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【活版カレッジ】 2015年春期夜間部講座 全課程を終了

活版カレッジ
<活版カレッジ>は、科学と、学術的根拠にもとづいた実技と実践を基盤とし、小型活版印刷機 Adana-21J ,  Salama-21A によるケーススタディ ・ メソッドをふんだんに駆使し、あたらしい時代の活版印刷の現場での、現実的な課題の解決方法を学ぶことを目的とします。

<活版カレッジ 2015年春期講座>は、04月08日-06月18日、三ヶ月、全09回にわたって開講され、2015年06月18日最終講座をもって全課程を修了されました。
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<活版カレッジ>は、基本的に春夏秋冬と、年に四回開講されますが、ここ数回にわたって事前のご予約者が多く、ほとんど一般公募ができない状態がつづいています。 すでに七月開講の夏期講座は満席ですし、秋期講座にも相当数のご予約をいただいております。

ともかく受講のご意思のあるかたは、アダナ ・ プレス倶楽部 e-mail adana@robundo.com » send email  まで受講希望の意向をご連絡ください。 一般公募に先だって、あらためてご案内をさしあげます。
詳細は <アダナ ・ プレス倶楽部 教室のご案内 Salama-21A 操作指導教室 >をご覧ください。
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活 版 歳 時 記 ―― やつがれの辞書には<雑艸 まして 雑草>ということばはない。

サイスケ
 コト 姫女菀(ヒメジョオン)の ことども
3640uu235uu朗文堂 アダナ・プレス倶楽部 <活版カレッジ 2015年春期講座>の開講にあたって、やつがれが元旦に播種した「野沢菜の花」と、古谷昌二氏の写真による、神奈川県の山中で開花していた「三椏 ミツマタ の花」を紹介した。
【開講時の報告 : [活版カレッジ] 2015年 春期夜間部講座 開講のお知らせ 04.13 掲載 】
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そのおり、ベランダ花壇ではあるがたいせつにそだてている<サイスケ>のことも紹介した。
<サイスケ> は、鹿児島市長田町の五代友厚生誕地をたずねたとき、石垣の割れ目にチンマリと張りついていた、まるで地苔類かとおもわれるほどのちいさな野艸を、三株、たばこの空き箱にいれて持ち帰ったものである。
かにかくに、五代友厚 ( 1836-85  幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) は、そのうちに各方面であらたな震撼をあたえるとおもわれるが、いまのところはまだ静かにしておこう。
【 ウィキペディア : 五代友厚

サイスケの写真は、上から二葉が採種現場(2014年11月上旬)。
以下ベランダの鉢植えで、2015年03月末、04月末である。
冬を越した直後はデージーかとおもったが、どうやら世間一般では雑草の代表のように、忌み嫌われている、名を知らぬ野草のようでもある。
やつがれは雑草という名の艸はないと常常いっている。 むしろいかにも五代友厚の生家跡に育つ艸らしくて面白いとおもう。 どんな花が咲くのか、しっかり見まもりたい。

DSCN8651 DSCN8664DSCN8561DSCN8652<サイスケ>は意外にやつがれを手こずらせた。五月の連休明けに鉢植えの艸花のほとんどが、ノー学部の見立てで「うどんこ病」の症状を呈したので、消毒スプレーを噴霧したり、一部は土がえをしたりしていた。
四月の中旬頃にはある程度(いやな)予感はしていたが、花をつけたとき、ようやくノー学部が<サイスケ>のなまえを調べてくれ、どこか投げやりに報告した。
「サイスケはヒメジョオンという艸でした。キク科ムカシヨモギ属の外来植物です」
すぐにいたく気分を害した。やつがれがこうなるのがわかっていたから、ノー学部はいつものようなプリントも用意せず、メモ一枚だけの投げやりな報告だったのだ。
DSCN9811 DSCN9813さっそく一枚のメモを手に、植物図鑑をひもとき、またウィキペディアもみた。
こういう場ではしかたがないのだろうが、ウィキペディアの最後の一行が…… 。いかんせん気になった。もうすこしだけ艸花に愛情をもってですね、記述していただけなかったのかと。
冬のあいだは、やつがれの郷里で「貧乏草」と呼ぶ、ハルジオン(春紫、学名: Erigeron philadelphicus )かもしれないとひそかにおもっていた。こちらは、花ことばこそ「追想の愛」とけなげだが、ウィキペディアの解説は、情け容赦もない。

【 ウィキペディア ハルジオン 】
ハルジオン(春紫菀、学名 : Erigeron philadelphicus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。北アメリカ原産で、日本では帰化植物となっている。ヒメジョオンと共に、道端でよく見かける。一部の地域では「貧乏草」と呼ばれ、「折ったり、摘んだりすると貧乏になってしまう」と言われている。花言葉は「追想の愛」。

【 ウィキペディア  ヒメジョオン 】
<形態・生態>
ヒメジョオン(姫女、学名:: Erigeron annuus )は、キク科ムカシヨモギ属の植物。背の高さが50-100cmにもなる、白い花を咲かせる一年草である。同属のハルジオンと共に、道端でよく見かける雑草である。

若い時期は、根本から長い柄のついた丸みを帯びた葉(根出葉)を付ける。やがて、が高く伸びると、根本の葉は無くなり、茎から出る細長い葉だけになる。茎と葉は黄緑色で、まばらに毛が生える。

茎は初めは枝分かれせず、先の方で数回の枝分かれをして、白か薄紫の花を咲かせる。花はヒマワリのような形だが、周りの花弁がとても細い。また、ヒメジョオンの花に見えるものは頭状花序で、小さな花の集まりである。中央の黄色い部分は、管状花といい、周辺の花びらのようなものは、舌状花という。花の時期は初夏から秋にかけての5-8月である。また、花弁の白い部分がやや紫がかる個体が見られることもあるが、これは清浄な空気の中で育った時にできるものである。

1個体あたり47,000以上のを生産し、さらにその種子の寿命が35年と長いこともあり、驚異的な繁殖能力をもっているしたがって、駆除がとても難しい。

<分布・生育地>
北アメリカ原産で、ヨーロッパ、アジア(日本を含む)に移入分布する。
日本には1865年頃に観葉植物として導入され、明治時代には雑草となっていた。現在では全国に広がり、山間部にも入り込んでいる。在来種の植物の生育を邪魔する可能性があり、とくに自然豊かで希少な植物が多く生育する国立公園や亜高山帯では問題となる。そのため、ヒメジョオンは、ハルジオンとともに要注意外来生物に指定されているほか、日本の侵略的外来種ワースト100にも選定されている。

おもへらく、どうもわが国近代の植物の命名は、感性と情緒に乏しいのではなかろうか。
先に紹介した手漉き紙の材料となる植物は、枝分かれがみっつにわかれるからとして「ミツマタ 三又、三椏」とするのは、形而下での即物的な命名でしかない。

みつまた ( 三椏 ・ 三叉 ) は中国原産のジンチョウゲ科の落葉低木で、わが国でも暖地に栽培されています。 その枝はかならず三つにわかれることからその名がうまれました。樹皮の靱皮をとって手漉き紙の材料とします。
櫻にさきだって、黄色の筒型小花をつけ、つよいかおりを発するので 「 結香 ムスビキ」 の和名もあります。 中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とされます。

かつてのわが国でも「ミツマタ 三又、三椏」を、沈丁花ににも似たそのつよいかおりをめでて 「 結香 ムスビキ」 の和名をあたえていた。また、中国ではその色合いとかおりをめでて 「 黄瑞香 」 とする。
京都のいわゆる「哲学の道」にはこの灌木がたくさん植栽されており、喧噪のときとなる櫻の開花にさきだち、辺り一面つよい芳香につつまれる。川面をわたる風はまだつめたいが、観光客の殺到もなく、京都のもっともよいときでもある

もしかすると<サイスケ>のとおい祖先は、原産地の北アメリカ大陸から、中国をへて、わが国に渡来したのかもしれない。したがってその名がいわゆる「漢風」になっており、現代のわが国ではしばしば間違って読まれ(音され)ている。
つまり、ヒメジョオンに「姫女菀」の名を、ハルジオンに「春紫菀」の名(漢の字)をあたえた中国人の心性はけなげである。ちなみに「菀  wan」とは、きく科の艸の名前であり、盛んに茂るさまをあらわす。

かにかくに、やつがれ、ウィキペディアからは<道端でよく見かける雑草で、驚異的な繁殖能力をもち、駆除がとても難しい>と酷評された野艸を、はるばる鹿児島の五代友厚生誕地から、コンクリートの割れ目で採取し、<サイスケ>と名づけて花が咲くまでそだててきた。
わが家の<サイスケ>は、「うどんこ病」にはかかるし、少しでも灌水をおこたるとすぐにヘナッとなるほどのわががまであり、虚弱体質でもある。

DSCN0161「朗文堂 ちいさな勉強会 古文書解読法講座」 講師 : 古谷昌二さん
五代友厚(才助)宛の書簡

ともあれ、寒い冬の朝を、毎日<サイスケ>と挨拶を交わしあってきた。これからはヒメジョオン(姫女)の驚異的な繁殖力とやらを見まもりつつ、しのつく梅雨の日日をへて、暑い夏の日日をむかえたいものである。
七月第一週からは、はやくも<活版カレッジ 夏期夜間講座>がはじまる。
そして春期講座の修了生の皆さんは、<活版カレッジ Upper class>のメンバーとなった。
そして近代タイポグラフィの幕開けにはたした五代友厚 ( 1836-85  幼名 : 徳助、通称 : 才助 ) のおおきな功績が、徐徐に解明されつつあるいまである。