01 プロローグ
やつがれは、信州信濃の山奥からでてきた暢気な次男坊カラスである。
もともとバックひとつをぶら下げ、ふらりとお江戸にでてきたから、ものごと、金銭、身分、地位にこだわりはすくない。
むしろお江戸に倦んだら、またべつのところ ― 帰郷するか、天国か地獄 -にでも、まぁどこにでも往けばよいとおもう。
往って、そこで生きる ―― 往生か。 それもいいなぁとおもう。
つまり、おおかたの長男坊のように、家や門地にとらわれ、しがらみや守るべきものがないから、ものごとに拘泥するのは好きではない。 さらなる悪癖は、世間様の常識とされるものや、きまりごとには、むしろ反発することのほうがおおい(損な性分でもある)。
それより、たれにも、なににも、縛られることなくいきていたいとおもう。 等身大の自由人としてすくっと立っていたい。 また本気で 「 やつがれは、衣食住には関心がない 」 といってあきれられることのほうが多い。
こうした阿呆な次男坊カラスのことを、長男坊、有名人好き、権威好き、上昇志向が旺盛なひとは、
「 まるでボヘミヤの住人のようだ ―― という意で―― ボヘミアン Bohemian 」
と呼んで軽視もしくは蔑視するふうがある。
ボヘミアンとはもともとボヘミア地方の住人のことで、その中心都市はチェコのプラハである。
ボヘミアン ― チェコのひとは、欧州の中心に位置しているという自負がある。 ただし、その地勢的な位置関係から、避けがたく、絶えず隣国の脅威にさらされ、それと闘い、ときには流浪し、堪え忍んできたという歴史もある。
また鉄鋼業を中心に産業もさかんであり、古来地味はゆたかで、ジャガイモ、テンサイ、ホップなどの農産物がおおく、チェコのビールは格段の味わいらしい。
下戸のやつがれはつまびらかにしないが、わが国でよく語られるほど、ドイツではビールを飲まないし、むしろワイン、それも白ワインを自慢するふうがあった。
ところがプラハでは、街のいたるところにビアレストランがあって、夕まぐれから深夜にかけて、おおきなジョッキを傾ける光景をしばしばみかけた。 またガラス工芸、機械工業も盛んな地である。
すなわち 「 ボヘミアン、おおいに結構じゃないか 」 とおもい、一度はプラハにいきたかった。
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ところでノー学部。 オカルトだい好きのノー学部の本棚には、やつがれがアンタッチャブルな一隅がある。
趣向が異なるやつがれには詳しいことは不明だが、そこには不気味な書籍がずらりと並んでいることは知っていた ( のちにその多くに、ヤン ・ シュヴァンクマイエル などの、チェコとゆかりの深い資料が含まれていることを知ることになる )。
そしてはなしの端端から、ノー学部も長年チェコ行きの機会をうかがっていたことも気がついていた。
ただしやつがれが10年ほど前に からだを壊したことと、飛行場や航空機が禁煙となり、愛煙家として大陸横断の長距離フライトを敬遠したために、最近は国外旅行といえば、もっぱら近場の中国や台湾が主流となっていた。
しかし一昨年2013年の年末、ノー学部がいつものごとく、やつがれにはなんの相談もなく、唐突に、
「 来年の秋に、チェコに行くチケットを予約したからね 」
とのたまわった。
そんなわけで、2014年の晩夏に03泊04日の弾丸旅行でプラハにいった。
報告がおそくなったがここ < 花筏 > に何度かにわけて報告したい。
プラハ到着の翌日、時差のせいもあって、早朝から起床してホテルの近くを散策した。
市民会館前の広場に面して ちいさな教会があり、その石彫の文字がおもしろかった。 聖書の一節らしかったが読めなかった。
それでも こういう素朴な教会には似合いの石刻文字であり、「ローマ大文字 I 」 が長くのばして書かれている 「イ ・ ロンガ、アイ ・ ロング 」 も印象的だった。
協会中庭の壁面に 数枚の木製の長板があった。 わが国の 「 千社札 」 のように、ここに礼拝した記念にのこすのであろうか、金属製のプレートに名前や祈祷の句を、刻印やシルク印刷にしたプレートが、たくさん木製の板に打ちつけてあった。
この習慣は合理的で、長尺の木板がプレートでいっぱいになると、教会内部の一隅に一定期間保存されるらしい。 これならば、ところ構わず、薄汚れた 「 千社札 」 がベタベタと貼りつけられた わが国の神社仏閣よりは、よほど清潔でよい。
《 プラハは様式のまちとされる ―― ロトンダとゴシックの建築と活字書体 》
LETTERS OF LATIN ORIJIN
ローマを起源とする文字
Roman Letter なめらかな文字 : ローマン体
Blackletter 折れた文字 : ブラックレター
◯ Blackletter = Round Gothic, Rotunda -ラウンド・ ゴシック、ロトンダ since 1486
i , n , m の上部のセリフが、鋭い尖りではないが折れている。カロリング朝の小文字のようなまるみを持つ。
◯ Blackletter = Textur - テクストゥール since 1455
小文字のストロークがほとんど折れている。
参照資料 ―― ヤン ・ チヒョルト 『 書物と活字』 ( 朗文堂、p.24) ロトンダ系の活字書体組版の追試(デジタルタイプ)
プラハのもっともふるい地域、ヴィシェフラド丘に現存するロトンダ様式の教会。
1100年ごろに建てられた聖マルティン教会のロトンダで、現存する建物の中ではプラハ最古の建築物とされる。
このころの石積みは素朴で、ロマネスク様式の特徴である平天井を支えるために、石壁は粗削りで、分厚く、入り口や窓はちいさく開けられていることが特徴である。
この正面入り口は後世に改造されたとみられるが、壁と採光のための窓は創建時の素朴さをたもっていた。
この教会には、活字書体 < ロトンダ > が似合いだとおもった。 しばらくベンチや芝生に腰をおろしてながめていたが飽きなかった。
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プラハ観光の最大の中心地、プラハ城には、ゴシック、ロマネスク、ルネサンス、アールヌーヴォなどの様様な様式の建築物があるが、なんといっても、天を突く尖塔がシンボルのゴシック様式による 「 聖ヴィート大聖堂 」 が観光客をあつめていた。
09月なかば、この晩夏の時期は、欧州では 「 アフター ・ バカンス 」 とされる。 バカンスの期間は混雑を避けて旅行を控えていた高齢者と、バカンス期間にアルバイトをして、懐があたたかくなった若者たちが、オフシーズンで安くなったチケット利用しての旅行者が多くみられた。
この建物は F ・ キセラの設計によるもので、内側からみると、画家/アルフォンス ・ ムハ ( わが国では ムシャ ) らによるステンドグラスが美しい ( らしい。 やつがれ、混雑につかれて内部には入らなかったゆえに失敗した )。
「 聖ヴィート大聖堂 」 のファサード上部に、いわゆるブラックレターの掲示板があった。
この系統の書体は、活字界では 「 テクストゥール 」 とよばれる。 ゴシック様式の尖塔によく似た、鋭角的で、ゴツゴツとした突起の目立つ形象の活字書体である。
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明け方は閑散としていたホテル近くの市民会館広場だったが、しばらくすると露天がたくさんでていた。チェコのものなりの豊穣さを感じさせる店がおおく、チマチマとプラスチックのケースやビニール袋などに入れず、おおきな箱にはいって、ドカンドカンと陳列され、地元客と観光客とであふれていた。
その一画に 「 鍛冶屋 」 が出店していた。 コークスが赫く燃え、鞴フイゴこそ足踏みにかえてモーターを用いていたが、ふるくからあった村の鍛冶屋のふんいきがよかったし、オヤジの頑固そうな風采も気に入った。
だいぶ長いことアホ面をさらして「 鍛冶屋 」をみていたので、脇の店舗でテヘッとした表情の「蜘蛛」の細工物を買った。 オヤジが気になったのかのぞいて、塗料がはげているから直す……、という素振りをみせたが、このテヘッとした表情には、かえって塗料がはげかかったそれがよかった。
プラハは職人と工匠のまちでもあった。
あの「千社札」のようなプレートも、こうした工匠がいてこそ製作される。 わが祖国よ、日本よ、いつのまにか、ものづくりの匠のこころと、技芸家、アルチザンの精神をうしなってはいないだろうか……。