もうかれこれ30年ほどまえのことである。
1980年代のはじめだったとおもう。 当時はしばしば欧州にでかけていた。
以来長らく小社の < モンドリアン ・ ケース > の一隅で眠っていた活字資料があった。
ときどき取りだしては、拡大鏡でながめたり、スタンプ式に押印したりしてみたが、ほとんど文字らしきものは読み取れなかった。
ひとつはスイス、バーゼルにあった HAAS 社を訪問したとき、活字母型彫刻室でいただいたもの。 もうひとつは、ドイツ、マインツ市の グーテンベルク博物館 で購入したものだった。
この資料をご覧になった、日本ダイカスト協会技術部の 西 直美氏が関心をもたれて、早速、顕微鏡写真を撮影され、画像データをご提供いただいた。
これでようやく、活字最盛期の、高度な 「 活字母型彫刻術と活字鋳造術 」 の技倆を垣間見ることができることになった。
活字は、もっとも基本サイズの pica パイカ, 12pt. ( アメリカン ・ ポイントサイズ、1pt. = 0.351mm, 12pt .× 0.351mm = 4.212mm )で、4.212mm 角のおおきさの活字であった。
活字は字面の保護と、紛失防止のために、蓋付きの黒い樹脂製ケースにはいっていた。 最上部の写真はその蓋の上に一円玉を置いて、大きさを実感していただけるようにしてある。
スイスの HAAS 社は1580年設立というふるい歴史を有し、Neue HAAS Grotesk ( ハース社の あたらしい グロテスク体 → ドイツ ステンペル社の傘下にはいってからは Helvetica ≒ スイスの古称 ・ 雅称でもある ) の開発で成功をおさめ、またパリの Deberny & Peigno 活字鋳造所が1972年に閉鎖されたために、その活字母型による 製造 ・ 販売にもあたっており、盛況をきわめていた。
HAAS 社の 「 機械式活字母型彫刻機 」 は、わが国の標準型であった、いわゆる 「 ベントン彫刻機 」 とは異なり、より大型で、活字パターンもわが国標準の 2 inch よりおおきなサイズを使用していたと記憶している。
だいぶ自慢ばなしをきかされてから、このデモンストレーション活字をいただいた記憶があるが、たいていの事柄は失念したし、資料も残っていない。
幸い、筆者より数年のちに HAAS 社を訪問された、ユービックス : 宮崎 徹氏が詳細な記録をのこされているので、そちらを参照いただきたい。
【 参考資料 : タイポグラフィ あのねのね*014 アルダス工房、ドベルニ&ペイニョ、アーツ&クラフト運動 】
【 参考資料 : ユービックス 近代印刷 書体の世界 】
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紹介した画像の活字は、グーテンベルク博物館で入手したものである。 現在もおみやげのひとつとして販売しているとも仄聞している。
仕様はほとんど HAAS 社のものとおなじで、pica, 12pt. サイズの活字である。
また、ふつう活字は裏文字(鏡文字)であるが、ここでは一種のデモンストレーションであり、サンプルのためか、正向きの文字として鋳造されている。
文頭はイニシャルとしておおきなサイズで飾られ、文末にAMEN アーメン とある。 最下部に製造者として MONOTYPE CORPORATION の名前がみられる。
ともかく 4.212 mm 角というちさな活字枠であるが、ここに聖書の一節が鋳造されている。 すなわち 1mm の幅に 7-10 キャラクターが彫刻されて活字母型となり、そこに活字地金を圧入して、鋳造された「活字」である。 まさに活字のミクロの領域であり、同社の技術がそうとう高度なレベルにあったことをうかがわせるのには十分な資料である。
久しぶりに手許の25倍ルーペでのぞき、スタンプ式に押印してみたが、やはり顕微鏡写真のほうが迫真力があった。 気になったのは、触覚でも 顕微鏡写真でも、母型深度があさすぎはしないかという疑問であった。 これでは印刷時にすぐにインキの目詰まりをおこすことになりそうだった。
これは活版印刷機にかければ ― 裏文字(鏡文字)になるが ― インキ詰まりの程度をみるなどして一目瞭然の事柄である。 また、所詮デモンストレーション用の活字ではないかというおもいもあるが、それをなす勇気は、いまはまだ無い。
Linn Boyd Benton 1844-1932
この 「 機械式活字母型彫刻機 」による活字母型製作の技術は、筆者の知るかぎり、わが国では三年ほどまえに失われた。
アメリカでも専従者はひとりだけで、気息奄奄の状態にあると仄聞している。
アダナ ・ プレス倶楽部 「 実践活字母型彫刻の旅 」 於 : 旧安形製作所
リン ・ ボイド ・ ベントン (Benton, Linn Boyd 1844-1932)によって、1884年に活字父型彫刻機(Punch Cutting Machine)として実用化された「機械式活字父型 ・ 母型彫刻機、俗称ベントン彫刻機 」 による活字父型 ・ 母型製造法は、その実用化から40年後ほどでわが国の印刷局 ・ 東京築地活版製造所 ・ 三省堂にもたらされた。 そして1950年頃に国産化された。
しかしながら、アメリカでの実用化から128年、わが国での国産化から62年の歴史をもって、事実上幕をおろすこととなった。
いっぽう台湾では、CAD のシステムをもちいて、すでに相当のレベルで活字母型製造がなされるようになった。
わが国も、身体性をともなった造形活動基盤の維持のために、あたらしい 「 活字母型製造法 」 への対応を急がなければならない時期となっている。
【 参考資料 : 花筏 タイポグラファ群像*004 安形文夫 ベントン活字母型彫刻士 】
【 参考資料 : アダナ・プレス倶楽部 台湾でつくったCAD方式による活字母型 と 初号活字 】