昨年から職場も住居も岡山に移転して、子育てに専念しているマッチャンこと松尾さんです。
順調に第二子も誕生して元気なようですが、アレですアレ、あの ── どこか飄逸な『徳本行者名号碑-南無阿弥陀仏』をみると心が騒ぐようです。
今回は稿者にとっては最西端の地、広島県からの『徳本行者名号碑』発見報告です。
[松尾さんからのお便り]
先週の日曜日(2019年04月07日)に、子どもの寝かしつけもかねて
広島県の鞆の浦までドライブに出かけました。
なんの下調べもなく出かけたのですが、鞆の浦グリーンラインという道路の路肩の
展望ポイントで、久しぶりにあの字 ── 徳本行者名号碑 ── に出会いました。
碑は 鞆の浦 (広島県福山市鞆地区の沼隈半島南端にある港湾およびその周辺海域)に
向かって建っています。背後は尾道方面。
じつに見晴らしのよいところに建っていました。
『徳本行者名号碑』
碑正 面 徳本行者六字名号 南無阿弥陀仏
碑右側面 文政十一戌子年五月建立〔1828年〕
碑左側面 発願主藤江村 岡本内松兵衛
《徳本行者》
徳本行者 徳本上人
(とくほん、宝暦8年6月22日(1758年7月26日)? -文政元年10月6日(1818年11月4日)?)
江戸時代後期の浄土宗の僧。俗姓は田伏氏。号は名蓮社号誉。紀伊国日高郡の出身。徳本上人、徳本行者とも呼ばれた。
27歳のとき出家し、木食行を行った。各地を巡り昼夜不断の念仏や苦行を行い、念仏聖として知られていた。文化11年(1814年)江戸増上寺典海の要請により江戸小石川伝通院の一行院に住した。一行院では庶民に十念を授けるなど教化につとめたが、特に大奥女中で帰依する者が多かったとされる。江戸近郊の農村を中心に念仏講を組織し、その範囲は関東・北陸・近畿まで及んだ。
徳本の念仏は、木魚と鉦を激しくたたくという独特な念仏で、徳本念仏と呼ばれ、また「流行神」と称されるほどに熱狂的に支持され、諸大名からも崇敬を受けた。墓所は一行院に「徳本行者墓」があり東京都の指定旧跡。
[ 参考:ウィキペディア 徳 本 ]
一行院中興開山「徳本上人」二百回忌大法要 終了企画
南無阿弥陀仏 心たずねる世話もない 唱える声が 直に仏心
徳本上人・徳本行者は江戸時代後期、浄土宗の修行僧です。若くして苦行、昼夜問わず念仏を唱え、日々清貧とし全国行脚、そして庶民の苦難を救い続けた念仏行者として多くの人々に影響を与えました。
また徳本上人の書かれた念佛「南無阿弥陀仏」は徳本文字と呼ばれ、大変縁起がよい文字として日本全国の石碑や書などに残されております。
[ 参考: 浄土宗 天暁山 一行院 ]