長崎ゟ東京へ。二七―四七歳までのたった二〇年の活動期間で巨大な業績を。一二月三日は平野富二の命日。没後一二四年忌

◎一八四六年(弘化03)八月一四日長崎奉行所町司矢次豊三郎・み弥の二男、引地町で出生。幼名・富次郎。◎一八七二年(明治05)数えて27。安田家の古まと結婚。生家を出て長崎外浦町に移転。02月戸籍編成に際し 平野富二 と改名届け出。07月東京に活版製造出張所を設立すべく古まほか社員08名を同道し長崎出立。のちの東京築地活版製造所、造船重機企業・現IHIのはじめにつらなる。◎一八九二年(明治25)数えて47、12月03日脳出血で逝去。谷中霊園に仏葬。

平野富二

平野富二 1846・弘化03年8月14日-1892・明治25年12月03日 行年47

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