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朗文堂-好日録032 火の精霊サラマンダーウーパールーパーと、わが家のいきものたち

ウパルンⅠ世

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《飼育に未熟だった。かわいそうに、短命に終わったウパルンⅠ世、そしてサラマンダーへ

【2013年07月27日、土曜日】
やつがれが歯医者(での治療 or 拷問?)にいっているあいだに、ちかくの「マルイ」の特設熱帯魚売り場から、家人が魚ともいえない妙なモノと、小ぶりな水槽、循環水ポンプ、水草などをかかえるようにして買いこんできた。

これには、TV-CM ですっかりお馴染みとなったウーパールーパーという愛称があるが、正式にはメキシコサラマンダー(Ambystoma mexicanum)とされ、もともとメキシコの湖沼に棲む両生綱有尾目トラフサンショウウオ科トラフサンショウウオ属に分類される有尾類だそうである。
その愛称ないしは流通名が「ウーパールーパー」らしい。

ところが灼熱の焔からうまれる鋳造活字をあつかうタイポグラファとしては、こと「火の精霊 ── サラマンダー or サラマンドラ or サラマンドル」と聞くと、こころおだやかではない。
サラマンダーとは、欧州で錬金術が盛んだったころに神聖化され、ルネサンス初期のスイス人にして、医師であり錬金術士でもあった パラケルスス によって、「四大精霊」とされたものである。
四大精霊とは、地の精霊・ノーム/水の精霊・ウンディーネ/火の精霊・サラマンダー/風の精霊・シルフである。
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活版印刷の祭典「Viva la 活版 Viva 美唄」のイベントタイトルを、北海道の大河・石狩川にちかく、その支流・美唄川のほとりの会場「アルテ ピアッツァ美唄」にちなんで、若きアドリアン・フルティガーの設計で、パリのドベルニ&ペイニョ活字鋳造所から発売された、欧文金属活字「水の精霊 オンディーヌ」をもちいたことは、アダナプレス倶楽部のコラム欄に既述した。その一部を引こう。

「Viva la 活版 Viva 美唄」の新イベントサイン用書体として選択されたのは、日本語総合書体【銘石B くれたけ】と、欧文デジタルタイプの【オンディーヌ】であった。
【詳細情報:朗文堂タイプコスミイク 銘石B Combination 3  PDF データーつき

「オンディーヌ  Ondine」とは、フランス語で「水をつかさどる精霊」の意で、清浄な湖や泉に住んでいて、ほとんどのばあい、美しい女性のすがたとして描かれている。
語源はラテン語の unda(波の意)とされ、欧州各国語では、ウンディーネ(独:Undine)、アンダイン、あるいはアンディーン(英:Undine)、オンディーナ(伊:Ondina)などとされるようだが、ここではフランス発祥の活字(ドベルニ&ペイニョ活字鋳造所、活字設計:アドリアン・フルティガー 1953-4年製作)でもあるので「オンディーヌ  Ondine 水をつかさどる精霊」としたい。

「Viva la 活版 Viva 美唄」のイベントタイトル書体として選択された「オンディーヌ」には、北海道美唄のゆたかな山河をめぐり、四大精霊のひとつ「水の精霊・オンディーヌ」にちなんで選択されたのには、こんな背景があった。
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もうひとつ「火の精霊・サラマンダー」は、古代ローマ時代では、「冷たい躰をもち、たちまち炎を消してしまうトカゲ」、「炎をまとう幻のケモノ」とされていた。
やがてそれが錬金術師・パラケルスス(Paracelsus  1493? -1541)『妖精の書』によって、四大精霊のうちの火に属する精霊として定義された。

わが国では神秘性を帯びて「火蜥蜴ヒトカゲ」とあらわされることもあるが、即物的に「サンショウウオの一種」とされることもある。
欧州では古来、炎をまとったトカゲ、または火の中でも生きていられるトカゲとして、怪異な姿で描かれることが多い。また、サラマンダーは、怪我をしても火を食して再生すると信じられていたことがあり、いまでもキリスト教の教会や、騎士のシンボルとしても使われており、かならずしもウーパールーパーのような可愛いしろものばかりとはいえない。
【リンク:サラマンダー画像集】。

フランス国立印刷所uu
中世の錬金術と、鋳造活字の創始には深い関連があるとされている。そのためか、フランスに本格的なルネサンスをもたらし、またギャラモン活字の製作を命じた フランス国王、フランソワⅠ世(François Ier de France, 1494-1547)の紋章と、パリの「フランス国立印刷局 Imprimerie Nationale」の紋章は、ともにサラマンダーであり、すこし愛嬌がありすぎるがウーパールーパーはその縁者なのである。
家人はやつがれのこうしたこだわりの痛いところをついて、ペットとしてのサラマンダー(ウーパールーパー)を、なんの断りもなく、勝手に買い求めてきたのである。

やつがれがフランス国立印刷局を訪問した当時の紋章は、恐竜にも似た怪奇的な図柄であったが、現代はモダナイズされて「火を吐くトカゲ」の、愛嬌のあるデザインにかわっている。
また最近、フランス国立印刷局から、その紋章、サラマンダーに関するいくばくかの資料をいただいたが、この一連の資料を紹介するのには、もう少しの時間をいただきたい。
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また朗文堂 アダナプレス倶楽部はすでに2008年の年賀状において、ギャラモン活字をもちいて、
「我ハ育クミ  我ハ滅ボス  Nutrisco et Extinguo」
と題して、サラマンダーを、鋳造活字の象徴的な存在として扱ったことがある。
ふり返ってみれば、わが国では鋳造活字とサラマンダーに関する情報が不足気味のところに、いきなり年賀状として「火のなかの怪獣 サラマンダー ── アダナプレス倶楽部ではサラマンドラと表記している」の絵柄を送付したから、正月早早このはがきを受け取られたかたは、その奇っ怪さに驚かれたかたもいらしたようである。ちなみにここでいう「金青石 キンショウセキ」とは鉱石ないしは鉱物の意である。

20130701201604192_0002uu

我ハ育クミ  我ハ滅ボス  Nutrisco et Extinguo

―― サラマンドラのごとく金青石は火によって生きる ――

灼熱の炎に育まれし サラマンドラよ
されど 鍛冶の神ヴルカヌスは 汝の威嚇を怖れず
業火の如き 火焔をものともせず
金青石もまた 常夜の闇の炎より生ずる
汝は炎に育まれ 炎を喰らいつつ現出す
金青石は熱く燃え 汝に似た灼熱を喜悦する

朗文堂 アダナプレス倶楽部 2008年01月  

20130701201604192_0003《わが国の鋳物士・活字鋳造者にみる火の神への信仰》
わが国でも、近年まではどこの鋳物士や活字鋳造所でも、火伏せの祭神として、金屋子 カナヤコ 神、稲荷神、秋葉神などを勧請 カンジョウ して、朝夕に灯明を欠かさなかった。
同様に太陽すなわち火の神がもっとも衰える冬至の日には、どこと活字鋳造所でも 「鞴 フイゴ 祭、蹈鞴 タタラ 祭」を催し、一陽来復を祈念することが常だった。

すなわちわずか20―30年ほど前までの活字鋳造業者とは、火を神としてあがめ、不浄を忌み、火の厄災を恐れ、火伏せの神を信仰する 、異能な心性をもった、きわめて特殊な職人集団の末裔であったことは忘れられがちである。その一部を下記にひいた。
【参照資料: A Kaleidoscope Report 002* 『活字発祥の碑』】

もともと明治初期の活字鋳造所や活字版印刷業者は、ほかの鋳物業者や鍛冶士などと同様に、蒸気ボイラーなどに裸火をもちいていた。 そこでは風琴に似た構造の「鞴 フイゴ」をもちいて風をつよく送り、火勢を強めて地金を溶解して「イモノ」をつくっていた。ふつうの家庭では「火吹き竹」にあたるが、それよりずっと大型で機能もすぐれていた。

そのために鋳造所ではしばしば出火騒ぎをおこすことがおおく、硬い金属を溶解させ、さまざまな成形品をつくるための火を、玄妙な存在としてあがめつつ、火を怖れること、はなはだしかった。
ちなみに、大型の足踏み式のフイゴは「踏鞴 タタラ」と呼ばれる。このことばは現代でも、勢いあまって、空足カラアシを踏むことを「蹈鞴 タタラ を踏む」としてのこっている。

この蹈鞴 タタラ という名詞語は、ふるく用明天皇(記紀にしるされた6世紀末の天皇。聖徳太子の父とされる、在位585-87)の『職人鑑』に、「蹈鞴 タタラ 吹く 鍛冶屋のてこの衆」としるされるほどで、とてもながい歴史がある。
つまり高温の火勢をもとめて鋳物士(俗にイモジ)がもちいてきた用具である。 そのために近年まではどこの活字鋳造所でも、火伏せの祭神として、金屋子 カナヤコ 神、稲荷神、秋葉神などを勧請 カンジョウ して、朝夕に灯明を欠かさなかった。

また太陽の高度がさがり、昼がもっとも短い冬至の日には、ほかの鍛冶屋や鋳物士などと同様に、活字鋳造所でも 「鞴 フイゴ 祭、蹈鞴 タタラ 祭」を催し、一陽来復を祈念することが常だった。
すなわちわずか20―30年ほど前までの活字鋳造業者とは、火を神としてあがめ、不浄を忌み、火の厄災を恐れ、火伏せの神を信仰する 、異能な心性をもった、きわめて特殊な職人集団の末裔であったことを理解しないと、「活字発祥の碑」 建立までの経緯がわかりにくい。

《おもいでをたくさんのこして逝った、ウパルンⅠ世》
焔のなかから再生する鋳造活字とサラマンダーの関係はいまはおくとして、やつがれは持病として喘息をかかえており、ハウスダストをもたらす犬猫の飼育は避けているが、小魚となればすでに「出目金3匹、泥鰌2匹」をベランダの水槽で飼育しており、問題はない。
しかもいきなり、この「妙なモノ ── ウーパールーパー」と目があってしまった。俗なことばだが「つぶらな瞳」であった。
飼うことにきめた。というより、もう飼うしかなかった。名前は「ウパルン」とした。

かつてこの「ウーパールーパー」のブームがあった。それは1985年に「日清焼そばU.F.O.」のCMに、ウーパールーパーの呼び名で登場して、その奇妙な愛らしさから、おおきなブームになったものである。どうやらCMに登場した個体も、家人がもとめてきたものも、アルビノ(白体個体)とされるものらしい。
表情はほとんど無いが、ともかく仕草が愛らしく、イトミミズが好物で、乾燥飼料には抵抗していた。帰宅すると「ウパルン」を観察するのが楽しみとなった。

ことしの夏はともかくひどく暑かった。ところが習慣として外出時にはエアコンは切る。そのために密閉された室温は40℃を超える日も多かった。当然水槽の水温もあがり「ウパルン」は次第に衰弱していった。
衰弱の原因が水温が高すぎることに気づき、あわてて外出時もエアコンを入れっぱなしにしたが、ついに「ウパルン」はみじかい一生をおえた。「ベランダ野艸園」の片隅に葬った。

《手づくり花壇の裏、せまい排水溝に野鳩が巣をかけた》
春先から、ベランダに野鳩のつがいがしばしばやってきていた。
やつがれは、暑かろうが寒かろうが、目覚めからのいっとき、ベランダの「ロダンの椅子」に腰をおろし、紫煙をくゆらすのを無上のよろこびとする。そこで陳腐なセリフだが、
「きょうも元気だ! タバコが旨い」 ── となって、やおら始動する。

そのとき、ときおりベランダの手すりに鳩をみかけた。小枝を咥えていることもあり、どこかに巣をかけるつもりだな、とはおもった。オドオドとしているが、こちらはロダンの彫刻さながら、不動のまま、ただ紫煙をくゆらせているので、飛びさることはなく、いつも植え込みの藪のしたからどこかに消えていった。

排水溝にもうけた鳩の巣

野鳩のことゆえ、 どうせエアコン室外機の下にでも巣をかけているのかとおもって、見て見ぬふりをしていた。

《颱風一過、2013年09月16日 ── 野鳩の巣を発見》
颱風18号が日本列島をまっぷたつにして駈けぬけていった。東京でも暴風雨がひどく、各地から河川の氾濫、洪水、土砂崩れ、竜巻、交通機関の混乱などの情報が報じられていた。
ベランダにブロックを積みかさねてつくった、わが「空中庭園・野艸園」でも、枝折れや、植木鉢の倒壊などの被害があった。この「空中庭園・野艸園」は、ノー学部が勝手に、ベランダの左右いっぱいにブロックを積みあげてつくったもので、いわばフラワー・ポットの大型版である。

被害状況を調べようと、ブロック積みと、ベランダの壁のわずかな隙間、20センチほどの排水溝をのぞいた。そこに野鳩の巣がふたつあり、卵が4個みられた。
ひとの気配に驚いたのか、狭い隙間から鳩は飛びさろうとしていた。よくもまぁ、こんなところに巣をかけたな、と呆れた。できるだけ鳩を驚かせないように撮影したので、不鮮明な写真となったがご容赦を。

《ことしも咲きましたよ! トロロアオイの花。2013年10月06日[日曜日]》
春先の02月17日に植えた「トロロアオイ」が、ようやく大輪の花をつけた。
晩夏に咲く花であることは知っていたが、まさかこんな異常気象の夏になるとはおもわず、ことしはすこし早めに播種して、ふた株を大振りな植木鉢に移植しておいた。
その記録は「花筏」にのこっていた。
【タイポグラフィ・ブログロール:花筏 朗文堂好日録-028 がんばれ! ひこにゃん !! 彦根城、徳本上人六字名号碑、トロロアオイ播種 2013年02月19日
その一部を引こう。

¶  2013年02月17日、トロロアオイの種子をテストで 播種
2011年、朗文堂 アダナ・プレス倶楽部では、5月の連休恒例の〈活版凸凹フェスタ 2011〉の開催を、震災後の諸事情を考慮して中止した。
それにかえて、会報誌『Adana Press Club NewsLetter Vol.13 Spring 2011』に、被災地の復興・再建の夢と、活版印刷ルネサンスの希望をのせて、会員の皆さんに、トロロアオイの種子を数粒ずつ同封して配送した。

まもなく仙台市青葉区在住の女性会員のOさんから、
「トロロアオイの種子が元気よく発芽しました」
との写真添付@メールが送られてきた。
Oさんは毎年〈活版凸凹フェスタ〉にはるばる仙台から駆けつけてくださる、熱心な活版ファンである。またOさんご自身も「東日本大震災」ではなんらかの被害にあわれたかとおもえたが、それに関してはお触れにならなかった。

ことしもアダナ・プレス倶楽部会員のご希望のかたにはトロロアオイの種子をお配りしたいとおもっているが、昨年は開花期に中国にいったりして十分な水遣りができず、種子の大きさも小ぶりになったような気がしている。
そこですぐにも霙ミゾレになりそうな寒い雨の日だったが、発芽テストのために、ひとつまみの種子を黒ポットに植えた。元気に発芽してくれるように、しばらくは家の中で育ててみたい。

この種子のもとは、もう5年もまえに、都下あきる野市五日市町の軍道紙グンドウガミの工房からわけていただいたものである。そのときからアダナプレス倶楽部の会員の皆さんに種子を配布してきたが、何人ものかたが、単年に終わらせず、もう3回も同じ茎からトロロアオイの開花をみているそうである。
また花は、おひたしにして食すと、とても美味しいそうである。やつがれは毎年播種して、開花をまちわび、種子を採取している。
ことし2013年は、10月06日[日曜日]に、ご覧のようにみごとな開花をみた。この花は大輪だが、昼過ぎにはもうしばみはじめ、いちにちだけの開花で終わる。

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《そしてやってきた、ウパルンⅡ世。きわめて元気である》

DSCN1880uuDSCN2165uu「ウパルンⅠ世」が短い生涯をおえてから、水槽にはメダカのようなちいさな淡水魚と、アダナプレス倶楽部会員・田中智子さんにいただいた、これもちいさなエビ ── いずれも本来は「ウパルン」の餌として用意したものが泳ぎまわるだけになった。
08月の終わりとともに「マルイ」の熱帯魚特設売り場は撤去されたらしい。
そこで花園神社の鳥居のちかく、地下鉄E2口に通じる、半地下のビルの熱帯魚店に、家人に誘われるままに「ウーパールーパー」をみにいった。
ともかく水槽が空疎で、帰宅後のさびしさもあったので、抵抗なくついていった。

そこには白いアルビノのウーパールーパーはいなかったが、上掲写真の「サラマンダー」がいた。プラスチックのちいさなカップにはいっていたが、そのうちの一匹と、なんの因果か、また目があった。
ウパルンⅠ世とくらべると、いささか無骨ではあるが、愛嬌のある、いい顔だった。結局買って帰ることにした。

名前はまた「ウパルン」とした。正式には「ウパルンⅡ世」である。Ⅰ世とくらべると、まぁよく食べるウパルンⅡ世である。
過食をおそれて餌やりを遅らせると、はげしく水槽内を動きまわって催促する。エラのような、手足のような、触角のようなものも、ひんぱんに動かせて水槽を駆けまわる。
飼育法の学習をかねて、Website の「ウーパールーパー画像集」をみたが、うぬぼれながら、そこでも五指にはいるほどの美男 ? のような気がしているがいかがであろう。
ただ「ウパルン」は体長20センチほどにまで成長するらしい。そうなったら、いささか不気味かもしれない。

《秋の深まりを感ずるこのごろ。2013年10月09日[水曜日]》
野鳩の巣がけのことを書いたので、気になって今朝そっとのぞいてみた。一羽がしっかりと抱卵していた。もう10月の中旬で朝晩は肌寒くなってきている。したがって、はたして雛が無事かえるのかいささか不安ではある。
そして年初には、表紙込みで13枚あったカレンダーが、いつのまにかもうのこり2枚になっている。もろもろの打ち合わせも、年末・年初の企画や、来年の企画対応がふえてきた。

2013年、平成25年、いろいろあった年ではあるが、わが家のいきものたち ── メダカ、エビ、ウパルン、出目金3匹、泥鰌2匹、そして北海道・美唄の艸叢からもってきた、キャベツ大好きのカタツムリのでんでん、勝手に居着いた野鳩をふくめて、わが家のいきものは元気である。