本木昌造自筆短冊五首 ── 釈読:古谷昌二(平野ホール所蔵)
本木昌造の平素の自筆稿本『本木昌造活字版の記事』(仮題、長崎歴史文化博物館:参考『活字をつくる』p.100 片塩、朗文堂)などをみると、決して能筆とはいえず、むしろ「金釘流」にちかいものがある。
ところが長崎歌壇同人としてのこした歌の短冊は、流麗な「お家流」の書で、艶冶な歌をしるし、署名はあざな「永久-ながひさ」としてのこした。この短冊は関東大震災、太平洋戦争などの罹災をこえて、こんにちでも平野ホールに継承されている。
【 YouTube I H I の原点 ~ 平野富二と石川島 ~ 音が出ます 03:57 】
I H I ヒストリーミュージアム「i-muse」(アイミューズ)にて放映中の映像の YouTube 版から平野富二の「歌」を紹介した。
この「歌」の出典は『本木昌造 平野富二 詳伝』(発行兼編輯人:三谷幸吉、同書頒布刊行会、p.172 昭和8年4月20日)である。
同書平野富二編には、しばしば「日記」「金銀錢出納帳」が紹介され、不鮮明ながら131ページには「日記」、148ページには「金銀錢出納帳」の写真凸版による影印図版がみられる。
したがって三谷幸吉が調査にあたった昭和7-8年ころには現存した資料であるが、残念ながら現在原資料は発見されていない。また上掲の一首以外の歌は紹介されておらず、短冊の存在も報告されていない。
平野〔富二〕先生は無骨一點張りの裡にも、亦、風流なところがあったと見えて、時々和歌を詠ぜられて居る。左〔下部〕の和歌は、明治二十年五月より七月に到る「日記」(平野家所蔵)に記載しありたるものである。
世の中を空吹く風に任せ置き
事を成す身は國と身のため
【補遺 古谷昌二さんはときおりこんな瀟洒なことをひっそりと …… 。「植文字」まさに活字の本質をついた名句です!】
『平野富二伝 考察と補遺』(古谷昌二、補遺4 p. 250)
平野富二を描いた瓦版
明治一〇年(一八七七)の頃とされる瓦版「当世名人八景」が刊行され、
現代八人の名人とされる中の一人として平野富二が描かれ、その傍らに、
「解かしては
かためて鋳ぬく
植文字を
平野に充つる
雪の夕景」
という句が添えられているとのことであるが、残念ながら実物は未見である。
【展覧会】徳川美術館・名古屋市蓬左文庫|企画展:書 は 語 る ─ 30センチのエスプリ ─|1月4日-2月3日|本展示は終了しています
【 詳細: 徳川美術館・名古屋市蓬左文庫 】
徳川美術館・名古屋市蓬左文庫 企画展
書 は 語 る
── 30センチのエスプリ ──
会 期 2019年1月4日[金]-2月3日[日]本展は終了しました。
開館時間 午前10時-午後5時
休 館 日 月曜日
観 覧 料 一般 1,200円・高大生 700円・小中生 500円
主 催 徳川美術館・名古屋市蓬左文庫・毎日新聞社
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懐紙は、その名の通り本来は懐に入れて手口を拭ったり、メモを書いたりするための携帯用の紙でしたが、自詠の和歌を記すために10世紀頃から用いられてきました。その大きさは身分や時代によって多少異なりますが、おおよそ縦30センチ、横40-50センチです。
懐紙を縦に八等分したのが短冊で、14世紀頃から登場します。天皇や公家、武家をはじめ、松尾芭蕉や小林一茶、さらに夏目漱石や正岡子規など近代文学を代表する文化人まで、懐紙や短冊に染筆された書を通じて、歴史上の人々の人物像を探訪します。
【 詳細: 徳川美術館・名古屋市蓬左文庫 】
[関連:活版アラカルト/【展覧会】徳川美術館・名古屋市蓬左文庫|企画展 書 は 語 る ─ 30センチのエスプリ ─|1月4日-2月3日]