タイポグラフィ あのねのね*015 『ハンドプレス・手引き印刷機』

タイポグラフィ あのねのね*015

 朗文堂書籍 新刊書

『ハンドプレス・手引き印刷機』 板倉雅宣著

板倉雅宣氏(1932年東京うまれ)の労作『ハンドプレス・手引き印刷機』が発売を迎えた。本書はわが国の明治初期における活字版印刷機の、導入・開発・普及・変遷を丹念に追い、それを通じて近代日本の成立の歴史を、ときに俯瞰し、ときに微細に記録したものである。

わが国の近代印刷の黎明は、板目木版への刻字から、金属活字文字組版への変革をもたらし、木版版木バレン摺りから鉄製活字版印刷機の使用への転換をともなった。蒸気機関や電動モーターの実用化に先だつこのころ、総鉄製とはいえ「手引き印刷機」とは、金属活字版を印刷版とし、人力をもっぱらとする、素朴な印刷機であった。
本書は幕末期に点描のように導入された輸入活版印刷機から説きおこし、1873年(明治6)長崎から進出した平野富二らによる「手引き印刷機/ハンドプレス  Hand Press」の本格開発と、その急速な全国への普及、追随した各社の動向を丹念に追っている。
ともすると従来の近代活字版印刷の研究は、活字とその書体形象に集中してきたきらいがあった。ここに活字版印刷術の車の両輪ともいえる、印刷機と活字に関する近代タイポグラフィの開発史研究が明瞭に姿をあらわした。

詳細 : 朗文堂ニュース9月2日

板倉雅宣著『ハンドプレス・手引き印刷機』の発売にともなって、エールの交換をおもいたった。すなわち、小社既刊書『VIVA !!  カッパン♥』において、〈アルビオン型手引き印刷機〉をカラー図版をともなって紹介していたので、その一部を紹介し、読者の理解の一助になればと愚考した。
機構が素朴かつ堅牢な「手引き式活字版印刷機」は、わが国でも、あるいはひろく欧米各国でも、いまなお愛着をもって活版印刷の実用機としてもちいられている。また、各地の博物館などでも、重要なコレクション・アイテムとして所蔵しているところが多い。
すなわち、慌ただしい現代にあって、ひとがつくり、ひとがもちいた、もっともプリミティヴな印刷機が熱く注目されている。前に進むために、ここはいったん立ち止まり、もっとも素朴かつ堅牢であり、印刷術、大量複製術の原点ともいえる「手引き式活字版印刷機」を再検証・再評価するときなのかもしれない。

エール交換 !!  朗文堂書籍

新刊書 ―― 『ハンドプレス・手引き印刷機』  板倉 雅宣著
既刊書 ―― 『VIVA !!  カッパン♥』 アダナ・プレス倶楽部 大石 薫著

    

VIVA !!  カッパン♥

アダナ・プレス倶楽部  大  石    薫 著
2010年5月21日発行   朗  文  堂
p.62  Column  コトとモノの回廊 #
05 より

 

アルビオン型手引き印刷機

「手引き印刷機 Hand Press」は手動で操作する印刷機の総称です。一般にはグーテンベルクがもちいたとされる印刷機のかたちを継承し、水平に置いた印刷版の版面に、上から平らな圧盤を押しつけて印刷する「平圧式」の活版印刷機の一種とされます。そのため、厳密には手動式であっても「Adana-21J」や「手キン」など、印刷版の版面が縦型に設置される「平圧印刷機 Platen Press」とは区別されます。

グーテンベルクの木製手引き印刷機(1445年頃)は、ブドウ絞り機をヒントに考案されたネジ棒式圧搾機型印刷機(Screw Press)であったとされますが、その活字や鋳造器具と同様に、印刷機も現存していないため、あくまでも想定するしかできません。
現存する最古の手引き印刷機としては、ベルギーのアントワープにある、プランタン・モレトゥス・ミュージアムの木製手引き印刷機が知られています。また、アメリカの政治家として知られるベンジャミン・フランクリン(1706―90)も木製手引き印刷機をもちいて印刷業を営んでいたことが知られています。

グーテンベルクの活版印刷機の時代から、その後350年ほどは、細かな改良は加えられたものの、1798年にイギリスのスタンホープ伯爵が、総鉄製の「スタンホープ印刷機」を考案するまでは、活版印刷機の基本構造そのものには大きな変化がありませんでした。
その後の著名な手引き印刷機としては、「コロンビア印刷機」「アルビオン印刷機」「スミス印刷機」「ラスベン印刷機」「ワシントン印刷機」「ハーガー印刷機」(以上年代順)などがあげられます。

[板倉雅宣著『ハンドプレス・手引き印刷機』 p.22-23より抜粋]
アルビオン・プレス(Albion Press)――英国のアルビオン・プレスは、コロンビアン型のレバー式加圧を改良し、加圧機構を肘張継ぎ手にしたもので、英国のコープ(Richard Whitta Cope)が1820年(文政3)に発明したというが、確かな資料がない。アルビオンの最も古い、確かな資料に1822年にパリの工場で輸入申請許可を得るために作成された図面がある。この最も古い機種の No.132 は[日本の]印刷博物館に所蔵されている。
1832年に新聞広告を掲載しているが、
「構造がシンプルで、軽量小型で、階上の狭い部屋でも設置できる」
と宣伝している。この特徴があるのでアルビオン・プレスは普及したものと思われる。
コープの工場のホプキンソン(John Hopkinson)は1842年に改良を加えている。ウィリアム・モリスはこの機種で『チョーサー著作集』を印刷したという。(中略)
アルビオン・プレスを製作していたホプキンソンの死後、その機種の模作を規制しなかったために、キャズロン社などの多くの活字鋳造所のほか、海外でもアルビオンを製造販売するようになった。

[編者曰く……活字版印刷術のように、きわめて古い歴史を有する機器にあっては、かつては特許や実用新案などの法整備も十分ではなかった。また機器の製造に不可欠な鋳型が、高熱鋳造による熱変形を生じたり、損傷すると、原製造所であっても継続生産が困難となるばあいが現在でもままみられる。したがって需要に応えるかたちで、このような複製機の製造がしばしばみられた。そのため活版印刷機器の関連業界では、原製造所の製品を正式呼称で呼び、複製機の製品を、ほとんどが原製造所への畏敬を込めて、製品名に『型』をつけて呼称することが多い]

写真の活版印刷機は、イギリスの活字鋳造所フィギンズ社による1875年製のアルビオン型手引き印刷機です。印刷機としての実用面だけでなく、アカンサスなどの植物模様や猫脚などに装飾の工夫がみられます。
「アルビオン Albion」とは、ちょうどわが国の古称「やまと」と同様に、イングランド(英国)をあらわす古名(雅称)です。ラテン語「白 Albus」を原義とし、ドーバー海峡から望むグレート・ブリテン島の断崖が、白亜層のために白く見えることに由来します。

アルビオン印刷機は、これに先んじてアメリカで考案された「コロンビアン印刷機」を改良した印刷機です。アメリカ大陸の古名「Columbia」の名をもつ「コロンビアン印刷機」は、1816年頃にクライマーによって考案され、加圧ネジをレバー装置に置き換え、圧盤をテコの応用で楽に持ち上げるための錘オモリが、アメリカの象徴である鷲の姿をしています。
「アルビオン印刷機」は、この「コロンビアン印刷機」をもとに、圧盤を重い錘オモリのかわりにバネで持ち上げるなどの改良を加え、1820年頃リチャード・W・コープ(?―1828)によって考案されました。

19世紀末には、すでに動力による大型印刷機が商業印刷の主流でしたが、アーツ・アンド・クラフト運動を牽引した、ウィリアム・モリスは、手工芸の再興の象徴として、手動式で装飾的なアルビオン印刷機をもちいました。また、石彫家にしてタイポグラファでもあったエリック・ギルも同型機をもちいていました。

わが国でも「アルビオン型印刷機」との付きあいはふるく、明治初期に平野富二が率いた東京築地活版製造所によって、アルビオン型(複製)の手引き印刷機が大量につくられました。また秀英舎(現・大日本印刷)の創業に際してもちいられた印刷機も大型のアルビオン型印刷機であったことが写真資料で明らかになっています。