【角 字 かく-じ】
10×10の格子-グリッドで構成された工芸の文字
「 伊呂波寄名頭字儘 ―― 此の字尽くしの中に出がたき時は、ヘンあるいはツクリに依って作るべし 」
[ 釈読 : この字種見本に無い字のときは、偏と旁によって作字すべし ]
いわゆる文様帳 『伊呂波引定紋大全』 ( 盛花堂[浅草区左ヱ衛門町一番地] 明治30年頃 雅春文庫蔵)
「かくじのわり」 ── おもに染色士がもちいた工芸の文字として、角字の割り出し技法のほか、各種の 「地紋 モヨウ 割り」 として、萬字繋 マンジツナギ、毘沙門 ビシャモン 地紋、亀甲 キッコウ 地紋などが、その製作技法とともに簡潔に紹介されている。
いわゆる文様帳『伊呂波引定紋大全』(盛花堂[浅草区左ヱ衛門町一番地]明治30年頃 雅春文庫蔵)
ブログ版朗文堂ニュース、2010年10 月05日号に、《 紙漉ツアー好評裡に終了しました 》 と題する報告記事がある。
その最後の部分で、五日市にある 「黒茶屋」 の暖簾を紹介した。 ここに改めて該当部分を紹介する。
サービスカットはランチョン会場 「黒茶屋」 の暖簾です。 レタリング関係の書物ではこうした文字を 「籠字」 としたものもありますが、チト疑問。 「籠字」 は双鉤字であり、籠写しにした文字です。 関心のあるかたは 『広辞苑』 でご確認ください。
それではこうした文字はなんというのか、「箱字?」……。 かつてはイナセな職人のハッピや、祭りの印し袢纏などでよくみた形象です。 この字の由来についてご存知のかたはご教授ください。
黒茶屋と書いてありました。
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しばらくして、《紙漉ツアー》 にも同行された、友人の春田さんから、写真画像が添付された以下のような @メールをいただいた。
昨夜、御社ブログの 「黒茶屋の暖簾」 の項を拝見いたしました。
先日はうかつにも、わたしはこの文字を 「箱文字」と呼んでいましたが、その後、手元にあった明治30年代発行の『伊呂波引定紋大全』 という、いわゆる文様帳(呉服の文様を確認するために使用していたものらしい)を調べてみました。 そこには 「かくじ」(目次には角字)という言葉が用いられていました。「かくじのわり」 とされた文字作成用のマス目も送信致します。
この 『伊呂波引定紋大全 いろは-びき-じょうもん-たいぜん』 のような書物は、かつて「紺屋 コウヤ、染め屋」 などと呼ばれていた 「染色士」にむけて、おもに家紋のほとんどを詳細に紹介していたために、俗に 「定紋帳・紋帳・家紋帳」などとされていた実用書であった。
その一部には 「技芸家 ・ 工芸家」 に向けた 「文字の構成と書法」が説かれたいた。類書としては印判士に向けたより豊富な字種と書体による実用書もあるが、こうした書物は文字の紹介書として、魅力と示唆に富む好著が多い。
ところが現代では『伊呂波引定紋大全』 のような実用書が刊行されることがすくなく、むしろ「芸術書」 や 「作品集」 が氾濫しているために、いつのまにか、こうした工芸 ・ 技芸の文字があったことが忘れられている。
ときおり筆者は 「 現代の文字と活字の風景はさびしいものがある 」 としるすのには、こうした背景もある。
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春田さんのご指摘のとおり、「黒茶屋」の暖簾にしるされていた文字は、レタリング書の解説などにみる「籠字・駕籠字」ではなく、あきらかに「角字 かくじ」であった。
おそらく「黒茶屋」の暖簾は、現代のレタリングデザイナーや、タイプ・デザイナーなどと称するひとの手によるものではないだろう。
なぜなら、こうした人たちは「角字」 を知らないから書けないのである。 それだけのことである。
ただし、プロであるから、その構成と技法を知れば、書けるようになることはもちろんである。 しかしながら、悲しいことに、ほかの多くの技芸家と同様に、わが国の「デザイン」とされる分野は、長い欧化思想崇拝の歴史をもち、「技芸家」にかえて「芸術家・美術家」であろうとした。そして、いまだにその埒外にたつことができないでいる。
もちろんかつての染色士たちも、「角字」を「紋帖」などの資料が無くてはこうした文字を書くことはできなかったはずである。 ただ、かつての染め物士は 「角字」の存在を知っていたし、簡略な実用書をもっていた。 したがって目的と用途にあわせて、自在に文字や文様を書き分けることができた。
「かくじのわり」 の写真をみると、この実用書に紹介された 「伊呂波寄名頭字儘」 は、10 × 10のグリッド ( 格子 ) によって分割され、構成された文字であることがわかる。 つまり書芸の文字ではなく、工芸の文字である。
換言すると、現代のデジタル ・ タイプの業界用語では、「ビット・マップ」 が10 × 10 の100 の格子によって構成された文字である。 したがって、ドット・フォントやビットマップ・フォントと「基本理念」においてはなんら異なるところがない。
これだけをみても、明治までの町の無名な技芸家たちは、現代のレタラーやタイプデザイナーに負けない、あるいは凌駕するだけの、豊富な知識教養と、すぐれた技倆をゆうしていたことがわかる。
與談ながら…… 、若くて意欲的なデザイナーが、しばしば 『グリッド・システムズ』を教えて欲しいと、勢い込んでやってくることがある。
以前はその原本と関連図書を紹介し、拙訳のコピーを渡したりもしていた。 ところが説明すればするほど、かれらは次第にガッカリした表情になり、拙訳を渡すと明らかに期待はずれといった表情にかわり、ついには当初の勢いはどこに消えたのか、肩を丸めてお帰りになることが多かった。
どうやらこうした人たちは、『グリッド・システムズ』が、欧州の一部の地域における、神話に満ちた秘伝か、なにやら玄妙な秘術であるかのような幻想をいだいてやってくるらしい。 もちろん一部ではそのように紹介する指導者も存在するのだろう。 どうやらそれに応えてあげなかったのがお気に召さなかったらしい。
閑話休題 角字は工芸者が伝えてきた文字であるから、『書道基本用語詞典』(春名好重ほか、中教出版、平成03年10月01日) には紹介されていない。
国語辞典としての 『 広辞苑 』 には ── かく-じ 【 角字 】 ③ 模様 ・ 紋所などに用いる四角な字体。── として紹介されている。