『本木昌造伝』(島屋政一、朗文堂、2001年08月20日) は、1996(平成08)年07月、名古屋の旧津田三省堂(現ナプス)の筐底にひめられていた、島屋政一による未発表自筆稿本を原稿として刊行された。この時点で島屋政一氏はすでに物故していたとみられ、そのため著者校正を経ておらず、在庫僅少のいまではあるが、一部に正誤表を発表する必要が発生している。
すでに島屋政一『本木昌造伝』をご購入済みのかたは、お手数をかけて恐縮ながら、お申し出をたまわれば、正誤表とともに、板倉雅宣氏のご協力による索引を献呈させていただきたい。
あわせて島屋政一『本木昌造伝』には、わが国の活字ボディサイズと、そのシステムに関し、類書にない貴重な資料が掲載されていることが、いまさらながら判明した。
目下読者の一部と考査中であるが、追試をかさねてみると、きわめて注目すべき論考であり、精度の高い資料であることがあきらかになりつつある。ここにその一部を紹介したい。
島屋政一『本木昌造伝』の序文にあたる「例言」には、このようにある。
筆者はすでに『印刷文明史』を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。
さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所・青山容三〔督太郎〕氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授もえた。
この「例言」をうけたとみられる記述が『本木昌造伝』 p.117-120 にみられる。
そこでの島屋政一は、大阪の活字鋳造業者/青山容三〔督太郎〕氏、森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授をえて、
<わが国では近代活字版印刷の創始のころから、 号数制金属活字とは本木昌造がさだめたものであり、鯨尺や曲尺による、尺貫法にもとづいた製品である >
としたそれまでのさまざまな著作、とりわけ『印刷文明史』での立場を捨てている。 それに代えて島屋政一は、
英国においてはトーマス・ハンサード(Thomas C. Hansard)が1825 年(文政08)に 『Typographia』 (原著:p.387–8) を著し、活字の標準化を提唱して、1 フィートにたいする活字の全角の個数〔本数〕の標準をつぎのように定めていた。
○ 一号 1 ft に32 本 Two-Line English
○ 二号 1 ft に41 本1/2 Two-Line Small Pica
○ 三号 1 ft に56 本1/4 Two-Line Brevier
○ 四号 1 ft に64 本 English
○ 五号 1 ft に83 本 Small Pica
○ 六号 1 ft に112 本1/2 Brevier
とし、これまで<名前はあるけれど、寸法が無い>とされてきた、わが国の号数制活字の淵源を、「English 系統 一号、四号」、「Small Pica 系統 初号、二号、五号、七号」、「Brevier 系統 三号、六号、八号」であることを解明し、それぞれの活字ボディサイズを解明している。
ただしここで触れられた資料は、英国キャスロン社をはじめ、英国における大手の活字鋳造所において、すでに(1825年当時において)百年ほど、スタンダードとして採用されてきたものであるとされている。
ところが「Small Pica 系統 初号、二号、五号、七号」は、こののちに、上海美華書館の技士/ウィリアム・ギャンブルによって、英国由来のものから変更乃至はあらたに追加され、米国 MSs & J 社の活字母型サイズの10.5 pt 基準によってボディサイズが制定されたとみられるので、初号、二号、五号、七号の活字ボディサイズに関しては後述をお待ちいただきたい。
さいわい原著『Typographia』 (Thomas C. Hansard, 1825 年(文政08), 原著:p.387–8)を所有していたため、遅ればせながら原典照合をしたところ、一部に著者によるあきらかな転記ミスがみられたので、下掲図にそれを正した図版をかかげ、また正誤表を作成した。
現在、<朗文堂ちいさな勉強会 平野富二の会>の会員を中心に、この島屋政一説を追試・検討をかさねている。
現段階では、本項一回目に問題提起をした、
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*02 〔松本八郎〕 活字の大きさとシステム 】
のうち、わが国の近代活字が三つのグループに大別される理由として、ここに島屋政一が提起し活字ボディサイズにもとづくスケールをもちいての調査では、
① 一号活字、四号活字 → English 系統
② 三号活字、六号活字、八号活字 → Brevier 系統
とほぼみなしてよかろうという段階まで調査が進展している。
ところが現状では、わが国の五号活字のボディサイズは、明治最初期に本木昌造・平野富二らによって体系だてられてからずっと、Small Pica 10.5 pt 基準 とみられるものの、ほんの一部ながら、異なったサイズの標本がみられ、それが島屋政一が紹介した「五号 1 ft に83 本 Small Pica」にちかい数値を示していることまでが判明している。
以下は平野富二の東京本格進出を控えて急遽作製されたとみられる「天下泰平國家安全」の活字販売用見本(『 崎陽 新塾餘談 初編一、初編二 』 巻末口上。ともに壬申二月〔明治05 年02 月〕)の製作のときに完成していた、活字ボディサイズの該当部を抜粋して紹介した。
この調査・研究はまだ端緒についたばかりであり、ひろく『本木昌造伝』愛読者、有意の皆さまの参加をお待ちしたい(サイズ分析の二画面は PDF 画面がひらきます)。
【 『 新塾餘談 初編一 』巻末口上(活字ボディサイズ見本ならびに価格表 壬申二月〔明治05年02月、1872〕 刊、印刷博物館蔵 ) PDFデータ 】
◎ 関連既出情報
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*01 考察のはじめに 】
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*02 〔松本八郎〕 活字の大きさとシステム 】
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*03 〔川田久長〕 活字の大きさとシステム 】
【[字学] わが国活字の尺貫法基準説からの脱却と、アメリカン・ポイントとの類似性を追う*04 島屋政一『本木昌造伝』における活字ボディサイズの新考証 】
朗文堂 愛着版
本 木 昌 造 伝
島 屋 政 一 著
朗 文 堂 刊
A5判 480ページ
口絵カラー写真20点、本文モノクロ写真172点、図版196点
上製本 スリップケース入れ 輸送函つき
背革にベラムのバックスキンをもちいて
ヒラにはコッカレルのマーブル紙をもちいました。
本書(索引・正誤表つき)は在庫僅少で、輸送箱の一部に汚損があるため、直販のみとし、一般書店では取り扱っておりません。
恐縮ながら、本書の入手をご希望の方は直接 朗文堂 ヘお申し込みください。
本体価格:16,000円(税・送料別)
【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク 本木昌造伝 】
【 目 次 】
・ 本木昌造の誕生から通詞時代
・ 長崎製鉄所時代の本木昌造
・ 近代活字創製の苦心
・ ガンブルの来日と活版伝習所の創設
・ 新街私塾と長崎活版製造会社
・ 長崎から東京へ/活版印刷術の普及
・ 本木昌造の終焉と本木家のその後
・ 凸版印刷と平版印刷、ライバルの登場
・ 印刷界の二大明星
・ 本木昌造をめぐるひとびと
・ 野村宗十郎とアメリカン・ポイント制活字
・ 印刷術の普遍化とわが国文化の向上
・ 印刷界の現状
・ 編集子あとがき
【 例 言 - はじめに 】
島 屋 政 一
わが国の印刷事業は、とおく奈良平安朝のむかしに寺院において創始され、久しきにわたって僧侶の手中にあった。 江戸期にはいって勅版がでて、官版および藩版がおこり、ついで庶民のあいだにも印刷事業をはじめるものがあらわれた。
寛文(1661-72)以後、木版印刷術おおいに発達して、正徳、享保時代(1711-35)からは木版印刷術が全国に普及をみたが、それは欧米諸国の近代活字版印刷術にくらべてきわめて稚拙なものだった。
幕末の開国とともに洋学が勃興して、印刷術の改善にせまられた。そのときにあたり、近代活字鋳造と近代印刷術の基礎をひらき、善く国民にその恩恵をひろめたものが本木昌造翁だった。
筆者はすでに『印刷文明史』を著わし、本木昌造のことをしるしたが、いささか冗長にながれ、またいささかの訛伝の指摘もあった。
さらには畏友にして活字界の雄たりし、青山進行堂活版製造所・青山容三〔督太郎〕氏、森川龍文堂・森川健市氏の両氏から、活字の大小の格〔活字ボディサイズ〕のことのあらたな教授もえた。
さらに筆者は、すぐる太平洋戦争において、おおくの蔵書を戦禍にうしなった。また青山進行堂活版製造所、森川龍文堂の両社はその活字の父型や母型のおおくをうしなっている。
このときにあたり、ふたたび、日本の近代文明に先駆して、開化の指導者としておおきな役割を演じた本木昌造の功績を顕彰し、それに学ぶところは大なるものがあると信ずるにいたった。
本木昌造はひとり近代印刷術の始祖にとどまらず、むしろ研究者であり教育者でもあった。
本木昌造の設立にかかる諸施設とは、むしろ「まなびの門」でもあったのである。
そうした本木昌造のあらたな側面を中枢にすえて本書をしるした。
昭和24年10月20日
著 者 識
【 本木昌造伝 修整部 PDF motogi-denn-syuusei 】