朗文堂 新刊書籍『書字法・装飾法・文字造形』
2月8日発売
編集子のつぶやき
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ジョンストンの比率をご存じですか──? このことばに最初にぶつかったのはヤン・チヒョルトの著作を読んでいたときでした。チヒョルトはしばしば著作のなかでエドワード・ジョンストンの言説を引用していますが、紙葉や書物のマージンの取り方のよき典型例として「Johnstonian ratio」を紹介して、それをさらに応用展開して 論理的でビジュアルも美しく映えるマージン設定を提示することに成功しました。
このジョンストン比率とは、多くの古文書の調査から導きだされたもので、ウィリアム・モリスをはじめとする当時の印刷者やカリグラファにおおきな影響を与えました。ジョンストンは写本のような紙葉のばあいは、紙の長辺を15−16等分した長さを 1として、天のアキ(top margin)を2、左右のアキを2.5、地のアキ(botton margin)を4とすることを推奨しました。また書物のような見開きページの場合は、天と地のアキをかえずに、小口のアキを3、ノドのアキを1.5とするというのが原則でした。 これをマージンの基準として、さらにマージン全体をちいさくしたいときは、紙の長辺を19−20等分した長さを 1とすれば、基準則った無理のないマージンが得られるとしたのがジョンストン比率でした。 * 本書に登場する英国系の人物と、それに感化されたり、おおきな影響や刺激をうけたとみられるひとびと、とりわけチヒョルトらのドイツ系のひとびとの生没年を並べると、奇妙な風景が見えてきます。 まず最初に不幸なふたつの世界大戦が見逃せません。第一次世界大戦(1914−18)、第二次世界大戦(1939−45)とそれにつづく世界的規模の大不況などが、あたらしく、意欲的な造形をめざしていたひとびとにとってどれほど苛酷で、精神的な意味でも環境的にもおおきな被害であったかがわかります。 Edward Johnston(1872−1944) John Ruskin(1819−1900) William Morrris (1834−1896) William Richard Lathaby(1857−1931) Sydney Carlyle Cockrell(1867−1962) Arthur Eric Rowton Gill(1882−1940) Thomas James Cobden Sanderson(1840−1922) *Anna Simons 卒業生・独訳者* Harry Count Kessler(1866−1937) Rudolf Koch(1876−1934) Jan Tschichold(1902−1974) *第2次世界大戦* Gudrun Zapf von Hesse(1918− ) Hermann Zapf(1918− ) ドイツにうまれ、ナチの統治下の強圧からスイスにのがれたチヒョルトがうまれたのはここに紹介するあたらしい造形運動家たちとは親子ほどの年齢差があり、またただひとり20世紀になってからのことでした。すなわちチヒョルトはユーゲント・シュティールやアーツ&クラフト運動、個人印刷所運動などが沈静化してから誕生し、当初はほかの「あたらしく見えるもの」に挑戦的な視線をむけていったのです。 そしてチヒョルトより16歳ほど年下のヘルマン・ツァップ氏は否も応もなく、ドイツ軍の地図作成部隊に召集されていましたが、戦争中もジョンストンの著作で素描やデッサンの独習をかさね、現在はイギリスを中心に結成された「エドワード・ジョンストン財団」の名誉総裁をつとめています。戦後にそのツァップ氏の夫人となったグートルン・フォン・ヘッセ氏も、ギルド制のもとで製本師としての徒弟修業にはげむいっぽう、戦火をのがれながら、ルドルフ・コッホとジョンストンの著作でカリグラフィの独学をすすめざるをえなかった不幸な時代でした。 ここでいうあたらしい造形運動とは、ロシア・アヴァンギャルドでもバウハウスの造形のことでもありません。それはヴィクトリア朝様式につづいて全欧州をおおったあたらしい芸術・工芸の様式で、各国でユーゲント・シュティール、ウィーン分離派、アーツ&クラフト運動、個人印刷所運動などと呼ばれていました。 それぞれ名称はちがっても、いずれも「アール・ヌーヴォー・art nouveau・あたらしい芸術」をめざしており、形象的な特徴としては曲線的で有機的な造形と、中世の文字スタイルへの顕著な復古が見られたことです。 アール・ヌーヴォーは19世紀末のイギリス、ベルギー、フランスにおこったもので、第一次世界大戦の前にドイツ、オーストリア、イタリアに波及し、建築・工芸・印刷から絵画・ポスター・風俗の変化にまでいたったあたらしいデザイン思潮でした。その造形の特徴は日本の絵画や浮世絵などの影響もあって、植物の枝やツルをモチーフとして、曲線的な流れを特色としました。 このアール・ヌーヴォーはウィリアム・モリスらによる機械生産品を否定し、芸術と工芸を統合して「手工業によるものづくり、すなわちアーツ&クラフト運動」を源流としましたから、「手づくりによるモノづくり」とはいいながらも、決して安価で庶民的なものであったわけではなく、むしろ高価で高踏的でもあって、一部からは貴族趣味と攻撃されたほどでした。 こうした運動家としてイギリスの版画家/オーブリー・ビアズリー(Aubrey Beardsley 1872-1898)、ビアズリーの好敵手で印刷家でもあったチャールズ・リケッツ(Charles Ricketts 1866−1931)、フランスのポスター作家/アンリ・トゥールーズ・ロートレッ ク( 1864−1961)、チェコスロヴァキアのやはり印刷工アルフォーンス・ミュシャ(1860−1939)などをあげることができます。 また1897年4月 オーストリアの芸術家協会から若手グループが分離独立して、ウィーン分離派、すなわち画家のグスタフ・クリムト(Gstav Klimt 1862−1918)らを代表としてウィーン造形芸術家連合を結成しました。この分離派の運動は、ウィリアム・モリスの主張と行動と精神的なつながりを有しており、書物、グリーティング・カードなどの印刷物を含む日常生活用品のデザインにおいて、純粋美術と応用美術の密接な結合を模索していました。こうした活動は「ウィーン工房」を中心としていましたが、第一次世界大戦の影響と、その後の世界恐慌がもたらした経済的な苦況から閉鎖を余儀なくされました。 * 本書の冒頭でノエル・ルークが述べているように、ジョンストンの装飾技術学科の講座を卒業したアンナ・ジモンズ(生没年不詳)が1910年ころにドイツ語訳を完成して『書字法・装飾法・文字造形』のドイツ語版が刊行されたようです。 おりしもドイツでは「ゴシック・ブラック・レター体」から「ルネサンス様式のローマン体」への移行の風潮がみられました。したがってルドルフ・コッホはすぐさま類似の手引き書を刊行しましたし、最初期のチヒョルトにはコッホからの影響が深甚でした。また初期のロシア・アヴァンギャルドからの影響が顕著にみられたころの作品も、丹念に見ていくとユーゲント・シュティール、いいかえるとアーツ&クラフト運動や、ジョンストンからのおおきな影響も見逃せません。 チヒョルトはのちにはルドルフ・コッホには反発して、ジョンストンやギルの著作を学びなおして、またイタリア・ルネサンスのジョンストンが発見できなかった作品の発掘と考察を通じて、独自の理論と造形の形成に挑戦するようになったことはご存じのとおりです。そしてチヒョルトのコンポジションとおもわれている作品の中には、驚くほど巧妙な「Johnstonian ratio」が縦横に使われており、そのことをチヒョルトは 著作の中でも公開しています。 * 邦訳書の刊行にあたっては、なによりもまずさいしょに翻訳者の遠山由美氏の献身的なご努力に感謝しなくてはなりません。遠山氏は翻訳がご専業ではなく、むしろ日本語でも英語でも読めるという「Dual Letter」の実践者でしたが この困難な書物の翻訳に果敢に挑戦していただきました。また「Dual Letter」の モノグラムによるカリグラフィ作品を本書のジャケットの装幀に提供くださいました。 同書の翻訳・編集にはペーパーバック版をおもにもちいましたが、確認や図版引用はハードカヴァー版をもちいました。編集部の所有書と友人などからお借りしたものは、いずれも原出版社のピットマン社の刊行書でしたが、ハード・カバー版はどれひとつとして同じ版はなく、初版、15版、1945年版、1949年版であり、ふしぎなことに外題には「& and ・,」などがバラバラにタイトルにもちいられていました。 そこで訳者とも協議の結果、邦題を『書字法・装飾法・文字造形』として、英文での表記は「WRITING, ILLUMINATING, AND lETTERING」としたことをお断わりします。 何分世紀をこえた、およそ百年も前の書物でしたし、翻訳者のご苦労も多く、確認に手間取ることが少なくはありませんでした。それでも専門用語の確認と統一には『カリグラフィー辞典』(ローズ・フォルサム著 須子桂子訳 一寸社)がとても有効な書物だったことを皆様にもご報告させていただきます。また「Edward Johnston Foundation」の有力メンバーに友人の河野英一氏がいて、なにかとご協力いただきました。ありがとうございました。 冒頭に「百年間お待たせしました」としるしました。本書がわが国の造形にとっておおきな意味をもってくれる書物に育つかどうか、祈るような気持ちで、下版作業の慌ただしいただなかでこの拙い文章をしるしています。カリグラフィを愛する皆さまのおおきな愛情につつまれて、本書がわが国に着実に根をはり、葉を茂らすことを願って……。 (この項 文責/片塩二朗) |