朗文堂 ― 好日録006 達磨輪廻転生の世界へ 月映 藤森静雄をみる

朗文堂-好日録 006

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朗文堂-好日録
ここでは肩の力を抜いて、日日の
よしなしごとを綴りたてまつらん
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《 いただいたダルマで 輪廻転生リンネ-テンショウ の世界に突入か 》
¶ カレンダーがあたらしいものにかわった。西暦2011年、平成の御代も数えて23年になった、ト、ここで年号をなんとか確実に覚えようとしている。
ことしは大正元年から数えて100年、もし昭和の御代が続いていれば昭和86年となる。よくわからないが、まことにめでたいことである。

2009年11月  宇都宮駅で無償配布されていたダルマ

¶ だが、もともと冠婚葬祭はできるだけご容赦を、ト念じているから、本音では祭のひとつ、正月を、さほどめでたいとはおもっていない。 むしろ、きょうとおなじ、あすがあって欲しいと願う。 しょうがない、つぎの正月まで、またポチポチやるか、という程度だ。

¶ 2010年最後の日、31日[金]も出勤した。 電話はちっとも鳴らないし、@メールもほとんど着信なし。 みんないったいどこにいったのだ。 そうか、年末年始休暇だとおもいあたる。
だからなんとなく(かえって)リズムが狂って、まとまりがないまま時間がすぎた。
夜更10時半退勤。 ちかくの「あおい書房」がまだ開いている時間だ。 そこで休日用の文庫本を購入。司馬遼太郎 『この国のかたち 4 ・ 5 ・ 6 』、宮城谷昌光ミヤギタニ-アキミツ 『三国志 1 ・2 ・ 3 』。
司馬さんの連載は、初出 『 月刊 文藝春秋 』 のときから読んでいる。上製本、文庫本と読んできたが、ぼろぼろになったので、また買った。

¶ 上製本はとっておくが、雑誌と文庫はどちらかというと睡眠導入剤。  だからすぐにぐちゃぐちゃになる。
やつがれ、もし文庫本が 「 電子出版 」 になったらまことに困る。 現状の文庫本や雑誌は、夜ごと、枕の下に埋もれ、尻や出っ腹に敷かれ、毛布と布団と敷布の間で行方不明になり、足蹴にされて布団からずり落ち、ときにはよだれでベトベトになっている。

それでもよい、頑丈、かつ、万に一つでも よだれによる感電事故などがない、また最低限の組版規範を達成した 「 電子機器 」 に成長したら、槍でも鉄砲でも 「 電子出版 」 でもなんでも良いぞ。  おそらくそんなものは当分登場しないから、いまのところはとりあえず、文庫を顔にのせて惰眠をむさぼるか。

¶ 帰宅後すぐに 『 この国のかたち 』 を読みはじめた。 久しぶりの司馬節、司馬史観に夢中になって03冊とも読了。 やはりこのひとは凄いな、ト 改めて脱帽。
このひと、いまにありせば、この乱世をいかに喝破するかとおもう。 かくするうちに しらじらと夜があけ、新年になっていた。
アダナ・プレス倶楽部 「 餅プレス大会 」 の折りの冷凍餅をチンして、マッタリおいしい大阪昆布の佃煮と食す。 旨し。  リポビタンD 1 本グビリ、これこそまことにもって、優雅なお節セチとお屠蘇トソではないか、ト 吾輩 初春にあたり 独居しておもう。

¶ 朝まだきの室外にでて、空中庭園で一服つけたら、おもわぬことに、黄色い花が一輪咲いていた。 「 こいつは春から、ほんとうに縁起がいいわい 」、ト 写真機でパチリ。
それにしてもコイツはどこから来て 植木鉢の真ん中を占拠して、どうしてこんな日に初花をつけたのかふしぎだ。 もちろん名もしらぬ。 花は蒲公英タンポポに似るが、草丈は 50 cm ほどもある。 吾輩の空中庭園には雑草という名のあはれな艸はない。 むしろすべてが雑草ともいえる 。だから コレハ ナンダ とおもったが、放っておいただけのこと。

¶ 元旦から駅伝をテレビでみる。  オフサカ-ゲーニン-録画版-莫迦嗤い-番組 はみない。
実業団の駅伝はかなり熱くなったが、学生の箱根駅伝はあまりにショーアップされて燃焼不足。 体育会学生がついにゲーニンになったのかナ。 アナウンサーの絶叫もチトうるさい。
だから往路はみたが、復路はパス。 ミヤギタニ文庫版 『 三国志 』 を手にする。 ここのところ北方謙三 『 揚家将 』  『 水滸伝 』 『 揚令伝 』 にすっかりはまっていた。
現在はいったい何巻になるのかわからない 『 史記 』 を、刊行されるたびに、待ってました ! と購入。 ケンゾウめ、司馬遷の名作をここまで勝手に改竄、断裁するのかとおもう。 えれぇ筆力だ、ト 呆れるばかりなれど、やめられない。

¶ もちろん ケンゾウ 『 三国志 』 もすでに読んでいた。 そんなケンゾウ節のせいもあって、久しぶりのミヤギタニに、すぐには入りこめなかった。それでも20ページほども読み進めると、すっかりミヤギタニに捉まったから単純なものだ。 このネットリ絡みついて離さない、大蛇アナコンダのような文体も味がある。 結局外出時も鞄に入れて持ち歩き、休暇中に読了。

凄い人混みの川越大師喜多院の達磨市

¶ そこで凡人、01月03日[月 正月休暇]、箱根駅伝観戦を早早に中断。 帰京したノーガク部と、川越喜多院の達磨市にでかけた。 このダルマは一昨年11月、宇都宮駅で偶然 「 高崎ダルマ市 」 を開催していて、無償配布をうけたもの。
俚諺 リゲン にいうぞ、「 タダほど高いものはない 」 ト。 まったくそのとおりで、ちょっとした願いごと (ささいなものだ、内緒だけど) をして片目を入れておいたら、昨年年末にめでたく念願成就とあいなった。 だから両目に墨がはいったが、サテその処分に困惑した。
信心などほとんどないが、「 このダルマさんを、まさか燃えるゴミにはだせないなぁ 」 ということで、Website で調べて、一番近く、休暇中にダルマ市を開催している川越にでかけた。

¶ びっくりした。東武線川越駅を降りたら、いきなりそこから長い行列。 「 喜多院 達磨市 専用往復バス切符 」 を売っていた。 行列の後尾についてようやく切符を買って、ピストン輸送の満員バスになだれ込むように乗り込む。
喜多院についたらますます押すな押すなの人混み。 人にアタル(中毒する)たちのやつがれは、もう青息吐息、酸素欠乏症状を呈する。 ラッシュアワーの通勤電車の比じゃない。 ただただうしろから突きとばされてあるく仕儀となる。

¶ 捨てにきた モトイ  お納めにきたダルマだから、べつに潰れても構わないはずだが、吾輩、なぜか後生大事にダルマを抱えてあるく。「達磨納め所」 の立札をみつけてそこに猛進。
道中、やはりことしのダルマも要るな、 ト おもいつく。 あたらしいダルマを購入。 衝動買い。 これでは輪廻転生 リンネ-テンショウ、来年もまたまた川越に来なくてはならなくなった。
つまり、結局のところ、タダでもらった達磨が ―― おそらく業者の狙いどおり、有料の新品に変わっていた。 <ウ~ン、ダルマ屋長期販売戦略か>。 しかも 「 達磨納め所 」 で志納金投入。交通費、食費その他を考慮するとかなりのもの。

¶ それでも餅ばかり食していたので、人混みをかきわけ、あちこちの屋台で怪しげなものをさまざま食した。 「 じゃがバター」 は旨かった。 ジャガイモを蒸かして、そこに一斗缶に入った 「 バター付け放題 」 だった。が、これはバターというよりマーガリン以下のシロモノ、黄色いなにか油の一種か。 むかしの学校給食のジャムバターをおもいだした。
さらに「たこ焼き」、「牛串 ―― 和製シシカバブー」、「お好み焼き」などを、ノー学部が得意げにつぎつぎと買ってくるママ食す。それにしても、あの人混みのなかで、よく喰いまくったなぁ。

新旧のダルマ。どちらが美男におわすか?

ダルマ納め所で、小さいながらも頑張る吾輩のダルマ。

¶ 昨年一年間、毎日にらめっこしてきた高崎ダルマとのお別れに、新旧の達磨をもって祠の裏に入りこんで記念撮影パチリ。 よくみたら高崎ダルマは小ぶりながら、彫りが深いお顔立ちで、なかなかの美男におわしました。 だから別れがたいおもいもある。
新人 ・ 川越大師のは、顔がでかく、彫りが浅い顔立ちで、なんとなくロンパリ ・ メンタマだった。 眉宇ビウ のあたりもきもち迫力に欠けるかな。 まぁこんなものかと納得。

¶  高崎ダルマをもって 「達磨納め所」 に入る。 うずたかく積まれたダルマがあった。 みんなが大願成就で両目を入れていたし、裏面には願文があった。 ほとんど無病息災、家内安全などと平凡だったが、なかに 「一攫千金 イッカク-センキン」 という、おそろしいのか、はたまた図々しいのかわからん願文を書き、両目を入れたおおきなダルマを発見。
その上にやつがれ高崎ダルマを鎮座させた。「一攫千金」 を成就したひとは、宝くじをあてたのか、泥ボーにはいったのかしらないが、メンタマも眼をむくようにでかかった。 その上に鎮座したのだからことしは凄いぞ。

¶ それにしても、この人混みの民草は、儚ハカナき願望をいだき、そのささやかな成就を謳歌しておるというのに、なぜにマス ・ メディアは、めでたい正月早早、口角泡を飛ばし、性事 モトイ 政治と金、性事 モトイ 政治不信、オザワ問題などと、十年一日、いつまでたっても (毎年 ・ 毎月 ・ 毎時) おなじことどもを、飽きもせで、たんなる繰り言をならべたて、セージの足を引っ張って得意になっておるのか。
すべてのつまらんギョー-カイ-ジンどもよ、雁首揃え 「 川越 喜多院 達磨市 」 へ詣るべし。
そしてアチチアチチの 「じ ゃがバター」 を食すれば、諸君のつまらんヒステリーや、欲求不満も解消するはずだ。 ともかくうるさいんだよ、あなたがたギョー-カイ-ジンは ネ。

宇都宮美術館外観(同館案内より)

《 あくまでも美術館にいったのだ、餃子を食しにいったのでは無いはずだ が 》
¶ 01月04 日[火 ・ 赤口・ 正 月休暇]、宇都宮美術館 「日本近代の青春 ―― 創作版画の名品」 展にいく。 ここはともかくゆったりとした時間が流れているから好きだ。 おまけに帰りがけには名物デッカイ餃子も喰えるしな。
さすがに正月、駅からの宇都宮美術館行きのバスはまったく貸し切り状態。 されど駐車場は栃木 ・ 宇都宮ナンバーの車でいっぱい。地 元客の来館者がおもいのほか多かった。

¶ 版画の印刷版と印刷方式にこだわった丁寧な解説におどろく。 ようやくここまできたか…… のおもい。 明治以降の木版画の多くは、バレン刷りではなく機械刷りであった。 印刷用の版、印刷版を理解してくれたようで欣快のおもい。 詳細省略。
「月映 ツクハエ」 にあらためて感動。 いずれ恩地孝四郎邸訪問記をアップの予定。 写真は同館案内パンフレットのもの。01点だけ、ちょいと藤森静雄を気取った、影印のある風景をパチリ。

明るい樹林に夕陽が射しこんでいた。

¶ 01月10日[月 ・ 成人の日 ・ 祝日]、正月明けから、05,06, 07日と営業したが、どこか間抜けな週であった。 バタバタしただけで、なにもまとまらずに時間だけが過ぎた。 まぁ暖機運転というところか。
01月11日[火 ・ 鏡開き]、いよいよ朗文堂も本格始動。 この週、すでにスケジュール表に余白無くビッシリ。

本日01月11日、一点の雲無き快晴。されど気温10度と寒し。
正月は終わった、燃えねばならぬ。