『トラヤヌス帝の碑文がかたる』(木村雅彦 ヴィネット01号 朗文堂)
《 持つべきものは良き友人か 》
これまで「A-L」まである北京空港のチェックインカウンターに、なぜか「G 列」と「I 列」が無いことを紹介してきた。
その理由を考察する前に、このことを報告がてら、サインデザインや空間デザインを多く手がけている「GKデザイングループ」の木村雅彦さんに、ほかにもサインデザイン製作の現場でこのような事例が報告されていないのかを問い合わせてみた。
こののち、木村雅彦さんは台湾行政府からの招聘で現在は台湾出張中であるが、まず、ここにGKデザイングループからの報告をご紹介したい。
あわせて本項をご覧になった読者からの情報提供もお待ちしたい。
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[GKグラフィックス 木村雅彦さんのコメント]
こんにちは。漢字だけ、それも横組みベタ組みを多く見かける中國での字間のコントロールと、北京空港でのサイン表記の記事を興味ぶかく拝見しました。
お問い合わせのあった、大型施設でのサインのキャラクター選択の事例に関し、GK設計でサイン企画を担当している鎌田博美(もとチームの同僚)からのコメントをご紹介します。
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[GK設計 鎌田博美さんのコメント]
今までの業務の中で、スタジアムの仕事の時に同じような状況に遭遇しました。
このときは、ゲート番号をアルファベットで表記し、座席番号をアラビア数字で表記する場合、ローマ大文字の「I」は、アラビア数字「1」との誤読を避けるため、「I」はゲートサインからは抜いた提案としました。
(この時のゲート番号には A-M までのアルファベットをもちいましたが、この中で「I」を使用しませんでした)。
海外のスタジアムでも同じような傾向がみられます。その一部をご紹介します。
[海外のスタジアム事例 Ⅰ]
◎ ドイツのサッカースタジアム 「アリアンツ・アレーナ Allianz-arena」
ゲートサインに「 I, O, Q 」 を使用していない。
「アリアンツ・アレーナ」は、ドイツのミュンヘンにあるサッカー専用のスタジアム。「アリアンツ」とはドイツ最大の保険メーカーの名前。
[海外のスタジアム事例 Ⅱ]
◎ イギリスのフットボールスタジアム 「ウェンブリー・スタジアム Wembley Stadium」
ゲートサインに「 I, O 」 を使用していない。
サッカーなどのフットボール専用のスタジアムですが、イングランドを発祥とするサッカーとラグビーの2つのフットボールのうち、「トゥイッケナム・スタジアム Twickenham Stadium」が「ラグビーの聖地」と称されるのに対して、「サッカーの聖地」と称されるのがこの「ウェンブリー・スタジアム Wembley Stadium」。
北京空港のゲートサインに使用されなかった「G, I 」とは、ゲート数も違いますので若干ことなりますが、これら三つの大型施設に「共通して I 」がもちいられていないことと、わたしたちが担当したプロジェクトでも、共通してローマ大文字の「I」の使用をさけたことは興味のあるところです。
以上、簡略ながら少しでもご参考になればと思います。[GK設計 鎌田博美]
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「GKデザイングループ」からの報告と、やつがれの発見をまとめてみよう。
◎ GK設計が手がけたスタジアムのサイン設計にあたり、A-M までのゲートサインのうち、「I」を使用していない。
その理由は、アラビア数字の「1」と、ローマ大文字の「I」との「誤読を避けるため」であったとされている。
◎ ドイツのサッカースタジアム 「アリアンツ・アレーナ Allianz-arena」は、A-R までのゲートサインのうち、「 I, O, Q 」 を使用していない。
◎ イギリスのフットボールスタジアム 「ウェンブリー・スタジアム Wembley Stadium」は、A-P までのゲートサインのうち、「 I, O 」 を使用していない。
◎ 北京空港のチェックインカウンターは、A-L までのゲートサインのうち、「 G, I 」を使用していない。
《 結論をもとめる前に、サイン用にもちいられることの多い、ローマ大文字の歴史をみる 》
先に羽田空港にある「 BULGARI ブルガリ ROMA 」の広告を紹介した。
北京清華大学での講義への旅立ちを前にして、この広告には関連したテーマがギッシリとつまっていた。
まず、フォロ・ロマーノにある「トラヤヌス帝の碑文」の伝統を継承した、ローマ大文字の揺らぎのない字画形象、風通しの良いおおらかな字間設定、「U, V」の古典的なつかいかたが目につく。
そして彫られた文字に特徴的にあらわれる、控えめなセリフ、なかんずく、最終文字に登場する「I」の上下にみられる控えめなセリフと、最終部の「R I」にみられるような大胆かつ見事なまでの字間調整である。
ところで、高齢化して視力の衰えた友人が「C, G」をあやまって判断することがあると述べたことは既述したが、
「浮世ばなれしたかれなら、イタリアのファッションブランドのブルガリを知らないだろうし、まず BVL で発音にこまって、さらに GARI を CARI とやりかねんな……」 とも考えた。
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上掲書『トラヤヌス帝の碑文はかたる』のなかで、木村雅彦氏は以下のようにしるしている。
「トラヤヌス帝の碑文」に刻まれた六行の文字のおおきさは、一見上部の行が大きくて、下の行になるほど徐徐に小さくなっているように見えます。
またこれまでの定説では、ひとが下から見上げたときに、文字の大きさが同じように見えるように、視覚的な遠近法による調整がほどこされているとされてきました。
しかしながら、碑文を採取して実測してみると、二行目がもっとも大きくて、一行目と三行目に対して104%であることがわかりました。この二行目の中央部には「神なるミルウァの息子」という文があって、DIVI つまり「神なる」という意味の単語にみるふたつの「I」には、「アイ・ロンガ」と呼ばれる、神に関することばを強調するための長い「I」がつかわれています。
ジョバンニ・フランチェスコ・クレッシのローマ大文字(1570年)上掲書p.35
ローマ大文字「Q」は英語アルファベット17番目の文字であるが、実際に単語を形成するのは「Quack, Quake . . . . Quote 」まで、「Q」からはじまるほとんどすべての語の次に「u」がくるため、昔から「Q」の尾部(Tail)を長く描き、そこに「u」を乗せて「合字」としたものも多かった。
それにたいして現代の活字書体、なかんずくサンセリフの「Q」の尾部は、ちいさくて貧相で、「O」との判別性 Legibility に劣るものがおおく見かけられる。
2014年09月 チェコ、プラハの街角の教会にみた「アイ・ロンガ」の例。建造年などは不詳
[ 花筏 朗文堂好日録038-喫煙ボヘミアン、プラハへゆく-01 プロローグ]
朗文堂ではこのようなおおらかなローマ大文字の彫刻風の力感をもとめて、ながらくホームページ「ROBUNDO」のタイトル書体としてもちいている。
おりしもヘルマン・ツァップが逝去して一年が経過したが、ここにみる「ROBUNDO」の大文字だけの活字書体は、ヘルマン・ツァップによって設計された、碑文系書体「ミケランジェロ・タイトリング Michelangelo Titling」(D. Stempel AG /フランクフルト 1950年)である。
朗文堂ホームページのメインタイトルは、1999年以来碑文系由来の「ミケランジェロ・タイトリング」がもちいられてきている。
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ
1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ
1950年の秋、わたしたちは活字書体のインスピレーションをもとめてイタリアへでかけました。この旅ではもっぱらスケッチブックとカメラを手に、フィレンツェ、ピサ、ローマをおとづれて、ふるいローマ時代の碑文を探しました。
ここでの数数の碑文との出会いと、フィレンツェとバチカンの図書館で見たすばらしい書物が、その後のわたしたちの活字設計におおきな影響をあたえました。とりわけ刺激がおおきかったのはトラヤヌス帝の碑文との出会いでした。
文字の美しさを理解するひとならだれでも、西暦114年にローマのフォロ・ロマーノ地区に建造されたトラヤヌス帝の大円柱にしるされた碑文をみて、わたしがいかに有頂天になったかを理解していただけるでしょう。
ところが残念なことに、この碑文の位置がたかすぎて、歪みのない、まともな写真を撮ることができませんでした。それでも諦めきれずに奮闘するうちに、どうやらわたしはだれの眼にも明らかなほど夢中になっていたようです。
たまたまそばを通りかかった警備員は、メジャーをもって大円柱に詰め寄るわたしを見て、碑文をはぎ取って地面に引きずりおろそうとしているとおもったのでしょうか、あわてて制止されたことが懐かしくおもいだされます。
《 そもそもサイン Sign とはなにか。なぜ標識・記号・看板ではいけないのか 》
sign は、名詞では意味をもったしるし、動詞では意味をもったしるしをしるす。
要約すると、あらわれ、形跡、身ぶり、標識、記号となり、それらの情報を記載した「看板」のことである。
看板なら比較的最近まで、町角のおちこちに「看板屋」の看板をかかげた自営業者が見られたが、近年はサインデザインという名称で、平面設計の分野のひとつになり、町角から店舗は消えた。
さらに環境・景観デザインなどということばもうまれてきた。すなわち比較的あたらしい造形のジャンルであり、発展途上にある職種でもある。
そもそも和製英語としての「サイン」は混乱の極致にある。
作家や著名人などにもとめる「サイン」は、Sign ではなく autograph である。
「Can I have your autograph ?」 であり、「サインをください Can I have your sign ?」は誤まりであることは何度かしるしてきた。
野球などでの監督やバッテリー間の「サイン」は Signal 。サイン入りボールは an autographed ball 。図書の「サイン会」は an autograph session である。便利な用具であり、ことばの「サインペン」は完璧な和製語であり、ふつうは「フェルト・ペン」としたい。
「看板屋」さんの時代は、個性とおもむきのある手書き文字がつかわれてきたが、看板がサインボードと名称が変わったころから、分業化と工業化がみられ、さまざまな機器、現代ならコンピューターを駆使して製作されている。
さらに工業化がすすみ、工業製品のひとつとなってからは、技芸家が文字部をしるすことが急激に減少し、かつての手書き文字にかわって写植活字やパソコン電子活字がもっぱらもちいられている。
そこではローマ大文字の出自、標識や記号の時代はわすれられ、ほとんどが肉厚で、キャラクターの特徴点でもあった、セリフを失った「仏:サン・セリフ、英:セリフレス・ローマン、独:グロテスクとも」の使用がもっぱらである。
この報告はⅢをもって終わる予定でいたが、近年のわが国の欧文電子活字情報には、あまりに正確な情報が乏しく、製品・商品名をもちいた企業宣伝というより、あまりに大量な、掲示板用語でいう「ステマ Stealth marketing」情報が多すぎることに気づいた。
そこで結論を急ぐことなく、読者と共に『欧文書体百花事典』「SANS SERIF 誘目性から出発し、可読性をめざして――サン・セリフ体の潮流」(組版工学研究会編、杉下城司担当 p.441-446 朗文堂)をじっくり読み込んでから、このローマ大文字をもちいたサインシステムの考察をふかめたい。
[この項つづく]