朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部会報誌 2014年秋 第26号 表紙 1 ・ 表紙 4 活版印刷 A5 判 4 版 4 度刷り
Viva la 活版 ―― すばらしき活版印刷
2014年、今回は、火の山 ・ 櫻島と、紺碧の海 ・ 錦江湾にのぞむ
鹿児島の 重要文化財施設 尚古集成館で
<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> を開催いたします。
【 名 称 】 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO
【 会 期 】 2014年11月1日[土], 2日[日], 3日[月 ・祝] 3日間
【 時 間 】 開場 8 : 30 ― 閉場 17 : 30
【 会 場 】 仙巌園〔磯庭園〕 尚古集成館本館 展示室 鹿児島県鹿児島市吉野町9700-1
【 主 催 】 朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部
尚古集成館 http://www.shuseikan.jp/ 仙巌園 http://www.senganen.jp/
朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 http://robundo.com/adana-press-club/
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【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 01 開催のお知らせ 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 02 告知はがき印刷篇 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 03 お先でゴアンド 鹿児島を往く 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 04 薩摩藩と三代木村嘉平の活字 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 05 鹿児島 おすすめ情報Ⅰ 仙巌園/尚古集成館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 06 鹿児島 おすすめ情報Ⅱ 長島美術館 】
【 関連情報 : Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO - Report 00 番外編 しろくまは カゴンマ de ゴアンド ! 花筏 】
《 鹿児島 ―― お先で ゴアンド AD バッカス松尾 鹿児島を往く 》
朗文堂 アダナ ・ プレス倶楽部季刊会報誌 2014年秋 第26号は <第 17 回 活版ルネサンス> 情報のほかは、開催が間近にせまった <Viva la 活版 ―すばらしき活版 Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO> の大特集となりました。
特集は、開催趣旨の説明に続いて、会場となる 仙巌園センガンエン/尚古集成館と、鹿児島市街地散策マップが、バッカス松尾製作による詳細図版で紹介されました。
それに続き 【 連載 活字版印刷豆知識 26 】 は、急遽 <鹿児島と活字版印刷術 ◯ 薩摩辞書 ◯ 木村嘉平活字> に差しかえられ、さらに好評な巻末連載 【 活版まんが 】は休載となって、【 会員からのお知らせ 】 として <鹿児島グルメ情報> が収録されるにぎやかさとなりました。
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なお、本項では活火山 : 櫻島をしばしばとりあげます。
櫻島は鹿児島市中心部の東岸 (直線距離 ≒ 4 km) の錦江湾内に位置し、カーフェリーが頻繁に往復しています。その櫻島は1980-90年代に比べればかなり沈静化していますが、いまなお活発な火山活動を続けていて入山規制(登攀禁止)がしかれています。
鹿児島市は櫻島の東よりの海岸にあるため、偏西風のせいもあって比較的降灰はすくないのですが、風向きによっては、ときおり市内にも火山灰がふりそそぎます。
櫻島には、山麓を通過する二車線の舗装道路があり、公園や観光施設もたくさんあって、立ち入りはできますが、以前から入山規制があって、櫻島への登攀は禁じられています。
そして、このたび御嶽山の突然の噴火により、被害に遭われた皆さまに心からお見舞いを申しあげます。
また、不幸にして亡くなられた方方には心より哀悼の意を表します。 さて、地図の製作を依頼されたバッカス松尾です。
バッカス松尾は、関東平野の真っ直中、海の無い県 : 埼玉県に生まれました。 これまで鹿児島はもちろん、九州はほとんど訪れたことがなかったのですが、たまたま新妻 : ゆみ夫人の郷里が宮崎で、今回はゆみさんの親戚の結婚式に参列のために、夫婦で08月下旬に宮崎を訪れ、そこから足をのばして、高速道路を利用しての鹿児島入りでした。
ここのところ、幕末偉人録の読書に熱中しているバッカス松尾にとっては、資料や小説のなかの人物に過ぎなかった多くの薩摩藩士の生誕地や、そこに建つ銅像や記念碑、紺碧の錦江湾、サラマンダーさながら火焔の山 : 櫻島を眼前にして、その昂奮たるや頂点に達したようです。
それでもそこは、わがアダナ ・ プレス倶楽部 AD バッカス松尾のことゆえ、市販の地図や、観光案内図とはひと味ちがう、利便性のたかい地図を製作されました。
《 市電が走るまち 鹿児島は、薩摩島津家ゆかりの ◯十 丸に十 の字 の紋章であふれています 》
鹿児島市は九州南部に位置する市であり、鹿児島県の県庁所在地。人口およそ60万人のまちです。
南九州の拠点都市で、ふるくから薩摩藩90万石の城下町として栄えてきました。
また近代日本の黎明期、明治維新において、薩摩藩は、政治家、官僚、軍人など数多くの傑出した人物を輩出し、近代日本建設の礎となったことはご存知のとおりです。
鹿児島県は九州の南端にあり、ふかく切れ込んだ入り江の錦江湾を抱くように、地図向かって左側が薩摩半島、右側が大隅オオスミ半島、そして奄美地方などの多くの島嶼部からなります。
鹿児島市は薩摩半島にあり、櫻島は 4km ほど西の海上にあります。この間はカーフェリーを中心とした航路で結ばれていますが、この櫻島も大半は鹿児島市に属しています。
櫻島の東岸は大隅半島と陸路で接し、大隅半島側は比較的のどかな田園地帯がひろがっています。したがって薩摩半島から大隅半島への渡航の足としても、カーフェリーは頻繁に往来しています。
【 参考資料 : 鹿児島市観光サイト/本物の旅 かごしま 】 鹿児島市民はもっぱら「磯庭園」と呼ぶあたりは、市内中心部からは15-20分ほどで、「まち巡りバス」が頻繁に巡回しています。ただし狭い海岸べりに国道と鉄道が併走しているために、朝夕の道路はいくぶん混雑が目立ちます。
ここは元 薩摩藩藩主:島津家の別邸で、櫻島を築山ツキヤマに、錦江湾を池にみたてた壮大な大名庭園で、「仙巌園 センガンエン」が正式名称です。 19世紀の中頃にはヨーロッパの機械文明を取り入れた研究が進み、第28代当主 : 島津斉彬ナリアキラのもとでの集成館事業として、反射炉や溶鉱炉が造られ、日本における近代工業化の発祥の地となりました (現 ・ 尚古集成館)。
この仙巌園と尚古集成館が、今回の<Viva la 活版 薩摩 dé GOANDO>の会場となります。 《 一撃必殺の剣法 薩摩示現流にバッカス松尾が挑む ―― 見て欲しい、この見事なまでの へっぴり腰 》
示現流 ジゲンリュウ とは、薩摩藩を中心に伝わった古流剣法で、流祖は東郷重位とされています。
薩摩藩内では江戸後期に島津斉興よって「御流儀」と称され、島津家分家の佐土原藩を除き、藩外の者にこの剣法を伝授することを厳しく禁じられていた、薩摩藩の「御留流」剣法でした。 薩摩示現流は幕末期になると京阪や江戸でもしられ、その裂帛の気合いと、骨肉ともに断ち割るすさまじいまでの斬撃剣法は、一撃一殺の剣法として懼れられました。
示現流では 「一の太刀を 疑わず」、あるいは 「二の太刀 要らず」 とされ、髪の毛一本でも早く打ちおろせ(雲耀 ウンヨウ) と教えられます。このとき腹の底から発せられる裂帛の気合 「チェストー」 と、初太刀から勝負のすべてを掛けて斬りつける、 「先手必勝」 の鋭い斬撃が特徴です。
稽古には柞 ユス の木の枝を適当な長さに切り、時間をかけて十分に乾燥させた木刀をもちい、蜻蛉 トンボ と呼ばれる構えから、立木に向かって気合と共に、左右激しく連続して斬撃する「立木打ち タテギウチ」 など、実戦を主眼に置いた稽古を、ひたすら反復することに特徴があります。
そのときに発するかけ声は 「猿声 エンセイ」 とも呼ばれ、「チェストー、キィエーイ」 などの奇声を発します。
薩摩示現流は、いまは警視庁において流祖 : 東郷家によって伝承されているそうですが、その展示室と、稽古場が「仙巌園」にもあります。 それをみたバッカス松尾、なにをどう勘違いをしたのか、示現流の稽古にいどんだようです。
まぁ黙って見てやってください。このあわれ モトイ 見事なまでのへっぴり腰を。ちいさく ちぢこまった腕を。
これでは一撃一殺はおろか薩摩大根も切れないでしょうし、遠くない将来にやってくるであろう夫婦げんかでも惨敗必至ですね。 《 こころは海援隊 : 坂本龍馬の心境で、航路はるばる ― わずか4km の櫻島へ波を蹴たてて渡航 》
鹿児島はふるくから「新婚旅行の地」とされます。ときは幕末。維新の志士 : 坂本龍馬が、内縁の妻 : りょう をともなって鹿児島を訪れたことから発したようです。
坂本龍馬の足跡をおって、すでに土佐の高知まで出かけたほど、坂本龍馬大好き人間のバッカス松尾にとっては、龍馬と りょう が手を携えて振り仰いだであろう櫻島と、その眼前にひろがる錦江湾の金波銀波をみたとたん、そこはさすが海無し県 : 埼玉のひとらしく、
「このはろばろと広い、おおうなばらを渡ろう!」
と決意したそうです。
お断りしておきますが、鹿児島市中央部と櫻島間は指呼の間、わずかに 4km で、大海原というほどのものではありません。あっという間の15分ほどで到着します。
ところがこのとき、バッカス松尾、折悪しく モトイ かの龍馬と同様に、新妻 : ゆみさんを伴っての鹿児島入りでしたから、新婚旅行に訪れた坂本龍馬をしのぶ舞台設定は完璧でした。
鹿児島から櫻島へのフェリーは、仙巌園/尚古集成館からほどちかくに乗船所があります。
このあたりの護岸には、「薩英戦争」-1863年8月15-17日-に際して薩摩藩と英国艦船が闘った折の、なまなましい銃弾や砲弾の痕跡が護岸のあちこちでみられます 【 ウィキペディア : 薩英戦争 】。
フェリーの旅は快適で、前方には噴煙をあげる櫻島がそびえ、ふり返ると仙巌園と尚古集成館がある 「磯庭園」 が山肌に抱かれて広がっているのがみられます。 バッカス松尾一行が櫻島に航路はるばる、わずか 4km の海路の航海をおえて櫻島に上陸するまで、火山は噴煙こそ上げていたものの、穏やかだったようです。
それが展望台について間もなく、突然轟音とともに小爆発がおこり、黒い噴煙をモクモクと吐きだして驚いたそうです。めったに見られぬ光景だと夢中でシャッターを切ったそうです。
ときは2014年08月31日のこと。 それからほぼ一ヶ月ののち、09月27日の正午頃、御嶽山が爆発して多くの死傷者をだしました。 お亡くなりになったかたがたのご冥福をお祈りするともに、つねひごろ活火山とともに生活されている鹿児島県の皆さんのご苦労もしのばれます。
観光客としてはめずらしい光景と櫻島の迫力には興奮と感動をおぼえますが、そのパトスを体感で享受しながらも、ままならぬ自然の存在と、それを忘れがちな人類について、あらためて考えてみる機会にもなろうかとおもいます。 しばらくのちに、御嶽山の惨事が待ちかまえていることなど露知らぬバッカス松尾です。
このひと、恐竜のフィギュアと、 SP レコードのコレクターでもありますが、ナント 櫻島には恐竜公園があり、そこにたくさんの恐竜が展示されていて、昂奮 いやまさるものがあったようです。
独身時代のバッカス松尾は、恐竜のフィギュアを大小様様、数十体も所有していました。狭いアパートは、恐竜と、ふるいレコード盤であふれ、それらのコレクションアイテムが、押し入れや収納場所のすべてを占拠していました。したがって収納場所のない布団はいきどころを失って、敷きっぱなしの万年床でした。
結婚に際し、当然ながらこれらの「不要品」、なかんずく [コレクター以外には薄気味悪い ]恐竜フィギュアは、ゆみ夫人に破棄を厳命されたようですが、なんとか三拝九拝してお許しをいただいたものが、十体ほどのこされているそうです。
それでも偽装をこらし、隠匿してあるものが数体はあるはずだとやつがれは睨んでいますし、近近ゆみ夫人による家宅捜索があるやもしれません。
ともかくバッカス松尾、櫻島の恐竜に狂喜乱舞だったようです。最下部の恐竜の体内にもぐり込んでの得意げな写真、なんと評すれば……、とても四十男のやることとは ? どうしてもおもえないのだが……。
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ふたたび鹿児島市内にもどった一行は、市内のあちこちを車であわただしく回り、「取材」をかさねたようです。それらのすべてが、バッカス松尾特製 <かごんま市街地散策 MAP > に盛りこまれました。 《 バッカス、松尾はともに酒の神です。甘党のかたに 鹿児島特産の氷菓 「 しろくま 」 情 報を 》
バッカス、松尾 ―― ともに酒の神として祭られる存在です。
鹿児島では海の幸、山の幸を満喫し、お酒もずいぶん進んだようですが、取材を依頼しておいた鹿児島名物の氷菓 「 しろくま 」 の取材は、辛党 酒の神/バッカス松尾、案の定 華麗にスルー。懼れていたとおり取材 ・ 体験を敢行しなかったようです。
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