【展覧会】河口聖展 -Recollectionー GalleryBar Kajima 加島牧史

学の勉強会を始めることになった。思想史を学んでいくうちに、やはりギリシャ哲学を学びたくなった。同時にユークリッド幾何学を学ばなければいけないことに気づく。幾何学の証明から論理学が生まれ、数学的思考の演繹法が生まれ、その推論の上でこの近代という時代の事態が生まれたのだということに気づく。その基礎、根はどこかと尋ねれば、ギリシャ哲学を探訪することになるのだ。河口聖さんのRecollection シリーズ ― 彼方の記憶が甦る ― を拝見した。その幾何学的構成もまたギリシャを思ってのことだろうか。(加島牧史)
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【展覧会】 齋藤裕一  ガラス展 平面   GalleryBar Kajima  加島牧史

ガラスの立体がついに平面になっていた。成るようになったというか、必然の道を辿って平面のガラス作品群が生まれたのだろうか。自分の日常の中を見直して作品を作っていると主はいうが、もしそれが本当ならば生活は極力地味にも関わらず、その捉え方、感じ方はそれとは真逆なファンキーな脳内生活を送っていることになる。それはやはり齊藤裕一が芸術家として器をもっていることから生まれる現象なのだろう。〔 加島牧史 〕
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【展覧会】 森泉笙子 もうヒトツのソラ展 GalleryBar Kajima  加島牧史   10月02日(月)21日(土)

森泉さんにカジマで個展をお願いしてから早7年が経った。また銀座のバーで個展を開きたいとのこと。その意欲にまず驚いた。東洋医学では人は7年ですべての細胞が入れ替わるらしい。もうヒトツのソラという抽象世界は、絵を描くことで、果てしないそらを、いわば浄土を新しく見せてくれる場なのだろう。無限に続く純粋抽象の世界を色と形で求めるその意欲に、森泉さんの全機、全体の生命を驚き入るのだ。{文字壹凜
GalleryBar Kajima 加島牧史】

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【展覧会】 福 本 倫 展 GalleryBar Kajima  加島牧史   9月11日(月)30日(土)

版画の中にギュッと詰まった福本さんのエネルギーを見ていたら、自由にドローイングしてもらいたくなって、今回の展覧会をお願いした。経過をたずねると、エネルギーが溢れるタブローが次々にうまれている。ウーム素晴らしい。
時折、からだの小さい人ほどその身に余るエネルギーを発揮することがある。倫さんもそのひとりかなと思ってみたりして。なんだか楽しみな展覧会になりそうである。(GalleryBar Kajima 加島牧史
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【展覧会】 カルロ・プロイエット 焼き絵展 GalleryBar Kajima  加島牧史

河口聖さんの紹介で、カルロ・プロイエット氏の焼き絵展を開くことになった。パイログラフィとは、はんだごてのような電気で熱せられたこてで、板を焼きながら絵を描く技法らしい。木材とこての先の金属の変化により、多様な表現が可能になる。今回ミラノのカルロ氏が来日することとなった。初日の8月1日カルロ氏と吉岡氏を紹介したくレセプションパーティを開くことになり皆様是非お出かけいただくようお願いします。(加島牧史){ 文字壹凜 Summary }

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【追悼展】 Gallery Bar Kajima 加島牧史、実父{加島彰造追悼展}+{彰造さんを偲ぶ会} 自六月六日至二五日

加島 祥造(一九二三年一月一二日―二〇一五年一二月二五日 行年九二)は、詩人、教育者、翻訳家、タオイスト、墨彩画家。壮年期より老荘思想の影響を受け、にわかに一切の公職と家族を捨て山ふかい信州伊那谷に独居した
本欄でもしばしば紹介する銀座 Gallery Bar Kajima 加島牧史氏は彰造の二男で翻訳家。多感な少年期に「伊那の仙人」として家族と離れた父と牧史のあいだは、愛憎こもごもあったと伝わる。万感のおもいをこめての追悼展。

写真:<公益財団法人移行記念 駒ヶ根市立図書館講演会『加島祥造講演会』>20160606124923829_0002 20160606124923829_0001 

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Gallery Bar Kajima 『福本 倫展』五月一六日―六月四日開催。加島牧史の名調子を中略後略で(嫉妬しつつ)紹介

福本倫さんの重層的な版画を見ていて、何版を重ねたらこの版画が生まれるのかと想像していたら、一版で刷るのだと聞いて驚いた。どうやら彫りの深さやインキの置き方でこのような面で切りとられた重層的な空間が生まれるらしい。倫さんはパリのアトリエコントルポワンで13年間版画をまなびこのヘイター式技法を習得した。◯今ここにある空間を具体的に止め置こうとすればいったい何枚切り出したら、この世界をさらに具体的に見ることになるのだろうか(加島牧史)。

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Gallery Bar Kajima 『手塚真梨子展 浮かぶ窓』開催。加島牧史の名調子の詩文を中略後略で(嫉妬しつつ)紹介

本当に必要なものはなにか考えてみると、それはけっきょく詩であり、絵画だったり、哲学だったりする。◎でも本当にという言葉が加わると、この世界でこの本当に見合うものを探すと、あらゆる必需品が本当に必要か、その価値があるのかが疑わしくなる。◎本当に必要なものは、ハミングする歌だったり、どこへも通じている明るい散歩通だったり、うまい蕎麦屋だったり、品揃えがいい古本屋だったり、新聞のおいてある静かな喫茶店だったりする。(加島牧史

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GalleryBar Kajima―加島牧史、稲岡幸子展を開催。ブログも @メールも 郵便絵はがきも、みんな絶讃継続中

銀座山城河岸に沿った路地の一画、加島 牧史「GalleryBar Kajima」はユニークな展示企画を連続開催中(花筏 既存情報リンク)。何があったか知らぬが加島牧史、昨年八月から突如五?歳にしてブログとメールを開始した。それでも加島ファンにはいまも展覧会告知は絵はがきとメール送付がつづく。メールに画像添付では物足りない世代も多いらしい。午後二時から喫茶タイム。旨い珈琲が五〇〇円で飲める。一八時からバータイム。銀座でもここだけは別天地。

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【展覧会】GalleryBar Kajima  高部としゑ 高部哲男「陶器と写真」展  3月12日31日

なんとなく本質的なもの。ぼんやりと実質的なもの。[中略]うまく言えないが、いわゆる江戸っ子の生き方というか、人の普遍的な理想というか。言ってしまえば負け戦で、それを良しとして淡々と生きることなのだが、そんな機微が端はしに感じられると、近所づきあいも長くなる。長きにわたってお互いの動向を見守ることになる。まあ、それがまた親から子に伝わる、いわゆるぼんやりとした本質なのだろう。この矛盾の中を生きてきた者に礼を尽くそう。この本質を目指す者に喝采を送ろう。
加島牧史
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【展覧会】佐藤千香子展 バルト海の小さな島で生まれるかたち  GalleryBar Kajima

ただ素直になろうとすると意外に難しい。素直に立ってみようと左右に揺れてみるが、素直にと思ったら、その素直さを捜すと分からなくなってしまう。そんな時は何か絶対的なものが必要になり、絶対の前に立たされることでようやく素直に場に立てるようになる。冬の透明に乾いた青い空がどこまでも続いている。境のない無限な青い空間の中をただただ素直に歩けたらと思う。フィンランドの島で求められた素直は、どんな空の下で生まれたのだろうか。(加島牧史)
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【展覧会】 高下せい子・手塚真梨子・天野美帆 三人展 11月20日12月09日  GalleryBar Kajima

11月20日12月09日
GalleryBar Kajima  加島牧史
ちょっとした贅沢だな。個性もキャリアも共通点を見つけるのが難しい三人の女性作家に出品をお願いすることは何か気になるという直感だけだ。ただいえることは、絵を描くことを、絵にしてゆくことを、ひとつの本能としてもっている作家たちだろうということ。描かれなければならない絵がただ漠然と白い壁に掛った風景をぼんやりと眺めてみたいという贅沢なんだ。
[加島牧史]{文字壹凜Summary

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【展覧会】 櫻木綾子 磁器展 6月26日[月]7月15日[土]  GalleryBar Kajima

時折見かける櫻木さんの作品に思いがけない表情を見る。あまり見かけることのない表現なので、ふと見逃したりする。造形に関する感覚がちょっと普通の思考からずれているように思え、ようやくこんな一風変わった才能があるのだなと思えるようになった。
どうしてこう、ずれて、そして成立しているのか、この不思議な感覚のその先を見てみたいと思った。(加島牧史)
GalleryBar Kajima
文字壹凜 まとめ

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【展覧会】 田中千絵展 5月15日[月]6月3日  GalleryBar Kajima

ピュタゴラスは通りかかった街の鍛冶屋が金属を叩く音を耳にし、その音から音階を生み出した。金属を叩くことから比率という考えが生まれ、音楽が生まれ、合理的な世界観が生まれた。
その比率で構成された音楽は、やがて天文学に適応され、天界のハーモニーを奏でようとする。田中千絵もまた、ただ叩くことから千絵の宇宙を生み出す。この不思議な形の宇宙のハーモニーを。(加島牧史)
{文字壹凜 加島牧史まとめ

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【展覧会】 Gallery Bar Kajima 『谷村優希展』 3月13日4月1日開催

谷村優希さんが版画家になった。そのことが興味深い。最近、自分は反射でしかない、ただただ反映でしかないと思うようになっている。道元は正法眼蔵の中で、人は自身自性があるかと誤まると断言している。自分だと思い込んでいる自分など存在しないのだというのだ。こんなことを言われても困るだろうが、同時に反射、反映でしかない自分に親しみを覚えてくる。その意味で谷村優希さんが反画家になったことが興味深いのだ。
加島牧史gbkajima.jimdo.com 】

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【展覧会】 Gallery Bar Kajima 『小山けい子のガラスたち展』 2月20日3月11日開催

小山けい子先生のガラス絵を飾ることになった。サンドブラストとガラス絵を組み合わせた工芸的で平面の作品だ。
近年、ガラス作品が身近になってきたようにおもう。
その先駆的作品が飾られることを嬉しくおもう。 (加島牧史)

GalleryBar Kajima
営業時間:14:0024:00
日・祝日休廊
{文字壹凜 加島牧史まとめ

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Gallery Bar Kajima 『福田澄子展』 一一月14日一二月三日  Ginza Gallerybar Kajima

いつもぶれっぱなしなので、たまにぶれていないものに出会うと感嘆する。◯いつも何が大切なことなのかと頭では考えるのだが、その切り口ではその大切なものを見失うことが多い。◯福田澄子にとって、絵を描くことがぶれずにあることにいつも驚かされる。それがどうしてとか、だからとかいった言葉がついてゆかない。当人がぶれっぱなしだから、その描く行為はぶれることから奇跡的に救われている。それはまれなことなんだ。加島 牧史文字壹凜加島アーカイブ

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【Gallery Bar Kajima 展覧会】 二〇一五年わたしの今年のかたち展 12.7 Mon.― 29 Tue.

【 加島 牧史 】
すべては早くて 追いつけない/すべては早く動き、何をもみることができない/すべては早くて その動きの中で 本質的に静止することが含まれている/すべては早くて 誰も追いつくことができない/なのに早く追いつこうとして さらに早く走ろうとしている/すべては早くて追いつくことはできない


ああ、はや師走になってしまったよ

Gallery Bar Kajima

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