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【WebSite 紹介】 瞠目せよ諸君!|明治産業近代化のパイオニア 平野富二|{古谷昌二ブログ28}|国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)

明治産業近代化のパイオニア

平野富二生誕170年を期して結成された<「平野富二生誕の地」碑建立有志会 ── 平野富二の会>の専用URL{ 平野富二  http://hirano-tomiji.jp/ } では、同会代表/古谷昌二氏が近代活版印刷術発祥の地:長崎と、産業人としての人生を駈けぬけた平野富二関連の情報を精力的に記述しています。
本稿もこれまでの「近代産業史研究・近代印刷史研究」とは相当深度の異なる充実した内容となっています。読者諸賢の訪問をお勧めいたします。

古谷昌二ブログ ── 国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)

ab8a2b0e21f54ff5474ba991de0cb37c-300x199-300x199まえがき
(4)第二回内国勧業博覧会
     博覧会の概要
     築地活版製造所からの出品
     「字見本帳」について
     他社による活版印刷機の出展
     弘道軒神崎正諠とのひと悶着
(5)ロンドン万国発明品博覧会
  (International Inventors Exhibition, London)
(6)第三回内国勧業博覧会
(7)コロンブス世界博覧会(シカゴ万国博覧会-1893年)
   The World’s Columbian Exposition at Chicago, 1893
(8)第四回内国勧業博覧会
(9)第五回内国勧業博覧会
(10)その他の地方博覧会
    1)東京勧業博覧会
    2)東京大正博覧会
    3)平和記念東京博覧会
    4)大礼記念関連の地方博覧会
      ・大礼記念国産振興東京博覧会
      ・ 東北産業博覧会
      ・御大典奉祝名古屋博覧会
      ・大礼記念京都大博覧会
ま と め

図29-1 第二回内国勧業博覧会案内図(国文社)
図29-2 明治12年6月版『BOOK OF SPECIMENS』の扉ページ
図29-3 第三回内国勧業博覧会場之図
図29-4  大阪活版製造所の広告チラシ
図29-5 明治36年11月版『活版見本』の表紙

[ 国内外の博覧会国内外の博覧会と活字・印刷機の出品(その2)  古谷昌二まとめ ゟ ]

前回の(その1)では、その最初として1867(慶應3)年に開催されたパリ万国博覧会で渡仏した清水卯三郎が「フランスみやげ」とした石版印刷機と足踏印刷機について紹介し、1876(明治9)年にアメリカで開催されたフィラデルフィア万国博覧会と明治10年(1877)に開催された第一回内国勧業博覧会に出品した活字と印刷機について紹介した。

今回は(その2)として、明治11年(1878)9月に平野富二が本木小太郎に築地活版製造所の経営を返還・移譲し、本木小太郎の後見人となって以降について紹介した。

明治14年(1881)に第二回内国勧業博覧会が開催され、本木小太郎の名前で各種印刷機と各種活版、字見本帖を出品した。また、1885(明治18)年にはロンドン万国発明品博覧会には平野富二が本木小太郎の代理として活字見本と活版印刷見本を出品した。

明治18年(1885)4月、有限責任の株式組織として本木家から独立した東京築地活版製造所は、平野富二を初代社長に選任した。明治22年(1889)6月になって平野富二は社長を辞任して、第二代社長は空席のまま、本木小太郎が社長心得となった。以後、平野富二は東京石川島造船所の経営に専念して、自ら東京築地活版製造所の経営に関与することはなかった。この間、明治23年(1890)に開催予定だった第三回内国勧業博覧会の出品準備が行われたが、博覧会開催は曲田成が社長に就任した後のことである。

明治23年(1890)1月、本木小太郎の辞任により、曲田成が第三代社長に就任した。野村宗十郎は社長曲田成の下で明治25年(1892)8月に副支配人、明治26年(1893)8月に支配人となった。この間、明治23年(1890)4月から第三回内国勧業博覧会が開催され、東京築地活版製造所から活版組立板と石版印刷物が出品された。また、大阪活版製造所から十六片紙ロールマシンと活字額面が出品され、会場内で活版印刷機の図入り広告が印刷、配布された。

明治27年(1894)10月、社長曲田成の病死により名村泰蔵が第四代社長に就任した。この間、明治28年(1895)の第四回内国勧業博覧会では改正明朝体活字を出品、明治36年(1903)の第五回内国勧業博覧会ではポイント活字を出品して名誉銀牌を授賞、明治40年(1907)の第六回内国勧業博覧かに代わる東京勧業博覧会では仮名付活字と写真石版印刷物を出品して名誉金牌を授賞した。

明治40年(1907)9月、名村泰蔵の病死により支配人野村宗十郎が第五代社長に就任した。大正14年(1925)4月、野村宗十郎の病死により松田精一が第六代社長に就任した。
この間、府県庁またはその関係団体主催の各種博覧会に活字を出品して名誉賞を受賞している。

東京築地活版製造所は、業界の老舗でリーダーであったことから、出品した活字・活版については毎回、何らかの賞牌を授賞している。しかし、印刷機については、途中から自社内での製造を中止し、大阪活版製造所に委託したことから、機械分野での出品は見られなくなった。一方、明治17年(1884)から社内に印刷部を新設して印刷事業に本格進出し、石版印刷に力を注いだことから、石版印刷物の出品で受賞するようになった。

本稿では、平野富二が関わった博覧会の出品については詳しく述べたが、それ以降の博覧会については概要を述べるにとどまった。国立国会図書館には博覧会関係資料が数多く保管されており、それらは「国立国会図書館所蔵博覧会関係資料目録」(『参考書誌研究』、第44号、1994.8、国立国会図書館発行)に掲載されている。参考になる筈である。

【ことのは】ローマ字表記の周辺を巡ってⅠ|和文表記・欧文表記(ローマ字表記)いずれも邪険に除けもの扱いの「づ」をきっかけに

◉『広辞苑』(第六版、2012、岩波書店)
【 づ 】

「つ」の濁音。鎌倉時代までは舌尖有声破裂音〔du〕であったが、のちに舌尖有声破裂摩擦音〔dzu〕となり、室町末期には「ず」〔zu〕と混同しはじめ、現在一般には「づ」「ず」の区別はない。
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◉ 平野富二の会:平野正一さんからのメール紹介  ’20年02月27日

冬らしい寒さもほとんど無く、春の足音が近づいてきました。
おかわりありませんか。
ところできょうは、つまらない質問をさせていただきたく Mail しました。
テレビのニュースで手塚治虫が紹介されていたのですが、そこでは手塚治虫のローマ字表記は TEZUKA とZU になっていました。念のため調べたネットのオフィシャルサイトでも「 TEZUKA OSAMU OFFICIAL 」になっていました。

ローマ字では、TEDUKA、つまり「づ」はDUと標記すべきなのではないかと思いました。発音では「ず」「づ」はほぼ同じ(厳密にいえば違うのかもしれませんが)なのですが、手塚治虫の塚は〔ひら仮名表記では〕「づか」であって「ずか」ではありません。
ローマ字標記はこだわらなくていいものなのか …… 。ルールがあるのか、無いのか、アバウトなものなのか、この周辺状況をご教授くださいませ。
お忙しいところ、申し訳ありません。
ポストカード」の一件もあったので妙にこだわっています。

{新宿餘談}
きさらぎ二月の末、会員の平野正一さんから@メールが到着した。
このローマ字表記法に関しては随分以前に印刷業界誌にまとまりが無いまましるしたことがあった。その再調査は興味ふかい命題であった。
そこですこしじっくりとり組もうとおもって、まず@メールの一部引用の許諾をもとめて架電した。折しも年度末、また新型感染症が世界規模で猖獗をきわめ 平野さんは団体幹部職員としてはご多忙のはずなのに……とおもっていたが、案の定二度とも「会議中です」ということであった。夜ふけに返電をいただいたが疲労感は隠せなかった。おそらく重圧のなかで、ちょっと気分転換を計られたと想像されたが、それでも実名表記で、全文紹介の承諾をいただいた。

稿者は音韻学・言語学は門外漢であるし、国語学・英語学とも無学であるが、わずかに字学研究者の末席を汚しているばかりと自覚している。つまり「ローマ字表記法」の調査とは、広大な氾濫原を踏査するような危うさがあり、いまや「専門家」と称する関係者はこれに触れることを巧妙に避ける風潮がみられる。
したがって平野正一さんへの返信は長くなりそうである。その交流の次第は、本{NOTES ON TYPOGRAPHY}に掲出して、読者諸賢と共に考えてみたい。

【お知らせ】会社住所移転のお知らせ|朗文堂/サラマ・プレス倶楽部ゟ

当社の移転計画を発表してから時間が経過しましたが、2020年02月01日より、朗文堂/サラマ・プレス倶楽部は下記住所地に移転いたしました。
この間なにかとご不便をおかけいたしましたことを深くお詫び申しあげます。
恐縮ながら、お手元の住所録の「住所のみ」をご変更たまわりたく存じます。電話、ファクシミリ、URL アドレスなどには変更がございません。

セキュリティ管理の厳しい建物となりましたので、お手数ながら来社ご希望のお客さまは、必ず事前にご予約のうえ、お越しいただけますようお願い申しあげます。

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  株式会社  朗 文 堂 / サラマ・プレス倶楽部
  162-0065 東京都新宿区住吉町8-13-204

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