【展覧会】間村俊一 版下ガラパゴス

 

【展覧会】  間村俊一 版下ガラパゴス
【会 場】  ウィリアム モリス  珈琲&ギャラリー
          会場案内図:こちら
【期 間】   2013年05月01日―05月31日
        12:30-18:30 日・月・祝日と第3水曜日は休業
※昨今絶滅危惧種に指定された版下原稿を完成した書物とともに展示します。
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卯の月 4月がおわり、きょうから五月サツキです。
皆さまご健勝で、GWを楽しみ、お仕事にいそしまれておられることと存じます。
朗文堂では例年この時期には《活版凸凹フェスタ》を開催してまいりましたが、ことしは7月に移行した《Viva la 活版 Viva 美唄》の開催準備で、その作品づくりと、タイポグラフィ・ゼミナール資料整備のために、結局連休はふきとんでしまいました。

【おぼろ月 と 穀雨 コクウ】
春の終わりのころに、穀物をうるおす春の雨を「穀雨」といいます。またこの季節の終わりには八十八夜もおとづれます。雨上がりの日には、みごとなおぼろ月もみられますが、なにかと雨の多い季節です。




ことしは「爆弾低気圧」などと呼ばれて、かなり暴れていましたが、じつは「穀雨」の名がしめすように、春の雨は作物にとっては恵みの雨です。ですからこの時期の雨には、さまざまな名前がつけられています。

穀物をはぐくむ雨を「瑞雨 ズイウ」といい、春の艸木をうるおす雨を「甘雨 カンウ」といいます。春の長雨は「春霖シュンリン」、はやく咲いてちょうだい……と開花をうながす「催花雨 サイカウ」、菜の花の咲くころに降る「菜種梅雨」、そしてながく降りすぎて、うつぎの花が腐ってしまうことをあんずる「卯の花くずし」などの情緒ゆたかな名称があります。


装本家にして俳人/間村俊一氏は、展覧会に際して一句ものしています。

    初夏の 版下あはれ 書物果つ

「版下」とは、写真製版を前提とした製版工程の前作業のことで、写植活字文字組版、レタリング、図表などを厚手の台紙に貼っていたものを指します。
この「版下」ということばは、使用期間が短かったので、英語もさまざまで定着せずに、Comprehensive, Comp., Block Copy,  Camera-ready Copy などと様様に呼ばれていました。
わが国でも「関西では はんじた」と濁り、「関東では はんした」と清音がふつうでした。周囲の絶滅危惧種の年配者 !? に聞いてみたらおもしろいかもしれません。

関東と関西の距離感がなくなり、ことばもほとんどが共通語になりましたが、意外に印刷界に頑固にのこっていることば(業界用語)が、パッケージ製作などにおける型抜きの「トムソン抜き、ビク抜き」のようです。
こうした違いをもたらした原因は、輸入代理店のちがいから、「関西ではThompson社製の機械がもちいられたことが多く、その作業をトムソン抜きと業界用語で呼んだ」。いっぽう、「関東ではVictoria社製の機械がもちいられたことが多く、その作業をビク抜きと業界用語で呼んだ」とする説が有力です。

間村俊一さんは、ご自身のことをあまりお書きになりません。ですから「版下 を はんじた、はんした」のどちらで呼ばれているか、「トムソン抜き/ビク抜き」のどちらをもちいているかは、わかりません。その「版下」の名前はともかく、絶滅危惧種!?「版下製作」に従事したかたは、もう45-50歳以上になったようです。

ところで手狭な小社には、マップケースいっぱいの「版下」が、捨てるに捨てられずにたくさんあります。そして印刷工場には、保管を依頼している製版フィルム(ポジフィルム)が山積みで、もっと歴史のある活版印刷工場には「紙型 Paper mold,  Paper matrix」が山をなしています。

ある印刷工場主がこぼしました……。
「毎年 年末に、紙型とポジフィルムの処分許可を出版社に文書でもうしでているんだけど、わかい担当編集が、紙型? ポジフィルム? よく分からないのでそのまま保存してください」
中堅老舗印刷工場といえる同社には、床面積でいったら、ほんとうにテニスコート一面分ほどの「紙型・フィルム」がうずたかく積まれ、ほとんど出番のないままに眠っています。
印刷設計士(グラフィックデザナー)、編集者などが、印刷の現場を訪問しなくなって久しいものがあります。
間村さん、あはれなのは「版下」だけでは無いようですよ。

新宿私塾第22期がスタートしました。



新宿私塾第22期生の皆さん(2013年04月02日)

《新宿私塾第22期、スタート》
例年になくはやく櫻が開花した春でした。
おりしも春爛漫、若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞い、いのちが輝く、とても良い季節の2013年04月02日[火]、新宿私塾第22期が開講しました。
新宿私塾第22期生は、これまでの塾生諸君とおなじように、とても意欲的で、向上心と個性のつよい若者、それも珍しく男性がたくさんあつまりました。

まだ03月05日に修了したばかりの、きわめて活発かつ賑やかだった21期生のむくもりが、あちこちにのこっているような教場でした。
それでも早速、新宿私塾第22期、第1回目の講座では、カリキュラムの説明につづいて、制限時間各自1分間の自己紹介があって、ここに集まった塾生同士が、年齢も経歴も職場・学校環境などがさまざまなことに、塾生諸君はあらためて驚いたようです。これが新宿私塾の魅力のひとつでもあります。

すなわちここには、現役の藝術大学・美術大学の学生もいます。もちろんすでに造形者としての職業人も、異分野で活躍する職業人もいます。
それでも造形者、タイポグラファとして、いっそうの向上をめざすという一点において、こころざしをおなじくする仲間であることを確認します。
ですから30分ほどの短い開塾セレモニーのあいだに、次第に緊張がゆるみ、笑い声ももれるようになりました。

みじかい開塾式のあとは、いきなり、たくさんの資料が机上にならび、パソコン映像を併用しながら「タイポグラフィをまなぶこととは」の講義がはじまりました。
「形而上の文と、形而下の字」「コミュニティとコミュニケーション」……。一見むずかしそうなテーマも、実例と資料をもとに諄諄ととかれていきました。

新宿私塾では、タイポグラフィにおける「知・技・美」のバランスのよい学習をモットーとしています。それはまた「知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず」という、つよい自戒をともないます。

新宿私塾第22期は、早春の2013年04月02日にスタートし、早秋の2013年09月10日に修了します。この半年のあいだ、塾生の皆さんがおおきな収穫が得られるように、講師陣はもとより、200名をこえた「新宿私塾修了生」の皆さんも、精一杯の努力と応援をいたします。

《恒例の 新宿私塾第22期カリキュラムの表紙デザインの紹介》

新宿私塾第22期カリキュラム 表紙  (Design : 講師 杉下城司さん) 

新宿私塾第22期カリキュラムの表紙は Jean François Porchez(ジャン・フランソワ・ポルシェ)の「パリジーヌ Parisien シリーズ」 が中心です。
新宿私塾では、半年間の受講期間のあいだに、和文活字でも欧文活字でも、どちらでもかまわないのですが、できるだけ「My Favorite Type ── わたしのお気に入りの活字書体」を獲得することが勧められます。

もちろん、世上の評価がたかい活字書体でも、まったく無名の活字書体でも、「はやり書体」でも一向にかまいません。むしろどんな活字書体にも避けがたく付着している「長所と短所」をみつけだして、「長所をいかし、短所を制御する能力」がとわれます。
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ジャン・フランソワ・ポルシェ(Jean François Porchez  1964-)
フランスのパリに本拠地「Typofonderie 」を置くポルシェは、欧米やわが国のタイプ・ベンダーが、一種の踊り場現象をむかえて、統廃合による混乱と混迷のさなかにある現在、もしかすると、もっともアクティブに活動しているタイプデザイナーであり、デジタルタイプ製造所が、フランソワ・ポルシェと、1994年に設立されたパリの「Typofonderie」かもしれません。

ポルシェの名前がひろく知られたのはフランスの夕刊紙『ルモンド Le Monde』のための企業制定書体『Le Monde Journal 』の発表でした。その後「Typofanderie」を開設したポルシェは、精力的にフランス電話局や、パリ交通局などの多くの企業や団体の制定書体をつくりました。

さらに本格派タイプデザイナーとしての力量を発揮したのは、ヤン・チヒョルトがフランス活字「Garemond」を、ドイツ高等印刷組合の依頼をうけて、当時の活字自動組版システムに整合させてリ・デザインした「サボン Sabon」を、「Sabon Next」として改刻したことかもしれません。
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「Sabon Next」のとおい源流は、1455年ころ、ヴェネツィアのアルダス・マヌティウス工房のローマン体活字「De Aetna」に発し、1545年からギャラモン(Claude Garamond  c.1500-61)が独自の設計によって活字父型と活字母型を製造して、出版物にもちいたものです。

ギャラモンの没後から、その活字製造原型はネーデルランド地方に売却され、ながい流浪の旅にでていました。
その情報は『朗文堂Website』のタイプコスミイクの片隅にひっそりと「組版工学研究会 Type Review  1-3」として丁寧に記録されています。
それは21世紀を迎えた、もう10年以上も以前に、タイポグラフィ・ジャーナル『ヴィネット』シリーズとして企画されながら、資料(おもにデジタルタイプの全リーズを揃えるには、残念ながら高額すぎて……)がそろわずに、刊行をみなかったものでした。

その第一章は筆者(片塩二朗)による「Linotype Library Platinum Collection 嬉しくて、頭のいたい時代がはじまった」と題して、あたらしい21世紀の「活字」の展開をすこし大胆に記録したものです。
すなわち、こんにちの世界規模における、おおきなタイプ・ベンダーの統廃合と低迷をある程度見通した記述ですが、時局をかたったものだけに、さすがに執筆から12年余を経た現代では有効性が半減しています。
【リンク:robundo type cosmique  嬉しくて、頭の痛い時代がはじまった 片塩二朗

第二章には河野三男氏による「Linotype Library Platinum Collection  Sabon Next  サボン-改刻の歩みやまず」があります。これは相当の長文ですが、いまでも新鮮で興味深い記事です。欧文活字に関心のあるかたはぜひともご覧ください。
【リンク:robundo type cosmique  サボン-改刻の歩みやまず 河野三男
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今回「新宿私塾第22期カリキュラム」の表紙をかざった書体は、フランソワ・ポルシェのデザインによるもので、同氏のアトリエ「Typofonderie 」が販売している「Parisine Office Std.」です。
そのシリーズのうち、ここには「パリジーヌ・オフィス・スタンダード・イタリック」と、「パリジーヌ・オフィス・ボールド・イタリック」が使用されています。

「Parisine  パリジーヌ」とは聞きなれないことばです。「パリジャン/パリッ子」は、仏「Parisien」、英「Parisian」ですので、おそらくはポルシェの造語とおもえますが、まだ確認はしていません。それでもいかにもパリッ子らしい、エレガントでエスプリがきいた書体であり、リガチュアのセットが丁寧に製作された活字書体といえるでしょう。

現在ジャン・フランソワ・ポルシェの書体は、ネット販売環境が整備されたこともあって、Websiteをつうじての販売が中心となっています。その情報は、以下のURLに詳しく紹介されています。

【リンク:jean francois porchez フランソワ・ポルシェのオフィシャルサイト】
【リンク:Print Center Gallery -jean-francois porchez  アドビ社の日本語版】

春爛漫の4月、朗文堂もあたらしい態勢にはいります。第一弾、書道博物館 ギャラリーツアー+掃苔会のお知らせ

 風薫る春、櫻花爛漫の春になりました。いよいよ卯の月、4月のはじまりです。
皆さまお元気で、あたらしい年度をお迎えのことと存じます。
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例年3月は「年度末進行」とされて、印刷・製本・出版界では慌ただしい月となりますが、ことしは人員削減がすすんだせいもあって、製本所が大混雑となって、その余波はまだ解消されたとはいえない状況にあります。

ところできょうは4月1日、エイプリル・フールとされる日です。この日は直訳で「四月馬鹿」とされた時代もありましたが、いつの間にか「四月馬鹿」はあまり使われない訳語となったようです。ことばとは時代とともにあり、いきていますね。

ことしはどんなウィットにとんだ「エイプリル・フール」が世界でかわされるのか、楽しみではあります。
 
朗文堂も4月をむかえて、いよいよ《新宿私塾》《活版カレッジ》が始動します。
また新版による増刷図書も大詰めをむかえており、近近ご案内の予定です。
最初のご案内は、親しくおつき合いさせていただいている書道博物館の意欲的な企画とあわせて、印刷人掃苔会を開催のお知らせです。
この国の近代印刷の開拓者の歴史をたどる、とても意義深いツアーとなります。
皆さまのご参加をおまちしております。



現在、書道博物館で開催中の「唐時代の書、徹底解剖 !!」展には、上掲の「則天武后時代(在位690-705)の写経残巻」がはじめて公開されます(期間限定)。
そこで朗文堂では書道博物館にお願いして、同館学芸員による特別ギャラリートーク+掃苔会を開催いたします。人数は同館の都合で20名限定となります。

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◉  書道博物館ギャラリーツアー+印刷人 掃苔会ソウタイカイ
【開催日時】2013年04月14日[日] 13:00
         (開始5分前にロビー集合してください)
【集合場所】書道博物館 1Fロビー(台東区根岸2丁目10番4号)
http://www.taitocity.net/taito/shodou/shodou_guide/shodou_guide1.html
【参加費用】入場料(500円 各自同館受付にお支払いください )
【掃 苔 会】 書道博物館ギャラリートーク終了後に一旦解散とします。
谷中霊園中心の掃苔会ソウタイカイへは自由参加・無料ですが、バッカス松尾特製『掃苔会の栞  苔の雫』(500円を予定)を用意します。
そこそこの距離をあるきますので、歩きやすい履き物でご参加ください。
【小雨決行】雨男のバッカス松尾さんが案内役ですからとても心配ですが、晴男片塩も同行しますので、お天気は引き分け(小雨 ? )の予定です。
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参加ご希望の方は04月05日までに @メール adana@robundo.com にご連絡ください。掃苔会には定員は設けませんが『掃苔会の栞  苔の雫』の準備の都合もありますので、かならず「件名:ギャラリーツアー申込み」あるいは「件名:ギャラリーツアー+そうたい会申込み」としてご一報ください。

なお、則天武后と則天文字の詳細については、以下の朗文堂ニュースをご参照ください。



書道博物館 企画展 中村不折コレクション
唐時代の書、徹底解剖 !!

【開催場所】  台東区立 書道博物館
          110-0003 東京都台東区根岸2-10-4
          Telephone  03-3872-2645 
          URL : http://www.taitocity.net/taito/shodou/
【開催日時】  2013年03月12日-06月16日
          9:30-16:30(入館は16:00まで)
【休   館 日】  毎週月曜日
          (展示替えのため04月30日、05月07日は休館)
          連休中の04月29日、05月06日は開館
          会期中の展示作品の入れ替えにご注意ください。
【観  覧 料】  一般:500円、小中高生:250円
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[この部分は、書道博物館フライヤーの一部に加筆してご紹介します]
唐の時代(618-907)とは、中国の歴史上、王羲之オウギシらが活躍した東晋トウシン時代(265-420)とともに、「書」がもっともたかい水準に達した時代です。
唐時代の書の特質は、従来からつちかわれてきた書法を、たれにでもわかりやすく法則化した点にあります。とりわけ唐時代の楷書は、理知的な審美眼によって、非のうちどころのない字姿として完成されました。

初唐の三大家、欧陽 詢(オウヨウ ジュン、557-641)、虞 世南(グセイナン、558-638)、褚 遂良(チョスイリョウ、596-658)によって確立された美しい楷書は、いまも多くのひとたちによって学ばれつづけています。
その潮流は顔真卿(ガンシンケイ、709-85)に受けつがれ、「顔法 ガンポウ」とよばれる表情豊かな楷書がつくりだされました。

唐の歴代皇帝は、事実上の建朝者・李世明(高祖・李 淵の次子、唐朝第2代皇帝・太宗、在位626-49、598-649)に倣って、王羲之の書をおもくみましたから、次第に中国全土にわたって、王羲之の書風にもとづいた、格調の高い書風がひろく浸透しました。

すなわち皇帝・李世明をはじめとして、孫 過庭(ソン カテイ、648-703 ?)や、李邕(リ ヨウ、678-747)らは、王羲之の書法にもとづき、洗練された書法をよくしました。
また、伝統的な書法から逸脱した美しさを創出した懐素(カイソ、僧侶、725-85 ?)らも、異彩をはなつ名品をのこしています。

今回の「唐時代の書、徹底解剖 !!」では、唐の四大書家とされる、欧陽 詢、虞 世南、褚 遂良、顔 真卿をはじめ、唐の太宗皇帝・李 世明、孫 過庭、柳 公権、懐素など、唐時代を代表する書の名品と、唐時代の貴重な肉筆資料である『則天武后時写経残巻』(初公開、期間限定:03月12日-04月14日)、『敦煌トンコウ写経』などの貴重な書墨や拓本が、中村不折フセツ コレクションから紹介されます。

第14回活版ルネサンスフェア開催のお知らせ

たくさんの皆さまをお迎えして無事終了いたしました。
ご来場たまわりました皆さま、ありがとうございました。
活版ルネサンスの歩みが、着実に進行していることを
とても嬉しくおもえる2日間でした。
秋季に再度《活版ルネサンスフェア》を開催の予定ですが
その間、活版印刷関連機器、資材などに関しましては
ご遠慮無く  朗文堂 アダナプレス倶楽部までご相談ください。

と き * 2013年03月29日[金] 30日[土] 13:30―19:00
ところ * 朗文堂4F-B
160-0022  新宿区新宿2-4-9 中江ビル4F
Telephone : 03-3352-5070
[ご案内マップ]

アダナ・プレス倶楽部の会員と、活版ファンの皆さまを対象とした
新品・中古品のカッパン関連機材・資材の展示即売会です。
手狭な会場ながら、貴重アイテム、マニアックな商品が溢れています!
創作の春に向けて、このチャンスをぜひともお役立てください。
[東京都公安委員会許可 第304380708865号] 

アダナ・プレス倶楽部が製造・販売している新品のカッパン印刷関連機器、独自企画開発商品はもとより、カッパン印刷所で長年の使用に耐えてきた優秀な中古品もドッサリ用意いたしました。
これらは現在では生産中止となったカッパン関連機器や、個人では入手しにくい活版専用インキなどの器材・資材を含みます。

カッパン印刷のサポーターとして、アダナ・プレス倶楽部ならではの、懇切丁寧な使用方法の解説もいたしますので、狭い会場いっぱいに、魅力溢れる展示販売会となります。
春の創作シーズン、展覧会シーズンの到来に合わせて、創作に活用できそうな機材の補充、実制作での疑問解決・技術の向上に、どうぞこの「活版ルネサンス フェア」をご利用ください。
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《今回の主なご紹介アイテム  順不同》
小型活版印刷機 Adana-21J/新開発 圧盤用ラバー・クッション胴張りセット/KMT全自動活字組版機(日本語モノタイプ)活字母型庫8pt, 9pt, 10pt明朝体/活版専用ピンセット新旧/ジャッキとジャッキハンドル新旧/罫線各種/くじら尺/特製組みつけ台/金属インテル各種/活版用強力磁石/特製組版ステッキ、中古組版ステッキ/ファニチュア各種/工具類(ブレース鋏・鳥居鋏・罫切り鋏)/罫切り器/各サイズ込め物セット/活字倍数尺/特製ムラ取りハンマー&ならし木セット/ブロッキング防止パウダー/特白ウェス/無臭洗い油/インキ・ハンド・ローラー/インキべら/インキ・パッド/ゴム・ローラー・メンテナンス剤/オイルベース活版用インキ各色(1キロ缶、特製200グラム缶)/活版用墨青口インキ/ラバー・ベース・レタープレス用インキ/版画用メタルベース(高さ19.68ミリ、高さ19.70ミリ)/樹脂版用メタルベース(高さ21.89ミリ、高さ23.39ミリ)/特製五号サイズメタルベース箱入りセット/特製カタ仮名活字アラタ1209/輸入欧文活字スキームセット/輸入オーナメント活字各種/凸版用スプレーボンド/特製文選箱/中古文選箱各種/文選箱ストッパー/セッテン/特製文選箱立て/特製ミニ組みゲラ/中古組みゲラ/特製ミニ置きゲラ/中古置きゲラ/特製ミニスダレケース棚/活字サイズ照合キットなど。

販売アイテムの一例 ──
アダナ・プレス倶楽部特製 五号サイズ基本メタルベース箱入りセット

その他掘り出しもの、在庫限りの貴重アイテムがどっさり。
皆さま、友人・知人と誘いあわせてのご来場をお待ちしております。

【展覧会】空想の建築-ピラネージから野又穫 町田国際版画美術館


空想の建築
── ピラネージから野又 穫へ ── 展 
Imaginary Architecture from Piranesi to Minoru Nomata

【主催・会場】 町田市立国際版画美術館
【会期・時間】 2013年04月13日[土]-06月16日[日]
         月曜休館。4月30日、5月7日は休館
         平日:10:00-17:00 
         土・日・祝日:10:00-17:30
【観   覧   料】 一般 800円

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[国際版画美術館のフライヤーに、一部補筆して紹介します]
この世には存在しない建築を空想すること ── それはわたしたちが、いま現在存在している世界とは別の世界を空想し、その世界にかたちをあたえることかもしれません。
そうであれば、空想の建築群とは、人間のイマジネーションと、想像力を駆使してうみだされる、もうひとつの世界〈アナザーワールド〉への入口といえるでしょう。

本展では、ヨーロッパのふるい版画から現代美術へ、時空をも飛びこえる〈空想の建築群〉を展示して、世界を空想の建築というかたちで、目にみえるようにしようとした人びとの系譜を紹介します。

はるか古代ローマにおもいを馳せ、その壮麗さを銅販画によって結実させたジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ(Giovanni Battista Piranesi  1720-78)をはじめとして、18世紀世紀末の画家たちから、現代の美術家まで── 絵画や立体、そして版画など、変化に富んだおよそ180点の作品を展示することによって、見るものをはるかな世界へといざなう展覧会です。

また本展開催とあわせ、特別展示として、出品作家のひとり、野又  穫(ノマタ ミノル  1955- )のドローイング展『ELEMENTS──あちら、こちら、かけら』を開催いたします。あわせてご観覧ください。
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[以下:片塩二朗 wrote]
ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ
     (Giovanni Battista Piranesi  1720-78) 
ピラネージは、本来は建築家でしたが、実際に完成した建築は「サンタ・マリア・デル・プリオラート聖堂」ほか数点にとどまり、こんにちピラネージは銅版画作家であり、出版人として知られています。

写真術がまだ登場していない18世紀にあって、ピラネージの精細で正確無比な エッチングによる銅版画 は、絵画とは異なり、一定の数量を複製(印刷)できましたから、当時では驚異的なものでした。

その影響はひろく欧州全域にわたって、ギリシャ、古代ローマなどの建築を「銅版印刷という複製芸術」によって、ひとびとの眼前に、あたかも実際の建築をみるおもいがするまでの完成度をもって迫り、圧倒的な人気を博しました。
ピラネージは、建築を銅版という印刷版の上に、エッチング技法によって画像を刻み、銅版印刷(凹版印刷の一種)によって、ゆたかな創造の成果を実現した「建築家」であり、「銅版画家」でもありました。
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小社の周辺でも、建築界から印刷人へ、あるいは建築設計士から印刷設計士(グラフィックデザイナー)に転換されたかたも多くおられます。
またその転換の過程で、新宿私塾や活版カレッジでまなぶかたも少なくない現代です。凹版印刷も、凸版印刷も、あるいは書物づくりも、立体的構造物である建築と通底するものがあるようです。

畏兄「無想庵主人」のWebsite『無想庵乃書窓』には、ピラネージの略歴と、豊富な図版が紹介されています。ぜひこちらをご覧いただき、町田国際版画美術館に足を運んでいただきたいと存じます。
【リンク:無為庵乃書窓 ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ 略歴、画像集】

「本の知と美の領域 vol.2 ー 森山明子の仕事」展のご案内

第693回 デザインギャラリー1953 企画展
「本の知と美の領域 vol.2 - 森山明子の仕事」
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  • タイトル:第693回 デザインギャラリー1953 企画展
                「本の知と美の領域 vol.2 - 森山明子の仕事」
  • 会 期:2013年3月20日(水)-2013年4月15日(月)
         最終日午後5時閉場
         入場無料
  • 会 場:松屋銀座7階・デザインギャラリー1953
  • 主 催:日本デザインコミッティー
  • 協 力:山田脩二、白井敬尚
  • 企画・会場構成:平野敬子

この度、日本デザインコミッティーでは、第693回デザインギャラリー1953企画展といたしまして、デザインジャーナリスト・森山明子の仕事を紹介する展覧会「本の知と美の領域vol.2 – 森山明子の仕事」を開催いたします。

森山明子は、デザイン雑誌「日経デザイン」の創刊に携わり、以降、デザインをジャーナリストの立場から 俯瞰して見続けてきました。
その長年に亘る活動の中で、森山は多くのクリエーターとの接点を持ち、彼らの活動や仕事を編集して世に送り出すという仕事に近年、力を注いています。

独自の視点によるクリエーターへの入念なインタビューは、そのクリエーターの内面を透かし見ることが出来るほど精緻に編まれる書籍作りへと繋がっています。
本企画展では、そうした仕事の中から、前衛いけばな作家・中川幸夫、写真家・石元泰博、そしてテキスタイルプランナー・新井淳一の、3人のクリエーターの仕事をまとめた書籍を中心に、森山明子の世界をご紹介したいと思います。

[森山明子さんの略歴]
Moriyama Akiko/デザインジャーナリスト、武蔵野美術大学教授
1953年新潟県生まれ。1975年東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。特許庁意匠課審査官、財団法人国際デザイン交流協会勤務をへて、1986年日経マグロウヒル社(現・日経BP社)入社。「日経デザイン」の創刊にかかわり、1993-98年同誌編集長。1998年から現職、デザイン情報学科所属。
NHKハート展詩選考委員、グッドデザイン賞審査副委員長、芸術工学会副会長・名誉理事、公益財団法人三宅一生デザイン文化財団理事、公益財団法人日本デザイン振興会理事などをつとめる。
主著は『まっしぐらの花 - 中川幸夫』、『石元泰博 - 写真という思考』、『新井淳一 - 布・万華鏡』。
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森山明子さんは、朗文堂とも、長年にわたって、とても親しくおつき合いさせていただいているかたです、そんな森山さんの近著をまとめた意欲的な展覧会が開催されます。皆さまのご観覧をお勧めいたします(片塩二朗)。
【詳細:日本デザインコミッティー デザインギャラリー1953】

これは実際に書かれていたひとつの「字」です。なんと読みますか ? 回答はタイポグラフィ・ブログロール『花筏』で、のんびりアップ。

上記の「字 ≒ 文字」は、ひとつの「字」です。
漢の字(漢字)というより、国字(わが国でつくられた漢風の字)、もしかしたら個人の創意、あるいはわずかなテライ、もしくは軽い諧謔ユーモアをこめてつくられた「字」かもしれません。
図版でおわかりのように、上部に「毎」をおいて、下部に「水」をおき、ひとつの「字」としたものです。

やっかいなことに、この「字」は、わが国の歴史上で実際に書きしるされており、国宝とされる複数の貴重な文書の上に、なんども登場していて、一部の「集団」からは、いまもとてもおもくみられている「字」です。
ですから簡単に「俗字」「異体字」として片付けるわけにもいかず、原典文書の正確な引用をこころがける歴史学者などは、ほかの字に置きかえられることをいやがります。

1970年代の後半だったでしょうか、まだ写研が開発した簡易文字盤製造「四葉」セットもなかったころのことです。展覧会図録として、この「字」をふくんだ文書の組版依頼がありました。
当時は原始的というか、当意即妙というのか、原字版下を作成して、ネガフィルムをおこし、ガラス板にはさんで写真植字法で組版するという、簡便な方法で対処したことがありました。もう40年ほど前のこととて、その資料も、使用例も手もとにはありません。

もちろん現代の文字組版システムは汎用性にすぐれており、こうした「特殊な字」は、アウトラインをかけるなどして「画像」とすればいいということはわかります。それでも学術論文までもが Website で発表されるという時代にあって、やはりなにかと困った「字」ではあります。
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先まわりするようですが、デジタル世代のかたが愛用するパソコン上の「文字パレット」や「手書き文字入力」ではでてきません(わたしのばあいは ATOK ですが)。
ちなみにこの「字」のふつうの字体は、人名・常用漢字で、JISでは第一水準の「字」であり、教育漢字としては小学校二年に配当されている、ごくあたりまえの「字」です。

また、一部のかたが漢の字の資料としておもくみる『康煕字典』では、「毎」は部首「母部」で「辰集下 五十七丁」からはじまり、「水」は部首「水部・氵部」で「巳集上 一丁」からはじまります。為念。

現代中国で評価がたかい字書のひとつ『漢語大詞典』(上海辞書出版社)もありますね。これらのおおがかりな資料にもこの「字」は見あたりません。
また、わが国のふつうの『漢和辞書』とされるものは、なんらかの中国資料の読みかえがほとんどですから、当然でてきません。
これらの資料には「標題字」としては、上掲の「字」は掲載されていないようです。もしかして、万がいつ、応用例としてでも、ちいさく紹介があったらごめんなさいです。
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とかく「漢字」「文字」というと、ほんの一部のかたのようですが、妙にエキセントリックになるふうがみられるのは残念です。
ここではやわらか頭で、トンチをはたらかせて、
「なぁ~んだ、つまらない」。「ナンダョ、簡単じゃないか」
とわらってください。
そしてこの「字」をつくりだした、天性のエンターティナーに、おもいをはせてください。
「回答」というほどのものではありませんが、お答えは タイポグラフィ・ブログロール《花筏》にのんびりとしるしていくつもりです。 
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やよい三月です。あちこちから梅だよりをいただきますし、ことしの《Viva la 活版 Viva 美唄》の開催予定地、北海道の美唄では、例年にない豪雪だそうです。
また3月は企業や官庁では異動の月です。学生の皆さんは、入学・進級・卒業と、あわただしい毎日でしょうか。
また、この時期は、印刷・出版業界ではふるくから「年度末進行」とされて、繁忙期です。小社、小生も、ひとなみにあわただしい毎日です。
そしてきょうは3月11日、2年前のあの大惨禍がおそった日でもあります。
さまざまなおもいを抱えながら、頭をやわらかくするために、一筆啓上つかまつり候。

新宿私塾 第21期 無事に終了しました。


《昨年の秋9月に、新宿私塾第21期がスタートしました》
ふりかえりますと、新宿私塾第21期は、2012年09月25日、きびしい残暑がようやくおさまり、爽やかな秋空のもとで開講しました。
第21期生はこれまでの塾生諸君とおなじように、とても意欲的で、意欲、向上心、個性のつよい若者があつまりました。


ともかく2012年の夏は、猛暑というのか酷暑というのか、ひどい暑さの毎日で、開講後の残暑もきびしいものがありました。その分だけ、冬にはいると寒さがきびしくなり、ときおり雪やみぞれが舞う東京の毎日でした。

そして、日溜まりに梅の花がほころびはじめた2013年03月05日、新宿私塾第21期生は最終講義の日を迎えました。
この日に、全員揃って全課題を消化し、写真のように和気あいあい、タイポグラフィの同志としての修了でした。

この21期生は、前20期と同様に意欲的で、書棚の図書が空いてみえるほどの貸し出しが続き、毎回の講座はにぎやかなこと限りないほどの活発さでした。その報告は下記の「新宿私塾のアーカイブ」に記録されています(Websiteでは逆順です)。

【2012年09月27日 新宿私塾  第21期スタート
【2012年10月10日 日大藝術学部 Typography Seminer 終了】
【2012年11月20日 理想社 Field Work +】
【2012年12月13日 東洋美術 ACTY#2展 第10期生・中村将大さん】
【2012年12月26日 新宿私塾忘年会 +涮涮ってナニ ? 】
【2013年01月07日 第20期生・鈴木一成さん、震災からの復興と追悼を寄稿】
【2013年02月05日 製本術入門 +新年懇親会 咸亨酒店】

第21期塾生のみなさんを振りかえると、ひとり黙黙-カイ君、幹事役を背負った-ちぼし君-くき君(宴会部部長)、そして花粉症と闘いながら頑張った-きったかさん、好奇心のつよさならたれにも負けないぞ、ときどきすべってたけど ! -まちださん、皆さんの顔ぶれはなかなか賑やかでした。
また今期の資料発見・整理部長は-くき君と鈴木さん。新旧のたくさんの資料が、にぎやかに講座室を飛びかう毎回の講座でした。

《後半の講座の写真をまとめてみました》

それぞれの塾生の皆さんの、出身地、経歴、職場、環境がほとんど異なる新宿私塾ですが、なにぶん少数精鋭の塾生数ですから、すぐにお互いの立場にたいする理解と、おもいやりがうまれます。
それが終了後にも、同期ごとに、あるいは期を越えた潜在的な同門意識となって、問題や困難に立ち向かう際のおおきな援助となります。それが21期生のあいだでも強固だったようです。

新宿私塾では、タイポグラフィにおける「知・技・美」のバランスのよい学習をモットーとしています。
それはまた「知に溺れず、技を傲らず、美に耽らず」という、つよい自戒をともないます。
出会いはうれしく、別れはさびしいものです。それでも半年間、ともにまなび、ともに苦しんできた21期生の皆さんは、雄雄しく羽ばたき、旅立っていきました。
ここにまた、タイポグラフィの尖鋭としての同志の輪が、おおきくふくらみました。

【展覧会情報】書道博物館『唐時代の書、徹底解剖!!』。+則天武后と則天文字。

 

書道博物館 企画展 中村不折コレクション
唐時代の書、徹底解剖 !!

【開催場所】  台東区立 書道博物館
          110-0003 東京都台東区根岸2-10-4
          Telephone  03-3872-2645 
          URL : http://www.taitocity.net/taito/shodou/
【開催日時】  2013年03月12日-06月16日
          9:30-16:30(入館は16:00まで)
【休   館 日】  毎週月曜日
          (展示替えのため04月30日、05月07日は休館)
          連休中の04月29日、05月06日は開館
          会期中の展示作品の入れ替えにご注意ください。
【観  覧 料】  一般:500円、小中高生:250円

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[この部分は、書道博物館フライヤーの一部に加筆してご紹介します]
唐の時代(618-907)とは、中国の歴史上、王羲之オウギシらが活躍した東晋トウシン時代(265-420)とともに、「書」がもっともたかい水準に達した時代です。
唐時代の書の特質は、従来からつちかわれてきた書法を、たれにでもわかりやすく法則化した点にあります。とりわけ唐時代の楷書は、理知的な審美眼によって、非のうちどころのない字姿として完成されました。

初唐の三大家、欧陽 詢(オウヨウジュン、557-641)、虞 世南(グセイナン、558-638)、褚 遂良(チョスイリョウ、596-658)によって確立された美しい楷書は、いまも多くのひとたちによって学ばれつづけています。
その潮流は顔真卿(ガンシンケイ、709-85)に受けつがれ、「顔法 ガンポウ」とよばれる表情豊かな楷書がつくりだされました。

唐の歴代皇帝は、事実上の建朝者・李世明(高祖・李 淵の次子、唐朝第2代皇帝・太宗、在位626-49、598-649)に倣って、王羲之の書をおもくみましたから、次第に中国全土にわたって、王羲之の書風にもとづいた、格調の高い書風がひろく浸透しました。

すなわち皇帝・李世明をはじめとして、孫 過庭(ソン カテイ、648-703 ?)や、李邕(リ ヨウ、678-747)らは、王羲之の書法にもとづき、洗練された書法をよくしました。
また、伝統的な書法から逸脱した美しさを創出した懐素(カイソ、僧侶、725-85 ?)らも、異彩をはなつ名品をのこしています。

今回の「唐時代の書、徹底解剖 !!」では、唐の四大書家とされる、欧陽 詢、虞 世南、褚 遂良、顔 真卿をはじめ、唐の太宗皇帝・李 世明、孫 過庭、柳 公権、懐素など、唐時代を代表する書の名品と、唐時代の貴重な肉筆資料である『則天武后時写経残巻』(初公開、期間限定:03月12日-04月14日)、『敦煌トンコウ写経』などの貴重な書墨や拓本が、中村不折フセツ コレクションから紹介されます。
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《則天武后と則天文字》
[以下は、片塩二朗 wrote]
河南省洛陽郊外、黄河の支流、伊水河畔には、敦煌トンコウ、雲崗ウンコウとならんで、中国三代石窟のひとつとされる龍門石窟リュウモンセックツ群があります。
その造営は、とおく南北朝時代の鮮卑族王朝の北魏(386-556)の時代にはじまり、初唐のころには、もっとも巨大な奉先寺の造営によってピークをむかえました。

とりわけ仏教にふかく傾倒していた則天武后、武 照(三代皇帝・李 治、高宗の皇后武照、周の聖神皇帝、在位690-705、623-705)は、宏大な石仏群の奉先寺の造営を、事実上20年ほどのあいだに進行しました。

その本尊の毘盧遮那仏 ビルシャナブツ は、洛陽の春をかざる大輪の牡丹の花にもにて、豊饒でふくよかな顔立ちをしています。ですから数十万躰ともされる、痩身で峻厳な顔立ち、いわゆる北魏様式とされる、ほかの龍門石窟の諸仏、とりわけふるくから開鑿がすすんだ左岸の諸仏とくらべると、あきらかに女性のこのみが表出した、おおらかで優美な仏像となっています。

則天武后こと、武 照の表情を模したとされるこのおおきな石像をみると、後世の歴史家が文字で描きだした人物像とくらべると、ふくよかで、豊満な、魅力に溢れるものですし、わが国東大寺の大仏像のモデルとなったという伝承もうべなるかなとおもわせます。

たしかに則天武后は奔放なひとであり、淫乱にして剣呑な面もうかがえます。また嫉妬深くて残忍な性格だったかもしれません。
後段で解説しますが、則天武后は、感情の起伏がはげしく、そのほとばしりを制御できないまま、側近の甘言におぼれて、恣意的な施策をかさねた側面はみられます。

ところが則天武后が設立した控鶴府コウカクフ(のちに改称して奉宸府ホウシンフ)は、いまの文化サロンさながら、あまたの文人、詩人、書画壇の偉才をまねいて、大小の宴会を連日開催し、「勅命」によって即興の詩や歌を吟じさせ、書画を描かせることも多かったとされます。
この時代の洛陽は、また「華のみやこ」とも称されていました。

則天武后の治世は、その薨去からまもなく、李白や杜甫が活躍する盛唐文化の開花につらなり、書壇では欧陽詢書風だけでなく、顔 真卿や柳公権らがあたらしい書風をもって活躍し、則天武后の孫にあたる李  隆基・玄宗帝の「改元の治」につらなって、盛唐文化としての結実をみました。
史家のまなざしは、この女性にいささか酷にすぎるようでもあります。
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ところで、則天武后は、漢の字がもともと内包する造形の神秘性に鋭敏であり、その背後にある種の霊性をみいだし、その呪術性や神秘性に憑かれていたのではないかとおもえることがあります。
もちろんその制定にあたっては、鳳閣侍郞ホウカクジロウの宗 秦客ソウシンカク の手によって載初元年(689)に献上され、ひろく天下に実施されたとされます。

そんな則天武后と則天文字へのおもいから、だいぶ以前かfら、則天武后がつくりだした「則天文字」をコツコツと追ってきました。当時は資料がすくなく、『則天武后』(外山軍治、中央公論新書)程度の資料を頼りに、中国での実地調査がおもでした。

今回の展覧会を期に、あらためてそんな資料を整理して、『花筏』に紹介しようと苦慮中です……。
ところがなにぶん整理が苦手なもので、資料の大半が四散しており、それをまとめることに時間がかかります。しばらくのお時間をいただきます。


中国河南省・洛陽郊外の龍門石窟の巨大石造寺院、奉先寺は唐の高宗(事実上は則天武后、武 照)の創建によるものです。本尊の毘盧遮那仏は則天武后の表情を模したものとされ、わが国の東大寺大仏にも影響をあたえたとされます。
上)奉先寺・毘盧遮那仏  下)奉先寺・左脇持仏


上)則天武后・昇仙太子碑拓本。
2-4行目の上から3文字目が、順番にいわゆる則天文字の「年、月、日」になっています。
『昇仙太子碑』ショウセンタイシ ヒの建碑は、聖暦2年(699年)。則天武后は「唐」にかえて、国号を「周」と号したことから、古代の周の太子の廟を修復し、これを記念してみずから撰文し、みずから書して建碑しました。碑石はとても大きく立派な碑で、河南省偃師エンシ市の仙君廟センクンビョウに現存しています。

中)「則天文字の誕生とその東漸」『印刷雑誌』(片塩二朗、1994年07月号)に紹介した写植活字での「則天文字」の試作。
筆者はつづいて、則天文字「圀」をもちいている「徳川光圀にみる西方へのまなざし」『印刷雑誌』(片塩二朗、1994年08月号)をしるしました。
徳川光圀の「圀」は、いわゆる則天文字であり、また光圀の知行地であった水戸、墓所のある常陸太田には、いまも則天文字の痕跡が、あちこちでみられることを報告したものです。
この当時は資料がすくなく、苦労があったと記憶しています。製作協力:吉田佳広氏。

こののちに研究書『則天文字の研究』(蔵中 進、翰林書房、1995)が発行されて、「則天文字」に関する本格研究が着手されました。
同書は研究内容の評価だけではなく、わが国のタイポグラフィ史からみても貴重な書といえます。すなわち同書は、金属活字原版刷りによって印刷されています。

特殊活字の「則天文字」は、同書のためだけに活字母型を特注製造し、自動活字鋳植機(KMT)で組版・印刷・刊行されたものであり、『則天武后』(外山軍治、中央公論新書)などの先行書とくらべても違いは歴然としています。同書は活字版書籍印刷後期の記念すべき書物です(印刷所:文京区後楽に旧在・共信社印刷所)。 

下)「則天武后がのこした文字」『文字百景 089』(片塩二朗、2000年09月)
電子活字本明朝-Mと混用できるように製作した「則天文字」。製作:鈴木孝。

いまにしておもえば……、この写植活字と電子活字による2回の試作活字の挑戦は、いかに楷書体の末流に属するとはいえ、明朝体活字書風で試作したことには問題がありそうです。
また、現在では「則天文字」として争いのないものは、識者のあいだでは17キャラクターに落ちついているようです。ですからキャラクターの選択そのものも、再考が必要です。

「則天文字」は、いわゆる漢字六書の法からいうと、象形であり、会意といえますが、本来の六書の法からはかなり逸脱しており、むしろこれを「文」(徴号)とみて、則天武后みずからが『昇仙太子碑』にのこしたような、唐代の楷書書風で再現を試みるべきであったと反省しています。
現代はデジタルタイプ、明朝体によって「則天文字」は再現されていますが、ほとんどのキャラクターはユニコード対応で、ソーシャルメディアでは表示に困難をともないます。

またこんにちのソーシャルメディアのなかでは、G 検索によると90,500件(2013年03月調査)ほどのたくさんの記述をみることにおどろきます。いつの間に「則天文字」が、こんなに多くの皆さんの関心を呼んだのでしょう。
また ウィキペディア「則天文字」は、どなたが記述したものか、とても丁寧な解説になっていて、これもまたおどろきました。

「書道博物館」フライヤー裏面部分拡大。『則天武后時写経残巻』(初公開、期間限定:03月12日-04月14日)図版の最終行「日」に、則天文字の「日」がみられます。

《則天武后、武 照のひととなり》
則天武后こと武 照(武皇后・周の聖神皇帝、在位690-705、623-705)は、「貞元の治」で知られる、唐の二代皇帝・李世明(太宗、在位626-49、598-649)の後宮(わが国江戸期の大奥にちかい)に14歳にしてはいり、太宗の死後に出家して尼となりましたが、三代皇帝・李 治(高宗、在位649-83、628-83)の即位後に還俗して、あらためて高宗の後宮にはいったひとです。

高宗の後宮にはいると、王皇后を失脚させ、代わってみずからが皇后となり、朝政に加わって、李 世明以来の高官・褚遂良を左遷し、元老・長孫 無忌らの反対派を粛清し、武氏一族を登用して実権を握りました。

高宗の死後、武  照は、李 顕(中宗)、李 旦(睿宗)を相次いで皇帝に立てましたが、いずれも短期間で廃し、嗣聖七年(690)、高宗の死後6年余に、みずからが聖神皇帝となって、国号を唐から周(武周、690-705)とあらためて、中国史上唯一の女帝となりました。

治世の当初は、西南方で抵抗していた吐蕃(トバン、チベット系民族)や、西北の突厥トッケツなどの武装勢力を鎮圧するなどの面もみられましたが、まもなく、古代王朝の周(BC1100 ?-BC256)のあまりにふるい制度を復興させました。ほかにも密告を奨励して、酷吏・寵臣を専横させました。
このように、唐をむしばみ、漢族の儒教的倫理観に抵触した武 照に関しては、史家のおおくが批判的であり、周(武周)という国とその国号につめたく、武 照はあくまでも三代皇帝・李 治、高宗 の皇后として、則天武后と呼ぶことがならいとなっています。

それでも武 照の時代に登用された多くの人材が、孫にあたる李 隆基(唐六代皇帝・玄宗。在位712-56、685-762)の前半期、すなわち 楊貴妃 に惑溺する以前の「開元の治」で活躍したことは評価されています。
武 照は齢80歳をこえると、さすがに高齢化がめだって、長安四年(705)、宰相の張東之らが武 照に退位を迫り、李 顕(唐第四代皇帝・中宗、在位683-84、705-10。656-710)が帝位に重祚して、国号も周(武周)にかえて唐の名が復活しました。

また「則天文字」も重祚した実子の李 顕(中宗)の勅命をもって、廃止が宣せられました。
それでも「則天文字」は、民間ではながらくもちいられており、廃止からおよそ100年後(804年)に入唐した空海は、いくつもの「則天文字」を使用した書墨をのこしています。


そして、はるかな後世、江戸時代初期に、明末清初の大混乱が中国で発生し、それを逃れてわが国に亡命・帰化した中国・余姚ヨヨウのひと、朱 舜水(1600-82)が、徳川光圀の政治顧問となり、光国にかえて、則天文字「光圀」の使用を勧め、「憂いを先に、楽を後に」の故事から「後楽園」の名称などをもたらしたとされます。
ついでながら朱舜水の墓所は、水戸藩歴代徳川藩主がねむる、茨城県常陸太田市 瑞竜山 にありますが、東日本大震災の影響で墓標や設備の損壊がひどく、現在は公開されていません。

武 照は唐のみやこ長安よりも、副都洛陽の、ゆたかな水と緑にあふれた風土を愛していました。その洛陽の西、洛水の左岸に、唐の高宗の時、みずからが建てた宮殿「上陽宮」で長安四年(705)に薨去しました。その遺骸は夫の三代皇帝・李 治(高宗)の「皇后」として、李 治がねむる 乾陵 に合葬されました。

【特別情報】 朗文堂では4月初旬に、書道博物館でのギャラリー・トークの特別開催をお願いしています。ご希望のかたは事前に片塩宛にご連絡ください。

Viva la 活版 Viva 美唄 開催のお知らせ Ⅰ

 

朗文堂 アダナ・プレス倶楽部では、手動式卓上小型活字版印刷機 Adana-21J を中核としながら、活字版印刷(以下活版印刷、活版とも)の今日的な意義と、その魅力の奥深さの普及をとおして、身体性をともなった造形活動を重視し、ものづくりの純粋な歓びの喚起を提唱してまいりました。

活版印刷の今日的な意義と、魅力の奥深さをより一層追求するためには、活字版印刷術の技術と、知識の修得はもちろんのこと、「ものづくり」と真剣に向き合うための姿勢と環境も重要です。
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そこでアダナ・プレス倶楽部では、活字組版を中心とした実践と、発表の場のいっそうの充実のために、過去5年間4回にわたって開催してまいりました「活版凸凹フェスタ」を一時中止  して、もう一度じっくりと構想を練りなおし、技芸を磨く準備期間と、制作期間を経て、「ものづくり」と真剣に向き合う姿勢を育む活動へとシフトすることになりました。









その第一弾として、本年7月の3連休に、北海道の美唄ビバイ市にある、
「アルテ  ピアッツァ 美唄」において、
『Viva la 活版 Viva 美唄』を開催いたします。

【名 称】 Viva la 活版 Viva 美唄
【会 期】 2013年07月13日(土)―15日(月・祝) 9:00―17:00
       (最終日は13:00まで)
【会 場】 ARTE PIAZZA BIBAI アルテ ピアッツァ 美唄
        北海道美唄市落合町栄町  
        http://www.artepiazza.jp/
【入 場】 無 料
      (ゼミナールの一部に参加費が必要なものもあります)
【主 催】 朗文堂 アダナ・プレス倶楽部

★      ★      ★

「アルテ ピアッツァ美唄」は、美唄市の出身で、世界的な彫刻家として知られる安田 侃(ヤスダ カン 1945- )氏が、いまなお創作を継続している、大自然と彫刻がたがいに相共鳴する彫刻の野外公園美術館です。

イタリア語で「芸術広場」を意味する「アルテ ピアッツァ 美唄」は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人々に自分の心を深く見つめる時間と空間を提供するすばらしい施設です。

 そのような素敵な環境にあるストゥディオ アルテ」 と、昭和のぬくもりをのこす旧栄小学校にある「ギャラリー アルテ」 の一画をお借りして、『Viva la 活版 Viva 美唄』では、各種のゼミナールと、活版カレッジ有志による活字版印刷を中心とした展示をおこないます。
「ストゥディオ アルテ」と隣接している「カフェ アルテ」では、おいしい珈琲や紅茶やケーキが楽しめますし、お天気にめぐまれ、戸外のテラスで軽食でも摂ると、エゾリスがヒョコリとやってきたりします。

★       ★      

美唄市は北海道中央部・空知ソラチ管内(空知総合振興局庁舎は隣接の石見沢市)に位置し、千歳空港から直通電車で約1時間半、札幌市からは特急電車で約30分とアクセスも便利です。
また昨年から国内線LCC(格安航空会社)の増加によって、北海道までの空の旅も格段と便利でリーズナブルな価格になりました。

美唄からは、札幌はもちろん、富良野・美瑛や旭川も周遊圏になりますので、ご家族やお友達との北海道旅行を兼ねてのご来場もお勧めです。

皆さまぜひとも、この機会に、お気に入りの本を1冊たずさえて、美唄の地にお越しください。
日常の喧騒を離れ、活字版印刷の展示をじっくりと鑑賞し、活版ゼミナールと、展示をご体験ください。
また彫刻と自然が織りなすシンフォニーの中で、のんびりと読書や思索に耽ったり、大切な人とのゆっくりしたひとときを過ごしてください。
真の造形活動や、こころ豊かな人生について見つめなおすための、贅沢な時間と空間がアルテ ピアッツァ 美唄にはあります。

★      ★      

美唄市 は、かつては四大産炭地のひとつとされて、三菱鉱業、三井鉱山、中小の炭鉱などが進出して、全国でも有数の炭鉱都市として栄えたまちです。最盛時には炭鉱までのローカル鉄道「美唄鉄道」がはしり、1950年代の最盛時の人口は10万人弱という繁華なまちでした。

1970年代にはいると、国の施策として石炭から石油へのエネルギー転換がはかられ、このまちでも1973年に三菱美唄炭鉱が閉山されて、ほとんどの炭鉱の灯が消えました。活気のあった炭鉱住宅はひっそりと静かになり、子どものいなくなった小中学校は廃校となりました。

それから40年ほどの歳月がすぎ、現在の美唄市は人口2万5000人ほどで、ここがおおきな産炭地だったことを忘れさせるほど、豊かな緑がひろがり、すっかり静かなまちになりました。それでも空知地方の中核都市、物資の集散地としての役割を担い、廃鉱のまちにありがちな暗さがないのがふしぎなくらいです。

[以下の部分は、アルテ ピアッツァ 美唄『popolo』広報誌を参考にしました]
アルテ ピアッツァ 美唄が誕生したきっかけは、1981年にイタリアで創作活動を続けていた安田 侃氏が、日本での創作活動の拠点を探していた際に、廃校となっていた旧栄小学校に出あったことにはじまります。
もともと安田氏は、地元美唄駅の鉄道員の息子として、この地にうまれたひとでした。栄小学校の朽ちかけた木造校舎は、数十年前の標準的な小学校の木造建築様式であり、子どもたちの懐かしい記憶と、ぬくもりがそのまま残っていたとされます。

そして校舎の一部に併設されて、しかもいまなお開設されている、ちいさな美唄市立栄幼稚園に通う子どもの姿が安田氏の心をとらえたとかたっています。
そこではエネルギー革命という、過酷な時代に翻弄された歴史を知らず、無邪気に遊ぶ園児たちを見て安田氏は決意しました。
「この子どもたちが、心をひろげられる広場をつくろう」。
それがアルテピアッツァ 美唄誕生のきっかけとなったといいます。

その後、安田 侃氏と、彼のおもいに共感した多くの人びとの尽力によって、1992年に栄小学校の廃校跡地を中心に、広大な敷地をもつ、世界でも希有な彫刻公園「アルテ ピアッツァ 美唄」が開園しました。

アルテ ピアッツァ 美唄は、樹林と草原の中に、40点あまりの石彫とブロンズの作品が配置され、それぞれが自然と溶け合いながら豊かな空間を創りだしています。
展示空間としてよみがえった校舎や体育館では、さまざまな展覧会、講演会、コンサートなどがさかんに開かれています。
中央の芝生の広場では、夏には水遊び、冬には雪遊びにやってくる大勢の子どもが走り回ります。かつて、ここに通っていた子どもたちの記憶と、現在の子どもたちの明るい歓声が、混じり合ってこだましています。

ここを訪れる人は、はじめてきた人でも、どこか懐かしい気持ちがするといいます。

安田 侃氏はかたっています。
「アルテピアッツァ 美唄 は幼稚園でもあり、彫刻美術館でもあり、芸術文化交流広場でも、公園でもあります。ですからわたしは、誰もが素に戻れる空間、喜びも哀しみもすべてを内包した、自分自身と向き合える空間を創ろうと欲張ってきました。この移り行く時代の多様さのなかで、次世代に大切なものをつないで行く試みは、人の心や思いによってのみ紡がれます」

アルテピアッツァ 美唄は、自然と人と芸術の新しいあり方を模索し、提案し続け、訪れる人びとに自分の心を深く見つめる時間と空間を提供しています。それはまさに、芸術の本質に通じているのです。

[2013年02月25日 追記]
《02月20日アップ後に、アダナ・プレス倶楽部会員からのうれしい情報をよせていただきました……》
この情報をアップしてから間もなく、グラフィックデザイナーで、活版カレッジ受講生の小野さんから、うれしい情報をいただきましたので、さっそくご紹介いたします。

小野さんは、数年前にここ「アルテ ピアッツァ 美唄」を冬季に訪問されたことがあり、雪の中にたつ彫刻作品にとても感動されたそうです。その折りの写真をご提供いただきました。
上から、「雪のなかのギャラリー棟」、「熊に注意の掲示板 ── ほんとうにこのあたりには、熊や鹿などの野生動物が出没します」、「廃墟となったもとの映画館」の写真です。

《活版カレッジ 新潟山山倶楽部の山下会員からも、うれしいお便りをいただきました》

なんという偶然でしょう !  美唄は私の父の故郷です。
昨年、私ははじめて父と美唄を旅して、そのとき
『Viva la 活版 Viva 美唄』の舞台となった「アルテ ピアッツァ美唄」にも
立ち寄りました。
ここは、そのむかし、父のいとこが通った「栄小学校」だったそうです。
懐かしさのあまり、父が飛びこんだ「栄幼稚園」の写真をおくります。
『Viva la 活版 Viva 美唄』、なんとしても時間をつくっていきますね。
[2013年03月18日 追記]
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ことしは例年にない大雪が北海道にも積もっているようです。はるかに遠く、美唄の地をおもうこのごろです。

活版凸凹フェスタ 一時中止のお知らせ

5年間、ありがとうございました。 

烏兎怱怱 ウトソウソウ ── 月日が経つのは早いもので ── アダナ・プレス倶楽部の活動は7年目にはいりました。この間皆さまの熱いご支援にたいして厚く御礼をもうしあげます。
おかげさまで、発足当時には想像もできなかったほど、たくさんの活版愛好家や、活版印刷実践者が次々と誕生し、発表の場もしだいに増加をみるようになりました。


朗文堂 アダナ・プレス倶楽部では、2008年から例年、
「五月の連休は活版三昧 !!」
を合言葉に「活版凸凹フェスタ」を開催してまいりました。
このイベントもおかげさまで、昨年の「活版凸凹フェスタ 2012」で5年目の節目の年を迎えることができました。
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ところで、昨今の新しい活版印刷実践者の増加と、その活発な活動の状況を拝見し、わが国に活版印刷再興の息吹が着実に根づいたことを嬉しく感じますとともに、
「何はともあれ、まずは活版印刷の裾野を広げること」
という、「活版凸凹フェスタ」の初期の目的と役割は、ひとまず達成されたものと判断いたしました。

そこで、アダナ・プレス倶楽部では、活版印刷の普及と定着にむけて、次なるステップへと移行するために「活版凸凹フェスタ」をひとまず区切りをつけさせていただくことになりました。
今まで「活版凸凹フェスタ」を支えてくださいました、ご出展の皆さま、ご来場の皆さま、ご協力の皆さま、まことにありがとうございました。
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アダナ・プレス倶楽部はちいさな組織ですが、それでも北は北海道から、南は沖縄まで、多くの会員がひろく展開して、活動されています。
これからしばらくは、そんな全国の会員の皆さまと手を携えて、今後とも活版印刷の今日的な意義と、その魅力の奥深さをより一層追求し、活字組版を中心とした実践と発表の場のさらなる充実をめざしてまいります。
そのために、多くの会員の皆さまが集中して活動されている首都圏での展示は、しばらく皆さまにお任せし、あらなた展示活動の場での展開を中心にはかることにいたしました。

もちろん「活版カレッジ」の開講と、恒例の「活版ルネサンス」開催はもとより、各種団体・企業・教育機関などの、ご企画・ご依頼にもとづく「活版ゼミナール」などは、こんごとも首都圏でも積極的に継続してまいります。

毎年恒例の「活版凸凹フェスタ」を楽しみにされていた多くの活版印刷実践者と、その支持者の皆さまには「活版凸凹フェスタ」の一時中止は、まことに申しわけなく存じますが、今後は、あらためてじっくりと構想を練り、技芸を磨く準備期間や、制作期間を経て、「ものづくり」と真剣に向き合うための姿勢や環境を重視した、あたらしい活動につなげてまいりたいと考えております。

今後ともアダナ・プレス倶楽部は進化の歩みをつづけてまいります。
活版印刷普及のさらなる発展のため、あらたなステージへ踏み出すアダナ・プレス倶楽部にたいし、今後ともご理解・ご協力を賜りたく、よろしくお願い申しあげます。
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《想いでがいっぱい、活版凸凹フェスタ》
「五月の連休は活版三昧!!」
「ファインプレスの祭典」
「型、形 ── カタカタ祭り」
「凸版・凹版・平版・孔版 ── 印刷の四大版式の集合」
このようなさまざまなスローガンを掲げ、5年間、都合4回開催された「活版凸凹フェスタ」です。

なにぶん非力な主催者、アダナ・プレス倶楽部のことでしたから、いたらぬ点は多多ございました。それでも活版カレッジの修了生を中心に、アダナ・プレス倶楽部会員の皆さま、出品者、出展企業の皆さまのさまざまなご協力と、ご来場者さまのご支持をいただきながらの開催でした。
例年の「活版凸凹フェスタ」のご来場者は毎回数千名を数え、さまざまなご予定が多い連休中のさなかにもかかわらず、北海道から、九州から、四国からと、ご遠方からも足をお運びいただくかたが多い「活版凸凹フェスタ」でした。

それらの記録は、この「アダナ・プレス倶楽部ニュース 過去ログ」に細大漏らさず収納されています。
「活版凸凹フェスタ」の一時中止を決定したいま、あらためてその記録をみますと万感のおもいがございます。

「活版凸凹フェスタ 2011」は、会場予約と会場費の支払いを終え、出品・出展者の申込み受付も完了した直後の、2011年03月11日に襲った「東日本大震災」のために、さまざまな逡巡と葛藤のすえ、急遽中止を決定したものでした。
2013年(平成25年)01月30日時点で、震災による死者・行方不明者はおよそ19,000人、建築物の全壊・半壊は、合わせて39万戸以上、ピーク時の避難者は40万人以上にのぼったとされています。
またこの震災の傷跡はいまだに癒えたとはいえず、復興庁によりますと2013年01月17日時点の避難者などの数は、いまなお31万6,353人となっています。
さらに地震と津波にともなう福島第一原子力発電所の大災害は、残念ながらいまだに終熄をみたとはいえません……

《そして、再開した 活版凸凹フェスタ 2012と、そ の写真記録》










【展覧会】金閣・銀閣の寺宝展 雪舟、東伯、宗達、そして若冲ー正調明朝体 金陵をご使用いただきました。


現在福岡県久留米市の、石橋美術館(第一会場)と、有馬美術館(第二会場)では、京都の寺院、大本山相国寺・鹿苑寺(金閣)・慈照寺(銀閣)・大光明寺の所蔵品による展覧会を開催中です。

この展覧会には相国寺のコレクションを代表する伊藤若冲の絵画「釈迦三尊像」をはじめ、室町時代から江戸時代の日本絵画を代表する、雪舟、狩野派、長谷川東伯、俵屋宗達、円山応挙といった巨匠の絵画が展示されています。

展示は、会期を2013年1月12日-3月10日として、二部、二館にわかれて開催されています。
【絵  画】
第一部 「色彩の魔術師 若冲」(2013年1月12日-2月8日)
第二部 「日本美術の立役者 集結」(2013年2月9日-3月10日)
【工芸品】
第一部・第二部共通 「悠久の美 器を愛でる」

★ 特別展 金閣・銀閣の寺宝展 雪舟、等伯、宗達、そして若冲

石橋美術館
839-0862  福岡県久留米市野中町1015(石橋文化センター内)
Telephone 0942-39-1131  Facsimile 0942-39-3134

★      ★      ★

【特別展 金閣・銀閣の寺宝展 雪舟、等伯、宗達、そして若冲】の、ポスター、フライヤー、展示解説などには、「正調明朝体 金陵」をご使用いただきました。

★  作品目録(PDF データー。少し読み込みに時間がかかります)

『南齋書  一』大明南京国子監「正調明朝体 金陵」の参考資料となった、木版刊本『南斉書』

まだ四角四面が好きですか?

 「正調明朝体」とはすこしおおげさな名前かもしれません。このあたらしい書体はべつに古拙感を演出した筆写体でも、奇をてらった装飾体でもありません。
正調明朝体「金陵」は中国・南京の雅称から名づけられ、その金陵にあった大明南京国子監刊行の木版刊本『南斉書』にみられる端正な明朝体字様を現代に再生したものです。

明王朝(1368-1644)は、漢民族の朱元璋・太祖が蒙古族の元王朝をたおして南京に建朝しましたが、4代目の皇帝・成祖のときから都を北京に移しました。
また国子監とはもともとは隋王朝のころに設立された大学のことですが、明王朝になってからは中央官僚を養成する大学の機能とともに、国家によるすべての学問を統括する中央官庁となりました。
都が北方の北京に移転してからも、王朝による出版活動は「南監本」とされて、南京を中心に展開されました。その明王朝によるもっとも典型的な官刊本、すなわち正調明朝体字様がうかがえる書物のひとつが『南斉書』といってよいでしょう。

「現代明朝体」には、近代化の名のもとに、機械メスや電子メスが自在にはいって直線化がすすみ、水平線と垂直線ばかりが目立って、すっかり四角四面の硬直した活字書体になってしまいました。
そんな「現代明朝体」から人間味をとりもどしたいあなたに、あるいは奇形や媚態をみせるデザイン書体にはすでに飽いたとおっしゃるあなたのために、明朝体の端正にして、もっとも原型にちかい木版字様を復刻した、正調明朝体「金陵」をおすすめします。
「金陵」には伝統のたかみにある和字書体(ひら仮名とカタ仮名)3書体が標準でセットされており、用途に応じた選択ができます。

【詳細 : 正調明朝体 金陵 Combination 3】

新宿私塾 第22期生募集終了

新宿私塾 第22期生募集は定員に達しましたので
募集を締め切りました。
お申し込みありがとうございました。

新宿私塾第23期生(2013年9月開講予定)は
本年7月中旬頃に募集の予定です。
入塾相談・ご見学・入塾予約などは随時受け付けております。
ご遠慮なくご相談ください。

http://robundo.com/shinjuku-shijuku/index.html

新宿私塾 第22期生募集開始

「新宿私塾」はタイポグラフィの知・技・美の領域をバランス良くまなぶための、少数先鋭によるちいさな教育機関です。
書物と活字づくり、すなわち「タイポグラフィ」の550年におよぶ魅力的な歴史をまなび、本格的なタイポグラフィの教育と演習を通じて、あたらしい時代の要請に柔軟に対処する能力を身につけた、タイポグラフィの前衛を養成します。
「新宿私塾」は設立から11年の歴史を有し、現在は第21期生が意欲的な学習を続けています。
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今回募集する第22期生は、
2013年4月2日―9月までの、半年間、24回の講座を予定しております。
基本的に毎週火曜日、午後6時30分-9時40分が講座開設日時です。
また24回の講座のうち、土曜日に設定される、フィールドワーク、特別講座が数回予定されています。

新宿私塾は少数先鋭をモットーとし、現役の第一線の造形者による講師陣と塾生が、また塾生同士がたがいに切磋琢磨しながら向上をめざす私塾であり、定員は最大10名で、お申し込み先着順に受付させていただきます。

講義内容、スケジュールなどの詳細は現在調整中ですが、講義内容は現在開講中の第21期とほぼ同様となります。新宿私塾のウェブでご覧いただけます。
http://robundo.com/shinjuku-shijuku/

受講料30万円のうち、申込金3万円を指定口座に振り込んでいただき受付終了となります。
残金の27万円は、開講日(2013年3月末日)までに指定口座に振り込んでいただきます。なお申込金3万円は、お支払い後のキャンセルの場合も返還はできません。
また、ご事情があり分割支払いをご希望の方は担当の鈴木までご相談ください。

振込先:みずほ銀行  新宿中央支店
普通1319675 株式会社 朗文堂(ロウブンドウ)

先ずはメールにて入塾の有無をご連絡ください。
件名/新宿私塾22期申し込み
お名前、住所、電話(携帯可)そして簡単な略歴を必ずお書きください。講義の際に参考とさせていただきます(この情報は新宿私塾だけでの限定といたします)。
受信後、返信をさせていただきます。
より詳しく新宿私塾に関して知りたいというかたは電話連絡をしてください。担当の鈴木か片塩が対応させていただきます。
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株式会社 朗  文  堂
鈴木 孝
160-0022 東京都新宿区新宿2-4-9
電  話 03-3352-5070
Telefax 03-3352-5160
@ mail  robundo@ops.dti.ne.jp
http://www.ops.dti.ne.jp/~robundo/
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新宿私塾 製本講座 +新年懇親会;咸亨酒店 !?

新宿私塾第21期 第19回講座
2013年2月6日[土]
特別演習 製本術入門
特別講師:西尾 彩 さん
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2月初旬というのに、穏やかでぬくもりのある日射しの日でした。
土曜日、新宿私塾 特別演習、きょうはすこし長丁場になります。
午後1時、みなさん遅刻無く集合。
新宿私塾 第1期から担当していただいている
西尾彩さんによる特別演習「製本術入門」。



中央で立っているかたが講師の西尾 彩さん。
新宿私塾はタイポグラフィを中核として、造形・形成に関する多彩な
講座を設けています。通常は2コマ、都合3時間の夜間講座ですが
フィールドワークや、ここに紹介する4時間にわたる特別講座もあります。
「製本術入門」は、講師の西尾  彩さんの指導をうけながら
本格的手づくり洋式製本を体験する講座です。

 西尾さんは通算4年余におよぶ英国留学のあいだ、その居を
19世紀世紀末 アーツ&クラフツ運動の発信地のひとつ
ロンドンのテムズ河畔のハマースミス通りにおかれていました。
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講座が進行するのにつれ、西洋製本術の基本とは
16世紀ドイツの書物、いわゆる『西洋職人づくし』、
『Eygentliche Beschreibung aller Ständeauff Erden』
(詩:ハンス・ザックス、木版画:ヨースト・アマン、フランクフルト、1568年)
に描かれた製本士とも、19世紀世紀末、英国アーツ&クラフツ運動の
造形家とも通底する、身体性をともなった造形であることに気づかされます。
そして、そのおもしろさに次第に惹かれていきます。
特別演習は全員が製作を完了して、夕方5時半に終了。


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ところで塾生諸君、演習でのここちよい達成感が醒めぬまま、
「新年懇親会」と称して、夕暮れの街に、連れ立ってきえていきました。
行き先は朗文堂Websiteでも再再紹介している、神田神保町「咸亨酒店」。
「酒店」とはいいながら、本物の「中国料理店」です。
「咸亨酒店」の紹興酒と、名物のおかゆ料理に、みなさん満足のようす。
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新宿私塾第21期もいよいよ後半戦。各講座はいっそう熱を帯びてきました。
そして塾生同期生だけでなく、期を越えたあたらしいタイポグラフィの仲間も
次第にふえて、皆さんの顔つきも入塾直後とはだいぶ変わって、
タイポグラファらしい顔立ちにかわってきました。
下に紹介する写真、1枚目はお店の従業員さんに撮影していただいたもの。
おおきな鉢は名物おかゆです。少少ピンボケはご容赦を。

【東京国立博物館】書聖王羲之 特別展の紹介


《きさらぎの月、2月に入りました。皆さまお元気ですか》
カラタチが寒風の中で、けなげに深紅の花をつけています。プロ野球もいよいよキャンプ・イン。そして南国からは、早くも梅だよりがチラホラ寄せられています。
皆さまお元気でご活躍のこととお喜びもうしあげます。

2013年01月22日-03月03日、東京国立博物館 平成館で、『書聖王羲之 特別展』が開催されています。
さっそく01月26日[土]にでかけました。とても寒い日だったのですが、館内は「王羲之ファン」でいっぱいでした。早めのご観覧をお勧めいたします。



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東京国立博物館『書聖王羲之 特別展』には、朗文堂ともしたしくおつき合いさせていただいている  台東区立書道博物館 の所蔵品がたくさん展示されていました。同館はまた、国立博物館と呼応するかたちで、
『中村不折コレクションから ── 不折が学んだ書聖 王羲之 企画展』(2012年12月07 日-2013年03月03日)を開催しています。時間の許すかたは、ぜひとも台東区立書道博物館にも足をお運びください。
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東京国立博物館では、ことし夏の企画展のフライヤーを配布しています。
『特別展  和様の書』(2013年07月13日-09月08日)。
同展には国宝をふくむ、わが国の名筆がたくさん展示されるようです。これも楽しみな企画展です。
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ただしこの時期、7月中旬には、小社アダナ・プレス倶楽部も、あたらしい、相当大胆なイベントを企画しています。
国立博物館とちがって、まだ詳細をつめるにいたっていませんので公示はしていませんが、あたらしい飛躍の地をもとめて、北海道にでかけて、その地のタイポグラファとの熱い交流ができたらと、鋭意企画が進行中です。
もうしばらくの時間をいただきます。



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昨2012年に、2度にわたって王羲之にちなむ蘭亭のまち、そして王羲之が晩年を過ごしたまち、中国・紹興にいきました。その詳細な報告は時間がかかりそうですが、
★  新・文字百景*004  顔 真卿生誕1300年+王羲之
★  朗文堂-好日録024  禹王、王羲之、魯迅、孔乙己、咸亨酒店、茴香豆、臭豆腐
の、それぞれ後半部に、王羲之紹介を断片的に記述してきました。
そして、これまでは王羲之と顔真卿とを比較しながら紹介しようと苦吟していましたが、やはり、まずはステレオタイプといわれても王羲之を通過しないと……、と覚悟をきめて、

 と題して、タイポグラフィ・ブログロール『花筏』に近近まとめる予定です。こちらはご笑覧たまわれば、ということで……。

新宿私塾修了生・鈴木一成さん 震災からの復興と追悼

  


《新宿私塾活修了生、活版カレッジ修了生の鈴木成一さんが時論を執筆》
『先見経済』(清話会、2013年01月01日)の表紙Ⅳに、新宿私塾、活版カレッジ修了生の鈴木一成イッセイさんが、東日本大震災からの復興と追悼のおもいを込めた時論を発表されました。

鈴木さんは1982年宮城県石巻市のおうまれで、朗文堂 新宿私塾、活版カレッジを履修され、近い将来、宮城県にあたらしい印刷業のモデルを創立するために真摯な研鑽をつづけています。

石巻市は宮城県東部に位置し、人口はおよそ20万人で、仙台についで県内第2の都市とされます。2011年03月11日の大震災では、直接死・関連死・行方不明者は3,943名の多くを数えました(2012年11月現在)。
この石巻市の犠牲者の数は、市町村レベルではもっともおおきな被害でした。

鈴木一成さんの一家は1926年(昭和元年)の創業にかかる株式会社鈴木印刷所の経営者で、まもなく創業90年を迎える老舗の印刷会社です。
同社もまた、激甚をきわめた震災と津波によっておおきな被害を蒙ったものの、全社一丸となって復興作業をすすめ、現在は「Never Give Up  原点回帰・第二の創業へ」をスローガンとして、奮迅の努力を重ねています。

鈴木印刷所の第4代目を担うであろう鈴木一成さんは、「第二の創業」をめざして、ほんとうに熱心に研究をつづけています。
鈴木さんは「原点回帰・第二の創業」に際して、おおきな可能性を秘めた活版印刷と真っ正面からとり組み、近近 意欲的な工房が杜の都・仙台か、石巻に誕生する模様です。もちろん朗文堂 アダナ・プレス倶楽部も、この鈴木印刷所の挑戦を、全力でのバックアップを心がけています。
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鈴木一成さんの「時論」は、あのおおきな災害を忘れることなく、被災地へのおもいをあらたにさせる、挑戦者らしい「時論」でした。
そしてわたしたちも、あの地震と津波、さらには原発事故という人災の記憶を風化させることなく、追悼と復興の意志に燃える、被災地の皆さんと、ねばりづよい連帯がもとめられることを、年頭から実感させるものでした。

【イベント紹介】印刷のいろは展 2013

印刷のいろは展 2013

 【日 時】  2013年02月22日[金]-24日[日]
        12:00-18:00(最終日は17:00まで)
【会 場】   金羊社 1階・4階 入場無料 予約不要
【主 催】   金羊社&オールライト工房

アダナ・プレス倶楽部会員、オールライト工房さんによる恒例の《印刷のいろは展  2013》が、ことしも盛りだくさんの企画をもって開催されます。
皆さまふるってご参加ください。

【詳細 いろは展 ホームページ】

【イベント情報】活版、横濱 二〇一三

活字母型  活字鋳造  活版活字

《活版、横濱 二〇一三》

【日 時】2013年02月09日(土曜日)11:00-19:00、
                   10日(日曜日)11:00-18:30

【会 場】りせっとcafe 伊勢佐木町店 
      横浜市中区伊勢佐木町2-62 オリエンタル共同ビル
      
【展示概要】
・活版作家のオリジナルの活版印刷物
 (ポスト・カード、封筒、メッセージ・カードなど)
・手動式活版機(テキンとアダナ機)を使ったワークショップ
・新・活字ホルダーを使ったワークショップ
・活字、活版材料の販売
・活字母型などの展示
・地元神奈川の印刷屋さんの活字組版の展示

【企画趣旨 ── 築地活字代表・平工希一】
《活版、横濱 二〇一三》は、全国で湧き上がる活版印刷の新しい可能性の探求を、ここ横浜でも根付かせ、地元密着型の情報発信をしていくキッカケになれば ── との思いから開催することにいたしました。
《活版、横濱 二〇一三》の開催場所として「イセザキ町」を選んだのは、活版印刷の歴史と同じく、ふるい町でありながら、新しい魅力を発信できる可能性のある町だと思ったからです。多種多様な人たちが集まるこの町で、新たな活版印刷情報を発信できれば幸いです。

【主 催】
株式会社 築地活字
横浜市南区吉野町5丁目28-2(三進興業ビル1F)
電話 : 045-261-1597
メール : info@tsukiji-katsuji.com

《活版、横濱 二〇一三》 詳細データー 会場MAP