活版凸凹フェスタ*レポート09

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本情報のオフィシャルサイトは アダナ・プレス倶楽部ニュース です。
ここ、タイポグラフィ・ブログロール《花筏》では、肩の力をぬいて、
タイポグラフィのおもしろさ、ダイナミズムなどを綴れたらとおもいます。
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やつがれ、風邪をひき、喘息の発作が……。
ようやく戦線復帰をしてみれば、
なんとまぁ、こんなことを、ノンビリと !?
手引き印刷機のインキング、インキボール製作
 

《チョイと頑張りすぎたかもしれない。咳と鼻水が垂れていたぞ!》
9日からの週、すこし無理をしたのかもしれない。11日[水]に長野県白馬村に日帰り取材。
春眠暁を覚えずというのに、ナント早朝6時起きで長距離バスに乗った。この早起きがつらく、ましてこの日の東京は氷雨が降りそそぎ、白馬村の残雪にはもっとふるえあがった。お訪ねした冨澤ミドリさんに、
「カタシオさんは、白馬よりもっと雪がふかい、飯山のご出身でしょう?」
と呆れられたが、ともかくやつがれ、雪よりも寒いのが
苦手なのだ。

ちなみに白馬村の冨澤ミドリさんのペンション「ブラン・エ・ヴェール」(白と緑。里見弴命名)は、1998年に開催された長野オリンピックのスキー・ジャンプ台のすぐ近くに立地している。だからスキーヤーにはいいだろうが、郷里をでて数十年、次男坊ガラスにとって信州信濃は寒いのだ。

《関西地区、まとめて出張》
週末14日[土]関西出張。大石は3年前に西宮の大型幼児教育施設に納入したAdana-21Jの定期点検に出張。以下、アダナ・プレス倶楽部 大石  薫の出張報告です。 

今春もはるばるやってきました。
「Adana-21J のイチバンのヘビー・ユーザーさん」での定期点検。
活版凸凹フェスタの準備の合い間をぬって、兵庫県まで出張です。
ここは子供の王国なので、日ごろは一般の大人は入れません。
広報管理もきびしい施設なので、内部の写真影像も割愛させていただきます。
この日は向かいの野球場でデーゲーム。往き帰りは阪神ファンで鮨詰め電車に乗ります。 

 この施設は、一年365日まったく休み無し、朝9時から夜9時までともかくフル稼働。
お子様たちは Adana-21J に興味シンシンです。ただなにぶんご幼少のこととて
力加減は情け容赦もなく、ガシャン、ガシャンと、きわめて楽しそうですが、正直ハラハラ。
稼働時間といい、操作状況といい、かなりハードな使用状況下ですが
オープンから3年経ったこんにちまで、たいした故障もなく、手前ミソながら、
あらためて小社の Adana-21J の頑丈さをひそかに自負するばかりです。

やつがれは、大阪府吹田市に『japan japanese』の著者ヘルムート・シュミット氏のアトリエを訪ねて、増刷と次作の打ち合わせをした。いつのまにか話題はデザイン全般におよび、時間はアッというまにすぎる。

夕刻6:30、アダナ・プレス倶楽部 Adana-21J の「シリアルナンバー0001番」のたいせつなユーザー、大阪・江戸堀印刷所の取材で、全員江戸堀印刷所で合流。

江戸堀印刷所は「アサヒ高速印刷」(代表:岡 達也 )さんが事業主体で、2007年4月、Adana-21J の発売と同時に購入のお申込みをいただきました。ですから江戸堀印刷所の Adana-21J は、栄光のシリアル・ナンバー「0001」が納入されています。
岡社長は「江戸堀印刷所」の構想を胸に、まず先駆けとしてAdana-21J を導入され、 次第に電動プラテン活版印刷機、半自動足踏み活版印刷機、電動箔押し機、小型断裁機、バーコ熱加工機などを設置した印刷工房「江戸堀印刷所」として、2011年秋に開設をみました。

江戸堀印刷所は、岡  達也社長、小野香織店長のご意向で、おおがかりな工房開設披露会などはしないで、いまも活字などの設備の充実に尽力されています。
やつがれは候補地としての「江戸堀印刷所」はみていましたが、夜でも一燈だけともされたあわい電燈のもとで、内部空間と設備概略が通行人からもみられるという、開放型の店舗設計には感動しました。

この工房は、昼も夜も、その姿を、通りがかるすべてのひとに解放しています。
その夜は大阪のあたらしい流行発信地・靫ウツボ公園脇のレストランで、小野店長のお心くばりの中国料理に満腹。

《忙中に閑あり、大阪府池田市での散歩》
15日[日]はひさしぶりのホリデイとした。
キタのターミナル梅田から阪急電鉄に乗って、およそ20分、大阪府池田市にある「阪急・東宝グループ」の創立者/小林一三(イチゾウ 1873-1957)の旧宅を開放した「小林一三記念館」と、収集品を展示する「逸翁イツオウ美術館」をみた。
逸翁美術館は「継色紙 あまつかぜ」(伝・小野道風筆)、「古筆手鑑 谷水帖 二十四葉」などを収蔵する(いずれも重要文化財)。ところがなにか熱っぽく、
もうひとつのりきれなかった。
そこで通りをはさんで向かいにある、旧宅を改装した「小林一三記念館」に集中した。

それにしても、私営鉄道の創業者たちは、どうしてかくも巨万の富をのこしたのだろう……。
東急電鉄の五島慶太(1882-1959)は「五島美術館」をのこし、東武鉄道の根津嘉一郎(1860-1940)は「根津美術館」をのこし、阪急鉄道の小林一三は「逸翁美術館」をのこした。
ただひとり「ピストル堤」の異名をもつ堤康次郎(1889-1964)は、政治の世界にはいり、また妻妾10人ともされる艶福家で、みるべきものはのこしていない。

《おもしろい らしい! ラーメンの記念館》
ノー学部はコトお散歩というか、町あるきとなると熱中するたちらしい。あちこちから資料をかき集めて、ともかく駈けまわることになる。
ノー学部、池田駅からすぐ近くの「インスタント・ラーメン発明記念館」でひどくごきげん。団体バスが次次とやってきて、館内はチビッコを中心に大盛況。
不滅の「チキンラーメン」を発明し、軽便食品で世界を制覇したカップ・ヌードルの発明者とは安藤百福翁だそうな。そしてカップ麺の極意とは、麺が宙づり状態になっていることにあるらしい。どうでもよいことではあるが為念。
以下、入場無料、製造参加費300円の「マイ・カップヌードル・ファクトリー」での情景。
やつがれは館内滞在5分ほど、ほかはもちろん外で休養 兼 喫煙をばなす。

《劇旨! おやじカレー 》
ノー学部、これもロード・マップからひろって評判の良いカレー店があると、テクテクと。
この時期、珍しいことに鹿肉の燻製、鹿肉のタタキが食べられるという。タタキは生肉提供がむずかしく、軽く熱をとおしていたが、旨し。ウメ~。やつがれ「邸宅レストラン 雅俗山荘」の仏蘭西料理で妥協して、プチ贅沢するか、ココノトコ忙しかったしな……、とおもったことをいたく反省。

ところで、ここのところ北方謙三(ケンゾー、ケンゾ~)につかまっている。『揚家将』『水滸伝』『揚令伝』と続いた、中国宋代の物語りのなかで、北方メ、いったい何千頭の鹿を射ころし、罠に嵌め、それをナマで食し、焼いて食する場面を活写してきたことか。梁山泊の兵士などは、骨つきの鹿肉を手づかみでむしゃぶりつくことが最高のご馳走だったらしい。
この関西への出張に際しても、鞄のなかには『揚令伝 八』(上製本・文庫本ともにあるが、旅には文庫本)を入れていた。ここでは梁山泊(叛乱軍)の若頭領・揚令が、棗強ソウキョウの戦場に、禁軍(近衛軍)元帥・童貫を伐つ場面が登場する。

童貫。間近だ。雷光が、全力を出した。
自分がどう動いたのか。まだ、雷光の上にいた。雷光は、命じてもいないまま、自ら棹立ちになり、反転した。
童貫の馬。馬だけだ。
戦場が無人のように静まり返った。揚令に、なにも聞こえなくなっただけなのか。
黒騎兵が、馬を降り、倒れている人の躰に近づいた。ゆっくりと、抱き起こす。
「宋禁軍、童貫元帥です」
しんとしていた。黒騎兵も青騎兵も赤騎兵も、声ひとつださない。
揚令は、吹毛剣を鞘に収め、雷光を降りた。
…………
具足ごと、首から胸まで、揚令は斬り降ろしていた。
「下馬」
史進の声がした。
全員が直立していた。揚令も、立ちあがり、直立した。
「宋禁軍、童貫元帥に、敬礼」
史進の声は、かすかに嗄シワガれていた。
戦場には、風が吹き抜けている。

この場面、漢オトコ かくあるべしと、啼けるのである。何度読んでも、泣くのである。
そして、ともかく北方謙三の中国史ジャンルとされる小説には、鹿を旨そうに喰うはなしが頻出するのである。

やつがれ、はじめて鹿肉を食し、ケンゾーの鹿肉へのこだわりをまったき理解するにいたった。ただし、やつがれケンゾ~のようには喧伝しない。旨いところは荒らされるからな。
「おやじカレー」だ。おぼえておこう。ノー学部に連れていかれただけだから、池田市のどこかもわからん。考えてみたら、阪急の池田駅で降りてから、一度も乗り物に乗らず、ただ歩いていた。

またそれにしてもである。
……それにしても吾がタイポグラフィの先達のなんと清貧であることか。
東京築地活版製造所の創業者/平野富二は、ほとんど造船に資金を投じて、さしたる資産をのこさずに急逝した。
秀英舎の創業者/佐久間貞一は「裸で産まれてきたから、裸で死ぬさ」と実に恬淡としていた。仮名垣魯文にいたっては「遺言 人間本来空 財産無一物」として長逝した。

こんなことどもを、たった一代で巨万の富をなした「インスタントラーメン発明王」自宅の前、喫煙所でボンヤリかんがえて紫煙をくゆらしていた。めずらしくケンゾ~に集中できなかった。
煙草がまずかった。やつがれの健康のバロメーターは煙草である。すこし熱があったようだ。

《16日からの週、風邪が引き金となって喘息ひどし》
この週内に、一本依頼原稿を仕上げなければならなかった。すでに約束の期限はすぎ、ギリギリ引っ張っての約束だった。ところが咳込みがひどく、もはや莫迦というしかないが、咳をしながら煙草を吸うので、吸気は煙草だけ、あとは咳の呼気ばかりで、ついに呼吸困難、酸素不足となってめまいがしてきた。約束破りはついに三跪九拝でご容赦願うしかないところまできた。
ゴホン、ゴホン、すう~、ゲホォ、ゲホォ、ゴホン、ゴホン、すう~、ゲ~ッ、ゲホォ、ゲフォ……。

ホント、莫迦なのです。
たまらずに廣岡奴のところに駆けこんで、風邪薬4日分処方。薬のせいか睡魔がおそう。21日[土]、22日[日]の両日、アダナ・プレス倶楽部会員、活版カレッジ修了生の皆さんが集まって製作に余念がなかったが、やつがれ完全にダウン。ダウンついでに空中庭園でパチリ。

《23日からの週、余喘はあるものの、体調戻る》
いよいよ《活版凸凹フェスタ012》最終コーナーの雰囲気。問い合わせが切れ間無く続く。後手後手になっていた企画展、すなわち朗文堂 アダナ・プレス倶楽部の展示とゼミナールのツメがようやく手についた。
江川活版製造所と手引き印刷機と、ハワイにわたった印刷機の担当はやつがれだったが、大石が一部ピンチヒッターに。結局しばらく始発電車で帰宅のはめになったが、なんとかメドがついた。最大の企画だけに、これが終わればあとは一気呵成、なだれ込み作戦だ。

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24日[火]、イヤー、驚きました。真底あきれかえりました。やつがれなんぞ、依頼原稿ドタキャンのためもあって、なにかと焦り気味なのに、夕方からアダナ・プレス倶楽部会員の田中智子さんと大石とで、なにやらガサガサ、ゴソゴソ。

猫の手も借りたい慌ただしさというのに、ふたりはときおりお菓子などをほお張りながら、のんびり、ポワァ~と、なにやら皮革工芸に励んでおりました。隣室では新宿私塾が開講中でしたが、手のつけようもないほど雑然とした仕事場で、ここだけは15世紀、ドイツ・マインツのグーテンベルク工房さながらの世界が現出していました。

ふたりがつくっているのは「インキボール」といいます。せっかく250キロもある手引き印刷機を《活版凸凹フェスタ2012》の会場に運ぶのなら、インキング(活字に活字版インキを付着させること)も、簡便かつ安全なインキ・ローラーをもちいるのではなく、手引き印刷機考案の時代と同様に、「インキボール」をもちいて来場者にご披露しようということ。

かくて「活版ゼミナール」の集計もでてきました。ほとんどの講座がほぼ定員となっています。またずいぶん遠方からのお申込みが多くおどろいています。ここは風邪になど負けていられません。
キリッ!!
 

 

上図) インキ・ボールを造るの図。
下図)万力の操作。手引き印刷機も同様な仕組みとなっている。
『Mechanichs Exercises』 Herbert Davis, Harry Carter  1958, London  

《本情報のアップ後に、またまた仰天!》
4月25日[水]、夜10時、江川次之進と江川活版製造所、ハワイ・Mānoa Press に関してのデーターを揃えて、この特別展示企画ビジュアル担当の松尾篤史さんと打ち合わせ。
「江川次之進の新資料公開だけでもいっぱいなのに、手引き印刷機のこと、ハワイにわたった江川活版製造所の印刷機のことまでいっしょじゃ、どんなにスペースがあってもたりません」
とすっかり開き直られた。しかしそれはいつものこと。バッカス松尾、なんとかするでしょう。

それからなにやかにやと雑事に追われ、本情報は4月26日[木]01時03分にアップした(こんなこともわかるんですね、新発見。でもきっと、ほかのひとでもわかるんでしょうけど)。帰宅前に一服しながら@メールのチェックをした。友人から妙な@メール。

「新聞広告に見る文昌堂と江川活版」というブログがあり、書き出しが、「片塩二朗様  前略」になっています。面白い内容ですのでアドレスを添付。

やつがれ、ほとんどネット・サーフはしないので、最初は、いつもいつも出所はおなじ、横丁の与太ばなしのたぐいかとおもった。
ところがまったく違った。ブログ名は『日本語練習中』、執筆者は以前数度@メールの交換があった内田明さんであった。
内田明さん、情報のご提供ありがとうございました。こころより感謝しております。一部印刷機の図版が入っている新聞は、別のかたから情報提供をいただいておりましたが、江川活版製造所の営業展開の時間軸がわかるうれしい資料でした。あらためて@メールをしたためます。
それよりなにより、すこしご遠方ですが《活版凸凹フェスタ2012》ご来場いただきたいものです。そしてよろしければ、活版印刷実践者の皆さんと交流していただければ、ご成果はおおきなものとおもいます。ともかく、驚きましたし、ありがとうございました。擱筆