アダナ・プレス倶楽部では、手動式卓上小型活字版印刷機 Adana-21J を中核としながら、活版印刷の今日的な意義と、その魅力の奥深さの普及をとおして、身体性をともなった造形活動を重視し、ものづくりの純粋な歓びの喚起を提唱してまいりました。
活版印刷の今日的な意義と、魅力の奥深さをより一層追求するためには、活字版印刷術の技術と、知識の修得はもちろんのこと、「ものづくり」と真剣に向き合うための姿勢と環境も重要です。
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そこでアダナ・プレス倶楽部では、活字組版を中心とした実践と、発表の場のいっそうの充実のために、過去5年間4回にわたって開催してまいりました「活版凸凹フェスタ」を一時中止 して、もう一度じっくりと構想を練りなおし、技芸を磨く準備期間、制作期間を経て「ものづくり」と真剣に向き合う姿勢を育む活動へとシフトすることになりました。
これからも惰性に安住することなく、一定の困難は承知で、出展者・来場者の双方にインスピレーションを与えてくれる、すばらしい環境を備えた新天地で、あらたな飛躍をこころみたいと存じます。
その第一弾として、本年7月の3連休に、北海道の美唄ビバイ市にある
「アルテ ピアッツァ 美唄」において、
『Viva la 活版 Viva 美唄』を開催いたします。
【名 称】 Viva la 活版 Viva 美唄
【会 期】 2013年07月13日(土)―15日(月・祝) 9:00―17:00
(最終日は13:00まで)
【会 場】 ARTE PIAZZA BIBAI アルテ ピアッツァ 美唄
北海道美唄市落合町栄町
http://www.artepiazza.jp/
【入 場】 無 料
(ゼミナールの一部に参加費が必要なものもあります)
【主 催】 朗文堂 アダナ・プレス倶楽部
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「アルテ ピアッツァ美唄」は、美唄市の出身で、世界的な彫刻家として知られる安田 侃(ヤスダ カン 1945- )氏が、今なお創作を継続している、大自然と彫刻がたがいに相共鳴する彫刻の野外公園美術館です。
イタリア語で「芸術広場」を意味する「アルテ ピアッツァ 美唄」は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人々に自分の心を深く見つめる時間と空間を提供するすばらしい施設です。
そのような素敵な環境にある「ストゥディオ アルテ」 と、昭和のぬくもりをのこす旧栄小学校にある「ギャラリー アルテ」 の一画をお借りして、『Viva la 活版 Viva 美唄』では、各種のゼミナールと、活版カレッジ有志による活字版印刷を中心とした展示をおこないます。
「ストゥディオ アルテ」と隣接している「カフェ アルテ」では、おいしい珈琲や紅茶やケーキが楽しめますし、お天気にめぐまれ、戸外のテラスで軽食でも摂ると、エゾリスがヒョコリとやってきたりします。
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美唄市は北海道中央部・空知ソラチ管内(空知総合振興局庁舎は隣接の石見沢市)に位置し、千歳空港から直通電車で約1時間半、札幌市からは特急電車で約30分とアクセスも便利です。
また昨年から国内線LCC(格安航空会社)の増加によって、北海道までの空の旅も格段と便利でリーズナブルな価格になりました。
美唄からは、札幌はもちろん、富良野・美瑛や旭川も周遊圏になりますので、ご家族やお友達との北海道旅行を兼ねてのご来場もお勧めです。
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皆さまぜひとも、この機会に、お気に入りの本を1冊たずさえて、美唄の地にお越しください。
日常の喧騒を離れ、活字版印刷の展示をじっくりと鑑賞し、活版ゼミナールと、展示をご体験ください。
また彫刻と自然が織りなすシンフォニーの中で、のんびりと読書や思索に耽ったり、大切な人とのゆっくりしたひとときを過ごしてください。
真の造形活動や、こころ豊かな人生について見つめなおすための、贅沢な時間と空間がアルテ ピアッツァ 美唄にはあります。
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美唄市 は、かつては四大産炭地のひとつとされて、三菱鉱業、三井鉱山、中小の炭鉱などが進出して、全国でも有数の炭鉱都市として栄えたまちです。最盛時には炭鉱までのローカル鉄道「美唄鉄道」がはしり、1950年代の最盛時の人口は10万人弱という繁華なまちでした。
1970年代にはいると、国の施策として石炭から石油へのエネルギー転換がはかられ、このまちでも1973年に三菱美唄炭鉱が閉山されて、ほとんどの炭鉱の灯が消えました。活気のあった炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった小中学校は廃校となりました。
それから40年ほどの歳月がすぎ、現在の美唄市は人口2万5000人ほどで、ここがおおきな産炭地だったことを忘れさせるほど、豊かな緑がひろがり、すっかり静かなまちになりました。それでも空知地方の中核都市、物資の集散地としての役割を担い、廃鉱のまちにありがちな暗さがないのがふしぎなくらいです。
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[以下の部分は、アルテ ピアッツァ 美唄『popolo』広報誌を参考にしました]
アルテ ピアッツァ 美唄が誕生したきっかけは、1981年にイタリアで創作活動を続けていた安田 侃氏が、日本での創作活動の拠点を探していた際に、廃校となっていた旧栄小学校に出あったことにはじまります。
もともと安田氏は、地元美唄駅の鉄道員の息子として、この地にうまれたひとでした。栄小学校の朽ちかけた木造校舎は、数十年前の標準的な小学校の木造建築様式であり、子どもたちの懐かしい記憶と、ぬくもりがそのまま残っていたとされます。
そして校舎の一部に併設されて、しかもいまなお開設されている、ちいさな美唄市立栄幼稚園に通う子どもの姿が安田氏の心をとらえたとかたっています。
そこではエネルギー革命という、過酷な時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て安田氏は決意しました。
「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。
それがアルテピアッツァ 美唄誕生のきっかけとなったといいます。
その後、安田 侃氏と、彼のおもいに共感した多くの人びとの尽力によって、1992年に栄小学校の廃校跡地を中心に、広大な敷地をもつ、世界でも希有な彫刻公園「アルテ ピアッツァ 美唄」が開園しました。
アルテ ピアッツァ 美唄は、樹林と草原の中に、40点あまりの石彫とブロンズの作品が配置され、それぞれが自然と溶け合いながら豊かな空間を創りだしています。
展示空間としてよみがえった校舎や体育館では、さまざまな展覧会、講演会、コンサートなどがさかんに開かれています。
中央の芝生の広場では、夏には水遊び、冬には雪遊びにやってくる大勢の子どもが走り回ります。かつて、ここに通っていた子どもたちの記憶と、現在の子どもたちの明るい歓声が、混じり合ってこだましています。
ここを訪れる人は、はじめてきた人でも、どこか懐かしい気持ちがするといいます。
安田 侃氏はかたっています。
「アルテピアッツァ 美唄 は幼稚園でもあり、彫刻美術館でもあり、芸術文化交流広場でも、公園でもあります。ですからわたしは、誰もが素に戻れる空間、喜びも哀しみもすべてを内包した、自分自身と向き合える空間を創ろうと欲張ってきました。この移り行く時代の多様さのなかで、次世代に大切なものをつないで行く試みは、人の心や思いによってのみ紡がれます」
アルテピアッツァ 美唄は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人びとに自分の心を深く見つめる時間と空間を提供しています。それはまさに、芸術の本質に通じているのです。
《02月20日アップ後に、アダナ・プレス倶楽部会員からのうれしい情報……》
この情報をアップしてから間もなく、グラフィックデザイナーで活版カレッジ受講生の小野さんから、うれしい情報をいただきましたのでご紹介いたします。
[2013年02月25日 追記]
小野さんは、数年前にここ「アルテ ピアッツァ 美唄」を冬季に訪問されたことがあり、雪の中にたつ彫刻作品にとても感動されたそうです。その折りの写真をご提供いただきました。
上から、「雪のなかのギャラリー棟」、「熊に注意の掲示板 ── ほんとうにこのあたりには、鹿や熊などの野生動物が出没します」、「廃墟となったもとの映画館」の写真です。
《活版カレッジ 新潟山山倶楽部の山下会員からも、うれしいお便りをいただきました》
なんという偶然でしょう ! 美唄は私の父の故郷です。
昨年、私ははじめて父と美唄を旅して、そのとき
『Viva la 活版 Viva 美唄』の舞台となった「アルテ ピアッツァ美唄」にも
立ち寄りました。
ここは、そのむかし、父のいとこが通った「栄小学校」だったそうです。
懐かしさのあまり、父が飛びこんだ「栄幼稚園」の写真をおくります。
『Viva la 活版 Viva 美唄』、なんとしても時間をつくっていきますね。
[2013年03月18日 追記]
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ことしは例年にない大雪が北海道にも積もっているようです。はるかに遠く、美唄の地をおもうこのごろです。
《Viva la 活版 Viva 美唄-応援ブログが誕生》
『Viva la 活版 Viva 美唄』の公式 Website は、この『アダナ・プレス倶楽部 NEWS』になりますが、もうすこし容量がおおきく、画面もおおきな、朗文堂 タイポグラフィ・ブログロール『花筏』でも『Viva la 活版 Viva 美唄』関連記事の連載がはじまりました。
『花筏』には、この公式記録だけではカバーしきれない、イベントのバックグラウンドや、こぼればなしなどを中心に、おもに「やつがれ」こと、片塩二朗がしるします。
本欄とあわせて、ときおりご訪問ください。
【リンク:タイポグラフィ・ブログロール『花筏』】