【もん】歌舞伎は伝統芸能|そこには様〻な もん がみられます|櫓-やぐら 梵天-ぼんてん

  ニュース   歌舞伎座で櫓揚げ 2013年06月06日
歌舞伎座で、櫓揚げ-やぐらあげ-がおこなわれました。

歌舞伎座櫓揚げ

歌舞伎座正面玄関で朝から本格的に始まった櫓揚げの作業は、昼過ぎには無事終了、2年10カ月ぶりに歌舞伎座に櫓が揚がりました。
江戸時代、幕府公認の証として芝居小屋の正面に揚げられていた櫓は、現代では、歌舞伎の殿堂である歌舞伎座に欠くことのできないものの一つとなっています。

櫓は幅3.3m、高さ2.7m。5本の槍を横たえ、2本の梵天-ぼんてん-が組まれており、また、正面に歌舞伎座の座紋である「鳳凰丸-ほうおうまる」、左右の側面には「木挽町 きゃうげんづくし 歌舞伎座」の文を染め抜いた三方の幕で囲われています。

作業を行った鳶頭の石津弘之さんは、
「この作業は、これから〝新しく始まる〟という大変喜ばしいものです。非常に名誉なことで、うまく揚げることができてよかった」
と胸をなでおろし、はじめておこなった歌舞伎座の櫓揚げを順調に終えた満足感を表しました。

 

 ニュース  京都四條南座に櫓-やぐら-が上がりました 2018年09月25日

京都四條南座に櫓-やぐら-が上がりました。
かなり高い位置なので、道路をはさんで向かい側からご覧ください。

南座の正面には新調された「櫓」が上がり、その両側には白い御幣「梵天-ぼんてん」も立ちました。八百万-やおよろず-の神と見なした数である 800 枚の美濃紙を使い、2 週間かけてつくられた梵天は、神の依代-よりしろ-としての役目も担います。

大提灯が四条通のランドマークの一つとして帰ってきました!

そして、南座のシンボルともなっている赤い大提灯も新調され、劇場正面玄関の左右に掲げられました。手すきの越前和紙でつくられた大提灯がいつもの位置に収まると、光を放つような輝きを得て四条通によみがえりました。

{新宿餘談}

櫓 - やぐら 梵天 - ぼんてん

劇場用語。芝居や相撲の興行場に付属している高い構築物のこと。やぐらとはもともと弓矢などの武器を入れる倉、つまり矢倉・矢座から出たものとおもわれる。城郭建築で敵に対して弓矢・礫などによる防戦や物見のために建造された高楼から転じて、歌舞伎や人形浄瑠璃の劇場において、正面出入口の上にのせた構造物をいう。
炬燵櫓のような形で、屋根はなく、大きさは江戸中期には九尺四方(歌舞伎)と、七尺四方(人形浄瑠璃)とほぼ定まっていた。

櫓には座元の紋を染め出した〈櫓幕〉が引きめぐらされており、江戸初期の形式には、上に梵天-ぼんてん(幣束-へいそく ≒ 御幣)をたて、毛槍を五本並べたものが多い。梵天をたてることは、櫓が元来神を勧請するために天へ向けて高く構築されたものであったことを示しているといえる。

櫓の中では〈櫓太鼓-やぐらたいこ〉を打って興行のあることを知らせた。そのことから〈太鼓櫓〉ともいった。江戸の歌舞伎の櫓太鼓は文化期(1804-18)以後ほとんど廃されたが、相撲興行では今日なおおこなわれている。

また、櫓は官許の興行権所有のしるしとして重要な意味をもっていた。そこで、興行権を与えることを〈櫓を許す〉、興行を開始することを〈櫓を上げる〉といい、興行権を〈櫓権〉、興行権の所有者の座元のことを〈櫓主〉と呼んだ。江戸の歌舞伎の興行権は、正徳四(1714)年以後、中村座・市村座・森田座の〈江戸三座〉の座元に限って与えられる世襲の特権であった。
この三座が興行不能に陥った場合には、代わって興行する〈控櫓〉の制度が設けられていた。享保一九(1734)年に森田座が借財のため休座するに至ったため、その休座中に限り河原崎座に興行代行の許可がおりたのがはじまりで、中村座には都座・玉川座、市村座には桐座、森田座には河原崎座が控櫓と定まったのである。
この控櫓(〈仮櫓〉ともいう)に対して、江戸三座を〈本櫓〉(〈元櫓〉ともいう)と呼んだ。官許の常設劇場以外の宮地芝居を〈笹櫓〉と呼んだ。櫓の下に掲げた看板は〈櫓下看板〉といい、人形浄瑠璃でもここに一座を代表する芸人の名を記した〈櫓下看板〉を掲げた。
[参考資料:『新版 歌舞伎事典』(平凡社)]