月別アーカイブ: 2014年10月

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 09 活版礼讃イベントが終了いたしました。

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 たくさんのご来場者をお迎えして
Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO は
終了いたしました。
ご来場、ご協力ありがとうございました。
ご報告はおもに<活版 à la carte>にていたします。

仙岩園マップ【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・ 祝] 3 日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1

【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

<主会場 重要文化財 尚古集成館> 左方は11月いっぱい 「重要文化財 木村嘉平活字資料」 が特別展示される別館。
DSCN1269 DSCN1286【 お 知 ら せ 】
◆ 尚古集成館 館長 : 田村 省三氏による
特別講演 と ギャラリー ・ トークの 開催が開催されました。
<尚古集成館所蔵/重要文化財 『木村嘉平活字』 と 薩摩藩集成事業について>

◯ 『木村嘉平活字』 研究の第一人者 : 田村省三館長に、講演とギャラリー ・ トークを担当いただきました。
◯ 11月02日[日] 14:00-17:00 仙巌園会議室
◯ またとない機会ですが、会場の都合で受講者 限定20名様 となります。
◯ お申し込みが定員に達しました。 ありがとうございました。
◯ 満席の聴講者で、『木村嘉平活字』の詳細があきらかにされました。

<特別展示 重要文化財 「木村嘉平活字資料」>
20140924141936266_0004 20140924141936266_0002 20140924141936266_0003 三代木村嘉平肖像

<鹿児島県立図書館所蔵 いわゆる「薩摩辞書」> タイポグラフィの見地からの研究に着手しています。
DSCN1464 DSCN1504 DSCN1531 DSCN7654 DSCN7653 DSCN1413uu DSCN1411uu DSCN7662 DSCN7672 DSCN7671 DSCN7679

 <活版おじさん 以下、作品 ・ 備品が段ボールで20数個出荷されました>
10月10-16日にかけて、出展者の皆さまが次次と出展作品をご持参になりました。いずれも、ほんとうに力作揃いでした。
造形者としてやりとげた達成感と、遠い鹿児島での開催にわずかによぎる不安。
それでもアダナ ・ プレス倶楽部の会員同士、おおいに会話がはずみ、開催地 : 鹿児島に向けて意気軒昂、盛りあがっていきました。

鹿児島のアダナ ・ プレス倶楽部会員に頑張っていただき、<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> 開催の話題は、まず南九州から火がつき、次第に九州一円にひろがってきました。
またここまでの予習で、鹿児島における初期活版印刷術の開拓が、ひとり木村嘉平の起用にとどまらず、まったく予想以上の規模で展開され、それが五代友厚らによる献策を容れた、島津斉彬公主導の 「集成事業」 として、長崎と呼応していたことがあきらかになりました。

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部は、小なりとはいえ全国組織です。 文字通り全国から、多くの会員が鹿児島入りされ、地元の皆さんとの交流がさまざまになされ、おおきな成果をみました。
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天文館「ママ」のしろくまくん
「むじゃき」2
平野富二uu平野富二賞モトヤ平野富二賞 モトヤuタイポグラフィ学会 平野富二賞  賞状 ならびに 記念品
Salama 4cWebSalama-21A全体Salama-21Aチラシ表

web salama_4-2活版おじさんサイン会員の皆さまの作品は順次 < 活版 à la carte > コーナーを中心にご報告いたします。
活版礼讃。 <ゆくさ おじゃんたもんせ Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>

なにかがはじまる,そんな予感-日本ダイカスト会議 展示会

20141010221615805_0001 ブルース型活字鋳造機 ブルース活字鋳造機の心臓部 鋳型

<2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会 会議>
◯ 日 時 : 2014年11月13日[木]-15日[土]
◯ 場 所 : パシフィコ横浜
神奈川県横浜市西区みなとみらい1-1
TEL:045-221-2155
◯ 会 場 : 展示会場 パシフィコ横浜 展示会場Dホール(自由観覧 ・ 無料)
        会議会場 パシフィコ横浜 アネックスホール F201-206(要 登録)
◯ 主催 : 一般財団法人 日本ダイカスト協会

【 詳細 : 日本ダイカスト協会 2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会

──────────
隔年で開催される <2014 日本ダイカスト会議 ・ 展示会 会議> の開催が迫ってきました。
ところでわたしたちにとって、ダイカスト(ダイキャスト)は耳なれないことばかも知れません。
ダイカストは自動車のエンジンをはじめ、わが国の高精度な工業製品には盛んにもちいられている技術です。
朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部の小型活版印刷機 Adana-21J , Salama-21A の設計 ・ 製造に際しても、多くの鋳型がつくられ、そこにアルミ合金などを<圧力を加えて金属を注入する鋳造法>ダイカスト製品がたくさんもちいられています。

意外なことに、ダイカストのはじまりは、産業革命をへて、アメリカのブルース活字鋳造機 Bruce Casting Machine (アメリカ特許 No.3324,1843年)が、ダイカストの製品化 ・ 実用化のはじめとされています。タイポグラフィとは切っても切れない技術がダイカストです。
ブルース活字鋳造機のわが国への導入はふるく、アメリカでの実用化から30年ほどのち、1876年(明治09)に東京銀座(東京市京橋区南鍋町貳丁目壹番地)の活字商/弘道軒 ・ 活版製造所弘道軒に導入されていました。

そんなダイカストの歴史 ・ 技術 ・ 可能性 ・ 魅力を知ることができる展示会が開催されます。
ご観覧をおすすめします。  [この項 花筏 にてつづく]

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【新刊紹介】 『わたくしは日本国憲法です。』 鈴 木 篤 著

プリントわたくしは日本国憲法です。

著  者 : 鈴 木  篤  すずき あつし
発  行 : 2014年07月26日
定  価 : 本体 1,200 円+税(四六判 ソフトカバー 190ページ)
ISBN978-4-947613-90-5 C0036

おちかくの有力書店、オンライン・ブックショップでお求めください。
直送は送料別途請求にてたまわります。
朗文堂 営業部 : 160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9
Telephone 03-3352-5070
Facsimile   03-3352-5160
http: //www.ops.dti.ne.jp/~robundo
E-mail :  robundo@ops.dti.ne.jp

チラシ チラシ

<著者紹介> ────────────────────────
鈴木 篤 すずき あつし
1946年01月02日 山梨県石和町で出生。
1964年        長野県立長野高校卒業
1968年        東京大学法学部卒業
1970年        弁護士登録
1974年        江戸川法律事務所開設

地域の平和運動、組合運動などと連携しつつ、市民のための事務所つくりを進めて現在にいたる。「江戸川憲法読む会」に拠り学習会や講演会を重ねて、憲法問題への関心を市民に広げる活動を続け、原発問題では「さようなら原発江戸川連絡会」を結成して、原発に反対する地域の諸団体の連携強化に努めている。

この間、子どもを事故から防ぎ命と健康を守る会弁護団、出稼ぎ者・建設労働者労災弁護団、医療問題弁護団、患者の権利宣言運動、血友病 HIV 感染被害救済訴訟弁護団などに参加。

 <本書の主要内容  目 次より> ────────────────────────
◯ わたくしは日本国憲法です
◯ 押しつけ憲法
◯ 多数決は民主主義の原則?
◯ 小選挙区制について
◯ 民主主義……個人の尊厳と基本的人権
◯ 再び多数決原理について
◯ 教育の重要性
◯ 思想教育
◯ ヘイト・スピーチ、極右・ネトウヨについて
◯ もう一度「押しつけ憲法」について
◯ 民主主義政党の不在
◯ わたくしの「前文」
◯ 集団的自衛権
◯ 国民自身の中にある民主主義的で無いものについて
◯ 本音と建て前
◯ 地方自治の本旨と道州制、あるいは大阪府・市一体化構想
◯ 特定秘密保護法
◯ 護憲派はオオカミ少年なのか
◯ 生活保護法の改悪
◯ 最後に……
◯ 参考資料 日本国憲法全文

<本書 『はじめに』 より> ──────────────────── 
特定秘密保護法や、集団的自衛権など、憲法を泥足で踏みにじるような、こんな乱暴なことがまかり通り、まかり通ろうとしていることへの焦りに似たおもいに突き動かされて、この本を書いた。

そのためもあって、書き終わって読み返してみると、こんな狼藉者を野放しにしていることへのいらだちからか、いささか国民の中の民主主義の力にたいして、悲観的な、あるいは批判的なトーンが強調されすぎているという反省がある。

現実には戦後の六八年間、この国に民主主義や民主主義を守り育てようとするひとびとがいなかったわけでは決して無い。 それどころか、戦後の歴史は、民主主義を踏みにじろうとする勢力と、平和と民主主義と基本的人権を守ろうとする勢力との闘いであったといっても過言ではない。

そして、憲法をないがしろにしようとする勢力が政権を握り続けてきたにもかかわらず、そうした多くの先達による、粘りつよくて勇敢な闘いがあったからこそ、平和が守られ、根本のところで民主主義と基本的人権が守られてきたことは紛れもない事実なのだ。

そうした力は、いまも特定秘密保護法成立を阻止しようとして、官邸や国会前に集まったひとびとや、日に日に強くなっている、集団的自衛権行使容認に反対する国民各層の声としてあらわれている。

しかしそうした悲鳴にも似た反対の声にも関わらず、安倍政権は、国民はおろか国会をも無視して、ついに集団的自衛権の行使容認を閣議決定という形で押し通してしまった。 それを許してしまったことの背後にあるのは、「ながいものにまかれ」、「みんなが望んだからわたしもと成り行きに身を任せ」、「どこからどうしてこうなったのかには責任を負わず、それを追求しようともしない」という、いわゆる「無関心層」の存在ではないのか。

一個人に過ぎない者が憲法に成り代わって、憲法を一人称とするこのような本を発行することについては、「僭越だ」とか、「おこがましい」等の批判も多々あることだろうが、それはほかでもない、そうしたひとびとに、憲法自身が語りかけるという形を取りたかったからである。

憲法は、憲法に関心を持たないあなたにとっても、かけがえのない味方なのだ、それを失うことは、あなたにとって取り返しがつかないことだということを、なんとしてもわかってほしいというおもいからこのような文体を採用したのだ。

安倍政権の暴走を止めようとしている国民各層の運動が、ひとつに大きく結集し、さらに裾野を広げていく上で、この本がいささかなりとも役割を果たすことができれば、それに過ぎる幸せは無い。

《ご希望のかたに上掲の本書フライヤーを差し上げます。ご遠慮なくお申し出ください》

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 06 薩摩辞書 ―― あまりにも多くの未解明の謎にせまる第一歩

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DSCN1494 DSCN1482 DSCN1461 DSCN1462 DSCN1464 DSCN1466《 薩摩辞書をうんだまち : 鹿児島市と 幕末-明治維新の混乱 》
鹿児島市の中央部に、歴代の薩摩藩主の居城であった鶴丸城があります。
この鶴丸城の背後には「城山」と呼ばれる急峻な丘があり、現在は観光地のひとつになっていますが、そこには 砦 程度の施設がつくられただけで、居城は平地にある鶴丸城でした。

むしろ薩摩藩主 : 島津家には <薩摩は人をもって城となす> とする考えがあって、おおきな城郭や天守閣をかまえることは無く、さほど高くない石垣と、わずかな濠にかこまれた平ヒラ城を「鶴丸城」と呼んで居城としていました。
鶴丸城は、薩英戦争、西南の役、第二次世界大戦の空襲など、多くの戦乱に巻きこまれ、現在はそれらの戦乱の弾痕跡を留めた石垣がのこるだけになっています。

その鶴丸城の跡地の一画に鹿児島県立図書館があります。
その正面入り口には 《薩摩辞書之碑》 があり、「AN ENGLISH-JAPANESE DICTIONARY  薩摩辞書之碑  American Presbyterian Mission Press 1869」 と刻まれています。

「薩摩辞書」とは俗称であり、『和譯英辭書』 の名が、初版(1869年/明治02年)における正式名称です。 この英和辞書は、幕末の大混乱のさなかに密かに上海で刊行作業が進行し、維新ののちに完成をみた大冊の英和辞書です。
したがっていかに衰微していたとはいえ、幕府の正式な許可を得ないまま、薩摩藩庁から資金提供をうけて刊行に着手した、薩摩藩の若き俊才たちは、正式な刊記(刊行記録、現代の奥付にあたる)をのこすことなく、わずかな記録として、日本語の序文の末尾に <日本 薩摩学生> と、若い実務者の名前だけを記録しています。

すなわち薩摩とはしるしても、薩摩藩とはしるさず、万一追求をうけても、薩摩藩としては、
「当藩はまったく関わりがない。日本国のわが薩摩の学生が(勝手に)なしたこと」
として、釈明の余地をのこしていたとおもわれます。
当然これだけの大冊の辞書を、資金面からも、鎖国下にあって海外渡航が困難だった状況からも、上海の印刷所で <日本 薩摩学生> が刊行できたとはおもえず、薩摩藩の藩命による、物心ともにの援助によるものとおもえます。

俗称「薩摩辞書」は、アメリカの語学者/ウェブスター(Noah Webster, 1758-1843)による英語辞書 『ウェブスター大辞典』 を典拠としており、以下の三版が知られています。

◯ A 第一版
『和訳英辞書』(明治二歳 己巳 ツチノト ミ  正月 千八百六十九年新鐫)。
鐫センは深く掘る。年月は旧暦/1869年-明治02年)。印刷所 : American Presbyterian Mission Press 上海 美華書館。和文序に「改訂増補和訳英辞書」、英文扉に「THIRD EDITION」とある。後述。
◯ B 第二版
『大正増補 和訳英辞林 官許』(明治四歳辛未 カノトヒツシ ゙ 十月)。
年月は旧暦/1871年-印刷所 : American Presbyterian Mission Press 上海 美華書館。欧文扉に「FORTH EDITION REVISED」とある。後述。ここにみる「大正」は元号を意味するものでは無い。
◯ C 第三版
『稟准 和譯英辞書』(明治六年十二月 紀元二千五百三十三年)。
年月は新暦/1873年-明治06)。印刷所 : 東京新製活版所 天野芳次郎蔵版(一部複写のみ所有。未見)。複写資料を見る限り、あまり見かけない活字書体が用いられている。
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つぎに、「薩摩辞書」に関わった人物をあげてみたい。
俗称「薩摩辞書」に先行した二冊の英和辞書を、初版、二版とみなしたために、A 第一版
『和訳英辞書』(明治二歳 己巳 ツチノト ミ  正月 千八百六十九年新鐫)の欧文扉ページに「THIRD EDITION」としるされた。

  ◯ 堀 達之助
「薩摩辞書」の前身、『英和対訳袖珍辞書』(洋書調所、1862年 ・ 文久02)を刊行。
これを初版とみなしたために、『和訳英辞書』の欧文扉ページに「THIRD EDITION」としるされた。
堀達之助は長崎通詞の名門の出。浦賀にペリー艦隊が来航した折の通訳でもあった。

◯ 堀越 亀之助
「薩摩辞書」の前身、『改正増補英和対訳袖珍辞書』(開成所、1866年 ・ 慶応02)を刊行。
これを二版とみなしたために、『和訳英辞書』の欧文扉ページに「THIRD EDITION」としるされた。
◯  前田 正穀 (日本 薩摩学生)

維新ののち前田正名とする。A 第一版『和訳英辞書』、B 第二版『和訳英辞書』の日本語序文末尾にその名をみる。
本書刊行後渡仏。帰国後農商務省に勤務して
次官まで昇格したが、富国強兵策に異論を唱えて下野。1850-1921。
◯ 高橋 良昭 (日本 薩摩学生)
維新ののち高橋新吉とする。A 第一版『和訳英辞書』、B 第二版『和訳英辞書』の日本語序文末尾にその名をみる。
本書刊行後、1870年米国留学。帰国後大蔵省勤務。二代目勧業銀行総裁。 1842-1912。
◯ 前田 献吉 (日本 薩摩学生)
前田正名の実兄とされる。詳細不詳。
A 第一版『和訳英辞書』の日本語序文末尾にその名をみる。
◯ 堀 孝之
B 第二版『和訳英辞書』の日本語序文の文中にその名をみる。
堀孝之は長崎通詞の名門の出。五代才助(友厚)が長崎海軍伝習所にまなんだとき、当時10歳ほどの堀孝之の才を見抜いて薩摩藩に推挙した。薩摩藩英国留学生一行の通訳として、五代ら一行19名のひとりとして渡英。
終生五代との親交が篤く、五代が眠る大阪阿倍野墓地の五代の墓のかたわらに、堀の功績を称える「堀孝之君之碑」が建てられ、ついで堀の顕彰碑の隣に五代本人の顕彰碑が建てられた。?-1911年 ・ 明治44  67歳にて卒。
20141024152838867_0001 20141024152838867_0002 20141024152838867_0003 20141024152838867_0004薩摩辞書うしろ見返しマーブル紙 上掲写真と、スキャナ画像は、いずれも B 第二版『和訳英辞書』。朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会員 MH 氏蔵書。
下掲写真は、右) A 第一版 『和訳英辞書』(明治二歳 己巳 ツチノト ミ  正月 千八百六十九年新鐫)。左) B 第二版『大正増補 和訳英辞林 官許』(明治四歳辛未 カノトヒツシ ゙ 十月)。 である。
A 第一版 『和訳英辞書』は、朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会員 SK 氏の蔵書で、巻首部04ページを欠き、製本所で補修中のところを、無理をお願いして撮影させていただいた。

これらの資料が <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の開催にともなって公開され、また現地鹿児島に、実践派の多くのタイポグラファが現地取材にでかける。
その調査結果が待たれるいまである。
DSCN7691 DSCN7694 近代タイポグラフィの黎明期における五代友厚ら、旧薩摩藩のひとびとの貢献はほとんど看過されてきた。
五代友厚に関しては、「木村嘉平関連資料」の項でいくぶん解説した。

また薩摩藩家老として、小松帯刀タテワキによる積極的な人材登用と財政支援も看過できない。NHKの大河ドラマ 『 篤 姫 』 では、小松帯刀と篤姫は、おたがいに密かな恋心を抱いていた人物として描かれていた。
小松帯刀は維新後まもなく明治03年に病没したが、わが国の近代化とタイポグラフィ ≒ 近代活版印刷術への貢献は多大なものがあった。
その像は、あたかもかなたの西郷隆盛の巨大な銅像を睨み据えるように建立されている。
DSCN1504 DSCN1508 DSCN1531 DSCN1532鹿児島中央駅前にそびえる『若き薩摩の群像』には、19名の「留学生/密航者」のうち、薩摩藩出身ではないふたりの像がかけている。
そのひとりは前述した長崎人/堀 孝之であり、もうひとりは、土佐勤王党の一員で、のち土佐藩を脱藩して薩摩藩に逃れた高見弥市である。

またこの「薩摩藩英国留学生」とは、幕府の許可無く渡英したために全員が仮名をもちいていた。17名の銅像のなかに、若年の兄弟とされながら、その詳細がほとんどあきらかにされていないふたりがいる。この兄弟が「薩摩辞書」に関わった可能性も否定できないいまである。
[この項近日中に 花筏 にて詳細掲載の予定]
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Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 04 薩摩藩と三代木村嘉平の活字 

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【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間

【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/

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【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 01  開催のお知らせ
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 02  告知はがき印刷篇
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03  お先でゴアンド  鹿児島を往く
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 04   薩摩藩と三代木村嘉平の活字
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 05   鹿児島 おすすめ情報Ⅰ 仙巌園/尚古集成館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 06   鹿児島 おすすめ情報Ⅱ 長島美術館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】

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【 緊 急 の お 知 ら せ 】

◆ 尚古集成館 館長 : 田村 省三氏による
特別講演 と ギャラリー ・ トークの 開催が決定しました !!
<尚古集成館所蔵/重要文化財 『木村嘉平活字』 と 薩摩藩集成事業について>

◯ 『木村嘉平活字』 研究の第一人者 : 田村省三館長に、講演とギャラリー ・ トークを担当いただきます。
◯ 11月02日[日] 14:00-17:00 仙巌園会議室
◯ またとない機会ですが、会場の都合で 限定20名様となります。

◯ 聴講料は不要ですが、仙巌園 ・ 尚古集成館の共通入場券 ¥1,000 が必要となります。
◯ 参加希望のかたは adana@robundo.com に、件名「木村嘉平活字講演会参加」で申し込みを。
◯ 申し込みは先着順で、定員になり次第締め切りとさせていただきます。
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三代木村嘉平肖像 第三代 木村 嘉平 ( 名は房義。1823/文政6年-1886/明治19年 行年64 )
[図版出典 : 田村省三 「木村嘉平と川本幸民」 『日本の近代活字』  p.232 – 237  朗文堂]

木村嘉平 (きむら かへい。三代。名は房義。1823年/文政06年-1886年/明治19年03月24日) とは、初代から五代にわたる江戸と東京の木版彫刻士の世襲名であり、しばしば木村の村を 「村の異体字 邨」 につくり、また略して 「邨 嘉平、邨 嘉」 などと唱えたり、彫刻していました。

現在鹿児島 尚古集成館が所蔵する、活字資料(重要文化財)を製作したのは、江戸神田小柳町 第三代 木村嘉平(木村房義)といい、18歳で父をうしなって三代嘉平を襲名しました。
三代嘉平は筆意彫りを得意とする名工とされ、藩政時代には 薩摩藩、加賀藩の御用をたまわって、数多くの木彫作品や木版製品をのこしています。

その三代嘉平の製作物のひとつに、鹿児島県立図書館所蔵の、薩摩府學蔵版の数冊の木版刊本があり、『中楷古文孝経』(1850年/嘉永03年)の跋文最終ページの欄外には、上掲図のような「 邨 嘉 平 刻 」がみられます。
また、おなじく薩摩府學蔵版のうち、『施治攬要 セジランヨウ』(1857年/安政04年)は、あきらかに木活字によるものであると田村氏はしるされています(p.235)。
すなわち三代嘉平は、活字駒彫りを、すでに1857年以前、すくなくとも安政年間から実践していたことになる貴重な資料といえるでしょう。

三代木村嘉平が開発した活字は、徳川幕府膝元の江戸や、開港地長崎での活字開発者とは幾分文脈を異とする貴重なものです。
三代嘉平は江戸に居住していましたが、薩摩島津家28代、薩摩藩11代藩主 : 島津斉彬 (なりあきら 1809-58 ウィキペディア : 島津斉彬 ) の委嘱をうけ、もっぱら蘭書などの文献資料にまなびながら、まったく独自に活字製造に着手して、パンチド ・ マトリクス方式からスタートして、やがて電鋳法 (電胎法とも) にいたって一定の成果をみました。

三代嘉平が斉彬によって、わずかに一冊のオランダ語訳本 『Engelsche Spraakkunst』 (エンゲルセ ・ スプラークキュンスト  英人 Murray, Lindrey 著)をあたえられ、鋳造活字製造の委嘱をうけたのは1854年 (安政元年)とされています。
この斉彬による委嘱の時期は、先に紹介した 『施治攬要 セジランヨウ』 (1857年/安政04年) より以前であったことも注目したいところです。

すなわち三代嘉平は木版にかえて、木活字を平行ないしは先行させて彫刻していたこととなります。この木活字での経験は、「電鋳法による活字原型」 としての 「活字駒」 の製造に際しておおいに有効だったと想像できます。
そして三代嘉平は幕府には内密のまま作業をすすめ、ようやく鋳造活字の製作が完了したのは、1864年(元治元)、数えて実に11年後のことでした。

川本幸民 遠西奇器術 国立国会図書館蔵   『遠西奇器術 第二輯』 電気模造機の項。『江戸の科学古典叢書』(国立国会図書館蔵)

上掲書 、田村省三 「木村嘉平と川本幸民」 『日本の近代活字』 のなかで、田村氏は、
「五代嘉平が記した 『木村嘉平献上安政年間製活字略傳書類 全』 に、嘉平が電胎法を学んだのは、江戸の薩摩藩邸で講義していたオランダ人からであると書かれている。しかしこの時代、オランダ人が大名の屋敷に滞在し、長期間の講義をおこなうようなことはまったく不可能だったはずだ」 (p.236)
と のべています。さらに、
「とすれば、嘉平は誰から電胎法を学んだのか。筆者 [田村] は現在、川本幸民 乃至は その周辺の人物ではなかったかと考えている。実は、川本幸民の 『遠西器術』 [国立国会図書館蔵] にその手がかりがあった」
とされています。

これらの和欧文活字をはじめ、活字の製作工程を知ることのできる諸道具類は、三代嘉平房義、四代嘉平 : 房義の長男、五代嘉平 : 房義の末子の歴代にわたって木村家に継承されていましたが、1879年(明治12)、同81年の二度にわたる神田の大火によって一部を消失しました。
しかし大半の資料は、三代嘉平の末子/五代嘉平によって、1907年(明治40)島津邸におさめられ、その後鹿児島の尚古集成館に所蔵され、1998年(平成10) 「木村嘉平関係資料」 として 重要文化財 に指定されました。

今回の <Viva la 活版  薩摩 dé GOANDO> に際して、木村嘉平活字研究の第一人者にして、尚古集成館館長/田村省三氏による特別講演会が予定されています。
また講演後に、今回 <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> 開催にともなって、尚古集成館別館に特別展示されている 「木村嘉平関係資料」 のギャラリー ・ トークも、館長みずからその任にあたってくださいます。

これ以上のご紹介は、尚古集成館でのご講演に待ちましょう。
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《 きわめて太いパイプでつながっていた 幕末薩摩藩と 長崎製鉄所 》
巷間、これまでは、明治初期、長崎製鉄所の活版伝習所に 「電鋳法 ・ 電胎法」 が伝わったとされてきました。 またこのことは一部の文書記録にものこっています。
しかしながらこれらの文書記録は、もともとは印刷人でも活字人でもない文章家によって、明治中期ころからしるされ、それが繰り返し引用されてきたために、技術的見地からみると多くの問題点や齟齬を抱えています。

もともと幕府直営の製鉄所であった長崎製鉄所は、幕末ともなると、溶鉱炉こそなかったものの、艦船の航行や修理などに必要とされる、相当高度な工業技術と工業設備をゆうしており、「大規模な鉄工所」とされるほどの存在でした。
そのことが 『創業150周年記念 長船よもやま話』 (同書編纂委員会、三菱重工業株式会社長崎造船所、平成19年10月)、『平野富二伝 考察と補遺』 (古谷昌二、朗文堂、2013年11月22日) などの刊行によって次第にあきらかになりました。

その結果 ―― 明治初期、長崎製鉄所の活版伝習所に 「電鋳法 ・ 電胎法」が伝わった ―― とする従来の記録には、工業技術者から疑念が提示されています。
すなわち個個の事象をとりあげるだけではもはや不十分かもしれません。時系列にそって印刷史研究も見直していただきたいときになってきたようです。

いずれにしても、薩摩藩は幕府にはこの鋳造活字製造事業への取り組みを伏せ,、おおやけには内密裡に進行したために、未解決の問題は多多のこされています。
すなわち1873年(明治06) 平野富二が東京に本格的に進出したとき、東京にはすでに <三代 木村嘉平> の鋳造活字は存在していました。
さらには、大関活字、志賀(志気ともされる)活字など、詳細は不明ながらも、あきらかに鋳造活字のための 「活字母型」 を所有していた 「鋳造活字製造所」 が複数存在しており、いっときは平野富二と競合した史実と整合がとれなくなります。

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20140905164002225_0001長崎製鉄所1872年

上) 海岸にそって手前の工場群が集成館、奥が仙巌園。 1872年(明治05)天皇巡幸記念として撮影されたもの。 現在は尚古集成館 ・ 仙巌園。
下) 長崎飽の浦に設けられた長崎製鉄所 (左手奥) の明治最初期の写真。 現在は三菱重工業株式会社長崎造船所の本社工場となっている。

《 鹿児島と長崎 ―― 太い絆で結ばれていた近代工業化と活字版製造の歩み 》
鎖国から開国へ、幕藩制度から近代化へ ―― 国をあげ、欧米列強諸国に追いつき追いこそうと、一心不乱になったのが明治初期でした。
以前から、鹿児島の 「 前浜/磯庭園 」 とされるあたりの光景が、長崎飽の浦の長崎製鉄所(現 : 三菱重工業株式会社長崎造船所 本社工場)の光景と、とてもよく似ていることがふしぎでした。
その疑問を尚古集成館館長 : 田村省三氏になげかけたところ、あっさりと、
「 それは似てますよ。 集成館は長崎製鉄所を意識して造営されましたから…… 」
こういう返答があって、呆然としたことがありました。

とかく看過されがちですが、このとき、ふるくからの開港地であった長崎と、海外への飛躍をはやくからこころみていた薩摩藩とは、活字と印刷術でもふとい絆でむすばれていました。
簡略にあげても以下のようになります。

◯ 本木昌造は池原香穉カワカを通じ、薩摩藩儒臣: 重野安繹ヤスツグから活版印刷機を購入した。
◯ 本木昌造が関与した大阪活版製造所は元薩摩藩士 : 五代友厚の資金援助により設立された。
◯ 平野富二は東京への進出に際し、五代友厚に 「首証文」 を提出して資金援助を受けたとされる。
◯ 東京築地活版製造所第四代代表 : 野村宗十郎の父は長崎在勤の 薩摩藩士だった。

「大阪活版所跡」碑 (所在地 : 大阪市東区大手通二丁目。 写真 : 雅春文庫提供)
大阪活版所、大阪活版製造所に関しては、その設立の経緯、消長とあわせ、まだ十分には印刷史研究の手がおよんでいない。この「大阪活版所跡」碑の側面の碑文にはこのようにある。
「 明治三年三月 五代友厚の懇望を受けた本木昌造の設計により この地に活版所が創設された 大阪の近代印刷は ここに始まり文化の向上に大きな役割を果たした 」

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DSCN1414uuDSCN1413uu大阪商工会議所ビル,、鹿児島商工会議所ビルの前には、いずれも五代友厚のおおきな立像が建つ。 また鹿児島中央駅前には 「若き薩摩の群像」 の巨大な彫刻があり、その中央には英国留学中の五代友厚が、前方を指さす勇壮な姿で刻されている。

【 関連情報 : 平野富二と活字*03 『活字界』牧治三郎二回の連載記事に戦慄、恐懼、狼狽した活字鋳造界の中枢
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<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の準備が佳境に入りつつあるころ、奇妙な指摘がなされました。
「この 邨 嘉平 刻 ―― の画軸を平野ホールでみたことがある……」
これまで、平野富二と東京築地活版製造所の事業では、鹿児島県との関係を、五代友厚(幼名 : 才助)だけからとらえ、平野富二が石川島平野造船所を創立したのちは、薩摩閥を背景とした、川崎重工の創立者 : 川崎正蔵との抗争にもっぱら目を奪われていましたから、この指摘はおどろきました。

下掲写真で紹介するのは、「平野富二研究会」 のメンバーと、平野ホールの 「虫干し会」 に訪問した折りの記録です。
この画軸は木版画とみられ、滅亡した明国から渡来し、徳川水戸藩主 : 水戸光圀の政治顧問になった 「 朱 舜水 」 による書画を ― 水府 (水戸) の藩校 : 尚義館の木村氏が所蔵していたものを、後世のいつのころか木版に刻み、ばれん刷りしたもので、俗に水戸拓本 ・ 水戸拓とよばれるものを軸装したものとみられました。

この書軸の左下隅に、いくぶん不鮮明ながら、たしかに薩摩府學蔵版と同様な 「 邨嘉平刻 」 がみられました。 薩摩府學蔵版の刻者署名と比較すると、「平」 の字の一画目の特徴あるさばきとがことなりますので、いまは三代嘉平の作と断定することは慎みたいとぞんじます。
それにしても平野富二と水戸藩との接点、そして薩摩藩と縁がふかかった木村嘉平との接点までもが平野ホールにはのこされていました。 研究に終わりはないようです。
平野ホール木村画軸01 平野ホール木村画軸02平野ホール木村画軸03 邨 嘉平刻

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03 お先でゴアンド バッカス松尾 鹿児島を往く。

会報誌26号 朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会報誌 2014年秋 第26号 表紙 1 ・ 表紙 4 活版印刷 A5 判 4 版 4 度刷り

Viva la 活版 ―― すばらしき活版印刷
2014年、今回は、火の山 ・ 櫻島と、紺碧の海 ・ 錦江湾にのぞむ
鹿児島の 重要文化財施設 尚古集成館で
<Viva la 活版  薩摩 dé GOANDO> を開催いたします。

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【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO

【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/

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【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 01  開催のお知らせ
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 02  告知はがき印刷篇
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03  お先でゴアンド  鹿児島を往く
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 04   薩摩藩と三代木村嘉平の活字
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 05   鹿児島 おすすめ情報Ⅰ 仙巌園/尚古集成館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 06   鹿児島 おすすめ情報Ⅱ 長島美術館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】

《 鹿児島 ―― お先で ゴアンド AD バッカス松尾 鹿児島を往く 》

朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部季刊会報誌 2014年秋 第26号は <第 17 回  活版ルネサンス> 情報のほかは、開催が間近にせまった <Viva la 活版 ―すばらしき活版  Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の大特集となりました。

特集は、開催趣旨の説明に続いて、会場となる 仙巌園センガンエン/尚古集成館と、鹿児島市街地散策マップが、バッカス松尾製作による詳細図版で紹介されました。
それに続き 【 連載 活字版印刷豆知識 26 】 は、急遽 <鹿児島と活字版印刷術  ◯ 薩摩辞書  ◯ 木村嘉平活字> に差しかえられ、さらに好評な巻末連載 【 活版まんが 】は休載となって、【 会員からのお知らせ 】 として <鹿児島グルメ情報> が収録されるにぎやかさとなりました。
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なお、本項では活火山 : 櫻島をしばしばとりあげます。
櫻島は鹿児島市中心部の東岸 (直線距離 ≒ 4 km) の錦江湾内に位置し、カーフェリーが頻繁に往復しています。その櫻島は1980-90年代に比べればかなり沈静化していますが、いまなお活発な火山活動を続けていて入山規制(登攀禁止)がしかれて
います。

鹿児島市は櫻島の東よりの海岸にあるため、偏西風のせいもあって比較的降灰はすくないのですが、風向きによっては、ときおり市内にも火山灰がふりそそぎます。
櫻島には、山麓を通過する二車線の舗装道路があり、公園や観光施設もたくさんあって、立ち入りはできますが、以前から入山規制があって、櫻島への登攀は禁じられています。
そして、このたび御嶽山の突然の噴火により、被害に遭われた皆さまに心からお見舞いを申しあげます。
また、不幸にして亡くなられた方方には心より哀悼の意を表します。 仙岩園マップ鹿児島市街地マップ さて、地図の製作を依頼されたバッカス松尾です。
バッカス松尾は、関東平野の真っ直中、海の無い県 : 埼玉県に生まれました。 これまで鹿児島はもちろん、九州はほとんど訪れたことがなかったのですが、たまたま新妻 : ゆみ夫人の郷里が宮崎で、今回はゆみさんの親戚の結婚式に参列のために、夫婦で08月下旬に宮崎を訪れ、そこから足をのばして、高速道路を利用しての鹿児島入りでした。

ここのところ、幕末偉人録の読書に熱中しているバッカス松尾にとっては、資料や小説のなかの人物に過ぎなかった多くの薩摩藩士の生誕地や、そこに建つ銅像や記念碑、紺碧の錦江湾、サラマンダーさながら火焔の山 : 櫻島を眼前にして、その昂奮たるや頂点に達したようです。
それでもそこは、わがアダナ ・ プレス倶楽部 AD バッカス松尾のことゆえ、市販の地図や、観光案内図とはひと味ちがう、利便性のたかい地図を製作されました。

《 市電が走るまち 鹿児島は、薩摩島津家ゆかりの ◯十 丸に十 の字 の紋章であふれています 》
鹿児島市は九州南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地。人口およそ60万人のまちです。
南九州の拠点都市で、ふるくから薩摩藩90万石の城下町として栄えてきました。
また近代日本の黎明期、明治維新において、薩摩藩は、政治家、官僚、軍人など数多くの傑出した人物を輩出し、近代日本建設の礎となったことはご存知のとおりです。

鹿児島県は九州の南端にあり、ふかく切れ込んだ入り江の錦江湾を抱くように、地図向かって左側が薩摩半島、右側が大隅オオスミ半島、そして奄美地方などの多くの島嶼部からなります。
鹿児島市は薩摩半島にあり、櫻島は 4km ほど西の海上にあります。この間はカーフェリーを中心とした航路で結ばれていますが、この櫻島も大半は鹿児島市に属しています。
櫻島の東岸は大隅半島と陸路で接し、大隅半島側は比較的のどかな田園地帯がひろがっています。したがって薩摩半島から大隅半島への渡航の足としても、カーフェリーは頻繁に往来しています。
参考資料 : 鹿児島市観光サイト/本物の旅 かごしま
DSCN4492 DSCN4484 DSCN4384 DSCN4364 DSCN4382鹿児島市民はもっぱら「磯庭園」と呼ぶあたりは、市内中心部からは15-20分ほどで、「まち巡りバス」が頻繁に巡回しています。ただし狭い海岸べりに国道と鉄道が併走しているために、朝夕の道路はいくぶん混雑が目立ちます。
ここは元 薩摩藩藩主:島津家の別邸で、櫻島を築山ツキヤマに、錦江湾を池にみたてた壮大な大名庭園で、「仙巌園 センガンエン」が正式名称です。
DSCN435619世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、第28代当主 : 島津斉彬ナリアキラのもとでの集成館事業として、反射炉や溶鉱炉が造られ、日本における近代工業化の発祥の地となりました (現 ・ 尚古集成館)
この仙巌園と尚古集成館が、今回の<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の会場となります。
DSCN4365 DSCN4366 DSCN4352《 一撃必殺の剣法 薩摩示現流にバッカス松尾が挑む ―― 見て欲しい、この見事なまでの へっぴり腰 》
示現流 ジゲンリュウ とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣法で、流祖は東郷重位とされています。
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興よって「御流儀」と称され、島津家分家の佐土原藩を除き、藩外の者にこの剣法を伝授することを厳しく禁じられていた、薩摩藩の「御留流」剣法でした。 DSCN4359薩摩示現流は幕末期になると京阪や江戸でもしられ、その裂帛の気合いと、骨肉ともに断ち割るすさまじいまでの斬撃剣法は、一撃一殺の剣法として懼れられました。
示現流では 「一の太刀を 疑わず」、あるいは 「二の太刀 要らず」 とされ、髪の毛一本でも早く打ちおろせ(雲耀 ウンヨウ) と教えられます。このとき腹の底から発せられる裂帛の気合 「チェストー」 と、初太刀から勝負のすべてを掛けて斬りつける、 「先手必勝」 の鋭い斬撃が特徴です。

稽古には柞 ユス の木の枝を適当な長さに切り、時間をかけて十分に乾燥させた木刀をもちい、蜻蛉 トンボ と呼ばれる構えから、立木に向かって気合と共に、左右激しく連続して斬撃する「立木打ち タテギウチ」 など、実戦を主眼に置いた稽古を、ひたすら反復することに特徴があります。
そのときに発するかけ声は 「猿声 エンセイ」 とも呼ばれ、「チェストー、キィエーイ」 などの奇声を発します。

薩摩示現流は、いまは警視庁において流祖 : 東郷家によって伝承されているそうですが、その展示室と、稽古場が「仙巌園」にもあります。 それをみたバッカス松尾、なにをどう勘違いをしたのか、示現流の稽古にいどんだようです。
まぁ黙って見てやってください。このあわれ モトイ 見事なまでのへっぴり腰を。ちいさく ちぢこまった腕を。
これでは一撃一殺はおろか薩摩大根も切れないでしょうし、遠くない将来にやってくるであろう夫婦げんかでも惨敗必至ですね。 DSCN4360DSCN4362
《 こころは海援隊 : 坂本龍馬の心境で、航路はるばる ― わずか4km の櫻島へ波を蹴たてて渡航 》
鹿児島はふるくから「新婚旅行の地」とされます。ときは幕末。維新の志士 : 坂本龍馬が、内縁の妻 : りょう をともなって鹿児島を訪れたことから発したようです。

坂本龍馬の足跡をおって、すでに土佐の高知まで出かけたほど、坂本龍馬大好き人間のバッカス松尾にとっては、龍馬と りょう が手を携えて振り仰いだであろう櫻島と、その眼前にひろがる錦江湾の金波銀波をみたとたん、そこはさすが海無し県 : 埼玉のひとらしく、
「このはろばろと広い、おおうなばらを渡ろう!」
と決意したそうです。

お断りしておきますが、鹿児島市中央部と櫻島間は指呼の間、わずかに 4km で、大海原というほどのものではありません。あっという間の15分ほどで到着します。
ところがこのとき、バッカス松尾、折悪しく モトイ かの龍馬と同様に、新妻 : ゆみさんを伴っての鹿児島入りでしたから、新婚旅行に訪れた坂本龍馬をしのぶ舞台設定は完璧でした。

鹿児島から櫻島へのフェリーは、仙巌園/尚古集成館からほどちかくに乗船所があります。
このあたりの護岸には、「薩英戦争」-1863年8月15-17日-に際して薩摩藩と英国艦船が闘った折の、なまなましい銃弾や砲弾の痕跡が護岸のあちこちでみられます 【 ウィキペディア : 薩英戦争 】。
フェリーの旅は快適で、前方には噴煙をあげる櫻島がそびえ、ふり返ると仙巌園と尚古集成館がある 「磯庭園」 が山肌に抱かれて広がっているのがみられます。
DSCN4372 DSCN4375 DSCN4411 DSCN4417 DSCN4450 DSCN4453バッカス松尾一行が櫻島に航路はるばる、わずか 4km の海路の航海をおえて櫻島に上陸するまで、火山は噴煙こそ上げていたものの、穏やかだったようです。
それが展望台について間もなく、突然轟音とともに小爆発がおこり、黒い噴煙をモクモクと吐きだして驚いたそうです。めったに見られぬ光景だと夢中でシャッターを切ったそうです。

ときは2014年08月31日のこと。 それからほぼ一ヶ月ののち、09月27日の正午頃、御嶽山が爆発して多くの死傷者をだしました。 お亡くなりになったかたがたのご冥福をお祈りするともに、つねひごろ活火山とともに生活されている鹿児島県の皆さんのご苦労もしのばれます。
観光客としてはめずらしい光景と櫻島の迫力には興奮と感動をおぼえますが、そのパトスを体感で享受しながらも、ままならぬ自然の存在と、それを忘れがちな人類について、あらためて考えてみる機会にもなろうかとおもいます。
DSCN4420 DSCN4434 DSCN4429 DSCN4435 DSCN4446しばらくのちに、御嶽山の惨事が待ちかまえていることなど露知らぬバッカス松尾です。
このひと、恐竜のフィギュアと、 SP レコードのコレクターでもありますが、ナント 櫻島には恐竜公園があり、そこにたくさんの恐竜が展示されていて、昂奮 いやまさるものがあったようです。

独身時代のバッカス松尾は、恐竜のフィギュアを大小様様、数十体も所有していました。狭いアパートは、恐竜と、ふるいレコード盤であふれ、それらのコレクションアイテムが、押し入れや収納場所のすべてを占拠していました。したがって収納場所のない布団はいきどころを失って、敷きっぱなしの万年床でした。

結婚に際し、当然ながらこれらの「不要品」、なかんずく [コレクター以外には薄気味悪い ]恐竜フィギュアは、ゆみ夫人に破棄を厳命されたようですが、なんとか三拝九拝してお許しをいただいたものが、十体ほどのこされているそうです。
それでも偽装をこらし、隠匿してあるものが数体はあるはずだとやつがれは睨んでいますし、近近ゆみ夫人による家宅捜索があるやもしれません。

ともかくバッカス松尾、櫻島の恐竜に狂喜乱舞だったようです。最下部の恐竜の体内にもぐり込んでの得意げな写真、なんと評すれば……、とても四十男のやることとは ?  どうしてもおもえないのだが……。
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ふたたび鹿児島市内にもどった一行は、市内のあちこちを車であわただしく回り、「取材」をかさねたようです。それらのすべてが、バッカス松尾特製 <かごんま市街地散策 MAP > に盛りこまれました。 DSCN4480DSCN4471DSCN4395DSCN4396 《 バッカス、松尾はともに酒の神です。甘党のかたに 鹿児島特産の氷菓 「 しろくま 」 情 報を 》 「むじゃき」2

バッカス、松尾 ―― ともに酒の神として祭られる存在です。
鹿児島では海の幸、山の幸を満喫し、お酒もずいぶん進んだようですが、取材を依頼しておいた鹿児島名物の氷菓 「 しろくま 」 の取材は、辛党 酒の神/バッカス松尾、案の定 華麗にスルー。懼れていたとおり取材 ・ 体験を敢行しなかったようです。
読者の中に甘党のかたで <しろくま> ファンのかたがおられましたら、以下のURLからお楽しみください。
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO-Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】
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スイスの活版印刷造形家 : ロマノ・ヘニさんが来社されました。

スイスで活躍されている活版印刷造形家、ロマノ ・ ヘニ (Romano Hänni ,  1956-)さんが来社されました。
同行されたのは、プリント・ギャラリー主宰者 : 阿部宏史さん、ヘニさんのご子息夫妻でした。
ヘニさんはお若いころから活版造形家として活躍され、スイスの印刷ジャーナル 『 TM ,  Typografische Monatsblätter , 1992 No.2 』 の表紙を飾り、本文中でも大特集をもって紹介されていた、本格派の活版印刷造形者  ≒ タイポグラファです。

下掲図版02点は長年にわたる架蔵で、いささかタバコ燻蒸 ?!  されていますが、その 『 TM  1992  No.2 』 です。また見開き図版は右側の一部が欠けていることをお断りいたします。
TM表紙 20141010150725722_0003ことばの壁はいくぶんあったにせよ、そこはタイポグラファ同士ですので、ロマノ ・ ヘニさんご一行とのおはなしはおおいに弾みました。
そしてロマノ ・ ヘニさんとの作品交換、シグネチュアの交換、情報交換と、にぎやかに、そしてなごやかに、時間は過ぎていきました。

DSCN7610 DSCN7601 DSCN7609 DSCN7605やつがれ徹夜明けで疲れておった。下掲図版は <limArt  活版印刷による本 2008年08月12-24日>の展覧会告知はがきです。
このころから阿部宏史さんのご努力もあって、わが国でもようやく、ロマノ ・ ヘニさんの作品とお名前がひろく知られるようになり、さらに二回にわたる <print gallery  タイポグラフィックノート/ロマノ ・ ヘニ > が開催されましたので、皆さんにもおなじみのかたになりました。

LIMアート展

【 ロマノ ・ ヘニ氏 URL : Romano Hänni  Studio for Design 】  鮮明画像がたくさん掲載されています。 
【 関連情報 : print gallery  タイポグラフィックノート II/ロマノ ・ ヘニ

第17回 活版ルネサンスフェア 10月03-04日、終了いたしました。

活版ルネサンスWeb

20140505122410630_0001  * * *
とき * 2014年10月3日[金] ・ 4日[土] 13 : 30 ― 19 : 00
ところ * 朗文堂 4 F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9 中江ビル4F
Telephone : 03-3352-5070
[ご案内マップ]
* * *
DSCN4077web salama_4-2 DSCN7407本2014年04月新発売の 小型活版印刷機 Salama-21A の出荷が順調です。
いずれ正式にご報告いたしますが、Salama-21A の商標登録が特許庁によって認可されました
(商標登録第5682284号)
Salama-21A のペットマーク <サラマくん> とももども、
わが家の珍獣、サラマンダーこと : ウパラン、ウパルンも大きくなって、元気に暴れております。

《 主なご紹介アイテム  順不同 》
小型活版印刷機  Salama-21A /圧盤用ラバー ・ クッション胴張りセット/活版専用ピンセット新旧/ジャッキとジャッキハンドル新旧/KMT 全自動活字組版機 (日本語モノタイプ) 活字母型庫 8pt, 9pt, 10pt 明朝体/罫線各種/特製組みつけ台/金属インテル各種/活版用強力磁石/特製組版ステッキ、中古組版ステッキ/ファニチュア各種/工具類 (ブレース鋏 ・ 鳥居鋏 ・ 罫切り鋏)/罫切り器/各サイズ込め物セット/活字倍数尺/特製ムラ取りハンマー&ならし木セット/ブロッキング防止パウダー/特白ウェス/無臭洗い油/インキ ・ ハンド ・ ローラー/インキべら/ゴム ・ ローラー ・ メンテナンス剤/オイルベース活版用インキ各色(1キロ缶、特製200グラム缶)/活版用墨青口インキ/ラバー ・ ベース ・ レタープレス用インキ/版画用メタルベース(19.68ミリ、19.70ミリ)/樹脂版用メタルベース(21.89ミリ、22.39ミリ)/特製五号サイズメタルベース箱入りセット/特製カタ仮名活字アラタ1209/輸入欧文活字スキームセット/輸入オーナメント活字各種/凸版用スプレーボンド/特製文選箱/中古文選箱新旧各種/文選箱ストッパー/セッテン/特製文選箱立て/特製ミニ組みゲラ/中古組みゲラ/特製ミニ置きゲラ/中古置きゲラ/特製ミニスダレケース棚/活字サイズ照合キット/【新入荷】乾燥用カード ・ スタンド

DSCN7457 DSCN7454 DSCN7450 DSCN7459 DSCN7469ハンドモールド1 ハンドモールド3 ハンドモールド2 

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO- Report 01 開催のお知らせ

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【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室
        鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ・プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/

※ 会期中は同敷地内の「尚古集成館別館 展示室」においても、重要文化財「木村嘉平による鋳造活字と関連資料」の特別企画展示をご覧になれます。
※ 入館には仙巌園 センガンエン/尚古集成館 ショウコシュウセイカン との共通入館料(大人1,000円、小・中学生500円)が必要となります。
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<GOANDO ごあんど-は、薩摩ことばで、「ございます」、「ございますぞ」の意味です>
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写真 : アダナ・プレス倶楽部 鹿児島支部広報部長/
六花窯 横山 博
タイトルデザイン : アダナ・プレス倶楽部会員/バッカス 松尾

【 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO-開催にあたって 】

朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では、手動式小型活版印刷機 Adana-21J  および 手動式小型活版印刷機 Salama-21A を中核としながら、活版印刷の今日的な意義と、活字組版の実践を中心とした、その魅力の奥深さの普及をつうじて、身体性をともなった造形活動を重視し、ものづくりの純粋な歓びの喚起を提唱してまいりました。

活版印刷の今日的な意義と、その魅力の奥深さをより一層追求するためには、活版印刷術の技術の獲得と、知識の修得はもちろんのこと、「ものづくり」と真剣に向き合う姿勢と環境も重要です。
その活動の第一段階として、アダナ・プレス倶楽部では例年五月の連休に、2008-2012年の五年間四回にわたって< 活版凸凹フェスタ >を開催してまいりました(2011年は東日本大震災のため中止)。

また昨年からは、活版関連イベントの開催が盛んになった首都圏をいったんはなれ、多くのアダナ・プレス倶楽部会員が存在している、地方からの振興をめざすあらたな段階として<Viva la 活版-すばらしき活版>の普及活動にはいりました。
その第一弾として、昨2013年は07月の三連休に、北海道の美唄ビバイ市にある野外彫刻庭園「アルテ ピアッツァ 美唄」において、< Viva la 活版 Viva 美唄 >を開催いたしました。
【Youtube : Viva la 活版  Viva 美唄

今年は、重要文化財「木村嘉平の活字関連資料」を所蔵し、活版印刷術をはじめ、近代産業の揺籃の地となり、ふるい歴史と文化を有する、鹿児島市「名勝 仙巌園センガンエン」 の 「尚古集成館本館(重要文化財)展示室」において、11月の三連休に< Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO >を開催いたします。
イベント名称の一部となった「GOANDO -ごあんど」は、薩摩ことばで、「ございます」、「ございますぞ」という意味です。
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「尚古集成館 しょうこしゅうせいかん」は、ふるくは歴代の鹿児島薩摩藩主の別邸であった「仙巌園 せんがんえん」の広大な敷地内に、島津斉彬ナリアキラによって一連の近代工場群として建造されました。
島津斉彬は、西欧諸国のアジア進出に対応して近代産業の育成を進め、富国強兵を真っ先に実践しました。それら事業の中心となったのが、磯(錦江湾の海岸べり)に建てられた工場群の「集成館」です。
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 「尚古集成館」外観(2013年06月)。隣接の仙巌園は下記の画像集でお楽しみください。

その地に1865年(慶応元)に竣工した石造りの機械工場は、その後重要文化財に指定され、現在内部は島津家の歴史・文化と集成館事業を語り継ぐ博物館「尚古集成館」として親しまれています。
その「尚古集成館」の一隅の展示室を<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の会場とします。
また同館は、これも重要文化財である「木村嘉平の活字関連資料」を所蔵し、近代活字版印刷術をはじめとする近代産業の揺籃の地でもありました。
このような歴史と文化を有する、鹿児島県都、鹿児島市にある「名勝 仙巌園 尚古集成館本館 」において、11月初旬の三連休に<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>を開催いたします。

会場の前面にひろがる紺碧の海/錦江湾と、火の精霊サラマンダーさながら、たかく火焔を噴きあげる活火山「桜島」の雄大な景色に見守られての<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の開催は、造形者の皆さまの創作意欲をかきたて、さらなる創作活動のための活力をあたえてくれることでしょう。

会場の<仙巌園/尚古集成館>は、鹿児島市中央部からは車で15-20分ほどですし、鹿児島市内各所からのバスが頻繁に運行されています。鹿児島空港からは高速道利用の車で40分ほどです。
アダナ・プレス倶楽部会員の皆さまには、アダナ・プレス倶楽部の会報誌「夏号」にて、詳細をお知らせの予定です。その後も、アダナ・プレス倶楽部、朗文堂双方のWebSiteでも、随時情報を公開してまいります。

<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の開催期間の、11月1日[土], 2日[日], 3日[月・祝]は、爽秋のもっともよい行楽のときでもあります。
おりしも仙巌園では「菊まつり」が予定され、また鹿児島市内では南九州最大の祭とされる「おはら祭」の開催時期とも重なっています。

アダナ・プレス倶楽部の会員の皆さま、ならびに全国の活版印刷愛好家の皆さま、ことしの秋は、歴史と情熱の地、薩摩に大集合でごあんど ! !
【リンク : 名勝 仙巌園(磯庭園) 】 【リンク : 尚古集成館 】 【リンク : 仙巌園と桜島 画像集 】

<参考資料:前回のViva la 活版 美唄の映像記録> ────────────
◎ Viva la 活版 Viva 美唄  14:40

Viva la 活版-すばらしき活版。5年間4回にわたり開催された<活版凸凹フェスタ>にかえて、2013年07月北海道美唄市アルテ・ピアッツア美唄で開催された活版イベントの記録。
【関連URL : Viva la 活版 Viva 美唄 レポート01-12 活版アラカルト

Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 02 告知はがき印刷篇

 

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2014年、今回は、火の山 ・ 櫻島と、紺碧の海 ・ 錦江湾にのぞむ
鹿児島の 重要文化財施設 尚古集成館で
Viva la 活版  薩摩 dé GOANDO を開催いたします。

【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間
【 時  間 】   開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕  尚古集成館本館 展示室
鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主  催 】 朗文堂  アダナ ・ プレス倶楽部

尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/  仙巌園  http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部  http://robundo.com/adana-press-club/

【 関連情報 : Viva la 活版ーすばらしき活版 2014年 <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>- Report 01 開催のお知らせ

※ 会期中は同敷地内の 「尚古集成館別館 展示室」 において、重要文化財 「木村嘉平による鋳造活字と関連資料」 の特別企画展示をご覧になれます。
※ 入館には仙巌園 センガンエン/尚古集成館 ショウコシュウセイカン との共通入館料(大人1,000円、小・中学生500円)が必要となります。
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【 緊急のご報告!】
◆ 尚古集成館館長 : 田村省三館長による 特別講演と ギャラリー ・ トーク開催決定 !!
   尚古集成館所蔵/重要文化財 『木村嘉平活字』 と 薩摩藩集成事業について 

◯ 『木村嘉平活字』研究の第一人者 : 田村省三館長に、ご講演とギャラリー ・ トークを担当いただきます。
◯ 11月02日[日] 14:00-17:00 またとない機会ですが、会場の都合で限定20名様となります。
◯ 聴講料は不要ですが、仙巌園 ・ 尚古集成館の共通入場券 ¥1,000 が必要となります。
◯ 参加希望のかたは adana@robundo.com に、件名「木村嘉平活字講演会参加」で申し込みを。
◯ 申し込みは先着順で、定員になり次第締め切りとさせていただきます。
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《 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO 開催が迫ってきました。準備状況をお知らせいたします 》
<活版凸凹フェスタ> のころから、大量配布されるイベント告知のはがきなどは、会員のなかでも電動の自動機を併用されて、活版印刷を業務とされているかたに印刷をお願いしてきました。
もともと 朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部では、 Adana-21J, Salama-21A のユーザーの皆さまに配慮して、業務としての活版印刷はおこなっておりません。
ところが、なにぶん賑やかなことが大好きなアダナ ・プレス倶楽部の皆さん。いつの間にかはなしが盛りあがって、ことしは会員の人海戦術で、小型手動活版印刷機 Adana-21J, Salama-21A を用いての印刷に挑戦となりました。


告知はがきは、錦江湾からのぞむ雄大な櫻島を描写したもので、基本設計は AD バッカス松尾さん。

絵柄面は三版三色三度刷り、宛名面は一度刷りで、都合4,000枚ほどを小型手動活版印刷機で印刷しようという無謀な !?  計画です。つまり 16,000回におよぶ印刷作業になります。

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《2014年08月下旬、酷暑、ときには豪雨のなかでの印刷作業が展開しました》
朗文堂 4F B 室。この部屋は新宿私塾、活版カレッジをはじめ、さまざまなちいさな集まりにも使用されています。ここに Adana-21J, Salama-21A がド~ンと三台設置されました。もちろん毎日のように、
出したり、収納したりと慌ただしいものでした。

夕刻になると、アダナ・プレス倶楽部の会員の皆さんが入れ替わり立ち替わり次次と登場して、まず <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> はがき絵柄面の印刷がはじまりました。
ともかく 基本色が赤と青の二種類、4,000枚、各三度刷りの印刷ですから、乾燥用カード・スタンドがズラリとならび、すのこ取り作業も半端な量ではありません。

それでも会員の皆さんは、楽しそうに、ワイワイがやがや、にぎやかなことにぎやかなこと。
躰を動かし(ついでに口も動かし)、視覚神経をめいっぱいもちいて印刷状況を見極め、せまい通路をぬうようにして、印刷担当と乾燥担当に交代しながらの作業の連続でした。
まるで中学生か高校生の合宿のような、入れ替わり立ち替わりの一週間で、絵柄面の印刷がようやく終了しました。

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 《 活版印刷は躰を駆使します。作業のあとは当然食事もすすみます 》
印刷作業が一段落したとき、軽食をとりました。作業がまだ中途ですから、レストランではなく、ちかくの中国料理店に買い出し部隊がでかけて、餃子弁当が用意されました。
どういうわけか、お餅と餃子が大好きのアダナ ・ プレス倶楽部会員の皆さん。ふりかけは業務用の 「たまごふりかけ」 のおおきなパックで、そこに北京で仕入れてきた、ピリカラの <魔法のスパイス> をチョッピリのせると、おおいに食と話題がすすみます。
DSCN6983 DSCN6985 DSCN6992 DSCN6993《 意外に難航した宛名面、墨一色の印刷 》
本来、はがきの表裏印刷のばあい、宛名面を先に印刷して、見どころとなる絵柄面はあとから印刷したほうが、絵柄面の擦れや汚れが発生しにくく、無難なのですが、今回は作業日程の都合から、多食刷りの絵柄面の作業が先行しました。
その乾燥をまって、大量の告知はがきの半製品をかかえ、文京区の会員 <活版アトリエ  愛花 アイカ> さんに出かけて宛名面の印刷作業を展開しました。
こちらには電動活版印刷機の <Swan 750X> がありますが、長年にわたってほとんど名刺専用機として使われてきた機械でしたから、久方ぶりのはがきの印刷とあって、少少インキの付きに難航しました。
年代物の自動活版印刷機がショートしないように、休み休み印刷をおこない、微調整を施しながらの作業でしたが、夕刻にはなんとか宛名面の印刷を無事に終了することができました。
 

手動式の活版印刷機で絵柄面を多色刷りしてくださったアダナ・プレス倶楽部会員有志の皆様、宛名面印刷のために電動の活版印刷機を使用させてくださった<活版アトリエ 愛花>さんとお父様、ありがとうございました。皆さまおつかれさまでした。

DSCN7012 DSCN7021 DSCN7018 DSC_4970DSC_4985【 関連情報 : Viva la 活版ーすばらしき活版 2014年 <Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>- Report 01 開催のお知らせ