新・文字百景*003 いろいろ困っています「片」の字

 「文と字」はおもしろい……、けれど

いろいろ困っています「片」の字で!
その実例を紹介 

《爿と片を『部首がわかる字源事典』からみたい》
新・文字百景では、「字と文」の入門編としての学習が、「爿ショウ と 片ヘン」をめぐってつづいている。
このブログロール『花筏 ハナイカダ』は、無料配信ソフトのためか、はたまた筆者の技倆不足のせいか(おそらく後者)、どうもアーカイブへの収納がうまく機能しない。そしてひと囓り
リンゴ型のパソコンでは、やたらに重く、動作がのろいし、データが壊れたりもする。読者諸賢にあっては、なにとぞご海容を。

それでも本コーナーをはじめてご覧になるかたは、ご面倒でも、アーカイブからデータを引きだして、「新・文字百景*001-002 」をひととおりご覧になってから本章をお読みいただきたい。
そうでないと、筆者が我田引水、自らの姓をもって苦情を申したてているようにとられかねない。
筆者は、大勲位・中曽根康弘氏をはじめ、曽根さん、小曽根さん、中曽根さん、大曽根さん、曽根山さん、曽根崎さん、曽根川さん、曽山さん、曽川、曽田さん、小曽田さん、中曽田さん、大曽田さんらのご一統さまにも、こころからご同
情もうしあげているのである。

  ◎新・文字百景*001  後漢のひと許愼胸像と、その編著『説文解字』を紹介し、
                   「文と字」のなり立ちを「爿・片」を通じて紹介。
  ◎新・文字百景*002  中曽根・曾根崎の「そ」は、「曾か曽か」を実例をもって検証。
                   
意外に頼りないゾ、わが国の「漢和字書」。
  ◎新・文字百景*003  いろいろ困っています「片」の字で!
                   その「片」のさまざまな実例を紹介。 

最初に掲げた図版はすべてが参考図といった位置づけで、『部首がわかる字源事典』(新井重良、木耳社)に紹介された「版築法」の図版と、『康煕字典』の「爿ショウ部の 爿」にみる、『六書略』から、
「爿は同書註詳上にみるように、ふるくは古文(中国古代の文 ≒ 中国古代の字、図版紹介)があった」
から、「爿の古文」をふたつ、それぞれあらたに書きおこして紹介した。
そして、「爿の古文」から「片の古文」を想定して描いてみた。

もとより「片」は、許愼『説文解字』でも部首としており、「片の古文」が上図ような字体であったとするものではない。どんな字書にもしるされるように、
「小篆などの木の字を半分にして、爿と片をつくった」
とする説にしたがうと、こういう字画の「片の古文」があってもよいかな、という実験である。

『部首がわかる字源事典』(新井重良、木耳社)では、中国におけるふるくからの土壁や土壇の築造法で、板で枠をつくり、その中に土を盛り、一層ずつ杵でつきかためる「版築法」を紹介し、その左側の杭と板の形象から「爿」がつくられ、右側の杭と板の形象から「片」がつくられたとする。すなわち「爿」「片」とも象形であるとする。
ここであらためて、新・文字百景*001に紹介した「木 → 爿・片」の図版を紹介しよう。
新井氏の版築法にもとづく象形という説と、許愼『説文解字』との違いが明確になりそうだ。

ところがここに掲げたふたつの図版をみただけでも、また、圧倒的に右利きのひとが多い現状に鑑みても、爿の形象は、運筆上、きわめて書きにくい形象であったことがわかる。そこであらためて下図にしめしたような「古文 爿」が別に存在していたか、あるいは(むしろ)「爿」の「文 ≒ 字」が成立したのちにつくられたとおもわれたので、片の古文も「爿」の古文から想定でつくってみた次第。
これが、なかなか好ハオ! ではないか。 

字源が木の半分とされ、どこかグラグラと安定感がなく、頼りない「爿・片」よりも、古文「爿と、想定古文 片」の造形にみる、頑固一徹、有無をいわさぬ剛健さがおもしろい。
特製デジタルタイプのデータをつくって私的な場などでつかったら……、やはり顰蹙ヒンシュクをかうだろうなぁ。

蛇  足  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

◎ 予  告  編 ◎

 臼  □(キョク,キク) 鼠  鼡     

   この「新 文字百景*003」は元旦の2時間ほど前にアップした。それにか
        ねて気になっていた上記の4字を、正月のあいだに「蛇足ながら」として追
       
記したところ、本稿のデータがすべてクラッシュして仰天。幸いHTMLデー
        ターから復元できたが、数度のトライのあいだに、どうやらクラッシュの原
   因が「□  部首:臼部、漢字音:キョク、和訓音:無し、文字コード:U+26951」
   の使用にあることが判明。

   1983年JIS漢字表の改訂にともなう混乱は、それはひどいものだった。
   この1980年代中葉の、俗に「83JIS問題」とされた大混乱をしる年齢層
   は、いつのまにか50代後半以上のかたになってしまったようだ。その混
   乱のひとつの原因が「臼部」とされたいくつかの字であった。
   ちなみに「興味」の「興」も臼部である。上図「② キョク、キク」は「古文」として
   紹介される。それを「臼の部首の字」としたためにおきた混乱であった。

   本稿では、できるだけ「文字」の使用をさけている。その理由を軽軽に記
   述することは困難であるが、「文」にはわが国の「紋、記号」に近い字義で
   もちいられることが多く、人口に膾炙したとはいえ、「文と字をあわせる →
   文字」をもちいると、ここでは混乱をまねくことが予想されるからである。
    
   
前述の□(キョク、キク  文字ソースは入っていません)は、現在では「手扁」を
   つけて
「掬う、すくう」の(中国では同音・同義の)別字、あるいは「菊 キク」
   から「艹冠」を取りさった字画である。
   すなわち、
   「手扁の無い掬」の古文「□ 部首:臼部、漢字音:キョク、和訓音:無し、文
   字コード:U+26951」を、わが国のかつての漢和辞典のほとんどが臼
   部の字としために起こった混乱でもあった。
   換言すると、「古文 爿」は無視したが、「古文 □キョク、キク」を本字扱いにし
   たことによった。そこで、問題のユニコードのキャラクターをアウトライン
   化して、おもに「臼」に関して、そして「中曽根」さんと同様の悩みをかか
   える「ネズミ」に関しても近日アップ予定! 乞う、ご期待。

   それにしてもWebsiteってユニコード・キャラクターを拒否するのかな?
   それともITオンチの筆者の技倆のせい?  冗談ではなく、正月まっ盛
   りに、いっとき、《ダズゲデグレー !!! 》状態におちいった。

   
ITにくわしいかたで、ご関心のあるかたは、□キョク、キク  文字コード:U
        +26951、□ キョク、キク  文字コー
ド:U+26951で実験し、ぜひともご
   指導願いたい。 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

このような不自然な運筆をしいられることがして、常用漢字などでは「爿」の部首の形象をかえて「爿→ 丬」とした一因ともおもえるが、それでもいまなお「爿」は、部首のようなかたちでも、音符(声符)のようなかたちでも、しぶとくいきのこっていることも「新・文字百景*001」で紹介した。
しかしながら、「爿」は新部首「丬」をつくったもらえただけ幸せなのかもしれない。おかげで「武將 → 武将」として、チョイといかめしさは無くなったが、字義も字音もかわることなく、字画だけがかわっていきのこることができた。
だから篆書の「木」からつくられ、同根とされる「片」にも、新部首をつくって欲しいときがある。 

 《台湾の國字としての爿と片をみる》
わが国の文部科学省にあたる、台湾教育部が発行した『國字標準字體宋體母稿』(教育部編印、民国87年2月・1998)は、中華民国(台湾)独自の字種規定、「大五碼(BIG-5と通称)」、あるいはわが国のJIS規格文字コード表と同様に、電子機器搭載の字に関するコード表「CNS 11643」とも連関する基礎資料で、わが国における「漢字」、すなわち台湾における「國字」を明瞭に定めた書物である。

台湾では、まず楷書が母稿として定められ、ついで宋体(ほぼわが国の明朝体)、方体(ほぼわが国のゴシック体)、隷書などが規定されている。
『國字標準字體宋體母稿』には以下の分類にもとづいて、18,369キャラクターが例示されている。
  ◎ 常用字                4,808字
  ◎ 次常用字               6,343字
  ◎ 罕用字(罕カンは まれに の意)  3,986字
  ◎ 異體字                2,820字
  ◎ 附録字                  412字
               合 計      18,369字 

『國字標準字體宋體母稿』が、わが国の類書と決定的に異なるのは、明確な文言が存在していることである。わが国のそれは、「既成書体による例示」はあるが、その制定の経緯、根拠に関してはほとんど説明が無い。
『國字標準字體宋體母稿』では、50 ページにわたって、詳細をきわめた論述の存在がある。
それは、制定までの経緯、制定にあたって検討した項目と資料書目一覧、その資料利用頻度表、そして字體構成の原則と細則が規定され、最後に実例の字(キャラクター)の明示が続く。  
  ◎ 標準字體的研訂簡史
  ◎ 標準字體的研訂宗旨
  ◎ 標準字體的研訂原則與實例
         甲 : 通則  乙 : 分則    

上にかかげた図版は、その「標準字體的研訂 原則與實例 乙:分則(p27)に掲載されている、「片」「爿」の規則である。
この分則では、篆文としるされた記述は許愼『説文解字』によることなどがあらかじめ明示されている。
そして基本的な字體構成の説明、画数とその筆順が簡潔に説かれている。
すなわち現代台湾においても、字の規格制定にあたって、もっとも重視される文献は、西暦100年ころに許愼によってしるされた『説文解字』であることに、あらためて驚かされる。

ここに拙訳ながら、この上記2項目の記述を紹介したい。
33  「片」は『説文解字』によると「木を半分にしたもの」。第 2 画と第 3 画は相接するが頭はでない。末筆(終画)は一本の線を横に折る(転折・転筆)。宋体の画数は 4 画である。「片」「版」などの字がある。
34  「爿」は『説文解字』によると「片を反対にしたもの」。最終画の左払いと 3 画目の横線は相接する。「爿」と「片」は相対する。「壯」「牆」などの字がある。

《わが国にファンの多い『康煕字典』をみる》
どういうわけか、わが国においては「漢字字書」として『康煕字典』(康熙55, 1716 年)の「ファン」があまりにも多い。たしかに『康熙字典』は比較的近世の木版印刷による刊本であり、その字様は楷書の工芸字様ともいうべき明朝体である。
また部種別配列であることも、「文と字 ≒ 漢字」への親近性においておとるわが国の関係者には、好都合な「字書」だったかもしれない。
明朝体は中国・台湾では職業人は「宋体」とするが、ふつうの生活人は「印刷体」とすることが多い。すなわちわが国の「明朝体の風景」とは異なり、あまり重くみているわけではなく、生活人は「そこに、印刷のために、あたりまえに存在している字」とすることが多い。

しかしながら『康煕字典』の肝心の帝の名前である「こうき」が、表紙・扉ページなど、いわゆる装丁とされる部分だけでも、「康熙・康煕・康熈」など、三例の使用例があって、「字書」としてはまことに頼りない。
そのためにわが国の文字コードでは、ほとんどこの用例のためだけに、「康熙 シフトJIS EAA4」「康煕 シフトJIS E086」「康熈 シフトJIS E087」の、みっつものキャラクターを用意しているほどである。これをもってしても、いまだにわが国の一部で「康熙字典体」などと崇め奉っているむきがあるのはいかがであろう。

また中国では古来、字に関して記述した書物は「字書」であり、「字典」というおもい名称をあたえたことはなかった。「典」は「典型」に通じ、書物としては、儒教・道教・仏教などの経典などの書物にはもちいられてきたが、ともかくおもい字義、字の意味をもった「字」であった。
したがって清王朝第四代皇帝・康熙帝が、勅命によって、「字書」にかえて「字典」としたことに、ときの中国の知識層は震撼し、ある意味では支配民族の増長、ないしは知識・教養不足のなせることしてとらえた。

またその治世が62年とながかった康熙帝(1654-1722, 在位1661-1722)は、紫金城内武英殿を摺印場(印刷所)として、いわゆる武英殿版ブエイデン-バン ないしは殿版デンパンとされる、多くの書物をのこした。
そのかたわら、康熙帝は文書弾圧として、いわゆる「文字獄 モジゴク」をしばしば発令して、すこしでも漢族の優位を説いたり、夷族(非漢族)をそしった書物を没収・焼却し、その著者と刊行者はもとより、縁族までも重罪としたひとでもあった。
この清王朝前・中期にしばしば発令された「文字獄 モジゴク」は、巷間しばしばかたられる 秦の始皇帝による「焚書坑儒」(前213)より、その規模と頻度といい、全土におよぶ徹底ぶりといい、到底比較にならないほど激甚をきわめたものであった。
そこにはまた「文と字」を産み育ててきたという自負心を内蔵している漢族と、ときの支配民族としての満州族(女真族)との、微妙な民族感情の軋轢の痕跡がみられたことを知らねばならない。

ちなみに、上掲『國字標準字體宋體母稿』(教育部編印、民国87年2月・1998 p.03-08)に「標準字體的研訂宗旨」があり、そこには制定にあたって参考にした書目、49種が列挙されている。上位から10位までを順に挙げよう。
   1.中文大辭典         2.中華大辭典          3.辭海
   4.辭源              5.辭通              6.康熙字典
   7.説文解字詁林         8.正中形音義綜合大字典   9.佩文ハイブン韻符
   10.駢文ヘンブン類編

ついで、「選字歩驟 センジ-ホシュウ  如下 シタノ-ゴトシ」があって、「総字表」の制定にあたって使用した15種の書目が列挙されている。ここで別格にあつかわれ、主要参考書目とされたのは『中文大辭典』(中國文化研究所、49,905字)である。
おどろくことに、ここには第2位に『日本基本漢字』(三省堂、3000字)、第6位に『角川常用漢字字源』(角川書店、1967字)といった、わが国の書目が上位にあげられている。
そして、かの『康熙字典』は、「標準字體的研訂宗旨」では第6位に挙げられていたが、「選字歩驟如下」15種にはまったく無い。
また「標準字體的研訂宗旨」、「選字歩驟如下」の双方に、わが国で最近刊行された漢字字書と類字の名前があるが、それに関して筆者は触れたくない。     

『康熙字典』の「巳集中」に、「爿部」と「片部」がおかれている。
「爿」の説文解字の項をみると、「牀」を例としてあげて、
「牀从木爿聲 ≒ 牀は木の部首にしたがう。爿は聲」
としている。
ここでいう聲・声は漢字音のことである。すなわち『康熙字典』では部首として「爿部」を設けているが、許愼『説文解字』では部首としての「爿部」はないために、「牀」は「木部」になるとしている。
新・文字百景*001で、「爿 ショウ」は音符・声符の性格がつよいとしたのはこのためである。

また新・文字百景*001で「从・從・従」は同音・同義の字であり、現代中国ではもっぱら「从」をもちいていることを紹介し、「したがうの意」として紹介した。
これが間違いだったわけではないが、わが国ではむしろ「従属」とするか、むしろおもいきって「属する」としたほうが理解しやすいようなので、これからの記述にあたり「从 → 属する」ともすることをお断りしたい。

或  体 ワクタイの代表例
牀 と 床 は「同字」とされる 

『康熙字典』での「爿部」最初の実例としてあげられた「牀」を、藤堂明保・電子辞書『漢字源』からみたい。
【牀】  (楷書)総画8画、シフトJIS E0AC、部首 爿部
     字音:ショウ/ソウ/ジョウ  chuáng 
     意読:ゆか
     解字:会意兼形声。
         爿は、ほそ長い寝台を縦に描いた象形。
         牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
         ⊿床は、もと、その俗字。

【床】  常用漢字
     (楷書)総画7画、シフトJIS 8FB0、部首 广 マダレ部
     字音: ショウ/ソウ/ジョウ  chuáng 
     常読:ショウ/とこ/ゆか
     意読:とこ/ゆか/ゆかしい(ゆかし) 
     解字:会意。
         「广(いえ、部首:まだれ)+木」で、木製の家の台や家具をあらわす。
         もと細長い板を並べて張ったベッドや細長い板の台のこと。
         牀(ショウ)とまったく同じ。

ここで明確になったのは、「爿」の原義を明示する重要な字が「牀」であることである。
こうした字を或体ワクタイという。熟語としての或体の説明はほとんどの「漢和字書」に紹介されているが、「国語辞書」にみることは少ない。
「或体は、許愼『説文解字』で、見出しとした小篆と、同音・同義の字として示されている字体」
と藤堂明保・電子辞書『漢字源』では説明しているが、いささか文意がとおらず心許ない。

おそらく許愼は、小篆から「爿」の字を発見できなく、その原義を説明することがなかったが、それにかえて「牀」を掲げて、
牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
としている。このような部首にはならなかったが、「或る字画を精細に説いた」例が『説文解字』にはたくさんみられる。これらの一連の字を「或体 ワクタイ」としたものである。

ついでながら、「或」は、國や地域の「域」の原字となった字であり、そうとう重い字義を有する。
楷書字画:8画、部首:戈ホコ部、シフトJIS 88BD
漢字音:ワク、コク、huò、意読:ある、あるいは、あるひと、まどう(まどふ)。
《漢字源 解字》
六書の会意。「戈ホコ+囗印の地区」から成る。また囗印を四方から線で区切って囲んだ形を含む。それで、ある領域を区切り、それを武器(戈)で守ることを示し、域や國(コク)(=国)の原字である。
ただし、[わが国の]一般では「有」にあて、ある者、ある場合などの意にもちいる。或の原義は、のちに域の字であらわすようになった。

また、常用漢字「床」は、「牀」と字義、字音がおなじであるので、藤堂明保は「牀」の項で、
「床は、もと、その(牀の)俗字」
とし、「床」の項では、
床と牀(ショウ)とまったく同じ」
としている。
このように、字義 ≒ 字の意味、字音 ≒ 字の発音がおなじ字が、ながい歴史のなかで変化し、かつて俗字・略字とされた字が、わが国の常用漢字になったり、中国の簡化体になったりする事例もみられるのである。

それにしても、「爿」のあわれさはかくのごとくである。
牀は「木+音符爿」で、木を加えて爿の原義を明示した字。
とされながら、いつのまにか「牀」は
「床は、もと、その(牀の)俗字」
「床と牀(ショウ)とまったく同じ」
とされ、「床」が生きのこって、「爿」の原義をあらわす「牀」は見捨てられつつあるようだ。
それは「牀」の書きにくさのゆえか、はたまた許愼の呪いか……ともおもわぬでもない。

 《悲喜劇もろもろ、現代の「片」の字のいま》
オヤジは字画にうるさかった。日中戦争さなかに医学部を卒業し、陸軍軍医として召集されて都合14年間をすごした。とはいえ、
一応モダンを気取る、開明派の多い慶應義塾の出身だったから、保守的なひとではなかったが、字画にはなにかとうるさかった。
筆者が「明朝体のお稽古」をしていたころ、
「この釘がポキポキ曲がったような書体が明朝体か。この書体の〈片〉の字はイヤだな。とくに2画目の点が、壊れた釘の頭みたいで品が無い。こうやって、ドンと点をうつと、よい字になる……」

ことの善し悪しは別として、オヤジは終生下図のような、2画目がドンとした点で、最終画を「曲げ撥ね」とした「片」を書いていた。
もちろん字画は5画である。
こんな字画をもとにして、オヤジは召集解除となってから田舎で開業医となり、ちいさな「片塩醫院」の看板を掲げていた。
兄貴もずぼらなせいか、オヤジが残した看板をそのまま使って、2011年夏に没した。甥がいやいや三代目を継いで、診療科目が増えたので看板を作りかえたらしいが、まだみていない。

許愼『説文解字』も、『康熙字典』も、楷書字画は4画とされていることは紹介してきた。
下図の認め印は、その昔、はじめてハンコやさんで筆者が「認め印」をつくったときのものである。
あまりほかにない姓なので、いわゆる既製品の三文判はなくて特製だったが、ハンコをもつことがなにかひとり前になったような気がして、嬉しかった記憶がある。
ツゲ材らしいが、だいぶ傷んできたのでもうつかっていない。これも最終画はオヤジの筆法を真似て「曲げ撥ね」で依頼したが、「曲げ止め」になっていた。改めてみると、よくできた認め印だったなとおもった。 

最後の図版は、目下使用中の筆者の運転免許証である。「片」の最終画は「曲げ止め」で、5画である。
これがしばしば問題をひき起こす。
筆者は錦糸町の運転免許試験場で更新手続きをしたが、支給された免許証の「片」は、ご覧のように5画の「最終画を曲げ止めとした 片」である。
息子はゴールド免許で、地元の警察署で更新したという。みせてもらったら地元警察署の「片」は4画。図版提供をもとめたら、
「やだよ、そんなの、みっともない」
ト 断られた。
たしかに運転免許証の写真とは、ほとんどたれもが、凶悪犯人そのもののようにみえるからイヤになる。筆者もこの写真ほど悪相ではないとおもっているのだが……。

新・文字百景*002で、「大阪の曽根崎警察署は、曾根崎二丁目にある」とする例を紹介した。
どうやら警察署は漢字の字画に鷹揚なようだが、駐車違反の罰金など、国庫収納金となる書類の作成や、まして税務署ではまったく違う。ここでは異常としかおもえないほど字画に厳格である。

官公庁専用書体として「電子政府書体」なるものが存在していることは、意外と知られていないようだ。「電子政府書体」はリョービイマジクス(現:モリサワMR事業部)が主体となって受注製作したもので、味も素っ気もない、いかにも役所好みの明朝体の一種である。だから、中国における「印刷体」と同様に、たれも興味関心をいだかないようだ。

ところが、いっとき賛否両論で大騒ぎになった「住民基本台帳 略して住基カード」が導入されて、かつての手書き式の戸籍にかえ、デジタル化された戸籍が作成されている。このときもちいられたのが「電子政府書体」である。

電子政府書体には、「片」の字には4画と5画があるが、筆者の「住基カード」の「片」は5画になっていた。たれが手書きからデジタル文書としたか、たれがデジタル書体の5画「片」としたかは知らない。
大勲位・中曽根康弘氏も、住基カードの姓は「中曽根なのか、はたまた中曾根なのか」、ぜひともうかがいたいものである。
────
年になんどか「消費税」の納付を銀行振り込みでおこなってきた。それを数年前から「電子納税システム」に変更した。この「電子納税システム」に切りかえた際のことであった。納付を済ませてヤレヤレと安堵していたところ、所轄の四谷税務署から電話があった。

警察と税務署からの電話など(別に悪いことなどしていなくとも)なんとなく薄気味わるいものだ。
ところがやたら詳細かつ丁寧に、
「昨日、株式会社朗文堂、代表取締役・片塩二朗さまから納付いただいた消費税は、現在受領されておりません。片塩二朗さまというかたが、世田谷区の戸籍にみあたらず、納付手続きが完了しておりませんので」

おもわず絶句した。オイオイ、筆者の本籍地は東京都世田谷区。その世田谷区の戸籍に見あたらないということは……、無国籍になるではないか!
「片という字が5画になっていまして、お名前を機械(OCRのこと?)で読みとれない状況です。至急戸籍管理者に所用の手続きをして、4画の片に直してください」

税吏は決して威圧的だったわけではないが、筆者の抗弁もむなしく、「5画の片を、4画の片へ、すみやかなる変更」を繰りかえした。そして最後に、きっぱりと、
「恐縮ですが、納付期限が明後日××日ですので、それまでに手続きを完了しないと、延滞料として年利14%の延滞金の加算となりますのでよろしくお願いいたします」

よろしくもなにもない。延滞料の年利14%とは、悪評高かったころの「サラ金」なみの暴利である。
しかも支払いは完了しているが、受領していないという。それでは手許の「領収書」とはなんなのだ!

ところが筆者は、中途半端に「電子政府書体」の存在と、OCRとの関連をしっていたのがまずかった。
「住民基本台帳 略して住基カード」の導入には、個人情報管理の面から反対がつよかった。そこでときの政府はデータ流出防止とその悪用防止のために、全面的にOCR(Optical Character Recognition, 光学式文字読みとり装置トモ)の採用を決めた。
すなわちいくら税務署といえども、OCRをつうじてでなければ、筆者の戸籍にアクセスできない仕組みになっているはずである。その読みとりに際して、もっとも重視されるのが「漢字字画」である。詳細は知らぬが電話番号や住所からは入れない仕組みらしい。

翌朝、住基カードの手続きをおこなった「世田谷区北沢総合支所」をたずねたら、変更は「世田谷区役所」でなければできないといわれ、タクシーで逆戻りして、国士館大学のとなりの区役所戸籍課にかけつけた。
ところが、先客がいた! それがまた、すっかりぶちぎれていた……。
「テメエラじゃ駄目だ、区長を呼んでこい! 区長をだせ! だれだ! 勝手にこんな戸籍をつくったのは」
カウンターを叩くは、そこらの椅子を蹴飛ばすは、飲食店の店主らしい先客は完全にブチギレ状態。

仕方なく遠巻きにしてしばらく観察していたが、このひと「片桐」さんというらしい。つまり筆者とおなじ状況で、戸籍原簿の訂正手続きを強いられて、その対応になんらかの手違いがあってブチギレのようだった。
「片桐」さんが、上席者らしき初老の職員に連れられて「個室」にはいったあと、ようやく筆者の手続き開始。

「あぁ、お客さまも片がらみですか。5画片を4画片に変更ですね」
ト、戸籍課の職員はうんざりした顔になった。
「そうです。急いでおねがいします」
「誠に恐縮ですが、原簿の変更には2-3時間ほどかかりますので、よろしくお願いいたします」
結局10時に下北沢に動きはじめて、区役所で手続きが終わったのは午後2時。その間、ひとのよさそうな職員は、ペットボトルのお茶までだしてくれた。

「あの片桐さん以外にも、変更はあるんですか?」
「片桐さん、片山さん、片岡さん、片倉さんなど大勢いらっしゃいます。でも片塩さんは珍しいですね」
「これは入力ミスということですか?」
「電子戸籍にしたときは慎重を期しましたが、ともかく大勢で手分けして取り組みましたので、《片》のように意外とあたりまえの字で、入力者によってバラバラになるという事故があります。会社員のかたなどは、ふつう[住基カード]や戸籍謄本をあまりお取りになられないので、ご家族が亡くなられ、火葬許可願いではじめて問題になったりもします」
片桐さん、片山さん、片岡さん、片倉さんなど、ご一統さまは、くれぐれもご注意あれかし。
そして、《曽・曾》や「4画片・5画片」だけでなく、意外なほど
この「住基カード字画問題」は深刻なのだ。

唖唖! そしてついに警察署まできたぞ !!》
「電子納税騒動」とほぼ同時期のことである。会社の前にチョット置いた車が駐車違反でレッカー移動された。
近くの交番にいき、四谷三丁目の四谷警察にいくことを命じられる。そこでいわゆる「チュウキン青切符」をきられて、署名と拇印による捺印。別に頼んだわけではないが、ご丁寧にも保管のためのレッカー移動費を署内で支払い、保管場所の委託駐車場の地図と、「反則金納付書 ≒ 罰金支払い命令書」をわたされてようやく解放。ぶっきらぼうであったが、むかしのようにお説教などはなく、事務的で淡々としたものだ。

ところが翌日、外出中に制服の巡査がきたという。そして××時に再訪するという。社員一同 なにかやらかしたのか? と不安そう。なにも心当たりはないが、正直なところあまり警察官に真っ昼間から来社して欲しくはない。
それでも約束の時間ピッタリに警官襲来?! 
昨日のチュウキン処理にあたったお巡りさんだった。それも、てのひらをかえしたように、腰が低いこと、低いこと。

「きのうのチュウキンの切符ですが、申しわけありませんが、署名が具合悪くて。もう一度、きのうの書類に署名・捺印願いませんでしょうか」
「はぁ。結構ですけど……」
「必要事項は書いてきましたので、確認して頂き、《片》という字をこのように4画で書いてください」

もうお分かりかとおもうが、筆者はいつもの癖で、署名は5画で書いた。それでレッカー移動費も、駐車場代の支払いにも問題はなかった。ところが、国庫納付金となる反則金はおそらくOCRによる読みとりだから、「電子政府書体」の画数にあわせて4画でないと台帳に入れないということであろう。
もちろん筆者は、はじめて警察官とジョークを交えながら談笑、そして4画の〈片〉で署名・捺印。
そしておもった。
「中曽根だけじゃないぞ。この《片》の字の混乱は、水面下では当分つづくな……」

《2011年 最後の與談!》
警察署で署名しろというから、筆者はいつものとおり5画〈片〉で署名した。
「署名」は本来中国語であり、「文書に、自分の姓名を書きしるすこと」。
これをなした。もちろん悪意はなかったが、チョイとした騒動をまねいた。

「署名」にかえて「サイン」ともいう。これはチト問題がある。
著名人や芸人に「サイン」をねだる向きもあるが、これは間違い。
サインは英米語の略称で sig. 正式には Signature である。むしろ「調印」とおもったらいい。
だから有名人の著作に「調印」をもとめたり、芸人が色紙に「調印」をしたら、まことにヘンなことになる。

May I have your autograph. → 自筆・肉筆でお名前を書いていただけますか?
こうした場面ではサインとはいわず、オートグラフとするのが好ましいこと。
著名人や芸人に「サインをください」はやめたほうがよい トおもうが 。

というわけで、わが国は、かつては漢語 ≒ 中国語を借り、このごろは米語を借りることが多い。
つまりどちらも、所詮は借り物だから、ときどきこうした齟齬ソゴ,イキチガイを生ずることになる。
正しく、美しい、母語を育てる努力をしたいものだ。
2011年、いろいろつらいことがあった年である。
あと2時間ほどで2012年になる。まぁ、いつものように、来年の正月までポチポチやりますかネ。