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【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-04 11月11日[土] プレイベント{江戸・東京 活版さるく}終了しました

 プレイベント{江戸・東京 活版さるく}は
好天に恵まれ、全日程を消化して無事に終了いたしました。
ご参加ありがとうございました。

つぎは「日展会館 新館」でお会いしましょう。
バーナー

さるく01resized さるく02resized さるく03resized さるく04resized    【 江戸・東京 活版さるく 案内パンフレット -参加者配付資料 】
A4判 46ページ 中綴じ 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部
コンテンツ協力 : 古谷昌二 ・ 板倉雅宣  デザイン製作 : 日吉洋人会員
主用使用書体/モリサワ 本明朝-Book 小がな

map-EdoTokyo1107-2     【 プリント用PDF  江戸・東京 活版さるく概略図 859MB 】
A3 判 カラープリント 参加者配付資料 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部
コンテンツ協力 : 古谷昌二  デザイン製作 : 春田ゆかり会員
江戸・東京 活版 さるく【 プリント用PDF  江戸・東京 活版さるく旅程表  514KB 】

旗resized 缶バッジresized {ぶら富二}キャラクター製作:加久本真美会員

☆ プレイベント:「江戸・東京 活版さるく」
11月11日[土]開催 (バスツアー 先約40名様限定 昼食付き 参加費7000円)

平野富二(1846-92)の生誕170年を記念して、平野富二の生誕地長崎に設けられていた官立「長崎製鉄所」をはじめ、「海軍伝習所」、「医学伝習所」、そしてあまりにも資料不足だった「活版伝習所」などの、施設と人員と物資が、相互に関連しながら、いつ・どこへ・どのように江戸・東京にもたらされたのかを、豊富な資料をもとに探るツアーです。

「さるく」とは肥前・肥後など九州北東部の方言で、ぶらぶら歩きをさします。昨年五月開催の<Viva la 活版 ばってん 長崎 崎陽長崎探訪・活版さるく>では、狭隘な長崎市街地を考慮して小型バス二台での「さるく」となりました。 ことしはより広い東京での開催となります。
バスツアーといいながら、相当徒歩でのコースもありますので、歩きやすい靴と服装でご参加ください。

【 お問い合わせ・申し込み先 : 朗文堂 サラマ・プレス倶楽部  » send email 】

【イベント】 メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭-02   さぁはじまりました! サラマ・プレス倶楽部名物 宛名面一色+絵柄面二色 3000枚 都合9000回プレスの Postal Card 印刷

バーナーDSCN4375 DSCN4380 DSCN4385 DSCN4368 DSCN4396会報誌『 Salama Press Club NewsLetter  Vol. 35 』の配布を終え、サラマ・プレス倶楽部は本格的に<メディア・ルネサンス 平野富二生誕170年祭>の準備態勢にはいりました。
2011年東日本大震災に際し、各地会員の被災者へのおもいと、ご来場者の安全に配慮して、直前に<活版凸凹フェスタ>を中止して以来、久しぶりの東京でのイベント開催です。
メディア・ルネサンスロゴ01 メディア・ルネサンスロゴ02この間に朗文堂内での事業部名が、登録商標にあわせて、「アダナ・プレス倶楽部 → サラマ・プレス倶楽部」にかわり、イベント名も「活版凸凹フェスタ → Viva la 活版」と活版礼讃のイベント名にかわりました。
「Viva la 活版」イベントはその後、地方からの底上げと充実をはかり、北海道美唄市:アルテピアッツァ美唄、鹿児島市:尚古集成館、新潟市:北方文化博物館、長崎市:長崎県印刷工業組合会館での開催をかさねてまいりました。

折しもことしは、近代産業近代化のパイオニアとして、東京築地活版製造所と東京石川島平野造船所(現 I H I )の創業者 : 平野富二生誕170年にあたります。
プレイベント「江戸・東京 活版さるく」(11月11日[土]開催 先約40名様限定)では、長崎に設けられた「海軍伝習所」「医学伝習所」「活版伝習所」などの施設と人員とモノが、いつ・どこに・どのように江戸と東京にもたらされ、どのように消長したのかをバスツアーで探ります。
11月24日[金]-26日[日]に日展会館 新館を主会場として開催される<メディア・ルネサンス 平野富二生誕170周年祭>も、盛り沢山の企画で皆さまをお迎えいたします。
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《 さぁはじまりました! サラマ・プレス倶楽部イベント名物 はがき印刷 》
今回のイベント告知はがきは、宛名面一色+絵柄面二色、3000枚製作ですから、都合9000回プレスの Postal Card (絵はがき)となりました。
10月12日[木]に四台の機械用に印刷版の組みつけ、13日[金]の夜から印刷を開始し、14日[土]、15日[日]と印刷作業に没頭しました。

雨の週末でしたが上掲写真のように、田中・日吉・松尾A・上条・千星・鷹巣・時盛・森田・江並といった多くの会員の皆さんのご協力をいただき、夜1?時ころに無事印刷を終えました。
これから本格的な広報態勢に入りますので、この<活版 à la carte>と同様、<イベントアーカイブ>コーナーに情報を集中しますので、ご訪問をよろしくお願いいたします。

【 継続詳細情報 : サラマ・プレス倶楽部 イベントアーカイブ にて連続紹介 】

【講演会報告】 中央区生涯教育講座で古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されて講演

プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_01 DSCN8267 DSCN8271M7,M37社屋 S4本社2016年10月21日[金]、平野富二ゆかりの地、東京都中央区生涯教育講座で、『平野富二伝 考察と補遺』の編著者:古谷昌二さんが「平野富二物語 ~IHIを創業した実業家の人生~」と題されての講演会がありました。

同講座は中央区民に向けて広報され、全8回の有料連続講座で、現在は定員となっていて一般募集はおこなっていません。
それでも主催者のご好意で五名の参加者枠をいただき、サラマ・プレス倶楽部「平野富二の会」参加者の有志五名が聴講しました。
古谷昌二さんuu 平野表紙uu『平野富二伝 考察と補遺』
編著者 : 古谷昌二
発  行 : 朗文堂
定  価 : 本体12,000円 + 税
A4判、ソフトカバー、864ページ 図版多数
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講座は午後二時―四時でしたので、終了後に会場の築地教育会館からわずかに徒歩三分! かつて東京築地活版製造所と平野富二邸があった萬年橋周辺を、古谷さんのご案内で、灯ともしころまで、おもわぬ「築地さるく」となりました。
プロジェクター説明資料(2)PDF_ページ_08 プロジェクター説明資料(1-1)PDF_ページ_14
至近の「東京築地活版製造所跡」、「活字発祥の碑」をたずね、その背後の「旧平野富二邸跡」もたずねることができました。
「旧平野富二邸跡」は広大な敷地ですが、ここには東京築地活版製造所、石川島平野造船所の社員寮なども設置されていたようです。
現在はおもに「築地えとビル」となっており、壁面にはえとの十二支の紋様がレリーフとして設置されていました。
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【朗文堂ブックコスミイク】 出版記念講演会 髙野 彰 『洋書の話』を語る

【 出版記念講演会 】
髙 野  彰 『 洋書の話 』 を語る
◯ 日   時 : 2015年03月14日[土]  14:00 - 16:00  *13:30より受けつけ
◯ 会   場 : 東洋美術学校 D 棟 学生ホール
      161-0067 東京都新宿区富久町2-6
      地図  http://www.to-bi.ac.jp/access/
◯ 聴講料:2,000円
◯ 主   催 : 朗 文 堂
◯ 後   援 : 学校法人 専門学校 東洋美術学校 産学連携事務局
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* 要申し込み登録 : 03月02日[月]  申し込み締め切り
会場 ・ 資料準備の都合上 < 朗文堂 E-mail > robundo@ops.dti.ne.jp  宛に、「 件名 : 洋書の話講演会 」 としてお申し込みください。 03営業日以内にお断りの返信が無い場合は受けつけ完了とさせていただきます。 会場定員は40名です

【 プリント用 PDF  lecture_takano

講演会web

──────────── <参考資料>

【 朗文堂 ブックコスミイク  新刊紹介】  洋 書 の 話  髙 野 彰 著

カバー表1

洋 書 の 話

◯ 著  者 : 髙  野   彰
◯ 発行日 : 2014年11月13日(初刷り)
◯ 発  行 : 朗  文  堂
◯ 定   価 : 本体3,700円+税

2015年02月12日より 第二刷り発行
A5判 並製本 ジャケット付 263 ページ
ISBN978-4-947613-91-2
22-23 112-113 120-121上掲画像はクリックすると拡大画像でご覧いただけます。
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< 著者あとがきより >
バウアーズが Principles of bibliographical description を出したのは1949年のことである。年代的には古いが、記述書誌学を扱った著作で、バウアーズを越える著作は現在も出ていない。  この著作は現在も記述書誌学の重要な基本書であることにかわりはない。

その後、1969年にはパドウィック (E. W. Padwick) が Bibliographical method を出した。1970年にはピアス (M. J. Pearce) が A workbook of ana-lytical & descriptive bibliography を出している。

そしてギャスケルは1972年に A new introduction to bibliography を出した。
しかしいずれもバウアーズの解説書に近い。 ピアスなどはバウアーズ本を章ごとに取り上げて解説しているほどである。 バウアーズ本が難解なため、解説書や入門書が必要なのである。

『 洋書の話 』 の初版が出たのは1991年のことである。 1995年には増補版を出したが、その後、絶版となってしまった。 そしてこの度、第2版を出す機会を得た。 初版そして増補版で扱っている時代は16–18世紀が中心であったが、今回もその範囲を越えていない。

『 洋書の話 』 も記述書誌学の概説書であるが、洋書がどんな姿をしているか、その姿はどのようにして作られたのかを示そうとしている。 その意味では、本書は、書名に示したように、洋書に関する本と見ていただいても良い。

そのためにも、これまで以上に図を多く取り入れ、目で見てわかるようにつとめた。 これまで何気なく見てきたことにも意味があることを知り、それらがどんな目的で用いられ、どんな姿で本に現れているかを理解できるはずである。

記述書誌学は完成した学問ではない。 現在も模索し、発展を続けている学問である。 未解決の問題も多い。 しかしこの知識を通して得られる情報は計り知れない。 記述書誌学を目指す人や洋書に興味を抱いている人にとってお役に立てば幸いである。
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< 主な内容 > 目次より
1 章 4°:A‒P4 とは何か
2 章 本の隠れた特徴
3 章 折丁式の作り方
4 章 扉の転写
5  章 扉以外の部分の転写
6  章 記述の単位
7 章 記述書誌学とは
8 章 記述書誌と目録の違い
9 章 準ファクシミリ転写法小史
参考図書/用語集/あとがき/索  引
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< 著者紹介 >
髙 野  彰 (たかの あきら)
1941年 生まれ
1964年 東京大学総合図書館 勤務
2001年 跡見学園女子大学文学部教授
2012年 跡見学園女子大学文学部特任教授
2013年 退官
博 士(日本文化)
◯ 主要著書
『 洋書の話 』 増補版(丸善、1995年)
『 帝国大学図書館成立の研究 』(ゆまに書房、2004年)
『 英語本の扉 』 (朗文堂、2012年)
 
【 関連 URL : 出版記念講演会 / 髙野 彰 『洋書の話』を語る

──────────── <参考資料 ② >

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英語本の扉 その歴史と役割 』

◯ 著   者 : 髙 野 彰
◯ 装   本 : A5判 並製本 ジャケット付 176ページ
◯ 発行日: 2012年8月28日
◯ 定  価 : 本体1,900円+税
ISBN978-4-947613-86-8 C3000 

本書は「扉」の役割とその歴史を解き明かした書物です。
書物に関心のある人にとって、刺激的な内容になっています。

1500年頃の英語本の扉には、木版の書名、木版の絵を併用した書名、扉全体を囲んだ装飾の枠内に示された書名、コップや逆三角形やワイングラスの形をした書名など、興味深い工夫が目に付きます。
こんな工夫をしたのは、扉ページを本文ページとみなしていたからです。
そのおかげで、扉は本の品質を保証するページになれるのです。

【関連 URL : [ブックコスミイク]新刊書籍 髙野 彰著 『 英語本の扉 』 のご案内

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03 お先でゴアンド バッカス松尾 鹿児島を往く。

会報誌26号 朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会報誌 2014年秋 第26号 表紙 1 ・ 表紙 4 活版印刷 A5 判 4 版 4 度刷り

Viva la 活版 ―― すばらしき活版印刷
2014年、今回は、火の山 ・ 櫻島と、紺碧の海 ・ 錦江湾にのぞむ
鹿児島の 重要文化財施設 尚古集成館で
<Viva la 活版  薩摩 dé GOANDO> を開催いたします。

goando-ロゴ2色
【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO

【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/

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【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 01  開催のお知らせ
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 02  告知はがき印刷篇
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03  お先でゴアンド  鹿児島を往く
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 04   薩摩藩と三代木村嘉平の活字
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 05   鹿児島 おすすめ情報Ⅰ 仙巌園/尚古集成館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 06   鹿児島 おすすめ情報Ⅱ 長島美術館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】

《 鹿児島 ―― お先で ゴアンド AD バッカス松尾 鹿児島を往く 》

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部季刊会報誌 2014年秋 第26号は <第 17 回  活版ルネサンス> 情報のほかは、開催が間近にせまった <Viva la 活版 ―すばらしき活版  Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の大特集となりました。

特集は、開催趣旨の説明に続いて、会場となる 仙巌園センガンエン/尚古集成館と、鹿児島市街地散策マップが、バッカス松尾製作による詳細図版で紹介されました。
それに続き 【 連載 活字版印刷豆知識 26 】 は、急遽 <鹿児島と活字版印刷術  ◯ 薩摩辞書  ◯ 木村嘉平活字> に差しかえられ、さらに好評な巻末連載 【 活版まんが 】は休載となって、【 会員からのお知らせ 】 として <鹿児島グルメ情報> が収録されるにぎやかさとなりました。
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なお、本項では活火山 : 櫻島をしばしばとりあげます。
櫻島は鹿児島市中心部の東岸 (直線距離 ≒ 4 km) の錦江湾内に位置し、カーフェリーが頻繁に往復しています。その櫻島は1980-90年代に比べればかなり沈静化していますが、いまなお活発な火山活動を続けていて入山規制(登攀禁止)がしかれて
います。

鹿児島市は櫻島の東よりの海岸にあるため、偏西風のせいもあって比較的降灰はすくないのですが、風向きによっては、ときおり市内にも火山灰がふりそそぎます。
櫻島には、山麓を通過する二車線の舗装道路があり、公園や観光施設もたくさんあって、立ち入りはできますが、以前から入山規制があって、櫻島への登攀は禁じられています。
そして、このたび御嶽山の突然の噴火により、被害に遭われた皆さまに心からお見舞いを申しあげます。
また、不幸にして亡くなられた方方には心より哀悼の意を表します。 仙岩園マップ鹿児島市街地マップ さて、地図の製作を依頼されたバッカス松尾です。
バッカス松尾は、関東平野の真っ直中、海の無い県 : 埼玉県に生まれました。 これまで鹿児島はもちろん、九州はほとんど訪れたことがなかったのですが、たまたま新妻 : ゆみ夫人の郷里が宮崎で、今回はゆみさんの親戚の結婚式に参列のために、夫婦で08月下旬に宮崎を訪れ、そこから足をのばして、高速道路を利用しての鹿児島入りでした。

ここのところ、幕末偉人録の読書に熱中しているバッカス松尾にとっては、資料や小説のなかの人物に過ぎなかった多くの薩摩藩士の生誕地や、そこに建つ銅像や記念碑、紺碧の錦江湾、サラマンダーさながら火焔の山 : 櫻島を眼前にして、その昂奮たるや頂点に達したようです。
それでもそこは、わがアダナ ・ プレス倶楽部 AD バッカス松尾のことゆえ、市販の地図や、観光案内図とはひと味ちがう、利便性のたかい地図を製作されました。

《 市電が走るまち 鹿児島は、薩摩島津家ゆかりの ◯十 丸に十 の字 の紋章であふれています 》
鹿児島市は九州南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地。人口およそ60万人のまちです。
南九州の拠点都市で、ふるくから薩摩藩90万石の城下町として栄えてきました。
また近代日本の黎明期、明治維新において、薩摩藩は、政治家、官僚、軍人など数多くの傑出した人物を輩出し、近代日本建設の礎となったことはご存知のとおりです。

鹿児島県は九州の南端にあり、ふかく切れ込んだ入り江の錦江湾を抱くように、地図向かって左側が薩摩半島、右側が大隅オオスミ半島、そして奄美地方などの多くの島嶼部からなります。
鹿児島市は薩摩半島にあり、櫻島は 4km ほど西の海上にあります。この間はカーフェリーを中心とした航路で結ばれていますが、この櫻島も大半は鹿児島市に属しています。
櫻島の東岸は大隅半島と陸路で接し、大隅半島側は比較的のどかな田園地帯がひろがっています。したがって薩摩半島から大隅半島への渡航の足としても、カーフェリーは頻繁に往来しています。
参考資料 : 鹿児島市観光サイト/本物の旅 かごしま
DSCN4492 DSCN4484 DSCN4384 DSCN4364 DSCN4382鹿児島市民はもっぱら「磯庭園」と呼ぶあたりは、市内中心部からは15-20分ほどで、「まち巡りバス」が頻繁に巡回しています。ただし狭い海岸べりに国道と鉄道が併走しているために、朝夕の道路はいくぶん混雑が目立ちます。
ここは元 薩摩藩藩主:島津家の別邸で、櫻島を築山ツキヤマに、錦江湾を池にみたてた壮大な大名庭園で、「仙巌園 センガンエン」が正式名称です。
DSCN435619世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、第28代当主 : 島津斉彬ナリアキラのもとでの集成館事業として、反射炉や溶鉱炉が造られ、日本における近代工業化の発祥の地となりました (現 ・ 尚古集成館)
この仙巌園と尚古集成館が、今回の<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の会場となります。
DSCN4365 DSCN4366 DSCN4352《 一撃必殺の剣法 薩摩示現流にバッカス松尾が挑む ―― 見て欲しい、この見事なまでの へっぴり腰 》
示現流 ジゲンリュウ とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣法で、流祖は東郷重位とされています。
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興よって「御流儀」と称され、島津家分家の佐土原藩を除き、藩外の者にこの剣法を伝授することを厳しく禁じられていた、薩摩藩の「御留流」剣法でした。 DSCN4359薩摩示現流は幕末期になると京阪や江戸でもしられ、その裂帛の気合いと、骨肉ともに断ち割るすさまじいまでの斬撃剣法は、一撃一殺の剣法として懼れられました。
示現流では 「一の太刀を 疑わず」、あるいは 「二の太刀 要らず」 とされ、髪の毛一本でも早く打ちおろせ(雲耀 ウンヨウ) と教えられます。このとき腹の底から発せられる裂帛の気合 「チェストー」 と、初太刀から勝負のすべてを掛けて斬りつける、 「先手必勝」 の鋭い斬撃が特徴です。

稽古には柞 ユス の木の枝を適当な長さに切り、時間をかけて十分に乾燥させた木刀をもちい、蜻蛉 トンボ と呼ばれる構えから、立木に向かって気合と共に、左右激しく連続して斬撃する「立木打ち タテギウチ」 など、実戦を主眼に置いた稽古を、ひたすら反復することに特徴があります。
そのときに発するかけ声は 「猿声 エンセイ」 とも呼ばれ、「チェストー、キィエーイ」 などの奇声を発します。

薩摩示現流は、いまは警視庁において流祖 : 東郷家によって伝承されているそうですが、その展示室と、稽古場が「仙巌園」にもあります。 それをみたバッカス松尾、なにをどう勘違いをしたのか、示現流の稽古にいどんだようです。
まぁ黙って見てやってください。このあわれ モトイ 見事なまでのへっぴり腰を。ちいさく ちぢこまった腕を。
これでは一撃一殺はおろか薩摩大根も切れないでしょうし、遠くない将来にやってくるであろう夫婦げんかでも惨敗必至ですね。 DSCN4360DSCN4362
《 こころは海援隊 : 坂本龍馬の心境で、航路はるばる ― わずか4km の櫻島へ波を蹴たてて渡航 》
鹿児島はふるくから「新婚旅行の地」とされます。ときは幕末。維新の志士 : 坂本龍馬が、内縁の妻 : りょう をともなって鹿児島を訪れたことから発したようです。

坂本龍馬の足跡をおって、すでに土佐の高知まで出かけたほど、坂本龍馬大好き人間のバッカス松尾にとっては、龍馬と りょう が手を携えて振り仰いだであろう櫻島と、その眼前にひろがる錦江湾の金波銀波をみたとたん、そこはさすが海無し県 : 埼玉のひとらしく、
「このはろばろと広い、おおうなばらを渡ろう!」
と決意したそうです。

お断りしておきますが、鹿児島市中央部と櫻島間は指呼の間、わずかに 4km で、大海原というほどのものではありません。あっという間の15分ほどで到着します。
ところがこのとき、バッカス松尾、折悪しく モトイ かの龍馬と同様に、新妻 : ゆみさんを伴っての鹿児島入りでしたから、新婚旅行に訪れた坂本龍馬をしのぶ舞台設定は完璧でした。

鹿児島から櫻島へのフェリーは、仙巌園/尚古集成館からほどちかくに乗船所があります。
このあたりの護岸には、「薩英戦争」-1863年8月15-17日-に際して薩摩藩と英国艦船が闘った折の、なまなましい銃弾や砲弾の痕跡が護岸のあちこちでみられます 【 ウィキペディア : 薩英戦争 】。
フェリーの旅は快適で、前方には噴煙をあげる櫻島がそびえ、ふり返ると仙巌園と尚古集成館がある 「磯庭園」 が山肌に抱かれて広がっているのがみられます。
DSCN4372 DSCN4375 DSCN4411 DSCN4417 DSCN4450 DSCN4453バッカス松尾一行が櫻島に航路はるばる、わずか 4km の海路の航海をおえて櫻島に上陸するまで、火山は噴煙こそ上げていたものの、穏やかだったようです。
それが展望台について間もなく、突然轟音とともに小爆発がおこり、黒い噴煙をモクモクと吐きだして驚いたそうです。めったに見られぬ光景だと夢中でシャッターを切ったそうです。

ときは2014年08月31日のこと。 それからほぼ一ヶ月ののち、09月27日の正午頃、御嶽山が爆発して多くの死傷者をだしました。 お亡くなりになったかたがたのご冥福をお祈りするともに、つねひごろ活火山とともに生活されている鹿児島県の皆さんのご苦労もしのばれます。
観光客としてはめずらしい光景と櫻島の迫力には興奮と感動をおぼえますが、そのパトスを体感で享受しながらも、ままならぬ自然の存在と、それを忘れがちな人類について、あらためて考えてみる機会にもなろうかとおもいます。
DSCN4420 DSCN4434 DSCN4429 DSCN4435 DSCN4446しばらくのちに、御嶽山の惨事が待ちかまえていることなど露知らぬバッカス松尾です。
このひと、恐竜のフィギュアと、 SP レコードのコレクターでもありますが、ナント 櫻島には恐竜公園があり、そこにたくさんの恐竜が展示されていて、昂奮 いやまさるものがあったようです。

独身時代のバッカス松尾は、恐竜のフィギュアを大小様様、数十体も所有していました。狭いアパートは、恐竜と、ふるいレコード盤であふれ、それらのコレクションアイテムが、押し入れや収納場所のすべてを占拠していました。したがって収納場所のない布団はいきどころを失って、敷きっぱなしの万年床でした。

結婚に際し、当然ながらこれらの「不要品」、なかんずく [コレクター以外には薄気味悪い ]恐竜フィギュアは、ゆみ夫人に破棄を厳命されたようですが、なんとか三拝九拝してお許しをいただいたものが、十体ほどのこされているそうです。
それでも偽装をこらし、隠匿してあるものが数体はあるはずだとやつがれは睨んでいますし、近近ゆみ夫人による家宅捜索があるやもしれません。

ともかくバッカス松尾、櫻島の恐竜に狂喜乱舞だったようです。最下部の恐竜の体内にもぐり込んでの得意げな写真、なんと評すれば……、とても四十男のやることとは ?  どうしてもおもえないのだが……。
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ふたたび鹿児島市内にもどった一行は、市内のあちこちを車であわただしく回り、「取材」をかさねたようです。それらのすべてが、バッカス松尾特製 <かごんま市街地散策 MAP > に盛りこまれました。 DSCN4480DSCN4471DSCN4395DSCN4396 《 バッカス、松尾はともに酒の神です。甘党のかたに 鹿児島特産の氷菓 「 しろくま 」 情 報を 》 「むじゃき」2

バッカス、松尾 ―― ともに酒の神として祭られる存在です。
鹿児島では海の幸、山の幸を満喫し、お酒もずいぶん進んだようですが、取材を依頼しておいた鹿児島名物の氷菓 「 しろくま 」 の取材は、辛党 酒の神/バッカス松尾、案の定 華麗にスルー。懼れていたとおり取材 ・ 体験を敢行しなかったようです。
読者の中に甘党のかたで <しろくま> ファンのかたがおられましたら、以下のURLからお楽しみください。
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO-Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】
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東京国立博物館・書道博物館 連携企画<趙之謙の書画と北魏の書> 後期展示案内

20140717214438189_0002 20140717214438189_0001東京国立博物館・書道博物館 連携企画 ── 悲盦没後130年 ──

趙之謙の書画と北魏の書

詳細:東京国立博物館  http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=623
詳細:書道博物館     http://www.taitocity.net/taito/shodou/index.html

書道博物館では、特別展『趙之謙の書画と北魏時代の書』―悲盦(ひあん)没後130年―がはじまってから一ヶ月がたちました。残暑のきびしい日日でしたが、東京国立博物館、書道博物館ともに多くの来館者をみたようです。
08月26日[火]からは、一部の展示替えを終えて後期展示がはじまりました。本展は09月28日[日]まで開催されています。
ここにあらためてご案内いたします。

本2014年は中国清朝後期のひと、趙之謙(ちょう-しけん 1829-84)の没後130年にあたります。 趙之謙は会稽カイケイ(浙江省紹興)の裕福な商家にうまれましたが、十代のころから家産がかたむいて貧困を余儀なくされました。
それでも趙之謙は書画や篆刻で生計を立てながら勉学にはげみ、やがて結婚しました。妻は苦しい家計をやりくりし、なんとか幸せな家庭を築くかにみえました。

ところがこのころから、江西省に興ったキリスト教系の宗教結社[上帝会]による「太平天国の乱」[別名:ボクサーの乱。弁髪を廃して長髪をたくわえ、南京を首都として太平天国と称した。曾国藩・李鴻章らによって鎮圧されたが清朝崩壊の遠因となった。1851-64]が会稽にも波及し、自宅は焼失し、妻子も争乱の犠牲となりました。
家と家族をもろともに失った絶望の果てに、趙之謙はみずからの号を「悲盦 ヒアン ≒ 悲庵」とあらためました。ときに趙之謙34歳のときのことでした。

こののち趙之謙は趙家の再興をめざして科挙[高級官吏登用試験]に挑みました。挑戦すること再再にわたりましたが、ついに科挙登第の夢を果たせずにおわりました。
それでも北京での滞在中に数多くの金石キンセキ資料に接し、その研究に没頭しました。 なかでも北魏[鮮卑族王朝、398-556]の書に心酔して、のちに「北魏の書」と呼ばれるあたらしい書の表現を確立しました。

北魏の書に触発され、雄偉きわまりない書風を創出した趙之謙は、碑学派の中心的な人物として活躍し、清朝後期の碑学派は全盛期をむかえました。
この碑学派をおもくみる風潮は明治の日本の書壇にも継承され、趙之謙の独特な作風に影響をうけたわが国の書芸家は少なくありません。

いっぽう趙之謙はその後も科挙に挑戦していましたが、ついに高級官僚の途を断念して、44歳の時地方官僚として江西省に赴任して政務に奔走しました。しかし積年の過労がたたり、数えて56歳でその生涯をとじました。
[書道博物館のフライヤーよりご紹介]

<西湖のほとりにある趙之謙を紀念する半隠亭と、復元された墓址> ──────────
中国浙江省杭州市の西湖をめぐる堤のひとつに楊公堤ヨウコウテイがある。
楊公堤は明の正徳03年(1508)当時の杭州知事:楊 孟瑛が西湖を浚渫した際にでた湖底の泥をもちいて築いたとされる。
2003年に大改修がなされて、並木の美しい散策路と、二車線の舗装道路になった。全長は3,228メートルとおおきな堤である。

趙之謙は赴任先の江西省で没したとされるが、墓地は郷里の会稽(浙江省紹興)からちかい、この西湖のほとり、丁家山麓に設けられていたとされる。
小社スタッフが、趙之謙の書画と篆刻が好きだったために、2011年の中秋に西湖の趙之謙の墓地をたずねた。その記録をご紹介したい。
DSCN8047 DSCN8049 DSCN8050 DSCN8056 DSCN8055 DSCN8062 DSCN8060杭州西湖の観光地図をみるなら、楊公堤の「三台雲水」のちかくに趙之謙の墓地はあるが、多くの観光案内図には墓地の所在地は触れられていない。
丁家山とは、やまというより、所詮堤のなかのわずかな高所であり、また道路の改修前には訪れることも困難な場所であったという。そのためにいつの間にか墓所は毀損されて、その正確な位置はわからなくなっていた。

それでも趙之謙の遺徳をしのぶひとがおおく、かつて墓地があったとされる高台に、あずまや風の「半隠亭」がもうけられ、そこからの西湖の眺望はすばらしい。
墓地は道路をはさんで斜め前方に簡素に再建されている。
碑学派の書芸家や篆刻家の一大拠点、杭州西湖にはふさわしい眺望である。
【URL:百度百科 趙之謙画像集 百度百科 趙之謙

<西湖余談> ────────
天下の名勝として知られる西湖には、楊公堤、蘇堤(蘇軾ソ-ショク・蘇東坡ソ-トウバ 1036-1101  の築堤と伝える)などいくつかの人工堤防がある。
もっとも著名なのは東の断橋から錦帯橋を通って、西の平湖秋月まで、長さ1kmにわたって西湖を東西に分断する形で造られた堤防「白堤 ハクテイ」であろう。
この堤は、当初は「白沙堤」と呼ばれ、宋の時代には「孤山路」とも呼ばれた。

堤防の上には外側(湖面側)に桃、内側(湖岸側)に柳が植えられ、春になると桃の花の薄紅色と、柳の新緑とのコントラストが美しい。また初夏から盛夏にかけては、湖面を埋めて咲きほこる、うす紅色の蓮花の芳香につつまれる。
晩夏ともなると、その蓮の実をリヤカーや天秤に満載して売りあるく近在のひとが、近づく杭州の秋の到来をつげる。
これらの光景は、杭州西湖と白堤を代表する景観として知られている。

中唐代の大詩人・白居易 ハク-キョイ(あざな : 楽天 ラクテン 772-846)が杭州の刺史(長官)であった時、西湖の開拓と大規模な水利工事をおこして民に恩恵を与えたことから、後世のひとがその徳を忍んで、この堤はいつのころからか「白堤」と呼ばれるようになったという。
閑静な楊公堤とはことなり、「白堤」と「蘇堤」は四季をとわずひとであふれている。

ついでながら……、杭州は人口880万の大都市でもあり、観光地の周辺は混雑のためもあってタクシーは不足がちである。
もし楊公堤の<趙之謙墓地>をたずねるのなら、わかいひとは湖畔の随所にある「レンタサイクル」を利用されるか、タクシーでいくなら、ともかくちいさな案内板を見過ごさないように注意して、
現場で待機してもらったほうが安心である。

【 関連情報 : 活版 à la carte 十五夜のお月さま――月に叢雲ムラクモ、花に風といいますね。月餅と最中、Flea Market 蚤の市 】
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【イベント紹介】印刷のいろは展 2013


印刷のいろは展 2013

 【日 時】  2013年02月22日[金]-24日[日]
        12:00-18:00(最終日は17:00まで)
【会 場】   金羊社 1階・4階 入場無料 予約不要
【主 催】   金羊社&オールライト工房

アダナ・プレス倶楽部会員、オールライト工房さんによる恒例の《印刷のいろは展  2013》が、ことしも盛りだくさんの企画をもって開催されます。
皆さまご参加ください。

【詳細 いろは展ホームページ】

【イベント紹介】活版、横濱 二〇一三

活字母型  活字鋳造  活版活字

《活版、横濱 二〇一三》

【日 時】2013年02月09日(土曜日)11:00-19:00、
              10日(日曜日)11:00-18:30

【会 場】りせっとcafe 伊勢佐木町店 
      横浜市中区伊勢佐木町2-62 オリエンタル共同ビル

【参加者】
AUI-AŌデザイン大磯活版発信室、アマガサ印刷、活版工房、築地活字、
ズアン課、ツバメ活版堂、つる9テン(つるぎ堂、九ポ堂、Knoten)、
Bird Design Letterpress、ベイレタープレス、まつざわ印刷 ほか

【展示概要】
・活版作家のオリジナルの活版印刷物
 (ポスト・カード、封筒、メッセージ・カードなど)
・手動式活版機(テキンとアダナ機)を使ったワークショップ
・新・活字ホルダーを使ったワークショップ
・活字、活版材料の販売
・活字母型などの展示
・地元神奈川の印刷屋さんの活字組版の展示

【企画趣旨 ── 築地活字代表・平工希一】
《活版、横濱 二〇一三》は、全国で湧き上がる活版印刷の新しい可能性を、ここ横浜でも根付かせ、地元密着型の情報発信をしていくキッカケになれば ── との思いから開催することにいたしました。
《活版、横濱 二〇一三》の開催場所としてイセザキ町を選んだのは、活版印刷の歴史と同じく、新しい魅力をまだまだ発信できる可能性のある町だと思ったからです。
多種多様な人たちが集まるこの町で、新たな活版印刷を発信できれば幸いです。

【主 催】
株式会社 築地活字
横浜市南区吉野町5丁目28-2(三進興業ビル1F)
電話 : 045-261-1597
メール : info@tsukiji-katsuji.com

《活版、横濱 二〇一三》 詳細データー 会場MAP