにみる機器は製造ラインが破綻したものもあるが、小社をふくめ、いまも活字版印刷所、活字鋳造所などでは現役でつかわれている。アダナ・プレス倶楽部では《活版ルネサンス》などのイベントに際し、陳列・展示、一部は水面下にあった製造ラインを復活 ルネサンスさせて、製造・販売にあたっているものである。

ようやく晃文堂が提示したこの器具の呼称があきらかにされた。いまならば和製英語としても「ベースライン・テスター」でも良かろうとおもわれるが、前述のように活字版印刷術の職人たちは、欧文を毛嫌いするかたむきがあり、あえて「欧文のベースラインの行の列をみる → 列見」としたようである。
そしてこれが訛って「版見ハンミ、はんめ、版面見ハンメンミ、ハンミ、判面ハンメン」などと呼ばれるようになったものとおもわれた。

《そろそろ脱却したい、「母型」の呼称》
『KOBUNDO’S TYPE-FACES OF TODAY』の裏表紙、〈営業品目〉のなかに、和文・欧文対訳で活字母型が3種類紹介されている。どういうわけか、相当の専門書であっても、こと活字に関しては単に「母型」としるされることが多い。
また『広辞苑』にも、
「母型」を「活字の字面を形成する金属製の型」との紹介をみる。ところが後半には「打込母型(パンチ母型)」とある。
すなわち以下のパラグラフで説明されるように、この記述は戦後、ある特定できる人物の記述による。いまや『広辞苑』第4版からのタイポグラフィ関連項目のこの執筆者をふくめて、そろそろ「母型」を特殊業界用語とすることは、一考を要する時代となっているとおもわれるがいかがであろうか。

すなわち様様な鋳物(金属活字も鋳物の一種である)、陶磁器、プラスチック製品などの量産製造のためには、複製原型としての父型(雄型)と、その複製の母型(雌型)があるからである。
ふるくは鋳型であり、雄型・雌型、オス・メスであった。また鋳型素材の多くが粘土であったために、砂型とも呼ばれた。また陶磁器業界・プラスチック業界などでは「成形型」と呼び、石膏製・素焼き製・金属製の三種類がある。

活字における「母型」の呼称は、おそらく明治初期の「MATRIX」からの訳語が印刷・活字界にひろがり、業界用語とされたものであろう。このとき隣接業界、なかんずく鋳物業者を調査したとはおもえない。
つまり、アダナ・プレス倶楽部にとっても、Adana-21J製造のための各種鋳型が山をなす。そこには当然、設計図と試作機があり、また数十点におよぶAdana-21J用父型と、Adana-21J用母型がある。

これが単に活字界での「母型」の独占では困るとするゆえんである。また、こうした業界特殊用語? をもちいてきたために、活字「母型」の製造は特殊化し、孤立・停滞し、 彫金業界などの他業界はもとより、鋳造業界など隣接業界との交流の妨げにもなってきたという不幸な歴史も指摘したい。
端的にいえば、彫金・鋳物業界にも文字活字を重くみる人士は多い。すでに台湾の日星鋳字行などでは、コンピューターの3Dソフトを駆使して、パソコン直結によって活字「母型」を製造している現状も報告したい。
ところがわが国では、戦後に普及した「機械式活字母型彫刻機、ベントンと俗称」にあまりにこだわりがつよかった。その
活字「母型」製造ラインがほとんど破綻した現在、隣接の彫金業界などと提携し、活字母型の製造を円滑化させ、より活発なものとする余地は十分にある。このテーマは検討に値するとおもうがいかがであろう。

晃文堂は、活字鋳造とその販売だけでなく、自家鋳造の大手業者にむけて積極的に活字母型の販売も実施していた。
◎PUNCHED MATRIX
和欧文パンチ母型。ここでの「パンチ母型」とは、欧米式の活字父型 Punch から、簡便な押圧式手法で活字母型 Matrix を製造するパンチド・マトリクス技法とは異なる。晃文堂は後述する国際マトリックス社・細谷敏治氏の特許・造語の技法による「パンチ母型」を積極的に販売していた。
◎ENGRAVED MATRIX
ベントン機械式活字彫刻母型(パントグラフ理論にもとづく機械式直刻活字母型)。これから焼結法によって活字父型をつくり、それをマテ材に打ちこんだのが細谷氏特許の「パンチ母型」である。すなわち「パンチ母型」は細谷氏の造語である。
価格面からみると、直刻母型は高額で、複製父型から製造される細谷式「パンチ母型」のほうが低廉であり、活字母型の不具合に際して、交換・補充が容易であった。おもに自動式活字鋳植機(いわゆる日本語モノタイプ)や、大手印刷所、新聞社などの自家鋳造に採用された。当時の品質評価は直刻式のほうが高かった。
◎GALVANIZED MATRIX
電胎母型(電鋳法による活字母型)。熱変化に弱く、耐用性の側面からみると、全国規模の活字鋳造所で限界にいたっていることが危惧される。

 LINING TESTER  列見の素朴なバージョン。付属のルーペでは拡大率が足りず、10-20倍のルーペで検品することがほとんどだったとされる。欧文活字の鋳造の際には必ずベースラインを検証したし、活字鋳型の交換に際しても検品するのが常だったと長瀬欄罫ではかたる。

 
リング状の輪を「固定ハンドル」と呼んでいたと長瀬欄罫ではかたる。同社では10ポイント活字の鋳造が多く、この「固定ハンドル」を10ポイント専用として、ベースラインの位置に固定させていたとする。

 東京都新宿区榎町のK印刷にのこされた「ベースライン・ゲージ」。モノタイプ社製で、柄の先端にインチ尺によるマイクロ・ゲージが付属している。撮影アングルは天地が逆向きといえ、「LINING TESTER  列見」と同様に、活字ベース・ラインを目視とあわせて、マイクロ・ゲージで検証するためのものだった。