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【Bunkamura 展覧会】 エリック・サティとその時代展

エリック・サティとその時代展

【Bunkamura 展覧会】 エリック・サティとその時代展

◯ 開催期間
2015年07月08日[水]-08月30日[日] 開催期間中無休
◯ 開館時間
10:00-19:00(入館は18:30まで)
 毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
◯ 会    場
Bunkamura   ザ ・ ミュージアム
◯ 主   催
Bunkamura
◯ 入 館 料
一 般 1,400円 (消費税込み)
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エリック・サティ(1866-1925)は、20 世紀への転換期に活躍したフランスの作曲家です。

サティは芸術家たちが集い、自由な雰囲気をたたえていた、モンマルトルで作曲家としての活動を開始し、その後も生涯を通じて芸術家との交流を続けました。

第一次大戦中から大規模な舞台作品にも関与し、パブロ・ピカソとはバレエ・リュスの公演《パラード》を、フランシス・ピカビアとはスウェーデン・バレエ団の《本日休演》を成功させました。また一方では、アンドレ・ドラン、ジョルジュ・ブラック、コンスタンティン・ブランクーシ、マン・レイ、そして数数のダダイストたちがサティとの交流から作品を生み出していきました。 

本展ではマン・レイによって「眼を持った唯一の音楽家」と評されたサティの活動を芸術家との交流のなかで捉え、刺激を与え合った芸術家たちの作品を通して、作曲家サティの新たな側面を浮かび上がらせます。
【 詳細情報 : Bunkamura  展覧会エリック・サティとその時代展
【 YouTube : Bunkamura  展覧会エリック・サティとその時代展 1:42 】

ご冥福をお祈りいたします。ヘルマン・ツァップ氏を偲ぶ

ツアップを偲ぶ20150608134232723_0001Hermann Zapf  ヘルマン ・ ツァップ
1918年-2015年 享年96 (遺影は1995年ころのもの)

<Hermann Zapf  ヘルマン ・ ツァップ 略  歴(おもに1995年頃まで)>
◯ 1918年11月08日、ドイツのニュルンベルクにて生まれる
カリグラファ、タイプデザイナー、タイポグラフィ教育者
◯ 1972年より ドイツのフラックフルトとハイデルベルクの間に位置する学術都市、ダルムシュタットに居住
◯ 1947-56年
D. Stempel AG 活字鋳造所/フランクフルト アートディレクター
◯ 1948-50年
Werkkunstschule Offenbach オッフェッバッハエ芸学校でレタリングを教える
◯ 1960年
Carnegie Institute of Technology カーネギーエ科大学/ピッツバーグ 客員教授
◯ 1972-81年
Technische Hochschuie Darmstadt ダルムシュタットエ科大学でタイポグラフィを教える
◯ 1977-87年
Rochester Institute of Technology ロチェスターエ科大学/ニューヨーク州ロチェスター
タイポグラフィック ・ コンピュータープログラム教授
◯ 1977-85年
Design Processing International/ニューヨーク バイスプレジデント
◯ 1986年より
Zapf, Burns & Company(ニューヨーク)および URW Master Design GmbH(ハンブルク)のパートナーとなる
◯ 2015年
2015年06月04日逝去 享年96

メタルタイプ、写真植字、デジタルシステム用アフレフアベット 176種類をデザイン。
各国で講演および展覧会。

<Hermann Zapf  主要著作(おもに1995年頃まで)
“ William Morris ” 1948
“ Pen and Graver ” 1950,1952
“ Manuale Typographicum ” 16ヵ国語(1968年に18ヵ国語) 1954
“ Typographic : Variations ”  独・英・仏語版 1963
“ About Alphabets ” 1960, 1970
“ OrbisTypographicus ” 1980
“ Hermann Zapf: Hora fugit-Carpe diem ” 1984
“ Creative Calligraphy ” 独 ・ 英 ・ 仏 ・ 西語版 1985
“ Hermann Zapf and his design philosophy ”  独 ・ 英 ・ 日 ・ 伊版 1987
“ ABC-XYZapf ”  1989

ツァップ夫妻朗文堂未刊書 『活字と夢と』にお寄せいただいたツァップ夫妻の写真とシグネチュァ
左) Gudrun Zapf von Hesse グドゥルン・ツァップ・フォン・ヘッセ
       1918年01月02日 ドイツ、メクレンブルクうまれ
右) Hermann Zapf ヘルマン・ツァップ
        1918年11月08日-2015年06月04日 ドイツ、ニュルンベルクうまれ
花4C_Z花トビラABC1C花2C_Z© Hermann Zapf  Das blumen-ABC  ¶ この作品は「H. Zapf」のアナグラムになっています。Hirschkäfer(くわがたむし)、Zaunrüibe(スズメウリ)、Akazie(アカシア)、Postillon(モンキチョウ)、Fliege(蝿)。 ¶ カリグラフィはレオナルド・ダ・ヴィンチの寓話より引用。「スズメウリは自分の領分に満足できなくなって、巻きひげをのばして通りの向こうの生け垣につかまろうとした。ところがまもなく通行人にひきちぎられてしまった」
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朗文堂既刊書 『ヘルマン・ツァップのデザイン哲学』 製作のおりおりのおもいで
Zapf 型押し用亜鉛凸版 ヘルマン・ツァップ氏 自邸の庭園にて カタシオ撮9784947613158The Design Philosophy of
HERMANN ZAPF
ヘルマン ・ ツァップのデザイン哲学

発行日
1995年4月11日
著     者
Hermann Zapf
翻 訳 者
池 野  晴 美
発   行
株式会社  朗 文 堂
定   価   16,800円[税別]
ISBN4-947613-15-7
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The Design Philosophy of HERMANN ZAPF
ヘルマン ・ ツァップのデザイン哲学
HORA FUGIT – CARPE DIEM 烏兎匆匆 光陰矢のごとし ―― まえがき
Carl Zahn  Museum of Fine Arts, Boston (カール ・ ツァーン ボストン美術館)
20150608134232723_0005 20150608134232723_0002 20150608134232723_0003

20150608134232723_0004HORA FUGIT – CARPE DIEM

この<HORA FUGIT – CARPE DIEM 烏兎匆匆 ウトソウソウ 光陰矢のごとし>の銘文は、 Hermann Zapf が原図を描き、アルミニウムに彫刻したものである。ドイツのダルムシュタットの自宅アトリウムにある、カリグラフィック ・ スカルプチュアである。

この絡み合わされた文字は、カリフォルニア・ポピーが咲き乱れる、心地よい環境に囲まれて立つ。アトリウムの向こうにガラスのドアが開け放たれ、ひろびろとした芝生が見渡せる。その周りをめぐる花壇は Zapf 自身が花を植え世話をしているものだ。とりどりの実のなる木々が庭のそちこちに生え、鬱蒼と茂った公園の樹葉を借りて風景を完成させる。

この愛すべき家でのつれあいは、妻のGudrun Zapf-von Hesse (グートルン ・ ツアップ-フォン ・ ヘッセ 1918年01月02日うまれ)である。Zapf とおなじ年齢の妻もまた、才能あるカリグラファであり、またタイプデザイナーと製本家でもある。その先祖は名高いフランクフルトの活字鋳造者、17世紀から続く Luthersche Giesserei (ルテルシュ活字鋳造所)の Luther(ルター)家である。

この牧歌的な家での時間は、彼にとっては文字どおり<烏兎匆匆 光陰矢のごとく>、腕が頼りのタイプデザイン、カリグラフィ、ブックデザインの仕事とともに飛び去っていく。
Zapf は一秒たりともむだにしないマスタープランナー
であるが、忙殺されているようには決して感じられない。いつも友人たちのため、あるいは何か有意義なことのために時間を使っているらしい。〔中略〕

60歳をこえた Zapf に、この分野で並ぶ者はない。今なお新技術に挑戦する意気込みから察するに、これからも頂点にとどまるに違いない。
Zapf は、若いころは、電気エンジニアになるのが夢だった。その性向はいまも変わらないが、1933年当時、ドイツがおかれていた政治的状況のために、ニュルンベルクの工業大学に通うことはかなわず、第二志望の美術学校もあきらめた。かわりに進まざるをえなかった道は地元の印刷業者の徒弟であり、そこで 4 年間写真の修整に携わることとなった。

その間 Zapf は、カリグラフィとタイプデザインの美しさに開眼した。きっかけは、ニュルンベルクを同郷とする Rudolf Koch  (ルドルフ・コッホ)の遺作展である。 Zapf はその後 1938年になって Koch の息子ポールのところで働いた。フランクフルトの Hauszum Fürsteneck というプライベートプレスである。

Zapf は、Edward Johnston の “ Writing and Illuminating and Lettering (邦題 : 『書字法・装飾法・文字造形』エドワード・ジョンストン著、 遠山由美訳、朗文堂)”  という本を見てカリグラフィを勉強し、実習に励んだ。
その勤勉ぶり(そして天性の才能)のおかげで、ほどなくして、本人の言葉によると “ なかなかよい字を描ける ” ようになった。

Zapf は独学のカリグラファで、また一般には知られていないが、独学のタイポグラファでもある。修業の年季を終えるとフランクフルトに移り、そこで活字史研究家の Gustav Mori (グスタフ・モリ)と親しくなった。Mori の膨大な蔵書を使って、Zapf は独学を続けた。
Mori に紹介された Stempel(シュテンペル活字鋳造所)で、Zapf はAugust Rosenberger (アウグスト・ローゼンベルガー)という有名なパンチカッター(活字父型彫刻師)に出会った。その後二人は力を合わせ、いくつかのプロジェクトに取り組むことになるのである。

Zapf の最初のタイプデザインは Gilgengart (ギルゲンガルト)という Fraktur (フラクトゥール : ドイツの亀の子文字)であり、1938年にStempel 活字鋳造所で採用された。 Zapf はまだ20歳そこそこの年齢だった。
そして最初の偉大なる書物の仕事も始まった。“ Feder und Stichel (ペンと彫刻刀)″ というその本のプレートは、Rosenberger が戦時中に手で彫った。ただし当時は Zapf でさえ、徴兵されており、戦時中のほとんどを南フランスで過ごし、ボルドーで地図の作成にかかりきりという状態であった。

ユニークなスケッチブックが数冊、ひまを見ては仕上げられた。どのページにも戦争のシーンはなく、花々や、フランス各地で描いたスケッチでうまっていた。そして “ Das Blumen-ABC (フラワー アルファベット)″ のためのドローイング制作を始めている-この本には、自然の美しさに Zapf が寄せる共感と、観察結果を紙に描き移す能力がよくあらわれている。

Zapf の本やアートワークは全世界の公共・民間コレクションに所蔵されている。印刷部数が少ない出版物もあったため、すぐにコレクター・アイテムになったのである。
戦後 Zapf はフランクフルトに戻り、Stempel 活字鋳造所のプライベート・プリンティングオフィス(私家版印刷部門)のアートディレクターとなった。まもなく、みごとな新しいタイプデザインがつぎつぎと誕生した。[後略]
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万感のおもいを込めて-朗文堂ホームページのメーンタイトルの使用書体について
The type design depends on Hermann Zapf
プリント
朗文堂ホームページ メーンタイトル
Michelangelo Titling,   Zapfino - 1999 biginning to
use

  • ROBUNDO ―― ミケランジェロ・タイトリング(Michelangelo Titling)。この活字書体は、ヘルマン・ツァップによってデザインされたオールキャップスの活字書体で、いくつかのオルタナーティブ・キャラクター(異体字)を含む。D. Stempel AG /フランクフルト 1950年。
  • We love Typography ―― このツァッフィーノ (Zapfino) は、ヘルマン・ツァップによってデザインされ、1998年にライノタイプ社によって発表されたスクリプト(筆記体)系の書体である。 
  • ツァップと小林 章による2003年 Zapfino の改刻版がデジタルタイプとして Mac OS X にバンドルされており、その後さらに改刻を加えた Zapfino Extra も発売されている。

まずはご一報を! <Salama-21A操作指導教室>、<活版カレッジ>

アダナタイトルSalama-21A 操作指導教室<Salama-21A 操作指導教室> は、ふつうの活版印刷体験会や活版ワークショップとはいくぶん異なり、小型活版印刷機 Salama-21A を購入予定のお客様のための操作指導教室です。
ご購入いただいた(ご購入予定の) Salama-21A を、安全かつ快適にご使用していただくために、必要な操作方法の基礎を、短時間で集中的に習得していただくことを目的とします。
そのため、各回最大 4 名様に限定した、完全予約制の教室です。

アダナ ・ プレス倶楽部では、遠近を問わず、これから活版印刷をあらたにはじめられる皆さまに、できるだけ <Salama-21A 操作指導教室> の受講をおすすめしています。また活版印刷関連機器のご購入の前に、十分なるおはなし合いをさせていただいております。
そのため、できるだけお客さまのご都合にスケジュールをあわせて受講をおすすめしております。 もちろん受講に際して印刷機などの購入は義務づけられていません。

詳細は <アダナ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。

活版カレッジ

<活版カレッジ>は、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Adana-21J ,  Salama-21A によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。
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<活版カレッジ>は、基本的に春夏秋冬と年に四回開講されますが、ここ数回にわたって事前のご予約者が多く、ほとんど一般公募ができない状態がつづいています。 すでに夏期講座、秋期講座にも相当数のご予約をいただいております。
ともかく受講のご意思のあるかたは、まずご一報をいただくき、ご予約をお願いいたします。
詳細は <アダナ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。

【活版カレッジ】 2015年春期夜間部講座 全課程を終了

活版カレッジ
<活版カレッジ>は、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Adana-21J ,  Salama-21A によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。

<活版カレッジ 2015年春期講座>は、04月08日-06月18日、三ヶ月、全09回にわたって開講され、2015年06月18日最終講座をもって全課程を修了されました。
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<活版カレッジ>は、基本的に春夏秋冬と、年に四回開講されますが、ここ数回にわたって事前のご予約者が多く、ほとんど一般公募ができない状態がつづいています。 すでに七月開講の夏期講座は満席ですし、秋期講座にも相当数のご予約をいただいております。

ともかく受講のご意思のあるかたは、アダナ ・ プレス倶楽部 e-mail adana@robundo.com » send email  まで受講希望の意向をご連絡ください。 一般公募に先だって、あらためてご案内をさしあげます。
詳細は <アダナ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。
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活 版 歳 時 記 ―― やつがれの辞書には<雑艸 まして 雑草>ということばはない。

サイスケ
 コト 姫女菀(ヒメジョオン)の ことども
3640uu235uu朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 <活版カレッジ 2015年春期講座>の開講にあたって、やつがれが元旦に播種した「野沢菜の花」と、古谷昌二氏の写真による、神奈川県の山中で開花していた「三椏 ミツマタ の花」を紹介した。
【開講時の報告 : [活版カレッジ] 2015年 春期夜間部講座 開講のお知らせ 04.13 掲載 】
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そのおり、ベランダ花壇ではあるがたいせつにそだてている<サイスケ>のことも紹介した。
<サイスケ> は、鹿児島市長田町の五代友厚生誕地をたずねたとき、石垣の割れ目にチンマリと張りついていた、まるで地苔類かとおもわれるほどのちいさな野艸を、三株、たばこの空き箱にいれて持ち帰ったものである。
かにかくに、五代友厚 ( 1836-85  幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) は、そのうちに各方面であらたな震撼をあたえるとおもわれるが、いまのところはまだ静かにしておこう。
【 ウィキペディア : 五代友厚

サイスケの写真は、上から二葉が採種現場(2014年11月上旬)。
以下ベランダの鉢植えで、2015年03月末、04月末である。
冬を越した直後はデージーかとおもったが、どうやら世間一般では雑草の代表のように、忌み嫌われている、名を知らぬ野草のようでもある。
やつがれは雑草という名の艸はないと常常いっている。 むしろいかにも五代友厚の生家跡に育つ艸らしくて面白いとおもう。 どんな花が咲くのか、しっかり見まもりたい。

DSCN8651 DSCN8664DSCN8561DSCN8652<サイスケ>は意外にやつがれを手こずらせた。五月の連休明けに鉢植えの艸花のほとんどが、ノー学部の見立てで「うどんこ病」の症状を呈したので、消毒スプレーを噴霧したり、一部は土がえをしたりしていた。
四月の中旬頃にはある程度(いやな)予感はしていたが、花をつけたとき、ようやくノー学部が<サイスケ>のなまえを調べてくれ、どこか投げやりに報告した。
「サイスケはヒメジョオンという艸でした。キク科ムカシヨモギ属の外来植物です」
すぐにいたく気分を害した。やつがれがこうなるのがわかっていたから、ノー学部はいつものようなプリントも用意せず、メモ一枚だけの投げやりな報告だったのだ。
DSCN9811 DSCN9813さっそく一枚のメモを手に、植物図鑑をひもとき、またウィキペディアもみた。
こういう場ではしかたがないのだろうが、ウィキペディアの最後の一行が…… 。いかんせん気になった。もうすこしだけ艸花に愛情をもってですね、記述していただけなかったのかと。
冬のあいだは、やつがれの郷里で「貧乏草」と呼ぶ、ハルジオン(春紫、学名: Erigeron philadelphicus )かもしれないとひそかにおもっていた。こちらは、花ことばこそ「追想の愛」とけなげだが、ウィキペディアの解説は、情け容赦もない。

【 ウィキペディア ハルジオン 】
ハルジオン(春紫菀、学名 : Erigeron philadelphicus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。北アメリカ原産で、日本では帰化植物となっている。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。花言葉は「追想の愛」。

【 ウィキペディア  ヒメジョオン 】
<形態・生態>
ヒメジョオン(姫女、学名:: Erigeron annuus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。背の高さが50-100cmにもなる、白い花を咲かせる一年草である。同属のハルジオンと共に、道端でよく見かける雑草である。

若い時期は、根本から長い柄のついた丸みを帯びた葉(根出葉)を付ける。やがて、が高く伸びると、根本の葉は無くなり、茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉は黄緑色で、まばらに毛が生える。

茎は初めは枝分かれせず、先の方で数回の枝分かれをして、白か薄紫の花を咲かせる。花はヒマワリのような形だが、周りの花弁がとても細い。また、ヒメジョオンの花に見えるものは頭状花序で、小さな花の集まりである。中央の黄色い部分は、管状花といい、周辺の花びらのようなものは、舌状花という。花の時期は初夏から秋にかけての5-8月である。また、花弁の白い部分がやや紫がかる個体が見られることもあるが、これは清浄な空気の中で育った時にできるものである。

1個体あたり47,000以上のを生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっているしたがって、駆除がとても難しい。

<分布・生育地>
北アメリカ原産で、ヨーロッパ、アジア(日本を含む)に移入分布する。
日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた。現在では全国に広がり、山間部にも入り込んでいる。在来種の植物の生育を邪魔する可能性があり、とくに自然豊かで希少な植物が多く生育する国立公園や亜高山帯では問題となる。そのため、ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。

おもへらく、どうもわが国近代の植物の命名は、感性と情緒に乏しいのではなかろうか。
先に紹介した手漉き紙の材料となる植物は、枝分かれがみっつにわかれるからとして「ミツマタ 三又、三椏」とするのは、形而下での即物的な命名でしかない。

みつまた ( 三椏 ・ 三叉 ) は中国原産のジンチョウゲ科の落葉低木で、わが国でも暖地に栽培されています。 その枝はかならず三つにわかれることからその名がうまれました。樹皮の靱皮をとって手漉き紙の材料とします。
櫻にさきだって、黄色の筒型小花をつけ、つよいかおりを発するので 「 結香 ムスビキ」 の和名もあります。 中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とされます。

かつてのわが国でも「ミツマタ 三又、三椏」を、沈丁花ににも似たそのつよいかおりをめでて 「 結香 ムスビキ」 の和名をあたえていた。また、中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とする。
京都のいわゆる「哲学の道」にはこの灌木がたくさん植栽されており、喧噪のときとなる櫻の開花にさきだち、辺り一面つよい芳香につつまれる。川面をわたる風はまだつめたいが、観光客の殺到もなく、京都のもっともよいときでもある

もしかすると<サイスケ>のとおい祖先は、原産地の北アメリカ大陸から、中国をへて、わが国に渡来したのかもしれない。したがってその名がいわゆる「漢風」になっており、現代のわが国ではしばしば間違って読まれ(音され)ている。
つまり、ヒメジョオンに「姫女菀」の名を、ハルジオンに「春紫菀」の名(漢の字)をあたえた中国人の心性はけなげである。ちなみに「菀  wan」とは、きく科の艸の名前であり、盛んに茂るさまをあらわす。

かにかくに、やつがれ、ウィキペディアからは<道端でよく見かける雑草で、驚異的な繁殖能力をもち、駆除がとても難しい>と酷評された野艸を、はるばる鹿児島の五代友厚生誕地から、コンクリートの割れ目で採取し、<サイスケ>と名づけて花が咲くまでそだててきた。
わが家の<サイスケ>は、「うどんこ病」にはかかるし、少しでも灌水をおこたるとすぐにヘナッとなるほどのわががまであり、虚弱体質でもある。

DSCN0161「朗文堂 ちいさな勉強会 古文書解読法講座」 講師 : 古谷昌二さん
五代友厚(才助)宛の書簡

ともあれ、寒い冬の朝を、毎日<サイスケ>と挨拶を交わしあってきた。これからはヒメジョオン(姫女)の驚異的な繁殖力とやらを見まもりつつ、しのつく梅雨の日日をへて、暑い夏の日日をむかえたいものである。
七月第一週からは、はやくも<活版カレッジ 夏期夜間講座>がはじまる。
そして春期講座の修了生の皆さんは、<活版カレッジ Upper class>のメンバーとなった。
そして近代タイポグラフィの幕開けにはたした五代友厚 ( 1836-85  幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) のおおきな功績が、徐徐に解明されつつあるいまである。

【WebSiteギャラリー】 奥村 浩之 Okumura Hiroyuki メキシコの石に刻す彫刻作品

okumura04k[1]okumura01k[1]奥 村  浩 之  Okumura Hiroyuki
<略 歴>
1963年    石川県に生まれる。
1986年     金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年     金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年-   メキシコに渡る
現在、メキシコを本拠地に、彫刻制作に没頭
【 YouTube 2:42  奥村浩之 彫刻を語る  https://youtu.be/US5XMIHnT5I
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<“ FSPONTÁNEIDAD ” わ が 宝  奥 村 浩 之>

日本での石との対話から、さらに大きな石との格闘を求めて渡ったメキシコでは、石のほかに、メキシコ時間との出会いがあり、ESPONTÁNEIDAD (のびのびとした) ということばが、何をすべきか、僕を大きく成長させ変貌させた。
メキシコの豊かな大地と歴史、メキシコの人々の心が育て上げたメキシコ時間の精髄で、その真意を知ったとき、僕は真に自由になり、メキシコと同化したことを自覚した。
ESPONTÁNEIDAD は僕を僕たらしめ、僕の宝となった。 そしてそれは彫刻表現の方向をも導いてくれ、さらにもうひとつのことば 「GOZOSO」 (楽しい) も連れてきてくれた。
DSCN9656左) 奥村浩之  Hiroyuki Okumura さん。右) 笹井(奥村)祐子 Yuko Okumura-Sasai さん

彫刻家/奥村浩之、版画家/笹井祐子。
このおふたりとすごした初夏の日日、そのわずかで永かった時間は、どこか模糊としてとらえどころがなく、それでいて充実し、こころをなごませるひとときとだった。
奥村浩之の彫刻作品は、すべての作品にギャラリーがつき、勝手に紹介することはできなかった。それよりも、どの作品も巨大で、WebSiteのちいさな画面ではとうてい紹介できる造形物ではなかった。
それでも秋の個展まで待てないからと、無理を承知で、朗文堂の周囲に紹介する写真を依頼した。

いまはアトリエに戻り、なにごとも悠然とながれる「メキシコ時間」のなかにいる奥村浩之である。したがって写真の到着までにはだいぶ時間がかかるであろうと予測していた。ところがナント、おそらく汗を拭き拭き写真を選択したものとおもえたが、小品ながらも力作ばかり、五点の写真データを送付してくれた。
奥村浩之はことしの秋に東京での個展を予定している。それに際しては令室の笹井祐子をわずらわせてデータをいただき、あらためてここにご紹介したいが…… 。

地球の向こう側で、硬くて、堅い、メキシコの岩や石と格闘している彫刻家/奥村浩之のこころは、きわめてのびやかで、やさしかった。そしてその躰をながれる血液は、まぎれもない日本男子のそれである。
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1 NIDO DE VIENTO(ニィード デ ベィエント)― 風の巣 ―
  火山岩 48 x 37 x 30 cm    2012年
ニードデビィエント

2    CONTRA VIENTO(コントラ ベィエント)―風に向かって ―
   オニックス  56 x 30 x 33 cm    2012年
コントラビィエント

3    LA CASA DEL NORTE(ラ カサ デル ノルテ)― 北の家 ―
   火山岩  48 x 79 x 14 cm    2012年
ラカサデノルテ
4  VIENTO VERDE(ベィエント ベルデ) ― 緑の風 ―
   大理石  53 x 20 x 14 cm   2012年
ビィエントベルデ

5  VIENTO ROJO(ベィエント ロホ) ― 赤い風 ―
   火山岩   45 x 52 x 21 cm  2011年
ビィエントロホ

【 詳細情報 : 奥村浩之 HP  Curriculum vitae Hiroyuki OKUMURA

【展覧会】 戸 山 灰 ― KOYAMA Kai 個展 <メルト・ダウン>

20150611132238625_0002 20150611132238625_0003戸 山   灰 ― KOYAMA Kai 個 展
メルト・ダウン

◯ と き
2015年06月19日[金]-24日[水]
◯ じかん
13 :00-20 :00  最終日のみ18 :00まで
◯ ところ
Free Art Space  ポルトリブレ
東京メトロ「新宿三丁目」 C-8 出口 30秒
Telephone : 03-3341-2992
【 関連情報 : Free Art Space  ポルトリブレ 会場案内図
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正調明朝体

まだ四角四面が好きですか?
個展広報に<正調明朝体 金陵 をご使用いただきました>

「正調明朝体」とはすこしおおげさな名前かもしれません。このあたらしい書体はべつに古拙感を演出した筆写体でも、奇をてらった装飾体でもありません。
正調明朝体「金陵」は中国・南京の雅称から名づけられ、その金陵にあった大明南京国子監刊行の木版刊本『南斉書』にみられる端正な明朝体字様を現代に再生したものです。

 「現代明朝体」には近代化の名のもとに機械メスや電子メスが自在にはいって直線化がすすみ、水平線と垂直線ばかりが目立って、すっかり四角四面の硬直した活字書体になってしまいました。
そんな「現代明朝体」から人間味をとりもどしたいあなたに、あるいは奇形や媚態をみせるデザイン書体にはすでに飽いたとおっしゃるあなたのために、明朝体の端正にしてもっとも原型にちかい木版字様を復刻した正調明朝体「金陵」をおすすめします。
「金陵」には伝統のたかみにある和字書体(平仮名と片仮名)三書体が標準でセットされており用途に応じた選択ができます。
【 朗文堂タイプコスミイク 詳細情報 : 正調明朝体 金陵

THE ETERNAL LETTER(PAUL SHAW, THE MIT PRESS, 2015)に『トラヤヌス帝の碑文がかたる』(木村雅彦)が紹介されました。

kimura 01R0046004-2THE ETERNAL LETTER
TWO MILLENNIA OF THE CLASSICAL ROMAN CAPITAL
EDITED BY PAUL SHAW  2015

THE MIT PRESS
ISBN 978-0-262-02901-8
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9784947613592
ヴィネット01号
トラヤヌス帝の碑文がかたる
木 村 雅 彦 著
B5判 76頁 並製本
増 刷 出 来
定 価 : 本体 2,
600円+税

ローマのトラヤヌスの碑文は西暦114年に建立されて、すべてのローマ大文字の淵源とされるものです。ここからアイデアを得て、出発した欧文書体は数えきれないほどあります。
本書では18世紀のナポレオン3世による複製以来の拓本採取に成功して、その写真と拓本、大判折り込み 2 点を含む豊富な写真と図版によって、トラヤヌスの碑文の魅力をくまなく紹介しました。
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『 THE ETERNAL LETTER 』に紹介されたとおり、『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』 は
事前のながいイタリア側との交渉の末、木村雅彦、春田(木村)ゆかり夫妻の
「 遅くなった新婚旅行 」 として1999年05月10日、原寸拓本採取と、撮影が完了
したものです。
『 トラヤヌス帝の碑文がかたる』のテキストは日本語だけですが、欧米でもやはり
関心がつよく、外国向け販売もすくなくありません。
『 THE ETERNAL LETTER 』(PAUL SHAW,THE MIT PRESS,  2015)は
オンライン・ブックショップなどで入手できますが、ここにあらためて
トラヤヌス帝の碑文がかたる 』(木 村 雅 彦 著、朗文堂) をご案内いたします。
ご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
トラヤヌス帝トラヤ02トラヤ03トラヤ04【 詳細情報 : 朗文堂ブックコスミイク トラヤヌス帝の碑文がかたる 】

ふたつのブログロールの10ヶ月後――<一枚の絵はがき/Gallery Bar Kajima>, <弁護士 鈴木 篤のつれづれ語り>

大橋俊平展 2015.6.1 Mon. – 6.20 Sat. Gallery bar Kajima
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会社に住み込んでいる大橋が絵を描く時間があるのかなといぶかっていたら、
あれっと目を引く絵を描いてきた。
これは野獣派?、それとも抽象表現主義か。どこか懐かしい油絵の匂いと、
具象にもかかわらず、自己の内面にも関わった表現とが混在し
よくもまあ絵画仕上げてきたものだと、感心した。
バラバラの性格は、
微妙に神経質のままそのまま
確固とした人格が形成されている事に驚き
人はとても矛盾したものだと思う。
その矛盾と混在がそのまま絵になって成立してことに驚くとともに
今の大橋の有り様が素直に表現させられていることに興味を覚える。
( 加 島 牧 史 )
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加島 牧史   GalleryBar Kajima
営業時間
喫茶カジマ    14:00-18:00
Bar Kajima   18:00-24:00
日曜日・祭日休み
Mail : gbkajima@gmail.com
Web&Blog : gbkajima.jimdo.com
Tel: 03-3574-8720
〒104-0061 中央区銀座7-2-20 山城ビル2 階
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10ヶ月前、2014年09月05日に<ギャラリーバー カジマの オーナー加島牧史、弁護士 鈴木 篤   WebSite を開設する>という記事を本欄に掲載した。
ふたりともそこそこの年齢である。世間では、オヤジからジイサンと呼ばれる過渡期の馬齢 モトイ ゆたかな人生経験をかさねてきた。
したがって、半年もたてば、ふたりとも読者の顔が見えないブルグロールになぞ飽き、かつコンテンツも枯れはてて冬眠状態になっているこであろう…… 、とおもっていた。

ところがオーナー 加島は、飽きもせで 毎月写真添付の@メールを送ってくるし、紙媒体の「一枚の絵はがき」も丹念に送付され続けている。
また、弁護士 鈴木 篤は、超多忙をものともせず、ブログロール「弁護士鈴木 篤のつれづれ語り」で、憲法改悪反対の論陣を展開している。
趣味の水彩画がブログロールを味わいあるものにしているし、さらに最近は<顔本>まではじめたほどの騒ぎである。

その辺の「若ぇの」はスマホでチャカチャカやるばかりだが、ジイサンは情報発信をつづけるし、ともかく粘りつよく、がんばるのである。
前途ある「若ぇの」諸君、ジイサンパワーに負けてはいないだろうな。
既出の記事など、そこにリンクを設ければよいが、スマホでチャカチャカ組は、一旦このページをはなれたら、戻るのが面倒(戻ってこない危惧カナ?)なのではないかという老爺心から、下記に既出記事を再掲載しておいた。ジイサンは親切でもあるのである。

【 URL : 一枚の絵はがき/Gallery Bar Kajima と オーナー 加島牧史のWebSite 】
【 URL : 〔お知らせ〕 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】

ギャラリー バー カジマ 20140905192304067_0001比較的高齢者 モトイ 人生経験豊富なふたりが、最近あいついでパソコンメールを開始し、みずからの手で WebSite、ブログロール、短文ブログサイトなどのソーシャルメディアを開設した。
そのことを<タイポグラフィブルグロール 花筏>に、冷やかし モトイ こころからの応援の意をこめて紹介したところ、意外におおきな反響があっておどろいた。
hanaikada_color
すなわち、すこしくらい年をかさねても、発表にたるコンテンツとテキストが十分にあるひとにとっては、ウェブデザイナーと称する、IT 技術者に依頼して製作された、小綺麗ながらも複雑すぎる「ホームページ」には、いいつくせないもどかしさがあり、なによりも自己表現の場としては、不適切 乃至 物足りない場になっているということであろうか。
これはメディア産業の末流に居住している小社にとってもおおきな問題ではある。

これは WebSite という、あまりに巨大化し、とらえどころが無く、関わりかたがさまざまにあるニューメディアに、年長者対応というあたらしいニーズが発生し、また IT 開発者にとっては想定外だったかも知れないが、ソーシャルメディアの名のもとに、比較的デジタル情報にうとい年長者でも対応ができる、軽便なインターアクティブの場ができたことのあらわれでもあるのだろう。
ともかくこのふたりとも、自作のメディアの開設以来、水を得た魚のように、いきいきと、豊富なテキストの発表がつづいている。

とうぜんながら IT スキルが低いために(ひとのことはいえたものでは無いが)、画面構成やデジタル処理に齟齬や瑕疵も見られないではないし、タイポグラフィカル ・ エラーにいたっては無数にみられる。
それでもこれらのブログの更新を楽しみにし、閲覧している多くの読者がいる現実がある。

【 URL : 一枚の絵はがき/Gallery Bar Kajima と オーナー 加島牧史のWebSite開設 】
【 URL : 【お知らせ】 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】

hanaikada_colorhttp://gbkajima.jimdo.com/

<ギャラリー バー カジマ> は銀座コリドー街の一画にある。
Gallery Bar Kajima  ギャラリーバーカジマ
東京都中央区銀座7-2-20 山城ビル2 階
営業時間 14 : 00-24 : 00 (日曜 ・ 祝日休業)
TEL : 03-3574-8720

白い色への憧れはいつの時代にもある。
白磁で有名な韓国の磁器に感動したことがある。大阪で名高い安宅コレクションを観たときだった。
こんなにも清廉な白さと、まるで浮いているかのような物体を観たのは初めてだった。
その背景には儒教精神の聖なるものへの憧れがあった。

近ごろ女性の陶芸作家の活躍が目立つようになった。電気窯の普及と共に手軽に窯場をもてるようになったからだろうか。
白さへの憧れにモダンな感性が加わり、より自由な表現となって現れてきた。
これほど女性陶芸家が輩出された時代はなく、まったく新しい現象だ。
この動きがどうなって行くのか興味深い。

そもそもアフリカでは、古代から器を作るのは女性の仕事だったといった本を読んだことがある。
縄文土器のあの曲線は、女性性を強く表現しているようにも思える。
日本でも古代、焼き物を作っていたのは女性なのだろうか。

ふと遠い昔を想像してみたくなる。( 加 島 ) ―― 改行/段落設定はやつがれによる。

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ところで〔昨2014年〕08月04日[木]、ギャラリーバー カジマから電子メールが届いた。内容はいつもは郵送の絵はがきによるギャラリーの次回展の案内で、

件名 : <榎本悦子 櫻木綾子 白磁器展  9/8―27 GalleryBar Kajima> とあった。
ついにギャラリーバー カジマのイベント告知も電子メールになったのか……、とおもいながらも削除はせず、メールとしては長文のオーナー加島牧史のテキストを読んだ。しかしいつもとちがって、すんなりとは頭に入らなかった。

翌日、08月05日[金]、ギャラリーバー カジマからいつものように絵はがきが届いた。
前日のメールと同一内容だったが、なにかホッとしたし、やはり馴れもあるのだろうが、すんなりと読めた。難しいものである。
宛名面をみたら、延期になっていたライブショーの告知がちいさくあった。
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9月11日[木] 19:30 start  【LIVE】 M.C ¥1,500 要予約
能管 : 松田 弘之   トンバク ・ フレームドラム ・ 唄 : 蔡 怜雄
「古事記神代の巻を踊る」
ダンス : 斎藤直子、加藤由美子、武沢昌子、柳井真弓、加島牧史
(詳細はサイトをご覧ください) Web&Blog  gbkajima.jimdo.com
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さほど広いとはいえないギャラリーバー カジマの店内、まして奥のギャラリーでは陶芸展も開催中だというのに、荘厳な舞踏劇であろう 「古事記神代の巻を踊る」 のライブショーを、オーナー加島は決行するらしい。
よくみれば、ダンスのメンバーの末尾に、なんと、まぁ、オーナー加島の名前まであった。
いっときではあろうが、オーナー加島はカウンターをぬけだし、ダンスに狂奔 モトイ 幽玄な舞踏の世界に没入するらしい。
ひろい日本、さまざまなひとがいるものである。
──────────
そしてやつがれ、明日〔2014年09月06日[土]〕は小社刊 <『 わたくしは日本国憲法です。』 出版記念のつどい> がある。
主催は「殺さないで!生かそう 日本国憲法 『 わたくしは日本国憲法です。』 出版記念のつどい 事務局」である。

『わたくしは日本国憲法です。』 の著者:鈴木 篤氏も、つい最近、ブログロールと、短文ブログを開設した。
かれもまた、多忙な弁護士業務とあわせ、憲法改悪阻止に寝食をわすれて必死な奇妙人である。それがブログロールにあふれるから、勢いがある。
【 URL : 【お知らせ】 ブログ新開設 <弁護士鈴木篤のつれづれ語り> 】

鈴木 篤氏は、オーナー加島牧史氏より10数歳年嵩ということもあって、こちらのブログのサイトはいささか難航気味ではあるが、閲覧者数はとてつもなく多いことにおどろく。
明日はどんな会になるのか、報告を楽しみにしていただきたい。

【会員情報】 新造形空間<co – lab 墨田亀沢>創出/株式会社サンコーと有薗克明・有薗悦克父子

<co-lab 墨田 亀沢>について
Locations / SUMIDA-KAMEZAWA

logo-w499P1030725DSC_9829 ◎ <co-lab 墨田 亀沢> コンセプト
「墨田区のものづくり および 印刷業を再考し、新産業を作る」。

<co-lab 墨田 亀沢>は、町工場と住宅街が密集する墨田区の下町にありながら、水辺の安らぎが感じられる大横河親水公園と、相撲や浮世絵といった江戸文化が息づく北斎通りの交差するエリアに存在します。
江戸時代からもの作りと文化を創出してきた、墨田に根ざしたクリエイティブ・プラットホームとして<co-lab 墨田 亀沢>は、印刷業などの地場ものづくり産業と地域のクリエイターをつなぎ、墨田という街にクリエイティブなビジネスと活気を創出する場として、2015年02月にスタートしました。

◎ シェアオフィスとしての<co-lab 墨田 亀沢 : re-printing >
co-lab は、クリエイターとクリエイティブワーカー専用のシェアオフィスです。 定常的に同じ場所を利用でき、PC や荷物も置いたままで、メインオフィスとして使いやすい『レジデンスタイプ』と、フリーアドレス型の『ノンレジデンスタイプ』の2種類の利用方法があります。
また、総勢300名を超えるco-lab の、
ユニークで質の高いクリエイティブ・コミィニティに参画できるプラットフォームであることに加えて、印刷工場に併設されてオフィスがあるため、オフセット印刷や活版印刷等の業務用印刷機、熟練した印刷職人の技術など、プロフェッショナルのための印刷ファシリティー(施設・設備)とノウハウを享受しつつ、仕事ができるというのが大きな特徴となっています。

◎ 場に付随する まちのクリエイティブ相談窓口< co-factory : re-printing >
co-lab 所属のクリエイターをはじめ、地域の方にとって、まちのクリエイティブ相談窓口となる<co-factory : re-printing> では、実務的な印刷にまつわる制作業務を請け負うほか、既存の制作工程にデジタルファブリケーションなどの新しい技術を取り入れて、次世代の印刷業を思考実践する場にしたいと考えています。

また、墨田やその周辺で起きているものづくりなどの地場産業の新しい変化をキャッチし、クリエイティビティのコンバーターとなる、クリエイターや各種専門家、地域の子ども達などと、地場産業の方々とを橋渡しし、実験的なワークショップやイベントを開催するなどして、地域の創造性に還元する役割を担う拠点として機能したいと思っています。
DSC_0092DSC_0067DSC_0007DSC_0107DSC_0185DSC_3499◎ ご見学の申し込みや施設に関するお問い合わせはこちらまで。
【 詳細情報 : co-lab 墨田 亀沢  Facebook

特 徴

  • 総勢300名を超えるco-lab の ユニークで質の高いクリエイティブ ・ コミュニティに参画できるプラットフォームです。
  •  印刷コンシェルジュやコミュニティ・ファシリテーターが駐在し、気軽に印刷や各種制作実務に関するプロフェッショナルな相談ができるなど、「印刷」や「ものづくり」がすぐそばにある仕事場として実用的なインフラが整備されています。
    また、活版印刷機やカッティングプロッターなどが整備されており、講習を受ければ自分でも使うことができます。
  • クリエイターや地域の子ども達、地場産業の方々と一緒に行う、実験的なワークショップやイベントへの参加など、場を通じて行うまちづくりへのアプローチや各種情報発信に参画できます。(ご自身の活動でもスペースを優待料金で利用可)
  • スカイツリーや浅草からほど近い「イースト東京」の魅力にあふれた錦糸町と両国の間に位置し、城東や北関東エリアにお住まいの方にとってもアクセスのよい東京の拠点として使えます。
  • 所在地
    〒130-0014 東京都墨田区亀沢4-21-3
    最寄り駅
    JR総武線・地下鉄半蔵門線[錦糸町駅]北口徒歩9分
    JR総武線 [両国駅] 徒歩20分/地下鉄大江戸線[両国駅]徒歩14分
    JR東武線 [業平橋駅]下車 都バス新橋行[ 亀沢四丁目]下車 徒歩3分
  • 建 物
    地上 5 階建て
  • 事業主/施設運営
    株式会社 サンコー
    【 詳細情報 : 株式会社サンコー COMPANY OUTLINE
    企画運営協力 : 春蒔プロジェクト株式会社

受 付
tel : 03-6658-5292 fax : 03-6658-5293
mail : sumida_recept@co-lab.jp
受付時間 : 平日11:00-12:00、13:00-17:00
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あたらしいカタチの、あたらしい造形空間が東京都墨田区亀沢に誕生しました。

その名は<co-lab 墨田 亀沢>。
<co-lab 墨田 亀沢>は、ふるく、江戸時代からもの作りと文化を創出してきた、墨田に根ざしたクリエイティブ・プラットホームとして、印刷業などの地場ものづくり産業と、地域のクリエイターをつなぎ、墨田という街にクリエイティブなビジネスと活気を創出する場として、2015年02月にスタートしました。

<co-lab 墨田 亀沢>の事業主・施設運営は、1967年設立の、歴史ある写真製版と印刷業社/株式会社サンコーです。 同社社長/有薗克明 Arizono Katsuaki さんと、経営企画室/有薗悦克 Arizono Yoshikatsu さんの夢をのせ、周到な準備期間ののち<co-lab 墨田 亀沢>はオープンを迎えました。
<co-lab 墨田 亀沢>には 当初から 小型活版印刷機 Salama-21A の導入がはかられ、そのため有薗ご父子は、Salama-21A 操作指導教室、活版カレッジ を周到に事前受講されておられます。
アダナ・プレス倶楽部のあたらしい仲間の輪がどんどん広がっています。お近くの皆さんは、ぜひとも<co-lab 墨田 亀沢>をおたづねください。

【会員紹介】 笹井祐子 Yuko Sasai, 奥村浩之 Hiroyuki Okumura ご夫妻がご来社!

版画家として、教育者として、ひろく活躍されている笹井(奥村)祐子さんが、はじめてご主人の彫刻家・奥村浩之さんとともに、朗文堂 アダナ・プレス倶楽部を訪問されました。
おふたりの出会いはメキシコとうかがいましたが、いまも奥村さんはメキシコを本拠地として、石と格闘する日日をおくられています。 メキシコと日本、なにぶん遠距離ですし、なかなかおふたりがお会いできないのが気の毒です。

奥村さんは、今秋、東京で開催予定の個展準備のために久しぶりに帰国され、ご来社いただきましたが、はじめてお会いするかたとはおもえないほど、すっかり意気投合。とてもうれしい出会いでした。
造形者同士の考えていることは、版画であれ、彫刻であれ、活版印刷(タイポグラフィ)であれ、多くの共通点を持つものだと実感した一日でした。
そしておみやげにいただいた、香りたかいメキシコ珈琲のおいしいことといったら!

DSCN9656左) 奥村浩之  Hiroyuki Okumura さん。右) 笹井(奥村)祐子 Yuko Okumura-Sasai さん
DSCN9768 奥村浩之  Hiroyuki Okumura さん。笹井祐子 Yuko Okumura-Sasai さんの作品集。
左) Hiroyuki Okumura  1999 - 2013
右) Yuko Sasai   1988 - 2013

赤の声 笹井祐子 「 赤 の 声 」 リトグラフ
sasai[1]

笹 井  祐 子    SASAI Yuko
<略 歴>
1966年       東京都生まれ
1990年       日本大学藝術学部美術学科卒業
1992年       日本大学藝術学部研究所版画コース修了
2010年       日本大学海外研究員(平成21年度 メキシコ)
現在、 日本大学 藝術学部 教授
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奥 村  浩 之  Okumura Hiroyuki
<略 歴>

1963年    石川県に生まれる。
1986年     金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年     金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年-   メキシコに渡る
現在、メキシコを本拠地に、彫刻制作に没頭
okumura04k[1]【 YouTube 2:42  奥村浩之 彫刻を語る  https://youtu.be/US5XMIHnT5I

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“ FSPONTÁNEIDAD ” わ が 宝

   奥 村 浩 之

明るい光と静かな風の流れに包まれながら、コーヒーを楽しむ。
そこから一日が始まる。 毎日の繰り返しでありながら、ゆっくりと流れるメキシコ時間の豊かさを改めて実感できるときであり、「今日もよい一日だ」と爽やかになってくる。 メキシコ時間もメキシコ風ライフスタイルもすっかり身についた。
メキシコに渡ってもう24年。日本から見て地球の反対側にあるメキシコ文化に誘いかけられ、僕の求める彫刻がそこにあるのでは、と希望にもえて渡ってきた。 僕は若かった。

彫刻の道は僕には運命だったのかもしれない。幼い頃から墓石が身近にあり、大小や組合せもとりどりに積み上げられた石の群れは、幼い心にもこの世ならぬもの、モノでありながら内に力を秘め、何かを語りかけてくるもののように見え、親しいなかにも畏れ多いもの、日常でない世界へ誘いかけるものと感じていた。

石には古い古い記憶がこもっている。彫刻を始めたとき、石との対話は僕には必然だった。古代遺跡、巨石遺跡など、石は圧倒的な力で語りかけてくる。 時間を超えたメッセージを封印した石は内蔵したものを気づかせようとクリエーションへと誘いかけてくる。
僕は幼少のころから親しんだ石と共同制作すること、石の呼びかけを造形すること、それを創作の原点とし、石を生涯の同志としてきた。

日本での石との対話から、さらに大きな石との格闘を求めて渡ったメキシコでは、石の他に、メキシコ時間との出会いがあり、ESPONTÁNEIDAD (のびのびとした) という言葉が、何をすべきか、僕を大きく成長変貌させた。
メキシコの豊かな大地と歴史、メキシコの人々の心が育て上げたメキシコ時間の精髄で、その真意を知ったとき、僕は真に自由になり、メキシコと同化したことを自覚した。
ESPONTÁNEIDAD は僕を僕たらしめ、僕の宝となった。 そしてそれは彫刻表現の方向をも導いてくれ、さらにもう一つの言葉 「GOZOSO」 (楽しい) も連れてきてくれた。

石を媒介にして日本からメキシコへ、そして24年目に再び日本へ、日本の繊細さとメキシコの ESPONTÁNEIDAD、このふたつを糧にして、文化の交錯 ・ 融和 ・ 習合する地点が僕の道となるだろう。  24年目の結節点が新しい出発点となることを願って、ここに僕の足どりを作品集としてまとめてみた。 (2013年 夏)

okumura01k[1]okumura02k[1]奥 村  浩 之
Okumura Hiroyuki

<略 歴>
1963年    石川県に生まれる。

1986年     金沢美術工芸大学美術学部彫刻科卒業
1988年     金沢美術工芸大学大学院修士課程修了
1989年-   メキシコに渡る

<個 展>
1991年

「Estructuras del Subconscientes」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊 (ハラパ, メキシコ)
「El Medio de los Silencios」 AP 画廊 (ハラパ, メキシコ)
1994年  
「Canto Tierra」 ベラクルス州 画廊 (ハラパ, メキシコ)
1998年  
「Erosiones de la Mano」 エントレ エストッウデイオ イ ガレリヤ 画廊(プエブラ, メキシコ)
「Emociones Arcaicas」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
1999年  
「Eras」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
「Antes del Hombre」 日本文化センター(パリ,フランス)
2000年  
「Augurios」 キン 画廊(メキシコ, シティー, メキシコ)
「Elementos」  ピナコテカ デイエゴ リベラ 画廊(ハラパ, メキシコ)
2001年  
「Eco」 エントレ エストッウデイオ イ ガレリア 画廊(プエブラ, メキシコ)
「Hiroyuki Okumura」 アラン ボーン 画廊(アリゾナ, アメリカ)
「Corriente de Piedra」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
「Minamoto-manantial de origen」 日本大使館内 日本文化インフォメイション センター (メキシコ シティー, メキシコ)
2002年  
「Resonancia de Piedra」 日本文化センター(パリ, フランス)
「Pertenencia de la Tierra」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2003年  
「Inside of all」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
2005年  
「Paisajes Terrenales」 カサ ディゴ リベラ 美術館(グアナフアト, メキシコ)
「Hiroyuki Okumura 2005」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊(ハラパ, メキシコ)
2006年
「Corazon de la Tierra」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
「Materia: Virtual Continente」キン 画廊 (メキシコ シティー, メキシコ)
2008年
「Messenger」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
「Trozos de la vida」 キン 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2009年
「Hiroyuki Okumura」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
2010年
「Tiempo Sagrado」 ラモン アルバ デ ラ カナル 画廊(ハラパ, メキシコ)
2013年
「Nest of Wind」 ハワードスコット 画廊(ニューヨーク、アメリカ)

<グループ展>
1991年

「Nuevos Tiempos en la Plastica」 アリアンサ フランセサ(ハラパ, メキシコ)
1992年
「La plasica Veracruzana 1992」 アンパロ 美術館(プエブラ, メキシコ)
「Primera Bienal Monterrey」 フェムサ 美術館(モンテレイ, メキシコ)
1993年
「Siete Escultores en Veracruz」べラクルス州 画廊(ハラパ , メキシコ)
1997年
「Los Caminos de la Forma y del Volumen」ベラクルス州 画廊(ハラパ, メキシコ)
 「El Primer Salon Nacional de Arte Visuales -Seccion Bienal Tridimencional 1997」
  エスパシオ デ セントロ ナショナル デ アルテ(メキシコ シティー, メキシコ)
2001年
「Outside Japan : Three Sculptors」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
「Ichigo Ichie」 大学付属チョッポ美術館(メキシコ シティー, メキシコ)
「Quinta Bienal Monterrey FEMSA」 フェムサ 美術館(モンテレイ, メキシコ)
「Laberinto」 アルテ コンテンポラニョ デ ハラパ 画廊(ハラパ, メキシコ)
2004年
「Proyecto – Merida de Yucatan: Cuidad de la Escultura」 (メリダ, メキシコ)
2005年
「Reflejos de la Alteridad」キン 画廊 (メキシコ シティー, メキシコ)
2006年
「White II」 ハワード スコット 画廊(ニューヨーク, アメリカ)
2009年
「12‘ Festival Cultural de Mayo – Japon 」 ベルティセ 画廊(グアダラハラ, メキシコ)
「Los Murmullos del tiempo」 UAM 大学 スール 画廊(メキシコ シティー, メキシコ)
2011年
「Selva de Cristal」 大学付属チョツポ美術館(メキシコ シティー、 メキシコ)
2012年
「Esultura de pequeno formato y obra grafica」 アルテオイ画廊(メキシコ シティー、メキシコ)
2013 年
「Geometrismo escultorico mexicano 」 アルテオイ画廊(メキシコ シティー、メキシコ)

<コレクション>
1988年  金沢美術工芸大学 (石川県, 日本)

1997年  チヤパス自立大学 (チヤパス, メキシコ)
1998年  べラクルス州立彫刻公園 (ハラパ, メキシコ)
1999年  日本文化センター  (パリ, フランス)
2000年  ソソポル 画廊 (ソソポル, ブルガリア)
2001年  金沢21世紀美術館 (石川県, 日本)
2002-04年  ホテル ガレリア プラサ (べラクルス, メキシコ)
2004年  グルーポ チェドラウイ セントラル オフィス (メキシコ シティー, メキシコ) 
2005年  スイミング スクール アクア X  (ハラパ, メキシコ)
2007年  ホテル カサレイナ (プエブラ, メキシコ)
2009-13年  べラクルス自立大学 音楽堂 (ハラパ, メキシコ)
2011年  ラ カサ デ ベラクルス (ハラパ, メキシコ)