【展覧会】安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄|企画展 記憶をつなぐ彫刻 ~ 校舎の75年を振り返る|’24年4月24日-5月13日|終了

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安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
企画展 記憶をつなぐ彫刻 ~ 校舎の75年を振り返る
開催期間  2024年4月24日[水]- 5月13日[月]
時  間  9:00 - 17:00 * 5月7日[火]のみ休館
会  場  安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄 ギャラリー(木造校舎)
      〠 072-0831 北海道美唄市落合町栄町 
      お問い合わせ:TEL/FAX 0126-63-3137
後  援  美唄市、美唄市教育委員会
主  催  安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
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炭鉱町の小学校として、最盛期には1250名もの児童が通いながら、1981(昭和56)年に閉校した旧美唄市立栄小学校。その木造校舎には小さな灯りのように、1階に市立栄幼稚園が残っていました。園児の元気な声が響き渡る校舎1階に対して、2階の時間は止まったまま―かつて多くの児童が賑やかに過ごした教室や廊下を前に、彫刻家・安田侃は「目に見えないけれど、確かにここにあった『なにか』に寄り添うように彫刻を置くことができたら」と考えます。
校舎2階を再生して「ギャラリー」となったのは、1999(平成11)年のことです。かつての教室や廊下にぽつりぽつりと置かれた彫刻は今、訪れる人々を静かに迎えています。彫刻と木造校舎が織りなす空間は、なぜこんなにも人の心を惹きつけるのでしょう。
本展では、小学校として建てられてから今に至るまで、75年間の記憶が刻まれた木造校舎についてご紹介します。

※ 下掲詳細公式サイトで最新情報を確認の上ご観覧を。
[ 詳 細 : 安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
【 関連動画 : YouTube Viva la 活版 Viva 美唄 14:39 】

Viva la 活版-すばらしき活版。5年間4回にわたって開催された<活版凸凹フェスタ>にかえて、2013年07月、北海道美唄市 アルテ・ピアッツア美唄 で、朗文堂サラマ・プレス倶楽部会員が開催した、活版印刷讃歌ー活版イベントの記録。〔撮影・構成:川崎孝志〕

この{活版印刷アラカルト}のウェブページは、限度ギリギリの長尺ブログになっています。そのためお手数ながら、ときおり、とりわけ動画類を閲覧後は「ページ画面を更新」していただくと、次回からもスムーズなスクロールと閲覧をお楽しみいただけます。また活版アラカルトの二枚目以降のページにも、一枚目に納めきれなかった魅力的な記事が満載。閲覧を強力推奨いたします。

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

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「平野富二の会」 ── 皆さま
2024年04月01日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫

ご無沙汰をいたしております。「平野富二生誕の地」記念碑前の桜が満開となりましたので、今朝撮影しましたものをお送りいたします。
顕彰碑もきれいな状態です。文字が深彫りされているため黄砂が少し溜まっていましたが、一雨あるときれいに洗い流されます。
富二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の 三の堀跡 の方向をむいていますが、ここは現在櫻並木になっています。
宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木の坂道を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の 矢次富次郎少年 ── のちの 平野富二 が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。
長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【追 憶】Viva la 活版 Let’s 豪農の館|「気骨」の写真家:細江英公先生 対談 伊藤文吉翁|最前列に正座して拝聴|2015年の記録を再録紹介|

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Viva la 活版 Let’s 豪農の館
開催期間  2015年10月10日[土]-12日[月・祝] 09:00-17:00
会  場  「北方文化博物館 豪農の館」 内 「吉ヶ平古民家」(登録有形文化財)
      新潟県新潟市江南区沢海 2丁目15-25
主   催   朗文堂  アダナ・プレス倶楽部(現:サラマ・プレス倶楽部)
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《 豪農の館-北方文化博物館と、同館館長・第八代 伊藤文吉翁 》
活版礼讃<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の会場、北方文化博物館を訪問するのは四回目、宿泊地となった北方文化博物館の付属施設「Museum  大呂菴-だいろあん/かたつむりのいおり」に宿泊したのは二度目であった。

寺泊の夕日-002uu寺泊の夕陽をみるuu北方文化博物館の伊藤館長と-0061[1]新潟旅行2011.10-234[1]新潟旅行2011.10-169[1]最初に北方文化博物館を訪問したのは、あの地震の年、2011年10月08-10日の三連休、二泊三日の新潟旅行のときであった。
ふりかえってみると、あの年はなにかがおかしかった。だから友人のたれかが、
「日本海に没する夕陽をみたい」
といいだし、それがきっかけとなってなんとなく新潟まででかけた。

その旅の記録は下記のページ、とりわけⅡに詳しい。
◯ 花筏 朗文堂好日録012 新潟旅行Ⅰ
◯ 花筏 朗文堂好日録013 新潟旅行Ⅱ
◯ 花筏 朗文堂好日録014 新潟旅行Ⅲ

最初の旅で北方文化博物館館長・伊藤家第八代・伊藤文吉(世襲名:本名 吉彦  1927-2016)翁とお会いした。今夜は「大呂菴-だいろあん」に宿泊予定であることをつげたら、文吉翁はだまって手をさしのべ、かたく掌を握りしめてきた。
おもえば北方文化博物館の訪問にあわせ、あのとき「Museum 大呂菴」に宿泊することがなければ、かくまでこの越後平野の 複合型博物館 にこだわることはなかったとおもう。

◯ 花筏 朗文堂好日録013 新潟旅行Ⅱ より <大呂菴での宿泊>
ここまでやるのか …… とおもった。すべてがおおぶりで隙だらけ、一見豪放かつ大胆、なんにもしていないようににみせながら、大呂菴はじつにこまやかなこころ配りがなされていた。それもわざとらしくなく、さりげなくである。
「大呂菴-だいろあん」は隣接する「北方博物館の関連施設」であるが、同館は全域にわたって落ち葉をふくめて入念に手入れが行きとどいている。しかし農薬を散布しないとみえて、周囲からチョウやトンボや蛙などが敷地内にわんさかおしよせていた。もちろん夕べともなると秋の蟲が艸叢ですだくように鳴いている。
食事は食器のひとつひとつがすごい。それもチマチマとした京懐石のまねごとではなく、ど~んと大胆な盛りつけと、繊細な味つけの料理が山をなしていた。あちこちに置かれた生花は、翌朝にはあたらしい野草にかわっていた。やつがれ真底、本当に、
「まいった、降参!」

< 写真展示と対談:細江英公   人間写真展  気骨 >
このときに得た情報をもとに、翌11月21日、日帰りで、北方文化博物館本館で開催された<細江英公 人間写真展 気骨>を参観し、同時開催された細江英公氏と文吉翁の対談を最前列に陣取って聴講した。
細江さんのアトリエは四谷舟町にあり、わが住吉町と隣接している。この住吉町・四谷愛住町・四谷三栄町・荒木町・舟町界隈は、街道をはずれてすこしでも路地に入ると、急峻な傾斜地が多く、また一部の作家・画家・カメラマンなどが「四谷は トウキョウ の モンマルトル  !?」と称して住居やアトリエを好んで置いた。さきに紹介した「アンパンマンショップ」のやなせたかしさん、細江英公さんもそんなおひとりであった。

聞き手は伊藤文吉翁で洒脱な話題の連続に〝細江英公カメラの大家〟も軽妙に応じていた。話題はもっぱら「コンパクトなデジタルカメラは面白いよ」とその能力と可能性をわかりやすく語られていた。和室での聴講席は座布団で、ノー学部はその最前列から怖れもなく「写真界の最長老」に、こちらも〝おもちゃのような小型カメラ〟を向けていた。どうやらはじめは、隣組のオジサンくらいにおもったらしいが、北方文化博物館本館のあちこちに「置かれている」『気骨』と題された展示写真をすでに見ていたから、ノー学部にしては恐る恐るだったのかも知れない。
この日、常磐荘(吉ヶ原民家の向かい)では、伊藤夫人がちいさな席札をかかげて<お茶会>を開いていた。うかがえば 「綺麗さび」で知られる小堀流 だとのことであった。
会場にはこれもちいさく「すべての収益は東日本大震災の被災者に向けた席」であることがしるされていた。

DSCN4426DSCN4427DSCN44282014年の暮れ、常磐荘を会場候補として<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の開催交渉に、これも日帰りで北方文化博物館にでかけた。同館のスタッフは小社WebSiteをときおりご覧になっていた。したがって開催は快諾されたが、会場としては常磐荘よりも、むしろ向いにある「吉ヶ原民家」のほうが効果的ではないかという提案をいただいた。
これまでその民家の内部には入ったことが無かったが、百年余のときを刻んだ「吉ヶ原民家」の障子を開けはなった空間はすばらしかった。
DSCN1926DSCN1927こうして<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>は、エアコンが無く、蟲よけの網戸もない、なによりもことさらな照明設備もない「北方文化博物館 吉ヶ原民家」を会場ときめた。
このため清涼な気候の2015年10月10日[土]-12日[月・祝]の三日間を会期とし、一泊はできるだけ「大呂菴での宿泊を推薦」ということに決定した。

伊藤文吉翁は1927年うまれであるから、まもなく90歳になるはずであるが、<Viva la 活版 Let’s 豪農の館>の開催中、会場の吉ヶ原民家までおいでいただき、うれしそうに活版印刷機とその製作品をご覧になっていた。
伊藤夫人からは、おいしいお酒の差し入れが「大呂菴」にあった。

《 場の力、ひとの力 》
活版礼讃イベントとして開始した、東京での<ABC dé タイポグラフィ >、<活版凸凹フェスタ>を一旦中断して、地方での活版印刷の普及を後押しし、その土地の『場の力』をバックにしながら、あらたな展開を<活版礼讃 Viva la 活版>では試みてきた。
おもへらく、『場の力』とはエトスのごとく自然ジネン自ばえのものも存するが、その根底にはアルテピアッツァ美唄における安田侃氏の力があり、尚古集成館における島津家歴代の蓄積があった。そして「北方文化博物館」館長で豪農とされる伊藤家も、阿賀野川の氾濫とたたかい、荒蕪地を田畑に開墾し続けた伊藤家八代にわたる『ひとの力』があった。
『場の力』とは『ひとの力』と両両相まってその本当の力を発揮するものとおぼえた。

2015年もあとわずかでおわるこのとき、伊藤文吉翁にきちんとお礼を述べて帰るのをわすれていたことがくやまれる。それよりなにより、会場ではサラマ・プレス倶楽部会員の何台かのカメラが稼働していたはずだが、たれも伊藤夫妻の写真を抑えていなかったことにおどろかされている。
『ひとの力』とは、その存在がおおきすぎるときには、ときとしてオーラのごとき風圧となって、カメラも向けられなかったのかもしれないともおもえた。
まもなく2016年がはじまる。そしてすでに「来年の」<活版礼讃 Viva la 活版>の開催候補地との交渉がはじまっている。

{ご報告 伊藤文吉翁のその後}
八代伊藤文吉となる伊藤吉彦は、1927年(昭和2年)に誕生した。
八代伊藤文吉は、多くの人びとに愛され、惜しまれつつ、2016(平成28)年10月に他界しました。 また、250年余りの歴史をもつ伊藤家の遺構、北方文化博物館は、郷土新潟をはじめ、日本、そして世界から訪れる人びとへ、この歴史と、育まれた文化をいまなお伝え続けています。

【会員情報】安田侃彫刻美術館|アルテピアッツァ美唄|思い出の炭鉱写真展|’22年8月10日-20日|盆踊り開催|Viva la 活版 Viva 美唄 の記録|

20220628205104_00005 20220628205104_00006安田侃彫刻美術館|アルテピアッツァ美唄
思いでの炭鉱写真展
期  間  2022年8月10日[水]-8月20日[土]
会  場  アルテピアッツァ美唄 木造校舎2階ギャラリー
時  間  9時-17時  入場無料
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かつて「黒いダイヤ」と呼ばれ、戦後日本の復興を支えてきた石炭を全国へ届けてきた炭都・美唄。この写真展は、炭鉱住宅街での人々の暮らしの写真などを展示し、遠く離れた炭山(ヤマ)の家族の思い出、美唄に残された記憶などをみなさまに共有していただければと願い開催します。

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アルテピアッツァ美唄盆踊り【イベント】 アルテの盆踊り
開催期間  2022年08月13日[土]
こども盆踊り 18:00 ゟ、 おとな盆踊り 18:30 ゟ
会  場  トリフォリオの広場
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美唄炭鉱が栄えていた頃の盆踊り「北海盆唄」で、当時のまま太鼓の響きに合わせて踊ります。
アルテピアッツァ美唄「水の広場」の池と流路には、この日だけの演出、ひとつひとつみなさんに作っていただいた「ころころキャンドル」を灯します。
※ 雨天時は、14日に開催。※ 感染症対策のため、飲食ブースはありません。
※ キャンドル点灯は 18:30-19:30を予定しています。
kazari-downner美唄コラム緑uu終了イベント Viva la 活版 Viva 美唄
会  期  2013年7月13日[土]-15日[月・祝]
会  場  ARTE PIAZZA BIBAI アルテピアッツァ美唄
アート・ギャラリー および アート・ストゥディオ
北海道美唄市落合町栄町 http://www.artepiazza.jp/
入  場  料  無 料
主  催  朗文堂 アダナ・プレス倶楽部(現:サラマ・プレス倶楽部)
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『Viva la 活版 Viva 美唄』のメーンビジュアル担当は松尾篤史さんでした。静止写真は日吉洋人さんが担当。そのほか、重要な役割に「虫取り係」が常駐していました。会場に網戸はあったのですが、扉を開けるたびに突入してくる大量の蝶・蛾・甲虫類の駆除係。東京からサラマ・プレス倶楽部の会員20名ほどが北海道を満喫し、札幌会員との交流も盛んでした。
《Viva la 活版 Viva 美唄》の貴重な動画、製作者は川崎孝志さん(新宿私塾修了、サラマ・プレス倶楽部会員、徳島在住)。川崎さんはアルテ ピアッツァ美唄の景観を楽しまれ、アート・ギャラリー、アート・ストゥディオを中心に撮影されていました。
あの熱くて暑かった夏の日のおもいでに、ふたたび YouTube (14:39)をアップしました。

【 関連動画 YouTube Viva la 活版 Viva 美唄 14:39 】
Viva la 活版-すばらしき活版。5年間4回にわたり開催された<活版凸凹フェスタ>にかえて、2013年07月、北海道美唄市 アルテ・ピアッツア美唄 で開催された活版イベントの記録。

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【公募告知】2022年度|南島原市アートビレッジ・シラキノ AIR招聘作家

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【公募告知】2022年度 南島原市アートビレッジ・シラキノ
AIR招聘作家[夏・冬 同時募集]

1 事業目的
長崎県南島原市は、日本人の手による最初の銅版画が制作されたまちであることに因み、版画分野において、現在活躍中の作家、または将来にわたって作家活動を続けていく強い意志を持った若手作家を招へいし、共に制作活動をする機会を提供することで、作家同士の交流・育成・スキルアップにつなげることを目的とした、アーティスト・イン・レジデンス事業を実施します。

また、招へい作家によるワークショップや、展示等を通じて、地域住民等との交流を図ることにより、芸術や異文化に対する相互理解と創造性を深めるとともに、南島原市アートビレッジ・シラキノを拠点とした地域の活性化に寄与することを目的とします。

2 主催者及び実施主体
南島原市アートビレッジ・シラキノ・レジデンス事業は、南島原市教育委員会が主催し、南島原市アートビレッジ・シラキノAIR実行委員会が運営する。

[以降規定細目は詳細にわたります。また今年度分はすでに公募が〆切りとなっています。意欲をもって、来年以降の公募ご期待下さい  以下詳細規定

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南島原市 アートビレッジ・シラキノ について
廃  校・版  画・再  生

[以下のテキスト、写真は  南島原市アートビレッジ・シラキノ のURL ゟ]

obi01南島原市アートビレッジ・シラキノは、長崎県南島原市にある、若手芸術家の支援と地域文化の発展を目的とした「芸術文化複合施設」です。
「芸術文化複合施設」は、明治8年に開校し、平成27年に閉校した、130年以上の歴史をもった小学校、旧南島原市立白木野小学校の校舎(校舎は昭和54年再建)をリノベーションして、平成30年9月に新たな地域の芸術文化の発信拠点として生まれ変わりしました。

南島原市は400年前、キリシタンの手で、日本で初めての銅版画が作られた土地です。また同校は長﨑の《平和祈念像》の作者、彫刻家北村西望氏の卒業校でもあります。様々な芸術文化の記憶を留めたこの施設で、多様性のある若手芸術家達の活動を通して、新たな地域文化が再生していくことを目指しています。
3階には銅版画、リトグラフ、木版画、シルクスクリーンに対応した本格的な版画工房、2階には共同のシャワー室とキッチンを併設した宿泊施設、そして1階に銅版画の刷り工房と2つのギャラリーと滞在制作から発表までを視野に入れた充実した設備が用意されています。
毎年2回開催されるAIRプログラムでは国内外からの将来の活躍を期待される若手芸術家を招聘しその創作活動の支援と地域社会との文化的交流事業を積極的に開催し、発信しています。

【さようなら 越中哲也翁】郷土史家として長崎学の発展に貢献 99歳/平野富二の会にもご支援を賜った

DSC_1256「長崎新聞」2021年9月26日
越中哲也さん死去 99歳 郷土史家として長崎学の発展に貢献
「長崎新聞」は2021年9月26日、第一面のトップ記事として、長崎学の体系化やその継承に長年貢献し、長崎くんちのテレビ中継解説などでも活躍した、郷土史家の越中哲也(えっちゅう・てつや 99歳)氏が、25日午前6時50分、老衰のため長崎市内の病院で死去されたことを報じた。

DSF0300「平野富二生誕の地」碑建立記念祭 除幕式で祝辞を述べられた折りの越中哲也氏
2018年11月24日

越中哲也〔えっちゅう てつや〕翁を偲んで
大正10年(1921)長崎市に光源寺の子息としてうまれる。龍谷大学文学部を卒業して間もなく応集。復員後、長崎市立博物館に学芸員として勤務。昭和49年(1974)長崎市立博物館館長に就任。昭和56年(1981)長崎市立博物館館長を定年退職。
昭和57年(1982)長崎歴史文化協会設立、理事長就任。
昭和58年(1983)純心女子短期大学英米文化科教授となる。平成10年(1998)純心大学長崎学研究所研究員となり、長年顧問に就任。

最晩年まで長崎歴史文化協会理事長。長崎地方文化歴史研究家であり、『ながさきぶらぶら節』(なかにし礼、新潮文庫)に出てくる長崎学の第一人者・古賀十二郎氏の孫弟子、『崎陽論攷』(親和銀行済美会)を著した渡辺庫輔の弟子を自認していた。
長崎史や長崎を中心とした美術・工芸の研究と紹介に努めるかたわら、数多くの執筆活動や監修を手掛ける。
「長崎くんち」や「精霊流し」の季節になると、解説者としてテレビに出演し、軽妙洒脱な語り口と、含蓄のあそのる内容で長崎の人びとに愛された。著書に『長崎の西洋料理』(第一法規出版株式会社)、「写真集・長崎」(国書刊行会)ほか多数。
2012年9月25日、午前6時50分、老衰のため長崎市内の病院で逝去。99歳

DSCN3496長崎市桶屋町の「長崎歴史文化協会事務所」かつての入口

長崎歴史文化協会
昭和57(1982)年5月、長崎における歴史文化を研究し、各文化団体とも連携の上、地域文化の発展に寄与することを目的として設立。

関係図書資料を整備し、必要に応じて一般に公開し、長崎に関する歴史文化の調査研究に対し適切な助言・指導をおこなう。
また、長崎に関する古文書・史料で未刊・未発表のもの、その他学術的に価値あるものについて整理し発刊をおこなった。

長崎歴史文化協会事務所は創設以来「十八銀行」が全面支援にあたっていた。稿者もなんどかこの門をたたき、二階の事務所で越中哲也翁の含蓄あるおはなしをうかがった。2019年3月をもって同会事務所は閉鎖されると報道された。
2018年11月24日、「平野富二生誕の地」碑建立記念祭の除幕式に際しては、ご臨席をたまわり、祝辞を頂戴した。また、次世代を担う若者とともに、お元気な越中哲也翁の謦咳に接し、それを記録する機会を得たことを喜びとし、故人のご冥福を衷心より祈る次第です。

[ 関連 : 活版 à la carte 2019年3月7日【長崎歴史文化協会】越中哲也翁-本年三月で三十六年に及んだ幕をおろす ── 今後ともご壮健で{長崎越中節}を熱望するいま ]

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

DSC_2551 DSC_2552 DSC_2554「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2021年03月31日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

大変ご無沙汰しております。
一昨年昨 年 に続き、昨30日に撮影した「平野富二生誕の地」碑の写真を添付します。
ニュースで話題になっております通り、ここ数日長崎では黄砂の飛来がひどく、
深く彫られた碑文の字の中には黄砂が溜まっておりました。
碑文の字の汚れは大抵は雨で流されるのですが、汚れが溜まっているときには
時折ふきとっておりますのでご安心ください。
長崎の桜は例年より少し早めの開花で、少しづつ散りはじめております。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の「三の堀跡」方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。

平野富二武士装束月代-さかやきを剃らずに髷を結い、帯刀し、東京での旅姿を撮影した平野富二(富次郎)。
明治4年(1872)、数えで26歳、初冬のころの撮影と推定されている(平野ホール蔵)

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が、幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行所へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても10分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア ]

【News Release】千代田区|まちの記憶保存プレート|1872年 明治五年 活字を用いた近代印刷の起点|千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 植栽帯内に設置

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千代田区「まちの記憶保存プレート」
設  置  者:東京都千代田区
設置場所:東京都千代田区神田和泉町1和泉小学校地先 区道植栽帯内
設置年月:2019年12月24日

◉ JR中央線・総武線「秋葉原」駅 昭和通り口より徒歩5分

まちの記憶
1872年
明治五年
活字を用いた近代印刷の起点
鋳造活字製造の事業化を果たした平野富二は、津藩主藤
堂和泉守屋敷の門長屋を再活用した活版製造・販売所を
開設し、これを機に全国的な規模で活版印刷が普及した。


[ 詳細: 平野富二の会
[ 参考:活版 à la carte【平野富二の会】日本近代医学とタイポグラフィ揺籃の地|東京都千代田区神田和泉町 1 資料|「江戸名所道外盡 外神田佐久間町 廣景画」安政六年(1858年)披露

【平野富二の会】長崎直近情報|「平野富二生誕の地」碑前、三の堀跡の櫻が満開に!|日本二十六聖人記念館:宮田和夫会員情報ゟ|

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「平野富二生誕の地」碑建立有志の会 ── 皆さま
[2020年04月06日 日本二十六聖人記念館 宮田和夫]

ご無沙汰をいたしております。
何かと心落ち着かない日常が続きますが、当地長崎は今まさに桜が満開の時期となりました。
代わり映えしませんが 昨年同様 長崎桜町の桜と「平野富二生誕の地」碑の写真をお送りします。
冨二さんはことしも花見を楽しんでおられることと思います。
平野富二の会 ── 皆さまお元気でご活躍ください。[宮田和夫]
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「平野富二生誕の地」碑は2018年11月24日、長崎県勤労福祉会館(長崎県長崎市桜町9 ― 6)脇、長崎市の歩道に設置されました。
碑は江戸時代の三の堀跡の方向をむいていますが、ここは現在桜並木になっています。

宮田会員の写真で、前方突き当たり、満開の櫻並木を左手に曲がると、そこから信号ひとつ、三分ほどで長崎奉行所立山役所(現:長崎歴史文化博物館)裏門です。すなわち、安政4年-1857-数えて12歳の矢次富次郎少年 ── のちの平野富二が幼少ながら「特例をもって」、また当時のならいで、家僕(中間)ひとりをともなって長崎奉行社へ勤務した「通勤路」にあたります。
奉行所表門にまわっても七-八分ほどでしょうか、どうやら富次郎少年の運動不足はいなめなかったようです。

長崎訪問の折は、ぜひともここにお立ち寄りいただき、平野富二の「通勤路」を追体験していただき、またできましたら碑周辺の清拭にあたっていただけたらと勝手なお願いを。
そして宮田さん、いつもながらご負担をおかけしまして恐縮です。

[ 参考 : 長崎歴史文化博物館 日本二十六聖人記念館 ]
[ 関連 : 平野富二-明治産業近代化のパイオニア

【展覧会】安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄|企画展2020「こころを彫ること」展|’ 20年4月29日-5月6日

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安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
企画展2020「こころを彫ること」展
開催期間  2020年04月29日[水]-05月06日[水]
会期中無休
開館時間  水曜日-月曜日 午前9時-午後5時
会  場  木造校舎(ギャラリー)
料  金  無 料
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「石と向き合う時間は、自分を見つめる時間」 安 田  侃  YASUDA Kan
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄で毎月開催している「こころを彫る授業」。この授業では、目には見えない自分の “ こころ ” を石でかたちにしていきます。
この授業を始めた彫刻家の安田侃さんは「石と向き合う時間は、自分を見つめる時間」といいます。
参加者は自分の心と向き合いながら、時には無心になってノミをふるい、唯一無二の自分だけの「こころのかたち」を作ります。

今回の展示では、「こころを彫る授業」で使っているイタリア・カッラーラ産の大理石やイタリア製の道具、またこれまで授業に参加した方が彫った「こころのかたち」なども展示します。
「こころを彫る授業」の魅力に迫る展覧会、ぜひご覧ください。

* 感染症「COVID-19」対応のため変更も予想されます。参観前には下掲詳細でご確認を。
[ 詳細 : アルテピアッツァ美唄 ] 

{ Arte 通信 Vol. 35 ゟ}
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あのときは、暑く、そして熱かった。
Viva la 活版-すばらしき活版。<Viva la 活版  Viva 美唄>。

東日本大震災を契機として、それまで 5 年間 4 回にわたり東京で開催してきた<活版凸凹フェスタ>にかえて、地方からの底上げを測ることとして、2013年07月、北海道美唄市、アルテ・ピアッツア美唄で開催された活版礼讃イベント <Viva la 活版  Viva 美唄> の記録。当時は美唄に適当なホテルが無く、参加者の多くは隣接している岩見沢市からの「電車通勤」でした。
映像製作:川崎孝志会員   BGM:AdRev for a 3rd Party

【 YouTube Viva la 活版  Viva 美唄 音が出〼 14:39 】