イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-05 明治産業人掃苔会訪問予定地 戸塚文海塋域

《戸塚文海塋域に、三島 毅・石黒忠悳の撰文、吉田晩稼の書をみる》
戸塚文海、戸塚家の塋域はひろく谷中天王寺墓地にある。はじめ感応寺と称した日蓮宗の寺院で、徳川家光と春日局の外護を受け、寺領二万九千六百九十坪多くの塔頭を有する名刹だった。幸田露伴『五重塔』にしるされているが一六四四(寛永二一)年に寺領の一画に五重塔を建立した。塔は天災・戦災にもよく耐えてきたが昭和三二年七月放火心中事件によって焼失した。{活版 à la carte

63c65b44ea5e46cc6a332dc0d4c491af1[1] 戸塚文海墓標 戸塚文海先生之碑 06_DSCN3634 07_DSCN3632 20170201133731_00001 谷中五重の塔 五重塔 五重塔2
幸田露伴『五重塔』参考組版実験 PDF  450.5MB 】
青空文庫+『五重塔』(岩波書店 昭和23)を底本として参考組版
使用デジタルタイプ : イワタ弘道軒清朝体複刻版 「々 漢音繰り返し」、「〻 訓音繰り返し」

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