《アダナプレス倶楽部 Website リニューアル》
朗文堂の活版印刷事業部門、アダナプレス倶楽部が発足したのは2006年秋のことでした。当時は活版印刷の基盤が脆弱で、崩壊の危機すらささやかれ、逆風がふきつのる時代のなかでのスタートでした。ですから当初から、朗文堂単独での維持は困難が予想されましたので、「活版ルネサンス」の標題を掲げるとともに、お客さまとの双方向の情報交換をめざして、「アダナプレス倶楽部」と命名してのスタートでした。
発足当時は朗文堂の Website からの情報発信が中心でしたが、アダナプレス倶楽部では積極的に、21世紀をむかえて、世界でもはじめての活版印刷機製造にとり組み、その設計・試作機製造をへて、小型活字版印刷機 Adana-21J の完成を2007年04月にみることができました。
そのために、朗文堂本体とはいくぶん性格がことなり、双方向の情報交換の場として、アダナプレス倶楽部独自の Website をもうけたのは2007年04月のことでした。
アダナプレス倶楽部 Website の立ち上げには、増住一郎さんの積極的なご協力をいただきました。その維持・拡張には、廣瀬玲哉さん、真田幸治さん、守友彩子さんらの皆さんに、ことばではいいつくせない、おおきなご協力をいただきました。
また朗文堂の歴代のスタッフも日常的なメンテナンスにあたってきました。それぞれの皆さんに、ここに深甚なる謝意をしるします。
2013年05月01日、朗文堂 アダナプレス倶楽部 Website は、大幅なリニューアルを実施しました。今回の担当は、新宿私塾第20期修了生で、活版カレッジでタイポグラフィの実技・実践をまなんできた北美和子さんにお願いしました。
アダナプレス倶楽部の基調色「ブリティッシュ・グリーン」を中心に、朗文堂 Website との架け橋として「黄色-赤」の朗文堂基調色のバーナーをたくさんつけてのスタートとなりました。
皆さまの積極的なご訪問をお待ち申しあげます。
《アダナプレス倶楽部 ニュース No.001 再録》
リニューアルにともない、さまざまな問題点とともに、埋もれていた懐かしくも貴重な資料が、いくつも「発見」されました。そのひとつ、
「アダナプレス倶楽部 ニュース No.001 Adana-21J の誕生おめでとう!」
をここに再録いたします。
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ニュース No.001 【アダナ・プレス倶楽部便り】
アダナ印刷機「 Adana-21J 」の誕生、おめでとう !
吉田市郎 元・晃文堂/元リョービイマジクス株式会社 代表取締役
Adana-21J 試作機特別内覧会 期間:2006 年 10 月 27 日 – 29 日
このたび、朗文堂/アダナプレス倶楽部から小型活版印刷機「 Adana – 21J 」が誕生されるとうかがい、大変嬉しく存じます。
ふるい話しになりますが、株式会社晃文堂の時代に「アマチュア用活版印刷機 ADANA3×5, ADANA5×8 」の 2 機種を輸入販売いたしました。当時のわが国では活版印刷はとても盛んでしたが、敗戦直後とあって国家そのものに蓄えがなく、外貨の為替管理がきわめて厳しくて、海外からの物資の輸入には様々な困難がありました。
幸い多くのユーザーの皆さまを得て、アダナ印刷機はご好評をいただきましたが、その後イギリスのメーカーが製造を中断し、また活版印刷全般も衰勢をみせるようになって、アダナ印刷機の代理販売業務からは撤退いたしました。従いまして、多くのユーザーの皆さまには不本意ながらご迷惑をおかけすることになったことにたいして、内心忸怩たるものがありました。
それが今般、長年ご厚誼をいただいている朗文堂さんの新事業部門、アダナプレス倶楽部によって、新設計による国産活版印刷機「 Adana-21J 」が誕生するとうかがい、大変嬉しく思っております。
おそらく活版印刷と鋳造活字には、まだまだ寒風が押し寄せるでしょうが、それにめげず、創意と挑戦の意欲を持って、これからの開発・販売にあたって頂きたいと存じます。「 Adana-21J 」の試作機のご発表、おめでとうございます。
吉田市郎さん。
1921年(大正10)1月28日、新潟県柏崎市うまれ。名古屋高等商業学校(現 名古屋大学経済学部)卒。卒業後三井物産に勤務したが、まもなく召集されて軍務につき、1945年(昭和20)召集解除後に明和印刷をへて、1947年(昭和22)活字商として独立し、欧文・和文活字鋳造販売、活版印刷関連機器製造販売を中心とする株式会社晃文堂を設立して代表取締役に就任。
1970年代にリョービと提携して総合印刷機器製造販売業、株式会社リョービ印刷機販売(のちの株式会社リョービイマジクス)を設立して代表取締役に就任。
朗文堂ならびに堂主・片塩二朗にとっては、中学生時代からとてもお世話になったきた大恩のあるかたです。
欧文・和文の金属活字製造販売からスタートして、写真植字機器、写植活字の開発、電子活字の黎明期においても大胆な挑戦を重ねてこられました。
その歴史的背景に関しては、実体験にもとづく該博な蓄積があり、それをかたらせたら、この方の右にでるひとはどこにもいません。