「東京名所 常盤橋内 紙幣寮 新建之図」 広重画 御届 : 明治10年(1877年)01月25日
『 大蔵省印刷局百年史 』 ( 第一巻口絵、大蔵省印刷局 昭和46年06月30日 )
明治10年ころの紙幣寮
『 大蔵省印刷局史 』( 口絵写真 大蔵省印刷局、昭和37年09月26日 )
1876年(明治09)近代的なお札の国産化を実現するため、東京大手町に現在の国立印刷局の工場が建設された。 常盤橋はいまも皇居前、日本銀行との間に現存するが、東日本大震災のときの被害があって補修工事中である。
旧国立印刷局の建物は、西洋式の赤煉瓦づくり。 正面上部には菊花紋章、その上に鳳凰像をいただいた建物は 「 朝陽閣 チョウヨウカク 」 と呼ばれ、その威容は東京の新名所となった。
「 朝陽閣 」は192年(大正12)、関東大震災によって崩壊したが、幸運なことに正面玄関頭頂部に設けられていた鳳凰像は事前に颱風にそなえて取り外されていたために被害を免れた。
その後さまざまな流転があったが、現在は創建時の姿に修復されて、東京都北区滝野川にある印刷局東京工場の玄関脇に設置されているという [ お札と切手の博物館ニュース Vol. 35 2014年12月01日 ]。
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お札と切手の博物館が、まだ大日本印刷市谷工場の脇 (国立印刷局市谷工場跡) にあったころは、近くもあったのでしばしばこの施設を訪れていた。
それが国立印刷局王子工場の脇に移転してからは、はじめての訪館となった。 ゆったりしたスペースだった市谷時代にくらべると、だいぶ手狭なスペースになっていたが、スタッフの努力で 展示内容はみるべきものがあった。
JR 王子駅からすぐ近くに印刷局王子工場がある。 近年は地下鉄も開通しており便利になった。王子工場の門扉にも「鳳凰」のマークが透かし彫りで入っていた。
工場脇の花壇には、向かって右から順に、<雁皮 ガンピ>、< 三椏 ミツマタ >、< 楮 コウゾ > などの製紙材料となる灌木が植えられていた。
これらは虎ノ門工場にも、市谷工場跡にもあったもので、良質の製紙材料となる。
三椏ミツマタは枝分かれするさい必ず三つ叉に文枝するのでその名があり、このときはまだ蕾はかたかったが、早春のころ、櫻の開花に先だって、沈丁花にも似たつよい薫りを発する。
今回の特別展示(会場二階)は 「 紙幣と官報 ふたつの書体とその世界 」 がテーマであった。
印刷局では紙幣の書体の中心を < 大蔵隷書 > においている。
「 近代的紙幣が発行され、公的書類に使用されていたこの [ 大蔵隷書 ] 書体が用いられてきたのは、この書体が国家の威厳を表すのにふさわしいと考えられたからである。
大蔵隷書は、紙幣に用いつづけられることで、さらなる威厳や信用を付与され、通貨の専用書体として認知されるにいたったのである 」 ― 同展図録より。
また印刷局には 「 官報 」 などにもちいられる、公共性のたかい本文用書体もあり、それを 「 印刷局書体 」 としている。
「 法令は官報の発行をもって効力を発する。 そのため、遅滞なく確実に印刷発行されることが官報の使命であり、安定的に入手できるという利便性が官報の文字にとっての第一義であった。
しかしながら、印刷局書体には公文書で用いられてきた楷書の趣がのこり、大正の書体改造でも正統性を重視していることから、伝統の保持が意識されていたようにおもわれる 」 ― 同展図録より。
《 印刷史研究においても看過されがちだった 印刷局の特異な活字製造 》 ― 同展図録より。
上掲図は同展図録 「 太政官日誌の活版化 」 より。
明治最初期、印刷局の濫觴が 「 紙幣寮活版局 」 であったことはよく知られるところであるが、既存の、あるいは臨時的な組織が、どのように紙幣寮活版局に、そして印刷局に吸収されていったのかが、今回の特別展パンフレットには図版で紹介があった。
同展パンフレットは引用に厳格な制限がみられたので、p.03 の図版をもとに、整理して新製作図版としてここに掲載した。
またp.07-08 にかけて掲載された 「 活版印刷作業工程 」 には、活字鋳造設備の導入時期に関する紹介が写真図版入りでみられた。
- [ 活字 ] 母型製造
活版印刷事業創世時、電胎法 [ 電鋳法 ] によって切片状の文字部 ( ガラ版 ) をつくり、それを真ちゅう製の角材に取り付け〔かしめた〕ものを [ 活字 ] 母型としていた。
しかしながら、[ 印刷局は ] 1912年(明治45)にベントン彫刻機を導入し、直接金属片に文字を彫刻して [ 活字 ] 母型をつくる方法に変更した。 - 活字鋳造
[ 活字 ] 母型を活字鋳造機の鋳型に密着させて、地金を流し込み、活字を鋳造する。
活字鋳造機には手回し式と自動式があり、印刷局ではカスチングと呼ばれる手回し式を印書局より引き継いで以降、昭和初年まで使用し、のちに自動式に切り替えた。
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上掲二項目は、いわば筆者の備忘録ともいえるものであり、もしも難解だとおもわれたら、当分は読み流していただきたい。
こころを打たれたこと ―― 二階展示室に組版台が置かれてあり、その引き出しに 『 日本国憲法 』 とラベルが貼られた 「 置きゲラ 」 が数枚あった。 わが国の新憲法は1946年11月03日に公布され、翌47年05月03日から施行された。
担当職員にお願いしたら、ゲラケースから半分ほどまでを引き出して見せてくれた。 しっかりと結束され、鉛の鈍い光彩をはなっていた。
すなわちこの 「 日本国憲法の置きゲラ 」 は、すでに70年近くにわたって、独立行政法人 国立印刷局 の職員であり、印刷技芸家であり、タイポグラファによって、たいせつに守りぬかれてきたものである。
ところで一階の展示には、お札の偽造防止のさまざまが解説されていた。 もともと紙幣の偽造などはまったく考えてもいないから、サラリとみただけである。
また、現在では前述の 「 大蔵隷書 」、「 印刷局書体 」 もデジタル化されているそうである。
それでも紙幣にあっては、「 大蔵隷書 」 をデジタル出力したものを、そのままもちいているわけではない。
「 千円札 」 の表面左側の図版を示した。 お手元の千円札でも見くらべていただきたい。
ここには < 日本銀行 > の文字が上下の行にもちいられている。 このふたつの < 日本銀行 > は、すべての字の、字画の一部に、偽造防止のために巧妙に設けられた相異がみられる。 それでありながら < 日本銀行 > である。
< 字 > の玄妙さ、いいつくせぬ魅力とはこんなところにもある。
特別展示
平成26年度 第 2 回特別展
紙幣と官報 2 つの書体とその世界
書体とは文字の姿のことです。
活字印刷技術の誕生以来、これまでに多くの書体が生み出されてきました。
印刷局でも、独自の書体をつくっています。
印刷局の独自書体は 2 種類あり、ひとつはかつて活版印刷物用として開発され、官報に用いられたもの、もうひとつはお札などの偽造防止対策が必要な印刷物用につくられたものです。
本展は、これらの書体が、官報が法令を伝えるために、あるいは、お札がお金としての信頼を得るためにどのような役割を担ったのか、その誕生背景などから探ります。
◯ 開 催 日<会期終了>
平成26年12月16日[火]-平成27年03月08日[日]
◯ 開催場所
お札と切手の博物館 2 階展示室
【 展示詳細 : お札と切手の博物館 特別展示 】
【 展示詳細 : お札と切手の博物館 特別展示 見どころ解説 】