アダナ-21Jのご紹介

こんな時代だから活版印刷機を作っています

◎プラテン印刷機( platen press )とは……

Adana-21J の機械構造から見た分類

プラテン印刷機は平らな刷版に、印刷用紙を平面で押圧するタイプの印刷機の総称です。
一般には版面を垂直な縦型に設置して印刷する活版印刷機をあらわし、加圧機構は下方の軸を支点として開閉する蝶番式( clamshell type 二枚貝の貝殻の意)と、開いた圧盤が版面に平行になるまで回転し、そのまま水平に移動して印圧がかかる平行式( sliding platen type )とに大別されます。今回アダナ・プレス倶楽部が試作したプラテン印刷機 Adana-21J は、版盤と圧盤が二枚貝のように蝶番で連結されたプラテン印刷機の蝶番式にあたります。

 プラテン印刷機の種類は国産機・輸入期を含めてとても多く、わが国にはじめて導入された明治期の頃には動力が足踏み式であったために「フート印刷機 foot press 」と呼ばれ、その後フート印刷機を手動式にしたものを「手フート hand-operated foot press 」「手キン」などと呼ぶようになりました。

Adana-21J の原型……

Adana Eight-Five の歴史

 今回アダナ・プレス倶楽部が試作機のモデルとしたものは、1970 年代の初頭にイギリスから輸入された Adana Eight-Five で、この小型のものを含めて「アダナ印刷機」の名前で親しまれてきたものです。また、アメリカの Kelsey 5×8 Excelsior Press )なども参考としました。

アダナ印刷機は 1922 年、イギリスの Donald A. Aspinall によって考案された木製の素朴なセルフインキング印刷機を発祥としますが、その後 Adana Five-Three, Adana Eight-Five と呼ばれて量産されました。また「 ADANA 」の名称は考案者 Donald A. Aspinall の頭文字をとってアナグラムとしたものとされています。

 アダナ印刷機は、主に名刺・カードなど、はがきサイズ以下の端物小型印刷物に好適な活版印刷機です。わが国には 1960 年代初頭に紹介され、一部の印刷愛好家に支持され、その後は晃文堂(現・リョービイマジクス)が輸入代理店として販売にあたりました。しかし残念ながら活版印刷全体の退潮などの理由もあって、イギリスにおける製造元が閉鎖され、また下記のような理由が重なって次第にその需要は衰退しました。

● 海外からの輸入機のために、当時の為替相場や物価水準からいって高額であり、個人の趣味やホビーとして活版印刷を試みるためには、個人所得や意識が低かった。

● 漢字を中心とする活字の字種があまりに多く、また複雑な組版技術が要求されたにもかかわらず、日本語による操作マニュアルや活字購入のためのガイドブックも無かった。

● 欧米と較べて一般家庭への打圧式タイプライターの普及が少なかったために、文字組みや印刷の基礎概念が一般に不足しており、タイポグラフィの基礎教育も実施されていなかった。

 こうした歴史を踏まえ、朗文堂/アダナ・プレス倶楽部では以下のような需要の高まりに応えるために、特許・工業意匠権・商標権などを整理・確認し、国産活版印刷機の製造・販売を決定しました。

● 英国をはじめ欧州各国が産業革命を達成したのち、19 世紀世紀末 - 20 世紀の初頭にかけて勃興した「アーツ & クラフト運動」とその枢要な造形運動としての「プライベート・プレス運動」をわが国では経験してこなかった。しかし第 2 の産業革命ともいうべき IT 革命の進展が、わが国に 100 年遅れの「プライベート・プレス運動」の気運を招来しつつある。

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